二月十日 水曜日

第六場 教室〜美坂家

 私だって、大人気ないと思ったのだ。

「うーん、確かに祐一も悪いけど香里もやり過ぎだと思うよ。祐一が人をからかって面白がる癖があること、香里だって分かってるんでしょ?」

「ええ、まあそうなんだけどね。少し気が立ってたかなってところはあったかもしれないけど……」

 口では言ってみるけれど、本当のところ、それは本心から遠いものだった。相沢君のあの行動が、昨日の朝の屋上での行動を茶化しているようで無性に腹が立ったというのが本音。確かに意味のない戯れだったかもしれないけど、私にとっては重要な意味を持つ行為であった。それをあんな児戯と同等に見られたことで、ついかっとなって相沢君の頬を平手で張ってしまった。

 私だって、大人気ないと思ったのだ。実際、彼から遠ざかるごとに掌を侵していく痺れるような痛みは無慈悲な一撃を加えた私を責め立てるように広がっていった。家に帰ってからも、どうやって相沢君に明日話しかけようかと随分迷ったくらいだ。けど、途中で面倒臭いし、私は悪くないという思いが深秋の地面に積もる処女雪のようにしんしんとそして頑なに覆い尽くしてしまった。そうよ、悪いのは彼なんだから私は謝る必要などない。私は慌てて謝ってくる相沢君を仕方なく許すという役目でいれば良いのだと結論づけて一連の思考を封じてしまった。第一、私はそんな瑣末事で悩んでいる暇も余裕もないのだから。

 けど、実際はどうだろう。毎時間ごとにわざとらしく目を逸らし、病み上がりの北川君を無理矢理捕まえて休憩時間の話し相手にしてこちらの視線や弁舌を封じようとしている。まるで、私と徹底抗戦する気でもあるかのように。そして昼休憩は、購買でパンを買って一人でどこかへ行ってしまった。流石に名雪はその様子を訝しんだのか事情を尋ねてくる。そして、何故かそこにいた北川君も体を寄せて会話に参加してきた。

「いや、悪いのは相沢の方だろ。第一、馬鹿やっても許されるような人間は、一度酷い目にあった方が良いんだよ」仲の良い友人の言にしてはなかなか辛辣な発言だ。「けど、あいつもへらへらしているように見えて意外と頑固だからな。やるといったらとことんやるタイプだぜ、このままじゃ平行線を辿るのは必然的だと思うぞ」

 そう、確かに相沢君のキャラクタの一端を北川君は十分に捉えている。表層は軽い感じで、適当に難題を与えたらすぐに投げ出してしまいそうな印象を受ける。が、彼が腰を据えるとその破壊力は想像を超える。それは、私が身をもって体験した事実だった。だからこそ、私と徹底抗戦するという選択肢を選ばれたことが癪なのだ。悔しくて、堪らない。

「別に構わないわよ」なるべく冷静を装った口調で、私はそう言ってのけた。だが、生来の冷静さが保てていたかといえばあまり自信はない。事実、私を恐れるように眺める名雪や北川君の様子をみるとかなり強張った表情をしていたのだろう。が、それらを敢えて黙殺し考えるだけでも怒りの湧いてくる話題に終止符を打った。「私が相沢君の機嫌を取る、どんな理由があるって言うの? 放っとけば、向こうの方から寄り添ってくるわよ」

 人間の頭というのは融通が利かない。例えどんなにつまらないことでも、一度考えてしまえば処理系統を占有してしまうし、計算機みたいに消去することができない。大切なことは簡単に忘れてしまえるのに、随分と不公平だと思う。だからこそ人間は生きていけるという言葉を聞いたことがあるけど、私は大切なものを忘れてまで生きていくことなんて望んでいないのだ。だから、悲しみも辛さも全て私の心にあって欲しい。いつまでも、包み込んでいくから。

 だから、一人の男性のことなんてどうでも良いのだ。

「それより名雪、今日は放課後どこかに遊びに行かない?」そして何もなかったかのように、名雪を誘ってみる。それは不愉快な思考を削ぎ落とすためでもあったし、心配そうな名雪を安心させるためでもあったし、名雪の存在を一秒でも長く感じていたいからでもあった。何をするにでも打算が混ざってしまう自分に嫌悪感を抱いたが、今はそんな感情を表面に出すべきではない。気取りと期待の混在した笑顔を向ける私だったが、不意に部活動というイベントが頭にぶつかる。「でも、名雪は陸上部の活動があるから無理かな?」

「ううん、今日は大丈夫だよ」不安げに尋ねた私の言葉を、名雪は嬉しいことに否定してくれた。「明日は建国記念日だから、その振替えで今日はお休みなんだ。今は大会前じゃないし、祝日の前の日って部活の出席率があまり良くないからね」

 それはあまり熱心な態度ではないなと思いながら、しかしこの偶然が私の考えを後押ししているのだと信じ込むことにした。

「あ、じゃあ俺もついて行っていいかな」

私と名雪の会話に、北川君が割り込んでくる。その顔には微妙な安堵と好奇の眼差しとが見て取れた。何故、そんな表情をするかは分からないが私の答えは決まっていた。

「嫌」私は即座に、一語で以って相手を制した。「女同士の麗しい友情に割り込む人間は、馬に蹴られて地獄に落ちるわよ」

「そ、そうか……」北川君は落胆気味にそう言うと、錆付いた絡繰人形のように右手を上げた。「それなら別に良いんだ……じゃあ、俺はちょっと用事があるから」

 右手をあげたまま、重病人のように教室を後にする北川君。その姿をクラスメートの数人かが怪訝な目でみたが、元々妙な行動や言動には絶えない人間なので誰も追及しようとはしなかった。大体、私だって相沢君と彼が友人付き合いを始めるまでろくすっぽ会話を交わしたことはなかったのだ。

「香里……」北川君の姿が完全に見えなくなってから、名雪は声を細めて耳元でぼそりと呟いた。「さっきの科白、ちょっと酷くない?」

「……何が?」

 別に私は酷いことを言ったつもりはない。ただ、私は名雪と二人が良いからああ言ったまでだ。しかし、名雪は何故か深い溜息をついたままその続きは決して答えようとしなかった。

 放課後になると、昨日までと比べてやや寒さの落ち着いた町並みを私は名雪と二人で歩いていた。時折すれ違う学生や主婦の交わすざわめきにも似た会話の中に私たちのものも含まれている。そう言えば、二人きりで歩を揃えて進むのはあの日以来だ。私に少しでも前に進む力を与えてくれた日……でも、それは余りにも遅すぎる、そして至らない勇気であったが。

「で、今日は何処に行く?」細にいった目的がなかったせいか、私は何処に行くかを全く考えていなかった。それに、行き先なんて限られてるのだ。案の定、名雪はもの欲しそうな視線を向けて大方予想通りの提案を持ちかけた。

「じゃあ、百花屋に行こうよ」

「おっけー、じゃあ学生たちで混む前に席を確保しないとね」

 あの店は甘いもの好きの女子高生に人気があるため、時間帯によってはかなりの辛抱を余儀なくされることがある。名雪もそのことを知っているためだろう、俄かに闘争心を宿らせ歩調を早めた。

 しかし、結果から言えばその考えは杞憂だった。テーブルは半分ほど空いており、雰囲気の良い席を選ぶ余裕すらあるくらいだ。これがもう少し余裕がない時だと、トイレの近くに陣取らなければならない場合がある。そういうとき、汚物の飛沫とも言えるべき音が耳に響くと食欲が胡散霧消してしまう。名雪ですら、大好物のイチゴサンデーを半分も残したくらいだ。それ以来、窓際の見晴らしの良い席を選ぶことを暗黙の了解としていた。

 その掟に従い、向かい合うようにして座ると私はメニュー表を手に取った。名雪はといえば、メニューを確認することなくただウエイトレスが注文を取りに来るのを待っていた。名雪の中で、既にオーダは決まっているのだ。私はメニューにざっと目を通していく。セピア色の紙に黒インキで印刷されたそれは、サンドイッチやパスタなどの軽食から始まり、各種のパフェやアイスクリーム、ケーキなどの豊富なデザート群、飲み物類へと続いていた。それから百花屋の裏名物とも言えるスペシャルメニューに項目は移る。一つは以前、栞や名雪、相沢君と一緒に食べた例の特大パフェ。それと並んで、イカスミ納豆パンプキンパフェDXという相当に人間を選ぶ一品がある。これは罰ゲーム専用メニューという別称があり、むさい多人数の男性集団が現れたならほぼ九割九部これ目当てというある意味で曰くつきのメニューらしい。私はその場面を目撃したことがないので詳しくは知らないが、名雪がお母さんのジャムとどちらが……などと呟いていたので常人の追及できる代物でないことだけは確かだ。

 最後までメニューを見通したのとほぼ同時に、ウエイトレスが注文を取りに来た。

「ご注文は決まりましたか?」

 清潔そうなライトブルーのエプロンを身につけた私たちと同年代くらいの女性が、ややぎこちないながら客観的に見ても魅力的に見える笑顔をもって尋ねてくる。恐らくはまだ入って間もないアルバイトなのだろう、そんなことを考えながらもう一度メニューにざっと目を通す。

「わたし、イチゴサンデー」名雪は一部の迷いもなくいつも通りのメニューを注文する。

「はい、畏まりました。それで、お連れ様の方はどういたしましょうか?」

「えっと……」三度メニューに目を通したが、そのうち考えるのも面倒臭くなって最も無難な選択肢を選んだ。「じゃあ、私も同じものをお願いします」

 ウエイトレスは同じ科白をもう一度口にすると、注文を復唱して氷水とお手拭を置いて厨房に向かった。耳神経の片隅で、オーダの伝達がなされたことを確認すると、私は近い未来に届く至福の味覚へと思いを巡らす名雪を眺める。彼女の何気ない無邪気な仕草を見ていると、私は何故か安堵の感情が胸を満たすのを感じられた。

 思えば、私と名雪の出会いは完全に偶然の産物だった。クラスが同じで「水瀬」と「美坂」という五十音順で近い関係にある苗字、この二つのどちらかが欠けていても今の関係はなかっただろう。もし私と名雪が赤の他人だったとしたら、私は今も孤独で名雪はもっと大勢の友人に囲まれていたことだろう。そういう意味で、私は名雪の交際範囲を狭めてしまったのかもしれない。だとしても、今はもう名雪が傍にいない世界を想像することができなかった。それほど、水瀬名雪という人物は私の心の重要な部分を占めているのだ。

 考えてみれば……移動や新しい人間関係でゴタゴタするだけのクラス替えにうんざりしこれほどない仏頂面をしていた私によくもまあ、あんな天真爛漫な笑顔で話しかけられたものだと思う。天然なのか、はたまた確信犯なのか……。

「……やっぱり、天然よね」

「ん? なになに? 何が天然なの?」

 うっかり呟いたその言葉が、名雪の興味を一心に惹きつけてしまったようだ。心で思ったことを口にするとは、まるで相沢君のようだと思い、かなりの苦労を施してその憎々しい名前を心の奥底に封印した。それは一瞬の出来事だったが、そのため先程の言葉をどう誤魔化すかについて頭が全く回らなかった。

「いえ……やっぱりこの水って天然水なのかしら」

 我ながら何という間抜けな質問を飛ばしてしまったのだろう……そんな後悔の渦の中、しかし名雪は真面目に答えてくれた。

「さあ、別にわたしの家で飲んでるのと味は変わらないと思うけど。それに、この辺って水が比較的綺麗だからミネラルウォーターなんって必要ないんじゃないかな」

「あ、え、ええ……そうね」

 お手拭で丁寧に手を拭いながら、私は動揺を隠し切れずにどもりながら頷いた。冷水を三分の一ほど飲むと、羞恥心が勝って名雪から窓の外の光景へと目を移す。と、そこに見慣れた、そして最も出会いたくない人物が顔を見せた。

 どうして相沢君がここにいるのだろう? そんな疑問が膨らむ。しかし、すぐにそれは愚もつかぬ疑問であると気付いた。隣にいるのは北川君だし、昼間の申し出を断られたから彼らもまた友人同士でここを散策しに来ただけのことだ。それに相沢君は今朝から私を避け続けているし、ここに入ることはないだろうとタカを括った。

 が、その期待は北川君の目ざとい心配りによって無残にも打ち砕かれてしまった。運悪く視線を合わせてしばし、北川君は何やら熱心な様子でこちらを口説き始めたのだ。まさか、二人でこちらにやってくるつもりなのだろうか?

 ここからでは声も聞こえないが、喧喧諤諤の論議が続いているのは分かる。私は必死で北川君が根負けしてくれと祈ったのだが、一分近くの論議の末、根負けしたのは相沢君の方だった。

「香里、どうしたの……あっ!」しかも間の悪いことに、或いは私が余りにも外の光景に注目を寄せすぎていたためであろう、名雪が店外に佇む二人の存在に感づいてしまった。「祐一と北川君だ。あっ、こっちに向かって手を振ってる」

 サービス過剰な北川君が、今は途轍もなく憎たらしかった。相沢君の方も私の姿を確認したのだろう、途端に逃げようとしたが北川君の努力によって押し留められている。その様子を怪訝に思ったのか、名雪は小首を傾げてその様子を眺めていた。

「どうしたんだろう、祐一。今更、恥ずかしいって訳でも……あっ、そっか……」

しかし、事態を納得すると共に私が驚くほどの機敏さで席を立ち、外へ出てしまった。それから嫌がる相沢君を、まるで未確認飛行物体から拉致されてきた宇宙人のようにして両脇を固定され、無様にこちらへ連れられてきた。

「いらっしゃいませ、三名……いや、二名様ですね」

 その時まではまだ僅かにもがいていたが、先程と同じウエイトレスの明瞭な声が店内に響き渡るとまな板の上の鯉のように大人しくなってしまった。名雪が元の場所に座り、北川君がちょっぴり自慢げな笑みを浮かべるに至っては余程足を踏んづけてやりたいと思ったが、相沢君の困ったような視線に気持ちの軸を瞬時に砕かれてしまう。北川君は私の隣に座り、相沢君は名雪の隣に腰掛ける。対角線上において私と相沢君は対峙したわけだが、視線が届く分だけ居心地が悪い。これならまだ、隣に座ってくれた方がましだ。

 日本人は人情精神を失ったと言われて久しいが、名雪や北川君が気ますい雰囲気を何とか修復しようと尽力している姿を見ると、そんなことを言うコメンテータに私は堂々と嘘吐きだと主張することができるだろう。そんなことを今考えても虚しいだけだが。

「いや、奇遇だな。こんなところで出会うなんて」

 わざとらしい笑顔を浮かべながら、平等に視線を巡らせる北川君。と、相沢君の怒りに燃えた目が元凶者を捉えた。

「……謀ったな」

 その呟きは、全てを理解させるに十分なものだった。奇遇だと言ったが、最初から彼は相沢君をここに誘う気だったのだろう。昼休憩のとき、既に放課後色々と回る予定であったことは直接話していたし、もし私が誘いを断らなければもっと好都合だっただろう。これは推測に過ぎないが、恐らく当たっている筈だ。

 こうなると目を極力合わせないように心がけるしかないと思ったのだが、相手も同じことを考えているのか逆にあっさりと視線が交錯してしまう。胃の奥に何かで刺したかのような感覚が走り、私は慌てて目を逸らしてしまった。それが合図であったかのように、相沢君はわざとらしく立ち上がった。

「俺、やっぱ帰る」

 不機嫌な顔を保ちながらそう言い放つ相沢君を、すかさず名雪と北川君が宥めにかかる。

「まあまあ、折角だから四人で食べて行こうよ」

「そうだぞ相沢、食事は多い方が上手いのだ」

 純然たる確信をもって言い張る北川君。そこに、退路を断つタイミングでウエイトレスが現れる。

「あの、ご注文の方は?」

「イチゴサンデー二つ追加」

「かしこまりました、お会計は一緒で宜しいですか?」

「いや、別々で」

 数秒後、テーブルには水とお手拭が二つ増えていた。こうなると、最早逃げ出すことはできない。観念という束縛に、人間という存在は大抵抗えないものだ。とはいうものの、不自然に作られた現実にはぎこちなさが伴う。今も、微妙に配置された四角形が流麗な会話を交わすことを不可能にしていた。

「そ、そう言えば北川君、風邪はもう大丈夫なの?」

 名雪が言い繕うように言葉を挟む。

「ああ、二日も不在で心配させたと思うが今日付けをもって完全復活と相成ったわけだな」

空笑いばかりが虚しく響く。話題は穴の空いた風船のように、急激に膨らんで急激に萎んだ。その空気に生来陽気な北川君が耐え切れなかったのか、急に大声でまくし立て始めた。

「ああ畜生、折角の放課後なのに辛気臭い顔するなよな」そして相沢君の顔を強く見据えて一言。「大体な、ビンタ一発張られたくらいで何ウジウジしてるんだよ。元はと言えば、お前が大人気ないことしたからいけないんだろ。確かに反撃がビンタというのはやりすぎかもしれない。だが、先に手を出した方が謝るのが礼儀だろ。素直に謝っちまえよ、お前らがぎこちないとチーム全体の覇気にも関わるんだぞ」

 いつからこの四人はチームになったのだろうか? きっと、そんなことを考えているのは北川君だけに違いない。実際、名雪はチームって何? という顔をしているし、相沢君も似たようなものだ。

 が、次には真摯な顔をして潔く頭を下げた。

「そうだな。やっぱり先に手を出したのはこっちだから、俺の方から謝らないといけないよな。それに俺にとっては何でもないことでも、香里にとっては嫌なことだったのかもしれない。ビンタを張られても仕方がないことをしたのかも、いや、したんだろうな。香里が暴力に訴えるなんて、それはとてものことだろうから。だから……悪かった、香里」

 もう一度顔を上げたとき、そこには妙に子供っぽい相沢君の顔が見えた。その時私の心に現れた気持ちに、私は今までにない動揺を抱いた。直視しがたい鼓動の高まりと、胃の奥を強く抉るような疼きとを同時に感じる。その感情が余りに突然で強すぎるが故に、私は相沢君から目を逸らさずにはいられなかった。

「あ、ううん……私だってその、少しやり過ぎだったからお互い様よ。ただ……」

 相沢君には私の気持ちが分かって欲しかった。気持ちを踏みにじって、茶化して欲しくなかった。私というものを理解して欲しかった。私を……私は……駄目、そんなことは絶対に言えない。

「ただ?」

「……少し大人気なかったかなって」相沢君の言葉に慌てて言い合わせたその言葉は、しかし誰をも不審がらせることはなかった。そして、私はまだ相沢君に謝っていないことに気が付き慌てて言葉を添えた。「こっちこそ、ごめんなさい」

「あ、うん……」私が素直に謝ったことが珍しかったのだろうか、相沢君は僅かに目を見開いた。「まあ、大人気なかったのは俺もだし。今度からは、悪戯も種類を選ぶようにするから」

 それからはにかむように微笑むと、照れ隠しか頭を二、三度掻いた。普段だったら、度の過ぎない悪戯ならやるつもりと揶揄を返しただろうが、今の私にそんな余裕はなかった。

「ご注文の品、イチゴサンデー四つです」

 その時、僥倖のタイミングでウエイトレスがイチゴサンデーを盆に乗せてやってきた。覚束ない手つきでそれらを置き終わると、注文はこれで以上かと質問してから空の盆を両腕で抱えてこの場を離れていった。

「まあ、こうして仲直りもできたことだし、これからは楽しく間食タイムと行こうじゃないか」

 北川君の言葉に、名雪が猛烈な勢いで頷いた。そして、それを留める表面上の如何なる理由も存在しない。けど、私はイチゴサンデーを口に運び、名雪たちと談笑している間もずっと一つのことばかり考えていた。そして、それがある帰結に一点収束するに従って抗し難い悪寒が込み上げてきた。

 私は幾つも愚か者の選択をしてきた。しかし、私が今選び取った選択は世界で二番目に愚かな選択だった。裏切り、途方もない裏切りだ。私の好きな、本当に大好きな二人の少女に対する決定的な裏切り。

 嫌だ……そんなの嫌だ。いや、これはきっと錯覚なのだ。ちょっとばかり素直に謝った相沢君に、少しばかり心を奪われた、それだけのことだ。親切を嬉しく思う心と恋愛感情を混同しているだけだ。きっとそうに違いない。私はその思い付きを確かめるため、もう一度相沢君を直視した。しかし、胸を中心に広がる感情は数秒として一人の男性を直視することを許さなかった。

 どうして? どうして今になってこんな感情が生まれるの? お願いだから消えてよ、嘘だと言って消えてよ、こんな気持ち。

 けど、心の深き闇の中へ投じた叫びに対する答えが返ってくることはなかったのだ。私の望みが叶えられることも。

 帰り際、バイバイと言った相沢君の姿に、私はきっと夕焼けにも負けないくらい頬を染めていたに違いないのだから……。

[PREV PAGE] [SS INDEX] [NEXT PAGE]