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2002年8月の活動報告


過去の活動記録一覧


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八月三十一日 はれ

よく雑記系で見るアンカって、こういう風なマークアップの方法で良いのだろうか? ちょっと実験実験。

* アンカのテスト1(Webサイトの外国人に対する注意書きの考察)

今日は感想室の宗教的改革に(しつこい 予想通り、定義リスト使えば簡単に綺麗に整理できました。しかし、私は何故それを最初からやらなかったのか――。後は、幾つかトップの記述を変えました。日記というのは正しくないので活動記録(と言っても、どんな活動をしているのかと問われれば電波的としか答えようがないのだが)に直したり、英語で書いてある注意文[Sorry, this homepage is Japanese only.]がかなり誤ったものだと知ったので修正。別に日本語以外でサイト構築していないのを申し訳ないとは思ってないし、思う必要はないと考えているのでSorryの一語を削除。後は[日本語だけ]という書き方じゃなくて[日本語で書かれて多言語のものはない]と、もう少しソフトに記述しておく。まあ、そんなことより何よりhomepageの一単語が何より致命的な間違いだったのですが(大汗 で、色々と直して出来る限り詳しく記述した結果 [All resouces of this site is mainly written by Japanese and the others is not.]で落ち着けることに。 『このサイトの全てのリソースは主として日本語で記述されており、多言語のものはない』 これなら角も立たないし、多分意味的にも正しい筈。

* アンカのテスト2(1000kcalを下す栄養摂取状況について)

最近、食欲が恒常的に減衰してきたような気がします。朝は珈琲を一杯、ずっとモニタを見てる作業なので、脳に対する栄養価(ブドウ糖ね)の要求だけが異常に高くて菓子パン1個と牛乳、夜は炒め飯と炒め蕎麦とお好み焼きとラーメンのエンドレス・ワルツ。たまに摂取量が1000kcalいってない時があります。結果、健康診断の時、痩せたねじゃなくて『やつれたね』と言われました(泣 57.2KG→53.9KGということは3KGくらい痩せてるんですが、問題は別段にダイエットをしている訳ではないということ。日々の生活を営むだけで体重が減っていくのは、人間の尊厳的に少し拙いのかなと、怯えているところです。それとも喰うくらいならより本にという生活がいけないのかもしれませんが。あ、もしかしたら食べる分のお金を本に使うよう心掛ければ、ダイエットに繋がるのかも(多分、生活破綻者が一人増えるだけだろうが)

今日は例の解決編をUPしました。と言っても、表の解決編だけですが。取り合えず、メールが直ぐには届かない可能性も考え、差分を取って2002/09/01 01:00:00で公開としておきます。にしても今回は、殆ど誰も答えをくれなかったなあ。所詮、素人のやってることですから複雑なプロットなんて書いてないし、書かないように心掛けたのですが――難しかったでしょうか? 少々、ミスディレクションが多かったかもしれませんが。ちなみに正解者(犯人をその理由まで含めて当てた人)は3名でしたが――動機まで含めて当ててくれた名探偵さんはいませんでした。しかも、表の動機すらです。裏の動機についても幾つか伏線を張ったのですが、かする人すらいなかったので、やっぱ情報の出し方に問題があるのかもしれなかったです。

後は『世紀末の詩』が貸出中だったので、代わりに『NIGHT HEAD 劇場版』をレンタル(笑 一部的にある種の女性を狂乱させそうな兄弟愛と、超能力者の哀切と苦悩を描いたSFのかなり有名な作品らしい――ということは以前に述べたと思いますが、まだ劇場版は未見だったのでこの機会に観ることに。今日は暇がなかったので、明日見ることにしませう。

で、一昨日から引っ張ってるネタですが。飲み会で私は上長に 『お前は人間嫌いではないかもしれないが、他の人間と仲良くすることを面倒臭いと思ってるだろ』 と指摘され、うわ当たってるなあと(汗 基本的に他人と合わせるのが苦手なところがあるのは、あるのでしょうな。仕事で妥協したらガチンコ言い合うのは金貰ってる立場からすれば全く構わないのですが、私生活は自分の趣味を優先させたい。はっきり言うと、本です。本(できればギャルゲの話もできるともっとありがたいのですが)で語り合えるなら兎も角、そうじゃない人と自分は合わないだろうと思い込んでる節があります。のですが、自分の趣味だけ押し付けて、他人の趣味を知ろうとしなければ、真の意味で相手と苦楽を分かち合う気なんて起きないのかなあと、諭されてかなり反省してるところ。要は救い難い独り善がりってことなんでしょうが――自分だけでなく相手のことをすくい取れる人間になれなければ、なんないのかなー将来。でも、お酒を飲めなきゃ社会人としてやってけないというのはやっぱ、構造の方が根本的に間違ってる気もするのです。じゃあ、体質的にどうしても受け付けない人間は他の素養を全く無視されて会社員に向かないっていうレッテル張りは、差別だって思うのですが訴えても駄目なんだろうな(泣 全く、酒も煙草も身体に悪いというに何故、酒は飲めないといけないんだ――不条理だ。

* アンカのテスト3(今月読んだ本リスト)

月末恒例、今月の読了本リストです。

今月はなんと言っても『黄金の羅針盤』から続く『ライラの冒険シリーズ』3部作が秀逸の出来でした。しかし、何を言ったってライト系でないってだけで逆差別してこういうのを除外してる人がいるんだろうなあ――なんて勿体無いと思いますけどね。


八月三十日 はれ
『あたしたちは、この世の人生より天国が重要だなんて思って生きちゃいけないの。あたしたちがいまいるところが、いちばん重要な場所だから』
(BY THE AMBER SPYGLASS)

今日はトップページの宗教的改革に没頭してました(笑 と言えば訳が分かりませんが、要は色々なCSS系のサイトを回っていて、色や思想などを取り入れたい部分があった為、ちょこちょこといじったというわけです。お陰で、ちょっぴりだけデザイン的にマシなサイトになりました。まだ、満足というレヴェルには到底達し得ないのですが。取り合えず、年末くらいまでにはTABLEタグを使わないもっとシンプルな作りに変えたいと思っています。このシンプルというのが割と難しいのですが、本なり勧告書を読むなりしてぼちぼちと。ちなみに今回はPersonnelというサイトを参考にしました。しかし、TABLEも使わずにどうやってこのデザイン(但しNN4.78系では至ってシンプルで、しかし読み易い形式を持っており、その辺りも吃驚)を構築してるのか、まだ完全に把握できないのが、悔しいというかなんと言うか。あと、同じくCSSを有効に使って格好良いサイトを構築しているところを発見したので、こちらも一つだけ参考資料とさせて頂きました。娘娘飯店しるきぃうぇぶという同人サークルのサイトなのですが、はうーーという感じ。私も何れは、御二方のようにシンプルさを保った格好良さを追求したサイトを作りたいものだ。せめて、私に1%の霊感があることを期待しましょう(お もし、それが成った時にはサイト名を『華麗なる仮面劇場』に昇格しませう(大嘘

現在は『百年の孤独』を200ページほど読んだところで一端『ハリーポッターと賢者の石』にシフトしました。これは前者に飽きたからという訳ではなく『ライラの冒険シリーズ』と対比しての書評を沢山見かけたから、そういう意味で一度は読んでおかなきゃという意思が働いたからです。母も妹も映画を見て、散々押してたことだし、何より近年一番の有名作ですし(←この男は捻くれものの癖して尚且つ、かなりのミーハと思われる)ね。しかしライラの冒険シリーズって映画化が決まってたんですねえ、色々なサイトの書評を漁っていて初めて知ったのですが、2003年末から2004年初頭が有力らしく。となると、丁度『ロード・オブ・ザ・リング』の第三部『王の帰還』と重なる時期かあ――とても素晴らしいことですね。先ずは、鎧を着けたクマをどう表現するか辺り、凄く楽しみです。

ちなみに上記引用は第三部『琥珀の望遠鏡』より主人公ライラの一言。こういうことをさらっと言える人間ってのはどんなにちっこくても、やっぱ格好良いですね。天国を求めるのではなく、この世でただ一度の生を生き抜く勇気、なかなか人には持ち得ぬものですから。

昨日、言及していた件については今日の宗教的改革で潰れたので明日に回します。

明日は『世紀末の詩』の3巻と4巻を借りて観ようと思います。

例の奴の解答は1日を切ったのですが、2通しか来てない状態です。要は、ギリギリになるまで考えても分からないほど、私の作った問題は不条理で駄目だということか。うーむ、もうちっと難易度の調整が必要なのかなあ――。


八月二十九日 はれ

今日は(まだ1ヶ月以上も先なのですが)転勤者の為の送別会がありました。会社はよっぽど、私を早く追い出してしまいたいと見える(お

それはまあ冗談(と信じたい)として、その中で至極真面目なことと、至極不真面目なことについてそれぞれ、深く心に残ることがありました。真面目な方の話題ですは、何故に私がいつも孤独感に苛まれ、親しみすら持たれず、面白みもくそもない人間なのかを示唆されているようで、ああ上の人間ってのは先んじて生きている以上のものを見続けてきているのだなと思わず感心したことについてでした。こっちの方はまだ上手くまとめられないので明日に回すとして、もう一つの不真面目な方の件について。2次会はカラオケだったのですが

『忍風戦隊ハリケンジャー』の主題歌でしこたま励まされ『仮面ライダーアギト』の主題歌で儚くも見送られるという二段仕立ての洗礼を受けました(滝汗

――嗚呼、斯くも凄まじき世界よ(お

あと、先日言い逃した話題。最近、私事と仕事の両方の影響で、何気にCSS周りを凝る愉しみを知ったのですが、その互換性や思想性においてどのような使い方をするのが最善なのか、幾つかのサイトを回って確かめたところ、こういう争いは大抵、2つの宗派が相憎みあっていることが多いという状況を再確認しました。1つは標準仕様に準拠し、多少の配慮は許しても基本的には規格に忠実で、そして厳格であろうという人たち。そしてもう1つは、HTMLなんてソースまで見られることは滅多にないし、表示されるならそのサポートされるどの方法を用いても良い筈だ、逆にたった1つのものに固執する人間は宗教的ですらあるという人たちです。私はどちらに肩入れするということでもなし、まあ表示されちまったものは仕方ないという軟弱なスタイルで目に映るものは基本的に(と言っても、HTMLと呼ぶことさえおこがましい書き方には顔をしかめることも稀にあったりしますが)全受容というのが私の位置です。それが精神的に楽なような気がします。こういうものの思想性をガチンコで語るには、私は余りにも知識の足りないですから。

ただ、以前のものを修正する気力はないとして、ここ最近は推奨されないタグがばっさり切られる可能性も考えて、それに抵触しない書き方を心掛けてはいます。しかし、CSSは規則に従って書かれたHTMLに適用して初めてデザインを適切に設定できるものなので、故に今でも暇を見てはちょくちょくHTMLやCSSの勉強をして、未だ学習中という状況です。基本的に理数系と同じく情報系の知識も専門としてきた割には恐ろしく浅いのですが、こういうものの発展史にはただならぬ情熱を傾けているので、どういう経緯を通してHTML文書の記述規則が整理発展されて来たのかは、勉強の副産物として非常に楽しめるものであるのも事実であり。きっとこういう流れをブラウザの変遷とかと絡めれば、上手いノン・フィクション作家なら1個の物語がかけたりするのでしょう。そういうのが出たら、或いは既に出ているのなら、是非とも見てみたいものです。まあ、会社で開発の場合は工数等の関係で、全てが適切な規則に基づいてなんて言ってられる筈もなく、描画されれば良いやの精神でいかなきゃやってられないのですが。理想と現実って大きな壁がありますねー。それに金さえ出せば、PDFやFLASHにも逃げられるし(笑 逆説的に言うと個人もちのサイトは金を余分に使いたくないから、深い造詣がありさえすれば金のかからないHTMLとCSSの組合せを用いているだけのこと。私のHTMLに関する思想なんて、こんな俗っぽいものの塊にしか過ぎません。

金銭により思想を割と簡単に変える怠惰な人間、それが今の私さ(お

 

話は変わり、書き損じた話題その2。私の顔の一部が壊れかけているので先週、渋谷のZoffというお店で視力の再測定と眼鏡の新調をやって貰うことにしました。まあ、会社の測定の時で度が進んでいるのは既に確認済みなので、後はそれの再確認だけのつもりで視力検査を受けたのですが、全てが終わった後の店員さんの説明を聞いてちょっとショックを受けるようなことを言われ。

えっと、度が左右それぞれ1個、それと軽く乱視の症状が出ているので2つほど乱視の度も入れておきましたよ。

ゑっ?

どうやら私、何時の間にか乱視持ちさんになってたみたいです(泣 ちなみに私、度が凄まじく酷いのかレンズの太さが洒落にならないらしく。薄型レンズにすることを推奨され、出来上がりに3日かかると爽やかな笑顔で言われてしまいました。

結論:来週もまた渋谷出没決定。


八月二十八日 はれ

『ライラの冒険シリーズ』の総括的感想を書こうとしているのだが、あの作品の良さを深く描写する言葉が思い浮かばない(泣 えと、言葉にできない程に良かったというありきたりだけど最大限の賛辞だけで見逃して貰えないでしょうか? 兎に角、まだ熱狂しててロクな感想が書けそうにないのでここは保留差し止めにします。取り合えず、先日は少し弱音を吐きましたが、うちも『まいじゃー推進委員会』くらい、本当に惚れこんだ作品は熱烈に応援していこうかなと思いました。ということでうちは今日から正式に非公式にこっそりと『ライラの冒険シリーズ』を応援するサイトです(笑

『百年の孤独』は150ページほど読みました。まだ半分行ってませんが、非常に濃い内容でなかなか肌には合う感じ。例によって激烈に読み難いですが。

今週末は思うところあって『ウインドトーカーズ』という映画を観に行こうかなと思ってます、暇があれば。これは、私が以前に読んだ『暗号解読』(サイモン・シン著:新潮社)という本の中に乗っていた『ナヴァホ暗号兵士』というものに焦点を当てた話らしいのです。それがどういう存在だったかと言えば名前の通り、太平洋戦争で米国が用いた暗号の最も重要な核を成すもの。してその概要といえば、言葉にしてしまうとひどく単純で古めかしいものに思えますが、要は日本兵にその存在や形体すら知られていない言語を暗号に使えば、そもそも解読できないのではというアイデアから来ています。その為、米国はナヴァホ人という先住民族に注目し、彼らを兵士として、または暗号解読員として戦争の一端を担わせたのでした。ここで、幾人かの人は疑問に思ったことでしょう。日本はその所有する最先端の暗号を米国に次々と崩されていったのに、日本がそんな単純な方式の暗号を解けなかった筈がないと。しかし、米国は『ナヴァホ暗号兵士』を巧みに運用し、その戦争政策上の機密を日本に知られることなく、故に情報戦を制し、更には決定的な勝利すら手にしたのは、史実が証明するとおり。日本はその暗号を破ることが、とうとう叶わなかったのです。

それが一体何故かと言えば、答えは一つ。『鍵がなかった』からに他成りません。その形体すらも分からない言語は所謂、未解読古代文字の多くが示すよう、解読はほぼ不可能に近いものです。幾つもの直観や推察のみからその全てが解読された『線文字B(古代ギリシアやクレタ島に存在したとされる古代文字の一つで、この線文字Bの解読が古代ギリシア文化の解明に多大なる貢献をした)』のような例外もありますが、それでもその解読には60年の歳月と幾人もの天才的人物を必要としました。鍵も持たず暗号を解くというのはそれほど難しいものなのです。現在でこそPCの並列化手法によって劇的な暗号解読の高速化が成され(と言っても、現在の処理速度ではRSAや楕円曲線暗号といった公開鍵暗号法の多くに未だ太刀打ちすることすらできませんが)ましたが、当時はそんな技術など欧米の限られた施設にしかなく、鍵の予測もつかない暗号を日本は解読できません。その唯一の可能性は鍵となる『ナヴァホ暗号兵士』の拿捕にあるのですが――話の粗筋から察するに『ウインドトーカーズ』という映画はその辺の背景を描いた作品であるらしく、もしかしたら暗号兵士の実態も丁寧に描かれてるのかなという期待を持っています。私にとっては戦争部分よりそっちの方が見所だったりするのです。まあ米国製ですからメインは戦争って気もしますが、それはそれで。

ちなみに[世界の文字]というサイトによれば『線文字B』ってUNICODEの将来拡張対象になってるとか(汗 誰がそんなにコアな言語を、学術研究者以外で使うのか謎で仕方ありませんが、UNICODEの割り当て領域って余ってて余っててしょうがないんでしょうか? 私はその辺、全く詳しくないので、詳しい方がいればそっと教えて頂けるとありがたいです。ちなみに『ルーン文字』も将来拡張時に掲載を許された言語となっているらしく。かつてワープロは幾つかの難解な文字を復活させる要因となりましたが、UNICODEは失われつつある言語形体を復活させる要因となるのか――なんてお馬鹿な考え事をしてしまった今日この頃。

で、上記のような話題を振っておいてナニですが、今日始めてNT5.1がXPの別称だということを知りました。知ってなくてもどうでも良いことだけ知ってるのに、肝心なことだけすぱんと抜けてる自分の混乱風味な頭の構造が憎い――というか、もっと適切に重要な情報を正しく得る練習をしなければならんなと、切に感じました。

この世で一番、頭の構造改革の必要がある人間、それが今の私さ(お


八月二十七日 はれ

脳の中で黄金虫が二匹、かさこそかさこそ言ってるので記録を残す気がありません。さやうなら。等というのは冗談ですが『百年の孤独』が重た過ぎて、脳味噌一杯一杯状態なのです。私、生まれてこの方、ウンベルト・エーコ氏の『薔薇の名前』を越える難読性には出会うことはないだろうと思っていたのですが――世には上がいるのだという、余り認識したくない認識をせざるを得ませんでした。

今日は、更新したのが2年近くも前というのに(それとは別に啓蒙活動は繰り返してきたつもりなのですが)御神楽系のサイトからリンクの申し出がありました。一応、フローチャートは今でも使える完璧なものを残しているし、不完全ながらもクリア後感想などがあるのですが――このサイトは当初の目的から外れてここまで軟派なサイトに成り下がっているのが、心苦しいです。その手のゲームに慣れていない方にはきっと、さぞかし近寄り難い場所になってるに違いありません。誰か、こんな私を少しだけ許して下さい。できればダストに、それを願いたいものです。

あとは夏のドラマスペシャル『明智小五郎対怪人二十面相』を見ました。私は江戸川乱歩の作品を『孤島の鬼』しか見たことがないのですが、なかなか魅力的なシーンがてんこもりで面白かったです。少なくとも先月の3日にやっていた『かまいたちの夜』よりかは数10倍面白かったと思います。トリックあり、活劇あり、危機一髪あり、どんでん返しあり、最後にほろりとさせられる結末ありと、なかなか良いものでした。警察も程よく間抜けで探偵と怪人の対比が上手くできてましたし。もし、子供向けの活劇物として敬遠した方がいたなら、ちょと勿体無いかなあという気がしますね。多分近々ビデオやDVDの方も出ると思うので、見逃した方は古き良き時代の探偵小説というものを、是非垣間見て貰いたいものです。前回のこともあり避けようかなと思ったけど、やればできるじゃないか二時間物のミステリィもと、心の中で少し拍手を送りました。


八月二十六日 はれ時々くもり

意思と情報に対する欠落は満たされ、その点では今日をもってようやく心も落ち着き一つの方向を目指す気概が沸いてきました。まあ、八割方はおだてられているのでしょうが、そういう豚の振りをして頑張る方が、精神的にはとても楽ですので、暫くはそれで生きていきます。と思えたのも束の間、その代わりに私は大きな運命の選択を一つ、しなければならなくなりましたとさ。それが何なのかはここで述べると余白が少な過ぎるのですが――まあ、それは一時おいとくこととする。

鞘継さんのサイト『アルジャーノンに花束を』『日本』でドラマ化されるという情報を見てびっくり。で、問題の情報ソースがあるYAHOOのサイトを見てみると――――何時から、あの作品は知能障害者と女教師の恋愛物語になったんでしょうねえ? あの作品は高い知能を得てしまった知能障害者と鼠の交流、そしてそこから滲む苦悩と葛藤の物語だと私は思っているのですが。その葛藤の果てが余りに切ないからこそ、最後の一文を読んだ後、涙を思い切り零したんですが。決して恋愛劇が故に感動できる訳ではなく、恋愛は感動のただの一部の筈なのですが。多分この記事を書いた人は作品を読んでないだけだと信じたいですが、もし監督までこの認識で話作りをしてるんだったら――嗚呼、想像しただけで怖気が走る。このままじゃ、アルジャーノンの相棒なんて称してボルジャーノンなんて名前の鼠を出しかねない(錯乱気味 まあ、私が思ったのはユースケ・サンタマリアには頭が悪い役を演じられても知能障害者と天才の天秤を揺らすような役を演じるのは絶対ッ、無理だということだけ。それどころか、日本の若年俳優にあの痛々しいまでの脆さを表現できる俳優なんていないでしょう。唯一それができるとしたら、私は藤原竜也クンを押しますが。彼は演技の上手さと格好良さを同居させてるという、稀に見る逸材だと思いますので――多分ね。まあ、一話だけ見て詰まんなかったらなかったことにします。ついでに言うと『逮捕しちゃうぞ』には全く興味ないので。

今日から『百年の孤独』(マルシア・ガルケス著:新潮社)を読んでいるのですが、改行少なっ(驚 見開き2ページに二つくらいしか改行がありません。しかも舞城王太郎氏の作品みたいにハイテンションではなく、最初から凄く陰鬱な雰囲気。先程読了した『ライラの冒険シリーズ』は1日で1冊読めましたが、これは1日で50から100ページが限界です。世の中にはこれさえ好んで一気に読み切る人がいるのでしょうが、私には駄目でした。まあ、ひっきりなしに登場人物の相関図を眺めながらでないと追いつけない(この辺りは『五輪の薔薇』にも共通するところがありますので、耐性はついてますが)ので、ゆっくり読んで行きましょう。気詰まった時には漫画だー(唐突に 『不思議な少年』(山下和美作)を2巻まとめて読みました。人に対して皮肉的なのは『天才柳沢教授の生活』と同じなのですが、方向性は全然逆。教授が日々の喜びの中に不思議を探る存在なら、少年は日々の悲しみの中に不思議を探る存在。必然的に冷たく寂しい痛みを伴う物語が多いですが、最後の救いがほんの一欠けらの砂糖のように少しだけ甘くもありました。しかし、やっぱり山下和美という方は凄いなと思うこと。ここまで人間性を克明に描写し、心臓を直接撫でるような優しい痛みを与えてくれる話を描き続けるなんて、並の才能じゃできないことでしょう。だからこそ、氏の作品に強く惚れ込んでいるのですが。

今更ながら今月のガンガンに連載中の『スパイラル―推理の絆―』も読みました。やっぱ悪魔はあのおさげ娘じゃないのか――そして鳴海弟は果てしなく憐れ。こいつ、まどかお姉さん以外にはもてるのに――恋ってままならないものですねー。コミックス派に配慮して、ここまでしか語れませんが、ごにょごにょ。あーでももう畜生、結崎ひよのは可愛いなあ――私はこの娘だったら幾ら苛められても構わないや(お

話は変わって最近、何故か1日平均の訪問者が少し増えてるような気がします。SSの更新は鈍っているのですが人の流れは少し増えたのって何故――もしかして、或いはこの活動記録を見る人がちょっとずつ増えてるのでしょうか? こんな18禁ゲームや萌えの欠片もない、微妙に流行どころを外した話題しかない記録なのに。まあ良い、これで少しは『ライラの冒険シリーズ』が啓蒙され、読んでくれる方が一人でも現れるのなら私は満足なのだから。というか、本当に啓蒙したいならREADMEとか雑記読み物系のランキングサイトに登録すれば良いのでしょう。けど、私が勝手に日記や雑記の分野で真に『師匠と思い崇めている方が二人』いるのですが、そんなものには目もくれず頼らず我が道を突っ走っているので、駄目です。少なくとも、この二人と並ぶか越えるかできない限り、ランキングに登録することすらおこがましいと思ってます。私も何れはこのインパクトを出したいと願ってるのです。

ちなみに師匠と勝手に思っているのは『この方』『この方』の日記やフリートーク。日常は退屈だと思っている方、その認識はもれなく、すぐに覆りますよ――いや本気で。


八月二十五日 はれ時々くもり

『儚い蜃気楼の彼方には、必ず真実の姿があるのです』
(続・御神楽少女探偵団/蜃気楼の一族)

大作を読み切り、例によって虚脱感が沸いたので今日はゲームやDVDを幾つか。で、久々に『続・御神楽少女探偵団』『蜃気楼の一族』まで再プレイしました。しかし『蜃気楼の一族』は、プレイするごとに見逃してた伏線が幾つも見つかるってのは本当に細部まで作ってあるんだなあと、感嘆せざるを得ません。これは今回で6回通しでやってるのですが、結末が分かっていてもやっぱ最後のオチは笑ってしまうところが何ともはや。その前の話『猟奇同盟』の駄目さ加減を見ると質の差が激しいなとは思いますが、優れた話は本当に優れているだけに、アニメとミステリィ両方の要素で避けられ、最終的に花が咲かなかったってのはやっぱ残念な作品かなと思います。でも、このまま埋もれていくには余りに勿体無いという気持ちが昂じて、ミステリィの素養がある人中心に2年半も色々な方に薦めまくって来たほど惚れこんではいるので――せめて何時か何処かで別の花が咲いてくれないかなと、思っている訳です。同じシステムの良質ミステリィADVが出るとか。システム的に結構似ている『逆転裁判』をプレイして(というか私がこのゲームを手に取ったのは、システムが御神楽の推理トリガと似ているからというのが最大の理由でした)半分は溜飲が下がったのですが、もう半分の溜飲はやっぱ、御神楽と同じシステムとそれに匹敵する質量の作品が出るまでは満たされないのでしょう。さて――何時か、出てくれるんでしょうか、そんなゲーム。

あとは『Trick2 超完全版』の第5巻をレンタル。『妖術使いの森編』ですが――最終話だということを鑑みても一番いまいちだなあという印象を改めて受けました。『毛が生える』とか『椎名詰平岩』とか小ネタはいけてるのですが――1の黒門島といいラスト・エピソードが小ネタだけ冴えてて他が何故か弱くなるのは、金田一少年の頃からの堤監督の弱点と思いつつ、映画版に向けての復習を完了。以前尋ねた時にはFlashの動きがてんで駄目だった映画公式サイトですが、そろそろ直ってることを期待して、暇な時にでも尋ねておこうというフラグは立てておきました。

『ライラの冒険シリーズ』の感想は、今日だけではちょっとまとめきれませんでしたので、数日後までにこっそり作成しておきます。特に『イオレク・バーニソン』ラヴという気持ちを沢山込めて(笑


八月二十四日 くもり

『ぼくたちは、こわがりだと思われたくないからという理由で、
正しいことをしないときがある。危険だからというだけで、
まちがったことをしてしまう。正しい判断をするより、
こわがりに思われたくないという気持ちのほうが強いんだ』
(BY THE AMBER SPYGLASS)

昨日に引き続き、結局『琥珀の望遠鏡―THE AMBER SPYGLASS―』を一気に読了。この『ライラの冒険シリーズ』は賞味四日間で全部読み切ったことになるのですが――今年に入ってから恐らく二度目という読書速度を保ったまま駆け抜けて、完全に撃沈されました。マジものに物語の質量が半端じゃないレベルの高さでずば抜けてて、読む手が呪いかかったように止まらんかったという代物ですが、それくらい山場や魅力的シーンが多いこと多いこと。寧ろ、そういうものしか詰まってないと言っても過言ではないくらいに、魅力的な話でした。最後まで読んだ今、以前より確実に言えます。私の予想以上の、クリティカル・ヒットでした(笑

物事の全ての流れを読む器械・真理計『黄金の羅針盤』を読み進め、幾つもの出会いと別れ、困難と苦悩を続けながら旅するライラ。生きるものは神でも、存在するものは空間でも断つことのできる『神秘の短剣』の使い手となったウィル。二人はそれぞれが巧みで魅力的な登場人物達に守られ、或いは命さえ脅かされながら幾つかのことを成す。そして『琥珀の望遠鏡』が世界の一端を解き明かす。これ以上の記述は、詳細になるなりネタバレを含んでくるし、この作品はできるだけ真っ白な知識のままで読むのをお薦めしますので、何も言いませんが――それでももう一回言うのですが、これは絶対、普通の児童文学じゃない。或いは巻末にあったよう『大人の児童文学』と言えるくらいの深みを持った話でした。幾つもの示唆を含んでいて、決して物語を捻じ曲げない冷たさがあって、登場人物一人一人への温かい愛と、波乱に満ちた複雑さと、希望への細い細い線と全部――殆ど全部あります。ただ一つないのは、日本では余り有名になってる節がないので、それを読む読者だけ、ただそれだけだと思います。物語としての面白さが凝縮されていることは、間違いのないことですから。

これは、ファンタジィ好きな全ての方に読んで欲しい作品です。まあ、3冊集めるとなると7000円くらい(正確には7300円(税抜))掛かるのですが、第1巻を読み終える頃には、そんなもの些細だと思えることでしょう、きっと。

余りに語り足りないので、明日辺りにもっと詳細な感想を。ちなみに、上記の一言は『琥珀の望遠鏡』におけるウィルの科白ですが――私が今実際、激しくそういう気持ちなので、嗚呼、難しいことや不条理なことに知恵を絞り続けるのは決して間違いではないのだなと、励まされた気分です。


八月二十三日 くもり

昨日に続けて、第2部『神秘の短剣―THE SUBTLE KNIFE―』を読了。胸がどきどきしながら、数多の感情が体を駆け巡っていく感じが、ああもう堪らないですっ。ここまでで幾つかのことが明かされましたが、まだ肝心なことが幾つか隠されたまま。主人公達に託された使命とは? そして最大の謎は『どちらが正しいのか?』ということ。殆ど全てが『琥珀の望遠鏡』に包まれているのでしょう。

明日は少し出かけるところを巡り――私の顔の一部が限界を訴えているのです――移動中と用事が済んだ後は『琥珀――』を読みましょう。ちょっと予定は変わるんですが、構わない。何よりこれを一気に読了しないと、この荒ぶる魂は静まりそうにありません。

今日も返すべき幾つかのものに返事をしたら、読み始めるとしましょう。幸い明日は休み、心おきなく心の赴くままに――。


八月二十二日 晴

『ライラの冒険シリーズ』の第1部『黄金の羅針盤―NORTHERN LIGHTS/THE GOLDEN CONPASS―』を読了しました。まだ全部読んでないので何も言えませんが、恐ろしく没頭できます。この作品、完全に直観で選んだのですが、先ず間違いなくクリティカル・ヒットです。

では、返すべき幾つかのものに返事をしたら、それから第2部『神秘の短剣』を読みます。多分、土曜日中には第3部『琥珀の望遠鏡』まで読んでいることでしょう――それくらい面白いです。


八月二十一日 晴

何かごたごたしてんのか実際に福岡へ行くのは10月になりそう。事前予告もないし、事後報告も皆無――嗚呼、嗚呼、末端の、末端の斯くも悲しきよ。

今は『黄金の羅針盤』をつらつらと。是れまで第一部、220ページくらいまで読みましたが、ここ数ヶ月の最近で読んだ本の中では桁外れの読書快楽が体を駆け巡っています。読んでてひっきりなしにどきどきする感覚っていうのでしょうか? こういう疾走感のある読書体験は滅多にできるものじゃありません。これ、久々のクリティカル・ヒットになるかも――という訳で、数日は記録が少なめになること決定ということでお願いします。

でもこの作品――ページ数は多いけど児童文学というのは納得です。骨太ですがこう、感じ的に子供向けに書かれたという雰囲気がしましたから。しかし、こういう帰結を予め定めて精緻に記すタイプのファンタジィは日本じゃ余程のことがない限り、流行んないんだろうなあ――というかできないだろうな。何しろファンタジィ系レーベルの主流会派は皆、受けが良かったら初めて続編――というスタイルで統一されてますからね、日本ってところは。それもエンタテインメントとしては正しい形なんでしょうが、やっぱりファンタジィにしても何にしても、幾つかのスタイルに則った例外を除けば最初に帰結を定めた作品の方が良作率は多いですし、美しくて綺麗に決まってる。『Story never ends』ではなく『Story always ends』――おおよそこれが作定の基準であって欲しいですし、大抵は物語のラストにこそ作者の本音は現れるに違いありません。例えば『指輪物語』でトールキンが勝者ではなく、密かに国を去るものにこそ真の重きと憐れみをおいたように。

そういう点ではライト系の隆盛も結構として、それとは別に日本でも帰結をもう少し重要視した大作系のファンタジィがもっともっと出て欲しいです。そして多分、今の大作系ファンタジィ・ブームが、それの現れる一番のチャンスだと思うんですが――何処かの出版社でやってくれないかなあと、密かに願う今日この頃なのでした。

にしてもやっぱいないかあ、ライラの冒険シリーズ既読者――。


八月二十日 曇

さて、前述しておきますが昨日の発言は七割が本気、三割が煽りです。明らかに人の怒りを誘発しそうな発火点を仕掛けて、その冷たい炎に照らされて、太平洋戦争というものに対してより深い、示唆に富んだ議論が交わされることを期待しているのです。と言えば聞こえは良いが、要は『ピューっと吹くジャガー』の2巻と同じですね――戦争というものを綺麗にまとめることが、鼻についただけです。

M市は『マガジンGreat』を大量に入荷してくれる本屋のある良い街です(唐突に ということで『Q.E.D.―証明終了』の最新話『夏休み事件』を読むことができました。基本は私の好きな『学園祭狂騒曲』に似た、ドタバタものコメディでしたが――今回は少しパンチ力が弱いような気がしました。それでも筋は組み立てられてて、ちゃんと一本に繋がってく優れた論理は相変わらずでしたが。あと、前回と今回の絵柄――何か全然違うと思ったのは私だけかなあ――と思ったり。

今日は『氷菓』(米澤穂信著:角川ミステリー文庫)を読了しました。評――もとい、感想的には冷たいミステリィ――ということにしておきましょう。内容的には小ネタ中ネタ織り交ぜて、どれもそれなりに仕立ててありました。これで前半がもっとホームズっぽくなければ、更に評――もとい、好感触だったんですが。私、率直に言ってホームズ、あんまり好きじゃないのでそれなりに。ただ、最近は妙に柔らか過ぎたり中途半端な温度をしているミステリィが多い中、あくまで硬質で冷たい描写を、しかもライト系のレーベルで保っているというのは結構、良い印象でした。この辺りなら『愚者のエンドロール』も、ある程度は期待できそうと、心の中に留めておく。

で、ライト系ノベルを読破して、継ぎ足すようにして買ってきたのが『ライラの冒険三部作』と呼ばれるファンタジィ小説。『黄金の羅針盤―The Golden Conpass―』『神秘の短剣―The Subtle Knife―』『琥珀の望遠鏡―The Amber Spyglass―』(フィリップ・プルマン著:新潮社)と、一気買いしちゃいましたのです。以前『五輪の薔薇』を読み切った時点で暫く大作は読みたくないと震えていたのですが、暫し時間が経ち『空の境界』でリハビリに成功したのか、久しぶりに気が遠くなるような大作が読みたいと一念発起して購入しました。

ちなみに『カーネギー賞』という賞を取った作品らしいのですが、私はその賞が何に贈られるのか知らないので、調べてみました。すると以下の文を発見。『カーネギー賞は、フィクション・ノンフィクションを問わず、イギリスで出版された児童書の中で、もっともすぐれたものに対し年に一度贈られる、権威ある児童文学賞です。 アンドリュー・カーネギー(1835〜1919)の図書館界における業績をたたえ、1937年に創設されました(原文はここからデータベース>文学賞受賞作品リスト>イギリス>カーネギー賞に記されたままです)』とのことでした。ふみゅふみゅ、そんな賞があるのか――。3冊合わせて1600ページ超の作品を児童文学と読んで良いのか私的には甚だ疑問ですが、まあ英国的には良いのでしょう。私にはその辺りの定義のこと、よく分かりません。

さて、今までこういうことを言って一度も反応のあった試しがないのですが――『ライラの冒険シリーズ』を読んだことある人って、どれくらいいるのでしょうか? 私の定期巡回先でうちと同系統のサイトを開いている所では、ミステリィの書評はなくともファンタジィの書評は充実しているところが多いので、一人くらいは読了した方がいて、何気に感想を与えてくれる方がいることを期待します――いや、期待させて(どうやらここの管理人は以前『五輪の薔薇』を語れる人が全く現れなかったことについてまだ相当、落ち込んでいる模様)。週末は、先日に私のお気に入りのKanonSSが完結したので未読の部分をがーっと読んで――兎に角、暫くは憂さ晴らしの為に色々と読みまくる日々を続けようと思います。どうも私の立場は安定性に欠けてしかも非常に適当な様子で、活字の濫読が唯一の憩いです。

ちなみに『証拠死体』は読み難くて何時の間にか放って。『聖書』は何処の本屋に行っても見つかりません――あれはホテルでパチる以外、日本では入手できないんだろうか(笑 私基督教徒じゃないんで分かりません。

あとは先日、とある『紫の薔薇の御方』にせっつかれたので、ちょっとこの場を借りて告知させて下さい。以前も別の場所で書きましたが『吸血鬼の密室』の解答メールを思い切り紛失していることが判明しています(滝涙 そこで申し訳ないですが、俺は、私は、僕は解決編までで真相に辿り着いたって方は、自己申告で構いませんので、もう一度メールを頂けないでしょうか、申し訳ありません。確か6、7人いたと思うのですが――すいません、管理惰弱な管理人を許して下さい。

関連して――あと10日ちょいだというのに、誰からも何も来ません。オンラインでもオフラインでも解答頑張ってみますと事在るごとに言われるのに、成果が一通も届いてない模様。もしかして皆、答える気がないか、そもそも答えに到達できない致命的な誤りがあるのか――どっちにしても反応が全然ないのはやっぱジリジリします。分かんないでも良いから、反応があった方が心理的には楽なんですが――あれだけ作中でヒントを出しても難しい人には難しいのかなあ――?

では、命と微かな暇が在る限り、また明日。


八月十九日 雨時々曇

掲示板の改良、レイアウトをいじくり倒して何とか納得するものができたので、正式公開です。さて、次はアイコンと機能を追々、増やすとしましょう。『世紀末の詩』は3巻と4巻が貸し出し中で続きが見られず――残念。代わりに『GARNET CROW』の新譜『スパイラル』を買って来ました。一瞬、アニメ化される某推理物の――なんて思ったことは君と僕の内緒です(お 一聴した感想は、表題曲がまったり疾走系、カップリング曲の『夕立の庭』が定番のしっとり系という感じで、個人的になかなかツボな構成でした。しかし、このグループの歌はメロディもそうですが、いつもながら歌詞が凄く独特という気がします。『味わい深いハート』なんて言葉、普通の人にはちょっと思いつかないですよねえ(笑 でもやっぱ何処かふわふわしてて、聴いてるとほっとするのです。しかし、この方の曲がマイナっていうのはとても勿体無いなあと思うこと。以前、Keyのシナリオライタの方がGARNET CROWのことを話題に取り上げていて、もしかしてこれで興味を持って聴いてくれる方が増えるのかしらと思ったのですが、その影響で聴いた方っているのでしょうか? 気になるところです。好きになる人はとことんはまれると思うので、一度聴いてみると天国を見られるかもしれません(お さて、与太は置いといて。今日は『キノの旅VI』を読了。相変わらず私好みの、たっぷりな皮肉の混じった秀作が揃っておりました。この方の作品は、やっぱ安心して読めるなあと思うこと頻りです。

話は変わり、色々なサイトを巡り改めて認識したことですが――皆の太平洋戦争に関する認識と私のそれとはやっぱ凄くずれがあるなあと思ったりしました。何というかこういうだけで凄く感情的になる人が多いのですが『戦争=悪』というレッテルを何故、そんな簡単にべったり貼れちゃうのかなあと、私は首を傾げてしまいます。この辺りを本音そのままに語るとこのサイトに来ている殆どの方を敵に回す自信があるので、ゲームの感想に織り交ぜて『守るべきもの、己の信念の為には戦わなければならない時もある、例えそれが戦争という手段だとしても』という言葉に留めておいたのですが、私は戦争を悪だとは思っていません、限りなく愚かな行為だとは思っていても、です。例えば、第二次世界大戦は少なくとも計算機の登場を少なくとも十年以上早めました。原子力発電は、危険ながらも莫大なエネルギィを賄うために今でも最も有用な手段です。太平洋戦争は300万人の日本人を殺したかもしれない、原爆は数10万の人間を殺しめたかもしれない。しかし、それに10倍する人間を支える為の礎になっているのもまた、確かです。広域ネットワーク、高度通信技術、それに伴う暗号化に対する素晴らしい数々の洞察――全て戦争、或いは戦争に対する恐怖から生み出されました。さあ、貴方は罪深いと目の前のPCを、電気溢れた優雅な生活を捨てられますか?

私がこう言うと、多くの方は凄く嫌な顔をしますし、怒ります。でも、ここでただ単純に怒るだけなら、やっぱその人は太平洋戦争のことなんて本当には考えてないんです。戦争のような行為にさえ、負と正の部分があることは間違いないことなのですから。戦争のことを覚えていよう、考えよう――そんな奇麗事を言っていても、全てを直視する勇気がなければ、それはその戦争のことを本気で考えているとは言えないと思うのです。考えるということは自らに都合の良いこと、心地良い事実(或いはそう思っているだけのこと)だけを用いて論証をするということではありません。時には都合の悪いこと、直視したくないこともその心で真摯に見つめ、己が心理を導き出すということです。ましてや人の死という尚更、直視し難い事実が目の前にあるのならば――矛盾が一つあれば仮説を捨ててしまう名探偵のように、怜悧でなければならない筈です。勿論、そこまで突き詰めてみてやっぱり、戦争=悪というのならば私は何も言いませんし、その権利はありません。他人の心の帰結を、勝手な理由で覆すことは、容易にあってはならないのですから。しかし、日本人は得てして太平洋戦争から負の部分だけしか見つめません。そして沢山人が死ぬから、それだけで戦争=悪と断じます。

確かに戦禍による悲惨な人の死に同情はします、同情できます。或いは時として、共感さえするでしょう。けど、私は実際そこにいた人間ではありません。死んだ訳でも飢えている訳でも、貧しい訳ですらありません。そんな私が、その時代にいた人間のように嘆き悲しむふりをするなんて、冒涜的でとても出来っこありません。私にできるのはせめて死者に哀悼し、その戦争についての全てをしっかりと見据えることでけです。何が故に悲惨になったのか、何が故にそれは戦争から生み出されたのか――そこからもっと悲惨ではない方法で、それ以上に優れたものを何か生み出す方法はないか? 後に生きる人間にとって戦争について考えるということは、これ以下の覚悟では決して有り得ません。光も闇も見なければ、決してその詳細像を見ることはできないのですから。ただ、そこから見えるものが何かは私にも分かりません。箱に何が入っているか、それは開けてみないと分からないのですから。

戦争=悪――ええ、それでも良いでしょう。私も信念に反しない限り戦争なんて考えたりしませんし、あのように不合理的なことは基本的に大嫌いです。でも、そう結論付けるのに貴方は何処まで見ましたか? 何処まで光を見ましたか? 何処まで闇を見ましたか? 何処まで戦争を知っているのですか? 何処まで平和を知っているのですか? と。敢えて問い掛けてみたりします。私のことを悪だと罵っても構いません。一度だけでも、そういう物の見方もあるのだということを、知って頂きたいということです。

それにしても――こういうことを言うと広島出身だということ、疑われそうだなあ。あそこまで平和主義教育が徹底しているところなんてありはしないというのに、戦争絶対否定者ではないんですから。まあ、捻くれ者は何処にでも生まれるということか――。


八月十八日 晴れのちくもり

愛とは――時の流れに関連があるのだろう。
同じ時を長く過ごし、互いに呼吸をし、
それが互いの肉体の細胞に加わる。
だから――引き離される時、
血の滲むような肉体の痛みをも伴うだろう。
(BY THE LAST SONG)

今日読んだもの、或いは観たものが全部、切ない恋愛系ばかりで――そんな一日。

先ず『世紀末の詩』の2巻を鑑賞しました。昨日も紹介した作品ですが、私的には1巻以上に琴線に訴える描写が多過ぎます。ただ、一つのテーマを決めてそれを多面的に深く、しかも心に切り込むような描写を毎回続けて見せるってのは、驚嘆すべき物語作りの徹底さだなと思うのです。何で、こんな切ない話ばかりって思うくらいな愛の話。ただ、この切なさは絶対人を選ぶだろうなーって感じはするのですが。暗い恋愛物とか駄目って人には凄まじく拒否反応が出ることも、予想できます。ええ、やっぱし私の心はぺっしゃんこなのです。

引き続いて『LAST KISS』(佐藤ケイ著:電撃文庫)を一気に読了。これもまた切ない恋愛系ですが、語り口の軽さやラストの落としところを鑑みると『世紀末――』の愛に対する一種徹底的な冷たさに比べると救いはあって、ぺっしゃんこになるでしょうけども、何処か温かい気持ちに浸れる作品です。最初はお互いを何処か疎んじ合っていた兄妹が、誤解やコミュニケイションの不足を少しずつ補っていく様が、時にはゆるりと、時には走るくらいの速度で紡がれていました。主称が素朴で語り口に近く、だからこそ真剣に悩んでいる様が直に伝わって来て、時には居たたまれない気持ちになります。綺麗というには程遠いですが、その生死の問題においてどうしても噴出してしまう雑味や刺々しさが、逆に私には好ましく思えました。

ちなみに今日の一言は別離に関する愛の作用を表した言葉に相応しいということで、選んでいます。

それにしても、こういう恋愛物に続けて触れると、アガサ・クリスティが『ナイルに死す』でポアロに言わせた一説が思い浮かぶのです。『だからこそ、有名な恋物語はほとんど悲劇に終わっているのです』という言葉が。純粋な恋愛物というのは深く描こうとすると、その余りな真摯さと苦しみを描こうとするが故に、明るい話にはし難いのかもしれません。


八月十七日 晴れ

ハローベイビー

愛って風船の形をしてるんだ
プーッと息を吹き込んで
苦しくなったら交替しよう
割れないようにキュッと結ぼう
赤、青、黄色それぞれに
色鮮やかな愛が上がるよ
時には風に流されよう
時には雨に打たれよう
いつか降りゆく場所さえも
君と僕は一緒なんだね
(BY THE LAST SONG)

上記は『世紀末の詩―THE LAST SONG―』というドラマから。知っている人は――多いと信じたい作品です。余り派手ではありませんが、わたしはこういうしっとりとした作りがとても好きなのです――と久々にヴィデオの1巻を借りてきて見て改めて認識を強めたり。この作品を観返すと必ず前見とは別の理由で心がぺっしゃんこになります。そりゃもう、鷲掴みにしてきゅーっと握りつぶされそうなくらいに。ただ、愛について真剣に問い直してみたいという方には、是非ともお薦めしたいドラマです。痛いですけど、途轍もなく痛いですけど、時々直視できないくらい凄まじく痛いですけど――その痛みが一つ一つ何かを刻んでくれそうな、そんな気もします。ただ、同時に思ったんですが、この作品のギャグとシリアスの微妙さって良質な18禁系ADVのそれとそっくりだと(お 

というのは軽いジャブくらいで流して頂いて、今日の一言は最終回の最後に流れた詩でタイトルはずばり『LOVE』というらしく。なんかこれまた、きゅーっと心が締め付けられるような感じで、詩のセンス良いなあと思うこと頻りです。ちなみに全話分の詩は『ここ』辺りで見ることができちゃったりするので、通しで読んでみるとそれだけでもう心がぎゅーっとなること請け合いですので、どぞどぞ読んで見て下さいな。で、興味を持たれたら『世紀末の詩』の方もヴィデオか何かで借りて御覧になられると幸いかと。

 

世の中には偽者が多過ぎる。
耐え切れなくて手放すのは愛じゃない。
終わらないのが愛だって、
変わらないのが愛だって、
思い出にできないのが愛だって、
100万回恋しても決して辿り着けない

 

上記も同ドラマからの引用ですが――至言だと思います。

で、昨日の話の続きですが、ああいう衝撃度がでかいことは一度、ネタにして落として見ることで精神的な安定を図ろうとする傾向があるみたいでして、取り戻せました。まあ私自身、転勤の目的を聞いて、どのようなものを得るよう期待されているのか大体整理はできていたので――後の私に足りなかったのは、衝撃的なことほど大きなネタになるという気質の補充と、何事であれそこから何かを得ようとする気概だけだったので――これで殆ど覚悟完了ということで、うひゃひゃひゃひゃ。

というわけで今日は私的本買い祭にしてみました(笑 『ハリーポッターと賢者の石』(J・K・ローリング著:静山社)と『キノの旅VI』(時雨沢恵一著:電撃文庫)と『LAST KISS』(佐藤ケイ著:電撃文庫)と『氷菓』(米澤穂信著:角川ミステリー文庫)を購入です。一つ目は、これ言うまでもなきファンタジィのベストセラーということで、ここではこれ以上の言及は必要ないでしょう。二つ目は私のお気に入りのシリーズということで。三つ目と四つ目は共にとある信頼できる情報筋――というか、私が信頼できると思っている巡回先サイトの雑記の書評に依り、試しに読んで見ることにしました。たまに、人に薦められたら読みたくないとごねる人がいますが、他者が強く薦めるからにはそれなりの理由があって、信じると報われることが多いものです。というかライト系のミステリィは読まないと言ってたのに、意思弱いなあ、弱弱だわ(汗 

一度宣言したことを、他人の意見で割と適当に覆す優柔不断な人間、それが今の私さ。


八月十六日 晴れ

今日から会社でした。心機一転とばかりに作業をしていると、上長が妙な手管でそっと私を手招きするのです。何やら対談風の空気だったので緊張したところに、上長の一言。

『君には福岡に行って貰うことになったよ』

ああ、前から言ってた出張の件か――。

『期間は9月1日から1年間の予定だ』

へえ、そいつは一大事――。

 

――――――――。

―――――――。

――――――。

―――――。

――――。

―――。

――。

―。

 

 

ゑっ?

 

 

こうして事前予告もないまま、上長の仮辞令(但し確定事項)を受けた『私』は福岡へとその居を移すことになったのでした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というのは冗談ですが、どうやら私――マジもので9月から1年程福岡県民です。波乱の少ない私の人生、ここまで急転直下したのは初めてなのではないでしょうか。予告が全然なかったので、気分はいきなり電波少年の企画物でいきなり拉致られて目隠しされ外国へ連れて行かれる、冴えないお笑い芸人の如く、不安と焦燥とちょっぴり見えないものへの興味とが凄まじく微妙に混ざり合っています。それこそ未来と言うんだよと、格好良い人が言ったらさまになるでしょうが、自らの一大事でありながらあくまでネタに徹してしまう芸人気質の私にはこちらの方が相応しいのではないでしょうか。

それこそ、ネタと言うんだよ――。

やヴぁいです、今年一番の大ネタが間違いなく自分を中心にしてしかも自分の預かり知らぬところで動いている感じがびゅんびゅんします(焦 というか、既に受かってしまったサンクリ17はどうしよう――福岡東京間、往復になること決定してるじゃないですか――どうしよう、本気でどうしよう――誰か宿場だけでも提供して頂けないだろうか――そもそもこうなったら一人で全てをこなすのも絶対に無理だし――頭が本気で空転状態だったりします。課題が多過ぎ(汗

というわけで今日は混乱していて、これ以上の記録を残すことができません。休み中に作ったストックを放出して、おさらばです。


八月十五日 晴れ

If one believes in the path before them, they follow it.
As this is human nature.
(BY 幻想水滸伝III)

『信じる道ならば進むのでしょう それは人の性なのですから』という台詞を以前、挙げたと思うのですが、今回はその英語ヴァージョン。というか、一度クリアしてみて思うのは、こちらの英語版の方が今回の趣旨にぴったりなのではということでした。故に、敢えて今日の一言へ。

さて、今日まで実家でのんびりと過ごして参りました。お陰で英気満点、気疲れ度三割増し、総体的に見て明日から色々と頑張れそうです。家族も基本的には健啖とした毎日を過ごしていることをこの目で確認できましたし――でも、年々帰郷が億劫になっていることを鑑みると、やはり親子関係とか生まれた時から存在するものですら、決して普遍ではないのだなということを強く感じたりもするのです。だから、ましてや遠距離恋愛なんてお互いの気持ちを保つのが如何に大変なのか、まあ何となくではありますが、理解できたりもした今回の帰郷でした。

で、まあ暇なのに空かして本やらゲームやらをちらほらとやってました。先ず、これは何といっても最々優先事項なのですが『幻想水滸伝III』をコンプリート。勿論、108星全部集めた状態です。今回はタイミングとかシヴィアな前回と違い、仲間を皆集めるのは非常に楽でした。いざとなれば調査者もいますしね。で、物語の残りを全て終えたので予告通り総評からすると。

 

[先ずは、ネタバレなし感想]

 

シナリオ的には、個人的にプレイしたRPGの中で最高と思っている『II』のシナリオを10とすると『III』7です。全体を通して――特に後半部ですが――何処か物足りない気がしたんですが、最後までプレイして何となくその理由がわかったような気がします。最後にとある人物が『英雄であることは苦痛か?』と尋ねて『苦痛だが、それが分かっただけで十分だ』と返すシーンがありました。でも元々、幻想水滸伝の本筋はIもIIも『英雄とは苦痛であるが、それを知り、尚且つ何かを成し遂げる』ことを魅力的に描くというのが、私の好む所となっている部分です。そこが七割程度しか描けてない、それが率直な感想。後は『戦争関係の描写が少し薄い』点も少し不満かもしれません。ただ、それぞれの視点があり、それぞれの立場があり、それを守り育み、それ故に争わざるを得ない、という多元的価値観の描写は前作以前より鮮明になっていますし、それぞれのストーリィの絡ませ方はやっぱり上手いなと感じます。何より、日本の物語にありがちな『戦争=悪』という浅慮な観念ではなく『守るべきもの、己の信念の為には戦わなければならない時もある、例えそれが戦争という手段だとしても』という骨子を貫いた作りをしていたのが、私としてはとても嬉しかったです。

システム的には概ね良好ですが、唯一『マップ移動が面倒』というのは3D系RPGにおいてはどうにもならん命題なのか――。古くはFF7くらいの時代から、この傾向は全く変わってないです。そろそろ、こういうのを打開してくれるシステムができても良い頃だと思うのですが、難しいのでしょうか? DVDの読み込みはかなり早く、戦闘もテンポ的には許容できる範囲。3Dになって鈍足感があるけど、他の3DRPGの戦闘に比べたら余程マシです。武器を買い替えんで良いのは相変わらず楽だし、防具も割と良いものが直ぐ手に入るので、その辺りは気にしなくて良しという方向。今回の新要素であるスキルについては賛否両論ありそうですが、個人的には各キャラの個性を出すという点でどちらかというと賛に近い意見を持ってます。ただ、使えるキャラとそうでないキャラの差がますます激しくなっているのには、一部的に泣けるものがありました。音楽はIIと同等かそれ以上。雰囲気に合った曲をばっちり持ってくるところなどは、相変わらず良い仕事です。特に『煌く刃』が流れる時なんて背筋が張り詰める感じを受けました。あと、特筆すべきはOPムーヴィでしょうか。これは一度見ろというしかないのですが、もう背筋が震えるほど素晴らしい出来。クリアした今なら分かるのですが、謎とクライマックスを適度にばら撒いてあって、なんか目頭が熱くなるほどです――というか、本気もので涙が出そうに――。IIのOPの時も思いましたが、このシリーズは何気にリプレイを促す細工が上手いような気がするなあとしみじみ思うこと頻りです。

ここまでがネタバレ無しの各評。総評としては『シナリオに少しだけ不満が残るが全体的には良質で、一つの壮大な物語を紡ごうという強い心意気の感じられる作品』でした。そして、ここまで来るともう、半分コナミに騙されてるって感じもしないではないですが『続編も期待』ということになっちゃうんでしょうねー、あんな謎の残され方をすると(笑 

で、ここまではとても抑えた感想です。ここから先の迷彩部は、私の主観とか『III』のネタバレとかがっつんがっつん入ってます。基本的に『I』から『III』までのシリーズ全てをやり遂げた方、かつ俺はっ、僕はっ、私はっ、幻想水滸伝について激しく語れる知識と自信があるという方だけ覗いてください。しかし、ここに来る方の中でそういう人間がどれだけいるか、果たして全くの謎であったりするのですが――自己満足オンリィということで。

 

[ネタバレあり感想]

 

先ず、IIIについてネタバレありでなければ語れない部分。『炎の英雄』と『ルックの存在』についてです。ネタバレなしには書きませんでしたが、本当は全体的なシナリオ評価としては8です。ただ、この二人の有り様で真に個人的なんですが、マイナスしている部分があります。ここも賛否両論だと思うのですが、私はその余生をただ一人の人間への愛だけに捧げた『炎の英雄』の生き方はやっぱり卑怯だと思うのです。これは、私が愛というものを人間が構成する上での一要素に過ぎないと断じている所為もあるでしょうが、責任を次の世代に移譲するにしてもそのやり方が余りに無責任過ぎるという気がしました。確かに布石は打っていたみたいですが、酷くぞんざいで適当って感じなのです。まあ――これはどうしても坊ちゃん(Iの主人公)とかナナミ弟(IIの主人公)と比べてしまったからというのも否めないですが――やっぱ納得いかんです。しかし、幻想水滸伝のシリーズは愛が故に破滅するキャラって多いなあと思うこと思うこと。Iのバルバロッサ皇帝やウェンディ然り、IIのルカ・ブライト皇子やジョウイ然り――このシリーズは愛の尊さと同時に愛のそれだけで全てを焦がしかねない危うさというのも同時に表現しているのではないかなあと、私は思ってるのですが、どうなのでしょうか。

ルックの存在は、五行の真の紋章の存在が明確になった時点でその登場も明らかに明確でしたが、IやIIの存在が彼に何も及ぼすことがなかった(或いは及ぼそうとしていたが、及ばなかった)のが、IとIIを通してプレイしてきた私には辛い限りでした。ただ、100万の命を呪ってでも運命を変えたいという彼の情念も、その背景(ルック編)全てを見た限りでは極一部ではあるが理解できるところもあって、余計に辛かったです。eternal lifeは真の紋章が有する最も激しい呪い(だと私は思うの)ですが、自らを破壊する為に世界と数多の命を犠牲にせざるを得ないその出立と刻印、それを行う為の余りに悲愴な決意は、ただひたすらに哀しいです。特にラストでセラと寄り添って共に果てるシーンは、不覚にも涙を流しそうになりました。余りにも綺麗――しかしそれが故に『炎の英雄』と同じで卑怯だなとも感じるのです。しかし、パッケージの『信じる道ならば進むのでしょう。それは人の性なのですから』という台詞は凄く好きなのですが、私はあれがクリスの口から出るのかなと思ってました。まさかセラの台詞だったとは――驚きです。

さて、現在の所で纏まっているのはこれだけなのですが、最後にとても大事な謎です。結局最後、ルックとセラはどうなったのでしょうか。彼らが108の星の祝福の元、どのような姿を得たのか、私には分かりません。けど――肉体は無くともせめて二人の魂だけは永遠に平穏であることを祈るのみです。今はただそれだけを、ひたすらに――。

 

[ネタバレ感想終わり]

 

で、やっぱり私の最大のお気に入りは銀の乙女クリスお姉様でしょう。気高く恥じらいもあり、しかもある意味ではぽえぽえ系でもあるという、私の理想を兼ね備えた女史でした。こういうことを書くと一部の方から『このお姉さん好きめっ!』とか言われそうですが、世に広く流布されている『幼っ娘好きめっ!』と同じよう、これが私の領分なのです(笑 取りあえず、これで幻想水滸伝系の話題は9月中旬に攻略本のフル・ヴァージョンが出るまでは一時打ち止めということにしておきます。願わくば、それまでにもう少しだけこちらの話題に乗っかれる人が増えているのを期待して。

次に本――。こちらは『青の炎』(貴志祐介著:角川書店)と『五月はピンクと水色の恋のアリバイ崩し』(霧舎巧著:講談社ノベルス)を読了。前者はNaoyaさんから良い話だってのと登場人物に『うぐぅ』という人物がいるというので興味を持って買ったら、何時の間にかさくさくと読み終えていました(汗 結論、情報は(前者の意味でも後者の意味でも)確かでした。内容は――こういうと引かれるかもしれませんが、私も主人公が曾根に対するような感情を一度だけ実父に抱いたことがあります。詳しい経緯は憂鬱になるだけなので語りたくもありませんが、要は酒は扱いを間違えると本当に怖しいということ。私が今に至るまで頑なに酒を嫌いなのは、酒が恐怖の対象であるという観念がどうしても頭からこびりついて離れなかったからでもあります。勿論、実行に移さなかったからこそ今の私がいる訳ですが、恐ろしい妄想だと分かってても冷静に考え実行さえすれば、もしかして罪を喰らわずに生きていけるのだと考えざるを得ない時期がありました。だからこそ、実際にそれを考え実行してしまった主人公を見てると、私的には凄く切なかったです。寧ろ、痛い――というべきでしょうか。私には読んでて辛い部分も多々ありましたが、内容的には犯罪計画の緊張感溢れる緻密な描写は読み応え抜群でした。勿論、温かい友人達とのやり取りもありますし、『うぐぅ』も忘れてはいけません(笑 しかし、この主人公もスパイラル小説版の鳴海歩同様、聡い折原浩平なのは何故か? 余程、これのキャラの立ちっぷりは応用が利きやすいんでしょうね、と邪推してみました。

『五月は――』はネタ系としては至極及第点ですが、内容的には唸るものでした。核となる部分が学研の子供向け雑誌なんかにある『科学知識を使った似非ミステリィ』まんまでした。写真が三枚あります、さあアリバイを崩してみよう――帰れッ、今直ぐ帰れッ(怒 もしかして、この作者は『金田一少年の事件簿』をちゃらちゃらした学園ミステリィと勘違いしているのかしらん。と思うくらいに、泣ける内容でした。あかずの扉――は微妙なれど粒は揃っていたので好んで読んでいるのですが、こちらは『六月――』が駄目だったら続きは買わないかも――取りあえず、この本は時間泥棒(今週のかってに改造参照のこと)に認定します。

とまあ――帰郷の思い出はこのくらいです。お前、実家に帰ったのに本とゲームしか印象に残らなかったのかと言われそうですが――まあ、食って歌ったくらいしか言えないんですよ。最近、ここは妹も巡回しているらしいし、迂闊なことを書いたら酷い目に合わされるかもしれませんしね。

というわけで、三日分の記録はこれで放出。長い記録と愚痴と魂の奔流、そして帰還の挨拶に付き合って頂いてありがとうございます。明日以降は『空の境界(下)』を読了して『証拠死体』辺りに手を出しましょう。


八月十一日 晴れ

で、もう一度同じことを繰り返したら肌が強烈に焼けました。と言った感じで昨日より強烈な今日の天気、しかの如く、行って参りました。というかこの辺だと本気で、行くより逝くっていう字が似合うかもしれません。兎に角、真っ当に生きたい人間はこんな酷暑を連続で日に灼いたりはしないでしょう――私はやはりもう、真っ当な人生など生きてはいないのか、嗚呼、嗚呼(大袈裟

で、今日は同時刻に多少のすれ違いはあったものの富山さんと合流し、炎天下の中で待つこと3時間近くという海水浴にも等しい紫外線と熱波を浴び続けていました。で、その間ずっと話をして過ごしていたんですが、ミステリィ系、ゲーム系とかなり共通項があるお陰で斜めな話とか一杯できましたような気がします。しかし、初っ端に『五月は水色とピンクの恋のアリバイ崩し』の話題から入るのは別の意味で濃いなあと思ったり。

え、昨日と文章が同じ? お前、コピペして行数稼いでるんじゃないかって? ヤダナアソンナコトナイデスヨ(目を泳がせて

まあ、某大説先生のような真似は止めておいて(お 実際、本当に話の導入部は『五月は水色とピンクの恋のアリバイ崩し』から始まり、ミステリィと幻想水滸伝に偏った話をしてました。どうみても地を丸出しの私でしたから、うちのサイトを覗いている方がいて、近くで話を聞いていたら、すぐに誰だか分かるくらいのハイ・テンションな話し振りでした――まあ、これは昨日も一緒か(笑 他には文章の書き方についても色々と感じ入るところがあり。全くの創作と二次創作のそれぞれの難しさや、文章の傾向、話の長短など、一応文章系メインだからこそ感じ入るようなところもあって、なかなか良かったかもしれません。後は、幻水系のスペースが私にはもう異世界でした、みたいな話をしてたような気がします。嗚呼、きっと冬コミは『ユーバー攻め』ジャンルが激増するんだろうな――『ユーバー攻め』が ←しつこい

まあ、そういうことを話しながら入場。個人的にマイ・ブームの水夏系や銀色系があったので東から入ったのですが、なかなか私の求めるような文章の濃縮された本はないものでした。この辺、一時期は素晴らしく充実してた月姫系も最近は余り見ないですし、文庫本系はやっぱKey系が凄く根強いってのを今回は改めて思ったような気がします。

まあ、それはおいといて。創作ゲームも含めて東1から東2を回った後、西へ移動して幾つか目的の場所に。粗方は手に入ったのですが、ある意味で一番本命だった唯一の御神楽系の本が既に完売だったのが残念でした。で、本を委託させて頂いてる『ドゥンケルハイト』さんのところへ挨拶と、オレンジ色のジャムっぽいパイの差入れをば。ここのサークルさんとはネタ系の食べ物を捧げ合うのが、好例となりつつありますね。果たして、それが良い傾向なのか悪い傾向なのかはさておいて――。

もう一箇所の委託先で、表紙絵を書いて頂いた『PlumR』さんのところと、ほぼ唯一クリスティ系の話題でガチンコトークのできる碧郎さんのいる『花楠』さんのところは両方とも忙しそうだったので、取りあえずスルー。富山さんの体力が限界に近付いていたので、取りあえず栄養と滋養補給をしに西館すぐ近くのレストランへ。そこで飯を食って十分ほど休んでると、徹夜の所為か眠いということなので、再び活動開始。しかしこの辺り、前回の冬の私の行動と同じだなあ――睡眠はやっぱ、人間活動の為の重要な要素だということか。

で、西を一通り回って三時過ぎに『PlumR』さんのところにもう一度行ってみると、もう撤収作業をやっていたので、慌ててお礼の挨拶に伺いました。でその時、私の本の宅配をどうするかということで、何故か『重み付けグラフ』というのが現実世界で適用できるんだなあという一幕があったりして、それはそれで面白かったのですが、向こうには妙な迷惑をかけてしまったような気がします。要は一台のカートをどう使い回すかということなんですが、それが昔、大学で習った『重み付けグラフ』の問題とかなり似てたんだよなあ――まあ寧ろ、それはどうでも良いことですが(笑

『ドゥンケルハイト』さんの方も荷物を撤収し、宅配便完了。で、渡すはずだった新刊を渡すの忘れてて、もう一度戻ったところでこちらには置いてなかった新刊を求めに来た人が結構いたというのを聞いて、うあと思ったり。ここら辺はもう少し連絡が早く行ってれば、事前に手配できたのですが――ここら辺は私の管理ミスなので、訪れた方には申し訳ありませんでしたと述べておくしかありませんです。しかし、今回は手際の悪さが目立ったなあ――次は気を付けねば。

で、最後に『花楠』さんのところでようやく碧郎さんを捕まえることに成功。で、早速クリスティの話題――の前に、超弦理論なんてかなりコアなものの話題になる辺りが何とも。そんなことをあの会場で語ってる人間なんて他には絶対いないでしょう――と真剣に思いました、あはは。富山さんが、端で異国人を見るような目をされていたような気がしたのですが、それはきっと気のせいでしょう。で、それからは予定調和に『バティントン発――』の話題に至り、読んでるミステリィとかの話題に進み、気付くと何故か18禁描写についての話題に入り込んでいて、あれ? という感じに(笑 そちらの描写については何と私が一番の先輩だったのです――嗚呼、私は人の先に立ってしまったんですね。とは微塵も思わず、私はそちら系の描写を直接的に誉められたことはないという辺りをちらほらと力説しました。というか18禁系で『エロくないのが良い』とか『避妊してない』なんて感想を貰ってるところなんて他には全然見かけないのに何故、私のところだけ? 余程、描写に艶が無いんだな、きっと。さりとて18禁描写の理想があるかなんていうと、またこの男は案外エロい奴だなとか囁かれそうで怖いのですが、私的には『緩々と燃え出す炎(BY A BEAUTIFUL MIND)』って感じの描写が何時か実現できたらなあと思うのです。ゆっくりとお互いを高め合う、緩く甘く切なく優しいような――客観的に記すると私にゃ絶対無理そうだってよく分かりますな(汗 ということで、私のえろい表現は未来永劫、その手の実用的な方向には使えないってことで最終解答と。

まあ、そちらも置いといて四ヶ月前の『コスモスメール事件』とか、その一ヵ月後に本当に『KOS-MOS』のCGを頂いて本気で驚いていたことや、私のお姉さん属性のことについての話題が語られ、新刊を交換し合うと私のを朗読しようとする罠が待ってました。しかし、冒頭の引用文が『記憶の果て―THE END OF MEMORY―』のとてもくさい台詞だった為、向こうが声に出すことを躊躇ったようでした。私は勝利した(お ただ、デザインは格好良いという感想を頂けたので、そちらは純粋に嬉しかったです。

後は――先程の18禁の話題が尾を引いてか私は何時の間にか兄さん扱いされてました(がーん 私の方が半年くらい年下なのに――でも、職場では一番年下だし、お前実は飛び級してる高校生だろとか、ぼろくそなことを割と恒常的に言われている私としては、兄さんと呼ばれるのも良いかなあと密かに思ったり。でも、双子のカテゴリFじゃないから念話はできないんですよ、残念ながら(笑

で、後は撤収作業――を手伝えない役立たない人を前回と続けて演じてしまい、積極性のない自分を駄目だなあと思ってみたり。で、国際展示場駅までからころと歩いた所で碧郎さんたちと別れ、新木場で富山さんとも別れ、帰還を果たしたのでありました、任務完了です。

そのままばたんきゅー、起きたのが11時過ぎ。今、この文章をかたかたと打っているところです。はっきり言って、夜寝したので全然眠くありません(泣 まあ、朝一番で帰郷するので新幹線の中で眠ることにして、今日は朝までずっと起きてましょう。これからの予定は実家から帰って来た後ということでお願いします。

さて、これから冬コミの申込書を書くか(お


八月十日 晴れ

はあ、肌がひりひり――真夏の日差しや恐るべし。と言った感じの今日の天気、予告通り、夏コミの二日目に行って参りました。状況としては7時40分辺りで待ち合わせてたNaoyaさんと合流し、炎天下の中で待つこと3時間近くという海水浴にも等しい紫外線と熱波を浴び続けていました。で、その間ずっと話をして過ごしていたんですが、ミステリィ系、ゲーム系とかなり共通項があるお陰で斜めな話とか一杯できましたような気がします。しかし、初っ端に『五月は水色とピンクの恋のアリバイ崩し』の話題から入るのは別の意味で濃いなあと思ったり。これについては引用文が斜めだとか、中身がアレとか、肌を掻き毟りたくなるとか、リボンによる学年の区分けがローテーションが違うだけで『Kanon』と同じだとか、夏の太陽の所為にして結構、酷いことを言ってたような気がします。そこから『Vシリーズのアレはアレなんじゃないか』という、初耳なことを疑ったりしました。更にそこから派生して本屋狂いの性や今年観た映画、幻想水滸伝シリーズのことなども色々と。私も『IIに坊ちゃんが出てきて感動した』ってのは一緒なので、その辺とかは特に力を入れて。『IIは二度目以降に観るOPが泣ける』という辺りや『実はアルクェイドがシエラさんに見えて仕方がなかったんです』とか、その辺も。いや、でも――『月姫』『幻想II』の両方やったことのある人間なら、理解して貰えるんじゃないかなっ? 月の紋章、永遠の命を負う者、長年の仇敵を追う旅路の存在、あのはっちゃけた性格――類似点多過ぎですものねえ――とかそんな話をさらりと。

後は漫画雑誌の話からスパイラルの例の『とりのうた』の件、そこから『青の炎』という貴志祐介著の登場人物に『うぐぅというキャラがいる』とか『ギャルゲやってる小説書き』とか――改めて省みると斜めな会話ばかりしてたなあという良い例でした。

で、そんな話ばかりして待ち時間を過ごし、入場して幻水系を回ったんですが『赤×青』とか『熊さん×フリック』とか『W主人公』とか明らかに、どういうお話なのか想像できるものが一杯一杯ありました。凄い気合の入った小説本とかもあったのですが『ルック受』とか書いてあって即座に立ち去ったりということがちらほらあり、結局何も買えんかったです。それにしても早速『エース×ゲド』とかある辺り、この辺のパワァは凄い――と本当に思いましたね。でも今後、異様に格好良くなった『ユーバー』辺りの人気が急沸騰するんだろうなあ、次回の冬コミはIII版ユーバーのカットがどれだけ増えてるか要チェキですよ。付け加えるならば、私の主目的であるシエラさんメインの本は一冊も見つからなかったです、残念。ただ、コスプレはIからIIIの主人公まで揃ってました――早速炎の英雄を再現してるところなんて、やっぱりパワァのあるジャンルだなって思います。というか、幻水は何故ここまで女性の比率が多いのか――原作のプレイ者は男女比ほぼ半々だと思うのですけどねえ――どうなんだろう。

後はゲーム系を回り一冊だけ『かまいたち2』の本が出ていたのでそれを購入。後はオリジナル系ですが、装丁や中身を凄く凝ってる小説本があったのでそちらも購入。後は『逆転裁判』のノーマル本を1冊――というかあれも自然と男同士のキスシーンとか描いてる辺り、今後危険度がどんどん高まってきそうな気がします――いや、確定的か。それだけでもう回るところがなくなったので、早々に撤収。で、昼食を食べてカラオケというかなり黄金律的な回り方をしたりして、上野駅で解散し、帰宅――今は日焼けと疲労で疲れた体が仮眠で少し取れたところでこの文章を打っています。しかし――琥珀さんの歌かあ、私も対抗してシエル先輩の歌を持ち歌に加えないといけないかなと思った今日この頃でした。

追記:一つだけ、コスプレ者を見て思ったこと。TOEのリッドは、私もお腹の腹筋が割れてないと駄目だと思いました。


八月九日 晴れ

お腹が少しぐるぐるだったし、やっぱ死を視てしまいそうだったので、家でヒッキーをしてました。で、ずっと幻想水滸伝IIIをプレイ、どうやら五章で終わりのよう。三章までは割とまったり風味なのですが、四章からは怒涛の物語展開で気付くと仲間を全然集めずに、最後の戦争イベントまで終わってラストダンジョン。余程、仲間に執着して無い限り、初見で108人集めるのは無理なんじゃないでしょうか。まあ、これは1や2にも言えるのですが、移動の制約で更に難易度が増してる感じに。三人のシナリオも順番を変えるとイベントが変化しそうな部分があるので、攻略本が出る9月中旬以降にもう一度プレイしてみようかなと。取り合えず、実家にいる間でコンプリートする予定――総括的な感想はその後に。

そちらにどっぷりで、本は一ページも読んでません。なおかつ、文庫落ちしていた『理由』(宮部みゆき著:朝日文庫)を購入。積み本ルートです。後は数日空けていなかったポストにサンシャインクリエイション17の当否通知が入ってました。あのイベント、初回から3、4回連続で蹴られてたんですが、今回初めて当選したようです。一応、Key系でとったのですが、実際にはカットを無視して水夏の本を作る気まんまんだったり。後は夏コミ同人誌の自宅納入分が今日になってようやく到着しました。同じ系統のネタって、重なる時は重なるものなんだなあ(遠い目 で、届いたものを見て、デザインがそれを狙ったのを打ち消しても、表紙だけだと何処かの本棚に並んでても絶対に分かんねっす、これ(汗 この手の表紙のデザイン実験を私は一年間ほど追及していたのですが、ようやく完成形に至った模様です。実物がどのようなものになったか、興味ある人は冷やかして見てください――と、自分でスペースを取ってたら言うのですが、今回は委託させて頂いてるので、他の方の邪魔にならないように遠くからそっと、でお願いします。

10日と11日は割と無計画に、有明の会場を回ります。10日はNaoyaさん、11日は冨山さんという両方ともミステリィ等等の話題についてかなりガチンコで語れそうな方と巡る予定なので、その辺もまた楽しみだったりします。まあ、その辺がどうなるかは詳細にレポートに記述します。そう、かなりきっちり詳細に(ニヤソ


八月八日 晴れ

私がお腹が弱いということは以前に何度も書きましたが、今日は起きるともう冗談じゃないやってくらいの酷い下痢に見舞われました――学生の頃は数年に一度程のペースであった『ダイダルウエイヴ』という自称の現象なのですが、暫く出てなかったので安心していたら――とまあ、そんなことがあった訳です。ちなみにこれ、原因はよく分かりません。医師は心理的なものだと言ったのですが、別に今も過去も押し並べて辛いことを抱えてた訳じゃないしなあ――変なものだ。兎に角、出し切っても更に強烈に排出を求めるってのは無茶苦茶、辛いことだというのを、久々に思い出すこと頻り。点滴は勿論、断りました――あれは脱水症状でもない人間に打っても全く意味ないですからねえ、ある意味、医者のボッタクリやけん。ちなみにお腹はまだ七瀬のように唸ってます(泣 明日のイベント1日目、様子見くらいに行こうと思ってたけど、止めておこうと決意。無理して後日、メメントモリ(伊太利亜語で『死を想え』という意味)なんて実感したくない。

『空の境界』はちらほらと読み始めたのですが、いきなり某ミステリィのネタがそのままの形で出てきた時には思わず吹き出しそうになったり。ええ、分かってましたが――やっぱり私の斜めな期待を裏切ったりはしないのだ、うひゃうひゃひゃひゃ(Trickの主人公風に ということで明日から休みなのでまったりもっさり読み進めようかと。

これは色々なところで見かけたので、もうご存知の方が殆どだと思うのですが、最近の高校生の約半分が『積む』という字を書けないらしく。まあ、私は同僚で『弁える』『べんとうくえる』などと読んだ人がいたという事実から鑑みるに『ああ、やっぱりなあ』くらいの思いしか浮かんでこなかったのですが(笑 『擽る』『ひきにげする』と書くのはマシな方で、文字に接しない人間の識漢字率というのはどんどん下落傾向にあるというのは私も疑ってません。その点については色々と言いたいことがあるのですが、取り合えず『けいこうとう』『蛍光灯』ではなく『けい光灯』と正式文書で書くようにはなって欲しくはないという本音があります。蛍の灯の如き光と書いて蛍光灯、これだけ取っても日本の光に対する美意識がどれほど素晴らしいか、まざまざと浮かんでくるじゃないですか。それが平仮名の『けい』だと何も伝わってこず、ただの記号にしか見えません。各国には各国の言語美というもののがあるとして、日本の言語美は『豊富な記述方法に恵まれ、意味と音を巧みに使いこなすが故』だと思うのです。そして、それを支えるのが漢字、平仮名、片仮名の三点セットであって、漢字の抜けていく日本語というのはやはり不揃いになっていくのかなあと、少しいらぬ心配をしてみたり。まあ、平安人も今の日本語を見たら同じ感想かそれ以上のものを抱くのでしょうが――寧ろ、日本語じゃないと言われそう(汗 ちなみに、同一言語が隔離に伴い別言語へと変遷するに必要な期間はおよそ2000年から2500年くらいの間だと、小耳にはさんだことがあります。となると、1000年後の未来の人間にとって『源氏物語』『枕草子』なんて異国の文学になってしまうのかもしれません。まあ、隔絶という条件がないので猶予はもう少しありそうな気もしますが。

さて、最近はSSでない話を少しずつ留めているのですが、やっぱ自分には設定を作る力がないなと如実に感じてるところです。高校生の頃は、折りにつけては人に言えぬような幻想に満ちた冒険の世界を空想して過ごしたりもしていたのですが、その頃の方が私的には魅力的な人物とか思い浮かべていたような気がします。やっぱ、設定が決まっているものを用いてその上から物語を紡ぐことに慣れてしまうと、独創力というのが加速度的に低下していくのかもしれません。そう考えると、Webでオリジナル中心の作品を公開して客を集めてるところは凄いんだなと改めて思うわけで。そういや、私がWebで初めてはまったのは『刑事 円谷冴子』『10分の1の悪夢』などのミステリィWeb公開作品だったことを改めて思うのです。しかしこの作品、いつ問題編が終わるのだろうか(怯 ちなみに円谷冴子は一度だけ挑戦して首尾よく殿堂入りを果たしたことのある、記念碑みたいな作品だったりして。


八月七日 晴れ

本当に何も怖くない人がいたら…
その人には勇気なんて必要ない…
勇者は怖いもの知らずの強い人じゃないんだ…
怖いから………怖いから勇気が必要なんだ…!
(BY THE SEA MONKEY)

取り合えず『海猿』を確保分だけ読んだのですが、こちらも『ブラック――』に負けず劣らず熱い漫画でした。海上保安部隊で働く青年を主人公にした話――というとぶっちゃけ過ぎですが、レスキューのテンポや疾走感のある熱い描写はかの名作『め組の大吾』辺りを思い出すものがあり、あの作品が好きな自分にとってはかなりのめりこめそうな話でした。で、今までで一番ぐっと来た台詞が上記引用のあれ。ああ分かるなあと思う反面、怖がってばかりで虚勢すら張らない自分を鑑みると、もっと尊厳的な生き方を実践できる人間になりたいと思う。いつも『思う』だけで何も進まないのだけど――多分、そこが私の最大の欠点なのだと感じる今日この頃。ともあれ、私の嗜好を十分に満たしてくれる作品であることには変わりなかったことは付け加えておきます。そして『マリア様がみてる―黄薔薇革命―』も読了。前作よりもほんわかしていて、それでいてきりっと芯が通ってる感じで一作目以上に好みな感じ。愛情ってべったりも良いけど、時には離れてお互いを見つめ直さないと、前進できない閉塞感から容易に破綻してしまう――そういう恋愛にありがちなシチュエーションが、お嬢様学校を舞台に繊細な書き方で上手く展開していると感じました。一作目ではあまり感じなかったのですが、二作目を読んで『ソフトな百合』と言われている理由が理解できた気がします。

後は月マガでロケットマンの最新話を読んで――読むんじゃなかったー、ネタバレしたー(今月のロケットマンを見ての心の叫び まさか、私の見てない先月分にそこまで怒涛の展開になっていたことなんて、知らなかったんだよー(血涙

話は変わり、ところで――買っちゃいました。『五月はピンクと水色の恋のアリバイ崩し』を(笑 取り合えず、ぱらぱらっと数ページ読んだところで、引用文が『Q.E.D―証明終了―』ではなく『名探偵コナン』だったので、10点減点と。でも、世のミステリィ漫画に注目を当てて引用という形になるようですので、きっと第三弾が出たら『Q.E.D.―証明終了―』なのでしょう。というか、そうじゃなかったら私的に抗議文ものです(笑 これは『空の境界』の次に読みませう。

しかし、今月は殊更買い難い表紙の本が多いなあと思うこと頻り。ライトノベル専門の棚ではない場所から、あの手の絵が入った小説を取り出すのってかなり勇気がいります。取り合えず『クビツリハイスクール』(西尾維新著:講談社ノベルス)は、舞台が首吊り学園という名前らしく興味津々。某人の紹介文を見て読むのが極限まで嫌になったということは以前に書きましたが、割と評判は良いみたいなので、余裕があったら第一作から読んでみようかなという気持ちにもなり。しかしこちらといい、講談社は余程、二番目の『金田一少年の事件簿』の発掘に余念がないみたいですなあ。だったら『Q.E.D.―証明終了―』の方をもちっと本腰入れて宣伝しろやって気に、ならない訳でもないのですが。ちなみに買い難い本はもう一冊あって『超能力者問題秘密対策委員会』という糞長い――もとい、お手洗いの大くらいに長い名前のシリーズの最新作で『人形幻戯』(西澤保彦著:講談社ノベルス)というものだったと思います。私はこのシリーズ、読んだことないんで分からないですが、古本屋探索アンテナは立てておくことにしませう。この三作が並んでいる様は個人的に圧巻でした。この季節にこういうラインナップを持って来た講談社の英断には拍手を送りたい気分です、ぱちぱちぱち(お座なりに

さて、話は変わり買ったのに放ったらかして投げてばかりだったカタログをぼちぼちチェックしているのですが、いつも通り適当に。というか私はあからさまにでかいところは悉く外して、好きなジャンルのある部分にマーキングをして、本当に気に入ったところだけ名前込みでチェックして、後は惰性と慣性の任せるままにうろつくというやりかたで回っているので、滅多に並ばないだけ精神衛生的には凄く健康――ただピンポイントではないので、肉体的疲労が高いのは否めませんが。今回は他サークルさんに訪れ易くなったので、色々と勇気が続けば声をかけてみようかなと。取り合えず『バティントン発4時50分』の話題を振りに行くのは確定ということで(笑


八月六日 晴れ

小さい頃は神様がいて、花粉症の頃になると神様ではなく紙様を崇拝する人が増えて、頭が薄くなってくるとそれが髪様になり、顎とか歯が弱くなってくると噛様になるんだね――なんてことが昼休憩の時間、唐突に頭の中に浮かんできたりしました。明らかに脳が膿んでます、やべえ(大汗

例によって月1恒例の講談社MLをざっと読んでいたのですが(本当は、もっと深い情報とか掲載されてる所もあるのだろうが、余り暇もないので、これで満足してるのだ)『五月はピンクと水色の恋のアリバイ崩し』というタイトルを見た途端、飲んでいた麦茶を吹き出しそうになったり(笑 このタイトルに敢えて突貫する勇気が私にはありません。しかし『四月は霧の00密室』で散々色々なことを言ってしまった私はやっぱり買わないといけないのでしょう。ええ、どうやら一冊目を読んだ時点で魔法にかかっちゃってるぽい感じ。というか、中身ではなくどちらかというとネタ重視で買うミステリィというのはこのシリーズが初めてかもしれません。

シリーズ物といえば『夢水清志郎事件ノート―「ミステリーの館」へ、ようこそ』(はやみねかおる著:青い鳥文庫)が8月下旬頃に発売されるということ。こちらは純粋に、かなり心待ちにしていたシリーズの最新作なので、発売が待ち遠しいです。以前にも挙げたのですが、この夢水清志郎シリーズ、青い鳥文庫――つまり児童文学系文庫のレーベルから発売されているので、話には聞いたことがあるけど手を伸ばしたことはないと言う方もおられるかもしれません。そう言う方はシリーズの最初の二作くらいに、軽い気持ちで手を伸ばしてみると良いでしょう。一ヵ月後くらいにはあら不思議、シリーズ最新刊まで揃ってたりします。それは貴方が読書狂だからと反論されそうですが、読み易いし騙しも丁寧にきちんとやってますし、何より筋立てが良くできてて面白い。挿絵はいかにも子供向けの色気は全然ない――しかしほのぼのできるタイプの絵だということは付け加えておきます――ですし、文章も児童向けの為か難しい言い回しは一切ありません。けど、表紙絵だけとってつけたように綺麗で、少しくらい難しい文体にして人でも殺せばミステリィ? なんて考えてんだろう、ファンタジィ上がりのライトミステリィ系に比べたら、比較するのも馬鹿馬鹿しくなるほどではないかしらん。時々、ライトミス読んでいまいちいまいちとばかり書評をあげているサイトとか見かけると、このシリーズを激しく薦めたくなる欲求に駆られてくるのですが、一度読んだことのある方ならそれが自然な欲求であるということも、分かって頂けるのではないでしょうか。後は無難に『狩野俊介シリーズ』とか。そう言えば、あのシリーズも『久遠堂事件』以来二年近く、新作が発表されてないことになるのか――私も年を取った(お

ちなみに読書は『マリア様がみてる―黄薔薇革命―』をちらほらと。えっと『空の境界』は明日から読みますね(笑 これの続きが気になって堪らない罠が仕掛けてありました。

さて、話は変わるのですが――二日連続、通常では有り得ない速度でカウンタが跳ね上がったので、妙なところで本気で曝し上げでもされてるのではないかと焦ることしばし。結構、色々なところを探した末、結局はかのんSS-Links経由だということが判明したのですが、こんなに一気に記事が付いてるのは初めてだったので、無茶苦茶焦りました(汗 と同時に、あんな高圧縮をかけたみたいに比喩なく文章の塊みたいなSSを、最後まで読んでくださる方がいるのだなあと考えると、結構嬉しかったりするものです。

で、話は変わり。原因は分かったのですが、その副産物で面白いものを発見しました。[これ]です。ダイの大冒険好きな私には、笑えるネタが一杯でした――。よくこんなネタが思いつくなあ、凄いや。笑えるネタと言えば[ここの御方]経由で存在を知った『ルパン3世タイトルメーカ』が面白かったです。あれだけの演出で、ここまで文字が面白くなるとは――世界って広いんですね、ひよの感動しましたー。

で、いくつか実験(笑

[水夏4章後? 風味]

[銀色3章風味]

こういうのが即座に降ってくる辺り、私は救いようのない駄目人間だなあと思うのです。

追加:ちなみに[作成フォーム]はこちら。


八月五日 晴れ

平日に休むというのは気分が良いなあと思えるのですが、よくよく考えたら学生等は夏休み謳歌真っ盛りということを、街の学生量から再認識した今日この頃。古本屋回りで『天使の囀り』(貴志祐介著:角川ホラー文庫)と『海猿』(佐藤秀峰作:小学館)の1巻から3巻を購入。移動間の列車で『夜間飛行』(サン・テグジュペリ著:新潮文庫)を読了しました。この作品は二つの中編『夜間飛行』『南方郵便機』から成っているのですが、どちらかと言えば恋愛色の強い『南方郵便機』よりは人間の尊厳を体現化したような雰囲気が全編に満ちている『夜間飛行』の方が好みだったりします。どちらも無骨でいて詩的な文体は変わらないのですが、個人的には愛よりも貴重な尊厳というものに強く惹かれるものがあるからです。特にリヴィエール、こういう上官を持つと部下は苦労する――というか私なら一週間も経たずに脱柵してしまいそうですが、ああいう冷たく切り離した愛を己の哲理で厳粛に実行できる人間というのは相当嫌いじゃなかったり。だから『某SF小説の義眼の軍師』とか下手すれば底まで嫌われてそうな、このような性格のキャラが好きなんですよね(笑 ともあれ、文章は決して読み易くないものの、一文一文に熱があって、ついつい追ってしまうその力のある作風は純粋な憧憬に値します。普段、小説を余り読まない人には明らかに辛い文章でしょうけど――基本的にここはアドベンチャゲームよりのゲーム生活を送っていることは疑いないですし、何より夜間飛行者とそれを取り巻く人間の姿にはぐっと来るものがあるので、飛行機関係とか無骨な男の世界が好きな方は読んでみると良いのではないかなっ。

後はちょこちょこと文章を打ったり、スクリプト改造をしたり、まあ色々と。と言ってもスクリプトはまだ、ローカルテストの段階で反映はされてないのですが。そもそもXPで文字がオールセンタリングされるなんてもの、OS自体持ってない人間にはどう確かめりゃ良いのやら(汗 

『幻想水滸伝III』は仲間やレシピ集めで潰れましたが、一応第四部まで終了。やっぱ私の予想通り、あの人物はアノ人物でした。確かにアレが中心なのに、アノ人物が出てこないのはおかしいわな。しかし、某ゲーム店でムーヴィが凄まじく良いと書いてあったのには激しく同意して宜しいかと。たった三分間なんですが、いや三分間だからこそ、ここまで凝縮されているのが――兎に角、恐ろしいまでにハイ・クオリティだったりします。私も、実は夕食時に結構、かけっぱなしにしてること、多かったりするのです。というか、これと比べられる後続のゲーム・ムーヴィというのは可哀想というか。生半可な作り込みじゃ、この凄さを越えることはできません、絶対に。しかし、今回は『料理勝負』ないのかー、あのモロ『真・中華一番』的展開が好きな私としては、あって欲しかったんですけどねー、残念でした。


八月四日 晴れ

『これは頭の皮から直に生えてるんで、
値段なんてつけられないんですよー』
(BY TRICK2)

矢部刑事の鬘ネタの一つ――しかし、よくたった一つの小道具でここまで引っ張れるものだ。手を変え品を変え、しかもヅラの形まで変えて(笑 というわけで今日は『サイ・トレーラ編』『針生屋敷編』を鑑賞しました。ちなみに私、ずっと針井だと思っていたのですがDVDを見ると『針生』が正しいみたいです、ここで訂正しておきます。で、二つ続けて見ると『サイ・トレーラ編』の方は二週ながらかなり上手く組み立ててるなと改めて思いました。これを見終わって思ったのは、アガサ・クリスティの余り有名作ではないのですが『』のトリックをかなり有効に使ったものであるということ。アレがもし成功していたらこういう話になるんだろうなという印象を抱きました。ちなみに『』の中身は、それを明かすこと自体ネタバレになるのでここでは秘密です。勿論、その作品と『サイ・トレーラ編』と両方見終えた方なら直ぐ、検討は付くと思うのですが――『』の作品私には分かりますという方は、きっといないだろうなというのが私の推測です。ある意味、有栖川氏の『月光ゲーム』で言及していたクリスティの作品が分かった人以上に、確率分布的には少ないだろうという予測が容易に立てられます。

話は変わり『針生屋敷編』『時間の穴編』と同じくらい突っ込みドコロ満載なのですが、あることを念頭においた上でもう一度観るとまた、別の面白さがあるかもしれません。この話は別の意味で二度観た方が楽しめる作品と言えるでしょう。しかしこの話、ポッター似の少年を使った話を創りたいという監督の歪んだ心だけで作られたようなエピソードって気もしないではないのですが、どうなのでしょうか(汗

これで残すは『妖術使いの森編』だけになったのですが――しかし『Trick』の二人の関係は本気でよく分からないものがあります。嫌い合っているといえばそうではなく、かといって恋愛感情を抱いているわけじゃない。でも、たまに妙に良い雰囲気になるところがあって、二人ともちょっとばかり照れてる部分もあったりなかったり。けちょんけちょんに貶したかと思うと、妙なところでフォローしたり、惚れるなよと言うとあっさり完膚なきくらいに否定したり。映画ではこの辺りの発展があるのか(金田一とかケイゾクの例から見て、多分あるのでしょう)も楽しみなところ。でも、発展があったらこの先のシリーズが作られないかもしれないのであって、そうなるとあの二人には微妙な関係をずっと続けていて欲しいという気もするのです。難しいところですね。

しかし、ミステリィの恋愛関係というのはどうして一部的にこう、凄まじいまでに微妙なのでしょうか。この辺りも、色々と議論してはみたいものではあります。そして、それ以上に議論しなくても言えるのは、ヒロイン以外の女性が探偵に急接近してきたら、そいつは犯人か何か裏があるっていうのが、ミステリィの常套句のようです。そして、その逆もまた然り。そう考えると、シリーズ物の名探偵って結構、しょっちゅう精神的に惨い目に合わされてるのだなあと思うこと頻りなのでした。


八月三日 晴れ

『本当に大切なことは一つなんです、とても単純じゃないですか』
(BY TRICK2)

今日は『Trick2 超完全版』の3巻と4巻を借りてきました。『サイ・トレイラー編』『針井屋敷編』――取り合えず『サイ・トレイラー編』だけ少し見たのですが、サイ・トレーリングをしている深見教授の顔が、思わず夢に出そうになるような、強烈さなのを思い出したり。あとは効果音と音楽がマイナ・アップデイトされていて、更には深見教授の奇矯な行動が更に拡大されてました。しかし、『同じ臭いがする』って――あのかつら、初代のトリックで矢部刑事が身につけていたものと同じなんですね――ようやく気付きました。しかし、どんとこいは明らかに『新手のストーカ化』してますね、現れ方が唐突過ぎる、あの男は(笑

まあ、一先ずそれは置いておいて『時間の穴編』を三日前程に見たのですが、何か改めると突っ込みどころ満載です。例えば『叫ぶと書かれたその箱を→山田と矢部も同じ場所にいた→『叫』の箱が見つけられないのはおかしい』とか『吉子様のような女性にそんな力はない→体が捻れてる→ごきゃめきゃ、吉子様死体を生身で捻らせる→無茶苦茶怪力じゃないか、この女』とか。まあ――基本的に堤監督の作品は適当で不条理ではっちゃけてますから、この程度で口をパクパクさせてもどうしようもないんでしょう。1の時の『双子トリックなんて古典中の古典ですよ』と主人公に言わせて置きながら、あっさりと衒いもなく使ってしまう潔さとか――あの監督だからこそ許されてるような気もします。トリック自体は使い古されてて、明らかに矛盾に満ちて齟齬があるのに、独特で強烈過ぎる雰囲気に流されて気にしない感じにさせられる――というのが正しいべきか。これは『月姫』にも言えることで――トリック自体は明らかにベタなのですが、強烈な個性と筆力で誤魔化しているというか。或いは誤魔化されるのが愉しみにも変わった時、世界が変わるのかもしれません――少なくとも私と『Trick』の関係が正にそれです。

話は変わり、9月は『Q.E.D―証明終了―』の13巻と『ロケットマン』の3巻と『スパイラル―推理の絆―』の7巻が一気に発売されるそうです。何か、個人的に無茶苦茶豪華なラインナップなんですが、これ(汗 私の好きなミステリィ・コミックス勢揃いです――でも、やっぱ講談社はやっぱり同時発売かあ、なかなかあざとい商売の仕方をしやすね旦那って感じかも。しかし、片方を見てもう片方のシリーズを買うと言う方は私が見ている限り、非常に多い(特に『Q.E.D.→ロケットマン』)ですし、加藤氏の作品はもっと社会に認知されてしかるべきなので、暫くはこういう売り方も仕方ないのかなって気がします。体の良い抱き合わせ商法だと言われると確かに否定はできないのですが(笑 スパイラルの方は、鳴海弟が偉いことにあう展開でこちらもドキドキものです。しかし、先月号で鳴海弟のことを『神も悪魔も超える存在になる』みたいなことが言われてましたが、神は鳴海兄として、悪魔って誰なんでしょう。私の頭にはあのおさげ頭の少女が即座に浮かんでくるのですが――しかし、あのような可愛い子悪魔なら私は何時でも大歓迎なんですけどねえ――というか、どんと来いです(笑

最後に今日は休日出勤だったので、休みが日曜日と月曜日にシフトした――というのは私事なのですが、どうしても平日に処理しなければならない雑務が貯まるので、休日労働は少しだけありがたかったりもします。まあ、それも、これも、土曜日にすら窓口業務をやりやがらない日本の公務員とか銀行の惰弱な体質があるからなんですけどねっ(刺刺 昨今のサービス業は押し寄せる更なる不況に立ち向かう為、何処も着実と365日対応を整えつつあるといふのに――って、前にも書いたな、この愚痴は。でもでも、せめて月に一回、いや二月に一回でも良いのですと訴えたい気持ちになるのは、賃金労働者としては当たり前の反応だと思うのです。

今日は、12時過ぎまで眠っていたので記録はこのくらいで。もう二つくらいネタがあるのですが、それは明日に回すことにします、でわ。


八月二日 晴れのち雷

今日は午後から凄まじい勢いで、雷が鳴り続けていました――。どかーんどかーん――となってる最中、パソコン業務を続けている会社の人間を見て、真剣に悩みました。個人もちのPCは、何処までも責任が個人に還元しますから、雷で壊れても自業自得なのですが、会社持ちのPCは客先のデータとかもある訳で、しかも大学の時、研究室等で停電の恐怖を散々味わった為か、公用データの取り扱いなんて怖くてできませんのこと。即座に自マシンを落とした私はサーバの方も落とした方が良いと提案したのですが、まあ大丈夫じゃないかという言葉で見事に却下されました。そして暫く後、瞬停に弱いPCが一台、犠牲になったのですが――というか停電起きてるじゃないですか、いやマジでPC止めましょうよと何度か提案したのですが、他の方は作業を続けておりました。余りに皆、平然としているので、もしかして雷がなっていても平然とPCを使った業務ができるのが本当のシステム屋なのかなあ――と少し疑ってみましたが。でも、私的には雷がなっている時に重要なデータをPCで扱うのはめーだと思うのです。こういうのは、フェイル・セーフが原則だと思うのです。会社の現状と己の信念を鑑みるに、今日ほど真剣に悩んだ日はありませんでした。というと大袈裟ですが、人間という生き物はもう少しくらいゆっくりと進んでも、誰にも文句は言われないのではと切に感じた今日この頃。ついでに言うと、己の信念の弱さにも呆れた日でした。

堅い話はこれくらいにして今日は『星の王子さま』を読了し『夜間飛行』を表題作、半分くらいまで読んだところです。前者は、凄く上手く言えないけど、とてもしんみりするお話なのです。何気ない言葉に心がちくんとなる、当たり前過ぎることではっとなる、そして幾つかの言葉を頭に思い浮かべ、比べ、どきどきする。そして――最後のシーンに少しだけ涙を流しました。何というか、果てしなく切ない――そして、それを表すのに、私の言葉では到底、相応しくないものでした。ただ、胸にじんとするという有り触れた一言が相応しかったです。

後者は『星の王子さま』と違ってなんかこう、流れるようにすらすらととは言えないのですが、確かに一文一文の描写が凄く詩的で、一行読んで感心して、一行読んで溜息を吐いて、なんて読み方をしている自分がいます。それに、どちらも訳がとても上手いです。海外物というのは作者の力量半分、訳者の力量半分だと常々思っているのですが、これらに限れば作者と訳者の力が非常に巧く組み合わさっていて、雰囲気が全然壊れてません。この辺『ウは宇宙船のウ』などという駄訳とは雲泥の差かと。やはり、海外物において訳は大事――これは基本です。こんなことを言っていると、お前が原文訳して見ろよ上手くできるかとか言われそうですが、私には絶対無理。私に訳者のセンスなど微塵もありません。つまりは出来ないことを棚にあげて、無責任に文句を垂らしているだけです。それに、今は米国でクイーンとかヴァン・ダインの人気って殆どないし原書なぞ取り寄せられないでしょう。クリスティは流石に何冊か発見しましたが、戯曲とかスパイものばかりで結局、ちゃんと見つけられたのは『SPARKLING CYANIDE』と印刷されたペイパブックのみ。ちなみに私が一番良く見かけたのは『HARRY POTTER AND GOBLET OF THE FIRE』でした。次いで『THE LORD OF THE RING』とか『Cirque du Freak : A Living Nightmare』なども結構。やはり原書は昨今のブームを受けて、ファンタジィものが発見しやすいようでした。やはり今はファンタジィ・ブームなのですね――としみじみ思うこと頻り。ちなみに現在、読んでみたいのは『ハリー・ポッター』シリーズと『ライラの冒険三部作(神秘の短剣・黄金の羅針盤・琥珀の望遠鏡)』辺り。前者は有名過ぎるし、この作品の良い所を語ってくれる人間は沢山いるだろうから何も言わない。後者は児童文学だけど、大人でもぼろぼろ泣けるくらい感動するという話を聞いたので。しかし、最近になって『児童文学』を読む量が増したのだが、その示唆し含蓄深いところの何と多いことでしょう。子供向けだから恥ずかしいとか、何を今更なんて20歳台の人間にはまだまだ到底言えたものじゃない。少なくとも、30年は早いでしょう(笑 と同時に、子供の心を忘れないというのは『子供っぽく無邪気』ということではなく『子供の頃に向けられた大切な警句を何時までも大切に思えること』という意味なのかなと改めて気付かされるのです。

話は変わり、久々にここのメインであろうと思われる(ここをメインと思っている方は、多分そんなにいないと信じたい)お話を更新しました。タイトルは『夏が終わる場所』――3日前に言っていた、オリジナルのお話です。以前に失敗した経験を踏まえて、今回は事前に資料とか必要な情報とかを一杯集めておきました。例えばマザーグースについての知識や子守唄、童謡、鏡の国のアリス――資料だと言っていたのは、全部これのためだったりします。ちなみに元ネタ――というか、影響を受けた作品が何なのかは多分、分かる筈。サブタイトルを見れば、一目瞭然かと。もし、お暇ならば少しだけでも覗いて頂けたら嬉しいです。以上、宣伝でした。


八月一日 晴れ

六月、七月とTABLEタグを使った行数制御をやっていたのですが、どうも窮屈な感じがするので一時撤廃。変わりにCSSのMARGIN属性で、見通しをよくしてみました。しかし、個人的にはこういう数値、パーセントにして相対じゃなくて、絶対値を指定してがっちがっちに固定したいという欲求が強いんですよね。勿論、各人の環境が違うことを鑑みれば、ある程度相対指定にして見る側に任せるという方が良いのでしょうが。その辺り、サイトの管理者ごとに理念の違うところではありそうですが、どのようなデザインを好むのか聞いてみたいところです。ちなみに私はガッチガチのテーブル原理主義者という、ある種の人間が思い切り顔を顰めそうな主義者なのであります、はい。

ただ、フレームは出来るならば使いたくないというのが本音だったり。というのも、フレームで見栄えの良いページというものは圧倒的に少ない――という主観があるからです。個人的に、フレームを使ってデザイン的に優れたものを作るのは非フレームページ以上のデザインセンスが必要かと思われます。私は一度、果敢にもチャレンジしましたが、とてもじゃないが満足できるものにはならず、煩わしさしか感じなかった為、直ぐに取り止めたという過去があります。何度かマイナチェンジを試したりもしたのですが、駄目でした。しかも上下に広告が入ってしまうサーバスペースなので絶望的な惨状さえ醸し出すこと然り。私の場合は勿論、センスの無さもあったでしょうが、フレームのページは非フレームに比べて見辛いなっ、と思うサイトが多い訳です、実際。

明らかに一画面に収まってないのに縦のスクロールバーが出ないとか、コンテンツ名を表示させる側のフレームが非折り返し状態になっていて、わざわざ題名の残りを見る為、スクロールの労力を割かなければならなかったりするのは苦痛です。フレームのコンテンツ名側は原則的に一行一画面内で収める。文字は内容が喚起し易いよう、そして小さめにする。それくらい配慮しなければショートカットの意味なんて左程ないし、意味がなければフレームなんて使わない方が良いのです。それがまがりなりにも色々なサイトを回って得た、一種の哲学的結論だったりするのです。この辺は個人ならさもありなん、法人のデザイン会社に頼んだようなサイトに至るまでフレームやってる故に失敗してるなあと思えるサイトは山ほどあります。ただ、ばしっと決まると本当に格好良いから――タチが悪い。うちの会社でもこのフレームを使ったデザインについてたまに議論となるのですが、結局は作り手の力によって注目を惹きつけるも注目から遠ざけるも自由自在なフレームのタチの悪さに行き着いて、思わず溜息をついてしまったりするのです。嗚呼、何処かにフレームをばっちりと使いこなす方法論なんてサイトや本が転がってないかなあ(溜息

さて、前段を終えたところで今日から八月になりました。変わんない、暑い、蒸し暑い。ただそれだけ。クーラは直らない、業者からは連絡が来ない。隊長、これは私を干からびさせようとする何者かの陰謀でしょうか(錯乱気味 てな感じの妄想がびゅんびゅんと来ます。そんな最中で読了した『検屍官』はなかなかの出来でした。欧米ミステリィ(これは日本のもそうですが)の常として舞台作りの冒頭で僅かばかり退屈でしたが、とっかかりをつかんでからはさくさくと読めます。これは冒頭の説明文にもあるよう、所謂ミッシング・リンクものなのですが、ヒントとミス・ディレクションが織り交じった果てに到達した真実には成程なあと思わせる部分もあったり。事件に合わせた人物や物語の進め方も非常に上手くて、上質のミステリィを読んだと思わせてくれました。ただ、わざとらしく男性的で下品な言葉を使わせて、男女感覚を保とうという描き方は余り好きではないかも。別に女性が下品なのが嫌だと言う訳じゃないのですが、男性には男性の下品さ、女性には女性の下品さというのがあるような気がするのです。そこの所は気になりましたけど、細部のまったりとした描写とかも、慣れてる私には好きになれる部分でした。そしてつくづく、あのまったり感は私には得難いものだと悟ってしまうのです。どんなに頑張っても女性の根幹を男性は手に入れることはできない。その逆もまた然りであって、こういう時、男女間不平等を無くすのは当たり前にしても、完全な男女平等なんて所詮は夢のまた夢なのではと思ってしまう自分がいるのでした。

これを書いている段階で、外は凄まじい雷が鳴り響いています。こういうのを文章的に装飾すればいくらでもいけるのでしょうが、私には正に『どかーんどかーん』という擬音にしか収束されず、語彙の無さをうれう訳です。或いは美浜ちよ並と言い換えることもできそうですが、あの娘は逆に天才なので同列にすると至極、失礼なような気がします。要するに――夏の撹乱というやつですね(謎

最後に追記しておくと『逆転裁判』のアンソロジィも読了しました。あのネタ的な作品上、やはりはっちゃけたギャグが中心なりと。その中で最後から二番目の御剣検事と糸鋸刑事のシリアスな奴が個人的にはお気に入りでした。しかし、乗り移った例の生前の体格に比例して乗り移られた方の体格が変わるのは、あの作品じゃもう、デフォですね――ああいうのは今までありそうでなかったんじゃないかなっ、と発言してみたりするのでした。明日は『星のをうぢさま』『星の王子さま』を読むことにしましょう。


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