「だいたい探偵小説のなかでも、密室を扱ったものは、それが必然性もなく組み込まれることが多いという点で批判されることがあるけど、この事件なんて、それ以上だぜ。ただ、殺人事件に密室という要素を付加したいというだけのために講じられたとしか思えないじゃないか。ああ、全くもって判らん」 (「匣の中の失楽」/Kenji Takemoto)


1 天翼館全景

0 前説(XXXX/XX/XX XX:XX Xxx.)

世に言う『天翼館殺人事件』と呼ばれる連続殺人事件が起きたのは、大囃家の当主、大囃平秀の住む天翼館という斜に前衛的な屋敷の中であった。

最初の事件が起きたのは八月十三日の夜半、そして幾つかの衝撃的事件が続くに至り、一人の少女の手によって同月十六日の朝方に解決の日の目を見ることとなった。期間にすればそこまで長くなかったのだが、事件の起きた場所が県内でかなりの勢力を誇る一族の、しかもすこぶる曰くつきの館であったため、警察から詳しい発表が成されるまでは、骨肉の争いか? 云々の話題が各種スポーツ紙や週刊誌を賑わすこととなる。勿論、それほどに簡単な事件では決してなかった。

警察から発表された内容でまず、世の人々を驚かせたのはその犯人であったが、またその事件一つ一つそのものをとっても平凡なものは何一つとして存在しなかったのである。

最初に殺されたのは、大囃家の三男、大囃羊山だった。年齢は三十九歳で未婚、四十前になって結婚の一つもなかったが、それは小学教師という出会いの幅と余裕の限定される仕事についていたからであった。彼ははっきり言うと、親と同じ道には――つまり企業家としての道であるが――進まなかった。

詳しい経緯というのは事件と関係ないので省略するが、父親である平秀は息子が教師となることについて反対は一切しなかった。子供の自主性に任せるというのが、平秀の持論だったからである。ともあれ、そんな素性であったから羊山には敵らしい敵はいなかった。他の兄弟とも関係は円滑であったし、親とも仲は良い。殺される理由など、それこそ数えるほどしか存在しなかった。金銭トラブル……警察は真っ先にそのことを考えた。また屋敷の外縁には監視カメラが設置されており、午後八時に屋敷と外を繋ぐ唯一の門が施錠されたあと、正規・不正規に侵入・脱出したものは誰もいなかったと判断されたのも、その一因である。

これだけを見ると極普通の諍いのようにも思えるが、まず不思議だったのは羊山の部屋が密室であったということである。しかも奇妙なことに、密室にされた現場には犯行の痕跡はあれどその被害者本人は存在しなかった。被害者が見つかったのは、下に掲載された図1を見た方が説明が早い。羊山の死体は東勝手口と墓標の(誰の墓であるかというのは、この段階ではまだ伏せておくが)丁度中間点となる、樹木群のほとりであった。

天翼館全景
図1:天翼館外観図

そして図2を見れば分かるように、事件のあった夜に被害者のいた部屋はその発見された現場とほぼ反対側に存在している。そこでもっともすぎる疑問が生まれた……誰が部屋を密室にして、そこまで運んだのか……。

天翼館全景
図2:天翼館見取図

更に第一の事件では、もう一つ不思議な点があった。それは、東勝手口から樹木群へと向かう足跡が一つ、しかなかったということである。密室の謎、足跡の謎、そして犯人の謎と、事件を迫るものたちは初っ端からその三重の謎に悩まされることとなる。

いや、謎というのならもう一つあった。それは見立てという正に推理小説でも読んでいなければ理解できないような、正者からの悪夢のような死飾りというべきものである。その原典となったものは、天翼館に入ってすぐ、階段奥にかかっている絵画だった。『天使の消える街』と題されたその絵は、明治後期に棟越来栖という基督教画家によって描かれた。

来栖という名前からも分かるとおり、この名前は画名であり、本名は別にあるがこの画名の方が通りが良いのでこちらの名前で呼ぶことにする。彼が基督教に帰依したのは二十二歳の時であり、それまでは水墨画を細々と書いていた一端の無名の画家を西洋前衛美術家として僅かながら有名にした原因でもある。彼は天使と人間の共棲する世界を好んで書いていたが、妻の死によりその作風が一八〇度回転した。

その後は神の裁きや黙示録といった、基督教的世紀末をモチーフとした鬼気迫る雰囲気を持つ作品を幾つか残し、その果てに自殺して果てる。基督教教義の一つに自殺の否定というものがあり、また神への冒涜的発言をしていたという当時の話からも、既に棟越来栖は基督教を捨てていたと考えられている。

『天使の消える街』は来栖最後の作品『黙示録の夏』の直前に書かれたものである。しかしその光景はただ悲惨であり救いがない。そしてそれを裏打ちするかのように、来栖はその画の舞台背景であろう十四行の詩を残している。



矢は放たれた。
それは審判に逆らうものたちへの怒りの矢。

第一の天使は束縛の戒めにより飛ぶことを奪われた。
翼奪われし天使は墜落し、鋭刀貫く無惨な姿を地に曝す。

第二の天使は腐った水を飲まされもがき苦しんだ。
地上人の多くもその水を飲み、同時に骸と化す。

神の威光、轟きし後も未だに従わぬものあり。
神は二本目の矢を放ち、怒りは世界を満たした。

第三の天使は虹色の雲から降り注ぐ雹によって体を貫かれた。
雹とは色とりどりの宝石であり、その煌きは空を覆う。

第四の天使は聖なる雷に撃たれその身を激しく焦がした。
地上人の街も同時に燃やし尽くされ、皆が滅んだ。

黙示禄に逆らう人間や天使の処分はこうして完了した。
これにより、神は真なる審判の時を迎えられるのである。



禍々しさと生けとし生きるもの全てを呪い尽くしたこの詩の、第一の天使に関する条項に見立てられて大囃羊山は無残な屍を大地に曝していたのだ。

しかし、そんな事件すらもこれから語られる事件の全景からしてみれば、ほんの序章程度の役割しか持たなかったのである……。
















前編 天使の館

〜The mansion having four wings〜
















[PREV] [INDEX] [BACK] [NEXT]