哲学者の密室

矢吹駆シリーズ第四弾です――と言えば、ここを訪れる方には通じるでしょう。シリーズ最長編にして最高傑作との呼び声も高い本書。私も今まで出たシリーズの中では、この作品が最も好きです。密室というミステリィにおける永遠普遍の問題を、こうも哲学的に論じたというだけでも、燦然とした価値をこの作品に見出すことは、左程難しいことではありません。

この作品は前編、中編、後編の三部仕立てとなっており、前編と中編でそれぞれ現在と過去における三重密室事件が定義されます。そこに、ナチス・ドイツと密接に結びついたとされる『死の哲学』が絡み、密室という名の遠大な哲学に組み込まれていくのです。そこには、死と密室性についての現象学的理解にかつてない苦悩と煩悶を費やす矢吹駆の姿を見出すことができます。死の哲学者『マルティン・ハルバッハ』の思想に捉われ一度は己の直観を見誤る駆ですが、己の生とそして偉大なる先駆者との討議の末に、ハルバッハの定めた死とは違う死を己の中に見出し、最後にはその死と密室の哲学が事件を解決に導いていきます。そこに至るまでの思想的葛藤、その狭間で繰り広げられる推理と哲学とが、精緻な姿勢で真正面から綴られていました。この物語を読み進める時、私がどのように胸躍る気持ちで読み続けていたかは、この文面だけでは理解できないと思います。あれだけ深遠な内容を含みながら、ページを読む手が止まらないというのはどういうことか――正に非の打ち所の(人によってはこの長さが非となるかもしれないですが)作品でした。

あとは個人的に、最後のナディアの行動には感銘を受けること頻りです。初めて、彼女を可愛いと思ってしまったり(というか、こんな堅い作品でそこを指摘するか、私は――)もしました。それも含めて、私がこの作品から受けた影響は甚大です。先に紹介した三作を読了することが必須となりますが、そのことを差し引いても一度は読んでおいて損のない作品です。というかミステリィ好きなら絶対に読んどくべき。単なるトリックの域を越えた密室の深い概念を垣間見ることとなるでしょう。

余談ですが、中編に出てくる『ハンナの小屋』にはある重大な建築上の欠陥があります。重箱の隅ですが、余裕があれば突付いて見るのも面白いかと(笑

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