百億の脚と千億の星・試読版01

 

   序幕

 

 

 我々はかつて無限の可能性を持っていた。

 山のような巨体を持ち、脚の一つ一つは数百年の時を経た大木のよう。鋭い牙は金剛石すら砕き、太陽を覆うほどの巨大な翼で空を自由に飛ぶことができた。

 地を這う生き物は当然のこと、空を駆るものたちですら我々を畏れた。食欲が全くないときには寛容にも見逃し、そうでない場合は遠慮なくいただいた。

 我々は空腹で死ぬことはないがそれでいて食欲は旺盛であり、生き物もそうでないものもなんでも食べた。神を焼く溶岩さえも涼しげに飲み干す我々はここでも畏怖を一心に集めた。

 特に我々を崇めたのは火や道具を使う二本足の生き物であった。それらは我々が通り過ぎるたびに深く頭を下げ、我々の胃に収まることを歓喜とともに受け入れた。定期的に我々を讃える儀式を行い、奇妙な歌と踊りを捧げた。我々はそれを歯牙にもかけなかった。餌どもが奇妙なことをしていると感じただけだ。あのように弱々しい生き物はすぐに滅びると確信していた。

 だが我々の予測に反し、二本足の生き物は徐々に数を増やしていった。暖かい所から寒い所まであらゆる場所に住み着き、生と死を繰り返しながら定着していった。

 そして遂には土着の有力な存在と契約を交わし、動物や植物を育てる定住生活へと移行した。土地はその意味を変え、価値をなし、多くの土地を得たものが権力を有するようになった。

 それでも我々は二本足どもをさしたる脅威とは認識しなかった。我々がその気になればあらゆる建物を破壊し尽くし、全ての命を胃の中に収めることが可能だった。

 そう、我々はそれほどに強力で万能で。

 龍を喰らう権能すら有していた。

 それは永遠に続くことだと思っていたのだ。

 

 

 

 

   第一幕 飯綱丸龍

 

 

 

 

 平たい岩の上に寝転がり、夜空を眺めていると見たくない顔が突如として視界を覆った。

「やあ、今日も星見に精が出るね。占い師にでもなって人の世で一稼ぎするつもりかい?」

 わたしは慌てて体を起こし、深く一礼する。

 面倒なやつが来たなあと思い、顔にも出してみたがまるで効き目はなかった。無害な童の姿をしており、虫も殺せないような顔をしているが、実のところ全くの反対だ。害と面倒の塊であり、故あらばここに住むどの天狗よりも惨く残酷になれる。

 そんなやつがいま、わたしの目の前にいる。嫌な顔をするなと言うほうが無理な相談だ。

「つれないなあ、同じ道を行く間柄じゃないか」

 だからこそ嫌なのだが童姿の天狗は意に介する様子すらない。いや、分かっていての態度と言動なのだ。つまりはからかわれている。

「こう見えてもわたしは忙しいんですよ」

「ほうほうと鳴くだけの梟よりも暇に見えたが」

「星の数は限りがないんですよ。そしていま、どこまで数えたか忘れてしまった」

「星は那由多よりも数が多く際限がないほどだ。いかに我々が長命だといっても数えきれるものじゃないね」

 那由多は流石に盛り過ぎと思ったが、もしかしたら事実なのかもしれない。目の前にいる童は本当のことを言うときほど冗談めかすという悪癖があるから。

「面倒ごとなら彼女に任せれば良いのでは?」

 そんなことはおくびにも出さず、対案を口にする。童はわざとらしく大きな息をついた。

「文には別の命令を与えていてね。風のように疾い彼女であっても体は一つしかない」

「それでわたしに白羽の矢を立てたと。でも、ご覧の通りろくに仕事をしませんよ」

「勿体ないなあ。お前ほど優秀ならできることは山ほどあるし、お山のてっぺんにだって立つこともできるのに」

 わたしは思わず体を震わせる。それはつまり天狗の長になり、どこかの山を治めろということだ。そして仄かしたということは仕事を断ればそうなる運命にあるのだ。

 目の前にいる童姿の天狗にはそれだけの力がある。なにしろこの山の上に建つ道場の創設者にして修験道の祖なのだから。伊達に偉そうにしているわけではない。

「で? わたしに何をやらせたいんですか?」

「少しばかり面倒なことだが、君にとってはそれだけではない。なにしろ故郷に帰ることができるんだから」

「わたしに故郷などありませんよ」

「ふむ、君ほどのものがそう言うのなら正しいんだろう。では信濃国と言い直すが、北部の高山が連なる土地で捨て置くには剣呑なものを見たという報告があってね」

「その辺りなら非常に強い力を持つ主がいるはずです。そいつに万事任せれば良いのでは?」

「知らない土地のはずなのによく知ってるね」

「ここにある本は粗方読み尽くしましたから」

「勉強熱心で良いことだ」

 童はもっともらしく肯き、人差し指を口元に当てる。黙って最後まで聞けと言うことらしい。

「その主とやらだがいつの間にか消息を絶ったらしい」

 わたしは思わず眉をひそめる。あの主はわたしがいわゆるやんちゃをしていた頃、どうやっても勝てなかった相手の一人だった。闇夜の鴉より黒い毛に覆われた大猪で、全長十尺にも及ぶ巨体にして狼よりも素早く動き、鋭い角とともに繰り出される突進に耐えられるものは誰もいなかった。長い時を経たいま改めて思い返してみてなお怖気が走るほどだ。

「あれほどの存在が痕跡一つなく姿を消すとは俄に信じ難いことだったが、それでも何らかの理由があって少し山を離れただけですぐに戻って来ると誰もが信じていた。そのうちに一人、また一人と山々を根城にする有力な妖が姿を消していき、いよいよ只事ではないということになった。かの山々で活動していた斥候も同じことを考え、わたしに方策を求めてきた」

「それほどの怪異とは一体どのようなもので?」

「直接相対したものはいないが、遠目にその姿を目撃したものがいる。曰く川の流れのような巨体であったらしい」

 わたしはごくりと唾を飲む。何を言いたいのかがすぐに理解できたからだ。

「まさか、龍が暴れているとでも言うのですか?」

「斥候によると山々の主が姿を消した頃から時折、奇妙な揺れが起きるようになっていたらしい。よくある地震ではないかと思って特に気にしなかったらしいが、それは龍が地中を移動する音だったのかもしれない」

 龍は肥沃な水域や地中に棲むことが多いとされており、その強大な力は恩恵と惑乱の両方をもたらす。それゆえにしばしば畏怖や崇拝の対象になり、もし荒ぶるようなことがあれば下々は怒りが鎮まるのをただ待つしかない。

「龍は滅多なことで住処を改めたりしないものですが」

「滅多なことが起きたのかもしれない。なにしろ大きな乱の予感がこの国を覆っているからね。そうした中であれば人も獣も妖も普段では考えられないようなことをやらかずものだ。例えば力のある龍を住処から追い出す、とか」

「だとすれば追い出された龍も、新たな住処にされた山のものたちもとんだ迷惑ということになりますね」

「あるいは将来を察して自ずから立ち去ったのかもしれないね。龍の中には世の先を予見する力を持つものもいる。どちらにしろそいつは新たな土地を見つけ、主を排除して山に居座ったのだろうか?」

 黙考することしばし、わたしは首を横に振る。その説明だと明らかにおかしいことがあったからだ。

「新たな山の主として収まったなら、土地に住まうあらゆるものに宣言するはずです」

「そうだね。主がいなくなればその座を狙おうとする輩が群がるであろうことは想像に難くない。威を隠せば余計な混乱を呼び込むだけだ。厄介ごとを避け、逃れてきたなら尚更のこと。土地に住まうものとしても龍が根付くことを厭わないだろう。惑乱を招く側面もあるが恩恵は莫大で、強力な守護を得ることもできる。斥候の話によれば山々の主は既にかなりの高齢で後継者を探していたという話だ。龍を受け入れないはずがない」

 わたしは童の話に同意して肯く。かの地で暮らしていたのは百年以上も前だがその頃には既に老成しており、隠居がしたいと周囲に零すことも一度や二度ではなかった。代役が誰もいないので叶うことはなかったのだが。

「山々を根城にしていた有力な妖怪が次々と姿を消しているというのもおかしな話だ。主が不在ということは新たな主になる機会が巡ってきたということだからね。逆に我こそはここにありと存在を示しそうなものだ」

 有力な妖が全て野心を持っているわけではないが、主の座を狙っていたものもいたはずだ。そいつらが全く反応しないというのも確かにおかしな話だった。

「どうにも筋の通らないことが多い。そもそも山々にやって来たのは本当に龍なのか」

「でも、あそこに住む主を倒すとしたら余程のものです。図体が長いだけでは敵いませんよ」

「あの近くには大蛇の神がいるという話を聞いたことがあるよ。そいつの仕業かもね」

 突如として具体的な存在を示唆されたが、現実味に欠ける話だった。諏訪に信仰の根を持つ旧い神が蛇の姿であることは有名だが、他の土地に押し入る理由もまるで思いつかない。

「納得いかないという顔だね」

「納得できる理由がありませんからね」

「奇遇だね、わたしにもない」

 疑惑をあげつらっておきながら童はまるで悪びれることなく、こちらの反応を楽しんでいるようだった。

「わたしは可能性の一つを述べただけに過ぎないよ」

 いつものことながら要点をはぐらかし、はっきりとしたことを悟らせない。他人事ならまだしも当事者となればこんなに焦れったいこともない。

「先にも話したがこの国に大きな動乱が迫っている。龍が絡むかもしれない厄介ごとをこのまま放置しておくするわけにはいかない。解決できれば万々歳、せめて問題の根をつかみ、いかようにでも対処できるようにしておく必要がある。では、この問題に取り組むことのできる最適な人材は誰かと大天狗や天狗の幹部を交えて話し合い、お前であるという結論が出た」

「本当に話し合いをしたんですか?」

「したよ。前もって強く推薦しておいたが」

 わたしを狙い撃ちにしたも同じだった。遺憾なことだが大天狗でも天狗の幹部でもないわたしはその決定に逆らうことができない。だからこそあれやこれやと理由をつけ、考え直してもらおうとしたが全ては徒労に終わった。

「準備が出来次第、出立してもらう。必要と思うものがあればできる限りの便宜を図ろう」

「力の強い天狗、できれば大天狗の誰かを」

「生憎だが力と責をともに持つ天狗を持ち出すことはできない。優れた働きをするものはいつだって忙しいからね」

 優秀だとおだてた癖にその言い方は向かっ腹も立つが、童の言うことは紛うことなき事実だ。わたしは責のある立場から逃げ続けているのだから。

「たまには責を果たし、身の証を立てることだ。では吉報を待っているよ、飯綱丸龍くん」

 わたしの名を童はわざとらしく呼ぶ。姓と名のどちらも嫌っていることを知った上で。

 童が去ったのち、わたしは闇夜にあかんべえをする。そしてすぐに虚しくなり、大きく息をつこうとしたところで耳元をそわそわする声が撫でた。

「大変なことになりましたね」

 ちらと目を向ければ獣の耳を持つ妖が隣でふわふわと浮いていた。わたしの使役する管狐の一匹で典という名前を与え、身の回りの世話をさせているのだが、狐の妖であるためかそれとも管狐の性か、その笑顔は実に清々しく白々しい。わたしが厄介ごとに巻き込まれ、しょげているのを楽しんでいるに違いない。やることなすことにそつがなく、下女として優秀だから許しているが、そうでなければとっくの昔に放逐している。

「上司の言うことには逆らえんよ。それにたまには故郷に戻ってみるのも良いかもしれない」

 思ってもないことを口にすると、典はもっともらしく肯いた。

「良い心がけです。いつまでも、あると思うな親と故郷。わたしなんて既に両方ともないですからね」

 軽口を叩く典の額を指で弾き、ごろりと寝転がる。

「旅の準備を万端に整えてくれ」

「承知しました。晴れやかな気分で旅立てるように万事手配いたしますよ」

 典は恭しい一礼とともにこの場を去り、ようやく一人になることができた。

「故郷、ねえ。錦を飾るどころか泥を投げつけることにもなるが、まあ構わんだろう。あれから百年以上経っているのだから、かつての蛮行も笑って許されるはずだ」

 主や有力な妖の消えた山々はきっと殺気立っているはずだが、我が身の恥はそれを緩和する役目を果たすかもしれない。そうすれば話は円滑に進む。色々当てこすられるかもしれないが、任務のことを考えれば若干の誹りは甘んじて受けるべきなのだろう。

 そしてもう一つ避けて通れないことがある。わたしの育ての親のことだ。

 わたしのことなどもはや気にかけておらず、新たな孤児を楽しく育てているかもしれない。だが今でもわたしの身を案じているのならば。

「ああ、嫌だ嫌だ。そういうもの全てを断ち切りたいから修験道に身を投じたのに」

 わたしは夜空に弱音を吐くと星の数を数え始める。

 旅の準備ができるだけ遅く終わるよう祈りながら。

 

 

 その願い虚しく翌朝には出立する羽目となった。典が一晩で準備を完璧に整えたからだ。完璧という部分には渋るわたしを旅立たせるというのも含まれており、そのために典が用意したのはわたしとほぼ同じ時期に修験道へ足を踏み入れたお節介焼きだった。

 名を姫海棠焔と言い、わたしと違ってめきめきと頭角を現し、いまや天狗の幹部の一人である。先人を立て、後輩を熱心に指導し、徳も篤い。いずれは大天狗として取り立てられるであろうと専らの噂であり、わたしからしてみれば常に比べられ面白くない思いをさせられる。どうにかやり込めてやろうと画策してもあらゆる面で敵わない。

 その日も焔のやつと来たら寝床のわたしを強引に持ち上げ、俵でも運ぶようにして肩に担いでしまった。いくら手足をじたばたさせても焔は動じることなく、往来をのしのしと歩き、道場の内と外を隔てる門の前まで来ると無造作に放り投げた。わたしは慌てて体制を立て直すと猫のように柔らかく手足で着地し、悠然と立ち上がる。焔はそんなわたしの顔を楽しそうに見上げた。わたしより顔一つ半も小さく、そして何よりも愛嬌がある。睡眠を邪魔された怒りが油断すれば溶けてしまいそうだった。

「お前はたわけか? 寝間着姿のままで放り出して!」

 それはそれとして怒るべきであると判断し、強い剣幕を作ってみたが焔はけろりとしていた。

「それならば案じる必要はなく」

 焔は懐から呪符を取り出し、わたしに投げつける。意図は分からないが避けたほうが良いだろうと思い、空に逃れると呪符は鋭く猛追し、目の前まで迫ると激しい光を放った。

 光はすぐに収まり、わたしはいつのまにか外行きの一張羅を身につけていた。つい先程までまとっていた寝間着がひらひらと落下していくのを慌てて拾い、地上に戻れば焔はにししと悪戯の成功した子供のように笑っていた。

「瞬間着替えの術だっけ? 面白いよね。用意するのはとっても面倒だけど」

 焔が使ったのはかつてわたしが日常生活で楽をするために生み出した術の一つだ。手間がかかり過ぎて自分で着替えたほうが楽だという結論に至り、後年に全く役立たない法術集という本を手慰みで書いたときにその詳細を記した記憶がある。ものがものなので広くは公開せず、作者不詳の本として道場の書庫にこっそり忍ばせておいたのだが、その知識を焔はいつの間にか身につけていたらしい。

「立派な服だけで旅に出ろというのか?」

「服以外の準備でしたらすっかり整っているのでは?」

 意味ありげな視線の先を追えば背丈の半分以上もある行李を背負い、地面すれすれを浮いている典がおり、わたしが見ていることに気付くと楽しそうに手を振ってくる。

 こいつ、焔にあることないこと吹き込んだな! 

 話に乗ってわたしを部屋から追い出した焔も大概だが、やはり妖狐にはろくなやつがいない。より素直で優秀な使い魔を見つけたら放逐してやると改めて心に定め、せめてもの威厳を保つため堂々と門から道場を出ようとした。すると典は背負っていた行李を地面に置き、その上にちょこんと腰を下ろした。

「おい、なんのつもりだ?」

「わたしは箸より重いものを持ったことがありません」

 ついさっきまで背負っていたものはなんだと言いたくもなったが、典はもうこれ以上働く気はありませんよと全身で主張しており、梃子でも動く様子がない。こいつはわたしのことを主ではなく、いじって楽しい玩具とでも思ってるんじゃないか。

「主従仲が良いのね、羨ましい」

「どこかだ! というか荷物を主人に背負わせる使い魔がどこにいる!」

「あら、わたしはそういうの苦にならないけど。修行にもなるし感謝されるし」

 優等生発言に悪態をつきかけ、すっかり地金が出ていることに気付いて咳払いする。三つ子の魂なんとやらと言うが、油断すると粗野極まりなかった頃の自分が顔を覗かせるのはなんとも忌々しいことだ。

「わたしはね、できるだけ楽をしたいのさ」

「それならわたしもよ。そうじゃなければあなたが書いた本を読んだりはしないもの」

 焔はあの本の作者がわたしだと知っていた。筆跡は隠してないし、少し調べれば分かることだが、あまり褒められたものでない過去の業績を知られるのは恥ずかしかった。

「そして結局のところ真っ当に鍛え、学を身につけるのが一番楽だという結論に至ったの」

「それは根が真面目だからだ。わたしはどうしても楽なほうに流されてしまう」

 焔はなおも何か言いたそうにしたが、相応しい言葉は浮かばなかったらしい。それ以上のことは口にしなかった。

「今回の任務で成果を出せば取り立ててくれるわよ」

 その代わりにわたしを励まし、送り出してくれた。そりは合わないがわたしのことを気遣ってくれていること、一目置かれていることはしっかりと伝わってきた。

「ありがとうとは言わないぞ。わたしはできれば仕事なんてしたくないし、なるべく楽をしたいんだから」

 そして焔がわたしを抜擢してくれたことも。本当は感謝すべきかもしれないが、どうしても素直になれなかった。

 わたしは仕方なくを装い、典の用意してくれた行李を背負う。鉄の塊でも入っているのかと思うほど重かったが、動揺すればまた典を喜ばせてしまう。だからこんな荷物は天女の羽衣のようなものだとばかりに素早く立ち上がり、軽い足取りで道場を後にする。それから行李の上に腰掛けている典に声をかけた。

「少し飛ばす、振り落とされないようにしろよ」

 慌てる典を尻目に急上昇、外出にはうってつけの青空を隼すら追いつけないほどの速さで駆ける。典の悲鳴が背後から微かに聞こえてきて、少しだけ胸がすっとした。

 

 

 いつの頃からだろうか。

 我々は一つであることが難しくなっていた。

 我々は我々と我々になり、その我々もまた複数の我々に分かれ、もとの我々に戻ろうとしても上手くいかず、むしろより多くに分かたれて事態が悪化する始末だった。

 遂には知性を失うほど落ちぶれるものまで現れた。それらは地面を這い回り、あるいはこそこそと地上に近い所を飛ぶ虫と何も変わらなくなった。知性も誇りもなく、小型の獣や鳥の餌になるだけだった。

 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。我々は意味もなく理由もはっきりとしないまま分かたれていく体と心に急かされるようにして考え続けた。

 だが、我々の高邁な思考もなかなか答えを導かなかった。原因を突き止めたのは我々の中で考えるのが特に苦手な、放浪癖のある我々だった。

「人の多いところほど我々は小さいのではないか?」

 我々の多くが一笑に伏したが、かといって他にしっくり来る説があるわけでもなく、一応は調べてみることにした。

 そして放浪癖のある我々は正しかった。

 人だったのだ。

 我々を小さくしていたのは。弱くしていたのは。

 人自体が我々を積極的に呪っていたわけではない。人という集団そのものが我々にとっての呪だった。人の群れが大きくなればなるほど我々は分かたれ、弱められる。

 人は敵のいない我々に天が遣わしたのだろうか。それとも我々の弱体化を望む小狡い輩が時間をかけて人を我々の敵としたのか。どちらにしろ我々にできることは一つしかなかった。

 我々を呪うことができないように人を減らし、分散させることだ。今なら人と我々の差は歴然であり、喰らうも殺すも思うのままだと考えた。今から思えば時流の読めない浅はかな行動だったが、我々はその強さに心の底から酔い続けていたのだ。

 地に川と見間違うほどの虫を放ち、人が食用としている植物や動物に壊滅的な被害を与え、蓄えを食い散らかす。弱りきった人を我々は容赦なく襲い、山や森に追いやる。根絶やしにしなかったのはせめてもの慈悲だった。

 だがその慈悲は我々に仇なした。僅かに逃れた人が武器と防具を身につけた物騒な人の群れを連れてきたのだ。

 人だけでなく妙な血が混じっているのも何人かいた。そいつらは我々と正面から戦えるほど強く、集団でなければ発揮できないはずの呪をそれぞれに発してきた。最初は有利に戦いを進めていたのに気がつくと我々は取り返しがつかないほどに分かたれ、それぞれに殺された。

 虫殺したちは我々を追い払っただけでは飽きたらず、山奥や海を隔てた小島まで追いかけてきた。我々のうちのどれだけが知恵も誇りもない虫に成り果てたことか。

 我々は完膚なきまでに敗北し、運良く虫殺しに発見されることなく生き残った僅かな我々はそれぞれの思いを抱きながら屈辱の潜伏を強いられることになった。

 だがそれすらも長き落日の始まりに過ぎなかった。

 

 

 目的地である信濃国には日が落ちる直前に辿り着くことができた。本当なら日が登り切る前に辿り着けるはずだったが、典と来たら気分が悪くなったというので綺麗な水の流れる川の近くに下ろして休ませてやった。

「全く、だらしのないやつだ」

「急降下、急加速、急旋回の繰り返しでしたよね。あれで気持ち悪くならないほうがおかしいですよ」

 地面にぐったりと倒れ伏し、顔が真っ青な典を見ていると強引に起こされて旅立たされた憤懣もようやく晴れて、清々しい気持ちになってきた。

「それならさっさと管の中に入れば良かったのだ」

 典は何も答えずそっぽを向く。都合が良い時だけべらべらと喋り、都合が悪くなればだんまりを決め込むのはいかにもな小物の証だ。隙あらばわたしを騙そう、出し抜こうとするがそういうところを改めない限りはわたしの足下にすら及ばないだろう。

 典が休んでいる間にわたしは少しだけ川を遡ってみた。着陸した辺りに僅かだが妖気を感じたからだ。移動した痕跡はほぼ消えており、それなのに力が残っているとしたら実力者の可能性が高く、知恵を有していると考えられる。目的の山々はまだ先だが何らかの噂を聞きつけているかもしれない。

 力の痕跡を追うことしばし、棘のように鋭い気配がわたしに向けられる。ただの獣では発することのできないもので、こころなし緊張を強めながら更に歩を進める。

 突如として風を切るような音が聞こえ、反射的に飛び退く。直前までわたしのいた場所には猛禽のものらしき羽根が何枚も刺さっており、ひゅうと口笛を吹いた。

「縄張りを荒らそうというわけではありません。少しばかり挨拶をと思いまして」

 敵意のないことを示そうとしたが、姿を見せぬ何者かの刺々しさは薄れることがなかった。

「同じ鳥同士、譲歩し合えると思うのですがね」

「鳥だと? お前からは人の臭いがする」

「人の姿でいることが多いですからね。人の臭いがしてもおかしくはないかもしれません」

「戯言を。同類であるというなら証を見せるのだ」

「それならば、ええ、好きなだけ見せてあげますよ」

 わたしは行李を下ろすといつもは隠している黒い羽根を堂々と晒し、飾りではないことを示すために羽ばたかせてみせた。

 棘を帯びた気配が和らぎ、頭上から新たな気配が姿を現す。慌てて上を向けば枝の上に梟が鎮座していた。

「あなたが水飲み場に力を残していった妖ですか?」

「否。我はそのように粗忽なことはしない」

 梟は腹立たしそうにほうほうと鳴き、鋭い爪で枝をひっかく。梟は知恵の化身であるという話を本で読んだことがあるのだが、こいつはそれほど頭は良くなさそうだ。

「何の用だ。挨拶なら不要だし、冷やかしなら疾く立ち去るが良い。そして悪意があるならば容赦はしない」

 元々排他的な土地柄なのか、最近になって神経を苛立たせるようなことが起きたのかは知らないが、少しでも会話をしくじればここから追い出されるに違いない。

 わたしは軽く息をつき、地面を蹴って梟が止まる枝の高さまで一気に飛び上がる。この動きは流石に予測しなかったのか、梟は身じろぎ一つせず、宝石のような瞳を驚きに満たしていた。

「夜の狩人も昼間では形無しといったところですか」

「礼儀も知らない低俗な輩と思っていたが、お前からは中央の臭いがするよ。それから微かに星と、あとは災いの臭いも」

「中央や星や災いに臭いがあるとは知りませんでした」

「わたしほどの梟にもなれば大抵の臭いは嗅ぎ分けられるようになる」

 梟はふぉんと鼻を鳴らし、品定めするようにわたしの全身を眺め回す。こちらでも梟を観察したが、例の羽根はこいつのものではない。複数の知恵を持つ鳥が木々の隙間からこちらを覗いていたのだろう。

「語りたくないなら素性は問わない。この地に害をなすかだけ教えてもらえないだろうか」

「もし害をなすと答えたら?」

「この地に住む妖全てがお前の敵となるだろう。その言い方からすると害はなさそうだが」

「わたしは少しばかり東の噂話を聞きたいだけでして」

「東といっても色々な場所がある」

「人が信濃国と呼ぶ場所のことです。北部の飯縄山や戸隠山が居並ぶ辺りなのですが」

 梟はほうと甲高く一鳴きし、黙り込んでしまった。話すべきかどうかを悩んでいるらしく、つまりわたしが聞きたい話を知っている可能性があるということだ。典のだらしなさのお陰でもう少しだけ情報が得られそうだった。

「実はこの辺り、新しい主が根付いてそう長くない」

「なるほど、だから迂闊に痕跡を残したと」

「そういうことになる」

「旧い主は引退されたのですか?」

「爪痕だけ残して姿を消したことを言うならば」

「あなたはそこで何かの臭いを嗅ぎましたか?」

 再びの沈黙。この梟は何かの臭いを嗅いだに違いない。その上でわたしに打ち明けるべきか悩んでいる。そいつに脅されでもしたのか、何か別の理由があるのか。

「否。血の臭いが他の臭いを隠してしまったのだ」

「ということは先の主は何らかの凶行に遭い……」

「命を落としたと考えられる」

「誰がそんなことをしたと思いますか?」

「先の主に敵うものなどいよいよ見当もつかない」

 どちらにしろわたしに話すつもりはないらしい。頑なな態度から察するに首根っこを掴んで脅し上げても白状することはないだろう。

「なるほど、よく分かりました。あなたは先の主を凶行で失い、その正体を知りながら何もしないのだと」

 梟の体が宙に舞い、爪を剥き出して威嚇する。だが激しい感情を露わしたのは僅かなことで、再び枝に止まると力なく俯いた。

「すみません、言い過ぎました。主に挨拶が叶わないなら退散することにしましょう」

 わたしは地面に下りると行李を担ぎ直し、後ろを振り返ることもなくその場を立ち去った。そうして歩きながら先程のやり取りについて考える。

 あの梟がかつて主と仰いでいた何者かが僅かな痕跡だけ残して姿を消した。信濃国で報告された行方不明事件と類似しているが同一犯なのだろうか。

「だとすれば正体不明の何者かは主となれるほどの力がある妖を喰らいながら、更に東へと向かったことになる」

 斯様な凶行を繰り返す理由は何か。元々はどこに住んでおり、何故に東を目指すのか。

 信濃国での目撃証言は龍の存在を示すが、わたしはそうではないと考えるようになっていた。龍のやったことなら天災に遭遇した人間のような諦観で満たされるはずだ。実際にはあの梟が抱いていたのは強い怒りだった。

「龍ではないが川のような巨体を持つ。そして梟をあそこまで憤らせるものといえば……」

 真っ先に思い浮かんだのは蛇だった。蛇は卵を喰らいに巣を襲う、鳥にとっては許し難い生き物だ。忌々しい命令をくだした上司が蛇の仕業を仄めかしたのも、わたしに打ち明けなかった情報があると考えれば説明がつく。あいつはいつだって大事なことを話さないのだから。

 わたしの上司は諏訪の祭神を怪しんでいるのだ。確証の有無はともかく調べるに値すると判断している。

「でもなあ。彼女は違うと思うんだよな」

 わたしが匹夫の勇だった頃、力あるものの噂を聞きつけては喧嘩を売り、そのたびに酷い負け方をした。今から思えば実に無謀な試みであり、今も生きているのが不思議なほどだ。

 そんな喧嘩を売った相手の中に諏訪を根城とする彼女もおり、それはもうこてんぱんに負けたのだが、そんなわたしを彼女は面白いと笑い飛ばし、時折話相手になってくれれば祟りはしないと言うものだから何度か訪れ、そのたびに旧い話を聞かせてくれた。かつてのわたしは頭が空っぽだったから大半は聞き流したが、他の地に攻め込むような野心はまるで感じなかった。

「そもそもあいつは図体がでか過ぎて他の土地に移動することはできないはずだし」

 神無月の会合に参加することを断られた話は彼女が語る話の中だと諏訪大戦の次に面白く、げらげら笑い飛ばして半殺しの目に遭った。痛々しくも懐かしい思い出だ。

「龍でも蛇でもないとして、他に川のような巨体を持つ妖なんているものだろうか」

 記憶の片隅がちくちくとつつかれる奇妙な感覚がある。わたしはその正体を知っているはずだがどうにも思い出せなかった。

 もどかしさは募るが立ち止まって考えても浮かぶものは何もなく。僅かでも情報が得られたことを良しとして当初の予定を貫くことにした。

 このような事情があって到着が遅れ、手頃な宿を探している時間もない。野宿には慣れているが、朝の天気が嘘のように空は曇り、夜半には雨が降りそうな案配である。

「雨雲の臭いがしますね」

 管から出てきた典が鼻を鳴らし、嬉しそうに言う。

「わたしが濡れ鼠になるのが嬉しそうだな」

「滅相もありません。龍が現れるなら荒天と思っただけです」

「龍になんて遭いたくないんだがな」

「でも遭えないと退治できませんよ」

 これまでに集めた情報から龍である可能性は低そうだと見ていたが、典には言わなかった。わたしの恥ずかしい半生も含めて色々と説明するのが面倒だったからだ。

「荒天にのみ姿を現すとは限らないだろう。それよりも雨を凌げる場所だが、実は心当たりがないわけでもない」

 いくつか選択肢はあるが、夜も近く急がなければならない事情があるため、宿を得られる算段の最も高い場所を訪ねることにした。つまりはわたしの生家なわけだが、大分前に家を飛び出したものだから小言の一つや二つはくらうかもしれない。できれば後回しにしたかったが、この状況では致し方なかった。

 そんなわけで生家の近くまでやって来たが、百年以上も経てば植生や風景は随分変わっていたものの、幸いにして生家は記憶と同じ場所に健在だった。建物の形は随分と変わり、田畑も若干広くなっていたが、山姥の暮らしぶりそのものは変わっていない。

 それでも玄関の戸を叩くのは随分と躊躇った。そうしたら典のやつが代わりに戸を叩き、誰かいませんかと声をかけた。

「お前はなにをやってるんだ」

「だって主様ときたらぐずぐずしてばかりですから。雨は待ってくれませんよ」

 典はわたしの躊躇いを見抜いた上で、実に意地悪く振るまった。弱味を見つけたらすぐにつけこんでくる。しばらく嘔吐が止まらないくらいに揺さぶるべきだったかなどと考えていたらいきなり戸が開き、無骨で大きな刃を乱暴に突きつけられた。

「なんだ、獣じゃないのか。夜にうるさくするならかっさばいてやろうと思っていたが」

 家を飛び出した時と全く変わらない顔が現れ、わたしは情けなくも動揺を抑えることができなかった。生まれ育ちの未練などとうに断ち切ったと思っていたのだが、それは随分と甘い見積もりだったようだ。

「旅のもんか? それにしては随分と妖臭いが」

 我が育ての親、大姥珠世を自称する山姥は乱暴に鼻を鳴らす。途端にみるみる顔つきが険しくなり、わたしの顔をまじまじと見る。

「もしかしてお前、龍か?」

「良かった、覚えていてくれたんだ?」

「誰が忘れるもんかね、お前みたいな悪たれ小娘を!」

 拳をぎゅっと握り締めたので昔のように頭をぽかりと殴られるのではないかと思ったのだが、実際に殴られたのは土手っ腹だった。予期しない一撃に思わず蹲りそうになるが、隣に典がいる手前、何事もなかったかのように耐えてみせた。

「いきなりな挨拶だなあ」

「頭に手が届かんからだ。本当に背が高くなったな」

「百年も経てば背くらい伸びるって」

 そういう珠世ばあちゃんは全く変わっていない。ただ、表情は少しきつくなった気がする。わたしがいなくなってから苦労したのだろうか。この山で彼女に力を貸しそうな妖なんてごまんといるはずだが、何か事情が変わったのかもしれない。

「姿を消したと聞いた時にはどこかで野垂れ死ぬだろうと思ってたが」

 ある事情があって這々の体で逃げ出したのち、しばらくは困窮の生活を送っていたのだが、そこは笑って誤魔化した。余計な心配や不安を与える必要はない。

「立派な身なりだ。宮仕えにでもなったのか?」

「山に登り、道に邁進する日々を送ってるよ」

「道……もしかしてお前、天狗の道場に入ったのか?」

「そうだけど、よく知ってるね」

「うちの様子を時々見に来てくれた天狗がいてな。おべっかばかり使うやつだったが、いつも親切にしてくれた」

 おそらくは斥候として派遣されていた天狗のことに違いない。珠世ばあちゃんにちょっかいを出していたことは道場に帰ったらじっくり問い詰めるとしよう。

「例の騒動でこの辺りもいよいよきな臭くなってきた折、突如として別れの言葉を告げに来た。去り際にこの問題を解決できる実力のある天狗を連れて来ると請け合ってくれたが……もしやお前のことなのか?」

「一応そのつもりだけど」

 頭上を閃光が走り、雷となって近くの樹に落ちる。空を見れば夜空は分厚い雲に覆われており、その身に紫色の稲光を蓄えている。雷などちっとも怖くないが大粒の激しい雨に見舞われるのはできれば勘弁したいところだ。

「二人とも中に入るといい、じきに大雨が来るから」

 久しぶりの我が家は外以上にすっかり変わっていたが、匂いだけは変わらなかった。獣と灰と薬草の香りが入り混じった独特のもので、不思議と心を落ち着けてくれる。

「部屋ならいくらでも空いとるから好きなだけ泊まっていくといい。連れの狐っこは同じ部屋と別々の部屋、どちらにするかね?」

「あいつのことなら気にしなくて良いよ。必要とあれば小さな管の中にしまっておけるから」

 なあと声をかけたが典の姿はない。てっきりすぐ後ろをついて来ていると思ったのだが。

「おーい、典。早く入って来い」

 呼んでみてもなお姿を見せない。ここまで来て行方をくらますのはいくらなんでもおかしいし、遅ればせながら嫌な感じがして玄関まで戻れば典はぼんやりと立ち尽くし、降り出した雨に打たれるままとなっていた。腕を引き、中に入れると典はようやく我に返る。

「何か変なものでも見たのか?」

 もしや恐ろしい何者かを視界の端にでも映したのかと思ったが、典はぶるぶると犬のように震えて水飛沫を派手に散らしてきた。にやりと笑う典にわたしは呆れることしかできなかった。

 

 

 ばあちゃんが作ってくれた夕食はどれも懐かしく、舌と心を打つものだった。山中住まいで塩も調味料もろくに手に入らない中での料理だから味つけは最小限だが、素材の味同士が絶妙に絡まっている。長き時を経てそれがやっと理解できたというのは、かつてのわたしがいかに未熟だったかということだ。

 ここに住んでいた頃はばあちゃんの料理に文句ばかり言っていた。塩が利いていて味のするものが欲しいと駄々をこね、ばあちゃんはそのたびに遠出をして幼い頃のわたしが好む味の濃い食材を買って食べさせてくれた。もしも過去にいけるのなら当時のわたしをぽかりと殴り、根を上げるまで説教を続けただろう。

「黙って出て行ったのは恩知らずも良いところだが、飯の食い方くらいは覚えたらしいね」

「それ以外にも多くのことを学んだけど」

「その学んだことで北の山々に起きている問題を解決に行くつもりか。巷の噂では龍が出たということだが大丈夫なのか?」

「わたしが命じられたのは龍退治じゃなくて行方不明事件の調査だよ。危険なことをする気はないし、そもそも相手が龍なのかさえも分かってないと聞いてるけど」

 川のような巨体となれば龍を連想するのも仕方ないが、はっきりと見たものはいないはずだ。

「もしかして、龍の姿を見たやつがいるの?」

「いや、誰も定かには見ておらん。だが、北の山々を荒らしているであろう何者かは地中深くを蠢いているという話だ。あっちでは地鳴りが頻発していると言うし、この辺りも時折揺れることがある」

 正体不明の何者かはまだこの辺りに留まっているらしい。土地で暮らしている者たちにとってはいい迷惑だが、調査するには都合が良い。

「龍にしろ他の何者にしろ極めて厄介な相手であることに変わりはない。せいぜい気をつけることだ。勝てないと分かったら無闇に戦ってはいけないよ。逃げるのはけっして卑怯なことではないのだから」

「あちこち猪のように突っ込んで痛い目に遭ってきたのは昔の話だって。今のわたしは修験道を学ぶ天狗だよ」

「年を取った程度でお前の性分が変わるとは思わないが、もう一度くらいは信じてやろうか」

「そうそう、信じてあげても良いですよ」

 食事の片付けを終えたのか典がひょっこりと顔を出し、珠世ばあちゃんの耳元に囁く。

「猪突猛進は昔のこと、今は天狗道場きっての怠け者として有名ですから」

 珠世ばあちゃんにじろりと睨まれ、わたしはついと目を逸らす。喧嘩っ早くて怠け癖の大馬鹿者がかつてわたしを叱る時の常套句だったのだ。

「それなら尚更のこと無理をするんじゃないよ」

 ばあちゃんはそう言ってすっくと腰を上げる。

「長旅で疲れてるだろう? 聞きたいことは山ほどあるが続きは明日にしよう。というかお前の顔を見ていると説教の虫がうずうずしてたまらん」

 わたしは力なく笑み、一瞬だけ典を睨む。本当にこいつは余計なことしかしない。

「久々の家族水入らずに水を差すやつがあるか」

「名前も家族も捨ててきたと言った癖に」

 典は珠世ばあちゃんに聞こえないよう、わたしの耳元でこそりと呟く。

「飯綱丸の姓も龍の名もくすぐったいんですよね?」

「それは、まあ……」

 どちらも珠世ばあちゃんがつけてくれたものだ。女の名前としては些か仰々しく、ある日に理由を聞いたらいつになく神妙な顔で答えてくれた。

 かつて飯縄山の頂に長い緒を引く光が落ち、周囲にまで轟音を響かせたという。噴火でも起きたのかと山に住む妖たちが駆けつければ地面に大きな穴が空いており、中心に赤子が蹲っていたという。

 周囲に鴉の羽根が数枚残っていたことから、この赤子は神の遣いが何らかの理由で墜落した成れの果てではないかと考えられたが、はっきりとしたことは分からなかった。

 一つだけ確かなことがあるとすれば、ここにこのまま放置しておけば赤子は近いうちに死ぬということだった。そこで大姥山に暮らす山姥の珠世に白羽の矢が立った。かつて世に傑物を出した実績があったからだ。

 彼女は赤子を引き取り、飯綱丸龍と名付けた。珠世ばあちゃんは拾った赤子に相応しい名前をつける能力を有しており、わたしが飯縄山と龍に結びついていることを示したのだ。

 わたしの名前には重い意味が込められている。それを台無しにし、故郷からも還るべき場所からも背を向けた。そんなわたしが飯綱丸龍と軽々しく名乗れるはずもない。

「名前負けしているという自覚があるからだよ。くすぐったいと感じるのも当然のことだ」

 わたしの本音を聞いて典はうっとりと微笑む。こいつは従者の癖に主の弱さが大好物なのだ。

 懐かしく居心地も良いが、あまり長居するべきではないのだろう。ここにいるとわたしの弱さがいくらでも晒け出されてしまう。それで典を喜ばせるのは癪に触る。

「くだらないことを言ってないでさっさと休むんだ。明日もこき使う予定なんだから」

 典は不服そうな顔をしたが口元はなおも歪んでおり、その性根を実によく表していた。

 

 

 珠世ばあちゃんに案内された部屋には二組の布団以外に何もなく、念入りな掃除で床も壁もぴかぴかだった。

「大昔に家を出て行った子供が帰ってきたから張り切って掃除したんですかね?」

「いや、それにしたって徹底し過ぎている。わたしたちが帰って来る前の仕事だよ」

「すると何故この部屋だけやけに綺麗なんでしょうか?」

 典は首を傾げたが答えなんて分かるはずもない。ずっと離れ離れで暮らしていたのだから。

「何らかの理由があるんだろう。説明しなかったならば、特に話すようなことではないんだ」

 あるいは話したくないことか。どちらにしろ深掘りすべきではないと思ったが、典はどうにも納得いかない様子だった。

「彼女のことで何か気になってるのか?」

「いや、そういうわけでは……」

 典は露骨に目を逸らす。

「言っておくが彼女を誑かすようなことがあれば容赦はしないぞ」

「ええ、その……美しい方だとは思いますが」

 わざとらしく赤らんでみせたがなんとも嘘臭い。確かに珠世ばあちゃんは目をみはるほどの美貌の持ち主で、人妖問わず懸想するものは多い。こんな山で一人暮らしなどしなくても、望めばいくらだって豪華な暮らしができる。典が惑わされるのもあり得ることだ。

 でも典が珠世ばあちゃんを気にしているのには全く別の理由があるはずだ。出会ってからのごく短い時間で何を見つけたかは知らないが、ぎゅうと締め上げて吐かせる必要があるだろう。

「主様が駄目と言うなら手も口も出しません。こうみても長生きしたいですからね」

「囁くつもりがないなら隠していることを全て吐け」

「はいはい、白状しますよ。というか主様は見なかったんですか? てっきり知らないふりをしているものかと」

「わたしにはお前が何を言ってるか分からない」

「雷が鳴る直前です。珠世さんが天狗の道場から来たのかと訊いたとき、主様は一応そうだけどもと答えましたよね?」

「ああ、直後に雷が鳴ったから咄嗟に上空を見たよ」

「なるほど、常人離れした反射神経のため、逆に見なかったのですね。珠世さんは実に恐ろしい笑みを浮かべたんです。まるで美味い人間を見つけた鬼のような」

「まさか彼女がわたしを食らうつもりだと言いたいんじゃないだろうな?」

「彼女からは不穏な臭いはしませんでしたし、主様を子として労る気持ちにも嘘はないようです。理屈では分かっていてもあの恐ろしい笑みを振り払うことはできなかった。だからこの家を密かに探ってみたのです」

「食事の後片付けをかって出たのはそのためか?」

「ええ。思ったような痕跡を見つけることはできなかったわけですが」

「いつになく甲斐甲斐しいじゃないか」

「わたしの行動はいつだって主様を考えてのこと。それが従者の努めというものでしょう」

 従者は主人を平然とからかったりしないものだが、今はそれより大事なことがあるから茶々を入れずに続きを促した。

「この部屋を見て一つだけ分かったことがあります。珠世さんは何かをこの家から消し去ったんです。それが何かまでは分かりませんが」

 彼女のことをよく知るわたしならば分かるはずでは、と訊ねるような典の視線だが期待には応えられなかった。

「あの恐ろしい笑みがわたしの見間違えでないとすれば珠世さんは何かを隠していますし、それは主様が探そうとしているものと無関係ではないはずです」

 典はこの家と何も関係がない。だから思ったことを偏見なく指摘することができる。だが、無関係であるがゆえに彼女の問題を暴き出せずにいる。

 それを見つけるのはわたしの役目なのだ。

「心しておくよ」

 典はこんこんと二度鳴き、布団に入って目を瞑る。管に入ったほうが回復は早いのにわたしの隣で眠ろうとするのは典なりにわたしを慮ってのことなのか。

 わたしは布団に入ると目を閉じることなく天井をじっと見る。かつては木目の数や染みの形まで知っていた家だが、今はわたしも単なる部外者でしかない。

 珠世ばあちゃんは何を知っているのだろうか。それならどうして話そうとしないのか。わたしは天井の木目を数えながらいま一度、彼女がどんな人であったかを思い出そうとした。

 思い出はしばし過去を彷徨い、わたしの愚かさ、未熟さを訪ね歩く。わたしは飯縄山の頂に落ち、神の遣いとまで噂されながらもこの山でただの人の子のように生きた。それを快く思わない輩もいると知っていたが、珠世ばあちゃんはいつだってわたしを庇ってくれた。説教は容赦なく厳しいが、優しい人だった。情が深く、わたしのことを実の子のように想ってくれた。

 わたしを過去から現代に呼び覚ましたのはぎいぎいと夜の闇を縫ってやってくる足音だった。戸が開き、現れた珠世ばあちゃんはその手に縄を持っていた。眠っている隙にわたしを縛ろうというのだろうか。

 わたしは布団から出ると構えもなく、ただ悠然と珠世ばあちゃんの前に立つ。幼い頃に体の使い方を仕込んだからこそ、相対すれば決して勝ち目のないことが分かったはずであり、それでも珠世ばあちゃんは縄をぎゅっとつかみ、わたしに飛びかかろうとしていた。その顔は苦渋に満ち、獲物を狙う喜びなんてものは全く感じ取れなかった。

 では、どうしてわたしを縛ろうとしているのか。そこまで考えてわたしはようやく、この家に陰を落とすものが何かを察することができた。

「亡くしたのは息子か、それとも娘か?」

 その問いに珠世ばあちゃんは観念し、手にしていた縄を地面に落とした。

「娘だ。お前と違って素直な孝行者で、家を出てからもわたしのことを気遣ってくれた。人の身だが戸隠に暮らす鬼の頭領に見初められ、めきめき頭角を現した。つい最近に子を成してね、無事に産まれたらわたしに預けたいと言ってくれた。楽しみにしていたんだよ……」

 珠世ばあちゃんの望みは叶わなかった。おそらくは妖を隠す何者かの手にかかったのだ。

「わたしは雷を見てしまったが、目聡い従者はお前の顔をしっかり見ていた。笑みを浮かべたそうだな。お前の娘の敵をわたしが討つと期待したからか?」

「ああ、そうさ。道場の天狗様と言えば数多の神通力を操ることができる。娘と孫の敵を討てるのではないかと考えてしまった。そんなわたしを浅ましいと思うかい?」

「本当に浅ましいならば食事の席でわたしを止めたりせず、むしろ戦いに駆り立てただろう。縄で縛りあげようとしたのもわたしが危険な目に遭うことを怖れたからだ」

「天狗を名乗ってはいるが、この家にいた頃と性根は変わっていないと分かったからね。才能だけはある癖にちいとも伸ばそうとしない。道場でも厄介者扱いされてるんじゃないのか?」

 珠世ばあちゃんの言う通りだった。いつだって自分のできることばかりで一度も上を目指そうとしなかった。負けるたびに逃げ、誤魔化し、冷笑を貫いた。信用してもらえるはずがない。

「背も力もばあちゃんよりずっと高くなった。それなのにわたしのことを子供扱いして!」

「そりゃあ子供だからね。わたしはもう二度と息子も娘も失いたくないのさ」

 珠世ばあちゃんは縄を拾い、わたしに背を向ける。お前には期待しないと言わんばかりに。

 他の誰に説教されても、ぼろぼろに打ち負かされても、わたしの心は疼くことがなかった。だから本当は誰にも負けたことがないのだと思ってきた。そんなわたしを珠世ばあちゃんは酷く打ちのめした。

 一人なら泣いていただろう。辛うじて堪えることができたのは隣で典が寝たふりをしていたからだ。あれだけ大声で言い合ったから仕方ないのだが、布団からはみ出た耳が興味深くぴくぴくと動いており、激しい感情があっという間に凪いでしまった。

「聞いていただろ。雨が収まり次第、ここを立つ」

「育ての親に愛想を尽かされたからですね」

「そんなところだ」

 典の悪意ある解釈をわたしは敢えて正さなかった。それに彼女を少なからずがっかりさせたことは確かだ。

 幸いにして雨は日が登る前にやんだ。すぐに出立しようと行李を背負おうとしたところで、典は慌てて声をかけてきた。

「そうだ、ここで行李を開けてください」

 典の言われた通りにすると、旅の道具以外にも織物を中心とした高価な舶来品が所狭しと荷詰めされていた。

「こんなものを荷物に入れてどういうつもりだ?」

「この世には天狗の威信が通じないこともある。そんな時が来たら使えば良いと言って主様の上司が持たせてくれました」

 思わず舌打ちしたくなるのを辛うじて堪えた。それから上司の正しさをじっくり噛みしめると、行李の中にある舶来品をいくつか置いていくことにした。恩返しにはまるで足りないが、次の子を育てるための足しにはなるはずだ。

 わたしは鴉だが夜目は利く。むしろ夜のほうがよく見えるまである。わたしが星のように落ちてきたからだろう。音や気配を消す技も心得ている。だから珠世ばあちゃんに気付かれることなく家を抜け出すことができた。

 目指すはかつてわたしが落ちてきた頂のある山岳地帯である。典は昨日のことで懲りたのかさっさと管に入ってしまったし、少し体を動かしたい気分だったから徒歩で目的地まで向かうことにした。

 

 

 旅人を装って野山を抜けること半日、目的の山々までもう少しというところで突如として剣呑な気配が一つ。様子をうかがう暇もなく、そいつは近くの草むらから現れると刀を手に尋常ではない速度で斬り込んで来た。軽く後ろに退くとそいつは地面を強く蹴り、一気に懐まで飛び込んでくる。わたしは刃が振り下ろされる前に上空へ逃れ、相手をじっくり観察する。

 頭の上に獣の耳を生やし、怒りと恫喝に歪んだ口元からは鋭い牙がこぼれている。分厚い筋肉が全身を覆っており、服の上からでもはっきりと見て取れる。刃を構える仕草にぶれはなく、かなりの手練れであることが察せられた。

「いきなりな挨拶だ。これが君たちの流儀かい?」

 不躾な剣士はわたしの問いに答えず剣を下ろす。穏便に済ませてくれるのかと思いきや、地面に転がる小石を器用に蹴飛ばして掌に収めるとわたしめがけて全力で投げつけてきた。かわすのは無理だと瞬時に判断して石を手で受け止めると、わたしはごみでも捨てるように平然と地面に落としてみせた。受け止めた手が痛みと衝撃に痺れて使い物にならなくなったが、もちろんそんな素振りは微塵も見せない。少しでもなめられたら図に乗りそうなやつだったからだ。

「ふむ、かなりの腕前と見た。相手がわたしでなければ通じていただろう」

 切歯扼腕ぶりこそ変わらないが、ぴんと尖っていた耳が垂れ、明らかに気勢の削がれたことが察せられた。牙は折れていないが噛みつくつもりもないと判断して注意深く着陸し、余裕の笑みを浮かべる。こうしたことにはあまり慣れていないのだが、上手く演じるしかなかった。

「わたしは白山の道場より調査に派遣された天狗で、名を飯綱丸龍と言う。お山がいま厳しい状況にあることは把握しているが、入山を許可してもらえないだろうか」

 行李を下ろしてから一礼すると厳しさ一辺倒であった表情がようやく和らぎ、礼を返された。戦い以外は何も知らないというわけでもないらしい。

「ゆえあって最近、この山に住み着くことになった者で名を三峯牙三郎と申します。同族とはつゆ知らず、無礼を働いたことご容赦いただきたい」

「同族……なるほど、白狼の手練れとお見受けするが」

「いえ、わたしなど単なる若輩に過ぎません。かの天狗道場で研鑽を積まれたお方に比べれば未熟も良いところ」

 典が管から出ていたら笑いを堪えきれなかったかもしれない。かくいうわたしも恥じいって顔が赤くなるのをなんとか凌ぎ、堂々とした態度を保つことができた。

「鼻の良いだけが取り柄でして。今回はそれが仇になりましたが」

「仇になった、と言うと?」

「あなたから龍の匂いがしたのです。お山を荒らしているのは龍と聞いていたため、怪しいと思いまして」

「待ち受けて襲ったというわけか」

「新参者であるため少しでも功を立てたいと思っての行動でしたが、小人閑居して不善をなすとは大昔の賢人もよく言ったもの」

「なに、愚行ならわたしもなかなかのものだ。詳細を聞けばさぞかし呆れ果てるに違いない」

 嘘偽りのないことを口にしたわけだが牙三郎なる白狼天狗は謙遜と受け取ったのか尊意にも似た眼差しを向けてくる。良くも悪くも情に厚い性格らしい。

「それよりお山の現状を聞かせてはもらえないだろうか。調査しろとは言われたがここに来たばかりで何も知らないに等しい。あなたのその耳はあらゆることを聞き、その鼻はあらゆるものを嗅ぎつけているのだろう?」

「それほどではないですが愚者なりに見聞き嗅いだことをお話できるとは思います。もう少しで見張りの役目も終わりますし、今夜はわたしの家に泊まって行かれてはどうでしょうか?」

「それはありがたい。野宿には慣れているが得体の知れないものが徘徊する山の中でというのは心細いと思っていたところだ」

 旧縁を頼れば泊めてくれるところもありそうだが、過去の行いを指摘されるのは目に見えている。避けられないことではあるにしても先延ばしできるに越したことはない。

「日が暮れましたらもう一度ここに来てください」

 わたしは快く頷いてから、空いた時間でお山の周辺をもう少しだけ探ってみることにした。得体の知れない何者かの正体を調べるというよりは生まれ育ったこの地がかねてよりどのように変わったかを確かめたかったのだ。

 都から離れれば戦の影響もさしてないだろうと思っていたが、遠目からうかがう町や村の営みからは少なからぬ緊張と不安が澱んでいた。

「ここにはどうにも大乱の兆しがある」

 この辺りに斥候を送っていたのは世が乱れる原因をこの地に見出したからに違いない。ゆえあらば乱を助長し、人の世を削ぐべしというのが道場の方針である。京に天狗を派遣し、大乱の種が花咲かせるように仕込んでいるという話だって聞いているのだから、ここでも同じようなことが行われていると察しておくべきだった。

「わたしはなんだかんだと言い訳しながら、故郷に戻れると浮かれていたに違いない」

 やっていることが急に虚しくなり、木陰を見つけてごろりと寝そべる。日も暮れ始めた頃、偵察に出していた管狐たちが典を先頭として一斉に帰参し、信濃国の現状を具に伝えてくれた。

 やはりこの地には乱の種が植えられていたようだった。そいつはしっかりと根を張り、枝葉を広げ、いずれ大きく花開かせることになるかもしれない。

「平家は敵に温情をかけ過ぎたな」

 かつて戦に勝利したとき、もっと徹底的にやっておけば新たな乱の兆しを招くこともなかった。都にいる連中が戦となる前にことを押さえることができるのか、それとも新たな戦火が勃発するのか。戦となったとき、果たして勝利するのは源平のいずれとなるのか。

「人の世に情けはつきものですよ。それがやがてどんなに悪い結果をもたらすのかが分かっていても。人は善行という毒から逃れることは難しいのです」

 典は喜悦満面の笑みを浮かべる。管狐は主が苦しむことの次に人の愚かさが大好きだからだ。

 だからこそ管狐自身も愚行から逃れることはできないのだが。愚を笑う者こそ次に愚とあざ笑われる。そして管狐たちはそのことを学ぼうとしない。

「すみません。かつて育った地が戦火に包まれるのは流石の主様でも堪えますよね?」

 わたしは典の首根っこをわざと強くつかみ、管の中に強引に押し込んでから蓋をする。その光景を見た他の管狐は黙ってそれぞれの管に入り、わたしはまた一人になる。

「さて、そろそろ約束の時間か」

 この土地の人が何をしようと知ったことではない。

 わたしはもはやこの地に関わりなく、そもそも最初から人ではなかったのだから。