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2002年6月の活動記録


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六月三十日 曇

『D.C.』にかまけていて、ここの更新を真面目にする気などさらさらありません。と宣言しておいたところで件のゲームですが、余り粗筋や文章飛ばしをしない所為かまだ二人目の半分くらいまでです。取りあえず音夢編のグッドエンドとベストエンド(ついでに言うならバッドも一つ)を終えたところまでの感想としては、予想以上の良い出来でした。物語の尺もたっぷりあるし、緩急の付け方があざといというか憎いというか。要するに導入からラストまで目が離せないくらい、面白かったです。絵は各々の性格付けと相俟って文句なしにかあいいですし、それぞれの場面にあった音楽がまた心憎い限りに感情とか涙腺を刺激しますし。割とよく処理遅れが起こったり、マップ画面でセーブが時々できなくなるなどの点が少し引っ掛かりでした(後者は後日、修正パッチとか出るのかな?)けど、それ以外は文句のつけようがないくらい、良しです。少なくとも音夢編については。追記するならば、某おてんこひまわり探偵(笑 は三箇所ほど見つけました。イベントが二箇所――アーンド、ラブリィ・バーニング。現在はポケポケしている萌先輩ルートに邁進中、あまり文章を飛ばさずゆっくりと進めて行きたいなーという思いでいます。

後は『奇蹟審問官アーサー』(柄刀一著:講談社ノベルス)を読了。成程――島田荘司の後継者って、そういうことだったんですねえ――とか一人納得してみたり。割と限定された状況で、しかも偶然が幾つか重ならなければ起こらないような事象が多いのですが、それでも畳み掛けるような謎の展開や不思議、それを解き明かす論理、何よりアーサー・クレメンスという魅力ある探偵の存在によって一気に読むことができました。あと、個人的にグノーシス主義についての講釈が興味深いものだったりします。何しろグノーシスが出てくるゲームを最近プレイしてますからねえ。本書を読んで、だからそれを固着する装置にヒルベルトの名前が冠してあるのかーとか理解できたので、その意味でも参考になる本でした。にしても切実に思ったのが、やっぱ無神論者でも――寧ろ、無神論者だからこそ『聖書』は一度くらい読んでおかないとなあということ。『鋼鉄番長の密室』における鳴海兄の言葉は、非常に正しいことを実感できました。ただ昨日と繰り返しになりますが、やっぱ男が『ふえ』というのはやめれ←しつこいねッ、あんたも

おまけ、今月読んだ本リストです。
これは私個人のメモということで。

『ビューティフル・マインド』(シルヴィア・ナサー著:新潮社)
『エレガントな宇宙』(ブライアント・グリーン著:草思社)
『袋綴じ事件』(石崎幸二著:講談社ノベルス)
『見えない精霊』(林康広:光文社)
『七つの棺』(折原一著:創元推理文庫)
『十日間の不思議』(エラリィ・クイーン著:ハヤカワミステリ文庫)
『奇蹟審問官アーサー』(柄刀一著:講談社ノベルス)

六月二十九日 雨時々曇

こんばんは、今日は休日ヒッキーの面目躍如的に30分くらいしか外出しませんでした。部屋に閉じこもり『D.C.』をやったり『幻想水滸伝III』のムーヴィを何度も繰り返し見てたり、ムーヴィの付いていた本の設定を見て布団を転がっていたり『奇蹟審問官アーサー』を読んでアーサー・クレメンス様のジェントルな姿に萌え転がっていたり? しました。男萌えできる方って凄く珍しいのではないかしらん。ただ、別の登場人物ですが、男が『ふえ』というのはやめれ――というか、心理的に凄くダメージなんですけど――。

さて、今日は飲みで力尽きた分の黒歴史を。昨日――6/28はお休みで、朝早くから秋葉原までいって『D.C.』を購入。というか、人が果てしなく多いのには驚きました。何が目的で皆さん、来てたんでしょうねぇ、ボク子供だからさっぱり分からないや(大嘘 まあ予約、忘れていたから某所で並んでたのですが、初回版は割とあっさり買えました。その後、最近できた大型映画館のある(できたばかりで綺麗だし大きいし案外、穴だと思うんですよ、ここは)品川のエグゼクティヴ・タワーまで行って『マジェスティック』を見ようとしたのですが、開演まで2時間以上かかるらしいので諦めて本棚と映画が両立できて映画館もそれなりに大きな場所を算出しました。池袋に出没です。そこで縦1800mm、横900mmほどの少し大きめ本棚を二つ購入。何気に一つでは、とても保有小説が収まりきりません。それに――貯まりますしね、きっと。ということで先行投資し、丁度タイミングも良かったので映画館へ直。『マジェスティック』を見てきました。内容は前半、少しだるいですが、タイトルともなるマジェスティック映画館復興の辺りからは、凄くワンシーンごとが動きに溢れていて、良い感じでした。『ショーシャンクの空に』を見ても思ったのですが兎に角、どちらの作品も達成感という一点を描かせたら凄く上手いし、ありきたりかもしれないけどやっぱり興奮するのです。そういう点では良い作品だったのですが、個人的に2002年最高の映画というのは言い過ぎかなと。構成的には少し甘い部分もありましたし、何よりこの作品で描かれていた1940年―1950年米国の雰囲気が私的には少し馴染めなかったという点もあります。でもでも、希望というテーマはきちんと感じられますし、観に行って損はない話でした。『マジェスティック』という題名(意味は威風堂々)の付けかたも、ああそういう意味かあと映画館を出てから納得したりしましたし。そういう余韻を残してくれる細かい機知や遊び心があるのも好感が持てました。

後は会社の飲み会で、ダメージは――昨日の記録に記述した通りです。現在は『D.C.』の音夢シナリオが大詰め『奇蹟審問官アーサー』も話的に大詰めということで、夕飯兼夜食を食べたら『D.C』の続きをやって、寝る前に『――アーサー』を読了する予定。ということで今日、明日は掲示板の反応が鈍くなりますが、ご了承の程を。

それではではでは皆さん、アデューなのです。

六月二十八日 曇時々雨

飲み会から帰還。
深夜壱時。
体力〇。
ぶち眠たい。

今日の私に『D.C.』をやる時間と気力はありませんでしたー。

ごめんそ、私、裏切り者だ――。

六月二十七日 雨

ミステリィに至る病は絶望だと言う言葉があります ←そんなものはない

大学の、ミステリィばかり読んでた頃はそうも思わなかったのですが、もしかして常軌を越えて傾倒しているかなと初めて思った――そんな経験が、ミステリィばかり読んでいる方には大抵、やってきます。私の場合『月光ゲーム』という有栖川有栖氏の著書で、クリスティに対する当て擦りがあって、その中で登場人物はAとかBとかCなどとしか書かれていない、勿論作品名などは登場していない――それなのに『クリスティのどの作品か、そして犯人役であるCが誰か完全に答えることができた時』でした。もしかして、少しやばい方向に進みだしているのかしらんと首を傾げつつ無視をし続けていたのですが、案の定世の中に対して異様に斜に構えた、ネタがないかないかと探し回る、世の中には誰にも気付かれない伏線が沢山張ってあると信じて疑わない、名探偵を夢見る、論理至上主義者を生み出してしまいました。げにミステリィとは恐ろしいものです。

さて――断っておくならば、これは勿論他人事ではなく、私自身のことです(お

今日は『殺意は幽霊館から』(柄刀一著:詳伝社)を購入。何だかんだ文句を言いつつも、私はこのとぼけた性格の天才が気に入っているような気がします。明日は休みなので秋葉原で『D.C.』、神田の古本屋、品川の映画館で『マジェスティック』と黄金ルートを回ってくる予定です。これで飲み会の幹事がなければ――というか何で休みの私にその役なんですかぁ(滝涙 と叫びたくなった日のこと。深秋のように粛々と寒さの滲み出ていた日のこと。

六月二十六日 曇後雨

最近はクーラどころか扇風機の必要性すら感じません。電気代がかからないので私的には得なのですが、寧ろ積極的に電気を使ってという業種にはかなり損なのではないでしょうか。成程――気候というのはほぼ、万人に相補的であることよ。とまあ、思ってみたところで今日はここに書くことがありません。『奇蹟審問官アーサー』の続きを読みながら『フルーツバスケット』の9巻を読んで色々な意味で悶え転んでみたり『ブラックジャックによろしく』を読み返して、やっぱり熱いものが胸を過ぎってみたり。現在は28日に備えて少しここも沈降モード中なのです。

六月二十五日 曇後雨

本当に良い作品に触れた時、私はよくこれほどの作品に出会えるのは一生のうちでもう、そう沢山はないのではという危惧を心底に抱いてしまいます。感動して、情けないほど涙を流して、心の内に何かを留めていたくてしょうがなくて――胸が痛くて堪らない。そんなものを出せる人間は世の中にそうはいないだろうし、また私は僅かだけどそのことを知っているから、尚更のことです。しかし、物語の方ではきっちし私を裏切ってくれて、些か涙脆くなっている私に、それでも涙を頑なに拒ませていた何かに抗うが如く出でた圧倒と同じかそれ以上の勢いをもって、紡がれていくのです。力を、強い力を持ったストーリィ・テラーによって。私は多分今日、再びそれに触れたと思います。

その作品とは『ブラックジャックによろしく』(佐藤秀峰作:モーニングKC)という漫画です。医療現場がテーマというのは題名を見た方は殆どの方が想像つくと思います。私も題名に惹かれて購入し、読んだのですが――ここまで熱く、また冷たく、鋭く、心に深く入り込んでくる話を私はほぼ久々といって良いほどに体験した気がします。もう、読んだばかりでこの魅力の何処をどう述べて良いのか私にも分からないのですが――きっと、多分言葉は要りません。要るとしたらただ一言『読め、そうすれば分かる!』だけです。もう、痺れました――というか全てに惚れました。最高ですっ! ああ何かもう、支離滅裂になっているのが自分でも分かるのですが、それ程に良い作品でした。まだ知らない人、読んだことのない人全てに――是非とも読んで見て下さい。惚れますよ、本気で。

六月二十四日 曇

クラインの塔――クラインの塔が見たい――今晩和、仮面の男です。というか今回も『マガジンGreat』が手にはいらんとは如何なることか。流石にもう慣れましたが、都会の小さい本屋やコンビニには本気で置いてないです。地方ではかなり小さな本屋や潰れそうな本屋にすら、平積みしているという噂を聞くのに――もしかして、逆地方格差が起こってますか?(謎 あとはそろそろロケットマンの第十話が見られますっ! 前回、斯様な引きで終わってみせた話をどう展開していくのか、どきどきものです。しかし前号のロケットマンやら、QEDの10巻と12巻を読み返して思ったのですが『QED』『ロケットマン』も本気で話し作りが上手い。この方の作品はもうちょっと注目を浴びても良いのになあ――絵柄から掲載されている雑誌まで地味系なのか、何時まで経っても知る人ぞ知る、某サイトの表現で言えば『まいじゃー』を卒業できないのが悔し過ぎます。ミステリィにしては稀なリリーダビリティの高さだし、我が母を即座に虜としたほど魅力ある作品だというのに。会社、友人、オンライン、イベントなどこれは良いものだと薦めているのに、でもやっぱり、一向と読んでくれない方もいるのが現状。以前に『御神楽少女探偵団』を薦めて回った時も、信じてくれたのはほんの少しでプレイしなかった人や途中で止まっている方がちらほらと――そう言えば、あそこのサイトの彼の方は蜃気楼の一族をクリアしたのかなと――本気で一人に絞った言い方なのですが、思ってしまうのです。やっぱ、某少佐のように一心不乱に薦めないと駄目なのですかね、一心不乱に――。と思ったのですが、同ネタは激しく多数な上『私は以前にあまり他人に誇れない前科を残している』ので、やっぱり穏やかに。そしてこつこつと薦めていこうと思うのです。一ヶ月に一度くらいは話題に出して、一人でも注目してくれる人が増えるように。それが私の生きる道の一つ。信じる道だから進むのです、それは人の性なのですから←結局は幻想水滸伝ネタに落ちるのか

今日は『七つの棺』(折原一著:創元推理社文庫)を読了。ありゃあと思う作品もあることにはあったが、全体的に面白良い作品が揃っておりました。個人的に好きなのは第三話、第四話、第五話の中間三点。先二つは話の作り方が馬鹿馬鹿しい上によくできていたから、第五話はもうこれでもかというくらいのオマージュっぷりが素敵過ぎました。何しろ題名が『脇本陣殺人事件』ですから――本家の『本陣殺人事件』を読んだ方なら、笑えることは間違いないでしょう。私は電車の中で何度も吹きそうになりましたが――そんな反応を示すこと自体、のっぴきならないところまでミステリィに漬かっていることもまた、実感できる作品なのでした。次は――『奇蹟審問官アーサー』を読みませうか。

六月二十三日 曇

10月2日発売のオリジナル版と、12月4日発売の未公開映像追加版とどちらを買えば良いか最近、割と真剣に悩んでいる仮面の男です。えっ、何の話かって? 勿論『ロード・オブ・ザ・リング』DVDですYO(お これで映画の勇姿がお茶の間で観放題――想像しただけでも気分が高揚してきてしょうがありません。まあ、それはさておき――これも含めて、最近はちょくちょく映画に行っているような気がします。去年は四月に『ハンニバル』を見て『ボク、お肉は暫くいらないよ』な気分になってしまったというマイナスの情念渦巻く鑑賞一本きりだったのですが、今年は『ロード・オブ・ザ・リング』から始まり『ビューティフル・マインド』『名探偵コナン―ベイカー街の亡霊―』『模倣犯』『少林サッカー』と、結構見てるげです。多分、28日は『D.C.』を買いにいった帰りに『マジェスティック』も観に行く筈ですから半年で六本。これまで生きてきた中では有り得ない程のペースで映画を観ていることになります。全て、一人で――いや、これは別に構わないと思うのです。寧ろ、一人で映画館に行くのが嫌だという人がいますが、私は声を大にして言いたい。基本的に、優れた作品を映画館で観るチャンスは生涯一度きりです。そんな表面的な体面のみで躊躇しているのは勿体無いです――特に『ロード・オブ・ザ・リング』は映画館で観ないだけで人生のある比率を損しているとしか思えません。さあ、孤独など忘れて作品の世界に飛び込みましょう。

などと言ってみたものの――やはり、映画は多人数で観に行くのも楽しみという事実も厳然としてあるのが、悲しいところです。嗚呼、28日に秋葉原寄った帰りで『マジェスティック』を観に行くんですって方が他にもいないものか。ただ、俗にいういちはちきんやる人と『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』を鑑賞して感動したって方の層がどれくらいだぶるのか、私には想像もつきません。カレーライスにピーマンを入れる確率よりは少しばかり高いと思うのですが微妙ですね。取りあえず、28日は六本目の映画をさっくり鑑賞してみようかと目論み中です。

ふむ[電子投票]がようやく現実になったのか――。これが整えば、投票率低下にも歯止めがかかるか。もっとも、今の決定的な政治不信をどうにか拭わないことには、何をやっても目新しさが減れば投票率は下がってしまいそうな気もします。そういや、以前のビジネスショウで日立が盛んに売り込みかけていたがこの辺りも見越していたのかな? とはいえ休日限定ヒッキーである私のような人種には助かるシステムではあります。後はセキュリティとプライバシ、改竄問題がどの程度のレベルで防げるかにかかってきますが、こういうシステムは今後、様々な部分で生まれてくるのでしょうね。後は電子的な話題でもう一つ[X-BOXの改造]が局所的に流行っているみたいです。ある意味、ここまでやるかというくらい――ディズニィと同じくらい、敵に回すと怖い企業を敵に回しているのは勇敢というのか蛮勇というのか。私は――個人的には楽しそうだなと不謹慎なことも考えてみたりしました。

六月二十二日 曇

『希望は良いものだよ 多分、最高のものだ 良いものは決して滅びない』
(BY THE SHAWSHUNK REDEMPTION)

これが何処のシーンかは敢えて語りませんが――ここからラストのシーンまで本気で泣き通しでした。これ、破壊力強過ぎですよぅ(えぐえぐ というわけで今日は『ショーシャンクの空に』という映画をレンタルビデオ店で借りてきて、鑑賞しました。以前、らあやさんの某記録に名前だけ出てきた作品で、感動できる作品と書かれていたので、記憶に留めておいたのですが――先日『マジェスティック』という映画のCMを見て少し見たいなと思いました。そこでこの『ショーシャンクの空に』が初作であるということを知り、調達してきたのですが――『フォレスト・ガンプ』は観たことがあるのに、何故これは観てなかったのかと、ひしひし思いました。この作品は素晴らしいものです。何処が素晴らしいというとなかなか語り尽くせるものではありませんが、瞬間的で印象に残る場面の描写が非常に上手かったです。それから主人公やその脇を固める登場人物の、明暗に富む深く示唆に満ちた台詞、刑務所という場所の内側の独特な描写、何よりちょっとした機知で不思議を作り出す撮り手の構成の小憎さ――最後に主人公は一つの『奇跡』を起こすのですが、その辺りの表現法が凄くミステリィ的で面白いなと思ったのです――等。何より『奇跡』を成した後の主人公のあの――おっと、未見の方の為にこれ以上は語れませんが、そのシーンを観た時、震えが来ました。何て凄いシーンを創り出したんだ、とそんな溜息しか漏れませんでした。これは面白い――そして確かに感動できました。惜しむらくはこの作品を、映画館のスクリーンで観ることができなかったということくらいですね――それだけです、私が不満に思ったことは。これは新作の『マジェスティック』も是非、観てみたいものです。ちなみにもう一つの目的であった『Trick2 ノーカット超完全版』は1から5巻まで見事に貸切状態。でもこれは――借りるのではなく手元に所持しておきたいんです。でもでも――19000円はこの先、ゲームの発売ラッシュが控えている身には厳し過ぎるとは思いませんか? という訳で今は涙を飲んでます。ごくりうめえ(違

さて、何とうちのサイトに二日連続で寄稿物が――確率的にはもう、本気で有り得そうにないのですが、現実ということで。まだ完全版ではないということなので掲載は後日ということになるのですが、初めて『水夏』のSSがこのサイトに並ぶことになりそうです。鷹観さん、絶妙なタイミングでの贈呈、ありがとうございます。本物のウイルスメールが本気で2件ほどくっついていたので、最初惰性で捨てかけてしまったことをここにお詫びしておきます。

それにしても相変わらず、月5〜10件ペースで届くウイルスというのも如何様なものか。しかも差出人が『pandaman』パンダマンって誰よ(泣 私にはそのような知り合い、いません。以前は不倫相手に出した筈のメールが間違って届いたこともあったし――おいおい、不倫はやヴぁいだろ、不倫は――そういう手のメールを出し合うんならメアドちゃんと確認して、念の為に『暗号』かけとけよ等と、他人事であるのに凄く心配になったりしました。しかし、不倫関係でメールのやり取りなんて、今時のドラマに出てきそうな展開です。で、消去し忘れて関係が夫にばれて→実は会社の後輩だった→この裏切り者っ! とかなったら――何だかドラマみたいで格好良いですよね(お

あとは――ここ数日のサッカー系話題はどうしようかなと、これも迷ってました。勝手にやってくれでは余りに無責任ですし、しかし私は初っ端から公言してある通り、私はそもそもサッカー自体に殆ど興味がありませんし、その試合を実際に見ていないので突っ込んだこと、偉そうなこと、知ったことは何も言えなかったりします。ただはっきり言えることは、もう既にスポーツが一義目的でなくなってしまったW杯なんてもう無くなってしまった方が良いというのが、ここで過去から述べてきた一貫主張だったし、今回のW杯の姿勢とか見てると本気でそう思ってしまいます。もっと公正に、そして平等に、余り利権やナショナリズム、イデオロギィが絡まない形で、真に選手の為となる『ゲームとしてのスポーツという原則を守りきれる』新しい大会ができなければ、この先の大会はもっと、救いがなくなってしまいそうな気がします。NEWS23という番組で『W杯とは平和な戦争』という馬鹿げた表現をしたキャスタがいましたが、私はスポーツの中に『戦争』等というものは微塵も求めていません。願わくば、良いプレイをした選手がきちんと評価され、自国の選手が注目され、他国の選手にも敬意を払う、潔いものが欲しいのです。スポーツとは、ならびにスポーツマンシップとは本来、そういうものであって欲しい。少し理想的かもしれませんが、その理想に少しでも近付こうと努力もしないスポーツなら、そんなスポーツが存続する意義はない。それは世界的にメジャであるサッカーや野球であっても何ら、その原則に変わりはなければならない筈。私に言わせれば、ゲームにならないスポーツなど無価値です。だから、よった審判はしょうがないと言われても――人間は機械でないと言われても――場に流されるくらいで我を見失う審判なら、ゲームとしての主導権を握る価値なんてないというのが、結局私の行き付いた結論です。楔を欠いた建物は酷く脆いように、厳正な審判を欠いたサッカーもまた、酷く脆い筈。よった采配を許容する態度もまた、絶対に私には許容できません。

その論旨で行くと私には掲示板で出ている韓国とイタリアの試合は『やっぱり審判が駄目だったから』としか言えません。よった采配が現実にあったというのは見る目のあるファンの方でも認めてる部分ですし、国家のリーグ間なら兎も角、W杯でそれをやる審判を決して持ってきてはいけなかった。W杯の審判は『FIFAの厳正な審査』を受けた選ばれた審判らしいですが、だとしたらその厳正な審査に穴があったのでしょう。『相手選手に蹴りをいれたことを見逃した』という情報がもし真実だとしたら、それこそお話になりません。ただ、選手の近年の展開的スピード化、高持久力化は審判が全てを見届けるには器が大き過ぎるのかもしれません。大きい器を包むだけの新しいシステムが、世界のスーパスターが集まるW杯に限っては必要なのかもしれません。要はフリーザの戦闘力を測ろうとして、桁が二つほど大きい故に壊れたスカウタと現象的には近いのでしょう。

ガウチ会長の発言については、見る限りでは会長の方が完全に大人気ないように思えます。そもそも、サッカー選手に限らずスポーツ選手の大言壮語癖なんて日常茶飯事ですし、それらの選手を長年一意統括してきた人間が、一時の興奮からナショナリズムを強く振り翳して一個人を公然と非難するなんてあってはならないことです。もし、その解雇された選手がイタリアのサッカーを貶したのであっても、それを質すのは卑近な言葉ではなく、次の試合でなければならない筈。それが、スポーツマンシップという奴です。勿論実際は、日本の稲本選手と同じく今期で既に切られる予定ではあったのでしょう。幾つかの情報系サイトを見ても、そう考えるのが妥当な気がします。どうも様子を見ていると、売り言葉に買い言葉で元々あった事実に二、三個くらい脚色して腹癒せしてやれというのが本当のところのような気がします。こういう場合はマネージャ側が寛容な気持ちを見せるのが、儀礼なのです。ただ、そこまで大言を吐いたその韓国人選手はもし次の移籍先が見つかれば、吐いた言葉通りの実績を出さねばならず、それができなければ、落ちていくのみという現実に落ち込みます。もし、イタリアのサッカーを彼が凌駕することができたならば、それを証明できたならば、ノー・プロブレム。腹立たしいけど、結果を出したのだから構わないという点で落ち着くのでしょう。そして、スポーツにおける天才とはほぼ須らく、そういう存在なのです。ただ、天才が本当にあるかどうかは、今後の動静を見守るしか方法はないと思われますが。

最後にナショナリズムについて。日本ではこの手の話題はかなりタブー視されてきて、ぶっちゃけて言うと、あまり意見を披露したくないところでもあります。私は日本という国はある程度好きですし、今まで自分を作る手助けをしてくれた国家に対して、それを補うくらいの愛国心は持ちたいと思っているくらいの、なんちゃって的なナショナリズムしか持ってません。それをひけらかすのは好きではありませんし、他国も敬うべきであるし貶すことは極力控えるべきだ、できれば戦争なんてなくて平和な方が良い、という穏健的な人間です。きっと乱世なんて時代に生まれたら、私なんて僅かに瞬いてすぐに消える蛍のような存在だったでしょう。そういう観点からすると、確かに韓国の応援態度は世界的大会のそれには相応しくないです。日本が負けた時の喜びようはもう、スポーツマンシップという観念をぶっちぎってますし、他国を敬わないという点では世界的規模の大会であるということを無視しているとしか思えない。まあ日本のサポータにもそういうきらいがない訳ではないですし、英国のフーリガン並の蛮行が目に付きました。ただ欧州や米州、アフリカ、アジアなどまんべんなくきっちり焦点があてられていましたし、韓国の勝利についてもきちんと敬意や栄位が込められてました。少なくとも、報道やサッカー系サイトを見る限り、私の目にも好ましく映りました。日本も韓国も、サッカーについて未熟なのは分かります。ただ、未熟なら未熟なりにそれを埋める手法はいくらでもある筈です。それすらしなかったのは、ホスト国としては問題があるのかもしれません。

と、こういうのを掲示板に書き込もうと思ってましたが、明らかに文字制限をぶっちぎるし、何より掲示板に書く容量や内容ではないということで、こちらに公開しておきます。ただ断っておくならば、これはゲームについて多少の信望を抱いたサッカーについては全くの素人の戯言。どこか間違っている、事実ではないということがあれば――できるだけ修正するつもりです。さて――ここまで長い論旨は初めてかもしれないです。足りない部分があるかもしれませんが、勘弁して下さい。今の私には、これが限界です。

六月二十一日 晴れたらしい

こんばんは『仮面』です。昨日は『、の男』の方が失礼を <同じネタを二日繰り返すな、同じネタをっ!!

本題は違います。今日はうちに久々――というかもう、二度と届くことはないと思われていたSSの寄贈があったのです。ゲームボーイさん、ありがたう、ありがたうございます。ちょっとHTMLの整形や他の用事があってサイトに載せるのは明日になるのですが、フライングしてここでお礼を述べておきます。突然なのでちょとびっくりしましたが。

さて、今日は『七つの棺』を第四番目の事件まで読みました。確かにこれわ――個性のきらぼしのような話ばかりです。そして一歩間違えば(間違えなくても?)お馬鹿ミステリィになってしまいそうな舞台設定が――まあ、感想は最後まで読んでということにしておきましょう。明日は――またM市の探検やらもっと遠いところ――そう、もっと遠い所まで行こうと思っています(遠い目 本当は段ボールからいつまでとっても取り出せない本の山を裁定するがっしりしっかりした本棚を探しに行こうと思っています。本当は泣く泣く場所がないからという理由で売り払った本で、買い直したいものが結構あるんです。そういう余力をつけるためにも高機能多段式本棚はどうしても必要となるのです。言わば、特務課題――というと少し大袈裟ですが、それほど本好きにとって必然的に本棚選びは厳しい戦いになるわけです。二百冊程度の小説を載せて崩れるような軟弱な本棚では話になりませんッ! と興奮して力説してみるも、よくよく考えてみるとこのネタでこれ以上引っ張るのはかなりお馬鹿っぽいので、これくらいで〆とします。

では、今日はネタがないのでこの辺りで。

六月二十日 曇一面

こんばんは『、の男』です。今まで隠していましたが、実は僕たちは二人で一人の殺しのユニットだったのです。このサイトも二人の合作で、二人で互いにアイデアを出し合って決めていました。ミステリィ好きなら分かると思いますが、『仮面』氏も僕もミステリィが好きで、いつかはかのエラリィ・クイーンの二人組『フレデリック・ダネイ』『マンフリッド・リー』のように、二人で一つの名前をつけて色々なことができれば良いなと日々、メイルを通して夢を語っていたものでした。そして『続・御神楽少女探偵団』にはまったことが嵩じて勢い半分でサイトを立ち上げました。『仮面の男』というハンドルは建前上、ここから取ったことにされてますが、本当は別の由来があります。『街』というゲームをやったことのある人間なら、何となく理解はつくだろうと思います。本当は一年くらいで種明かしをするつもりだったのですが、エラリィ・クイーン気違いの相棒がせめて本家のクイーンと同じ年月だけは隠しておこうと寝言を言い、渋々ながら従ってきた次第です。本当なら僕はクイーンより笠井潔が好きなんです。本当はナディアという名前で、色々な意味で皆を欺こうと思っていたのに、仮面の男では性別すら誤魔化せません。性別の誤魔化せないハンドルに意味はあるんですか? と僕は説いたのですが、ネカマは最近、ネット世界ではあまり好まれないと言われ、これも何とか我慢してきました。相棒は口が巧いだけで、実際は殆ど何もやらないんですよ、畜生っ。その癖、注文だけは多くて――その辺りが積もり積もってエラリィに関する相棒の拘りやら、ミステリィ論やらをぶん投げたら、怒り狂って絶交だそうです。僕だってもう、あんな奴とは関わっていたくありません。ということで、ここでこのサイト最大の秘密を暴露し、相棒からはftpのパスを変えて接続できないようにしました。勿論、掲示板の管理パスワードも全部変えてやったぜ、ざまあみろ。これで『、の男』などという中途半端な立場から解放され、晴れてナディアと名乗ることができます。というわけで、管理人は二人から一人になりハンドルも変わりましたが、これからもこのサイトともども宜しくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

等と、捲くし立てるように書いたら百人に一人くらいは信じてくれたでしょうか(お 勿論、上記の文は全て冗談です。私は一人、どこまでいっても一人の存在なのですよ、ヲホホホホ。人間、たまには激しい勢いで嘘を吐いてみたくなりますよね? お話で吐く嘘では無性に物足りなくなるのです。と言い訳してみましたが、基本的にはネタ切れだったりします。唯一の話題は本。昨日、古本屋で購入した『七つの棺』(折原一著:創元推理文庫)をつらつらと読んでいます。お前、ストック解消と言いながら本は買ってるじゃないかという突っ込みは無しの方向で。この方の作品は以前、かなり前に『丹波家殺人事件』を読んで以来なのですが、我孫子某氏の速見三兄弟シリーズに出てくる木下刑事とタメをはれる刑事が微妙な感じです――いや、良い意味で。ただしこの町がライツヴィルセント・メアリ・ミードみたいになることはないでしょう、きっと(笑

六月十九日 晴天

久しぶりに晴れたので、洗濯しました。お布団から日向の匂いがします――いや、寮のときは万年床にせざるを得ませんでしたから、ちょっと黴っぽい臭いがしたんですよね。やはり、日照条件というのも暮らし向きにおいてある程度、重要な様子です。後は市役所関連の処理を済ませたり『見えない精霊』を読了したり『1999Christmas Eve』の続きをプレイしたり。つまりは休みらしく休みを過ごしていた訳です。休日に全力で遊ぶのは、個人的に休みという概念と矛盾していると思うので――と自分を騙して室内でちまちまと過ごしている訳です。ちなみに『見えない――』の方はかなりびみょーーなネタでしたが、振り返ってああそんなところに伏線は張ってあったかと思った時点で一応の納得はしました。兎に角、細かくて巧い作品だとはいうことができます。小技小技で攻めていって最後に畳み掛ける――私的に燃えるタイプの作品ですね。ただ、やはり、解く方については絶望的に嗅覚がないのかなあと。ああ、全てはこれだけで説明がつくのに何で気付かないんだこの馬鹿っ! って感じでした。

昨日、うちではゲームネタはないと言いましたが、どうしても突っ込みを入れたいネタが二つあるので、ここで紹介しておきます。先ずは私的に今年、最も衝撃的なゲーム業界のニュース――[クエスト、ゲーム部門をスクウェアに譲渡]みたい。な、なんて、こと――(汗 私も前々から噂だけは聞いていたのですが、やはりか。でも、プロデューサ、イラストレータと来てゲーム部門全体がスクウェアの手に渡ってしまったということは『オウガバトルシリーズ』の新作は間違いなく『純正スクウェア産』だということに。嗚呼、あのタクティクス・オウガのシステムだけを借りた思想もゲーム性も薄っぺらのぺらっぺらな『ファイナルファンタジー・タクティクス』なるゲームの悪夢が、私の頭に凄く圧し掛かってくるんですが。例の『チョコボの不思議なダンジョン』の時といい、この会社は良いゲームを作り続けてきた会社でもある反面、外部から強引な手法で取り込んだ良質ゲームを非常に歪な形にしてしまうことでも有名な会社。『オウガバトルシリーズ』の新作がそのようなことにならぬよう、私は祈ることしかできません。ただ、祈るだけ。もう一つは[トルネコの大冒険3〜不思議のダンジョン〜がPS2にて発売]とのこと。このサイトでは極一部に、局所的な影響をもたらしそうな話題です。私は――ええ、一応様子見ということにしておきますが、9割9部の確率で買うでしょう、ええ買いますとも。それにしてもこの会社、物凄く本気で全ハードを網羅しようという気がありありと見えて怖い。絶対この会社は『X-BOX』『ゲームキューブ』でも不思議のダンジョンシリーズを出しますね、この勢いだと。想像するだけで出費が痛いです。個人的にはSFC版をPCかPSくらいで復刻して欲しいという願望を持ってるんですけどね――色々なシリーズは出てますがSFC版のシレンが私にとっては恐らく聖典であり続けるでしょうから。というか、誰か訴えて下さい。私は全力で応援しますから――って、昨日も同じネタをやったような気が――まあ良いか。最後は[24時間耐久レースゲームをやった男達]という純正ネタ。このセガという会社は本当、馬鹿なことを本気でやってくれる部分は凄く好きですね。ただ、体の張り所が違うという突っ込みははたしてして良いのだろうか(汗 以上、面白い私の好みに偏重したネタでした。

六月十八日 巷に雨の降る如く

今日からフレッツ復活、仮面の男です。これで、掲示板に書き込み時は切断して、勿体無いから手で拭いて、紙がないから食べちゃったというようなこともなくなる訳です。ちなみに目的の広帯域かは、九月頃を目指して鋭意推進中。しかし、移設手続きだけ取ってみても、NTTは部門ごとの連携が非常に薄いという組織をありありと感じさせられました。何か、電話の対応を聞いてるだけでもお互いに反目しあってるって雰囲気がひしひしとします。どうか、仲良く。今日は『日本VS土耳古戦』の為か、うちの会社でも神隠しが続出しました。中には日本代表のユニフォームを着たまま神隠しにあったものもあり――というか、世界杯のテレビ観戦を見る許可を『上長に求めに行く』のは流石にどうかと(大汗 私はその様子を傍目で見ておりました。ええ、私は他人の振りしてました――ボク、興味ないもん。ちなみに上長は聞かなかった振りをしてました。ええ――それは『至極正しい判断』だと思います。あれで後に責任取れなんて事態になったら目もあてられません。私ですら『冗談の全く通じない上司』を片手で溢れるほど存じているというのに――うちの会社は堅くて真面目な人多いんですから――。もしばれでもしたら『そんなにサッカーが見たいのか、ではコンサドーレだ、札幌に左遷だ』ということになりかねません(9割9分冗談 まあそれはさておき、殆どの人間はネットで途中状況をこっそりチェックしていたでしょう。で、結果はここで言わなくても何処かでしいれているでしょう。0-1で日本は負けましたのです。暫くして、その上長に見捨てられた方々が帰還。日本の選手の悪口ばかり――嗚呼、敗北の将にかける言葉やありやなしや。で、挙句の果てには『日本人の全員が応援しないからだ』と憤慨しだし、興味ないからと私が言うと『この裏切り者っ!』うあ、いつのまにかねーちん化してる――怖っ! 無茶苦茶怖っ! と、こんな感じで熱狂の度合いが凄まじい。きっと今日は日本各地で自棄酒が乱発し、明日色々な言い訳をして休んだり半休を取ったりする会社員が続出するのでしょう。明日が休みの私には関係のないことですけどねー。

明日は転入届を提出に、M市市役所まで赴く予定です。何度も何度も思うのですが、一月に一度くらいはせめて土曜日くらい手続きをやってくれと思うのは私だけでしょうか。はっきりいって、時間通りにあくせく働く人種に合わせる時間はないと嘲られているような気すらして、欝になります。このサービス多様化の時代にここまで硬直した組織が存在することは最早、罪です。独身の会社員が周りの歩調を気にしつつ、平日に休暇を取る事がどれほどの尽力を被るか――もう、それだけを心から訴えたい気分です。というか誰か、訴えて下さい。私はそれを全力で応援しますから。

さて、今日はいくつか面白かったり興味深かったりしたことを。先ずは[こちら]をどうぞ。実力あるコード・ブレイカの能力って凄いなあと思うと同時に、こういう技術を持つ人間が表にすらこれほど存在するなら、迂闊に安易なパスワードは付けられないなと改めて認識。でも、暗号の解読要素を一人で墓まで持って行くなんて――こういう如何にも本格ミステリィにもありがちなシチュエーションが、現在の暗号化社会なら起こってしまうことも有り得るのですね。私も死ぬ時には遺言書のデータを暗号化して、複合化できた人間に全財産をとかミステリィっぽいことをやってみようかしらん。さて、お次は[これ]辺り。JPEGファイルにデータを埋め込む技術というのは、私も拡張子制御のかかっているサーバを欺くための技術として幾回か体験したのですが、ウイルスを埋め込むというのは初耳。勿論、復号用のウイルスは今までのPCウイルスと一緒で『セキュリティ情報の確認や自己制御、対策ソフトによる定期的な検索』によって防げるのですが、もしかすると何時の間にか爆発しない時限爆弾を抱え込んでたりするのかも。ちょっと怖いですね。まあ、表側に影響を及ぼすことはほぼなさそうですが、如何わしいアンダーグラウンド系の画像を拾い集めている方にとってはもしかしたら、危険度もう一つ増しくらい考えておかなければならぬのかもしれません。えっちなのはいけないということですね(笑 最後は[こういう世界新記録]の話。92歳で18秒60――この年になると歩くことすらままならなくなる年齢で、ここまでの疾走ぶりを示せるというのは正直凄いです。それに心の赴くまま、身体が動く限り走るというのは格好良いなあと思います。倒れるなら前を向いたまま――私も是非、そう生き続けてみたいものです。以上、斜めでホットなニュースをいくつかご紹介しました。ええ、うちにゲーム関係のホットなネタを求めては駄目なのです。

六月十七日 倫敦風曇

『あなたは、ぼくの自分に対する自信を打ち破りました。これから先、ぼくはどうして再び、こんなブリキの神様のような役を演ずることができましょうか? ぼくにはできません。とてもやる勇気はありません。人間の命を賭けることなど、ぼくの身体の中にはそのような分子はありません』
(BY TEN DAYS' WONDER)

うわあ、そう来たかあ――というわけで『十日間の不思議―TEN DAYS' WONDER―』(エラリィ・クイーン著:ハヤカワミステリ文庫)を読了しました。今まで法月綸太郎氏の著書から悩む(付け加えるならば優柔不断で軟派で困ったことを論理でなく拳骨で切り抜ける)名探偵としての像も存在する(が故にこの探偵については初期と中期以降で微妙以上の設定変更がなされているらしい)と知っていましたが、初めてそのことを心から実感できた作品でした。筋的、心理的方向性は非常にはっきりとしていて、以前に読んだライツヴィルものである『災厄の町』と同じで登場人物が粗方出尽くしたところで犯人の検討は直ぐついてしまいます。ただ、それ故に少しだれた『災厄――』と違って今回は最初から最後まで一気に読めました。兎に角、興味を逸らさぬ筋立てが見事に組み立てられていて、その辺も上手い作品です。海外物の作品で、ここまで素早く読み通せたのは久しぶりでした。本当に必要な人物だけに焦点を絞り、森博嗣氏が以前作品の中でいっていた『四人いればミステリィは成立する』という論理をこれでもかと体現しているような作風でした。殺人が起きるまで2/3の分量が割かれているというのは、同じくそのくらいにならないと現実に殺人事件の起きないクリスティの作品をいくつか思い出します。具体的に挙げると『ゼロ時間へ』『忘れられぬ死』『終わりなき夜に生まれつく』辺りかしら。同氏の『Zの悲劇』が大根役者の下手な舞台劇くらいにしか見えないのと比べると、舞台作りから心理描写から凄く進歩してます――というか全然別物ですよ、これ(汗 この辺りが『クイーンの中でも特に異色の作品』と呼ばれる所以なのかもしれません。ちなみに私はこういう話が好きなので良かったのですが、好き嫌いは別れるかも。タイトルの台詞はエラリィが真相に打ちのめされた時に吐いた心からの弱音――完全ネタバレに触れる台詞を除いて二番目に印象に残った言葉より。探偵がブリキの神様だというのは洒落た表現だなと思うと同時に、自分の持つ探偵感というものを少し崩されたような気がして、哀しい気分にもなるのです。

今日は続いて『見えない精霊』を読み始め。まだ本当にさわりのところだけなので何も言えず。明日には読了できると思いますがはてさてどのようなものか。さて、そろそろ某有名ミステリィ作家の日記帳を真似たスタイルも半月を超えました。これは一ヶ月続けて、七月からはまた新しい芸風を試してみようと思ってます。『人間は芸風を固めてしまうと、自分の時が止まってしまうんだ』という有名な台詞? もありますし。そう言えばこの台詞で思い出しましたが『ワールドエンド・フェアリーテール』の続きってどうなってるんだろう――例のENIXのごたごたを受けて一時的に休載状態という話を聞いたこともあるのですが(泣 ただ――結局はドロップ・アウトもできなかった某加藤氏の乱のような曖昧な争いで、良い作品が封殺されているのであるならば、それは非常に嘆かわしいことです。『クロスボーン探偵団』の続きも出たら良いなあと期待してるのに――私は箱田真紀氏の作品をもっと読みたいのに――嗚呼、天に住んでる神ではない何かが意地悪ですっ。

六月十六日 曇っぽい

最近、天気予報が正確過ぎるとお嘆きの方のためにうちは少し表記を曖昧にしています。曇っぽいとか適当に雨とか――まあ、この辺りは誰も見ていないであろうから、どうでも良し。今日は『サンクリ16』の方に行って来ました。11時過ぎについたので直ぐにカタログを買ってぱらぱらとめくりながら軽く巡って。軽い貧血症に陥ったので13時前には脱出していましたが、個人的には途轍もなく『ロード・オブ・ザ・リング』っぽい表紙の月姫本を手に入れただけでも勝ちかと。いやもう、笑えた笑えた笑えた――。ちなみに何人か、話し掛けたい人はいたのですが、やはり生来の引っ込み思案な性格が邪魔をしていた為に何もできず。その後、秋葉原に出かけてパソコンラックと『夢のカリフォルニアの主題歌CD』を購入。帰りの電車に乗っている最中、何かを忘れてる何かを忘れてると頭を捻り続けていたのですが――予約忘れたーーーっ!! 迂闊った、やっちまった(泣 

本は『十日間の不思議』をその前段階となる『九日間の不思議』まで読みました。残すは『十日目の不思議』のみ。運良く『フォックス家の殺人』はネタバレから回避されているようですが『災厄の町』はネタバレありまくり。いやあ、先に『十日間――』から読まなくて良かったあ(安堵の溜息 まだこれからラストを読むので続きは差し控えますが、殺人が起こった時点で犯人が分かり訳も余り宜しくなかった『災厄の町』と比べれば読み易く、しかも展開的にだれてません。まあ――詳しくは明日に。次はストックにある『見えない精霊』辺りを読み進めて見ようかと。実は一番欲しかった『蒼月城の惨劇』が何処にも置いてないんですよ(泣 きっと重力法則とか運命を決定する方程式が何の作用か分からないですが、最近私に嫌な事象をより多く引き起こしているような気がしてしょうがありません。しかし、やっぱ古典作品というのは読んでてほっとします。それに結局、ここ一年間で鬼のような質量で発刊されているミステリィを取ってみても、例えばエラリィ・クイーンの国名シリーズでは私的に最低の評価だった『チャイナ橙の謎』を越える展開と論理すら紡ぎ出せた作品は一握りもありません。もしかすると、一つもないかも――そう考えると十数年前に本格ミステリィの復興運動って結局、何だったんだーーーって思ってしまいます。勿論、ただ人が死ぬような動機だけが多々としてもてはやされていた時代と比べれば確かに健全となったように思えますし、多様性のあるミステリィに触れることができるようになったのも、私の生きる上での一つのベイスを気付いているのは間違いないところです。しかして復興運動の本来の意義が無くなってしまえば、結局は『人死に小説でもない、本格ミステリィでもない、よく分からないミステリィ小説』が氾濫してしまいそうで怖い。これをどう取るかは人次第でしょうが、少なくとも私はこれを『進化』などとは呼びたくないというのが本音です。あと十年経った時にアガサ・クリスティを貪り読んでいた時の興奮と謎と論理を思い起こさせてくれる作家が何人いるのか――ふと不安に思った今日この頃なのでした。

ということで今日はこれから『十日目の不思議』をもって読了しようと企んでおきましょう。

六月十五日 曇適当に雨

『霧越邸殺人事件』ってもう大分前に文庫版で発売されてなかったかしらん(謎 いや、文庫版で随分前に呼んだ記憶があるので――何でわざわざ金のかかるスタイルで再発売するのか――出版社の事情というのは分かりませぇん。まあ、それは良いとして他にも『真夏のミステリーズ』という毎年お決まりのミステリィの文庫出版ラッシュの時期がやってきております。しかし――うーん、どれも欲しいような欲しくないような(汗 取り合えず、以前に『うんこ事件』として激しく紹介を受けた『ウロボロスの偽書』辺りに興味を惹かれるものがあるのですが――。多過ぎて逆に的が絞れないので、結局は確保している小説を順繰りに読んでいくという状況は変わらなかったりします。というわけで用語解説が残っているのですが一応『エレガントな宇宙―THE ELEGANT UNIVERSE―』(ブライアント・グリーン著:草思社)を読了しました。私はこの本を読む前から僅かだけ『超弦理論』の存在については知っていた(以前に貸して頂いたNewton別冊や様々な本からの微細な情報ですが)のですが、成程理論を全く知らない私が読んでも、この超大統一に向けた動きが如何に躍動的で心沸かせるものなのか――その一端でも理解できたような気がしました。勿論のこと、気がしただけですが。でも、流石米国でベストセラーになっただけのことはあり、例えは微妙ですが話題の持っていき方が絶妙で無理がなくそれでいて自らの功績を紹介することも(作者自身が超弦理論を研究する第一線理論物理学者)忘れていません。色々な意味で、上手い解説書でした。ともあれ超大統一理論、ひいては宇宙開始の理論までを等しく繋げ記述する統一理論の有力候補たる超弦理論を紹介した本書。夜空を違った観点から眺めたいと思う方で、物理学に激しい拒絶を持たない方なら心を留めておいても良いかもしれません。それにしてもやっぱり思うのは何故『超弦理論(ちょうげんりろん)』ではなく『超ひも理論』なのか。語源は正しくというのは分かるにしても、語呂が悪過ぎるネーミング・センス。別に『超紐理論』と書いて『ちょうじゅうりろん』と読むようにしても良いような気が――。それとも暗黙の命名規則というのが訳語会のようなものに存在でもしているのしょうか――これも分からないなあと思います。私としては『ちょうげんりろん』というのが一番、韻の響きとして美しいように思えるのですが如何様か。

今日は帰り道、唐突に頭が違和感、空を見上げると電線一杯の鳥。うわこれが都会の所謂鳥害というものの原因かと激しく焦りましたが、本当の焦燥は次の瞬間、やってきました。追いついてきた私の思考が『鳥の大群→頭に違和感→雨は降っていない→世界は愛に満ちているよね』ときてファイナルアンサ。『鳥の糞』が頭を直撃しました(号泣 服に当たったことは一度あるのですが、脳天直撃という『何処かの一昔前のゲーム会社のキャッチフレーズ』が浮かぶような事態は初体験でした。こんな初体験は、できれば死んでも体験したくはありませんでしたが野生の鳥の糞は下手するとやヴぁい病原菌を含んでいると聞いていたので糞を仮除去した後に速攻で帰宅。いつもの二倍の泡の量で丹念に洗浄しました――ああ何か嫌なことが起きる確率ばかりが上昇しているような気がします。こんな私に幸せの一番星はやってくるのでしょうか。 ←絶対に来ません

話題は変わり最近『夢のカリフォルニア』というドラマをよく(と言っても、引っ越す前はビデオのない環境なのでどうしてもとびとびにしか見られなかったのですが)見ています。堂本剛が主役で金曜日の22:00からやっている連続ドラマです。このドラマがまた、一話ごとに色々なことを考えさせられる話だったりします。自分のこと、他人のこと、なりたい自分、なれない自分、大切なこと、大切にできないこと、強くなりたい自分、実際は弱い自分――こういうことが切々と描かれていて、何処か切ない気分になるのです。しかも第一話の決め台詞が『世界は愛に満ち溢れているよね』です。何というかその――見たくなるのも当然(この元ネタは○○○の○○のラストなのかなあやっぱり、とか)じゃないですか。でも、何というか――見て絶対ブルーになるけど、できる限りは最後まで見たいなと思える話です、今のところ。自分は何になれるのか等ということを、もう少しで私もきっと考えなくなるかもしれないからこそ、多分こういう話は年を取ると何甘い青臭いこと言ってるんだと批判しかできなくなりそうで怖いから、今の時期にこういう若さゆえの痛切なさが滲むような話をできるだけ読んでおきたい、触れておきたいと熱望します。例えば浦賀和宏氏の『記憶の果て』『時の鳥篭』も今の世代で読んだからこそ心に沢山、残るものがあったのかもしれませんし。海外物の古典ミステリィも数年後には更にミステリィ擦れする可能性のある私には楽しめないかもしれないから――最近、名作には時代は関係ないと言われつつもやはり、本というものは楽しむのに適した世代的環境的要因における『賞味期限』があるという考えが、頭にとりついているのです。一人の物語の読み手としてできるだけ沢山の観念、概念、世代を否定せずに優れた作品を手に留め、感動や興奮を得たいとは願うのですが、私にそれが何処までできるだろうかというのは、無駄な悩みなのか贅沢な悩みなのか――。

あともう一つ余談。今日TBSでやっていた『大富豪婦人消失の謎』という話はなかなか面白かったと思うのですが見た方、どう思われたでしょうか? 19世紀というまだ完全に秩序だった政府が気付かれていない時期とはいえ、あれだけの完全犯罪を近代警察機構のいち早く整ったフランスの地で、全てのものを手玉に取りながら行ったというのはどれほどの度胸の持ち主なのか――歴史上の偉人なんかより、この完全犯罪者達にインタヴュできたらどれだけ面白い話ができることやら。まあ、あれが何処まで史実で何処まで脚色かは分からないですが、大抵くだらないオチに落とすので有名な番組ですから、ああいう素敵なミステリィを映像にしてくれるというのはそれだけでも素晴らしいかと。背景に『ゼノサーガ』の音楽が流れた時は思わず笑ってしまいましたが――いやあタイムリィ。きっとTBSの中にあのシリーズの大ファンがいるのですね。

さて、明日は某イベントに行った後、予約し忘れていた『D.C.』『かまいたちの夜2』を予約しておきましょう。前者はなんとこの日のために休暇を取ったくらいですからね。いや実際は勿論、冗談であって、本当は休日出の代替をこの日にあてただけのことなのですが――なのですよっ。あの、もしかして信じて貰えない?(大汗

六月十四日 曇

皆様今晩和也。今日は右を向いても左を向いても『日本対チュニジア』ばかり。朝の電車では話題になる、何かと話題が飛び交う、作業先の会社ではテレビが社員に占領されていて上司も咎める所か積極的に観戦にいく模様。何というか、もうこの時流に乗らない即敗北者という雰囲気すらできている昨今ですが、祭時に素直に騒げる度量を持つという点では、日本もまだまだ底力はあるのだなあと、私的には別の部分でほっとしてます。それにしてもサッカーなんてどうでも良いとさえ言えない雰囲気が徐々に醸成されてるとはどういうことか。口にしたら最後『非国民』とか『よくも傷付けたな、この裏切り者っ!』とか罵声がとんできそうで怖いです。特に後者は、私の心を沢山踏み躙ってしまうことでしょう。にしても、こういうことを記録で綴っている辺り、私も世界的蹴球杯の雰囲気に毒されている一人であることは間違いなさそうですが――ヲホホホホホ。

本は『エレ宇』を350ページくらいまで読みました。これは明日くらいで読み終えられそうです。続いては『十日間の不思議』を。

しかし、今日は世界杯とか本とかも割とどうでも良さげです。というかはっきりどうでも良いです。某ゲーム雑誌を見て、狂喜の余り飛び上がりましたから。理由――。

 

逆転裁判2

 

が発売なのですよ、ええ。あの斜めネタ満載の法廷アドベンチャの続編が発売されるのです。これを喜ばずして、どの要因で喜べというのか。2002年発売ということですから、今年屈指のネタになることは間違いないでしょう。前作も人間から果ては小さな子供を恫喝し、犯人をでっちあげ、挙句の果てにはナマモノまで尋問するという異次元ぶりを発揮していましたが、今回も紹介ページを少し見回しただけで一見さんさようならすれすれのキャラが二人。先ず『お前結婚してたのかよ』と突っ込みたくなるような前作の大御所狩魔豪の孫娘狩魔冥検事。米国で13歳で判事になり現在まで無敗――というか『鞭で恫喝』して良いのかっ、でっ(汗 どうやら序審法廷には『法廷侮辱罪』とか『脅迫罪』とかそういう概念はなさそうです、何て適当な――(笑 取り合えず、彼女の登場によって『逆転裁判のメインヒロイン、御剣怜侍の立場はどうなるのでしょうかね(お もう一人は、霊媒師『綾里真宵』の姪でこれもまた霊媒っぽい容姿が異彩を放つ『綾里美晴』嬢。何だか微妙な層にアプローチしている気がしてしょうがないのですが、それは私の勘違いでしょう。にしても、1はあそこまで面白いゲームなのに『興業的に失敗』とはどういうことか――アレが売れないとなるとミステリィ好きのゲーマというのはほとほと見る目もないのか、はたまたアレ自体の知名度が元々、低い所為なのか――。私自身、何人もの人間をあのゲームに引きずり込んだつもりでしたが、それではまだまだ足りないみたいです。知らなかった或いは興味あるけど躊躇っている方は是非とも一度、プレイしてみて下さい。ネタと笑いと感動の内に、遂には記憶の果てに辿り着くことは間違いなしです。皆様、是非とも向こう側の住人になって下さい。

六月十三日 大体は曇

『こうなったら、じゃんけんで犯人を決めます』
『な、なにー?』
(BY SEALED BOOK CASE)

良いなあ、こういう弾けたセンス――(憧

死なないように、生きていこう――というわけで今日の記録です(謎 さて、昨今どのサイトに行っても蹴球蹴球蹴球、『世界的蹴球杯』の話題で満ちていて世界が愛に満ち溢れていることを知らない人間には肩身の狭い状況となっております。祭はどうしても肌に馴染めない人間にとっては酷い寂寥感を伴うものです。他の人にはあんなに楽しいのに、私にとっては殆ど楽しくないというのは、実は私の感覚の方が壊れているのではと邪推したりもします。まあ――今月ここでまともに出た蹴球の話題が唯一『少林足球』というのもどのようなものかしらんと思うのですが。流石にこれではまずいので、少しだけ世間に迎合して世界的蹴球杯ネタをどうぞ。2050年かあ――以前に紹介した『リアルドラえもん』よりはまだ期日的に余裕もありそうですが、それでもまだ無茶っぽい気がするのは私の気のせいでしょうか? でも、これだったら『人が空を飛んだり』『シュートが火を噴いたり』『スローイングで得点したり』という『少林サッカー』ネタっぽいことが平気でできるようになるかも――未来は明るいっ(お ちなみに普通の蹴球ネタを期待した人、ここはこういうサイトでこの記録を書いている人間はこういう人間です。素直に別のサイトに退避することをお薦めします。

本です。先ずは『袋綴じ事件』(石崎幸二著:講談社ノベルス)を読了しました。相変わらずはっちゃけたネタだなあ――というか『八丈島のきょん』とか『鉄人28号バージョン8』とか『怪傑ズバット』とか、何故今日びのお嬢様学校の女子高生が知っているのか――もう、やりたい放題ですね(笑 人を平気で賭けの対象にするわ、電波少年の如く相手の都合を省みず拉致るわ――何ともはや。ただ今回、地の文がいやいや書いた読書感想文のようで非常に読み難いのが――もうちっと何とかならんものかという点と、やはり舞台設定の作り込みが足りないという点で前三作よりは(それでも、上手く捻った、それでいて白々しい解決にはなってましたが)落ちます。というかこの作品もそうですが概してこの『密室本』というやつ、ページ数が中途半端な上に物凄くやっつけ仕事が多いんですね。少なくとも今まで読んだ中で完成度が高く面白いと言えるのは舞城王太郎氏の『世界は密室でできている』だけでした。これからどうしようかなと思いつつ、追々買い逃している密室本も大抵は買ってしまいそうなところ、結局私は『講談社の犬』なのです。反抗手段としては『週刊少年マガジンを立ち読みで済ます』くらいでしょうか。話は変わり現在は『エレ宙』の続きを読んでいます。現在、半分ほど。ようやく『超弦理論』のさわりくらいまで――この本、分かり易そうで分かり難い例えが多いです。ただ、読んで途中で挫折した『Newton別冊増刊』に比べたら理解し易いかも。ともあれ、文脈からは今までに研究され現在熱狂の渦の中、そしてこれからも発展していく分野というのはおぼろげながら分かります。そして、これが正しいものだとしたらガンダムが正しく動く筈がないというのも(Gガンダム系を除く)はっきり過ぎるほどはっきりと分かる、『日常生活に限定すれば全くためにならない』本だと断言できます。

ちなみに付け加えるならば、今日の夕御飯は『チキンラーメン+卵』でした。いや、買出しする時間が私には無くて――無いんですよおぉっ(大泣

六月十二日 雨時々曇

◆寮を出たならば、節約せにゃあなりません――某詩人風に自らを戒めている今日この頃ですが、具体的にはどうやって節約するかは各々次第だったりします。取り合えず、私には本代を節約するのが無理っぽいので(それでも半額くらいにはする努力をしたいですが)別のもので代用しなければなりません。クーラは余程はっちゃけない限り使わず扇風機や団扇、厚着でしのぐ。洗濯は溜めてから一気に、湯船に湯を溜めるのは控える。この辺りは基本料金内に留めるという範囲での小さな節約ということになるでしょう。◆対して、具体的に大きな節約になるのが概して食費だったりします。幸い、私は飲む方も呑む方も皆無です。この点にかけては政府に余分な税金は払っていないと胸を張っていうことができます。ただ、ジャンクに頼るようならこれらの点もたちまち雲散霧消。そこで不肖、色々と鉄則を再確認する為に思いつく最低限のことをここに書き留めておきます。先ず、お茶は沸かす――これで二リットルペットボトルを二日に一度買う出費を無くします。瓦斯と水道代は一人暮らしなら原則、基本料金で相殺できるので事実上必要なものは麦茶パックくらいのもの。麦茶は50袋で200円くらいのものを買い込んでおけば、数ヶ月は持ってくれる筈。更に上級編として、500mlの空のペットボトルに『会社で飲む分のお茶を入れてさぞ毎日買ってますよーという顔をする節約法』もありますが、これはばれると周りの自分に対する信頼がぐっと下がるので、実際に実行するかどうかは思案のしどころでしょう。ただこうして考えると、普段の飲み物を市販に頼らないというのは考えた以上の節約効果がありそう。って、普通ならわざわざ対価を計算するまでのこともないのでしょうが、一人暮らしの男性なら暇と原価を天秤にかけて真剣に悩む私の心を少しはすくいとってくれるでしょう。

◆後は月並みですが、自炊。それも単なる自炊ではなく、材料費に気をつけながらという条件をつけて。これがまた難しく、こういう部分で優れた感覚を持つ主婦というのは凄いなあと思う訳です。私など、日持ちのする『カレー』『シチュー』を作りためるという発想しか浮かびません。勿論、カレーもシチューも栄養価という点では申し分ないし、本当のいざという時に『あらこんなところに冷凍したカレーが』等という幸運(九割方実話)をもたらしてくれます。まあ、例が凄く適当だったのですが要は『具材を使い切ること』『料理が日持ちすること』が大事な訳です。例えば一人暮らしだと、パックに三、四個入った人参を一回の料理で使い切れることはないのですから、明日明後日の献立も考える可能性が生じてきます。それっきりということになれば人参は干からび、果てにはとんでもない状態になったりする(十割方実話)のです。それを打破する方向性としては二つ。先ずはレパートリィの拡充。もう一つは献立に対する高い計画性。とても馬鹿馬鹿しく感じられるかもしれませんが、自炊というのも改めて考えれば存分にタクティカルなものへと変貌するのかもしれません。ここまででお気付きの方もいるかもしれませんが、今日の私は他に類を見ないレベルで真面目に馬鹿なことを述べています。本当に――他愛もないことです。

◆本は『袋綴じ事件』を通勤時間で半分ほど。少し休んでから、続きを読みます。これを読み終わったら『エレガントな宇宙』の続きを。更には『十日間の不思議』を読む予定。こちらも――ええ、お前が節制するなら先ず本を控えろと矢のように連呼されていますが、読んでない本も多々ある訳ですし、暫くは貯めた本に専念しようかなと目論んでいます。

ちなみに一つ付け加えるならば、今日の夕御飯は『チキンラーメン+卵』――総計60円也でした。何か言いたいことがあるでしょうが――一日くらいでは死にはしないでしょうということで。

六月十一日 曇

生温い風、じっとりねっとりと体に纏わりつく空気、どんよりとまったりと佇むだけの雲、ああもう――不愉快だあ(某アニメ第六話サブタイトル風に こんばんは、熱帯低気圧の接近的兆候に意味もなく苛々している仮面の男です。こういう時、北海道辺りではなく北極に逃げたいと一瞬でも妄想する辺り、私の頭はナーヴァスでクレイジィな予感がします。北極を裸で走り回れば数分もしない内に凍死することが理性では理解できるのに、妄想の中で私は風なのです。想像の地平を駆ける一陣の風――そう、真性駄目人間がここにいます(お

今日は、昼一番でお金を卸しました。もう、ボーナスの日に腹を空かせて切ながる自分を見出すなんて真っ平御免です。その後、本屋でむらむらと衝動買いの気が起きて『アイルランドの薔薇』(石持浅海著:光文社)『見えない精霊』(林泰広著:光文社)『十日間の秘密』(エラリィ・クイーン著:ハヤカワミステリ文庫)『あずまんが大王4巻』(あずまきよひこ作:メディアワークス)『袋綴じ事件』(石崎幸二著:講談社ノベルス)の五冊。特に最後の二冊は待ち望んでいた作品、個人的に今の気持ちを某風に語ると『袋綴じキターーーーーー』という感じでしょうか。兎に角、石崎幸二氏のデビュー作からのシリーズは微妙なネタが多くて笑えること笑えることで、なおかつビミョーと思えるところも多々ありながらちゃんと本格ミステリィしているので、お気に入りの作品だったりします。例によって人を選びそうな笑いだったりキャラクタだったりするのですが、他人の不幸を鳥瞰するのが好きだという方はきっと、笑いつつ唸らされるのではと思います。私ですか? 好んで読んでるのだから言わずもがな――ですね(微笑 

他にも色々興味のある作品はあったのですが、シリーズ物だったり少しばかりの躊躇が入って立ち止まったりもしたり――何だかたちの悪い麻薬中毒患者のような足取りで本屋をうろついた日のこと。『袋綴じ事件』を手に入れてほくほくだった日のこと。

六月十日 晴

今日は、越してきてからはじめての出勤です。はじめての何とかやはじめての何やらとは違って卑猥な響きのしない、極めて清涼飲料水のような朝でした。つまり筋書き通りのブルースカイ(BY GARNET CROW 2ND ALBUM)です。引越しをした目的の一つが通勤時間の短縮であったので、その効果を身を持って感じられる第一弾となった訳で。普段なら七時過ぎに起きないとまずいのですが、今日は七時半過ぎても布団の中でごろごろー、ごろごろー。私は起きているか眠っているか分からない、微睡みの中に心身を委ねているのが幸せなのです。はうーー、幸せだあ――。

何時の間にか八時前――急がないとやばくなり、結局朝の慌しさは前に住んでいる場所とあまり変わりませんでした(汗 通勤時間が短縮したいの一番から遅刻していたのでは洒落にならないので、結構小走り。人間とはこういう時に本性がでるものです――きっと私の前世はうっかり八兵衛かHMX-12型だったのでしょう(何処か矛盾溢れる発言

時間は飛んで昼休憩。私は生活必需品の多くを百均揃えるため、その手のショップへ。そこで、お皿やらスプーンやらあと生活用品を2000円分買い込むもこれが夜の過ちの元。やがて仕事を終え、帰宅途中のコンビニで食糧を求め品定めしている途中で財布を見ると――。

百円ちょっとしか
ありませんでしたーー(泣

さりげなく2リットルのペットボトルとパンを戻し、オレンジジュースを手に握り、今私はここにいるのです。そう、お腹が空いて結構切ないです。切なさ大爆発です。

[今日の教訓]買い物の前には先ず、財布の中身を再確認 ←当たり前だ

 

六月九日 晴

今晩は、イスカリオテのユダの如く仮面の男です。今日は自分がこれほどまでに、異端人間であることをいやというほど理解した日でしたが先ず、それはさておき――。

唐突ですが、私は耳掻きが人生の中で無くなり易いものベスト3には入るのではと私は常々思っている人間です。大学の時は総計で四本無くし、大学の時に住んでいたアパートを引っ越す時に『全部、家具やカーペットの隙間から発見された』という、あまり人間の模範にはできない生き方をしています。それを前提において――今回も当然、そういう発掘めいた発見があり、耳掻きはきちんと纏めて何処かに入れたのです。が、入れた場所を忘れてしまうという迂闊なことをやらかしました。そんな時、家具等の組み立て器具一式の中に千枚通しが入っているのを見出せば――。耳掻きがなくて、困っている時に千枚通しを見出せば――さて、私はそれをやってのでしょうか、或いは否か。答えですか? 自分で決めるんだ(某博士風に

そんな、どうでも良いことで悩んでいた午前中のこと。後はずっと放ったからしになっていた『1999 Christmas Eve』というフリィのADVを久々にHDDの果てから引っ張り出して、プレイ。これも、積めたゲームを取り出すのが面倒臭いのと、テレビが来ていないのでコンシューマゲームができないということがあってのものなのですが、前回プレイして挫折した前哨戦なのです。というのも、前は何故か一章より先に進めず苦労していたのです。しかし、今度は楽に二章へと進めたので――三章で詰まって全く先に進めなくなりました(泣 うーん、難易度無茶苦茶高いなあ、このゲーム(汗

午後四時くらいまでずっとそれをやってて、ようやく電気屋さんが来たのでゲームを中断に。やって来た電気屋さんの手際の早いこと早いこと――三十分くらいで冷蔵庫から瓦斯焜炉からテレビからビデオからビデオ台から、セットアップして風のように去っていきました。ああいうのを実地のプロなのだなと思いながら、これで家に拘束されている理由が消えたので昨日も宣言したように『少林サッカー』を観に行きました。ただ、それまでは時間もあるのでカーテンを購入することに。あれが無いとうっかり隣で『妖怪大運動会』なんてものを見てしまいそうなので意外と重要なアイテムです。観ても良いのですが、多分観ないに越したことはないものだと思うので――それを某量販店で購入した後、唐突に思い立って自転車も購入。約一年ぶりの感触に鉄騎疾走の爽快感浪漫の騎士であるような錯覚を抱いていたのですが、突如、鼻に違和感。

『鼻血』が唐突に、襲いました(泣 蹲り、アスファルトの地面に鼻血が滴り落ちるという無残な状況で、ようやく鞄からティッシュを取り出し鼻につめることに成功。直後、通り縋った女性にくすくす笑われて――私は大人の尊厳と自尊心という奴を粗方無くした負け犬と化しました。

ただ、そんな負け犬っぷりもその後の体験に比べればプロローグに過ぎません。松戸の映画館に赴き、昨日は『模倣犯』を観た場所に今日は『少林サッカー』を観に突貫です。ただ少し早く来すぎたらしく、前回が終了十分前くらいに到着したのですが。

うおりゃっ!!

はあああっ!!

その他諸々のど派手な効果音が防音されている筈の館の外まで――何だよ、何やってるんだ、何やってるんだよぉ、おーーい!! 叫びたい気持ちで一杯一杯でした。そもそもサッカー映画でそんな掛け声がある時点でもう、尋常でないのは燎原をかける火の如く明らかです。もう、私なんかがこの場でしゃしゃり出て証明するようなことは何もありませぇん(錯乱気味

私の隣で何故か、名も知らない二人組が『指輪物語』エルフの三つの指輪の持ち主はとか、指輪を捨てることというあの物語の目的である現代社会への意義について熱く討論していたのですが、気にならず。気にしようにも、あの掛け声が耳に残って――。

そんなそわそわした気分で席に着き、待つこと約15分。画面が真っ暗くなり――鬱陶しい予告編はばっさり省く潔さで直ぐに『少林サッカー』が始まりました。

 

120分後――。

 

はっちゃけたーーーーっ(笑

 

私の顔とお腹の筋肉は思い切り震えてました――ヤばすぎです、この映画。まるで宇宙に行きたいという一念で宇宙船を作り、論理的には第一宇宙速度にも届かない筈なのに得体も知らない力で何故かそのまま飛んでいったロケットのような――兎に角、論理はどうでも良い、理屈は抜きだ、何も喋るな、右脳だけで見ろ――そんな映画でした。前半はそれでもテンポ的に悪い部分が(でもでもっ、十分面白いものでしたよ)数箇所あったのですが、後半はもう笑えるアクションの連発。キーパーがスローイングで得点するわ、空を駆けるわ、シュートが火を噴くわ――いや、これ以上はもう何も言うまい。どう頑張ったって、言葉であれの強烈さを語れるものは恐らく存在しません。

最近心からの笑いに飢えている、兎に角フレッシュなネタが欲しいという方には、絶好の処方箋となってくれる筈です。こういう馬鹿なノリ(特にGガンダムのノリ)を最大まで許容できる人間として言わせて頂けるのなら『これは良いものだ、特に上記属性を求めるものは一度は見ておいて損はない』という――妖しくも面白い作品なのでありました。

で、その余韻に浸りながら帰路へ着く途中――時刻は九時すぎ。何やら絶叫やら溜息が聞こえるので近付いて見ると――。

 

日本VS露西亜

 

日本人が世界的蹴球の祭典に酔いしれてる中、私は笑いに笑いながら『少林サッカー』を観ていたのです。今、日本の中でここまで異端的な人間はそうはいないのではないのかなあと――思うに至りました。しかして熱狂に騒ぐ人達を横目に『しかし君達の観ているサッカーでは決してシュートが火を噴くなどということはないのだよ明智君、はっはっはっは』と、怪人二十一面相のような負け惜しみを心の中でのみ吐き出すことも決して忘れてはいません。ですが、ですが――その負け惜しみは本当に正しいと判断して良いのでしょうか。答えはきっと永遠の謎のように、誰にも分からないに違いないのです。そんな、自分が真実の真実に異端的だと思った日のこと。『少林サッカー』を見て大笑いした日のこと。

六月八日 晴

なますてー、無事に新しい住居への引っ越しを果たした仮面の男です。まだカーテンを買ってなくて、外を覗くと微かに墓場が見えたりするけどそんなことを気にしていたら、人間はあるべき一線を越えることはできません。固定概念を捨てることが大切なのです、悪霊を克服せずして人間に二十一世紀の歴史を歩むことはできない(共産主義の話と勘違いしている節あり)のです。

さて、七日はどうして更新されなかったのまさか引っ越し前日に徹夜でカラオケやってたとか謂れもないことを言われそうですが、否です。要はNTTさんが七日付で古い電話番号をばっさり止めてらしたのが原因だったみたいです。諦めて引越しの締めを始めると、今度は『徹夜』してしまいました。片付けたようで、案外荷物が溜まっていたようです。それらを然るべき方法で梱包し、全ての作業が終了したのが朝の五時半。雀の鳴く声が聞こえます(汗

そんな訳で、引越し業者が来るまで敷布団もない味気ないベッド(しかも荷物で半分占領されているから精一杯縮こまって)で一眠り。ただ、業者さんの来るのが遅かったお陰で普段の平日睡眠より一時間は余分に眠れたのが幸運と言うかなんというか。後は業者さん任せ――なんて裕福なことできるはずもなく、必死で私も荷物の橋渡しとかしてました。で、荷物を運び終えたのが四時半頃。五時過ぎに落ち着いて、それでは映画でも見に行こうと思っていると、ガス業者の方から電話があってこれから出向くとのこと。結局、それらを待った関係で自宅を出たのは六時頃になりました。で、私はある映画を観ることになったのです。。

これについては複雑な経緯が(と言ってもそこまで重要ではない)あります。私は『模倣犯』の映画前売券を会社のカタログ販売から注文していたのです。しかし、業務以外のものなので優先されるはずもなく、放映初日にチケットが手に入らない可能性があったのです。そこで、チケットが手に入れば『模倣犯』を、入らなければ『少林サッカー』を観に行くという選択肢が生まれてしまいました。所謂、スパイラル風に言えば『運命の分岐点に立つ為の選択』です。で、七日に寮の他の方に頼んで届けて貰えるということで話がついていたのですが、徹夜で引っ越し作業をやっている間中、届かず。寮の荷物をトラックに運び終えても音沙汰がなく、これは後者かなと思いつつ、最後に大家さんに挨拶を終えてもうすぐ立ち去る寮の部屋の入り口を見てみると『謎の封筒と書置き』が。こうして、運命は後者から前者に傾き、私は『模倣犯』の映画を観てきました。時間上、二つ同時は無理だったのです。

『模倣犯』を観終えて私はある一つの感情に辿り着きました。私は『運命の分岐点に立つ為の選択を明らかに誤り』ました。結論から言えば、原作の良い所を全て捨て、たちの悪く必要でないオリジナルだけをふんだんに盛り込んだ『模倣犯とは呼びたくないモノ』に変質していたのです。具体的に言えば『原作のあの執拗なまでの精緻さ、そして圧倒的な感動』が映画版では全て投げ捨てられ『いかにも日本の中年が好みそうな三流エログロ風犯罪ホラー』になってました。あの分厚い作品を読み終え、感動とその奥深さに打ち震えた人間として、私はあれが今まで観た映画の中で十指のワーストと認定することに、私は何ら躊躇いを覚えません。私の中ではなかったことにしたいです、アレ。

元々『模倣犯』という作品の魅力は異常犯罪や猟奇犯罪を、現在流行の『精神分析という手法を多様せずに描いた』ということ、それを端役の人間まで含めて魅力的に、ときには執拗なまでに残酷に描いたということが、素晴らしいと私は思ってます。そしてどんな環境、形質を持ちながら猟奇犯罪というのは結局、己自身の心が他者の傷つくことを想像できないが故に起こしてしまう極めて自分勝手な犯罪であること――逆説的に、他者の痛みを知り思いやることで自らもまた優しく強く生きられるということを示唆した作品でした。そういう魅力が、映画からは一切伝わって来なかった。よく宮部みゆき氏の作品を通じてよく評される優しさというものが、殆どありません。明らかに映画化をした監督は原作の主眼と理念とを、曲解しているとしか思えませんでした。映像ばかり奇抜で、実が全然ないのです。そういう意味で、原作の映画化としては勿論最悪、一つの映像作品としても感じ得るものは何もありませんでした。ただ、観ていて退屈だった――エンディングテロップを最後まで見ることなく立ち去り、外の空気を吸いながら私は溜息を吐きました。観るんじゃなかった、この映画――。

というわけで、明日はその復讐戦で『少林サッカー』を観に行きます。こちらは私の胸を満足させてくれるような、面白い作品であってくれれば良いのですが――。

後は『銀色―完全版―』をコンプリートしました。第四章、それ以降の話(第二章の琴が誰によって届けられたかが明確に判明したといえば、クリアした方にはどこまでコンプリート下か分かって頂けると思います)まで全部です。感想としては第一章から第三章までと比べて明らかに第四章のシナリオが薄いと言わざるを得ないということでした。その上、二つの時代を脈絡もなく行き来するものだから展開が追い辛い、文章が明らかに拙い、何より現代の話が銀糸が絡む必要があるほど深刻な話でなければ重い話でもなく、かといって過去の話も旱魃の悲惨さや辛さがテキストや映像から全然伝わってきません。何故これをラストに持ってきたのか理解に苦しみました。それ以降の章も、それまで銀糸に関わってきた人間の煩悶や苦しみを『全否定』するような内容で私としては少し受け入れがたいものでした。兎にも角にも思うことは、何故無理矢理まとめとなる話を現代に持ってきたのかと、いうことです。もっと別のまとめ方はなかったものか――。

第一章から第三章までがそれぞれとても良い話だったので、それ故にまとめが少し散漫で適当になっていたのが惜し過ぎます。少なくとも『水夏』レベルの纏め方を期待したかったのですが、なかなかあそこまでの良品は現れないということか――。

まあ、良い作品だったのは違いないのですが――ただそれだけにもっと一貫性をもったものを期待したかったというのは――些か、贅沢な話なのでしょうか。等と思った今日この頃。

六月六日 晴
『信じる道ならば進むのでしょう それは人の性なのですから』
(幻想水滸伝III 予告ムービーより)

今月、或いは今期きってのお気に入り台詞。やっぱこういう意味深で格好良い言葉回しは素敵ですね、大好きですっ。そういや、あと一ヶ月と少しとなりました『幻想水滸伝III』の発売日。『I』グレミオーーっと叫びそうになった大学一年の夏、『II』ジョウイーーっと(以下略)などなど。ちなみにこのシリーズ、以前に某所で某御方と某ギャルゲがかなりの影響を受けてるのではと推測したのですが――やっぱり『II』の最終決戦は――だよなあ、とか。見るとやはり不幸系な主人公のようで――忘れ難い出逢いや耐えがたい離れがいくつもあるのかなと思うと、それだけでどきどきものなのですよ、恋にも似た感情です。嗚呼、早く7月11日が来ないかな――。

さて、今日は目覚めたら体が動きませんでした。何故(なにゆえ)か、何故かと怯えて辺りを見回してようやく気付きました。体調が最悪です。特に、頭が痛くて堪りません。まるで複数人の歌や会話を、しかもとびきり電波ちっくなやつを同時に直接脳に刷り込まれているような感じになりました。いや、会話が聞こえるんですよ――誰も存在しないって分かってるのに、脳が勝手に会話を作り出してるんですよ。こういうのを、世間一般でいう『毒電波受信』というのでしょうか。渋々午前は休みを取って、水分を補給しながら汗を大量にかくことに終始しました。発熱を誘するタイプの風邪には薬を飲むとか云々より先ず、体内の温度を無理矢理に高めて大量の水分を摂取しつつ(おそらくオレンジジュースの1リットルパックあたりが最良)滝のように発汗するというのが、一番の療法です。凄まじい気だるさが襲ってくるのですが、病気と闘っていると信じて素直に布団に包まって、何度も噴き出た汗を拭いていると、あら不思議。解熱と共に、気分が少し良くなってきます。但し、この方法は先程も言ったように凄まじい気だるさがカウンタのように来ます。体力に自信のない人には、逆にお薦めできません。私の治癒法は完全に『風邪を捻じ伏せる』という概念だったりします。それが科学的に良い方法なのかは分かりませんが――水分補給を忘れて非常に拙い状況に陥ったこともあるので――即効性はあるのでちょと忙しい方なんかにお薦め。そんな感じの気だるさで勿論、本を読む気力はありませんでした。何かこう、魂が抜け切った感じになりました。電車に乗ってる時も唐突に『複数人の会話』っぽい耳鳴りがしました。『天使的ロマンチストな原理的拡大宇宙の研究についてうんたらこうたら――』とか、本当に聴こえるんですよ、いやマヂで。本気と書いて、マヂと読みます。いやあ、自分がここまでテンぱると統制できないってことを、初めて知りました。いや『小人事件』で体験済みだから、二度目か――。取り合えず、幻聴の聴こえる風邪の引き方はもう嫌だと思った今日この頃でした。

六月五日 晴

今日は半休を取って、住民票の取得と段ボール箱の確保、敷金礼金の払込等、煩わしくてかつ平日でないと都合の悪いことを中心にこなしてきました。これで、事務手続きが全部完了。後は7日の定時後に仲介業者の方から部屋の鍵を預かれば、準備は完了。と思っていると、妙に体が重い。よくよく思えば、朝から喉が無性に痛い。なるべく思うまい思うまいと思ってきたのですが、どうやら風邪っぽい感じ。本番に備えて、長引かさないよう、今日は早めに眠りましょう。

本は『ビューティフル・マインド』を読了しました。感想はだるいので、明日。ただ、後からじんわり来るタイプの感動が味わえる、そんな作品だったかと。数学なんて見るのも嫌とかいう人は前半、読んでて苦痛ですしお薦めしませんが、そうでなければ一読の価値はありかと。映画を見た人は、より詳細が理解できるでしょうし。にしても、アカデミィ賞作品だというに映画の方を観たと言う人が周囲に一人もいないというのはどういうことか? そういう権威賞獲得作品だから、逆に観るのが嫌とか沿う考えている方が、ここに訪れてくる方の中には多いのかしらん。

そういや『指輪物語』がアカデミィ賞最有力と銘打たれていた頃、本当に面白いのかと疑問をもたれていたのでその魅力を語ったところ『聖書みたいに長いんでしょ』と、誉めていた部分を皮肉られた上に、なんか私が宗教かぶれみたいなレスを返されて無茶苦茶腹が立ったことがあるのですが――そう思われてる節があるのかも。別に無視されても構わないですし、折角ですけどやっぱ止めておきますくらいに言われてもショックは受けないのですが、流石に人を馬鹿にするのは酷い。もしかしたら、熱心に語ると馬鹿にされるのかもしれないと思いつつ、やっぱり良い作品があると熱心に語らずにはいられなくなる――のは私だけなのかなと思った今日この頃。

六月四日 晴

『脆い、脆いよなぁ』
(BY Xenosaga)

今晩は、脆さなら誰にも負けない仮面の男です。ちなみに今日の一言は、同名のブラウザ名でこのサイトにアクセスして来た『紫の薔薇の御方』にこの言葉を捧げます。アルベド御大の魅力は以前に某所で語られていたので、私がここで言及するのは避けますが。うん、避けておいた方が良いと思うのですよね。そういや『Xenosaga』は放ったらかしだなあ――『銀色』をクリアしたらやらねば。

今日は職場じゃない場所に立ち寄りだったので通帳の変更(記帳欄が半ページ以下になっていたため)と引越し用の諸公共施設の開通、前日に届いた契約書等の資料の記入と確認及び実家への送付、引越しの都合で家電の宅配日変更と、完璧に休み時間が潰れました。明日は市役所が須らく平日にしか開けてない為、わざわざ半休を取って住民票の取得及び移転、敷金など諸費用の振込み、及び段ボールの補充、郵便局への住所移転届提出。これで煩わしい諸変更からようやく解放されます。しかし、まだ絶望的な量の本やら何やらをどのようにしまうか思案中。『DESIRE』の某男主人公の独白ではないが、エントロピ第二法則というのは言い得て妙。というか私は散らかってて全てのものが手を伸ばせる位置にあるのが好きなので、圧縮整頓は苦手な方向性なのです。人の顔を記憶するのと同じくらい、苦手。ああ、親切な小人さんが私の元にも現れてくれないかなあ。余談ですが、8日は家電の配送日を変えた影響で夕方からは映画を見に行けそう。『模倣犯』『少林サッカー』――考えただけで、脳が連続誤りを起こしそうな気がする組合せです。

今、進めているONEのSSはようやく本来の目的である恋愛物っぽくなって来ました。そう、誰も思ってないかもしれませんが、あれは恋愛物。クラス一の変人と、いつも心に刺を持っている少女が紆余曲折のうちに恋に落ちるという、王道の筈なんですが――自分で読み返してみて微塵もそんな気がしません。何か、怪しい筋立てのサイコ・ミステリィを読んでいるような気分になりました。私は何処で、何をどれだけ間違えたのだろうか――(汗

六月三日 晴

明日は虫歯の日だって言うのに、会社には虫歯の人だらけ。かくいう私も、雨の日はたまに奥歯がズキリズキリと痛んだりするのですが、多分錯覚でしょう。ちなみに、花粉症で鼻が参っている時には決まって歯が虫歯と等しいほど痛くなったり、歯茎が浮き出るようなむず痒い感触を感じました。これは余り表面化しませんが、花粉症の第四弊害(三大大将は鼻水、喉の痛み、目の痒み)と言っても過言ではありません。ともあれ皆さん、歯は大切にしましょう。私は小学校の頃、歯並びが最悪で数年間かかって歯列矯正をした『痛い』思い出があるから、尚更そう思いました。ちなみに歯列矯正は痛いのかと疑問にもたれた方、それなりに歪んだ歯並びを器具によって無理矢理正しい位置に並び替えるのですから、最初のうちは柔らかいパンも噛めないほど、めっさ痛くなります。これから歯列矯正を考えている方に一言だけ、覚悟を強いておきます。あれは痛い、掛け値なしに。

『ビューティフル・マインド』はようやく、380ページくらいまで読みました。普通の小説と違ってノン・フィクションですから、当然のように会話は殆ど出てきません。しかし、それがどうした? で、どうやらこの辺りからが映画版の内容と多々、被ってくるようなので――最初の300ページほどはほぼばっさりカットされちゃってたみたいです、あははーっ。後は、映画版はやはり原作を脚本にしたフィクションということ。映画を観た方でも、原作の方を読まなければジョン・ナッシュという人物の像は到底、見えて来ない筈です――というか映画版は美化され過ぎ。でも確かに、前半は近現代の数学史という部分が強くて、そのような箇所を映画にしてもやっぱり映えないというのは分かります。如何に興味深いとは言っても、数学者が議論しているさまを延々、二時間も描写されたのでは、流石に私も辛いものがありますから。微妙な違い等も含めて、これは少しゆっくりと読んでいるところ。

さて、この世には幾つか避けて通れない命題があります。私は少し前、とある会社の同僚にこんなことを尋ねられたことがあります。『午前三時まで仕事して会社に泊まりこんで午前九時まで寝るのと、終電で家に帰ってくつろいだ後眠るのとどちらが良く眠れると思う?』いや、私に聞かれてもどう答えて良いのか分からないですってば(汗 ただ当人にとっては笑い事じゃない。勿論、近い将来の私にとっても笑い事ではない訳です。終電が今の環境よりも一時間以上遅く出る沿線に引っ越すのは、広い本を置ける空間、他者と接点が少ない拠点を持ちたいと思うのと同じくらいの動機で、時間的選択の幅を増やしたいからという理由もあるのです。今の世知辛い世の中、時間も金を出さないと買えない。『時は金なり』とはよく言ったものです。某秘密結社の首領なら、時を金と等価に見るとはさぞさもしい価値観だと言われそうな気はしますが。

最後に、ここいら数週間の中で相当強く思ったこと。やっぱり私はねっからの少数者引力なのだとはっきり自覚した時のこと。『電波』の好きな私にとっては凄く無念なこと。何故『雫』じゃないんだあと心の中で叫んだ、とある初夏のこと。いや『痕』も好きなんですけどね。『Night Head』を心の中で大傑作と思っている私にとっては、鬼の血よりも人間の純粋にどろーっとした脳が横揺れされるような執拗な狂気の方が好きなんですよね。だから、たまに人からお前は歪んでいるっ! と言われるのでしょうが。以上『痕』のリニュウアル版が出ると知って思ったことでした、終。

六月二日 晴

『普遍的な意義はない。なぜならば、ここにあるものは彼方にあるものであり、ここにないものはどこにもないのだから』
(BY THE LAROUSSE MURDUR CASE)

矢吹駆初登場の巻、この台詞は色々な意味で格好良いですね。こんばんは、非普遍人種仮面の男です。今日は昨日の家電周りで妙に疲れたので、外に出る気力が無し。それでも例の映画がやっているか見には行ったのだけど千葉には無し。故に直帰。昼もぐったりとしていて、気付くと引越し業者に電話をかけることをすっかり忘れてました。まあ、今の時期に引越しは殆どないだろから、明日の昼休みにかけても大丈夫だろうと自分を納得させつつ。取り合えず本を何とかせにゃならん、本を。銀色は四章を少しだけ進めました。本は、殆ど読まなかったです。本を読む気力がないということは、いよいよ脳が茹ってる証拠ですね、今日はもっと早く寝なければ。

話は変わって、広帯域人種になったらオンラインゲームもやってみたいということを以前に思いましたが、ちょっと考え直そうかなという気分になってます。というのも、主に中級者に初心者を見下したような発言が多々、見かけられるから――時には、何か勘違いしてるんじゃないかと思うことすらある。私はチャットとか余り得意じゃないですし、キィボードはまあある程度までは早く打てる自信はあるにしても、最初は戸惑うことが多々あるでしょう。そういう人間を切り捨てて(快適なプレイをしたいからという自分勝手で)関わりたくないとか言われている方が余りに多い気がします。勿論、ネットの常識というより先に、人間としての常識を逸脱している人間については、無視するなり追放されたとしても、私は何も感じ入ることはありません。ネットは匿名世界と言えど、大勢の人間と交流を深めるつもりでしたら、やはり優れた人間的なバランス感覚が必要になりますし、現実の非常識をネットに持ち込むと大抵、現実と同じことが起きます。それは、自明です。ただ、そういう例を除いたら純粋に、オンライン・ゲームをやりたいという人は結構いるでしょう、私もその一人です。私はまだPCにある程度習熟しているから良いにしても中にはゲーム機のコントローラしか弄ったことのない人もいる。オンライン・ゲームというのはある意味、2ちゃんねると同じくらい、スラングが多ければ限定的ローカルルールも多い訳です。現実には適合していても、ゲーム的にタブーということは沢山あります。ネットに本格的に慣れ親しんだ人間でも無い限り、その辺の微妙な匙加減など分かる訳がない。初心者もメーリングリストのように『初心者ですけど』をやたら免罪符として引き出すのはいけない、調べるべきことは自らで調べる必要があることも承知しています。と同時に、ある程度こういうことに慣れ親しんだ人間が、初心者に狭い間口を少しくらい広げる助けをすることも必要だとも思うのです。折角、コミュニケの手段は幾つもあるのですから、そういうことが成されなければ嘘だと思いました。以上、どうしても言いたいこと。

六月一日 曇

『わたしは、ナッシュを愛していたのでしょうか? 愛していなければ付き合いはしなかったでしょう。あの人はひどく不器用でした。それで、よそよそしく見えたのです。でも……とても優しいところもあった、と思いますよ。ある意味では魅力的でした。愛とは、ほんとにばかげたものですね』
(BY A BEAUTIFUL MIND)

嫌いになりたいのに、嫌いになれなかった――。そういう感情がふっと滲み出てきて、思わずしんみりとくる言葉でした。当初は最後の一言だけ抽出しようとしたのですが、それでは概念的恋愛否定者のように思われかねないので、少し前から抜き取って見ました。こうしてつらつらと読んでいる『ビューティフル・マインド』もようやく半分。これに限らないのですが、数理的で尚且つ面白いノンフィクションというのは、国内より海外ものの方が多い。例えば以前『フェルマーの最終定理』(サイモン・シン著:新潮社)という本について、取り上げたことがあります。これ以前にも、実は日本の作者の本でフェルマーの最終定理を取り上げた本を何冊か読みました――勿論、理論よりではなく数式などは殆ど出てこない類の本です。しかし須らく退屈で、物語として読むには稚拙でかといって精緻な理論の叩き出しをしている訳ではない、凡庸なものでした――証明された定理の如何に歴史的であることと逆説的に。その中で、最終定理だけではなくその問題が如何に考え出され、そして生み出され、幾多の数学者を苦しめてきた『悪霊』であるかを、数学史的な切り口から見事に描き切ったのが、サイモン・シン氏の著書でした。それ故に、アンドリュー・ワイルズという数学者が七年の孤独と一年の苦悩を超えてこの定理を完璧に証明したことの意味がはっきり浮かび上がってくるのです。事実的な最終定理についての記述が少ないのですが、そんなものは理論書に任せておけば良いのです。事実をこうも面白く描けるというのは、物語を紡ぐとは別の才能が必要でかつ、もしかすれば虚構の世界を紡ぐよりも素晴らしい才能かもしれません。私には厳密な考証を行う必要のあるこの類のものは、地球が壊れるようなことがあっても書けないと確信しておりますが。

今日は秋葉原に、来週引越しをする為の家電製品を見て回りに突貫しました。目覚めたのが十時で、先ずはNTTに電話――ここはいつも二十分くらい繋がらないのですが、案の定十五分くらい単調なオルゴールの音楽を散々、聞かされた後、結論的には八日にフレッツの対応は無理ということが判明。仕方ないので、フレッツは後回しにしてISDNだけ先に繋いで貰うことに。所要時間約一時間、もう少しスピーディに行かないものか。電車の中では例の本を読みながら、人の多さに辟易。平日と休日の混雑状況がほぼ変わらないというのは、筋金入りかと。到着してから、色々と店を回って『月姫のアンソロジィ2冊』(宙出版、スタジオDNA)『Kanon&AIR―スカイ―』(依澄れい作:スタジオDNA)『銀色小説版』(高橋恒星著:パラダイム)『水夏ヴィジュアルファンブック』『D.C.ファーストファンブック』を購入。家電製品を見にきたと冒頭で言ってたのにどういうことだ裏切り者と言われそうですが――魔が差したということで。ちなみに色違いメデスうたまるさんが私的には良い感じ――今度は本当に猫らしいぞ。ついでに言うと『幻想水滸伝III』『水夏[DC版]』の予約も抜け目なく取って来ました。『水夏』は結構迷ったんですが、結局ソフマップの『名無しの帽子少女』という特典に負けてしまいました。それにしてもやっぱり、PS版とおまけを変えるのはずるい。私は両方買う気はないので、PS版のCDドラマの片方は、永遠に聞けないのかもしれないのですね、それにさやか先輩きんちゃく袋。非公式さやか先輩ナンバ002としては、捨て置くのは余りにも辛過ぎる。まあ――涙を飲んで諦めましょう。『幻想水滸伝III』は、私の最もお気に入りの作品の正当な続編――ようやく出るか、といった感じです。できれば前作までをリプレイしたいのですが、多分暇はないでしょうが、IIのOPだけでも見返しておこうかと思ってます。というかIIのOPはファースト・プレイとセカンド・プレイ以降では、絶対に印象が変わりますので一周しかプレイしたことがないという方は、もう一度観ることをお薦めします、泣けますから。この演出力は素直に凄い――3Dとかムービィとかやって綺麗に飾り立てた演出の大半は、この2Dで動きも多くない淡々と流れるこの演出に勝てないでしょう。私がこのシリーズを好きな理由には面白いという理由だけではなく、きちんとした地力を持った方達が誠意を(開発元本社とは実に対照的に)もって作ってるんだなという雰囲気が端々から感じられるからという思いがあります。とりあえず、今は[ここ]を見て胸を躍らせている状態です。それにしても、Iをプレイしてもう5年かあ――全てのエピソードに決着がつくのは何年後になるのでしょうか。とりあえず以前に立てた『IIIはグラスランド編』という私の予想は当たっていたのですが――でも、ラストはきっとハルモニアに焦点が当たる話というのは確信してます。『オウガバトル』の最終章がローディスに焦点が当たる話であると確信できるのと同じように。余談ですが、今回の主眼となる27紋章はやはり『真なる火の紋章』なのでしょうか。

話がまた逸れましたが、本題の家電は12万くらいで揃えました。やっぱ何軒も回って商品を見比べ回って相当距離歩いたのですが、思ったよりは安価で一式揃えられたので、一安心。15〜20万くらいかかると言われていたのですが、最近は家電品も思ったより安い。デフレの影響なのでしょうか――取り合えず後は自転車、食器、食器棚、本棚を揃えれば取り合えずの生活に不便はなさそうです。これで私もブルジョアジィの仲間いりだーーーーー(誇大妄想的克語弊

あと今更という感じもしますが、今月から試験的に日記のスタイルが変えてみました。何処かのサイトの日記に凄く似ていると思った方がいれば、それはきっと当たっています。まあ、そこまで日常的な波乱に富んだ人生じゃないので、すぐに普通の日記に収まるでしょう。明日は『銀色』をやりつつ、来週の『模倣犯』に思いを馳せます。というかミリオンセラーなのだから確率的にいって、うちの会社でもここの掲示板でも一つくらい話題にあがって良さそうですが、何故かあがるのは決まって『少林サッカー』という罠。畜生っ、もう確率なんて信じられません――いや、寧ろ信じたらいけません。お偉いさんにはそれが分からんのですよ(謎

あ、でもとある某所にて手放しで絶賛していたので、千葉でやっていれば観に行こうかと――『少林サッカー』を。

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