9 ある種の諍い


18 望まれた名探偵(1999/08/14 09:30 Thu.)

 祐一は、未だにきつくしがみつくあゆの弱々しいながらも渾身の力を精一杯受け止めていた。正直、少し腕がだるかったが、それよりも祐一の持つ僅かばかりの騎士道精神が、困っている人間を救う方向に働き、祐一はあゆが嗚咽交じりの声をあげだすまで、じっと堪えていた。もっとも、その状態に落ち着くまでに二十分ほどかかった。

 先程まで部屋にいた早乙女氏は何時の間にかいなくなっている。どうやら、祐一たちに気を利かせたようだった。

 倉田佐祐理と川澄舞は今のところ、出る幕がなかったが、いつどのような変化が起こるかをじっと見守っていた。あゆの漏らした言から、佐祐理も舞もあゆが殺人現場を直に目撃していたことを察していたから、余計に心配だったのだ。佐祐理も舞も、春休みに偶然のことから逗留することとなったスキーロッジの連続殺人事件で、殺人死体とその与える強大な影響力を体験したことがある。

 だからこそ、二人ともあゆがそこから拭い得ぬ暗い感情を必要以上に受け止めていないか気がかりだった。

 そのせいで最初、誰もドアをノック音に気付かなかった。その沈黙を大事の合図と取ったのか、今度は途端にドアを激しく叩き始め、更には切羽詰った声も聞こえてきた。

「月宮さん、月宮さん、何があったの? 返事して!」

 流石にその音には誰もが感づいた。部屋の主であるあゆも、全てを吐き出してようやく楽になったのか、或いは虚勢を張っているのか――祐一には分からないけど、とにかく慌てる声の主を招く一言だけは発することができた。

「――っく、どうぞ、入って――っく」

 ただ、嗚咽混じりの声では相手の心配が解消されなかったのも事実だったようで、その人物は素早くあゆの部屋に入り込んできた。

 祐一の見た所、彼はあゆより二つか三つ年上に見えた。少しあどけなさが残った顔つきと、裏腹に百七十はあるであろう身長が成長期の男子であることを如実に示している。体は割合、がっちりとしているから何か運動の類をやっているのかもしれないと、祐一はあたりをつけた。

「しつれいしま――す?」

 男はなるべく毅然とした調子で部屋に入ろうとしていたようだが、その目論見は祐一の眼から見て見事に失敗していた。目の前の彼はあゆを宥め肩を抱いている祐一や、それを見守る佐祐理や舞の見知らぬ姿に、明らかに動揺した。

「だ、誰だ――貴方達は! どこから、どうやって入ってきた?」

 しかし、精神は意外と強いらしく数瞬の迷いの後に気勢よく声を放っていた。彼は祐一たち、特に祐一に向けて激しい敵意を表している。運悪く、あゆが声を枯らしている上に不安定な状態のため、弁解できないこと、そして彼にとって祐一たちは警察官でもない、しかも目の前で女性を泣かしている、怪しい不法侵入者と認識されていることは明白だった。

 祐一も祐一で錯乱していたから、警官がうろうろしていることも忘れ、当身を食らわせて黙らせようと一瞬思い、ようやく思い留まる。すると、横で静観していた佐祐理が極めて友好的な笑みを浮かべ、彼に向き合った。その明るい姿に相対し、相手はたじろぎ俯いた。彼女は社交的な笑顔でさえ、人の刺を奪うような力を持っている。祐一は短い間であるとはいえ、ずっと側にいて佐祐理を見てきたからよく分かっていた。

「すいません、このような時に突然お邪魔し、お騒がせしてしまいましたね」

 丁寧な口調に続き、佐祐理は大きく辞儀をする。それにつられ、目の前の彼も反射的に頭を下げ返した。案外に理義正しい人物らしい。もっとも、彼が大囃家の人間だとしたら不思議なことでもない。祐一は、佐祐理に攻撃的感性を引っこ抜かれて、今はただ戸惑うばかりの彼に同情的ですらあった。

「ただ、こちらは警察の方々をちゃんと説得して入ってきました。これは、捜査を担当されている刑事さんに尋ねれば、すぐに分かることです。それでも不信に思われるなら、今から話を伺ってきますか?」

 にこりとした表情に似合わず、至極定型的な物言いに相手は有無も言えず首をふるふると横に振った。

「あ、それは――良いです。けど――今は部外者が容易に出入りできる状況ではない筈だし、第一何をしに来たのかも僕には分からなくて。その――」

「せめて、素性を教えて欲しいと――そういうことですね?」

「はい、そうですっ」

 佐祐理は、純直そうな相手の態度に微笑ましいものを感じたのだろう。型ばった言葉遣いを正し、少し砕けた口調で相手に語りだした。

「倉田佐祐理と言います。隣にいるのが――」

「――川澄舞という。宜しく」

 この部屋に入ってから一言も発していない、舞の最初の言葉がそれだった。流石に、祐一の時よりはある程度社交的な感じではあったが、それでもぶっきらぼうであることは誰にも否めない。

「で、この俺が相沢祐一。三人組の――えっと、力仕事担当だ」

 本当なら、紅一点の反対の意味の言葉を言おうとしたのだが、祐一の語彙にそのような文字はない。よって、巧みに誤魔化したがどこか間抜けな自己紹介になったが、彼はそんな祐一や舞に心を寄せるでもなく、ただひたすらに佐祐理の方を見ていた。首を傾げ、それから思い出したかのように言葉を返す。

「はい、倉田さんに川澄さんに相沢さんですね」

「そうです。佐祐理たちは皆、あゆちゃんのお友達なんです。それで、心配になったので駆けつけた次第――というわけです。そう説明すれば、納得して貰えるでしょうか?」

 佐祐理と相対する彼は、ゆっくりと肯いた。

「ありがとうございます。それでこちらからも一つ訊きたいのですが、貴方のお名前は何と言うのですか?」

「えっと、すいません――名乗ってなかったですか?」

 緊張していたかは分からないが、間の抜けたことをいう。その様子を見て祐一は、見た目より実年齢も精神も幼いのではと思った。

「僕の名前は、大囃輝と言います」

 大囃ということは、彼はこの屋敷側の人間ということになる。新たに名前が明らかになり、祐一は大囃輝という存在に今まで以上の注目を寄せた。が、佐祐理は事も無げに軽く言ってのける。

「秤一氏の息子さんですね、名前だけは佐祐理の父より伺っていました」

「ちょ――どうして僕の名前を? 佐祐理――倉田さんの父よりって――倉田? って、あの、僕の父や祖父と親交のある倉田氏って言えば、僕は倉田代議士のことしか知らないんですけど――」

「ええ、父ですね」

 佐祐理があっさりと認めてしまったので、今度は逆に大囃輝がひどい思案顔になってしまった。が、彼はしゃくりながらも呆然と行く末を見守るあゆにこう問い掛けた。

「月宮さん、昨日紹介したいと話してくれた人って、この人のこと?」

「――うん、そうだよ」

 あゆの肯定に、大囃輝はこの人が――と呟き、何時の間にか自分のことが話題に出ていることを不思議がっている佐祐理に視線を向けた。

「僕――父に時々、言われました。大きくなったら、倉田さんのお嬢さんみたいに頭の良い人間になれば良いなって。月宮さんも言っていました――貴女は、迷惑をかけまいと口を噤んでいた月宮さんの嘘を簡単に見破って、励ましてあげたとても優しい人だって。まるで、僕の理想の――名探偵みたいな――」

 名探偵――その言葉が、輝の口から出てきたことは祐一を一時でも凍り付かせた。その役割を、佐祐理に与えることはできれば避けたいと思っているからだ。舞も同じことを考えているのか、視線が魔物を追う時に比べたら穏やかではあるが、それでも鋭い目つきに変わっていた。当の倉田佐祐理自身だけが、一瞬驚きの表情を見せたものの、他人から見れば全くの謙遜としか聞こえない言葉を紡いだ。

「あははーっ、そのように誉めて頂くのはとても嬉しいのですが、佐祐理は頭の少し悪い普通の女の子ですし、優しくなどもないです。ましてや、名探偵だなんて――佐祐理は、人の心を見据えられる程強くもないし、度胸もないんですよ」

 佐祐理が少し照れたように、しかし毅然と言ってのけたので、輝は明らかにしゅんと沈み込んでしまう。そうですか――と力なく呟き、誰に聞かせているか分からないような細い呟き声を漏らした。

「僕――こういう時に言うのは不謹慎かもしれないけど、ミステリィを結構読むんです。特に、その中に出てくる名探偵が――謎を颯爽と解き明かし、去っていくようなキャラクタが好きなんです。そして――実際に不可思議な事件が起きたら、それを解き明かしてやると心の中で思ってました。僕には、それができるとも――。

でも、いざ自分の近いところで起こってしまったら――何もできないんです。叔父を、僕の好きな羊山叔父さんが死んだ――殺されたんですよ! なのに、一般人は謎に立ち入ることもできない。全部、警察、警察――僕の立場が依るところなんてどこにもないんです。それに――叔父の死体を見て、恐くて堪りませんでした。あんな――ことを平気でできる人間と、とても対等には渡り合えないって、思ったんです――」

輝は、全身を震わせもつれる舌で――しかし、夢中で思いを口にした。名探偵になんて、そう簡単にはなれないということを。それは、負の強烈な精神を帯びた人間との対決であり、恐怖が伴う。死体を見、検分し、皆の言い分を聞き、些細な情報をも探り、そして冷徹に論理を組み立てなければならない。事件を裁くことのプロである警察なら兎も角、素人から彼らを凌ぐような論理を持った人間はそう、存在しない。

しかし、祐一は同時に知っている。祐一のごく身近に、その論理を持つものがいることを。警察にも信を置かれ、事件に自在に介入できる人物の存在を。しかし、祐一が口を出すことは憚られた。以前から思うように、彼女――倉田佐祐理が積極的にその意思を介するべきだと考えない限り、祐一は口を噤むつもりだった。

佐祐理は、祐一の気遣いとは裏腹に悔しがる少年に話し掛けた。

「あの、輝さん――」

「あ、その――僕の方が年下なんですから、そんな丁寧に呼ばれると――」

妙なところで拘るなと思ったが、佐祐理はそれを相手が打ち解けてくれた合図と取ったらしく、ぽんと両の手を叩く。

「だったら、輝ちゃんと呼ぶのはどうでしょうか――でも、少し語呂が悪いですね。では、てっちゃんと呼ぶのは――」

「駄目えっ、それだけは駄目っ!」

余程、嫌な思い出があるのか輝は慌てて佐祐理の言葉を押し留めた。

「そんな風に呼ぶのはうちの祖父だけで充分です。というかようやく、祖父も思い出したくらいにしかそう呼ばなくなって来たのに――」

輝は心底、嫌がっている。佐祐理は残念そうな顔をしながら彼の抗議を認め、唯一の妥協案を指し示した。

「では最初の通り、輝さんにします。嫌かもしれませんが、これも佐祐理の性格だと思って我慢して下さいね。たまには、年上の女性にさん付けで呼ばれるのも良いと思いますし」

それでも、輝はかなり嫌そうな顔だったのだが、仕方ないと諦めたようだった。と、妙に他愛のないやり取りが続き、彼の顔からは張り付いていた厳しさが取り除かれていた。佐祐理が狙ってやったのか、祐一には分からないのだが、部屋の空気を和ませ緊張が上手く解きほぐされている。

佐祐理は、それを良しと思ったのかまるで世間話でもするような口調で尋ねた。

「輝さん、人間というのは基本的に恐いものです。佐祐理も、祐一や舞に会うまではそういう人間しか基本的には存在しないと信じていたくらいですから。特に人を殺めるような強い情念は危険ですし、佐祐理もできれば立ち会いたくはありません。

ただ、佐祐理にも気にかかることはあります。そして、もしその考えが誤りでないとするならば――」

そこまで佐祐理が言いかけた時だった。あゆの部屋の外から何やら、諍いの声が聞こえてきた。

「あの声は――コックの大笛さんと乙男叔父さんだ。何があったんだろう」

 祐一の知らない固有名詞が二つ、ポンと飛び出す。しかし、それが言い争いをしているものの名前であることは分かった。佐祐理が何か言いかけたのを気に留めたようでもあったが、輝は素早くあゆの部屋を飛び出し様子を伺いに行った。祐一たちも、それが何であるか気になったがあゆを一人にするのが憚られて思わず目配せをする。

 あゆは未だに横隔膜を震わせ、声を出すのも億劫そうだったが、ただ事ではないと思ったのだろう。

「ボクは大丈夫、だから――行こう」

 そう言って皆を促した。となると、祐一や舞、佐祐理の反応は早い。先程、飛び出していった輝の後を追い、廊下に出る。すると、争いの元凶はすぐに見つかった。体格の良い三十代らしき男性と、それより少し老けた赤ら顔の男性が玄関先のロビィ付近で言い合っている。もっとも、それは赤ら顔の男性が一方的にという風だった。

赤ら顔の男に輝は、乙男叔父さん、こんな時に止めてよと必死で止めにかかっている。祐一はそこから、反対側の男性がコックの大笛という男だと判断した。赤ら顔の大囃乙男は、細いが酔っ払い特有の膂力で輝を強く振り払った。

「邪魔するんじゃねえよ、餓鬼が」

大囃輝は地面に叩きつけられ、苦しそうに肺を抑えて咳き込んだ。ただ、柔らかい白くて厚手の絨毯であったためか、外傷はなさそうだった。

乙男はそう口汚く罵ると一転、ぞっとするような媚を込めて大笛に言い寄った。

「だからさ、ワイン倉庫から一本で良いから酒を分けて欲しいだけなんだよ。羊山の奴が死んじまって悲しくって堪らないんだ。素面じゃ――とても耐えられねえ。なっ――親父の奴もワインが一本無くなったくらいで文句は言わないさ。だから、なっ」

祐一は、本音と建前を剥き出しにした乙男に激しい嫌悪感を抱いた。まだ一度も話をしたことのない祐一だが、こいつとは一生仲良くなれないと思った。舞は侮蔑の眼差しで乙男を眺めていたし、誰に対しても笑顔を絶やさない佐祐理でさえも苦い顔をしている。

あゆは倒れている輝に近づき、心配そうな表情を浮かべている。

「大丈夫? 怪我はない?」

その言葉に、輝は弱々しく肯いてみせた。が、そんなやり取りも乙男には何の感傷も抱かせないようだった。大笛和瀬は、そんな乙男に毅然と言い放つ。

「駄目です。頼まれても、貴方だけにはワインを飲ませるなと平秀氏より厳しい達しが出てるし――子供をあのようにあしらって省みもしない人間に飲み食いさせるものなんて一切ありません」

その言葉に、乙男の顔色がまるで酷く酔ったかのような赤色に変わる。祐一は使用人ながらも筋を通す態度に胸のすく思いを抱いたが、乙男にとっては逆鱗に触れるだけのものだったらしい。

「何だと貴様、使用人の分際で――」

しかし、自らを最低へと貶める言葉が握りこぶしと共に吐き出される前に――。

「やめんか、この、馬鹿者があっ!」

と、祐一すらも射竦む怒声が館の玄関ロビィ全体に響き渡った。こんな激しい怒り声を祐一が聞いたのは、庭先に生えた柿の木の実をこっそり取ろうとして、ばれた時の近所の怒り狂う老人の声を聞いて以来だった。普段は飄々としている舞でさえも、まるで剣の師匠に叱られたかのように背筋をしゃんと伸ばしている。

祐一は声の主を、横目でそっと盗み見た。一見すると線の細い、しかも杖で足腰を支えるような弱々しい老人に見えるが、体つきは意外としっかりしている。そして何よりも、顔全体に浮かび上がる激怒の色が凄まじかった。

「こんな時に、実の弟の死をだしにして酒の無心か――恥を知れ、恥をっ! 良いか、和瀬さん、幾ら乞われてもこいつには酒を渡さないように。良子さん――」

老人は、隣に佇む初老の女性――良子さんと老人が呼んだ人物に向かい、手厳しい口調できっぱりと述べた。

「貴女も鍵を持っているのだから、決してこいつの戯言を間に受けては駄目だ――分かったな?」

「――畏まりました、平秀様」

良子と呼ばれた女性は、怒れる老人を平秀様と呼び、深く頭を下げる。輝の叔父であるということは乙男なる人物も大囃家の人間なのだろうが、彼女の優先度は些かの揺るぎもなかった。祐一は、目の前の老人がこの屋敷の主人である大囃平秀と知り、その迫力に再び驚かされる思いだった。

屋敷の空気をあっという間に制されて、面白くないのが大囃乙男だった。彼は自業自得とはいえ、自分を省みない使用人たち、そして屋敷の主人に無差別な憤りを向けた。

「何だ、畜生――皆、俺のことを見下げ果てた目で見やがって。どいつもこいつも気に食わねえんだよ」

乙男の感情は、酷くエスカレートしており――騒ぎを聞きつけて警官たちがやって来ているとも知らず、声高々に言い放った。

「お前らなんか、皆、死ね――死んじまえっ!」

そして階段を駆け上がり、二階へと消えていったのである。

19 あの中の一人が(1999/08/14 09:45 Thu.)

「何が、あったんですか? 物騒な声が聞こえてきましたが」

世田谷刑事は、飄々とした口調とは裏腹に厳しい表情でロビィにいる者に向けて声を発する。死ねという声が聞こえてきたので、当然とは当然なのだが。それにしても、場を弁えない軽率な人間だと、祐一は改めて逃げるようにして二階に消えた乙男を心の中で罵った。人が死んだ、しかも殺されているのだからもう少し言葉の選び方があっても良いものだが、大囃乙男にそんな分別はないようだった。

祐一は、怒りを通り越して呆れてさえいた。あれではまるで、子供だ。そして、彼を子供に持つ大囃家の当主が、柔和な笑みをもって厳しい顔の警察官と対峙した。祐一はまた、その変化に驚いたが、それくらいのことができないのでは当代の一等地にこんな屋敷を築くことは決してできないのかもしれない、とも思う。鈍感な祐一ですら、非常時の剛柔入り混じった対応には長い間、大勢の者を束ねてきた人間の苛烈さを垣間見ることができた。

そして、どうにか混乱の矛先を静めようと如才なく動き回った大囃平秀の、両の瞳が祐一の全身を捉える。

「いや、別に大したことではありません。息子の奴、大事な弟を殺されたせいか酷く気が立っているようだ――まあ、流石に不謹慎な言葉を口にしましたから、少し叱ってやった次第というわけです。ところで、彼らは何者なのですか?」

大囃平秀はどうやら、厳重な警備の筈の屋敷内に溶け込んでいる祐一や舞、佐祐理を咎めるつもりのようだった。祐一はぐっと身構え、心なし舞や佐祐理の半歩前に立った。

「見た所、警察官でもない――ごく普通の、一般人のようだ。私たちには一切の自由行動を封じたのに、警察がこうも怠慢では私も困る。唯でさえ、貴方たちは三年前――屋敷に侵入して、愛玩していた壷を叩き割った犯人をみすみす取り逃がしている。これでは、信用しろというのも、些か無理がある」

祐一たちをだしにして、平秀は見事に警官を皮肉ってみせた。三年前の事件で、筋金入りの警察嫌いになっているようだと――祐一は毒にまみれた言葉の中で嫌というほど感じ取っていた。しかし、平秀は自分たちのことを有本裕美か早乙女良子の報告により既に知っている筈だと祐一は訝しんだ。訝しんでみて、自分たちが体の良い避雷針代わりにされていることに、ようやく気付いた。

その言い草に、あゆは慌てて弁解をしようとしたが、それよりも佐祐理が優雅な仕草で平秀の前に一歩、踏み出すのが早かった。真正面に向き合い、佐祐理は会釈をしてみせた。明らかに、彼女は平秀と即興で演技をあわせていた。

「お久しぶりです、大囃のおじさま――佐祐理です」

佐祐理は、旧くからの知人に出会った時の態度としては正に理想的な、笑顔と礼だった。陰気な観念がこもっていたせいかもしれないが、佐祐理の控え目な優雅さには皆が一瞬、目を奪われたほどだった。勿論、祐一も例外ではない。唯一の例外といえば舞で、彼女は佐祐理の振る舞いを当然のものとして見ていた。

佐祐理の行動は平秀の記憶を盛んに喚起したようで、先程の刺々しい言葉と態度から一変し、ゆるりと目を細めた。

「佐祐理――おお、倉田代議士の娘御さんか。いやはや、もう――八年か九年ぶりになるのだな、しかもますます綺麗になって。倉田氏もさぞかし、方々に自慢しておられるだろう。私は最近、足をやられてなあ――杖無しではロクに歩けもせん。通風もそうだが、やはり糖尿病を患ったのがまずかったらしい。しかし――何故、倉田氏の娘さんがこの屋敷に? 今はとてもではないが、客を招くようなことはできないのはご存知の筈だが――」

「はい、実は――」

佐祐理はいつものように、両手を可愛らしく合わせてみせ、屋敷の主人に――そして、事情を知らない他の者たちに淀みなく佐祐理たちの立場を説明していった。知り合いの伝から、月宮あゆと知り合い仲の良い友人になったこと。死体に怯えたあゆが、いの一番に自分たちを頼って電話をかけて来たこと、警察を必死に説得して屋敷に入ることができたということ。もっとも、祐一たちは警察を説得するのにいかような説得をする必要もなかったのだから、最後は嘘なのだが説明を簡素にするための方便を佐祐理は敢えて使った。

この辺りの機転が、純粋そうに見えてその実、舞とは全く違う。佐祐理も嘘は大嫌いだが、覚悟した時にはできる限りの権謀術数を振りかざして相手を巧みに煙と撒く策士めいた部分もある。あまりに悪意なく話すものだから、事情を知る世田谷刑事などは、ただ呆気に取られていた。

「成程、あゆちゃんの友達――その中に倉田氏の娘さんがいるとはいやはや、妙な縁もあったものだ。だが、ともあれすぐにも駆けつけて頂き、力になって貰ったことには感謝する。情けない話だが、私にはそれができなかったのだから」

大囃平秀は、佐祐理にも負けない丁重で心のこもった返答をする。これには元来、謙遜屋の佐祐理が慌ててしまった。それでも、いつもなら取り乱したりはしないのだが、久方ぶりに面を合わせた父の知人との再会ということも、そして恐らくは屋敷で起こった事件のために心を惑わせてもいたのだろう。

数歩駆け寄った佐祐理の足が、平秀の杖を不意に前へと蹴り飛ばしてしまった。平秀は杖を手離し、派手に尻餅をついた。

「大丈夫ですか、平秀様」

佐祐理が駆け寄るより早く、平秀の斜め後ろで控えていた早乙女良子が素早く彼を助け起こした。良子の目は、佐祐理が予想しない程の厳しさをもって強く注がれている。思わず、佐祐理は深々と頭を下げた。

「す、すいませんっ。佐祐理がどじなせいで、大変なことに――」

「いやいや、構わん。不慮の事故だということは私が一番良く知っている。気に病むことはない――特に怪我してもないしな」

平秀は佐祐理を安心させるようにわざとらしくからからと笑ってみせた。祐一はあの剣幕を見せられたからどうなることかと一瞬ヒヤリとした。

このような一連のどたばたで、ロビィが事の外、騒がしくなったのかもしれない。二階の方からまた、祐一の知らない顔の人物が二人降りてきた。一人は男性で一人は女性、その距離感や親しさの度合いから祐一は、二人の間柄を恐らくは夫婦と想像した。

「おや、皆そんなところに集まって――何をしているんですか?」

男性の方が、やや興味深げに階下へと視線を注ぐ。その目は、僅かに腫れぼったく膨らんでいる。どうやら、かなり泣いたようだったが――今はそれを隠して笑みを浮かべていた。その姿から見て、祐一にもその男性が自制心の強い人物だということが分かる。隣の女性もその隣で泣いたのだろうか――微かに涙の筋が残っていた。

佐祐理は彼らのことも知っているらしく、足早に階段まで近づくと平秀の時と同じように頭を下げる。

「秤一おじさま、それに喜子おばさまも――お久しぶりです」

彼らは、特に秤一と呼ばれた男性は余程、佐祐理を印象に留めていたらしく、痛ましい顔に僅かながら笑みを浮かべた。

「おお、佐祐理ちゃんか――まあ、大きくなったなあ。でも、どうして佐祐理ちゃんがここに? それに見慣れない人もいるようだし」

「秤一、そのことだったら心配はない。彼女たちは――」

知り合いとはいえ、唐突なる部外者の存在には流石に秤一も眉を潜める。そんな彼を宥めようと、父親が素早く口を開いた。祐一たちの立場を説明すると、秤一はほっと溜息を吐いた。そして、彼は乙男と違って弟の死を痛んでいたようなのに、祐一や舞、佐祐理の心遣いに強い感謝の意を寄せたい様子だった。

「成程、そんな事情があったんですか――。だとしたら、少なくとも私は貴方たちを歓迎しますよ。昨日、会ったばかりとはいえ私の姪御に当たる方の友人方でしたら――そして、その一人が佐祐理ちゃんと言うのならば尚更のことだ」

「それは――ありがとうございます」

思いのほか暖かい言葉に、佐祐理はあくまで丁寧な物腰を崩さない。祐一と舞といえば、佐祐理が場の主導を珍しく握っていたことで、黙って俯いている感じだった。それに、作りから内装から豪華な屋敷の雰囲気に自然と消沈していたのかもしれない。二人とも、かなり唯我独尊的な性格だが、やはり平均的な庶民だった。

出る幕のない祐一は、仕方なく屋敷の人たちを見回した。屋敷の主人である大囃平秀、その長男で大囃秤一、そしてその妻である大囃喜子。秤一と喜子の一人息子である大囃輝――そしてこの場にはいないが次男の大囃乙男。もし、世田谷刑事から事前に聞かされていた大囃家の構成に誤りがなければ、殺害された三男の大囃羊山を除いた大囃家の人間と、祐一は顔を合わせたことになる。

後は、この屋敷の従者らしき人物を三人見かけた。その中の二人は、ここにいる。中年の男性の方が和瀬さんと呼ばれており、初老の女性は良子さんと呼ばれていた。それから、祐一が到着するまであゆに付き添っていた若い女性の存在もある。有本裕美と名乗っていた女性のことを思い出すと共に、祐一ははてと首を傾げる。確か、彼女は主人である大囃平秀の元へ向かうと話していたが、姿が見えない。

 だが、祐一の考えは全くの杞憂だった。警察が仮本部としている食堂の方から、少し気疲れしたような顔をして出てきた。その張本人、有本裕美は皆が玄関ロビィに集まっているのを見て、はてと首を傾げる。

「あれ――皆、こんな所に集まって、何かあったんですか?」

 殺人事件が敷地内であったばかりのせいか、彼女の顔は心なしか不安げに見える。その隣には結井と呼ばれていた巡査部長の姿があり、予期せぬほど大人数の集いとなった玄関ロビィを油断なさげな目で見つめていた世田谷刑事にそっと耳打ちした。それを利いた途端、世田谷刑事の、屋敷の住人を見る目がぐっと険しくなったような気がした。だが、祐一にそんな表情を覗かせたのも一瞬で、彼はよくドラマでみるとは正反対な、社交的な態度と言葉を皆に向けた。

「それでは、私たちはこれで失礼を――まだ仕事が沢山残っていますので」

 沢山という部分を、刑事は少しだけ強調してみせた。

「あと――一応、屋敷の外周には警官を張り付かせてますが、また殺人者が近辺に現れるか分かりません。極力、屋敷の外には出歩かないよう――もし外出する時にはなるべく近くの警官に許可を求めるように。それと、言われなくても分かっているでしょうが、戸締りにはくれぐれも用心して下さい」

 かなり、念を入れた注意に訝しい顔をするものも何人かいた。祐一は、その理由を屋敷の人間よりは深く知らされている祐一は、刑事がそこまで神経質になる理由を直感的に理解できた。

 足早に背を向けて立ち去ろうとする刑事たちに、恐縮そうな声をかけたのは佐祐理だった。

「あの――少しお話があるのですが宜しいでしょうか?」

 彼女の言葉は、刑事たち――特に、世田谷刑事の足を即座に止めた。恐らくは、事件に関わりあいを持って貰えることを切望しているのだろう。刑事にしては少し情けない態度だが、祐一たちには有り難い御仁でもあった。

「そう、だな――私も貴方たちに対して少し話しておきたいことがある。君たちも付いてきて貰おうか」

 しかし、そんな内心の心積もりは隠して、それがあくまでも厄介な業務であるような顔をしていた。祐一は別に、彼の思いをしっているから問題ないのだが、今度はあゆが心配になってしまったようだ。佐祐理の顔を辛そうな表情で見つめる。

「佐祐理さんたちは――悪くないんだよ。ボクが我侭を言ったから――」

 あゆは、無理をいってここまで来て貰ったせいで祐一、佐祐理、舞の三人に迷惑をかけたと思い込んでいるようだった。佐祐理は一瞬、目をパチクリとさせたが、やがてその意図に気付いたのだろう。まるで妹を宥める姉のように、言葉を送る。

「それは違いますよ。ここに入ってきたことは、ちゃんと許可を貰っています。ただ、少し誓約して欲しいことがあるので、それを確認するだけなんです。別に、ドラマのようにこってり絞られたりするころはありませんから。あゆさんは、自分の部屋でまっていて下さい。用事が済んだら、すぐに駆けつけます」

 そこまで理路整然に、しかも優しげな声で説得されると、あゆのように基本的には気の良い少女は肯くしかなかった。勿論、佐祐理はあゆのことを心配させまいと嘘を吐いている。こってり絞られることはないにしても、まさか殺人事件の解決について話し合うとは、祐一だって言える筈がない。

「では、皆様方も失礼致します」

 佐祐理は、最後まで丁寧に頭を下げる。祐一も、大囃家の人間やその従者、更にはあゆの視線を一身に受けながらも、内心上は平静を装ってその場を去る。舞だけは、最初から最後まで超然としていた。

「――それでは、失礼する」

 と、まるで武士のような言葉づかいだった。

 食堂は、警官の姿もあって妙に無骨な感じがした。高級そうなテーブルに、シャンデリア風の照明、薔薇の刺繍があしらわれたカーテンも、今の殺伐した雰囲気にあっては何の効果も及ぼさなかった。祐一たちは、忙しなく動き回る警官の合間を縫って、各々が席に着く。

「――セキュリティと監視カメラについての報告が届いたんですね?」

 開口一番、佐祐理が厳しい声で刑事たちを詰問する。普通なら、刑事が一般人を詰問するのが正しいスタイルなのだろうが、この場所においてそんな常識は通用しない。

「成程、あそこまで露骨に言えば君には分かるか――ああ、結果が出たよ。しかも、恐ろしく芳しくない結果だ。監視カメラも、セキュリティの報告にも何ら異常はない。真夜中に不法侵入した人物のいる可能性は、警備会社に言わせればゼロに等しいとのことだ。監視カメラは正門で昨日の十七時三十分頃、大囃乙男の姿を映したのが最後で、後は翌朝に私たちの姿を映し出すまで何も不審な者を映してはいないそうだ。正門のセキュリティについても同様。同時刻に正規侵入者が一名――それ以降はやはり、私たちが訪れるまで正門は開錠されなかった。つまり――外部犯の可能性はない」

 そこまでまくし立ててから、世田谷刑事は嫌だ嫌だと言わんばかりに首を振った。

「となると、これからあの金持ち一族から一人一人詳しく、話を聞いて回らなければいけないって訳だ。考えただけでも気が滅入る――ああ、気が滅入る」

「――それだけじゃありません、もっと嫌な可能性があります」

 ただ、事情聴取が面倒なだけだと思っている刑事に、佐祐理は強く釘を刺した。

「良いですか。屋敷の中にいた人物の誰かが犯人なら、そもそもどうしてこんな閉鎖空間の中で事件を起こす必要があるのですか? 少なくとも、一人の人間だけを殺すのならばここまで犯人が限定される状況で犯罪を犯すでしょうか? 目撃される確率はより高くなりますし、動機や人間関係も把握され易い筈です。しかも、殺された羊山さんは屋敷を飛び出して一人で教師生活をしている独身の男性なのですから、被害者の生活範囲の近隣で殺害されたとなれば、屋敷の中にいる人間に容疑がかかる可能性はかなり低くなります。この屋敷内で人を殺すということは、それだけ危険なんです。それでも、何者かはそれを実行した――つまり、この場所、この時間であるということが、犯人が計画を実行するための必要条件だったということにならないでしょうか?」

 佐祐理はただその推測だけを、皆に淀みなく述べていく。しかし、祐一にはその意味するところが何か、分からなかった。

「佐祐理さん、それは――どういう意味なんだ?」

「つまりです――殺したい人間が一同に集まる、殺人者にとって犯人が限定されるデメリットがあるとしても、ここまで魅力的な舞台というのはないのではないでしょうか?」

 それは、非常に物騒な意見だったが、祐一にはそれを退けることはできなかった。世田谷刑事は鋭い形相で、穏やかでない発言をした佐祐理を凝視する。

「それはつまり――まだ、これからも事件が起きる可能性が高いということだな」

「はい、残念ながら。犯人が現場に小細工の後を残しているというのなら、尚更です。基本的に、そういうことをする人間は、一つだけで事件を終わりにする気はありません。もっと狡猾に、次の行動を起こしていきます。良いですか、今までに起こった事件を再吟味すると共に、今回はこれから起きるであろう事件を推測し、何としてもそれを止める必要があります。その為には犯人とその小細工の意図を掴み、張本人を抑えなければいけません。佐祐理は、絶対にそれを成さなくてはいけないのです」

 佐祐理の言葉は、テーブルを囲む皆の顔つきを強く引き締める。祐一と舞は特に、事件が続くと聞いて一人の少女のことを強く案じた。

「事情は分かった。だが、具体的にはどのようなことをすれば良い? 殺人を捜査するのは我々警察の得意分野だ。しかし、事件を未然に防ぐというのは、不本意ながら全くの不得手であることも確かだからな」

「やること自体は、至ってシンプルじゃないですか」

 と、佐祐理はまるで自慢の料理でも作るかのような口調で言った。

「要は、次の事件が起きるまでに犯罪者を捕まえれば良いのですから。迅速に、今まで起きた事件のことを調べ上げることが必要になります。但し――今回の事件のことだけではありません。今まで、この大囃家で起きた出来事を遥か昔まで遡る必要もあるでしょう。例えば――それは十三年前と七年前に起きた二つの轢き逃げ事件であり、三年前に起きた盗難事件のことでもあります。もしかしたら――これらの事件の一つ、乃至は幾つかに今回の事件のヒントや動機が隠されているかもしれません」

 佐祐理の、事件を鋭く抉るような物言いに、祐一は改めて驚いていた。彼女の仕草が、本で見る名探偵の姿に余りにもよく似ていた所為だった。しかも、佐祐理は自身ありげな口調で断言した。

「それに――佐祐理たちが不可思議な事件を解き明かすことに慣れているのも事実です。もし、然るべき情報を与えて頂けるのでしたら、この大囃家で起きた事件を必ず、解明してみせます。その為には、こちらも協力を惜しみません。宜しいでしょうか?」

 宜しいも何も、これではまるで金田一少年だ。流石に、ここまで変わってしまうと祐一は少し心配になった。元々、他人の領分に踏み込み傷つけることを嫌う彼女であったから、尚更のことだった。

 しかし、浮かれた刑事はそんなことを気にしない。

「ええ、喜んで。こちらとしては非常に頼もしい限りだ――倉田さんの言われたことについては、こちらでも大概、調査中です。結果が出次第、あなた方にもお教えしましょう。それで、倉田さん自身で調べたいことはないですか?」

「先ずは何より、事件の起きた現場を見てみたいですね。後は、密室になっていたという、羊山さんの部屋もよく調べる必要があります。死体はまだ、現場に存在するのですか?」

「もうすぐ、運び出そうというところだ。調べると言うなら、死体の搬送はもう少し待って貰うように伝えておくが」

「それもお願いします。では、早速行きましょう――この食堂からだと、羊山さんの部屋と死体発見現場はどちらが近いのですか?」

 佐祐理が尋ねると、世田谷刑事は上面図を二枚、取り出して見せた。一枚がこの屋敷の全体図で、建物や庭の位置関係がしっかりと書き込まれている。もう一枚が屋敷の部屋割りで、その使用目的などが細かく書いてあった。

「今、私たちがいる食堂が、ここ。一階西側の一番奥になる。ここからだと西側奥の階段を上り、大囃羊山の泊まっていた部屋がすぐそこだ。そして、死体発見現場がここ。食堂からだとほぼ反対側になる。東側の樹木群、ほぼ中央の位置だ」

「ほぼ、反対側ですね。取りあえず、近い方から調べてみましょう。羊山さんの部屋については、密室状態にされた理由を、考えてみる必要があると思います。では、早速行きましょうか」

 佐祐理は血気はやったかのように、一人で食堂を飛び出してしまう。祐一と舞は、佐祐理を慌てて追いかけた。程なく、二人は階段付近で佐祐理に追いついた。

「どうしたんだ、佐祐理さん。いきなり、あんな口調で――」

 余りにも様子の違う佐祐理の姿に、祐一は顔を寄せて耳打ちする。佐祐理は詰問口調の祐一に、しかし明らかに辛そうな顔をした。

「すいません。あのようなことを言い出して面食らったでしょう。でも、協力しないとなると佐祐理たちはこの屋敷から追い出されかねません。そうすれば、あゆさんの側にいることもできないんです。誰が味方で、誰が敵か分からないのなら、佐祐理たちが側についていてあげなくてはいけません」

 佐祐理の言葉に、祐一は即座に合点を得た。まだ、この屋敷で殺人の起きる可能性がある。そんな危険な場所に、あゆを一人にしておくわけにはいかないと言う訳だ。合点がいくと同時に、祐一は安堵した。佐祐理が妙な探偵趣味に目覚めたとは、あまり考えたくなかったからだ。しかし、それとは裏腹に舞は心配そうな顔で佐祐理に声をかける。

「――良いのか、佐祐理はそれで」

 舞も、佐祐理が人の心の深い部分を覗くことに部分的な拒否反応を示すことを知っている。だからこそ、余計に心配だった。

「本当は――佐祐理も、好きではありません。けど、佐祐理は本当に頭が良くないから、こんな方法しか思いつきませんでした。それに、事件はできるだけ早く解決されなければなりません。先程、祐一さんにも舞にも説明しましたが――佐祐理はもっと恐いことが起きる可能性があると考えているんです。

よく考えて下さい。この、大囃家の会合は去年も一昨年も行われました。もし屋敷の中に殺人者がいるとすれば、その時にも殺人は実行できた筈なんです。それが何故、今年になって実行されたのか――でも、今年になって屋敷に入ってきた人間の中に、標的が含まれているとしたら、納得できるものがあると思いませんか?」

 祐一は、佐祐理の寒気が走るほどの指摘に思わず顔を歪めた。彼女が、誰のことを言いたいのかは火を見るより明らかだった。

「今、佐祐理の言ったことは推測でしかありません。しかし、その可能性を除外しても大囃家の一員であるという今のあゆさんの立場は非常に微妙です。はっきり言うと、非常に危険であるとも言えます。そして、あゆさんの味方であると胸を張って言えるのは佐祐理たちしかいないんです。だからこそ――今回の事件は一刻も早く解決されないといけません。少なくとも、あゆさんを守らなければなりません」

 そして、僅かなためを置いた後、佐祐理は真剣な顔で祐一と舞に問い掛けた。

「祐一さんも、舞も――協力してくれますか?」

 そこまで言われると――祐一としては肯くほかなかった。何より、佐祐理一人に辛い役割を負わせるわけにはいかなかった。祐一は舞と共に、その意志を確認しあっている。そして、今もそれは強固に存在した。

「ああ、勿論だ。俺のことは、下僕と思ってばしばし使ってくれ」

「――及ばずながら、私も協力する。祐一のことも、ばしばし下僕として使う」

「こら、舞。どさくさに紛れて変なことを言うなっ。俺を下僕として使って良いのは、佐祐理さんだけだぞ」

「――佐祐理の下僕は私の下僕」

 こんな場所でさえ、軽い口論を始めてしまう祐一と舞。佐祐理は二人のそんな明るさと、そして優しさを心底有り難いと思った。

「こら、なにそこでじゃれあってる。早く現場に向かうぞ」

 世田谷刑事からの叱責が飛び、三人は同じタイミングで頭を下げる。しかし、下げた頭で三人をお互いを見合い――意志を合わせるかのように肯いてみせた。


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