15 二重の欺き


31 焦慮(1999/08/16 06:30 Mon.)

病院関係者と一緒に、川澄舞も倉田佐祐理を見つけるため病院中、ひいてはその敷地中を全速力で駆けつつ探索していた。かつて、魔物を狩る為に自然と鍛えられたその能力は今、大切な友人の為に使われている。しかし、その努力は報われない。舞は佐祐理を見つけることができなかった。

「――どこに、行った?」

舞は拙いと信じ込んでいる頭で、佐祐理のことを考えた。少なくとも、家族の次には佐祐理を知っているという願いがある。その願い、佐祐理の願うことを舞は考えた。佐祐理は苦しんでいる、それは確かだ。人の死に心を苛まれ、警察にすら疑いを抱き、何もかもに怯え、それでも心は――祐一と舞の元に悲しいほど向いていて、涙ぐんでしまいそうなほどだった。とても純粋な人間で、でもどのようなことがあっても信念を曲げない。川澄舞にとって、倉田佐祐理とはそういう人間だった。

「――だとしたら?」

 佐祐理がその曲げざる信念に従ったのなら――舞はそこまで突き詰めてようやく、その答えを出した。彼女はただ思いだけに支配され、誰にも伝えず、財布も案内も持たずがむしゃらに走り出す。多分、彼女がいるのはあの館だ。

32 逆転現象(1999/08/16 07:10 Mon.)

 三十分後――。

 少しデザインの古い、真珠色のワンピースを身にまとい、倉田佐祐理は食堂に姿を現した。彼女は目を強く輝かせ、確信めいた余裕の笑みを浮かべている。髪も櫛で撫で付けられたのだろう、リボンで結われていないそれは、腰の下までさらさらと流れ、歩くたびに優雅な統制を持って揺れ続けていた。ピンクのハイヒールを穿き、ただでさえ高い身長がより高く見える。誰が見ても、その姿は何かを成した満足感に溢れているのを感じ取れるだろう。

 しかし、とりわけ刑事はそれを、謎に対する充足からくるものだと勘違いしていた。佐祐理にはそのことがよく分かっているので、苦笑を零したくなるのを我慢した。少しでも不審な素振りに感づかれたら、あのこともばれてしまうかもしれない。彼女は、より慎重に行動することを己の心に言い聞かせ、捜査関係者に向かって会釈をし、それから食堂の一席に腰を下ろす。

「こちらの準備は終わりました。十分、満足するものは得られた筈です。では、どの辺りから話しましょうか。警察もきっと、ある程度はこの事件のことを理解していると思いますから、分からないことだけを質問する――という形式にしても結構ですが。手間も省けますよね」

 佐祐理が礼儀正しく居住まいを正しながら言うと、代表して世田谷刑事が首を振って抗弁した。

「とんでもない。こちらで仮定した結末は、全て君と異なる。そもそも、犯人からして我々は君のものとは違うんだよ。そのギャップを埋め得ぬ限り、こちらとしても納得して解決済の認証を与えることはできない」

「もっともな意見ですね。つまりは一から十まで説明し、警察を納得させてみろと。分かりました。貴方達がそう言われるのでしたら、わたしも全てをお話しましょう。しかし、これは皆の話や情報を総合して得た、わたしだけのものだということを忘れないようにして下さい。別に納得して頂けなければ、信じて貰えなくても良いものです。ただ、わたしは今から話すことを真実だと信じています。信じていなければ――」

 佐祐理はそこで不自然に言葉を切ると、出来の悪い生徒を励ますように見回し、それから少ない公聴者に向かい、ちらと外の気配に思いを巡らせてから、話を始めた。

「詳しい話を始める前に、少し事件を整理してみましょう。話が――少し込み入っていて、話している内に混乱するかもしれませんからね。先ず、5W1Hを明確にしてみようと思います。誰がということですが、それは先程簡単な方法で証明しましたよね。大囃平秀氏が犯人であるに相違ない、ということで、納得して頂けたと思います。後はどのようにそれを実現することができたか、何故そのようなことをしたのか、何処で何をしたのか、ということだけです。しかし、もう誰がということは分かっているのですから、後は丁寧に一つ一つ当てはめていけば良いんです」

 まるで、簡単な料理を作るような口ぶりで、佐祐理は悠々と言葉を続けていく。

「そもそものことの発端――を語るのは後にして、事件前日から当日までの流れは背景なしで説明することができるように思います。被害者、大囃羊山氏の到着は13時30分頃。犯人の平秀氏は、彼を迎えに来た時、側に早乙女さんを置かず、一人で応対したそうです。これはちょっと不思議だなと思っていたのですが、今ではその理由も分かると思います。平秀氏と羊山氏は、明らかに二人で密かに話し合うことがあったんです。その内容が何かについては聞かないで下さい。話の秩序が混乱しますし、すぐに分かることになると思いますので。

明らかに、二人はそこで話し合おうとしました。多分、到着を直前に携帯電話か何かで示し合わせたのでしょうが、しかしあゆさん達がその場に現れたので、一端中止せざるを得なかったのでしょうね。羊山氏が東翼の方へわざわざ向かったのは、二人が別の場所に移った後で改めて、恐らく平秀氏の部屋の中辺りで打ち合わせをする為だと思われます。それは、羊山氏の部屋が西翼の一番端にあるという事実からも推測されます。直接部屋に向かうとしたらそちらに向かうのが正しいですから。それをしなかったというのは、館の東側に用事があったからに他なりません。

そこで平秀氏は求めていたものを受け取り、彼に幾つかの約束を行った後、羊山氏は一端、部屋から出ました。それから、恐らく痛みによる不眠症の気があると言って――何しろ糖尿病も痛風もある種の激しい疼痛を伴う病気ですから、医師に頼めば簡単に処方してくれた筈です――手に入れた睡眠薬を混入する作業を行いました。それからある程度の時間を置き、これもまた事前に入手しておいたボウガンで館の外に出て直ぐ正面にある女神の銅像に矢を撃ち込んでから、ボウガン装置の本体をは厳重に隠しました。恐らく事前に、警察が捜しても容易に発見できないような場所を作っておいたのでしょう。敷地は広大ですから、一日や二日では発見できないと踏んだのかもしれませんね。事実、それはまだ発見されていません。次に――」

「ちょっと待ってくれ。ボウガンは、何故隠されないといけなかったんだ?」

刑事が一人、切羽詰ったような声を出す。

「フェイル・セイフの為です」佐祐理はあっさりと答える。「この事件では、一人目を確実に殺す方法は立てています。しかし、第二の事件――毒殺による大量殺人には運がつきものです。鈴蘭毒は無味無臭ですし、ワインの味と香りで誤魔化されてしまいますが、それでも気付くかもしれませんし、体調を崩してワインを飲まないということも考えられます。万が一、全員が死ななかった時の保険に、平秀氏はもう一つ、トリックを仕込んでいました。それが銅像に矢を撃ち込むこと、そしてもう一つの鍵が硝子の破砕音を録音したレコーダです。後は簡単な方法で、音を立てない方法で硝子を割ることができれば良い訳ですよね。勿論、矢はボウガンからの発射ではなくそれを直接、手で叩き込む訳です。その為に矢は尖らせてありましたし、或いはハンマーと杭の要領でもう一段階くらい打ち込んでやれば、検査されても気が付きにくいですよね。あとは実際の破砕音と、レコーダの破砕音を時間的にずらしてやれば、平秀氏は自分の部屋にいるだけで時間的な壁を手に入れることができます。ボウガンの本体装置をとても分かりやすい所に、一度警官が探索したような場所に置いておけば、それも誤魔化しになるし、その為にボウガンの本体装置は隠されました。館の構造を思い出して頂ければ分かると思いますが、一階の窓は内向きに、二階の窓は全て外向きについています。困難度は余計に増大するわけです。矢を銅像に撃ち込んだのは第一の事件に繋げる目的の他に、確かに矢が本体から射出されたことを皆に示すためでもありました、結局は無駄になりましたけど。

或いは、このトリックがばれてもなお、平秀氏には木の上にレコーダを仕掛けられないという肉体的な壁が残ります。これが偽りというのは既に証明した通りですが、老人に対する憐れみや長年の演技は的確に平秀氏を容疑から外し得ます。或いは警察が簡単にレコーダを発見できたことを鑑みるに、最初のトリックは捨てるつもりだったのかもしれませんね。硝子の破砕音も、矢の突き刺さる角度も、窓に散らばる硝子の量も、調べれば割と直ぐに分かるのですから。第一の事件で、屍体の殺害現場や位置関係を検証しましたが、あれも今から考えると、調べれば直ぐ分かる類のものなのかもしれません。どちらにしろ言えるのは、大囃平秀という人物が如何に綿密なフェイル・セイフを引いて犯行を成していったかということです。たった一つの大事な点を、多くの些細な誤魔化しで紛らわしていますから。しかし、この計画全般に唯一欠陥があるとするならば、平秀氏はフェイル・セイフの最後の拠り所を総べて、その老人らしい弱さに求めたというところかもしれません。だからこそ、その嘘が明らかになった時、全てが崩れたんです。

話が逸れましたね、元の話題に戻しましょう」

佐祐理は真面目な警官の中でただ一人、笑顔を浮かべてぽんと両手を叩くと、誰の了解も得ずに更に続ける。彼女はもう一度、外の様子を伺った。だが、まだ何も変化はないようだった。

「第一の事件の続きですが、そして17時半頃、ボウガンの矢が発見されました。その効果については先程、話したとおりですので割愛しますね。そして、屋敷の探索の後に夕食を取りました。羊山氏はこの夕食に何故か参加しませんでしたが、それこそが平秀氏の第一の指示だったのでしょう。何故なら、被害者に睡眠薬入りのある物を摂取されてしまうと犯人が困りますから」

「水だな」刑事が言うと、佐祐理は首を振った。

「いいえ、水に睡眠薬を混ぜたのは、犯人の誤魔化しの一つです。睡眠薬は多分、羊山氏が買ってきたであろう菓子詰めの中に混ぜられていたのでしょう。薬が検出されなかったのは、皆が眠った後で犯人が事前に受け取っていたもう一つの箱とすり替え、同じ状況に仕立てておいたからです。これこそが先程言った、平秀氏が羊山氏から受け取ったものの真実ということになります。菓子詰めは二つ用意されていたんです。水は生理的な欲求に最も重要なものですし、これを禁じると今度は羊山氏が平秀氏を疑います。犯人は羊山氏を騙し、それでいて騙していることを悟られてはいけない立場だったのですから。しかし、菓子詰めから睡眠薬が検出されると、今度は糖尿病であることが逆に仇となり、平秀氏に疑いがかかります。だから、睡眠薬の出所は水でなければならなかったのです。

皆の活動を睡眠で制限するのが、第一の事件で必須なのはお分かりですね。平秀氏は片方で自らの障害を助けにしましたが、片方ではそれに悩まされてもいたんです。しかし、それは何とかクリアされました。次は実際の殺害ですが、流れはこうだったのだと思います。最初に羊山氏が、平秀氏の部屋を訪れます。その逆がないのは、平秀氏が足の悪い演技をしていることから明白です。その後、二人はある場所に向かいました。そして、殺害です。その時、何が行われたかは既にある程度、推測できます。恐らく隠し持っていた小さく重い金属の塊状のもので、不意打ちをして昏倒させたのでしょう。そして、例の足跡を付けながら後退する。そして、一先ずそこから立ち去り、剣を取って戻り、手にしたそれで胸板を貫きました。この時は、身体を貫き通す必要はないので、軽く刺しただけでしょう。そして、血液をある程度採取します。確か、糖尿病の人間は自分でインシュリン注射をする為の注射器を持っていますが、その中の一つを利用したのでしょう。注射の跡は、二度目に突き刺した時に全て誤魔化されてしまいます。その血は、羊山氏の部屋で諍いの後をもっともらしくみせる小道具として使われました。セメントでドアを塞ぎ、いらないものはまとめて何処かに隠します。これは推測なのですが、レコーダの発見された木とは離れたところにある木の上にまとめて括ってあるのではという気がします。これも、平秀氏のフェイル・セイフの一環なのでしょう。

そこまでをやり遂げた後、最後にもう一つ作業が残っています。明日の夕食に饗されるワインに、鈴蘭の毒を混ぜるということです。ここでも注射器を利用することが平秀氏には簡単にできることを、わたしは前述しました。そして、この屋敷の人間なら夕食の献立を、そしてその為にどのようなワインが選ばれるかも事前に知り得た筈です。平秀氏が屋敷の人間であることは、言うまでもないことですよね。第二の殺人がどのようになったかは明らか過ぎるほど明らかです。第三の事件は必要なかったので、平秀氏は持っていた矢で自分を刺して死にました。その前に無関係の人間を殴打したのは、そして別の人間に罪がいくようにしたのは、大囃家の名誉を守る為です。犯行が起きても、残された二人の孫を守りたいという義務感だけは持っていたのかもしれません。しかし、大囃輝は自分が知らない内に犯行の引き金となっていることに気付き、両親が殺された絶望も相俟って自殺しました。これが、どのようにしてと言うことに対するわたしの答えです」

そして、流石に喋りつかれたのだろう。佐祐理はそっと唇を舐めると三度、外の様子を伺うように耳をそばだてた。しかし、相変わらず反応は皆無だ。彼女は誰にも気付かれぬように舌打ちすると、まだ好奇心を失っていない警官に対して、もう少し話を続ける必要があると判断した。


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