あとがき

初めまして、あるいはお久しぶりです。

早速ですが、これより下は「黄昏の王」のネタバレを含んでおります。まだ未読の方は回れ右をよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この話は主幹となる「聖徳太子と厩戸皇子の別人説」を始めとして、主流とされていない説を寄せ集め、形作られています。そうした説を主流に引き戻すのがラストである人物が語る、これまでの物語を完全に否定するとびきりの嘘であり、しかしその嘘こそわたしたちが歴史で学んだ内容と重なっていくのです。嘘によって綴られ、真を引き出すのもまた嘘である。捻くれものの話が好きなわたしであってなお、非常に捻くれた話の作りになっていると思います。カート・ヴォネガットの作品を引用に選んでいる辺りから察した方もいるかもしれません。

こうした話の構成にしたのは、一つに豊聡耳神子なる人物から非常に胡散臭いものを感じたからです。同じ聖者である白蓮も大概だなと思うのですが、その二つ上辺りを平気で飛び越えていく胡散臭さです。そうしたものを何とか形にしたいという気持ちがまずありました。そしてこちらは割と俗っぽい考えですが、神霊廟の過去話というのは割と開拓されており、新規性を出すには少し凝ったことをする必要があるのかなと考えたからでもあります。あとはこの話を作るに至って多大な影響を受けた「日出処の天子」という作品が史実を基にしながら自由な解釈によって飛鳥時代を描いたものでして、それに倣いたいという気持ちもありました。太子より10年以上も後に生まれたはずの毛人が同年代の男性として出てくるのはこの作品の影響であります。あの時代、生まれと没が割とダイナミックにずれてたりしても問題ないよね、うん……。

ちなみに題名ですが、小川一水の「時砂の王」と、ロジャー・ゼラズニィの「光の王」辺りを意識しています。内容もこの二つに割と倣ったものとなっているはずです。虚史を紡ぐという点では小林恭二の「ゼウスガーデン衰亡史」にも影響を受けているのですが、これ絶版なんだよなあ。角川さん再版お願いします! 他にも影響を受けたものは色々とあるのですが、あまり語り過ぎるのも良くない気がするので、この辺で収めておきます。

では書くこともひとまずは尽きたので最後に謝辞を。

カバーイラストを担当して頂いたキタユキさんへ。表表紙、裏表紙ともにわたしの指定を越える凄まじく、素晴らしいイラストを寄稿して頂きまして本当にありがとうございます。ラフの段階で触発されるものがあり、それは豊里様の奔放さ、皇子の冷厳さに主に反映された気がします。

そして本編、そしてあとがきを最後まで読んでくださった皆様へ。本当にありがとうございました。

次はおそらく夏コミで、受かっていれば記憶を主題にした秘封の長編「蓬莱の社(ほうらいのもり)」を頒布する予定です。受かるといいなあ……。

2014年1月7日
仮面の男

 

 

 

 

 

P.S.

カバー裏にはにゃんにゃん視点の後日談兼蛇足的な掌編「王殺しの街で」が掲載されていますのでこちらもそろりと読んでやってください。