13 最後の死者


28 真実の糸(1999/08/16 05:45 Mon.)

川澄舞が、病院で倉田佐祐理の脱走を知った少し前、当の本人は目についた公衆電話を耳にあて、以前に暗記した電話番号を素早く打ち込む。それは、世田谷刑事のプライヴェート・ナンバだった。数回のコールの後、焦燥にも似た声が漏れてくるのを見て、佐祐理は微笑む。これなら、彼から情報を引き出すことは可能だと思ったからだ。

「あ、もしもし、倉田佐祐理です。ええ、症状の方はもう――取り乱してしまい申し訳ありませんでした。そこで、幾つかお伺いしたいことがありまして、電話をかけました」

元々、佐祐理に精神病という認識はない。それは、警官が容疑者や関係者を隔離するための方便と思っている。その檻から逃げ出した今、佐祐理に出来ることは少なくとも自らを蔑ろにしない存在に、全てを知らしめることだった。真相という、恐らくは全てを壊す爆弾を。しかし、佐祐理にはまだいくつか分からないことがある。ただ、それが何であるか、どのような質問をすればそれを得られるかはよく存じていたから、心にも余裕があった。

「そうか、それなら良いのだが――それで、結局のところ、どうなんだ? 事件の謎にはどこまで迫れた?」

刑事の督促に、佐祐理は冷然と答える。

「実はもう、犯人は分かっているんです」

「犯人が――分かったのか?」

案の定、世田谷刑事ははっきりと驚いてみせた。

「ええ、そう言いました。しかし、まだはっきりとしないところが多過ぎます。そこで幾つか尋ねたいことがあるのですが、宜しいですか?」

「――ああ、答えられる範囲でなら」

電話線越しに聞こえる刑事の声は半ば放心していて、要領を得ない。だが、情報ネットワークは切れた訳でないらしかった。佐祐理は安堵し、すぐに質問を投げかける。いつ、血眼を浮かべた警官が追いかけてくるか分からないと思ったから。

「先ず、大囃平秀氏の事件についてです。尋ねて来られた警官の話では、腹にボウガンの矢が刺さっていたそうですね――と言っても、訊きたいことは五つです。先ず、一つ目は聞かなくても自明なのですが、一応確認しておきます。平秀氏の部屋に、ボウガンの発射装置本体はありませんでしたね」

佐祐理は、ほぼ確信している当て推量を先ずはぶつけた。

「ああ、そうだが――それは、尋ねてきた警官が話したのか?」

「いえ、職務に忠実な彼らですから、そんなことは話しません。しかし、自明の帰結です。真実から照らし合わせて導き出される結論は、他に存在しないのですから。では二つ目、ボウガンの発射装置は屋敷の中から発見されましたか? 多分、されていないと思いますが」

「その、通りだ。まるで貴女は、見て来たようにものを言う」

見てきたようにと、刑事は呟きを漏らす。彼はきっと、見てきたものより論理的に思考されたものが時には確かであるということを知らないに違いない。佐祐理は侮るようにもう一度繰り返した。

「言ったでしょう、当然の帰結なんです。それでは三つ目、平秀氏の部屋から何か盗み出されたものがある筈です。或いは、誰かが家捜しをした跡――それは何ですか?」

「――平秀氏の部屋にあった金庫が何者かによって開けられていた。勿論、中身は空っぽだ。きっと、誰かがそれを盗んだに違いない。ちなみに、家捜しの跡はなかった」

「成程――では四つ目。祐一さんが殴られた直後、硝子の破砕音が聞こえました。あれは、何処の窓ですか?」

「ふむ、それなんだが不思議なことに窓は何処も破られていなかった。ただ――代わりに至極、妙なものを見つけた。何だと思う?」

逆に質問を投げかけられるが、今の佐祐理にとっては取るに足らない問題だった。

「硝子の破砕音が録音されたテープレコーダ、リモコンか何かで遠隔操作できるように改造したものか何かですね。設置場所は――木の上とか壁の上とか――兎に角、高い場所」

「な――いや、その結論も貴女にとっては予定調和なのだろう。そのテープレコーダは、樹木群西側の木の一つに括りつけられていた。ただ、犯人は何故、こんなことを?」

質問責めで少し鬱陶しいと思ったが、まだ必要な情報を全て引き出してはいない。佐祐理は感情を押し殺し、丁寧に答えた。

「犯人にとってそれは、密室や足跡を残したのと同じ意味があるのでしょう。そして、何故犯人が最初、天使像に矢を打ち込んだか、ひいては見つからないボウガン発射装置の謎とも密接に絡んでいたと想像できます。いずれにしても、その誤魔化しが通用する時期はもう過ぎました。最後の質問で、恐らく警察の抱いている決定的な過ちを指摘できる筈です。五つ目――平秀氏が生きていることを確認した最後の人物は誰ですか? そして、五分ほど二人きりで会話した――或いは会話したふりをした人物は誰ですか? 現場に残された足跡と一致した人物は誰ですか? 恐らく、警察はその人物を逮捕しようとしているのでしょう?」

「そ、それは――」

世田谷刑事は言い淀む。恐らくは警察内の極秘事項なのだろうが、すぐに表面上の証拠に飛びつく警察に、佐祐理は冷笑の気持ちを抱かざるを得ない。こうまで愚かだから、故意に皆を一所に閉じ込め、殺人を繰り返させるような挙しか施せないのだ。佐祐理はそう断じ、大袈裟に警察の過ちを指摘する。

「だとすれば、それは、間違いです。わたしにはその人物が誰か、聞かずとも分かります。その人は、大囃家で起きた殺人事件の犯人ではありません。しかし、その人物が犯人の意志とは関係なしに起こした行動こそが、恐らくは今回の事件の発端を作りました。これは推測ですが、その人物の行過ぎた行動がそれを示しているように思われます」

「どういうことだっ! 私には、意味が全くわからない」

「今は、分かる必要もありません。では、残る質問はあとたった一つです。大囃家に仕えている方の詳しいプロフィールを教えて下さい。多分、それで最後の疑問も解決する筈です」

ようやく確信に迫る質問をすることができ、佐祐理は肩の強張りを落とす。

「お、おお、それだそれ。私が伝えたいと思っていたことは。実現可能かどうかは分からないが、少なくとも有本裕美、大笛和瀬の二人については実行を促すだけの強い動機を持っていたんだ。良いか――有本裕美の家族では以前、一家心中事件が起きている。彼女の両親は借金苦から彼女の弟を絞殺、続いて有本裕美自身も絞殺されそうになったが、意識を失ったのを死んだと勘違いされて助かったらしい。その後、両親は車で投身自殺、二人とも亡くなっている。その遠因に、大囃平秀氏の会社の関与があったらしい」

「それは――気の毒なことですね。で、続きをお願いします」

「続いて大笛和瀬だが、彼には兄と妹が一人いてな。二人は幼い頃、施設に預けられてしばらく後、三人とも別々の時期に別々の家庭に引き取られていったらしい。二人とも身元は判明したのだが、問題は妹の方だ。彼女は――交通事故で死んでいる。しかも、悪質なひき逃げ事件だ。それが大囃家の事件とどう繋がるかは分からんが、もしかしたら――。

あと――早乙女良子についても経歴に異常な部分がある。彼女はある事件が元で、大囃家に家政婦として働くこととなったのだが、その理由が凄惨なんだ。良いか、彼らの家族の死因は鈴蘭中毒だ。それで、彼女は父と妹を失っている。そして、義理の母親が遺産を全て持ち逃げしたんだ。もしかしたらこれは重大な犯罪事件かもしれないが、既に時効を迎えていて手の出しようが無い」

「どうだ――これらのことから何か、疑問を解く鍵は見つかったか?」

世田谷刑事が急かすように結論を求める。元々、佐祐理の知りたかったのはたった一つのことだけだった。犯人に『あれら』の犯罪を実行するだけの動機が存在するかどうか。しかし、世田谷刑事が佐祐理に伝えた事実は、もう一つ重要なあることを補強づけてくれた。

「ええ――これで、一つだけ疑問だったことについてようやく確信が持てました。しかも、今回の事件の犯人の犯罪を証明するための重大な事実も得られたようです。

佐祐理は、確信をもってそう断言する。これで、もう尋ねることはない。ありがとうございますと丁寧に礼を述べ、電話を切ろうとすると、その向こうで何やら奇妙な電子音が聞こえて来た。

「あ、ちょっと待った。キャッチが入ったので、一端切るぞ」

佐祐理は、会話が途切れたことに苛立たしさを隠せない。もう、事件の真相を指摘するだけの物証、心証は揃ったのだから電話を切ろうかと思ったが、思い直して見守ることにした。もしかして、病院からの連絡が丁度、届いたのかもしれないから。

しかし、通話が回復した直後、佐祐理の耳に聞こえてきたのはある意味、それよりもずっと衝撃的な言葉だった。

「大変だ――また、天翼館で死者が出た。今度は、墜落死だ」

流石に、その事実には佐祐理も動揺する。流石にもう、あの屋敷で死人が出ることはないと佐祐理は半ば断言していたからだ。しかし、今の佐祐理は他者の死に心を悼めたりはしない。ただ黙って、新たな犠牲者が誰か、問い質すのみだった。

「誰が――死んだんですか?」

誰が、死んだか――。

その単純な問いに、答えはすぐ返る。

「大囃輝だ――彼が、二階の部屋から飛び降りた。頭から落ちたらしく、即死らしい――これで六人目だ。何人死ねばこの事件は終わるんだっ! どうなってる、これは――」

 

どうなっている?

そんなことなど、わたしには分かり過ぎるほど分かっていた。

狂っているのだ――。

全てが。

わたしは混乱している刑事の声を遮断するため、電話を切った。

そして、新たな死者の意味を歩きながら、考える。

真実というものを武器に使った――。

復讐の手立てを――。

そっと、笑みを浮かべる。

わたしの足は自然と、惨劇の舞台に進んでいた。

解決編の幕を、自らの手であげるために――。

 

 

 

 

 

[STORY STOPS]

堆積する死――。
悪夢のような事件――。

まだ『天使の事件』は全てが語られていません。しかし、私はここで五度、私が唯一真と信じるミステリィの作法に従い、物語を一度、置くこととします。

今回は、かなり事象を深く作ってあるので、誰が犯人かという単純な問いかけにはできません。しかし、皆様には既に大囃家で起きた全ての事件、事象に対する明確な答えを導ける筈なのです。

犯人の正体。
過去の事件との関係。
数々の細工の意味。
犯行の動機。

そして、名探偵役が論理と真実を通してどのようなことを実行しようと考えているか、ということも。

全ては貴方の手の中にあります。

ちなみに、解決編は2002年9月1日に公開予定です――ぬ、その前に第四部の正解者を更新するのを忘れている(汗)

う、すいません。現在、メールサルベージできそうにないので、第四部の解答募集期間にメールを出したんだっ! という方は、その旨も含めてメールを頂けると嬉しいです。面倒をかけて申し訳ありません。

さて、今回はどれだけのメールが集まり、どのような推理が展開されるのか、とても楽しみですっ。

追記しておくと、私は誤字脱字の結構多い人間ですので、その辺りに気付いたらこっそりとメールをお願いします。掲示板への書き込みは、ネタバレになる可能性もあるので、不可ということで。

ではでは、宜しくお願いしますっ。ちなみにメールアドレスは――。

maskman@muc.biglobe.ne.jp

になります。それでは、また解決編のなかがきで会いましょう。


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