次に気が付くとわたしは車に乗っていて、ぼんやりと窓の外を見ていた。運転しているのはパパではなく、年を取った男の人だった。わたしは徐々に、これから行く場所のことを思い出したけれど、寂しいはずなのにどうしてかパパの顔もママの顔もぼんやりとしか思い出せなかった。これから行くのが寄宿舎つきの学園で少なくとも六年、もしかすると九年もそこにいなければならないということだけ、頭にくっきりとこびりついていたけれど、そこがどんな所なのかをわたしはまるで知らなくて。運転をしている男の人はずっと怖い顔をしていて、話を訊けそうな様子ではなかった。

 学校に着いたのは昼を少し過ぎた頃だった。車から下りると鉄柵の門は内側に大きく開け放たれており、まるでわたしを迎え入れるようだった。そこから遠目に見える建物まで、灰色の煉瓦が敷き詰められた歩道が伸びており、等間隔に緑の鮮やかな木が生えていた。

 赤い建物は正面に大きな時計がついた三階建てで、所々に蔦のような植物が絡みついた、絵に出てきそうな建物だから、今日からここで暮らすのだという実感がまるで湧かない。

 一人で進むのが恐ろしく、運転手についてきて欲しいと頼もうとしたけれど、いつの間にか姿が見えなくなっていた。頼る人が誰もいなくて、わたしは途端に不安になる。もし誰もわたしが入学することを知らなくてここから放り出されたら、と考えるだけで涙が出そうだった。

 少し迷ってから門を潜り、歩道を進んでいく。樹木も建物も、まるで鏡に映したように左右が同じで不思議の国に迷い込んだような気持ちになる。春の学校といえば桜だと思っていたのに、ここには一本も植えられていないようだった。

 ようやく建物の入口まで来ると中から人が出てきて、大きく息をつく。まるで美味しくないものを食べたような顔をしていたが、わたしに気付くと今度は怒り出しそうな硬い表情で忙しなく近づいて来る。

「昨日まではここにいなかった女の子、つまり新入りね」その人は自分で納得して頷くと、わたしの頭を撫でるようにほんの軽く叩く。ママのことを思い出し、わたしは少しだけびっくりしてしまった。「そういう娘か。またぞろ面倒な子をあてがったわね」

 腰まで伸びた黒い髪がすすきのようにさらさら揺れる。険しい目つきはなんとなくママを思い出させるものがあって、わたしは思わず頭を下げてしまった。

「その、迷惑はかけませんから」

「そういうのが面倒なのよ」そう言うと彼女は少しだけ目つきを緩くし、額を指でつついてくる。「わたしは輝夜よ。貴女は?」

 名前を聞かれているのだと気付き、わたしは慌てて「蓮子です。宇佐見、蓮子」と答える。

「レンコか。蓮根ぽい名前ね」

「はい、蓮根の蓮に子供の子で蓮子と書くんです」

 詳しく説明すると、カグヤは大きく息をつく。

「六つの子供に冗談を期待したのが馬鹿だったわ。まあこれでお互いに名前は知れたわけだし。ルームメイトってこともはっきり分かったから良しとしましょう」

「ルームメイト、ですか? じゃあ今日から一緒の部屋で暮らすということに?」

「ふむ、物分かりが悪いわけではないらしいわね。無駄なレスポンスの遅さや卑屈さは、親に虐められた経験からか」

 どうやらカグヤはわたしのことをあれこれ知っているらしい。

「わたしは貴女を殴ったり、脅しつけたりはしないわ。教師も怖い怖い寮管のおばさんも」

 おばさん、に少し棘があったような気がする。カグヤはどうやらその寮管が苦手らしい。

「だからことにつけて距離を置きたがる癖は治しなさい。そういうのを年が近い子は的確に見抜くわ。ただでさえ生徒の数が少ないのだから仲間外れはちょっと悲惨よ。一人が慣れてるなら図書館にこもるのもありだけど」

「わたし、本は好きです」

「だったら暫くは控えて、お友達を捕まえなさいな」

 捕まえるだなんて、まるで人を獣のように言う人だ。

「立ち話はこれくらいにして。園長の部屋はこの建物に入って右……右と左は分かるわよね」

「わたしがいま向いてる方から、ということですか?」

「そこまで分かるなら問題ないか。時計の見方はもちろんのこと、ろくに読み書きも知らずやって来る子も割といるから。そのくせ気位は高くて、軽く叱っただけでも激しく癇癪玉を鳴らしたりするの。面倒だって言ったけどそういうのがないだけ御しやすいのかもね」

 わたしはカグヤのことをよく知らないけれど、苦労の多そうな人だなというのは何となく伝わって来る。

「一階右手の、一番奥。園長室と書かれた札があるから分かるでしょう。じゃあ、わたしはそろそろ行くわ」

 その言い方からして、カグヤは付いて来てくれないらしい。

「同じ部屋になるなら一緒に来てくれればいいのに」

「付き添いくらいいるのでしょう? わたしが付いていっても妙な魂胆があると永琳……園長先生に勘ぐられるだけだし。用事が終わったらまた会いましょう」

 引き止めたかったが、それが叶わぬくらい確固とした歩みでカグヤは去ってしまった。一人になるとわたしは急に不安になり、それでも他に頼るものがなかったから案内された通りに進む。舎内は古めかしい木張りの床で、わたしが思い描いていた学校とはまるで違う。未だにカグヤ以外の誰とも出会えないし、生徒の声も全く聞こえない。やはり付いて来て欲しいと言うべきだったかもしれない。

 園長室の札がかかった部屋を見つけたものの、中に誰もいなかったらと思うと怖く、じっと立っていると背後からコツコツと廊下を歩く音が聞こえてきた。カグヤが戻ってきたのではという期待と、もしかしたら得体の知れない怖いものかもしれないという不安が相まって、わたしはいよいよぎゅっと目を瞑ってしまった。

「んー、見慣れない奴だな」女の人だとは思うのだが、低くてガラガラとした声だった。ママが怒ったとき出す声と少しだけ似ていて、怖い人が来たのだととうとう覚悟して、せめて顔だけは見てやろうと振り向いた。「なんだ驚いた顔して。わたしの顔に何か付いてるか?」

 顔には普通の目と鼻と口が付いているだけだった。わたしがびっくりしたのは、まるで老人のように真っ白な髪の毛をしているという点だった。

「おばあさんなのかお姉さんなのか、迷ってしまったんです」

 見上げながら言うと、目の前の人はきょとんとした顔をしたのち、カカカと声を立てながら愉快そうに笑うのだった。

「この格好で実は何十年も何百年も生きてるとしたら面白いんだけどな、残念ながらこの髪は生まれつきなんだ。子供の頃は随分と難儀したよ」

「子供なのにおばあさんと間違えられるから?」

「ま、そんなとこだな」目の前の人は笑いをやめると膝を曲げ、わたしと顔の高さを同じにする。パパがそうしてくれたように。「ところであんた、今日からここで暮らすようになったって娘かい? 確か宇佐見蓮子、だっけ?」

「はい、わたしのことです」

「ふむ、すると自己紹介が必要だな。わたしは藤原妹紅といって、寄宿舎の管理を任されている。まあ子供たちのお守り、みたいなものと考えてくれればいい」

 フジワラノモコウと名乗った女の人は、歯を出してにかっと笑う。それだけで不安で堪らなかった心が少しだけ楽になった。

「ときに、見たところ一人だけのようだが、保護者はどうしたんだい?」

「いなくなってしまったの」

「いなくなった? それはつまり、お前を置いてさっさと帰ってしまったということか?」

「ええ、そうだと思います。校舎を夢中で眺めていて、気が付いたら何もなかったんです」

 そう説明するとモコウは顔を赤くして怒ってしまった。

「なんてやつだ。親元から離れて暮らさなければならないというのに、それではまるで……」

 モコウはそこまで口にして、慌てて手で塞ぐ。でもわたしには何が言いたいかよく分かった。少しだけ疑っていたことだから。

 わたしはここに、おそらくはパパからも捨てられたのだ。

 モコウは顔の色が収まらないうちから園長室のドアを乱暴にノックする。どうぞという声と同時にモコウはドアを開けて中に入る。わたしはそうっとその後に続いた。

 中にいたのは灰色のスーツを着た女の人だった。横に細長い眼鏡をかけており、髪の毛は輝くような銀色。先にモコウを見ていなければもう少し驚いていただろう。

 その人はモコウにうんざりといった顔を向ける。

「また輝夜が何かやらかしたのですか?」

「あいつのことも改めて話したいが今は違う。迷子の子猫ちゃんを連れて来たんだ」

 わたしは迷子の小動物らしく少しだけ前に出る。それで眼鏡の人はわたしをじっと見て、すぐに笑顔を浮かべた。ママがわたし以外の人もいるとき浮かべる笑顔に似ていたので少しだけ身構えたけれど。

「宇佐見蓮子さんね」女の人はわたしの名前を呼んでから背後をちらと見る。「お父上の代理の方が付き添われると聞いていましたが」

「この子を置いてさっさと帰ってしまったんだ」

「ああ、そういうことですね」モコウと違い、こちらの女の人は全く慌てた様子がなかった。似たようなことが以前にもあったのかもしれない。「誰もが好き好んで世界の果てまで行きたいわけではない。用が済んだらすぐに帰りたくなるのもまあ、分からないではありません」

「そういう問題じゃないだろう。大人が責任を放棄して、子供を一人きりにしたんだ」

「子供を放棄したがる親がいるからこそ、ここは成り立っている。あなたも子供たちの世話をして安穏と生きていられる」

 モコウが俯いてしまうと、女の人は改めてわたしをじっと見る。

「わたしはこの月華学園の園長を務める八意永琳です。貴女を歓迎しますわ」

 歓迎するという言葉よりも子供を放棄する親という言い方のほうが気になったけど、訊くことはしなかった。その意味をきちんと答えてくれそうだから、何が事実でも慰めてくれない人のようだから。

「迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いします」

 大きく頭を下げると、エイリンは少しだけ機嫌悪そうに口元を歪める。

「貴女は良い子みたいだし、辛いことがあっただけでわめいたりしない。頭の回転も早い」

 恥ずかしいほどに褒められたけれど、エイリンの表情はあまり芳しくなかった。

「でも子供の癖に良い子過ぎるところはあるかしら。もう少し我侭を言っても許されると思うわ。それでぶったり怒鳴ったりする大人はここにはいないから」

 ごほんとモコウが咳をする。どうやら彼女はそういう叱り方をするタイプらしい。けどママと違い、怖いとは思わなかった。

「ご両親にはことの次第を伝えておきます。それでは宇佐見蓮子さん」改めて名前を呼ばれ、わたしは少しだけ背筋を伸ばす。「良き学園生活があらんことを」

 わたしはどうやら、ここの一員として正式に迎えられたようだった。

 

「この学園は主に二つの建物で成り立っている」元来た道を戻りながら、モコウはせかせかと話を始める。エイリンとの会話でそうではないかと思っていたが、良い人だけど少し短気なところがあるらしかった。「わたしたちのいるのが本棟、そして正門の位置からは見えなかっただろうが奥の方に寄宿棟がある。昔は奥の建物だけで賄っていたそうだが、一時期生徒が増えた影響で建て増しされたらしい。今はその大半が使われていないがね」

「昔はもっと生徒がいたんですか?」

「ここは色々と便利だからな。面倒な子供を合法的に捨……隔離することができる」

「わたし、隔離って言葉の意味を知っています」モコウは苦々しく顔を歪める。「先程の、園長先生と妹紅さんの会話も大体は理解してます」

「油断ならない奴だな……いや、本当にそうなら打ち明けないで黙っているか」モコウは足を止めると小さく頭を下げる。「子供だからと侮っていたらしい。とはいっても、馬鹿にしていたわけじゃないんだ」

「大人の話し方はいちいち難しいですよね。わたし、ママやパパの気持ちを知りたいって思うことがあったから、それで勉強したんです」

「そうか……それで、大人たちに失望したかね?」

「分かりません。ただ、ママもパパもわたしのことを本当にいなくなって欲しいんだと考えていることは分かりました。パパはわたしをまだ好きなのかもしれないけど、ママのほうがずっと好きだから、わたしをここにやるしかなかった」少し迷ってから、わたしは口にできなかった思いを吐き出す。「わたしはいてはならない子供だから」

 途端にしゃっくりが出て、目が少しだけ熱くなる。考えていた以上に辛かったのかもしれないし、言葉にしたせいかもしれない。胸が締め付けられるようで、我慢したけれど少しだけ涙が零れた。

「ここでは我慢しなくても良いよ。そんな気持ち、溜めておくだけ無駄だ。一気に吐き出して、別のものを詰め込んだほうがいい。ここはそのための場所でもある」

 このままモコウにしがみついてえんえんと泣いてしまいたかった。だけど「あっ、妹紅ったらまた子供を泣かしてる!」という騒々しい声が一気にかき消してしまった。先程校舎の前で会った少女=カグヤは素早くこちらに近付くと、モコウにあかんべをしてからわたしの手を取るのだった。

「おこりんぼは放っておいて、わたしが色々と案内してあげるわ」先程そそくさと立ち去ってしまったはずなのだが、モコウが気に入らないのか、あるいは最初から園長への挨拶が終わるのを待っていたのかもしれない。「ということでよろしいかしら?」

 カグヤがモコウに意地悪な笑みを向けると、モコウは蠅でも払うように手を振る。

「子供同士のほうが気心も知れるし、お前なら任せても大丈夫だろう。こっちは他にも色々とやることもあるし」

「例えば慧音先生と逢い引きするとか?」

「食べ盛りの子供たちの世話、風呂の準備、棟の掃除、手紙や荷物の選別などなどだ。楽に見えるなら一つくらいはやってみて欲しいものだね」

 そう言われ、カグヤは悔しそうにモコウを睨みつけるだけだった。

「責任を取らないということはないが、妙な企てに巻き込んだりするなよ」

「きちんと認められた倶楽部なんだけどね。では蓮子、行きましょうか」

 どちらに付いていこうか迷ったけれど、カグヤはそんなわたしの手をしっかりとつかむ。わたしは引きずられるようにして、後に付いていった。

 

 校舎の裏手には更に奥へと続く並木道があり、少しすると鉄柵で周りを囲まれた建物が見えてくる。鐘楼の備え付けられた赤煉瓦造りの二階建てであり、定期的に手入れをしている様子はあるけれどそれでもぼろぼろで、所々が黒ずんでいて、校舎以上に古めかしかった。

「そろそろ建て直さなければならないし、最近も床が腐って抜けたばかりだけど」それはあまり良くないと思うのだが、カグヤは特に気にする様子もなく逆に微笑んで見せるのだった。「わたしはこの建物が好きよ。雰囲気あるじゃない。きっと幽霊の一人や二人は住んでいるに違いないわ」

「そんなものが出るんですか?」病院にいた頃、幽霊が出るという話を聞かされたことがあるけれど、わたしは一度も見ることがなかった。霊感なるものがあれば見られるらしいのだが、わたしの眼はそれを映してはくれなかった。「もしかして、幽霊を見たことがあります?」

「残念ながら、これまではないけれど」

 これまでという言い方が引っかかり、カグヤがいま何年生なのかが気になった。

「輝夜さんは、ここに来てから何年経つんですか?」

 訊ねるとカグヤは堂々と「今年で七年目だけど、それが何か?」と答える。それだけ見ていないならば幽霊はいないのではないだろうか。わたしならばそう考えるのだけど、カグヤは自信満々な表情を浮かべる。

「まだ三年あるから、きっと見つけてみせるわ」

 カグヤはわたしと違い、前向きに物事を考える性格らしかった。何かと後ろ向きなわたしとしては、見習わなければならないのかもしれない。

「それに、もしわたしが見つけられなかったとしても、後を継ぐ者が見つけ出してくれるかもしれない」

 あるいはそんなものがいないとはっきり分かってしまうかもしれない。

「幽霊なんていないと皆は言うけれど、いたほうが面白いじゃない!」

 どうして幽霊がいると世の中が面白いのか、わたしにはよく分からなかった。でも、カグヤのきらきらとした表情を見ていると本当にそうなのかもしれない。どう反応して良いか迷っていると、カグヤはわたしの頬を手に挟んでぐいと上に引っ張る。

「楽しそうな顔してるということは、蓮子もそう思うのね?」

 面白い顔にしているのはカグヤだが、わたしには抵抗することができなかった。

「そういう貴女にうってつけの活動があるわ。今日はまだフルメンバーじゃないけど、揃ったら紹介してあげるから」

 どうやらわたしは、カグヤの言う活動とやらに一度は参加しなければいけないようだった。とはいえ他にあてもなかったし、気にはなった。

「よし決定。では改めて、寄宿舎の中を案内してあげる。ついてらっしゃい」

 そうしてわたしは鉄柵の門を抜け、古びた建物に足を踏み入れる。廊下には雑誌の束だったり、工事現場に置いてある黄色と黒の縞ロープやコーンだったりと、とにかく雑多なものが転がっていた。床は歩くたびにぎしぎしと音を立てるし、埃っぽくて、こんな所に住んで大丈夫かなと不安になるくらいだった。

「どこだって住めば都だし、本当に案外、気にならないものよ。もっと堂々と文句を言った子供もいるけど、半年もすれば元気に駆け回るようになったわ」

 カグヤはふんと鼻を鳴らし、薄く笑みを浮かべる。

「ここに来る子たちはね、親や家族と一緒に広いお屋敷や豪華なマンションに住んでいたって苦しいことばかりなの。贅沢はさせてもらっても、すぐにここのほうがましって分かるの。貴女は頭が良いからもっと早く気付くわ」

 そうであれば良いなと思いながら、わたしはカグヤの話に続けて耳を傾ける。

「入って左手すぐが洗面所と浴室、ここには乾燥機つきの洗濯機も置いてあるから、洗いものは自分で世話するのよ。まあボタンを押すだけだから手軽で簡単だけど。右手の一番手前が食堂で、大雑把な料理が一日に三度出てくるわ。お残しすると叱られるから、嫌いなものが出ても覚悟して食べることね」

 わたしは幸い好き嫌いはあまりないのだが、ここで苦労した子もいるのだろう。

「トイレは各階の左手奥と右手奥に一つずつ。正面の階段を上がって二階が学生たちの住む部屋になってるわ。二人一部屋が原則で、上級生が下級生をカバーする形ね。わたしは昨日まで一人だったけど、ようやく貴女を捕まえたってわけ」

 意味深に腕をつかむから少し恐ろしかったのだが、不安そうにしているとカグヤは可笑しそうに声を立てる。どうやらからかわれたようだと分かって抗議しようとしたが、カグヤはそのままわたしの手を取って階段を上る。カグヤの部屋は二階右手の一番奥で、部屋の半分は大きな二段ベッドと勉強机が二つ、箪笥とクロゼットで占められていた。

「箪笥は下二段を自由に使って良いわ。私物はどうしてもわたしに見られたくないものがあれば、机の一番上の棚は鍵がかかるようになってるからそこに隠して頂戴。それ以外のプライバシーはここではあまりないと思ってくれて良いわ。わたしは詮索屋ではないけれど、偶々見てしまうということはあるものよ」

 また怖いことを言う人だと思った。

「机はあるけれど、勉強するなら図書室のほうが良いと思うわ。ここは色々と騒がしいから」

 わたしは一人っ娘だったし、保育園や幼稚園に通うことがなかったから子供が沢山いる騒がしさをあまり知らなかった。病院でメリベルとお話をした時も、笑い声は立てたけれど、どちらも遠慮してなるべく静かにしていたのだ。

「歯磨きと洗顔は各階の流し台で、食事は原則として決まった時間にしか出ないけど、事前に話をつけておけば温め直してくれるわ。風呂場も使える時間は限られているから気をつけて。保健の先生は一応いるけど、まあちょっとした怪我や普通の病気ならば妹紅に診てもらえば良いわ。重そうならば保健の先生を訪ねなさい。といってもそれは園長先生のことなんだけど」

「あの人がそんなことまでやるんですか?」

「他に適任者がいないからしょうがないのよね。もっと人を雇うべきだと思うんだけどなあ。妹紅は別にどうなってもいいけど慧音先生なんて小さな子の世話を一手に引き受けてるし。こんな所に来なくても引く手数多のはずなのに難儀なこと」

 子供がそうであるように、大人もまた訳があってここにいるらしい。ここはそうした人ばかりが集まってできている場所なのかもしれなかった。

「つまりその慧音先生には、できるだけ迷惑をかけない方が良いんですね」

「そうなんだけど世話焼きなのよね。それに根っからの子供好きだから。世の中には自分から苦労を背負いたいと考える人もいるのよ。困ったことよね」

 カグヤは眉をへの字に曲げる。何でも思い通りにできそうな彼女でさえどうにもならないことが、ここには少なくとも一つはあるようだった。

 

 

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