10 第二の殺人事件


21 意味の定義必要性(1999/08/14 10:15 Sat.)

階段を上って最初の部屋が、大囃羊山の部屋だった。調査は大体が終わったのか慌しい様子はない。それでも事件の痕跡を残す場所とあってか、入口には厳しい目をした見張りの警官がいた。彼は世田谷刑事に深く頭を下げ、次には祐一たちに不審そうな視線を送る。既に何かの通達が出ているのだろう――改めて事情を問い質すようなことはなかった。

「で、大囃羊山氏の部屋が密室だと言いましたが、何か痕跡はあったんですか?」

 佐祐理は本気で名探偵をする気らしく、質問にも堂がいっている。

「ああ、実はどうやってそれを成したかは既に判明している」

え、と祐一が言う前に、佐祐理がドアの下に屈み込んで思いのほか破損したドアの破片と枠の部分を観察していた。佐祐理は断りを入れてからそれを指で摘み、手触りを確かめている。

「普通、ドアを突き破った場合、破損が激しい部分はドアと他部分の接合部、特に錠周りと蝶番の周りに集中するんですよ」

佐祐理は皆、特に側に居る祐一や舞に聞かせるように講釈を始める。

「それが、ドアの下部と桟にも破損が集中しています。ということは、考えられることは一つしかありません。ドアと他部分を接合していた箇所が錠や蝶番以外にも存在するということです。恐らく、詰め物か接着剤、セメントやパテの類でドアを固着していたんですよ。この場合、速乾性のパテかセメントの類が使われたようですね。この屋敷の敷地内には大きな花壇がありますから、補修のために速乾性のものなども常備されているのではありませんか?」

「あ、ああ――そうだ」

一目しただけでドアの状況から不自然を見抜き、しかも推測を重ねて逆に警察側に質問を飛ばす。余程の頭の回転がなければそんな真似はできない。世田谷はその機転についていけず、間抜けな声を漏らした。と同時に、近くにいた警官の佐祐理を見る目がぐっと変わる。恐らく、役立つ事件捜査者とでも聞かされていたが、今まで全く信じていなかったのだろう。それが、佐祐理の行動と知性の素早さに、それをかなり上方修正したに違いなかった。

「四半日もあれば取り合えず乾燥し、幾らかの強度が得られる代物らしい。もっとも、建築用などの強度が必要な施工物には決して用いられず、応急処置や補修用に専ら使われるものだと――説明書きにあった。ただ、このドアを破った段階で既にほぼ固まっていたらしいから、この作業が行われたのは少なくとも今日の午前二時くらいまでの間ということになる。まあ、決して余裕がない作業だというわけではない。問題は誰が、何のためにこんなことをしたかということだ」

「そうですね――」佐祐理も考え込む仕草をする。どうやら、その理由までは分からないようだった。それに、まだ部屋の中を見ている訳ではない。

「先に、中を見せて貰えませんか」

佐祐理も同じ事を考えていたようで、先ずは羊山の部屋の中を見ることにする。

大囃羊山の宿泊していた部屋は、あゆの居る部屋に比べると少し狭い。しかし、それでも十二畳ほどの広さがあった。絵や花瓶の類は存在しないが、大型のワイドテレビやクロゼット、豪奢なベッドにランプスタンドなど、どれも高価そうな備品が揃っている。祐一たちの住むマンションのユニットバスとは、規模もゆとりも比べ物にならないほどの洗面施設も完備されている。

ただ、クロゼットは中途半端に開け放しにされていたし、ベッドのシーツもひどく乱れている。余程乱雑に探したのだろうか、荷物は派手に投げ散らかされていたし、ランプスタンドはひっくり返されていた。祐一にはそれが、明らかに何かを探したかの如く見える。

そして、投げ散らかされた荷物の隙間から、白の絨毯とコントラストを成すどす黒い染みが見えた。絨毯を刃物で切りつけられたような跡も見える。それはまごうことなき惨劇の証の一つだった。しかし、争われ荒らされた形跡があるにも関わらず、被害者本人はこの部屋にいない。ここから全く反対側の、しかも屋敷の外で胸を刺し貫かれ、地面に縫われるような無残な姿で発見された。祐一も、そして他の誰もがそれを知っているからこそ、この場の惨劇の証が奇妙に見える。

「これは――酷いですね。明らかに誰かが部屋を漁った痕跡があります――しかも、とびきりの素人の手口です。賢い窃盗者ほど盗まれた痕跡は残さないと、前にお父様が話してくれたことがありますから。それにしても――どうしてこんなことをする必要があったんでしょうね?」

「それが分からないから、警察も首を傾げているという状況でね。勿論、可能性としては被害者が犯人にとって都合の悪いものを所持していたからというのが一般的な考えだが、今回の手口の妙にちぐはぐした犯行現場を見ると、どうも賛同しかねるところがある、というのが私の意見だ。倉田さんには、何かこの状況を説明できる良い考えというものがありますか?」

「――今はまだ、分かりません」

佐祐理はきっぱりと言い放ち、そして但し――と言い添えた。

「理由は分からなくても、起きた現象をまとめることは可能な筈です。今回の事件は、犯行を行った側に奇妙な倒錯の加減をしのばせる部分が多いと思っています。一気に全てのことを考えようとすると、とんでもない袋小路にはまる可能性があります。幸い、可能性は少ないのですから、一つ一つ考えていきましょう。先ず、この部屋に関する状況について吟味してみますが宜しいですか?」

刑事は「あ、ああ――』と圧倒されながら、肯くだけだった。やはりと言うべきか、どのような状況であろうとも、怜悧な頭脳を持った人間には圧倒されざるを得ないのが人間というものだ。ましてや、佐祐理は本気で名探偵を演じている。きっと、余程の小説上の名探偵ですら、彼女には叶わないのではと、祐一は強く思う。

佐祐理は極めて丁寧に全員を見渡すと、更なる推察へと言葉を移す。

「先ず、如何して犯人は部屋を密室状態にしたのか? という問題があります。更には、どうしてすぐにばれてしまうような密室作成手段を用いたのか? ということです。これについて、実は佐祐理たちが類似した状況に出くわしたことがあります。手法は楽に曝け出され、しかしその理由が分からないという場合です。この場合、犯人には必ず何かの――密室によって直接的に生まれる利点以外の、何か別の目的があるのです。これは、実はとても厄介な事象と言えます。その理由について、容易に考えつくものに飛びつくことは、罠に陥ることを表すからに他なりません」

スキーロッジの事件の時、表面に見える事象だけを判断材料として安易に使ったため、決定的な袋小路に陥りそうになったことは祐一もよく覚えている。それだけに、佐祐理の言葉は――表面の事象を鋭く貫き真実を探り当てた事実によって――強い重みを備えていた。

「そして、もう一つの問題は、何故ここに屍体がないのかということです。もし、仮に犯行現場がここならば、犯人は何故、遠距離という不都合をおして、屍体をわざわざ羊山さんの部屋から反対側、しかも屋敷の外にまで運ばなければならなかったのでしょうか? 逆に、犯行がここで行われなかったのならば、何故ここで犯行が起きたように偽装しなければならなかったのでしょうか? 或いは、そのどちらもがフェイクだという可能性も考えられないわけではありません。死亡地点が何れかについては、警察の方がもう少し詳しく調べることで分かると思います」

そこまで話し、佐祐理はようやく一息ついた。流石にこの長口上は疲れたのか、はたまた他人の前で過剰に知恵をひけらかすのが苦手なのか――恐らくは両者だろう。佐祐理は祐一と舞に、こんなもので良いでしょうかと問うかの如く視線を送ったが、文句などつけようがなく、二人して黙って首を縦に振るのが精一杯だった。

「特に拝見したところ、ここにはもう見るべきものはないようです。次は――屍体発見現場を、見に行きましょう」

屍体発見現場――その言葉に、祐一は顔をしかめる。以前、スキーロッジの殺人で嫌というほど見てしまったそれ。できれば、二度と見たくないと願っていたが、事件の捜査を行う以上は絶対に見ておく必要があった。それに、純粋な能力や力で言えば数段優っているとはいえ、人間の変質に極めて敏感な女性二人を置いて、一人で暖かい場所にのうのうと収まっているわけにはいかない。

祐一は丹田に力を込め、そして殺人という現象の最も本質に近い場所へと赴く決意を改めて固める。固めつつも、内心、肩が震えてしょうがない。前を歩く佐祐理は、先程にもまして毅然とした態度で廊下を歩いている。横を歩く舞の顔にも、動揺の色は見えない。自分だけが、しかも男だというのに恐れおののき、打ち震えている。自分が情けなかった。

二階の西端から中央に向かって廊下を歩き、中央の階段から一旦一階に下りる。と、その途中で祐一はふと一枚の絵に目を止めた。百号はする巨大なカンバスの中心には、清冽としかし冷たく下界を見下ろす天使の姿が見える。そして、四つの情景に分割され、しかし連綿と続く地獄絵。

地上に打ち付けられ縛されたおぞましい姿の天使。
赤っぽい紫の水に塗れ苦悶の表情を浮かべる天使。
上空より遥かに低い空で七色の玉に打ち滅ぼされる天使。
紅蓮に焼かれ、滅び朽ち落ちる天使。

天使の、死の、オンパレードだった。祐一がその絵を見ることができたのは、階段を通り過ぎるまでの数瞬に過ぎなかったが、これから合間見える死に追い重ねるようにしてそれは祐一の網膜に刻み込まれる。祐一の素人目にも、あれが禍々しさの極致であることだけは理解できた。

霊感など殆どないと自覚しているのに、祐一は何故かあの絵に妙な悪寒を感じる。

しかし、明らかに祐一より霊感の高そうな舞が平然と通り過ぎていたから、その考えを捨て、祐一も後を追う。絵に気を取られ、何時の間にか最後列から離れていた。

一階の東側廊下を通り抜け、そのまま勝手口を抜ける。煉瓦敷きの道を歩き、いよいよだ――と身構えた祐一を待ち受けていたのは、五人の警官とそれに倍する鑑識官の姿だった。その周りを囲むようにして存在する、白い搬送用の布が被せられた膨らみのある物体に、祐一は目を引き付けられる。あの中に屍体が――と思うだけで緊張する。

世田谷刑事が、周りにいる警官や鑑識官に祐一たちを紹介する。やはりというか胡散臭い視線を向けるのが大半だったが、中には佐祐理に熱い視線を向けるものもいた。

それが逆に不気味で首を傾げていると、刑事が祐一にそっと耳打ちした。

「ああ、彼らは例の警察署での大立ち回りを見てから、密かに倉田さんのファンなんだよ。彼らはきっと、あの時の美少女名探偵がまた事件を解決しにやって来たと思っているんだろう」

警察内部にも色々なタイプがいるということは、祐一にもよく分かった。しかし、今はそんなことに思いを巡らせている場合ではない。何しろ、眼前には薄布一枚を隔てて屍体が厳然と存在しているのだから。

「これが、例の足跡ですね。成程、確かに見た目上は一組しか存在しませんが、明らかに複数回踏み躙られた跡があります。最初につけた足跡をなぞるように後ろ向きで歩けば簡単に残せる足跡みたいですけど、こちらも不思議ですよね。犯人は、足跡を一組しか残さないように配慮しています。しかし、調べるまでもなく、これは犯人が後ろ向きに歩いてつけたものだと分かります。何より、この意図的に残された一組の足跡にも意味が表面的には全く見出せません。これは先ほどの密室と同じです。意味がない――しかし、犯人にとっては何らかの意味があるに違いないんです」

 意味があるけど意味がない。まるで謎々みたいな佐祐理の言葉だが、それを解き明かさないことには警察にも、そして佐祐理にも探求をどう発展させて良いか判定できない。

「判断材料とするには、余りに曖昧過ぎる情報しか集まってないってことなんだよな」

 祐一が確認するように尋ねると、佐祐理も異存なしと首を縦に振った。要するに、まだ情報は念入りに集める必要があるということになる。佐祐理は目で、白い布に覆われた大囃羊山の屍体を指差す。やはりしょうがないということか――祐一は特大の溜息を吐いた。

「じゃあ、次は屍体との対面か。屍体は先程も言ったとおり、現場からは動かされていない。ただ、胸に刺さった剣は抜いてあるから、もうここには無いが――」

「――剣、それは、どんな剣だった?」

 と、今まで完全に無口だった舞が突然に口を開く。以前、魔物退治との兼ね合いか妙に妖怪変化の類に詳しかったという意外な特技を披露した舞だったので、祐一はもしかしたら刀剣類にも詳しいのかなと、僅かな期待を寄せる。

「ああ、それについての出元は調査中――形式的には安っぽい日本刀の部類に入る。ただ、ひどく研ぎ澄まされ手入れもされていた。この点から鑑みるに、犯人はかなり用意周到的な部分があるのかもしれない。ボウガンも同様。そんなものは神明に誓ってうちにはないと、年寄りの方の家政婦が息巻いて話してた。こんなものは嘘を吐いてもすぐばれるから、恐らくは本当なんだろう」

「となると、犯人はどうやって凶器を調達したのかと――でも、今の時代なら両方とも簡単に手に入りそうな代物ですよね。信頼できる仲介人を一段かませるだけで、消息は簡単に抹消できると思いますよ」

佐祐理は皆にさらりと怖いことを聞かせてみせたが、世田谷刑事は否定しない。

「確かに、犯人がある程度の資金力を持っているなら、それも可能かもしれないが――そんなの捜査の可能性には入れたくない。第一、面倒臭い」

これもまた、警官にはあるまじき発言のように、祐一には思えた。しかし、刀なんて簡単に個人で入手できるのだろうか? 祐一は少し考えてみる。

愚問だった。

刃を落としていたとはいえ、二太刀も所持していた張本人が祐一の目の前にいる。ただ念の為、祐一は舞にこっそりと聞いてみた。

「なあ舞、その――刀剣の類というのは簡単に手に入るのか?」

「――手に入る。一般人の刀剣所持自体に免許はいらない。必要なのは刀剣が、指定された刀匠によって打たれたかということだけ。私は未成年だから一応、親元の身分証明書の提示を求められたが――手に入れた」

一瞬、舞の話に間ができたことを祐一は見逃さなかった。舞は恐らく、勝手に住民票を持ち出したのだろう。市役所の審査はとても甘く、他人でも住民票を取得することは可能だと祐一も知識として及んだことがある。他にも色々とイリーガルなことをしていたかもしれないが、祐一に追求する気はなかった。もう、済んだことだ。

ボウガンについては、ことはもっと簡単だ。何しろ所持許可は要らないし、非製造者の許可もいらない。それは、スポーツ用として簡単に手に入る事実からも推察できる。

つまりは佐祐理の言うとおり、多少の機知と窓口があれば誰にでも入手可能ということだ。祐一はそう結論付けた。しかし、それは容疑者を絞り込む材料になる可能性が低いということに他ならない。堂々巡りだ。

かなり遠回りしたが、結局は屍体を一度見るしかなさそうだった。

「色々と脱線したが――とうとうご対面になる。覚悟は良いかな?」

そのことを察したのか、声をかける。今度は誰も静止するものはいなかった。意志を確かめた刑事は、まるで料理をするように手馴れた手つきで布をはぐる。

その姿を見た瞬間、一度は見たことがあるとはいえ、祐一はやはり息を飲んだ。歪んだ表情、ポマードをつけたように固まった頭髪、胸に溜まった大量の血、青紫に変色した肌、硬直し始めた全身――全ての要素がこの人間を屍体として有らしめているかのようだった。

祐一は彼、大囃羊山のことを全く知らない。知っているのは刑事に聞いた情報、若くして親元を飛び出し教師になって働いているということだけだ。もしかしたら、慕われている生徒もかなりの数に上ったのかもしれない。しかし、死者はこれ以上、何も遺さないのだ。

最初、まだどこかに部外者気分の残っていた祐一だったが、現実に屍体を目の当たりにし、ようやく自分もこの事件に関わり取り込まれた一人だと自覚した。

舞は、祐一が屍体と対面している間に目を背けたらしい。後ろを向き、ひどく震えていた。スキーロッジの事件の時も、舞は人間の死に異常な嫌悪感を抱いていた。それは元来、優しい性格で子供っぽい性格にも依るのだろうし、幼い頃の体験もそれを後押ししているのかもしれない。

祐一が、心配そうに舞を見守っていると、その視線に気付いたらしく悔しそうに言い募る。

「――すまない」

「気にするなって。元々、ちょっとばかり足りない者同士が集まって暮らしてるんだから。できないことは、俺や佐祐理さんに縋って良いんだぞ。俺だって、至らない部分を随分と舞や佐祐理さんに助けて貰ってるんだからな」

もっとも、かくいう祐一にも名探偵役が勤まるとは思っていない。せいぜいが、どうしても女手でできないことをサポートするくらいだ。

「ありがとうございます、もう結構です」

舞のことにかまけていたので、祐一は佐祐理の声を聞き慌てて振り向いた。もう良いということは、必要な部分を見終わったということになる。

この役立たずめ――と、祐一は何度か目となる自分への叱責を飛ばす。

「頭と胸に傷がありますが、直接の致命傷はどちらなのですか?」

「先ず、頭を鈍器のようなもので一撃。それから胸を剣でぐさり。剣は血が固まるまで刺したままにしてあったらしく、出血量は微小。それから、一度剣を引き抜いた後、改めてもう一度胸を刺している。生活反応等を鑑みるに、その順番で被害者への殺傷、及び損壊行為があったことは間違いない。ただ、これも妙な殺し方ではあるかもしれない。血液の凝固タイミングその他から考えると、間隔はあるものの少なくとも一時間半以上の時間をかけて実行されたことになる」

「確かに――屍体の損壊行為、二度目の刺撃の目的が不明ですね。そこまでの手間をかける意味が、はたしてどこにあるのか――」

佐祐理が珍しく、腕組みをして真剣に考え込む。彼女ですら、現在の情報で全てを定めることは不可能だということが改めて明らかになったようだった。

それにしても、また、意味という言葉がでてくる。殺人、足跡、密室――この三要素には何れも意味の欠落という共通項がある。散々、現場を回って情報を仕入れたものの、定義づけられる意味がなければ事件そのものを説明する筋道が立てられない。

暫く、屍体発見現場に立ち尽くしていてもしょうがないということになり、祐一たちは仮捜査本部のある屋敷の食堂に戻ることになった。

22 限定された空間の中で(1999/08/14 11:10 Sat.)

「現場、屍体諸々の状況から語れることについてはこれで全てだな。後は、13日午後から14日午前中にかけての全員の行動ということになる。これについても幾つか不審な点があるので、できれば倉田さんたちにも吟味して欲しい」

 食堂の席にそれぞれ腰掛け、次に議論されるのは行動、アリバイ関係。世田谷刑事は、ここでも現在までに収集されているほぼ全ての情報を手札として曝してくれているようだった。

「それでは、被害者の大囃羊山の行動からいこうか。もっとも、これは正確だと思われる部分だけをかいつまんで説明することになるが――先ず、屋敷を尋ねたのが13日の13時30分頃。これは屋敷の当主である平秀氏の他に月宮あゆ嬢、大囃輝、早乙女良子の四人が同時目撃しているところから間違いはないと思う。同日14時頃、荷物の整理が終わり平秀氏の元に土産物を持った羊山が姿を現している。それからボウガン事件が起こった時も姿を現している、これが同日17時半頃。

しかしそれ以降、羊山の姿を見た人間は一人もいない。夕食にも顔を出さなかったところからすると、それからはずっと部屋にこもっていたと考えるのが妥当だろう。死亡推定時刻は先程も話したとおり、14日0時から2時までの間。屍体の発見が同日午前7時45分頃、第一発見者は早乙女良子。これが、時系列的に大囃羊山の行動として分かっていることの全てだ」

家族が一堂に集まるというのに、思った以上に接点が少ない。祐一が最初に思ったのはそんなことだった。それとも、金持ちの家族によくある確執という奴が大囃家にも存在していたのだろうか。無駄だとは分かっていても、祐一はそんな事象に思いを巡らさずにはいられない。

「妙ですね。まるで自ら進んで、家族や使用人との接点を絶っているように思えます。何か、他人に身を曝したくないことがあったのでしょうか?」

佐祐理も同じ考えだったらしく、鋭く質問を飛ばした。

「さあ――その辺りの動機についてはさっぱりというところかな。まあ、家族関係や生活状況などの詳細が明らかになれば、少しは浮かび上がってくるかもしれないが。で、他の屋敷にいた全員の行動だが、これもよく分からない。

取り合えず、大囃家の人間からだが――先ず、当主の大囃平秀。彼は13日の12時30分頃、長男の大囃秤一を、13時30分頃に三男の大囃羊山、つまり被害者を出迎えに行っている。それから多少、疲れていたらしく、17時頃まで昼寝をしていたらしい。それから17時30頃、次男の大囃乙男を出迎えに三度、玄関に出る。その後、ボウガン騒ぎでごたごたあった後、夕食が18時30分頃。それから1時間半ほど食堂で談話を交わし、床に就いたのが20時過ぎ。それからは、翌朝の屍体発見までずっと眠っていた――と、本人は証言している」

本人の証言だ、ということを強調する刑事。

「次に長男の大囃秤一。彼は12時半頃、屋敷に到着して一休みしてから、例のボウガン騒ぎがあるまでずっと部屋で仕事をしていたそうだ。消化しないとならない書類の類が溜まっていたと、話していた。それからボウガン騒ぎ、夕食、食後の談話の時間経過は平秀氏と同じ。20時頃に食堂を退出し、21時少し過ぎまで仕事をして、眠いからすぐ眠ったそうだ。妻の大囃喜子についてはもっと簡単で、屋敷に着いてボウガン騒ぎがあるまではずっと眠っており、ボウガン騒ぎ、夕食、その後は殆ど夫のものと一緒。20時半頃には既に眠っていたそうだ。途中、一度も起きなかったし不審な物音も聞かなかった、と二人揃って証言している」

世田谷刑事は、そこまでメモを読み上げて一息つく。これで取り合えず、四人分の行動について、行動のあらましを聞いたことになる。行動自体は至ってシンプルで、平板なものだ。しかし、祐一は何故か妙な違和感を感じてしょうがなかった。何処かおかしいものを感じる。

だが、その答えを掴む前に刑事の言葉が重ねられていく。

「で、次に次男の大囃乙男。あの、玄関で物騒なことを口にしてた奴だな。彼は17時半頃に屋敷に到着し、そこで天使像に刺さっていたボウガンを発見したとは本人談。その後、ボウガン騒ぎがあり、それが一段落着いたところで部屋に戻り19時30分頃まで休んでいたらしい。その後、ちょっとばかり一悶着を起こした後、20時前にはベッドに潜り込み、そのまま寝たらしい。彼の部屋は被害者の丁度隣なのだが、物音は一切聞かなかったらしい」

「その、一悶着ってのは?」

意味ありげな一言に、祐一が思わず質問する。

「まあ、それがだな――屋敷に住み込みで働いてる若い家政婦、有本裕美といったかな? 彼女をちょっと誘おうとしていたらしい。まあ、ロクな手管は使わなかったんだろうがな」

酒飲み、TPOを弁えない態度、更には見境なしの女好き。祐一には大囃乙男という人物が正に、金持ちを親にもった放蕩息子の理想像にさえ思えた。

「まあ、そんなことはおいといて続きだ。後は大囃家最後の一人、大囃輝。彼は家に着いてから16時頃まで月宮あゆ嬢と屋敷で話をしたり書庫を散策したりと遊んでいたみたいだ。それから例のボウガン騒ぎまでは部屋で一人、小説を読んでいたらしい。そこからボウガン騒ぎ、夕食と来て19時過ぎに先程名前が出た家政婦の有本裕美、月宮あゆと一緒に月宮嬢の部屋で談話したりゲームしたりで、食後の時間を過ごして、部屋に戻ったのが20時半。そのまま風呂にも入らず、床に就いた。やはり夜中に物音を聞くことはなかったようだ。

月宮嬢の行動は、ほぼ大囃輝のそれと重なる。別行動をした時間と言えば、病み上がりで疲れた体を休めるため、一時間半ほど昼寝をしてた時くらいのようだ。床に就いたのは20時45分頃。翌朝、日課である朝の散歩にと庭を歩いている時に、屍体を偶然、発見してしまったというわけだ。もっとも、月宮嬢は第二発見者ということになるのは、屋敷に入る前に説明したとおり。ここまでが一応、大囃家側の人間ということになる」

つまり、大囃家側の人間は被害者も含めて全部で八人ということになる。

「で、次に使用人側の行動だ。先ず、早乙女良子だが12時30分、13時30分にそれぞれ長男の家族、三男で被害者の大囃羊山を出迎えにいった。これは平秀氏に付き添ってのことのようだ。それからボウガン騒ぎの起きる17時30分までは庭の手入れや物置の整理といったことを細々とやってたらしい。その時は、例のセメントも持ち出された形跡はなし。ボウガン騒ぎの後、20時前までは夕食の給士手伝いや、主人の平秀氏に請われて話し相手になったりと、客や雇い主をもてなしていたようだ。で、20時に屋敷の外と中を結ぶ三箇所のドアを施錠して周り、それから20時30分頃に就寝。翌朝、いつもより1時間ほど遅く目覚めた彼女は、慌てて朝の日課である花壇の手入れに赴き、そこで屍体を運悪く発見してしまったというわけだ。

「次にもう一人の家政婦で有本裕美。彼女は主として屋敷の掃除に屋敷内を忙しなく動き回っていたらしい。広い屋敷の掃除に疲れ始めた時、ボウガン騒ぎが発生。騒ぎが収まった後は、早乙女女史と同じで給士の手伝い。その後、月宮あゆ、大囃輝の二人と共に20時30分頃まで会話やゲーム等で楽しみ、気付かぬ間に月宮嬢のベッドに顔を突っ伏して眠っていたそうだ。月宮嬢がベッドから抜け出したことも知らず、朝になってもずっと眠りこけていたらしい。お陰で早乙女女史に叱られたと、私にも愚痴を漏らしていたよ。

最後が大囃家の専属料理人、大笛和瀬。彼は13時少し前に大囃平秀氏、その長兄家族である秤一、喜子、輝――それから月宮嬢の五人に昼食を振舞った。その後、家政婦の二人にも食事を振る舞い、彼も余りものを手早く胃の中に運んだらしい。それから15時くらいまで部屋で休んだ後、メインとなる夕食の準備にとりかかった。ボウガン騒ぎの時も、彼は食堂で一人、夕食を作っていたようだ。料理を振舞った後は、早乙女女史と同じく平秀氏たちの話し相手をして20時少し前に場がお開きとなったので、料理の後片付けを始めた。しかし、久々に大料理を振舞ったために気が抜けたせいか眠くなり、21時前には床に就いたと申し訳なさそうに語っていたな。とまあ、これで屋敷内の人物全ての大まかなタイムテーブルというところだろう」

 ようやく13日から14日にかけての行動が、全ての人物において語られたことになる。祐一はまだ情報量の多さに戸惑っていたが、それでも肝心の犯行時刻に誰も目を覚ましているものがいなかったし、物音を聞いたものもいない。前段階、13日の行動も画一的で、ボウガン騒ぎ以外には特に犯罪を想起する場面は思い浮かばなかった。強いて言えば大囃乙男が有本裕美にこなをかけた一件だが、被害者は彼の弟だった。まさかセクハラの腹いせにその弟を殺すなんてことは考えにくいなと、祐一はすぐにその考えを打ち消した。

それよりも、気になることが一つある。全員分の行動を聞いて一つ、祐一は違和感の正体を掴んでいた。それは13日、各人物の就寝時間が一様にして皆、驚くほど早いという事実。示し合わせたように一点集中した様相は、明らかに一つの事象を示している。即ち13日の夜にもたらされた過剰な睡眠は、明らかに一人の意志によって誘発されたものだということだ。幾ら旅で疲れていたと言っても、規則正しい生活をしている老人ではないのだから、これは明らかにおかしい。

「13日の夜なんだけど、皆の睡眠が早すぎないか?」

祐一は意を決して全員に問う。

「祐一さんの言うとおりです――明らかに睡眠導入剤かそれに類したものが使用された痕跡があります。13日の食事についてはよく注意する必要があると思います。ただ、睡眠薬を誰が盛ったか現時点では分からないとしても、それが被害者と犯人だけの秘密の会合を意図して仕組まれたことは疑いようがないと思います。

食事の場に一切出なかった被害者は唯一、睡眠剤の入った飲食物を混入される機会がなかったと確信できる人物なのですから。と同時に、犯人は巧妙な――或いは自然な手口でただ一人だけ、睡眠薬の入った食物の飲食を免れえたということになります。もし、その方法が分かれば犯人が即座に判明する可能性が高いです」

睡眠薬の投与経路――新たに一つの謎が加わったことになる。だが、今までの疑問と違い、これには屋敷にいる人物の動きを阻害するという直接の分かり易い動機がある。これは脈がありそうだなと内心思いながら、祐一は言葉を続ける。

「後は動機の面かな? これだけでかい屋敷に住む金持ちなんだから、確執の一つや二つくらいあるかもしれない」

しかし、刑事が重々しく首を振る。ことはそう簡単な訳ではなさそうだ。

「いや、それがそうも上手くいかないというのが現状みたいなんだよ。屋敷の全員、特に大囃家の人間には全員、動機の心当たりについて聞いてみたのだが、被害者の大囃羊山に恨みを抱く奴なんて考えられないと口を揃えて言うんだな、これが。家を飛び出したのだって半ば合意の上だったし、性格も模範的男性のそれだった。強いて言えば39にもなって未婚だということだが、事件に関係があるとは到底、思えない。詳しく調べれば底の人間関係も浮かび上がるかもしれないが」

「それもありますが――」佐祐理が威風堂々と発言する。「ただ、もう一つの可能性を考える必要があります。大囃羊山氏は、大囃家という集合の中に含まれていたから殺害され得た――という可能性をです。公的立場の高い人間に対してしばしば、被復讐者本人だけでなくその家族も十分に危害の対象となり得ますし、それは連続殺人という本質とも合致しているような気がします」

一族であるが故に――というのは、祐一にはあまり理解できない。ただ、生活環境的に近しい佐祐理にはそれが理解できたのだろうと察するくらいだ。或いは――憎しみが強過ぎて復讐者だけでなくその家族も害したいと思うことがあるかもしれない。

「動機といえば犯行の動機もそうですが、それとは別に考えねばならないことが一つあるように思えます。それは、閉鎖空間で殺人を行う犯人の心理状態についてです」

閉鎖空間の殺人――確かに変則的ではあるが、それはこの屋敷で起きた事件の根幹をなす。誰もが避けては通れない議題と感じたのだろう。皆が佐祐理の発言に静聴を傾ける。

「今回の事件は壁と監視カメラ、セキュリティに囲まれた完全限定閉鎖空間で発生した殺人事件です。ただ、閉鎖空間の殺人は同時に犯人を限定してしまいます。それを敢えて実行する場合、犯人の心理状態にどのような逃げ場があるのでしょうか。これについては三つの大分類が成されます。

一つ目は『犯人が自殺する気である』場合。二つ目は『犯人に罪を逃れる気がある』場合。そして最後、三つ目が『犯人は止むを得ぬ事情で罪を犯さざるを得なかった』場合です。ただ、三つの場合に共通していることは、容疑者が限定されてしまう為に犯人は何らかの策謀を用いて己を容疑の埒外に置こうと試みる、という現象が起こるということです。

つまり、これは非常に逆説的なのですが、ある特定人物についてある犯罪を行うのは不可能だという事実が分かったとします。その場合、矛盾していますがその特定人物こそが犯人に相違ないのです。言い換えれば『犯人でないと定義できる人間のみが、閉鎖空間の殺人における犯人候補となり得る』のです。然る後、不可能を可能にした謎をどうしても暴く必要があります。故に、閉鎖空間の殺人は厄介な一面を持っているのです。

しかも、先程述べた閉鎖空間の殺人を実行する心理があります。第二、第三の心理状況の場合は兎も角、第一の心理状況の場合、犯人の命を守るという意味でも迅速な真相の解明が望まれるわけです。被害が拡散する前に犯人を暴かなければ――」

佐祐理は、今までで一番、神妙な表情を浮かべて皆に訴える。

「犯人も死に、大勢の人間が死ぬ。そうなれば、謎が解明できてもこちらの負けです。それを、もっとも心に留めておかなければなりません」

佐祐理の警句に、祐一も舞も大きく息を飲むのだった。

その後、1時間程事件に対する検討が成された。幾つかの事象に対する求解が話し合われたし、知恵を持ち合っては見たのだが、犯人やその動機を暴きうる者は誰もいなかった。

結局、月宮あゆの調子が心配だということもあり、祐一、佐祐理、舞の三人は世田谷刑事と別れて食堂を後にした。祐一は、直ぐにあゆの部屋に向かおうとしたが、少し考え込んだ様子の佐祐理が、それを押し止める。

「あの、すいません。あゆさんの元へ向かう前に、一つだけ確認してよいですか? 佐祐理、凄く突拍子もないことを、思いついてしまったんです」

「――突拍子もない? もしかして、何か分かったのか?」

と、知恵を出しすぎたせいか少し熱っぽそうな舞が低い声をあげる。

「いえ、そうではありません。屍体が胸に剣を突き立てられていたと聞いて、しばらくしてからでしょうか。妙な既視感を感じてたんです。その理由が分かったような気がして――これです、この絵ですよ、舞、祐一さん」

佐祐理は祐一と舞を、玄関ロビィの階段踊り場にある一枚の絵の前に案内し、指差して見せた。祐一が不気味だなと思った一枚の絵。天使狂いの絵だ。その中の、首に剣を穿たれて地に貼り付けされた天使の姿を指差す。祐一には即座に、佐祐理の言いたいことが分かった。

「これ――剣の刺された場所に違いはあると言っても凄く似てませんか? 発見された屍体の状況と、殺害された天使。しかも、その光景を横切るような二本の矢。矢もまた、この屋敷の事件に登場しました。ブロンズでできた天使像を殺害した凶器として。犯人がこの絵をモチーフとしたか、或いは多大な影響を受けて殺人を実行しているのかもしれません」

密閉空間の連続殺人ものによくあるモチーフ型殺人――日本では見立て殺人とも呼ばれる、ミステリィの根源的手法。それはいくら何でも思い過ごしではと口に出そうとするが、祐一にはそれができない。既に、この屋敷には様々な事象が連続して発生している。跳梁する殺人鬼、密室の謎、足跡の謎、屍体の二重損壊の謎、睡眠薬の謎――いくらでも疑問を提示できる。今更、まさかの一言だけで片付けることなど、祐一にはできそうもなかった。

「勿論、これは単なる偶然かもしれません。しかし、もしこの絵が示すとおりに犯人が事件を起こしているのならば、次の殺人が予測できます。一番左が大地に突き立てられ、磔された天使。その隣にあるのは、川に赤紫状の――これは恐らく血なのでしょうが、その中に埋没し苦しむ天使と民衆の状況です。この絵が示すのは多分、水辺で大量の血が流れるということではないかと思われます。風呂場、食堂の厨房、そして庭にある大きな噴水――これらを警戒すれば或いは犯人の計画をしばらくは遅らせることができるかもしれません」

犯行を起こそうにもモチーフにする場所がなければ、犯人は戸惑う。祐一には絵の名称が分からないので仮に天使狂いの絵と心の中で読んでいるのだが、初めて犯人に一矢報いることの可能性が初めて提示されたような気がした。思わず心を沸き立たせる。

しかし、祐一も佐祐理も舞も絵に添えられた詩が同時に存在することを知らない。川に浸された液体が血ではないことも、この時はまだ知らなかった。

そして、往々にしてミステリィの世界では知らないということが惨劇を拡大させるという事実も、彼らは知らない――。

23 殲滅の檻(1999/08/14 13:00 Sat.)

絵と事件の符号を刑事に話し、納得させられないものの警戒を約束させたところで、ようやく相沢祐一、川澄舞、倉田佐祐理の三人は月宮あゆの部屋に戻ることができた。食堂の時計は1時を指していたから、賞味三時間弱、事件の捜査に駆けずり回っていたことになる。

部屋の前に警官が張り付いていたとはいえ、三時間も留守にしたことでさぞかし不安に思っているのではと、祐一は心配する。舞の言い分ではないが、今のあゆならうぐぅうぐぅと泣いていても不思議ではないと、少し失礼なことも考えていたりする。

一応ノックした後、祐一はドアをそっと開ける。カーテンの引かれた、昼間なのにちょっと薄暗い部屋。ベッドの端に寄りかかり、あゆは一人で寂しそうに膝を抱えて座っていた。

音を過敏に感じ取ったのだろう。あゆは怯え気味に物音の方向へと首を傾けた。瞳に人物が移ると共に、彼女の顔は明るさを取り戻す。それが、自らに対する信頼に依っているのだと分かるから、祐一は少しだけ得意な気分になった。

あゆは素早く立ち上がると、祐一たちの元に走り寄って来る。飛びついてきたら、今度は避けまいと身構えていたのだが、あゆが飛びついたのは祐一ではなく佐祐理だった。ただ、飛びつかれるのに慣れていない佐祐理はバランスを崩しそうになり、素早く舞に支えられる結果ともなる。

結局、不安に喘ぐあゆを舞と佐祐理の二人が支える形となり、祐一は一人だけおいてけぼりを食らってしまう。釈然としない気持ちを抱いたが、あゆが安心そうな表情をしているのを見ると、別に良いかとも感じてしまう。

それから、主に祐一があゆに別れてからここに来るまでの事情を説明した。もっとも、あゆに強い衝撃を与えることもないし、何より機密事項が多過ぎる。故に祐一は、佐祐理は八年前にここに訪れたことがあり、屋敷や人間関係に詳しいから事情聴取が長引いたと嘘を吐いた。

「ふーん、佐祐理さんってここに来たことがあるんだ――しかもパーティかあ。綺麗なドレスを着て、美味しいご馳走を沢山食べて、とっても楽しそうだよね」

舞踏会、パーティ。七年間、ずっと眠りの淵にあったあゆはそのどれもが憧憬の対象なのだろう。目をきらきらと輝かせている。

「ええ――とても楽しかったですよ」

佐祐理はあゆの期待に応えるような形で屈託ない言葉を返す。

「けど、あゆさんも今はこのお屋敷の住人になるのですから、パーティに出る機会もありますし、綺麗なドレスだって、着ることもできます。きっと、良く似合いますよ」

祐一は、あゆがドレスを着たら少しちんちくりんになるのではと思ったが、口には出さなかった。デリカシィということもあったが、こんな殺伐とした状況ではせめて夢見ることくらいには自由であって欲しい。祐一の小さな願いだった。

「そ、そうかな――えへへ」

ドレスが似合うと言われて嬉しいのだろう。あゆはだらしなく笑顔を零した。

他愛もない話はいくつも続く。最初は屋敷の中で殺人者が出たことに対する不安のためか怯え気味だった声も次第に屈託のないものに戻りつつあった。

そして、次第に時は過ぎる。日は次第に西へ、その光も橙の深みを増していく。警察の捜査はまだ続いているのだろうか、報告もないので祐一には分からない。時計を見ると5時20分。既に4時間程、他愛のない話を続けているわけだが、女性三人組は飽きることなく話を続けていた。しかも、どちらかと言えば男があまり深く立ち入りたくない内容へ。

「でも、やっぱり見てて思うんだけど、舞さんって――」

「――私が、どうした?」

急に名前がでてきたからだろう。舞が相変わらずの仏頂面を向ける。

「スタイル良いなあって」

「あ、やっぱりあゆさんもそう思いますか? 佐祐理も、羨ましいなあって思ってたんですよ。出るところは出てるのに引き締まってて、抱きしめたくなりますよね」

「――そ、そそ、そんなことはない!」

真っ赤になって抗弁する舞が、妙に可愛い。祐一はそんなことをふと思ったが、巻き込まれると大概は嫌なことになるという直観があった。どうか、こちらに話が来ませんように――。

「ねえ、祐一さんもそう思いますよね」

しかし、佐祐理は祐一の願いなど無視したかの如く、強引に巻き込んでくる。或いは、最初からそれを狙っていたのかもしれない。だとすれば、ひどい確信犯だ。

「ま、まあ、十人前には――」

本当は遥かに高い評価を下している祐一だったが、照れもあってかぶっきらぼうに言い放つ。そして、佐祐理を強く睨みつけた。が、当の本人はあははーっ、と笑うだけだ。

祐一の言葉に、舞は顔を俯かせてしまう。逆に心配になったのか、蒼ざめたのがあゆの方だ。

「ううっ、舞さんので十人前なんだったら――ボクはどうなるの?」

あゆは、恨みがましい目で祐一を見つめてきた。こちらを立てれば、こちらが立たない。逆もまた然り。二つの強烈な視線に阻まれ、祐一は身動きが取れない。

そんな祐一を救ったのは、少しやり過ぎたと思った佐祐理だった。彼女はそっとあゆに近づくと、突然にぎゅうと抱きしめる。

「そんなことはないですよーっ。こうしてみるとあゆさんだって、結構良いスタイルしてますよ。むむ、それに結構着痩せするタイプなんですね」

「わっ、わわわっ――佐祐理さんっ!」

思わず、あゆは抱擁をすり抜け壁際まで素早く後ずさる。驚いたのか、それともそれ以上の雰囲気を咄嗟に感じたのか、あゆは壁を背に大きく息をついていた。

祐一は、佐祐理が同姓同士のスキンシップを好むことも、それが純然たる友愛感から来るのであってそれ以上の他意はないことを知っている。だが、初めてであれば驚くだろう。

「あははーっ、驚かせちゃいましたね」

いつもよりテンションの高い佐祐理の行動。もしかしたら、それは先程の探偵行動の反動なのかもしれない。或いは、深淵の心理行動を悟らせないための行動か――。佐祐理は祐一と違い、はしゃいでいるようでいても、責任を頭から追い払ったりはしない。並列的に、客観性をもって取り組むべき問題に打ち込むこともできる。故に、時には誰よりも苦しむ。

夢を見ているのは、あゆだけではないのだ――。

殺人という赤い夢が、あゆと佐祐理の心にも夢を見ることを強制していた。祐一は自問する。自分も何か、自らも気付き得ない赤い夢を見ているのだろうか――。

女性達が騒ぐ中で一人、真剣な思考に没頭していた時だった。家政婦の早乙女良子が、ドアを丁寧にノックし、伝達事項を述べる。

「月宮様、少し早いですが夕食の準備ができました。それと倉田様、川澄様、相沢様。皆様も夕食を一緒にいかがでしょうか? との伝言を平秀様より預かっています。どうなさいますか?」

時計を見ると、丁度5時30分。いつもなら夕食には少し早いが、事件のごたごたで昼食の場はもたれなかったことから鑑みると、適正だった。朝食も昼食も満足に食べていない祐一にとっては尚更だ。ある意味、渡りに船だった。

「ええ、先方が宜しいと仰るのでしたら、喜んでご相伴させて頂きます――と、平秀氏に伝えておいて頂けませんか?」

「畏まりました」

頭を下げ、良子は部屋の前を後にする。夕食だと聞くとと現金なもので、祐一のお腹が途端に鳴り出す。何があろうとも先ずは食事だという雰囲気が促され、皆が素早く部屋を出る。用心のため、ドアに施錠すると、四つ隣の食堂へと顔を出す。

既に、食堂には大囃家の人間が全て顔を揃えていた。詰めていた警官の姿も見えず、今は心地よい香草と居心地悪い団欒の雰囲気が満たすのみ。どうやら警察がここを仮本部にする必要はなくなったようだ。つまり、初動捜査は完了したということになる。今は、最低限の人員が屋敷の内外に配備されているはずだ。情報もあと少しすれば整理され、祐一たちの元に集まるだろう。

そのためにも余計に、体力はつけておかなければならない。祐一は招かれるままに末座へと腰を下ろす。大笛和瀬の手により、ワイングラスにはミネラル・ウォータが注がれていく。祐一はアルコールも窘めるので、できれば一度ワインを飲んでみたかったのだが、未成年ではそれを主張することもできない。

全員が所定の席に着いたところで、大囃平秀が口を開く。

「今日は、とんでもない事件が起きた。我が息子の一人、羊山が憎むべき暴力によって生を抹消されたのだ。そして、今も冷たい霊安室の中で寂しい死の淵にいる」

家長は、厳かな面持ちでゆっくりと言葉を紡いでいった。

「故に我々は、この食会により息子の魂を悼むことしかできない。しかし――悼むことはできずとも、せめて羊山のことを思い、食を遂げたいと思う。では、客人もいることだし、私も長々と挨拶をする気分ではない。せめて、この糧が皆の活力となることを祈って――」

大囃平秀が、水の入ったグラスを持ち上げる。呼応し皆もそれぞれ、各々の色の液体が注がれたグラスを持ち上げる。祐一もそれに倣い、グラスを持ち上げる。死してからしか姿を望むことのできなかった一人の人間に、最大限の追悼を込めて。

夕食は始まりからして言葉もない、陰気なものだった。料理は次々と並べられ、一品ずつは申し分のないほどに美味かった。祐一は食を続けながら、大囃家の人間を仔細に観察する。

先ず、当主の大囃平秀。彼は辺りを見回し、始終落ち着きがなかった。息子を殺害された上に、佐祐理が話した『一族全ての人間に対する復讐』が犯人の動機であるならば、第一目標は彼だ。頬がこけ、焦燥に身をやつすその姿は、明らかに何かに対する怯えを見せていた。

続いて長男の大囃秤一。彼は朝に比べて平静を取り戻したのか、妻である大囃喜子に気配りをする余裕だけは見せていた。対してその妻は、赤ワインをゆっくりと喉に流し込んでいる。夫が諌めているところを見ると、普段は飲まないし強いわけではないようだ。しかし、何か刺激物で気を紛らわせたいという気持ちも祐一にはよく分かる。

二人の息子である大囃輝は、ただ黙って食事を口に運んでいた。その頭脳は何か、事件のことに巡らされているような気もするが、祐一には分からない。

次に次男の大囃乙男。彼だけは、何事もなかったかのように食事を続けている。ワインを早いペースで胃に流し込み、食を貪る。ただ、それが彼の虚勢であり、或いは追悼なのかもしれないが。

使用人の動きと言えば、いつにも増して気をつかっているようで動きがぎこちなかった。早乙女良子は皆の間を必死で動き回っていたし、有本裕美は逆に動きが緩慢でぎこちない。普段は明るそうな女性なのだが、今は沈鬱な表情に終始していた。料理人の大笛和瀬は一人、厨房で大量の料理と格闘していた。何しろ、飛び入りで三人も増えたのだから忙しさも増すのだろう。

大囃屋敷の中にいる全員の動きを確認したところで、祐一はあゆの元に視線を向ける。緊張した空気にあてられたのだろうか――ナイフやフォークを動かす手の動きが悲しいくらいにぎこちない。

「それにしても、誰があいつを殺したんだろうな」

ふと、静寂を破るように粗野な声が食堂に響く。自然、声の主である大囃乙男のもとに視線が集中することになる。

「誰が――って、それは――誰かが外から忍び込んで――」

平秀が咄嗟に言い繕うが、乙男は意に介しようとしない。

「屋敷に侵入して殺し、しかも外まで引きずり出して串刺しにして殺したっていうのか? それはちょっと、都合の良過ぎる考えじゃないのか? 羊山の奴を殺したのは間違いなく、俺達の中の誰かさ。そいつは――羊山を殺しただけで満足なのか? 他にも殺す奴がいるんじゃないのか? 冗談じゃない、俺は殺されないぞ。何処のどいつか分からないけどな、俺は他人にやすやす殺されるような間抜けじゃ――間抜けじゃ――」

あまりに大声でまくし立て過ぎたのか、胸を抑えてぜいぜいと呼吸する大囃乙男。それは間違いなく、思ってはいても言ってはいけないことだ。しかし、誰も彼を諌めようとはしなかった。単なる酸素不足かと思っていた乙男の表情が、あまりに苦しげなのに気付いたからだ。

「畜生、俺は間抜けじゃねえ。こんな場所じゃ、死んで――喉が、胸が――畜生――俺だけは――死なない――ぞおぉぉっ!!」

支離滅裂なことを好き放題、口にした後、乙男は徐に床へと倒れこんだ。体を激しく芋虫のように動かし、得体のしれない苦しみと戦っている。しかし、その苦しみようからしてあまりにも分のない戦いだというのは祐一にも明らかだった。

しかも、異変はそれだけでは終わらなかった。乙男の変遷に気を取られているうちにまた一人、椅子から倒れ落ちたのだ。そして、また一人――大囃秤一、喜子の夫妻だった。

食堂は一挙としてパニック状態となった。明らかに何者かの手によって、しかも複数の人間に攻撃が仕掛けられた。しかし、祐一にはその攻撃が何であるか理解できない。混乱した頭でいくら考えても、祐一には何をして良いのかわからなかった。

「祐一さんっ、舞っ!」

佐祐理が、蒼ざめた顔色で必死に声を張る。

「は、早く――早く吐かせないと。誰かが、食事か飲物に――毒を混ぜたのかも。救急車も呼ばないと――三人も、ここにいる皆で協力しても足りるかどうか――早乙女さん、救急車を、早くっ、救急車をお願いしますっ!」

佐祐理が、この中で最も冷静に行動できると判断したのだろう。初老の家政婦に必死で声をかける。しかし、彼女は体を亀のようにちぢこめて震えるだけで一歩も動こうとしなかった。

「ごめんなさい、ごめんなさい、私が悪いんです――」

と、意味不明なことを呟くだけだ。

「きゅ、救急車ですねっ!」

佐祐理の言葉が耳に入ったのか、有本裕美が急いで食堂から飛び出していく。その間にも、床に倒れ伏した三人の容態は悪化を見せていた。痙攣し、胸を抑え、呼吸が獣のように荒い。医療には無知な祐一も、彼らが一様にして呼吸器に深刻な打撃を受けていることだけは推察できる。

「舞、祐一さんっ、手伝ってください。皆の胃から毒物を吐き出させないと――」

「――分かった」

佐祐理と舞が、混乱した食堂を果敢にかけていく。祐一も一歩遅れてそれに従う。他の者も様々な動きを見せているようだったが、祐一には構っている暇はない。第一の事件と違い、今回は目の前に苦しんでいる人間がいる。一人でも救わなければならなかった。

そう、祐一にもようやくながら認識が追いつく。

これは事件の陰惨たる続きだということに。

恐るべきことに三人もの人間が、一気に片付けられるようとしている。

毒物という卑劣な手段によって。


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