3 天使像の殺害


3 先ずは長兄家族の来訪(1999/08/13 12:25 Fri.)

八月十三日当日、朝の天気は幸いにして文句の付けようのない晴天だった。雲一つすら、薄く望む視界の中には何一つとして存在しない。今日もまた、いつものように勉強に励んでいたあゆの耳に、久方ぶりに聞く玄関のチャイム音が鳴り響いた。

「誰か、お客さんかな?」

そう自分で呟いてみて、昨日の夕食の席で息子たちとその家族がやって来るからと大囃平秀が話していたことを思い出す。

「家族が一同に集結するのは、この日くらいだからな」

淡々とした口調で、しかし至極真面目な顔でそうぽつりと呟いた平秀の姿を見て、家族があつまるのに嬉しくないのかなとあゆは思わず首を傾げたものだ。

そんなやりとりや、生来もっての好奇心からあゆは部屋を抜け出し、その家族のところへ向かった。玄関では家政婦の早乙女良子が、三人の人たちに向けて何かを話しているところだった。二人が大人、一人が自分と同じくらいの子供であるところを見ると、どうやら親子連れらしい。

「まあ、いつ見ても豪奢な館だなあ」

と、腹が少し出た――それでも体格としては立派に見える――男性が吹き抜けのロビィを見回しながら感想を述べる。と、男性の視線が一つの場所で止まる。

「親父のやつ、まだあんな辛気臭い絵を飾ってたのか?」

男性が見やったのは例の『天使の消える街』という絵だった。側にいた女性が、絵を見てぶるりと震えるがそれは当然の反応だと思う。あゆも、あの絵を直視するだけでいいようもない恐怖が浮かんでくるのだから。

「私、あの絵だけはどうしても好きになれない……何だか恐いんですもの。こういう場所の玄関に飾る絵としては相応しくないんじゃないの?」

「はい、そうかもしれません。しかし平秀様の仰られたことですから」

早乙女良子は言を放った女性の目を見据えて答えた。女性は良子のことを一瞥した後、はあと溜息をついて男性の方に視線を送った。

「まあ、これも親父の趣味だからこっちからは口出しできないけどさ。取りあえず、こっちは朝早く出てきたもんだから少し休みたいんだ。部屋はいつものように、西の二階のところだよな?」

「はい、平秀様に聞いてみなければ分かりませんが、おそらくはその通りかと。只今、お連れしてきますので」

良子は最後に深くお辞儀をすると、東翼の方へと歩いていった。

姿が見えなくなると、男性と女性は大きく背を伸ばす。

「全く、いちいち形式ばった物言いをするな、良子さんは。それにいつもいつも、言が始まれば平秀様、平秀様、時代錯誤も良いところだ……今時、俺だって、部下や使用人の類に様付けなんてさせないのに」

少し不機嫌そうに言うと、女性が面白そうにそう返した。

「でも、あの女もああいうのを楽しんでやってるみたいじゃない。でも、あの態度はやっぱり不気味よね。お義父さんに心酔してるって感じで……お義父さんに命じられたら、それこそ人殺しでもやるんじゃない?」

そう言うと、男性の方もくすくすと笑った。

「ああ、そりゃ言えてるなあ」

聞いていて、あまり愉快な会話じゃなかった。その二人に挟まれる格好でいる男の子もそう思っているのか、如才なさげに辺りを見回している。

そこで、あゆと男の子の視線がかちあった。

「父さん、母さん、ちょっと屋敷の方を散歩してきて良い?」

男の子はこちらに目で合図を送ってから両親――あゆの思ったとおり、三人は親子らしい――にそう尋ねた。

「もうちょっと待ちなさい。お祖父さんへの挨拶を済ませてからだ」

男性の言葉に少し不服そうな顔をする男の子。もしかして彼は、自分と話がしたいのかもしれない。それに、初めて会う人だから挨拶はしておかなければならないなと考え、あゆは三人のいる玄関に出た。丁度、同じタイミングで反対側から良子と平秀が歩いてきた。

「只今帰りました」

男性の方が深く頭を下げると、平秀は余裕のある笑みを浮かべた。

「ああ、よく帰ってきてくれたな。それに喜子さんも輝くんの方も元気そうだ。まあ、面倒臭いだろうとは思うが、家族の無事な姿を見るのは年寄りの年に一度の楽しみだと思って諦めてくれ」

「いえ、そんなことはありませんわ」

平秀の言葉に、喜子と呼ばれた女性は鷹揚に首を振りながら答えた。

「ところで、そちらの可愛いお嬢さんはどなたなの? もしかして、以前に電話で話していた月宮あゆって娘?」

皆、再会の言葉をかけることに気を取られていたのか、平秀も男性もあゆの存在には気付いていないようだった。振り向くと、おや来てたのかという目線を向けた。

「あ、ボク……」あゆは大勢の視線に囲まれて少しまごついていた。相手の方がリードしてくれたら別だが、基本的に引っ込み思案のところがあることは自分でも自覚していた。

「えっと、月宮あゆと言います。事情があって、今はここに住んでいます」

そう言って、良子の半分ほどに丁寧なお辞儀をした。

「あら、お行儀の良い娘ねえ。息子とは大違いだわ」

大囃喜子が、輝と呼ばれた息子らしい男の子に揶揄の視線を向ける。彼は一種、憮然とした表情を浮かべてあゆを見たが、すぐ照れ臭そうに俯いてしまった。変なのと思いながら、あゆは彼の両親の方を見る。二人とも笑っていた。

「まあ、男なんだから多少行儀が悪くてもしょうがないだろう」

と、男性の方は息子らしい人物の方を持つ調子で言った後、こちらに向き直る。

「ああ、自己紹介がまだだったね。私は親父の不肖の息子の一人、大囃秤一と言います。こちらが妻の喜子、そしてこのむくれっつらが息子の輝です。まあ、これから三・四日くらいお世話になるつもりなので、宜しく」

秤一と名乗った男性が軽く頭を下げ――やはり家族だったのだ――妻と息子がそれに倣って頭を下げた。ヘイイチにキコにテルと、あゆはその読み方を頭にインプットする。

「ところで親父、部屋はいつものところで良いんだよな?」

「ああ、鍵の方も既に用意してある」

そういって、平秀は無骨な無地のキィホルダの付いた鍵を三つ手渡した。ホルダに貼られたシールには、各人の名前が書かれてある。

「じゃあ、私たちは部屋に行って荷物の整理とかをして来るんで。昼食の方は食べて来てないけど、大丈夫かな?」

「ああ、人数分とは言えないが用意はしてある。私たちもこれから昼食を食べる予定だったから丁度良い、積もる話でもしようじゃないか」

平秀が愉快そうにそう言うと、息子も少しばかり笑ってみせた。そのやり取りを見て、仲が良いんだなとあゆは漠然と思った。その関係を、少し羨ましいとも、思った。そして、否応なく母のことが思い返されるのだ。

三人の姿が見えなくなると、あゆと平秀、そして彼に付き添う良子は食堂に向かった。中からは大蒜とオリーブ油の美味しい匂いが漂ってくる。

「あ、昼食の準備なら出来ていますよ」

厨房の方から、大笛和瀬の忙しそうな声が聞こえてくる。

「すまないが、長兄の家族がやって来たので料理が三人分増えた。至急、用意してくれるか?」

「それでしたら、もしものために今日ここに来る人数分だけ作ってあるから大丈夫です」

「そうか……」平秀は感心したように呟き、上座の席へと腰を下ろす。あゆはいつものように――というかテーブルマナー等の知らないだけであるが――空いている席に適当と座った。

荷物を解き、降りてきた秤一、喜子、輝の三人もすぐにやってきて各々の席につく。昼食の際、主に喋っていたのは平秀と秤一だった。あゆにはあまり面白い話ではなく、秤一が札幌市内で平秀の後を引き継いで何らかの事業を行っていること、長引く不況やそれに対する意見の交わし合い、などそういった関連のものが主であった。が、どういう経緯からかあゆのことに話が移ってきた。

「ところで月宮さんは、事故にあって七年も眠ってたのよね」

と言葉少なめだった大囃喜子が興味ありげに声をかけてくる。

「あ、はい。でも、ずっと眠ってただけだから、何も分からなくて……。その、みんなに聞かれるけど、七年間眠っててどうだったって。夢は見たのかとか、目覚めた時はどうだったのかとか……」

それはこの館の住人にも聞かれたし、祐一や舞や佐祐理、それから水瀬家の人たち、美坂香里と栞の姉妹にも、だ。でも、眠っていることのことを正確に言い表せる人なんているのだろうか? 少なくとも、あゆは夢のことを覚えているなんてこと自体が稀であったし、そんなことをできる人はいないと思っている。

「そうなの……でも、リハビリとかは厳しかったって聞いたけど」

「うん、それは……最初は指先一本すらも動かせなかったし、声も満足に出せなかったし、まるで体が人形にでもなってみたいに固くて、痛くて……」

そのことを思い出すと、あゆは今でも泣きたくなるような思いに駆られる。あんな体験だけはもう、二度と味わいたくない。

「そっか……苦労したんだ……」

そう同情の言葉をかけて来たのは、今までずっと暇そうに会話を聞いていた大囃輝だった。

「僕なんか、運動するのが好きだから動けなくなるってだけでぞっとするよ。バスケ部の先輩もリハビリは辛いって話してたけど、月宮さんは……僕なんかが大変だったなんて言ったら、簡単に分かったように言うなとか怒りたくなるくらい、辛い目にあったんだよね」

「あ、ううん。大変だったって声をかけてくれるのは嬉しいんだ」

相手を恐縮がらせていることを察し、あゆは思わず弁解する。

「本当に恐いのは、誰も心配してくれないってことだと思うから……」

目覚めた時の最初の孤独――それに比べれば、痛く辛いリハビリも、ましてや今の生活など天国に近いものがある。例えば、毎回美味しい料理が食べられるし、遅れている勉学の知識を段々と取り戻せているという楽しみもある。これは、事故で、眠り続けるまでは決して抱かなかった感情だ。

確かに自分は七年間遅れて人生を歩んでいるかもしれない。でも決して不幸ではない。何とか地に足を付け、精一杯生きているのだ。この昼食の会話で、あゆはそれを改めて思うことができた。

その後、またあゆとは関係ない話が続き、料理が終わるまでそれは変わらなかった。時計を見ると午後一時を少し過ぎた所だった。

「それでは、私と妻は部屋に戻るので。輝、お前はどうする?」

「あ、僕はちょっと……月宮さんと話したいことがあるから」

そう言って、諒解を求めるようにこちらを眺めてくる。あゆとしても同年代の話し相手ができるのは嬉しかったので、こくと肯いた。

「そうか、まああまり彼女に迷惑をかけないようにな」

秤一はそう言い残して、喜子と一緒に食堂の奥にある階段から二階に上がっていった。どうやら、彼らの部屋は二階にあるらしい。まあ、一階の部屋は殆ど埋まっているから、それはしょうがないことかもしれない。

「私も、疲れたので少し休むことにするよ。早乙女さん、羊山か乙男が来るか、午後三時になったら起こして欲しい」

「畏まりました」

と早乙女良子は頭を下げ、足を庇う平秀を支えながらロビィの方に歩いていく。どうやら、自分の部屋に戻るつもりらしい。

二人して取り残されてしまったので、あゆはどう声をかけて良いか分からなかった。それは相手も同じようで、気まずい沈黙が辺りを覆う。

「えっと、話って何かな? だったら、ボクの部屋に来る?」

あゆがそう提案すると、輝は少し考えた後、強く頭を振った。

「あ、えっとさ、それよりも庭の方に出ない? 僕、ここの噴水好きなんだ」

と慌てたように言い、そして小声で付け加える。

「だって、それは……まずいだろ……」

4 見知らず来訪した三男(1999/08/13 13:10 Fri.)

意匠を凝らされ、それでもあくまで左右対称に拘ったデザインは、何も館だけでなく、調和を強制されたかのように奥へと通じる道に存在する花壇と墓標、そして左右に羽根のようにと広がる樹木群も例外ではない。

その中心部ともいえる噴水の前、虹色の輝きにも似た水の幕が作り出す、薄い影の幕。月宮あゆと大囃輝の二人はゆっくりと腰掛けた。

「それで、話って何かな? もしかして、何か大事なこと?」

「あ、いや別に用は無くて、ただお喋りがしたかっただけなんだ。その、七年間もずっと眠ってたから、最初はどんな娘かなって思ってたけど、実際に見てみると、そこら辺をうろついてる学生とかと全然変わらないなって思ったから。月宮さんは今年で何歳になるんだっけ……」

「えっと、事故にあったのが十歳の時だったから……十七かな?」

「十七?」輝は明らかに驚きの声をあげた。「あ、うん、十七歳かあ。僕は十五歳だから、二歳年上なのか。うん、そっかあ……」

一応、納得しているようだが何故か目が泳いでいる。その理由が容易に察せられ、思わずあゆは相手を睨みつけていた。

「あっ、今、ボクのことそうは見えないって思ったでしょ。十七じゃなくて、まだ十三くらいのちんちくりんなガキだなって、思ったでしょ!」

「ち、違う、違うって」輝は慌てて弁解する。「いや、月宮さんって僕と同じ年かなと思ってたんだ。決してそんなことは思ってないよ。少し幼く見えたのは事実だけどさ、馬鹿にしてるなんてことはないんだ」

その言い草が大袈裟すぎて、あゆは本心からその言葉が信用できない。

「でも、それでもボクが子供っぽいって思ってるのは事実でしょ?」

あゆがそう言い放つと、輝はうっと黙り込んでしまった。

「だからそれはごめんって……ああ、どうすれば……」

その表情が泣きそうなのを見て、あゆは初めて言い過ぎだったかなあと思った。

「うん。でも、普通の女性に比べて成長が遅いのは確かかも……」

あゆは、改めて自分の体を見回しながら言った。

「でもね、やっぱりいつかは皆に追い着きたいんだ。ボクの回りってね、何故か分からないけど、魅力的な女の人が沢山いるから。可愛くて、優しくて、側にいるだけで嬉しいって思えるような。ボクもね、そういう女性になりたい。だから、運動だって勉強だって毎日してるし、また学校だって通いたいって、思ってるんだ。高校は無理だけど、大学には大検って資格を取ったらいけるらしいから」

それは相手を安心させるための言い分でもあったし、あゆ自身の願望であるとも言えた。そしてできれば、病院で出会った彼らと同じ位置に立ち、進みたいとも思っている。

あゆの話を聞いて、輝は感心したように肯いた。

「さっきも思ったけど、月宮さんってやっぱ、偉いと思うよ」

「そ、そうかなあ?」

急に偉いと言われたので、あゆは恥ずかしくて思わず下を向いてしまう。

「ああ、僕の学校にさ、そこまでの志を持って勉強してる奴なんて、それこそ数えるほどもいないもの。かくいう僕だって、高校に入ったら大好きなバスケをやってさ、勉強なんて少しくらい蔑ろにしても良いって思ってた。いや、実際にそうしてたんだ。まあ、勉強だってついていけないほどでもなかったし。

でも、月宮さんの話を聞いてると、そんな中途半端と過ごせること自体、凄く勿体無いことなんじゃないかなって思えてくるんだ。自分にはもっとできることがあるんじゃないかってね。そう考えると、無性に情けなく思える……」

あゆは、真剣な輝の言葉にずっと耳を傾けていた。そうしてみて、やっぱりあゆには彼の言葉に納得できないところがあった。自分に影響を受けているかもしれないと思ったからこそ、それはどうしても言わなければならないと思う。

「どうなんだろう? 確かに一生懸命頑張るのは、大事なんだけど……。でも、毎日をただそれだけって言うのも窮屈だと思うんだ、ボクは。少しくらい、無駄に過ごして、皆で笑い合って、ボクはそういう時間に憧れて来たし、今でも憧れてるから。だから君も……今は今のままで良いんじゃないかな? ただ、頑張る時が来たら、頑張ったら良いんだよ」

「……そう、なのかな?」あゆの言葉に、輝は深く首を傾げた。

「うんっ、そうだよっ」

その問いに、あゆは確信に近いものをもって答える。その押しの強さに、輝もつられて少しだけ笑った。

「やっぱり、七年間眠っていても、年の差は埋まらないんだな」

と、少ししてポツリと呟いた。

「月宮さんの方が、僕なんかよりずっと大人だ」

「うーん、そうなのかなあ?」

あゆには自分が大人だと断言することはできそうになかった。大人に比べたら、あまりにも幼稚な部分が多すぎる。が、目の前の少年は改めて肯定する。

「そうだよ。お姉さんだなって、思う」

お姉さんかあ……その新鮮な響きは、あゆにとってどこか誇らしげに響いた。

それからしばらく話をしていたが、玄関のチャイムが鳴り、一時中断される。

「あ、また誰か来たみたいだよ。誰かなあ?」

あゆの頭の中に、ヨウザンとオトオという二人の人間の名前が浮かぶ。

「多分、羊山叔父さんの方じゃないかな?」

と、輝が顎を手で擦りながら言う。

「乙男叔父さんの方は、何と言うか……時間にだらしない人だからね。去年も一昨年もその前の年も、夕方とか夜とかそんな時間じゃないと来ないんだ。それにいつも、お酒の臭いをさせてるし……」

輝の顔には、溢れるほどの嫌悪の情が滲み出ている。余程、その叔父という人が気に入らないらしい。どんな人かなあと、あゆは少し不安になった。

まあ、それはさておき、今来た人間のことは気になったので、あゆは輝を引き連れて、再び玄関ロビィへと向かった。そこでは平秀と見慣れぬ四十くらいの、体格の良い男性が対峙しており、二人だけで小声で何かを話しているようだった。

「あ、やっぱり羊山叔父さんだ」

そう言うと、輝は二人のもとに歩いていく。あゆも慌てながらそれに続いた。

平秀は温和な姿勢を保っているのに対し、羊山と呼ばれた男性は露骨に強く肩を震わせる。それは、何かに対し怯えを抱いているかのようでもあった。

「じゃあ、僕は荷物を整理してきますので」

そう簡潔に述べると、さっさと鍵を受け取り、東翼の方へと歩いていった。ということは、あの人の部屋も二階なのかなとあゆはおぼろげに考える。

「さっきの人、どうしたの?」

あゆが尋ねると、平秀は一瞬、神妙そうな顔をしていたが、やがてころりと筋肉を綻ばせた。

「ああ、それはあいつにな、結婚は出来そうかと尋ねたからだと思う。まあ、いくら何でも四十になったら嫁の貰い手も無かろうと思って心配したのだが、思いのほか、気にしているようで堪えたらしい。悪いことを言ったなあ……」

平秀がそう言うと、輝の方も成程なという具合に溜息をつく。

「叔父さん、気にしてるからなあ。別に面が悪いわけじゃないし、体格も良いし、黙ってれば中年の渋いどころの役者と見間違うくらいだから、四十近くてももてるとは思うんだけど。案外、気の弱いところがあるから」

と、冷静な分析を入れる。

「全くだ。あいつにももう少し積極性が欲しいんだがな。親の意向に逆らう勇気も、こと異性に向くとからっきしらしい」

平秀もまた、はあと溜息をつく。だがあゆは、親の意向に逆らうという言葉が少しばかり気になった。だが、尋ねてみると答えは明快だった。

「ああ、羊山はな、小さい頃に3年B組金八先生を見て以来、教師になると言い張ってな。後を継ぐのは嫌だ、教師になるといって飛び出したんだよ。いや、飛び出したじゃないか。私は別に反対しなかったし、でも芯は強いし真っ当でないことは許せないタチらしい。生徒の評判も良いんだよ、これで結婚相手がみつかればなあ……」

よほど、羊山という人にとって結婚はネックらしい。暗そうに佇む二人の顔を、
あゆはおろおろと眺めるしかできなかった。

5 遅れた次男と天使像の殺害(1999/08/13 17:30 Fri.)

チャイムの音と共に、「おーーーーーーい!!」という大きな声が聞こえて来たのは、丁度午後五時半だった。あれから四時くらいまで輝と書庫を探索してから――例の推理漫画のことで散々からかわれたのだが――疲れたのであゆは少し眠っていたのだ。やはり、一日まるかかりの活動というのはまだ駄目らしい。

やけに煩い声だなと思いながら、あゆは気だるく身を起こした。目を擦りながら廊下を出、三度ロビィに出ると、鼻の頭を真っ赤にした服装のだらしない男性が立っていた。

「お前、今日もまた飲んできたのか!!」

そう怒鳴りつけるのは、今まで温和な顔しか見たことのない、平秀だった。だが、相手はそう悪びれる様子もなくケラケラと笑ってみせる。

「まあまあ、長い列車の旅なんだから酒でも飲まない限り、やってられなひって」

語尾の舌足らずな様子は、酷い泥酔状態であることを示していた。

平秀は更に何か怒鳴りつけようとしたが、しかし相手の言葉によって緊張と沈黙が勝ってしまった。

「そういや、表の天使像のドたまに矢が突き刺さってたけど、あれも何か歓迎の趣向ってやつなのか?」

そういって、再びゲラゲラと笑い出す。

「乙男、お前、今なんと言った?」

「だから、天使像が殺されてるんだよ。あれ、親父の趣味じゃないのか? あそこに飾ってあるあの絵と一緒で」

その言葉を聞き、平秀が側に付き添っていた良子に目配せする。彼女はすぐさま、外に出ていった。その騒ぎを聞きつけたのだろう、もう一人の家政婦である有本裕美も、興味深げに姿をみせていた。

「な、何があったんですか?」

誰かがその問いに答える前に、良子が屋敷に戻ってきて、冷淡にこう告げた。

「乙男様の言う通りです。確かに、表の天使像の眉間に矢が突き立てられていました。形状からして、おそらくボウガンの矢でしょう」

その言葉に、ロビィは、しんと静まり返った。

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