射命丸文のお宅訪問・試読版

 

 

   CASE.01 レティ・ホワイトロック

 

 

 雪女が冬以外の季節に何をしているかと考えたことはないだろうか?

 氷の妖精が夏に出没するくらいだから普通に暮らしているのではないかと思う向きもあるかもしれないが、彼女を参考にしてはならない。彼女は天気が良い日、暑い日ほど元気になる節すらあり、しかも先頃は日焼けしている姿を目撃した。繰り返すが彼女は例外であり、これから紹介する雪女こそが寒さの本当の象徴、冬の王道と考えていただきたい。

 さて、最初の問いかけに戻るが、冬以外の雪女も色々と活動している。力こそ弱まるが、真夏の日差しを浴び続けても溶けることはない。ただ、なんといっても雪女である。暑気をなるべく避けるに越したことはなく、そのためとある場所を冬以外のねぐらとしているのである。

 そのねぐらとはずばり洞窟である。妖怪の山はその成り立ちから一つの山としてあり得ないほどの広大さであり、あらゆる山の特性を有している。だから溶岩によって形成された洞窟地帯も存在するのである。保安上の問題からその全貌、正確な位置を記すことはできないが、山中を複雑に行き交う洞窟のうち、浅い所で行き止まりとなっている穴の一つを住処にしている。

 入口は分厚い土の壁で塞がれており、両開きの大門が備え付けられている。一人暮らしにしては些か大袈裟だが、これにはもちろん理由がある。それについては後ほど説明するが、わたしを驚かせたのは門の大きさではなく、異様なほどの冷たさである。

 天狗は標高二千メートルを越える高地の真冬であっても平然と暮らせる種族だが、雪女は寒さの専門家である。天狗すら凍らせる八寒地獄の世界を構築できるのかもしれないと過度の心配を巡らせてしまったのだ。

 それでも怯まず、中に足を踏み入れたわたしは思わず身震いをした。地獄ほどではなかったが、冬の雪山を思わせるほどの寒さである。

 洞窟内は思ったより広く、所々に光源があって夜目を利かさなくてもその全容をうかがうことができる。天井までの高さには多少のばらつきもあるが、横幅も縦幅も割と均一で、広範囲に掘削、拡張した痕跡が見受けられる。全て一人で作業したなら途轍もない労力だが、壁の触り心地は滑らかで、建築や加工に慣れた者の手が入っていると推察された。

 妖怪の山でこの手の工事を行うなら真っ先に思い浮かぶのは河童である。ただ、河童と雪女の仲が良いという話は聞いたことがない。むしろ疎まれている節すらある。なにしろ幻想郷の雪女は春告精に近い一面を持ち、冬を活発にもたらすため、生息域である妖怪の山だと湖面はもちろん、酷い時には川の流れすら凍り付かせる。真冬でも平気で泳ぐ河童だが、流石に全面凍結では遊泳を楽しむ余地もなく、帰ってくれ雪女と空に叫ぶ河童の姿を目撃したこともある。

 そんな河童が雪女の住処を整えるとは一体、いかなる理由なのだろうか。新たなネタが飛び込んできて、俄然やる気の湧いたわたしはひんやりした空間を奥へ奥へと進む。数十メートルほど進んだところで更に視界がひらけ、目を惹く光景が飛び込んできた。

 広大な空間の中に氷のブロックが敷き詰められ、青白い光に照らされて非常に幻惑的だった。その奥にこじんまりと佇む小屋が雪女の住処なのだろう。わたしは改めて周囲を見回し、大きく息を吸い込む。寒さはいよいよ厳しいが湿度は低く清涼で、洞窟の中とはとても思えなかった。天狗も独自に氷室を所有し、わたしはその能力から洞内の環境を調整するために時折狩り出されるのだが、氷室までの窮屈で不安定な通路を進まなければならない上、冷たくじめじめしており、床や壁は独特のぬるりとした感触で、大空を自在に駆るわたしのような天狗の心を絶妙に挫いてくる。夏場に涼が取れることを加味しても近寄りたくない場所だが、この洞窟はまるで別世界である。

 そんなことを考えていると、小屋から出てくる人の姿が見えた。涼やかな洞窟、中を照らす光とイメージを揃えたかのような青い服とスカートを着ており、近づくごとに冷気が少しずつ増していく。

 彼女こそが洞窟の主、雪女のレティ・ホワイトロックであり、わたしを見つけて大袈裟に驚いてみせた。

「あら、その出で立ちは天狗ね。こんな所まで取材だなんて、よほどネタに困っているの?」

 嫌味であれば返しやすいのだが、レティ氏は割と本気でわたしに同情していた。

「夏にこれだけの冷気を内包しているのは驚くべきことであり、取材に値しますよ」

「ふうん、まあわたしとしては本気だろうと冷やかしだろうとどちらでも構わないのだけど」

 そこでレティ氏はくすりと笑う。どうやら自分で口にしたちょっとした冗談がツボに入ったらしい。雪女というだけあって感情の沸点が低いのかもしれない。

 もしそうだとすれば、腹を立てやすいとも言える。これまでに彼女を記事にした例があまりないのも、取材途中で腹を立てて追い出されたと考えれば筋が通らなくもない。

「お茶は出せないけどよおく冷えた美味しい水ならいくらでも用意できるわ。あとはかき氷も食べ放題」

「いえいえ、お構いなく」

 なにしろ喉の乾きも引くほどの冷気であるが、レティ氏は露骨に残念そうな顔をする。もしかすると洞窟暮らしが長いため、おもてなしに飢えていたりするのだろうか。

「と思いましたが、一寸興味が湧いてきました」

 遠慮し過ぎは機嫌を損ねるかもしれないと思い、寒さを覚悟しておもてなしを受けることにした。それにわたしは真冬の風や寒ささえものともしない生粋の烏天狗だ。雪女のおもてなし程度ではびくともしない自信があった。

 結論から言うとそれは甘い考えだった。

 雪女が手ずから用意したものだからかもしれないが、一口ごとに芯から冷えるような心地になるのである。かき氷を一杯、なんとか完食しただけで歯の根が合わなくなっていた。お代わりもあると言われたので丁重に断り、深呼吸を繰り返して体内に熱を起こす。

「氷を食べたのに体が温まるなんて特異な体質ね」

「体が冷え過ぎたので体調を整えているのですよ。ときにあなたは熱を関知することができるのですか?」

「ええ、だからあなたが訪ねてきたとき、すぐに出迎えることができたってわけ。そう言えば、まだ名前をうかがっていないのだけど」

「おっと、失礼しました」わたしは自己紹介用に持ち歩いている名刺をレティ氏に渡す。「事件と聞けば郷のあらゆる場所に姿を現し、なけなしの真実を記事にする。妖怪の山きっての社会派ルポライターを自認しております」

「人里によく顔を出す天狗がいるという話を知り合いから聞いていたけど、あなたがそうなのかしら?」

「そうですね、間違いありません」最近ははたてがわたしの取材方針を真似しているため確実とは言えないのだが、そうであるとして話を進めるのが一番スムースに取材できそうだったので、雑に肯定しておくことにした。「洞窟住まいのようですが、意外と事情通なのですね」

「冬以外の大半はここで暮らしているけど、外に出ないわけじゃないのよ。冬以外の寒さは商売になるから」

「洞窟一杯に敷き詰められた氷のブロック、あれらは全て売り物なんですか?」

「その通りよ。氷を台車に満載し、人里まで売りに行くの。麓までは台車を上手く担いで空を飛び、そこから里まではゆっくりと押していく。夏場に氷が必要な業者は多いから良い稼ぎになるのよ。それに氷の冷たさを喜んでくれるというのは良い心の糧になる。一石二鳥ね」

 畏れられること、敬われることの両方が糧になるのは、天狗も同じことである。というか、ほぼ例外なく全ての妖怪が兼ね備える特性だ。神と妖は区別されるが実際のところは表裏一体、信仰と恐怖のどちらをより強く求めるかによってのみ変わってくるのである。

「氷の冷たさを喜んでくれることが糧となるなら冬を念入りに寒くする必要はないのでは?」

 この理屈が通れば厳しい冬を苦手とする人間にも、湖や川が凍らされて困り果てる河童にも恩を売ることができる。上手くすれば新聞の購買層を広げることもできるだろう。そのような打算を込めての質問だったが、レティ氏はとんでもないと言わんばかりに首を横に振る。

「冬をより寒くして盛り上げるのは楽しいし、最高に心が躍るじゃない。決してやめられるものじゃないわ」

 レティ氏の冷たい色の瞳に、炎にも似た情熱が宿る。敬われて満更ではないにしても、冬の力を思い知らせたいという気持ちのほうがずっと強いのだ。

「その代わりといってはなんだけど最近は売り物にならなくなった形の悪い氷をかき氷にして売っているの。子供になかなか人気なのよ」

 そう思いきや、里の子供には好意的な感情を抱いているらしい。レティ氏は複数の感情や思想を併せ持つ、非常に妖怪らしい妖怪のようだ。

 それはさておき、一つ気になることがあった。

「一口食べただけで体の芯まで冷える氷を人間の子供に振る舞っているのですか?」

 それは少し危険なのではと思ったが、レティ氏はわたしの懸念を軽く笑い飛ばした。

「人間には普通のかき氷を売っているわよ」

「じゃあなんで、わたしに出したかき氷は普通じゃなかったんですか?」

「天狗は刺激を好むと聞くから」

 確かに天狗は未知の刺激を求めるが、それは閉塞した社会生活におけるストレスを抜くためのものであり、常に求めているわけではない。せいぜいが悪夢を見られる丸薬を服用したり、わざと挑発して弾幕の飛んでくるような取材を行うとかその程度である。

「それに天狗を凍らせるとどうなるのか少しばかり興味があったから。でもあなたはへらへらしているように見えてかなりの実力を持っているようね。お手軽簡単に凍らされてくれるようなたまではないらしい」

 いやはや、なんとも油断のならない妖怪である。どのような冷たさであれ簡単に凍らされるほど柔な妖怪ではないという自信はあるものの、冷気を侮ってはいけない。

「ところで取材ということだけど、わたしから何を聞きたいのかしら。楽しい話はあまり知らないのだけど」

「雪女が冬以外にどうやって暮らしているかというのは、意外とみんな疑問に思っているものですよ。稗田家当主が書いた縁起によれば冬眠する熊のように、冬以外はずっとこもりきりの生活をしているとのことでしたが、話を聞いた限りではもっと活動的らしい。少なくとも夏場に洞窟を出て、里で氷を売り歩いているというのは、ほとんど誰も知らないことです」

「うーん、逆に言えばそれくらいなのよね。夏は氷が売れるから外に出るけど、さほど需要がない春や秋はほとんどこもったまま暮らしてる。冬に属する知り合いはいるけどみんなわたしと同じように冬以外はこもりがちだから。うちを訪ねてくるやつと言えば、あの妙に暑苦しい妖精かビジネスパートナーの河童くらいなものね」

 レティ氏の口から河童という言葉が飛び出し、わたしは若干前のめりになる。この洞窟に河童の手が入っていたのは察していたが、その理由を判じかねていたからだ。その答えがいま、明らかにされようとしている。

「ビジネスパートナーと言うと?」

 冷静を装って訊ねると、レティ氏は特に気にすることもなく続きを話してくれた。

「数年前にやたら威勢の良い河童が訪ねてきてね。わたしの氷を一括で仕入れたいと提案してきたの。その見返りとして十分な報酬を支払うし、この洞窟を住みやすいように改装するとも言ってくれた。十分な冷気があれば存在を維持できるから収入はそんなに必要ないんだけど、住みやすくなるのはありがたい。河童の建築技術は気まぐれささえコントロールできれば信頼できるものだから」

 レティ氏の認識は全くもって正しい。河童の契約は信用ならないと忠告しかけたが、そこを把握しているなら契約内容もきちんと確認したはずだ。

「その河童は何の目的で氷を使うと言ってましたか?」

 わたしは手帳を取り出し、几帳面にかつ迅速にメモをしたためる。実を言うとたかだか数十分の会話なんて、メモなんて取らなくても一字一句記憶できる。敢えて取材対象の前でメモを取っているのはそのほうが真剣に見えるし、ときには真面目に取材しているかどうかさえ疑われるからだ。メモを取っているから真剣だなんて馬鹿らしいと思うが、それで皆が納得して信頼してくれるなら、やらないに越したことはない。新聞記者というのは信用商売なのだから。

「屋台の出し物に使うと言ってたわ」

 その筆が早速、ちょっとしたがっかりとともに止まる。妙な実験でも企んでいるのではないかと内心、期待していたからだ。

「出し物……と言うと、かき氷とか?」

「他にはアイスクリンの製造、キンキンに冷えた飲み物、どれも夏の屋台で爆売れだと興奮しながら語っていたわ。近々、流しそうめんにも挑戦したいと言ってたわね」

 流しそうめんの屋台とはえらく珍妙だが、水を操るのは河童の十八番であるからどうにかして実現するのかもしれない。もし実現したらその時には真っ先に記事にしようと心に決めてから、新たな疑問をレティ氏にぶつける。

「事情は分かりましたが、河童は雪女にあまり良い感情は抱いていませんよね?」

「あら、そうなの。ほんの少しだけ湖や川を凍らせるだけなのに、心が狭いのねえ」

 話が通じる相手と少し気を抜いたところにしれっと爆弾を投げてくるのはやめて欲しかった。やはり彼女は生粋の雪女であり、冬を煽り立てることこそが本分なのだ。

「それはともかく、商機というものが見えてこないんですよね。どういうきっかけで河童はあなたに目をつけたのですか?」

「里でかき氷を売って歩くことがあるというのはさっき話したわね。ある日、たまたま通りがかったその河童が批評家顔で近づいてきて一つ買ったのだけど、食べ終わると興奮気味に話しかけてきたの。ここまでふわふわなかき氷は食べたことがない、こんなに上質な氷をどこで手に入れてきたのか……日差しよけのフードを被っていたから、わたしの正体が分からなかったのでしょう。フードを取って顔を見せると、蛇を見た蛙のような顔をしたわ。そしてそそくさと逃げ出したというわけ。いま思い出しても笑いそうになるくらいよ」

 レティ氏はその時に感じた可笑しさを全く隠そうとしなかった。なんとも性根の悪いことだ。まあ、妖怪というのは全般的に性根が悪いと相場が決まっている。わたしのような清く正しい性格こそ例外なのだ。

「苦手意識を押し殺して商談を持ち込んできたのは流石と言うべきね。河童と雪女の新たな関係の一歩を築こうじゃないかとも言ってたけど……」

 冬をもたらす楽しさを思い出したのか、レティ氏は花のような笑みを浮かべる。同じ冬に生きる存在でもない限り彼女と親しくなるのはあまり得策ではなさそうだ。

「善処するとだけ答えておいたわ。彼女は河童らしくごうつくばりだけど、一度交わした契約を反故にすることはなく、この洞窟を上手いこと改装してくれたし、新しい家を建ててくれたから今のところ何も言うことはないわね」

 今のところを強調したように聞こえたのはまあ、気にしないことにする。この雪女、外見は面倒見の良いお姉さんといった感じだが、内側がいちいちおっかない。取材も早めに切り上げ、さっさと退散したほうが良さそうだ。

「では今のところ、この洞窟は住処として申し分ないということですか?」

「ええ、外の世界にいた頃はもっと大きなお屋敷に住んでいたこともあるけれど、人間ってほら、わたしが側にいるだけで勝手に冷たくなるじゃない? かといって一人で広い屋敷に住むのも味気ないし、管理が大変。たまにこうして客人を迎えられるくらいの、一人で楽に切り回せるくらいの家が好みだし、河童は良い仕事をしてくれた。だからまあ、天と地がひっくり返るようなことのない限り、ここがわたしの家ということね」

 理路整然とライフスタイルを説明し、レティ氏は小さく息をつく。特に気負うところもなく、何かを偽っているというわけでもない。彼女に取ってここは本当に理想の住処なのだ。

 彼女は雪女として実に一貫している。生粋の天狗であるわたしが羨ましくなるくらいに。

「それは素敵なことです。この洞窟を見つけるまではどのような場所に住んでいたのですか? 広いお屋敷に住んでいた時期もあるとのことでしたが」

「それはまあ、片手で数えられるくらいの年月ね。幻想郷にやって来るまで冬場は粗末な小屋に住み、それ以外の季節は狭い洞窟の入口に分厚い氷を張ってひたすらこもり続けていたわ」

「ここのような氷室は外の世界にもあったと思いますが、そちらに住まなかったんですか?」

「氷の保存に適した洞窟はあったけど、人間がズカズカ踏み込んできて勝手に使い始めるから面倒なのよね。人間が全く足を踏み入れない場所なら条件の良い洞窟も見つけられたかもしれないけど。ほら、わたしは雪女だから」

「人間のいない場所では存在する意味がない?」

「その通り。人間ってすぐ冷たくなるけど、住み着ける、利用できると分かったら手段を選ばないから、徒党を組まないわたしのような妖怪にとっては面倒なの。一人一人が強く、いつも集団で行動する天狗には分からないかもしれないけど」

「いえ、弱いくせに蛮勇を振りかざす人間にはわたしたちも昔から苦労させられていました」

 蛮勇どころか過去には退治されかけたこともあるし、明治の御一新によって妖怪の住む土地は急速に狭まっていった。

 数だけでなく、銃や大砲といった兵器によって天狗すらも倒し、あまつさえ狩りの対象にまで貶めた。

「どうやら天狗も人間には苦労させられてたようね」

 レティ氏はそんなわたしの心を読んだかのようなことを口にしてくる。

「ええ、無限に愚かですし、世話を焼かせる。この前も立ち入ってはならないとされている山に忍び込んだ人間を追い払ったばかりですし」

 実際は秘密裏に匿い、道理を説いて追い返したのだが。森にない素材が妖怪の山にはある、宝の山を目の前にして怖気付いては魔法使いなどやってられないと言いきった。自殺志願と言えるくらいの生き急ぎであり、早いのは空を飛ぶだけにしなさいと忠告しておいたが聞き入れはしないだろう。本当にしょうがない奴だ。

「とはいえ全ての人間が嫌いなわけでもなさそうね」

 レティ氏は再びわたしの心を覚ったようなことを口にする。雪女が読心をできるとは聞いたこともないが、何らかの方法で心中を計っているのは確かだ。そこでわたしは雪女が顔をしかめるような想像を心中に解き放つ。だがレティ氏は全く反応しなかった。どうやら心を直接読んでいるわけではないらしい。

「わたしもまあ、似たようなものだけど。妖怪って結局、人なしには生きていけないのよね」

 レティ氏の切実さがこもった言葉に気が引かれたのか、ある人間の顔がぱっと浮かんでくる。慌てて打ち消し、頬の熱を慌てて引っ込めようとすると、レティ氏はにやりと笑うのだった。

「あなたの中には特定の人間がいるのね。もしかしてさらおうと考えているの? でも今の天狗は人さらいはご法度ではなかったかしら?」

 わたしの中から読み取れているものと読み取れていないものがある。それでようやくレティ氏の読心術の正体が分かった。彼女はわたしの熱を細かく感じ、そこから心理を推察していたのだ。意識してはいなかったが、人の蛮行を思ううちに少しだけ熱が上がり、ちょっとした知り合いの愚行を考えるうちに落ち着いたのだろう。

 そして認めたくはないが、ある人間のことを考えると露骨に熱を帯びたらしい。

 そう言えばレティ氏がわたしを出迎えた際、熱の変化を感じたと話していた。その力を使うことで山にやってきた人の心を弄び、惑わせ、凍りつかせてきたのだろう。

「何のことかは分かりませんが、天狗の人さらいは厳禁ですね。ただでさえ限られたリソースを個々の判断で自由にして良いはずもない」

 レティ氏は何も言わず、にやにやと嬉しそうなままだ。まだ訊きたいこともあったが、会話の主導権はいまや完全に彼女のものである。記事にできそうな話はなんとか確保できたので、ここを引き時とすることにした。

「では、わたしはそろそろお暇します、次の取材が控えていますので。本日はお付き合いいただき、まことにありがとうございました」

「いえ、こちらこそ大した話題も提供できずに」

「雪女は存在そのものが強いコンテンツなのです。もっと自信を持って良いですよ」

「ありがとう、お世辞でも嬉しいわ」

 読心、性格が悪い辺りは地霊殿の主人である古明地さとりを彷彿とさせるが、こと自己評価に関しては全くの逆らしい。さとりは自己賛美の塊のような奴で、心が読めることを完全に楽しんでいるが、レティ氏は自己の低評価からくる防衛的な心理から仕方なく用いているようだ。

 再度、礼を述べてからこの場を後にしようとしたところでふと、良いことを思いついた。

「ここの氷って買えるんですか?」

「河童に売ってるし、天狗に売っていけないという決まりもない。お土産に一つくらい持って帰って良いけど」

「いえいえお代は払いますよ。河童がお金を払っているのに天狗が払わないのは種としての沽券に関わります」

「ふむ、天狗も大変なのね。ではちょっと待ってて」

 レティ氏は席を外し、氷の塊を腕に抱えて戻ってくる。まるで赤子を抱えているように見えたのは、氷の抱え方が見せる錯覚であると思いたかった。

「溶けにくいようにわたしの力を少し込めておいたから。かき氷として食べるならシロップもおまけでつけるけど。河童たちが味見して欲しいと称して色々な味を持ち込んで来るのよね。色が違うだけで味はほぼ同じなんだけど」

「ならレモン味だけで良いです」

「そお? レインボーかき氷とか見た目が華やかになると思うのだけど」

 どうやらレティ氏はおまけと称して邪魔なシロップをこちらに押しつけようとしているらしい。丁重に断りを入れてからお金を払い氷を受け取ると、全身に衝撃的な冷たさが駆け抜ける。雪女の力が込められているせいか、体も心も一気に冷たくなってしまった。レモンシロップの瓶を氷の上にバランス良く乗せると、わたしは気をつけながら冷たい洞窟を抜け、入口の扉を体で押して閉める。

「最後まで気の抜けない取材だったなあ、雪女侮り難しというところかしら」

 とはいえなかなか面白い話も聞けたし、特集の第一段としては良い出だしと言えそうだ。

 

 

 文々。新聞では現在、妖怪の山お宅訪問という短期特集を計画中である。第一弾が雪女、第二弾以降は今のところ順不定であるが、ある異変によって知り合いとなった山姥に、そしてもう一人、少し変わった経歴のある神様(守矢の二柱のことではない)のアポを取ることに成功した。第二弾はどちらかのお宅を訪問した際の記事が掲載されることになるはずである。

 妖怪の山はその名の通り、山にまつわる妖怪が集う場所だが、天狗は一部種族を除いて不可侵条約を結んでおり、交流を制限されている。力が強く数も多い天狗が少数勢力を懐柔、支配しないためである。不可侵を許可なく犯せば他の勢力から糾弾され、立場が一気に悪くなる。

 要するに大国とそれに対抗する小国連合のような関係であると考えれば良い。

 そのため天狗は種族間の行き来があまり多くない。

 つまり、山の異種族は記事になるのである。

 そのことは昔から分かっているのだが、着手する天狗はこれまでほとんどいなかった。理由は先も述べた通り、各種族による不可侵条約が結ばれているからだ。天狗は力の強い種族で、余所の領域にうっかり顔を出すだけで問題になるため、いちいち許可を取らなければならない。それは速度重視の新聞家業にとって致命的ですらある。

 今回、面倒さを覚悟の上でこの企画を立ち上げたのは、いくつかの問題が一気に積み重なったためだ。

 一つ目の問題は月勢力による侵攻に全く対応できなかった件である。山の護り手を自認する天狗にとって、問題が解決するまで何一つできず、残されたのが無惨な禿山地帯と守矢への多大な貸しだけというのは、無能の誹りを受けても仕方がないことである。上から下から議論百出した結果、山の環境全体を素早く把握する体制を築くことが急務という結論に至った。

 二つ目の問題は天狗の天敵となる勢力の活動が活発化したことである。これはずばり摩多羅隠岐奈のことだが、四季異変の報告を上に提出した際、摩多羅の名前があったことで蜂の巣をつついたような大騒ぎとなり、妖怪の山で摩多羅神と相反する勢力を集結する必要が出てくるかもしれない、そのための準備を整えるべきではないかという意見が上層部の大勢を占めた。

 他にも細かい理由はあるが、主に二つの理由によって、妖怪の山の多様な種族を取り扱う記事が推奨……半ば強制されている状況なのである。既にいくつかトラブルになっており、むしろ逆効果ではないかと疑っているのだが、上は今のところ方針を崩すつもりはなさそうだ。

 わたしは既に守矢神社という異種と緊密な付き合いをしているため除外して欲しかったのだが、上に訴えたところ「だから余計に向いているんじゃないかな」と決めつけられてしまった。

 それなので仕方なく企画をでっちあげたというわけだ。まあ人気が落ちればそれを理由に打ち切れば良い。いつ始めても良いし、終えても良いというのは個人出版の気楽なところである。

 

 

 雪女の氷を震えながら抱え続け、やってきたのは守矢神社である。ここに住んでいる人間の巫女が、幻想郷では冷たい菓子を食べる機会が少ないと言っていたからこうして持ってきたというわけだ。

 無邪気に喜ぶ顔が見られるかなと思いながら訪ねると先客がいた。河童の河城にとりである。

 彼女が神社にいるのは珍しいことではないのだが。

「おや、天狗様じゃないですか。そして、どうやら考えることは同じのようだ」

 居間のテーブルにはかき氷がずらりと並んでおり、神様たちも交えてかき氷パーティーを楽しんでいる真っ最中であった。

「文さんも氷を持ってきてくれたんですか? いつもだったら嬉しいんですが……」

 気を遣うような早苗さんの視線が痛く、わたしは気付いたら神社を後にしていた。おそらくその場にレティ氏がいたら、体温の上昇を完璧に把握されていただろう。

 持ち帰ることになった氷は哨戒中の天狗たちに振る舞った。結果として椛を除く天狗からの好感度が少しだけ上がったので、無駄にはならなかったのが唯一の救いだった。