LIME LIGHT

私は時々、夢を見る。古ぼけた木造の舞台に当たる、ライムライト。そこに立ち、起きている時の私が羨むくらいの演技を披露するもう一人の『私』の姿を。

そこに、台詞は一つもない。ただ身振りと手振り、そして表情だけが『私』の武器。その中を立ち回り、大勢の観客を沸かしている。

『私』のおもいを伝える舞台。私はただ、それを羨ましそうに見ている――そんな、悲しい夢だ。

 

雀の鳴き声が、耳に響く。暖かな日差しが、布団の上に降り注いでいた。眠気を誘う、緩やかな冷気と、暖かな布団の感触。けど、時計を見るとそれだけの時間があるとも思えなかった。それに、今日は特別な日なのだから、少しくらい早起きするべきだと私は思った。

壁のハンガには、今日から通う高校の制服が掛かっていた。その雄姿を見る度、ああ私はこれから高校生活を送るんだという実感が迫ってくる。

まだ虚ろを願う瞳を何度か擦り、固くなった体を解すためにうんと背伸びをした。途端、酸欠状態になったのか、体から力が抜けていき、再び布団にぱたりと倒れこんでしまった。

気を取り直し、体を起こす。それから鏡に立ち、表情を確認する。そして、私のできる精一杯の笑顔を作った。最近、嬉しいことが多いからだろうか――表情はとても晴れやかだった。

そして、可愛い鯨柄のパジャマから新しい制服へと着替える。僅かに滲む布の香りが、私の心を良い方向へと導いてくれているようだった。

そして、大丈夫――大丈夫と何度も心の中で唱える。

大きく一度、深呼吸――。

そして私は、まるで舞台に飛び出す女優のように、部屋を飛び出していった。

FIRST PART

----OVERTURE----

―1―

と、威勢をつけてはみたものの――朝の支度をして通学路をゆっくりと歩いているうちに、振り絞った勇気がなくなってしまったようだった。今も私の側を歩く、新入生らしい女性三人組。自転車で通り抜けていく学生たち。その全てが私なんかより余程しっかりしているように見え、また高校生らしかった。

この人たちの中に混じって私はやっていけるだろうか――という不安がどんどん膨らんできて、途端に私の頭は真っ白になる。遂には、今歩いているところがどこだとか、何年何組に配置されるのか、それすらも頭から抜け落ちてしまった。

一本道みたいなものだって、散々『お母さん』や『お父さん』に教えて貰ったのに――居場所が上手く認識できない。どうしようかと周りを見回しても、頼れそうな人は誰もいない。

(そうだ、同じ制服を着ている人に付いていけば良いんだ)

すると都合よく、私と同じ制服を着た女性がせかせかと歩いてきた。肩甲骨の辺りまで伸ばした髪を自然とウエイブにした髪型がとても似合う、美人の女性。勿論、顔だけじゃなくスタイルも――それからあまり気にしたくないことだけど――胸の大きさも。

気後れしそうになるが、この人に付いていかなければという強迫観念と、私も一年後か二年後にはこの人のようになってやるという、意味もない対抗意識が普段では沸き起こらない程の勇気を与えてくれていた。

元々の性格なのだろうか、それとも急いでいるのだろうか――歩くのが早くて私の運動神経では小走りでないと見失ってしまいそうだった。生まれつきというか、螺旋が何処か外れたような運動神経の無さは小さい頃からだったけど、今ほどそれを恨めしいと思ったことはない。私は滲み出る汗を隠し、必死で後を追う。

しかし、目の前をゆく上級生らしき女性は、時計を一瞥すると突然、鞄を抱えて駆け出した。私はその一部始終を一瞬だけ呆然と眺めた後、今まで以上の緊急事態に気付き、慌てて全力で走り出した。

けど、元々の運動能力が違うのか、私が特別に鈍いのか、差はどんどんと開いていく。それでも、彼女を見失っては困るという一念だけが、二本の足を突き動かしていた。

しかし、走るごとに汗が噴出し、視界は段々と白濁していく。吐く息がだらしなく空に散り、早くも足は鉛のように重く走行という行為を留めていた。最早、何が目的だったのかも、目の前に実はゆっくりと側を歩く高校生の集団があることも気付かず、私は兎にも角にもウエイブをなびかせ軽やかに走る少女を追いかけた。

不思議の国のアリスは、時間兎を追いかける時、こんなに苦労しなかったのに、私だけ不公平だと思った。これから起きる冒険もなく、体力を使い果たした私の意識は現実とは全く関係のない方向へと歪んでいく。そして、意識の途絶。

だから、私が意失する前に微かに聞いた――。

「ちょっと貴方、大丈夫――」

という慌てた声も、側に寄り添うのが私の追っていた女性であるということにも――全く気が付かなかった。

 

―2―

「ちょっと貴方、大丈夫――」

わたしは少し――いや、かなり焦っていた。演劇部の新任部長として、遅刻しないようにと念を押しておいたにも関わらず、こうしてデッドラインギリギリの時間に、こうして全力疾走していたのだから。このままでは先輩として、何より部長としての沽券に関わる。

走っている間、そんなことを考えていたものだから、最初、私の後をずっと付いてきている人間がいることに気付かなかった。しかし、可哀想なほど息を枯らし追い縋っていく気配を背後にひしひしと感じるに至って、どうも取り越し苦労ではなさそうなことに気付いた。息をあくせくして追跡してくるその様子に、私は先日見た報道特番を思い出す。

『一人暮らしの女学生、ストーカに殺害さる――』

思わず、背筋のぞーっとした私は歩調を早めほぼ全力疾走で通学路を駆ける――が、後ろの気配は途絶えない。これはほとほとしぶといなと、ふと後ろを振り返って見せると、精根尽き果てた感じの可愛い少女が倒れてくるではないか。

私は慌てて、その少女を受け止める。彼女は上の空で口々に――待って、とか――置いて行かないでと懇願している。もしかして、何か深い理由があってここまで追いかけてきてくれたのかと思うと、自責の念が胸に浮かぶ。が、それならそれで声の一つもかけて貰いたいものだという感情も生まれ、複雑に絡んだまま眼前の少女を見下ろしていた。

ストライプの、薄い紫を基調としたリボンと少女には不似合いなくらいの大きな鞄。背は140センチ台ギリギリで、私と同じ制服を着ていなければ高校生には見えなかったろう。この娘は、私に何を伝えたかったのだろうと疑問に思いながら、倒れこんでしまった少女の処遇に頭を巡らす。

息を荒くする彼女の様子から、軽い貧血か過呼吸に陥っているのは余りにも自明だ。となると、そこまで大袈裟にことを荒立てる必要はない。既に、学校まで三分とない場所まで迫っている今の状態なら、高校の保健室というのが彼女を運び込むベストポイントのように思えた。それに――これなら遅刻しても誰にも咎められない。

私は、ぐったりと体を預ける少女をおぶると息を整え、ゆっくり歩き出した。体に似合い、少女の体は驚くほど軽く、そして華奢だ。これなら、演劇の大道具の方が余程重く感じる。周りの視線は気になったが、倒れこんできた人間を見捨てるほどに薄情にもなれなかった。それに、視線を浴びることならある程度慣れている。

やがて、校門まで辿り着くとマイナ系に属しがちな室内部のいくつかが新入生に向けて勧誘活動を行っていた。うちの高校は、こうした大学臭い雰囲気が時折滲む。運動会や文化祭も、他校にない趣向を凝らして毎年行われるし、我が演劇部も九月と三月の二回、体育館で演劇披露を行う。その辺りは、自由で鷹揚――悪く言えば大雑把な環境だろう。もっとも、そのお蔭で地味目な制服に関わらず、近隣校での人気は高い。

だからだろうか、新入生の表情には希望が色濃いように私には思えた。と、その中に勧誘係を引き受けた――というより、籤で無理矢理決定された――生徒達の姿が見えた。

「あれ、深山先輩――あ、今日からは部長でしたね」

そう言い、ペロリと舌を出して見せる後輩の女子生徒。

「どう、勧誘活動は上手く言ってるかしら」

遅刻してきたとはいえ、一応は部長らしく威厳を込めて――と、これは前部長に密かに仕込まれたのだが――尋ねる。

「さあ、どうなのかなあ。一応、興味を持ってくれた人もいたけど、大学と違って勧誘して部室に連れ込むなんてことはできないから――不定ですね」

変わって答えたのは、パートナの後輩の男子生徒だった。

「まあ、興味を持って貰っただけでも上出来じゃないかしら」

「そんなもんですかね――あ、それでさっきから気になってたんですけど、部長が背中に背負ってる娘って誰ですか? 見たところ、新入生っぽいですけど――」

「さあ――とにかく、いきなり倒れかかって来られたからよく分からないの。でも、気を失ってるから取り合えず、保健室に運ぼうと思って。だから、今日は遅刻してごめんね」

「あ、いえ、そういう事情があるなら仕方ないですよ」

「本当かな? 遅刻しそうな言い訳に、新入生に当身食わしたんじゃないの?」

二人は思い思いの口を叩く。実は後者の言葉が図星だった私は、言を発した当人を思い切り睨み付けた後、最後にもう少し宜しくねと一言頼み、その場を後にした。もう少し話していたかったが、良い加減に肩も重く感じてきだしたところだったから。

それから、私はその足で保健室に向かい――保険医に事情を説明した。

「あら、それは大変ねえ。それで――その娘はここの生徒なんでしょ。勿論、始業式には出られないだろうから、最低でも担任に連絡しておくべきじゃないかしら。荷物に、素性を示すものって、入ってない?」

保険医に尋ねられ、私は慌てて彼女の鞄を開けた。今まで、この娘が誰かということすら、失念していた自分が恥ずかしかった。一応、年頃の少女なのだからという躊躇もあったが、それ以上に彼女の素性という点はどんなものにも変え難い。私は端の方から、今も眠りこけている少女の名前や素性を示すものがないか探す。

まず、目についたのは濃緑色のスケッチブックだった。絵でも描くのだろうかと思い、興味本位でめくってみると――すぐにその奇妙さに気付いた。スケッチブックには、絵の類は一枚もなく、全て何かの文字で埋まっている。しかも、日常会話や自己紹介といった類のものばかり。これは何を意味するのだろうと、考えを巡らせながら更にページをめくっていくと、不意に一つの名前が飛び込んできた。

『上月 澪』

かみづき――それともこうづきと読むのだろうか。どちらにしても、下の名前がみおだということは私にもすぐ分かった。

それが本名かどうかはすぐに分かった。スケッチブックの一番後ろに、やはり同じ名前が書かれてあったからだ。

「みお――」

私は思わず、保健室の清潔なシーツに包まれ眠る、少女の名を呼ぶ。けど、その呼び声などどう頑張っても届かないという風に、少女は昏々と心地良い微睡へと委ねていた。表情に、天使のような笑みを浮かべ、とても幸せそうな顔で――。

これが、私と上月澪という少女の出会いだった。

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