充たされざる者(サンプル)
〜The Unconsoled〜

 とっておきの場所があるといって魔理沙に案内されたのは吸血鬼の館だった。

 

 いつまで経っても春が来ないという奇妙な異変が元で、わたしは魔理沙と二人目の邂逅を果たしてしまった。実を言うと彼女のことはとある理由からそろりそろりと避けていたのだけれど、せめてわたしの家の周りだけでも暖かくなるくらいの春を集めようと遠出したのが運の尽きだった。あるいは因果応報と言うのかもしれない。

 どちらにしろ、起きてしまったことは仕方がない。これからできるだけ彼女を遠ざけるようにするだけのことだ。いや、するつもりだった。実際のところ、魔理沙はまるで天の邪鬼のようにわたしの願望と逆に動いた。ひっきりなしにわたしと関わり、家の中にずかずかと上がり込んで来るようになったのである。迷惑千万なこと甚だしい。

 その日も魔理沙は夕食を遠慮なく平らげ、風呂を使い、そして今は自室のベッドに平然と横たわっていた。家主を床に引いた布団に寝かせるなんて、何とも図々しいことだ。あるいは本人にもその自覚があったから、わたしにあんなことを持ちかけて来たのか。否、ベッドのみならずあらゆるものを平然と借りていくものの言葉に殊勝が含まれているわけがない。単なる気紛れだったのだろう。

『少し埃っぽいけど万年快適で、いつでもあらゆる本を読み放題の図書館がある』

 夢のような話である。もっとも魔界には《二十五文字からなるあらゆる組み合わせの本が貯蔵された》バベルという名の図書館や、六人の首なし騎士の短剣の力によって《時間の因果を超えて書物を集める》最果てという名の図書館があって、地上の図書館などそれらに比べれば取るに足らないものだとわたしは考えていた。でも、すげなくするときらきら瞳の魔理沙が拗ねるだろうから、適当に相づちを打ってあげた。

『へえ、それは凄いわね。でもただってわけじゃないでしょ?』

『いやいや、それが何とただなんだな。しかも望めばいくらだって蔵書を貸し出してくれる』それが事実だとしたら何とも太っ腹なことだけど、おそらく魔理沙が都合良くねじ曲げているのだろう。まだ見ぬ図書館の主にわたしは思わず同情しそうになった。『ただ、少しだけ厄介はあるが』

 ほら来たと心の中で呟く。良いことを最初にまくし立てて、それから遠慮がちに負の側面を語って押し通ろうとするのは魔理沙の常套手段だ。

『その図書館だが、入口をなかなかの手練れが守っている。まあ慣れればどうってことないが』

 些かの事情も知らないわたしに配慮するつもりなどさらさらないらしい。まあ、魔理沙がどうにかできるならどうにでもなるとたかを括り、わたしは声色に興味を含めて差し出した。

『では、期待しない程度で楽しみにしてるわ。で、いつ連れて行ってくれるの?』

『明日だな。昼過ぎに出て、図書館には午後二時頃に辿り着くのが理想だ。はらはらと本をめくっているうち、丁度良いタイミングで紅茶とスコーンの甘い香りがやって来る。来客数をきちんと管理している従者に露ほどの感謝を抱きながら、それを頂戴しつつ本を読むんだ』

『食事中に飲み食いするのは行儀が悪いわよ。それに零したりしたら大変じゃない』

『光陰矢の如く、学成り難しというだろう。時間を無駄にしてはいけないんだぞ』どこか噛み合わない格言を口にすると、魔理沙は造作なく言った。『それにカップをひっくり返しても零さないくらいの術は心得ているさ』

 どうだかと言いたかったけれど、心底どうでも良かったから無言で受け流した。

『アリスなら一目見て気に入ると思う。楽しみにしているが良いさ』

 自分のものではないくせに堂々と誇る魔理沙に、わたしは小さな溜息をつく。彼女はどうして盗っ人猛々しくも衒いなく笑えるのだろう。そんな顔をされたら、許せないことでも許せてしまいそうだ。傍若無人で意地悪だったくせに同じ笑い方をする彼女のことが思い出され、わたしはいかにも眠たい風を装い、魔理沙に背を向けた。

『それじゃあ、わたしも眠るか。ではアリス、お休み』

 わたしは何も答えなかった。声にすら感情が滲むのを避けたかったからだ。

 

 そして、ここに至るわけだ。吸血鬼とその走狗たちが住まう館――なんという所に案内するのだと戸惑いが心をつき、しかし次には合点もいっていた。紅魔館の地下には力のある魔法使いが住み、その懐に膨大な蔵書を蓄えているという噂はわたしも聞いたことがあった。そして魔理沙がいつかの夏、吸血鬼が起こした異変で紅魔館に乗り込んだことはよく知っていた。当の本人が自慢げに語ってくれたからだ。

「なるほど、ここが魔理沙のお気に入りなのね」館の面積から見積もって、魔界にある両図書館に比べればささやかな規模のようだった。当然ながらそんなことはおくびにも出さず、不安を装って魔理沙に訊ねる。「で、厄介な門番というのは彼女?」

 木陰からひょいと覗けば、どこかおどろおどろしい雰囲気のする正門に、そぐわぬ容姿の女性が立っていた。もっともこんな館の門番なのだからただものではないのだろう。吸血鬼は陽の下では全く活動できないか極端に能力を制限されるため、昼に活動できるものは厳選される傾向が強い。御しやすいというようなことを魔理沙は言っていたけれど、あまり油断しないほうが良いのだろう。

 そんな心づもりを無視するかのように、魔理沙はお気楽そうな表情で頷くのみだった。

「その通り。そしてどうやら今日はついているようだな」

「ついているって、運があるってこと?」

「当たり前だろ、他にどんな意味があるんだ」守衛がしっかと門の前に立ちはだかっているというのに、幸運も何もあったものではない気がする。そんなわたしの懸念に気付いたのか、魔理沙は改めて中華風の服を身にまとった佳人を指差す。「一見すると職務に忠実なように見えるだろう。だが驚くなかれ、彼女はいま熟睡中なのだ」

 何を言っているのかわたしにはさっぱり分からなかった。

「あいつの能力は気を使うことなのだが、その力を自分に使って膝が崩れないくらいに身体を固定しているんだ。ああして絶え間ない業務の間に睡眠時間を捻り出しているというわけだ。いやはや涙ぐましいことだよ」

 魔理沙はそんなことを口にしながら、周囲にマジックミサイルを展開し、哀れんでみせた相手に発射しようとしていた。

「ちょっと、何をしてるのよ! 寝てるのなら起こさないよう、気配を消して通り抜ければ良いでしょうに」

「あいつは気を使う能力を持っていると言っただろう? 侵入……もとい、来訪者が近づくと自動的に察知して目を覚ましてしまう。元々気配のない存在でもない限り、あいつに気取られず突破することは不可能だ。御しやすくはあるけれど、侮ることは決してできない相手だ」

 どうやら魔理沙は、あの門番のことを随分と研究しているようだ。その努力は認めるにやぶさかではないけれど、本当にそんな努力をするべきなのかという疑問がある。

「でも、この屋敷は随分と広いのに。門に拘らずとも、どこかの壁をひょいと乗り越えれば良いだけじゃない」

 わたしの言葉に、魔理沙は詫び寂びが分かってないと言いたげな視線を向けてきた。

「わたしは正式な客人なのだから、正しい門から入るのが筋というものだ。あいつとしては門番なのだから館を守らねばならず、ゆえにわたしとしては打ち倒すしかないというわけだよ」

 どう考えても答えになっていなかった。だが魔理沙の中では一本筋が通っているらしく、これ以上の説明は不要だと考えているようだ。急に馬鹿馬鹿しくなって、わたしは魔理沙の行為を黙認することにした。

「では、行くぞ。ミサイルと同時に飛び出して、着弾に面食らっているその横を抜ける」

 できるかと挑むような表情を向ける魔理沙に、わたしは平然と頷く。魔理沙は木陰から姿を出すとミサイルを放ち、箒に跨ると追随する形で飛び出していく。わたしはその少し後ろに続き、居眠り中の門番への着弾と悲鳴を横目に、紅魔館へ『来訪』した。あくまでも侵入ではなく、来訪である。もし図書館の主に渡りをつけることができたら、後で彼女には丁重な詫びを入れるつもりだった。正式な客人として認識されれば、毎回あんなドンパチを繰り広げる必要もない。

 力は出し惜しみする。面倒はできるだけ避ける。まあ、そういうことだ。

 

 魔理沙はメイド妖精の冷たい視線もどこ吹く風、勝手知ったるといった感じで寄り道することなく館に入ると、地下への階段を見つけて一目散に下りていく。館の施設を使用するのだから、主人筋に挨拶の一つでもしておくべきではないかと思うのだが、どうやら魔理沙にそのような考えはないらしい。親の顔が見てみたいとは正にこのことだ。

 そんなつらつらとした思考も目的の場所に辿り着くまでだった。館の地上側は吸血鬼の住処らしい妖念に満ちていたのだけど、それとは毛並みの違う魔力めいた空気が漂っていたからだ。魔界ほどではないけれど、それなりの雰囲気を留めている。もしかしたら混沌の門の一本や二本は繋げているのかもしれない。なるほど、地上人にしては相当手練れた魔法使いが住んでいるようだ。ゼテギネアが鉄と馬によって征服されて以来、地上の魔法使いは激減したと聞いていたのだけれど、ここにはその忘れ形見が存在するらしい。あるいはそのため幻想郷にいるのかもしれない。

「なかなか面白いわね」思わず心の内が呟きによって外にもれる。「この分なら蔵書も多少は期待できるかも」

「いや、わたしは最初からそう言っているのだがな」

 不満がる魔理沙を無視して、わたしは図書館への重い扉を開ける。そうして現れた眼前の光景に、わたしは目を瞬かせる。館の広さから察するより遙かに広大な敷地と書架がそこにはあった。見落としでもあったのかとわたしは扉や壁を探り、魔術的な意匠を探したけれど、どこにも見当たらなかった。

「どうしたんだ? 早速面白い本でも見つけたのか?」

「あなたと一緒にしないで」わたしは言葉でぴしゃりと魔理沙の口を塞ぎ、ついぞ目的のものを見つけられなかった戸惑いに思わず息をついた。「どういうこと? 空間が操作されているのに魔術を感じられないなんて」

「そりゃそうだろ」わたしの疑問に、魔理沙が横から口を挟んでくる。「この館の空間操作は魔術で行われているわけじゃないんだから」

「魔術じゃない? ではどんな力なの? まさか何の媒介もなく空間を操作してるの?」

「そうなんだろうなあ」魔理沙は信じられないことにしみじみと頷いた。「わたしもどのような力が働いているのか、随分と探りを入れたのだが未だに解明できていない」

「信じられない……」魔界にだって何の媒介もなしに空間を遣うものなんてほとんど存在しない。もしかしたら義母ならできるかもしれないけれど、遣っているところは一度も見たことがない。「クロノマンサーの魔法使いなんて聞いたことがないわ。それはもう、ウィザードリィの領域じゃない」

 それほどの高位魔導師がここにはいるのか。怖気すら感じたわたしに、魔理沙は慌てて首を横に振る。

「すまん、わたしの言い方が紛らわしかったな。空間を操作しているやつと魔法使いは別の存在だよ。前者はこの館の侍従長を勤めている人間で、後者こそわたしがこれから訪れる図書館の主だ」

「なんだ、そうなの……」わたしは安心しかけ、しかし再び訳が分からなくなってしまった。「侍従長の人間が空間操作? その人間って吸血鬼の走狗で特別な力を得たとかそういうの?」

「いや、混じりっけなしの人間だな。もっとも行動理念は走狗といっても差し支えないが。ちなみに言っておくが、そいつの本当の得意技は空間操作じゃなくて時間操作だな」

「同じことよ。空間を操るってことは、時間を操るってことだもの。だからクロノマンサーなのよ」魔理沙が首を傾げている横で、わたしの頭はささやかな知への驚きで回っていた。「しかし、なんともいやはやだわ。吸血鬼に魔法使いってだけでも大層なのに、おまけにクロノマンサーまで」

 それだけの人材がいれば、館一つが異変すらも起こせるわけだ。よくもまあ、霊夢と魔理沙は御しきることができたものだ。

「大層ではあるが、今回の訪問には関係ない。アリスのほうでも興味があるなら、是非とも調べてみてくれ。ただ一つ言っておくが、いきなりナイフを投げつけられても驚かないようにな」

 館の管理をしている人間がそれで良いのかと思ったけれど、噛まれてもいないのに吸血鬼の走狗になるような人間なのだから、それだけの性格的欠陥があってもおかしくないのかもしれない。そう結論づけたところで、魔理沙が声をかけてきた。

「さて、どうやら向こうからお出迎えのようだ。彼女に案内してもらうとしよう」

 魔理沙は羽根の生えた少女に大きく手を振る。その気配から察するに、どうやら憑代つきの悪魔であるらしかった。力のある魔法使いがごく一般的に遣う従者だ。彼女は本を何十冊と胸に抱えていたが、魔理沙の声を聞くと少し離れた場所にそれらを置き――攻撃を仕掛けてきた。

 

「さて、では先に進むか」魔理沙は向かってきた従者を容赦なく返り討ちにすると、何事もなかったかのように箒に跨った。「どうしたんだ、アリス。ぼうっとして」

「これから会うのはここの主なんでしょ? 従者を叩きのめして大丈夫なの?」

「悪魔だからすぐ元に戻るよ。それにこれくらい、ここでは挨拶のようなものさ」

 質問して答えが返ってこないのにはもう慣れてしまった。全く、魔理沙が一緒だとこちらの常識やリズムまで狂ってしまう。困ったものだ。

「やれやれだわ。この調子ではあと何人退けなければいけないやら」

 わたしの呟きに反して、魔理沙やわたしの前に立ちはだかるものは誰もいなかった。書架の合間を飛び続けることおよそ数分、まるでリビングのようにソファやテーブルが並んでいる一角に、頬杖を突きながら本を読んでいる図書館の主らしき人物を見つけることができた。

「ふむ、割と素直に見つかったな。運が悪いとなかなか見つけられないんだが、今日はどうやら比較的ついていたらしい」

 そう説明すると、魔理沙は読書に耽(ふけ)っているであろう人物に声をかける。すると何かに没頭しているものの性質として肩を小さく震わせ、それから再び本に目を落とし始めた。気付いた上で完全に無視している。このやり取りだけで二人の関係が何となく察せられたけれど、折角だから棘を刺した。

「随分とおかんむりなご様子ね。またぞろ本でも盗んだのかしら」

「失敬な。先日、十冊ほど借りていったのは確かだがちゃんと許可は取ったぞ」おそらく彼女の返事は聞いていないのだろう。もしかしたらわたしは気まずさの緩衝材として連れてこられたのかもしれない。「本は天下の回りものというだろう? それにこんなところで燻った(くすぶ)ままじゃ、本にとっても良くない。たまには日の下に出してやらないとな」

 日が当たらず、温度と湿度がほぼ一定に保たれているこの図書館は本にとっての楽園に相違ないのだが、魔理沙は自分理論で武装し、一歩も引く気配がない。どうでも良くなってきたので、わたしは適当に相槌を打っておいた。すると魔理沙は寂しそうに口をすぼめ、図書館の主に向けてそろそろと高度を下げていった。

 もう少し構って欲しかったのかしらと、そんなことを少しだけ考えたけれど、すぐに詮無きことだと打ち消した。灯りが薄いからそう見えただけだろう。事実、へらへらとした笑いを浮かべながら気まずさで挙動不審になっている魔理沙から陰めいたものは感じられなかった。

「ほら、今日はパチュリーのために特別の客人を連れてきたんだ」

 そう言って、魔理沙はこちらに助けを求めるような視線を投げかけてくる。すげなく無視したい欲求に駆られたけれど、図書館の主に筋を通すことはわたしにとっても大事であると思い出し、しずじずと高度を落とし、二人の前に下り立った。

 図書館の主は一言で表現すれば、魔理沙以上にらしい魔法使いだった。紫を基調とした夜具のようなドレスに身を包み、室内だというのに三日月のあしらわれた同色のケープを被っている。その全身は体型を隠すゆったりとした服の上からでも華奢であることが一目で分かる。単なる病弱の少女に見えないこともないけれど、その懐にはいくつもの魔道具を帯びているのが微かに感じられ、そのただならなさを無言のうちに示していた。

 そんな彼女の顔はありありとした不信感で彩られ、僅かにつり上がった目元を更に険しくしてわたしを臨んでいた。予想していたことだが、わたしは魔理沙の連れてきた更なる厄介ごとの種として認識されているようだった。

「誰よこいつ」パチュリーはわたしのことをわざとらしく指差した。この不躾(ぶしつけ)なポーズに不歓待の透徹(とうてつ)な意志が感じられ、わたしは何も悪いことをしていないのに申し訳ない気持ちで一杯になった。「一人じゃ持ち出せる本に限界があるから、助っ人でも雇ったわけ?」

「いやいや、そんなわけないだろ」つと外される視線に、わたしはそのことも計算に入れていたと知った。それはどうやらパチュリーも同じようで、わたしと魔理沙への重圧を更に強くしてきた。「そんな殺気立つなって。彼女はアリス・マーガトロイドといって、魔法の森で人形編みを生業としているねく……もとい、落ち着いた物腰の魔法使いだ」

 どうやら魔理沙はわたしを根暗だと考えているらしい。当たっているからわたしの心はさして揺れることもなく、隙を見て背後から蹴り飛ばそうと心に決めただけだ。

「パチュリーはそんなだから同業者と話をする機会なんて滅多にないだろ」お前がしょっちゅう来ているだろうと言いたげな表情を浮かべると、魔理沙は当たり前のように無視する。「アリスは人形使いだが、魔術の知識は深く多岐に渡っている。魔法の性質も似ているし、うまが合うんじゃないかと思ってな。満を持して招待したわけだ」

 自分のものでもないのに招待とは図々しいにも程があるけれど、打算を抜きにして少しはパチュリーを気使おうとしているのが分かったからわたしは何も言わなかった。性質の近い魔法使いが得てして犬猿の仲になりやすいのは、単純に知らないだけだと好意的に解釈する。

 総合的に判断して、わたしはパチュリーに正式の挨拶をした。スカートの両袖をつかみ、しずしずとお辞儀したのだ。するとパチュリーは不信の色を瞳に灯しながら、頷きのようにぺこりと頭を下げた。まるで怯えた猫のようだ。懐柔するのはかなり難しいなとわたしは心の中で小さく息をついた。

「では、わたしはこの近くをぐるりと回ってくる。二人は適当に駄弁っといてくれ」

 まるで見合いの席から不自然に抜け出す側付きのように、魔理沙は箒で飛び出して行った。何とも自分勝手ではあるけれど、わたしの目的には丁度良い。彼女が完全に見えなくなるのを見計らってからパチュリーに視線を戻すと、大袈裟なくらいの溜息が形の良い唇からもれた。

「全く、いつもながら颱風(たいふう)のように慌ただしいわ」どこか年帯びた、それでいて幼さも感じさせる言葉使いだった。魔法使いだから見た目と年齢はさほど関係ないはずだが、そこまでの乖離もないのかもしれないと思う。「あなたも大変ね。いつも振り回されているのでしょう?」

 否、一目で事情を見抜くくらいには聡いし機微に通じているらしい。あるいは己の実体験をそのままわたしに投影しただけかもしれないが、直上での先程までのやり取りを把握していたのならば荒い推測というわけでもないのだろう。どちらにしろ彼女は魔理沙と違い、常識が通じる。それだけでも肩が楽になったし、頷き一つで気持ちが伝わるのもありがたかった。

 パチュリーはつんとした表情を改め、余裕めいた笑みを浮かべる。おそらくはこれが彼女の素か、そうであれと願っているキャラクターなのだろう。

「自己紹介が遅れたわね。わたしはこの図書館を治めているパチュリー・ノーレッジよ」

「アリス・マーガトロイドよ」わたしが右手を差し出すと、パチュリーは当然のように同じ側の手で握り返してきた。名前とその容姿から想像はついていたけれど、彼女が西洋圈の出身であることはどうやら間違いなさそうだ。「図書館に住む、知識を姓に持つ魔女か。あるいはその役割ゆえに与えられたのかしら?」

「まあね。もっともオリジナルはささやかな代物だったけれど。そういう貴女こそその出で立ちでアリスだなんて。もしかしてチャールズ・ラトウィジ・ドジスンのファンなのかしら」

「まあ、そんなところね」それは実のところ正しくない。わたしの服は魔界の古典的服装の一つであり、ルイス・キャロルは『魔界に迷い込んだ体験を児童書の体裁で綴った』のだ。「わたしが物心ついた頃には、既に亡き存在だったけれど」

 パチュリーは少しばかりの同意を込めて「ふぅん」と気のない返事をする。然るに彼女はキャロル没後に生まれたのだろう。彼が没したのは一八九八年だからせいぜい百年かそこら。相応の研究を重ねてきたのなら、ようやく魔法使いとして次の階に足を踏み入れたといったところだ。もっともこれだけの図書館を維持しているのだから、並程度とは考えられない。

「幻想文学の名手にて才気煥発な数学者、しかも高名な魔法使いでもあった。是非とも一度、会ってみたかったわね」

 まあ筋金入りの少女愛者でもあったのだけれど。わたしは兎も角、容姿的にほぼ完全な少女であるパチュリーだと剣呑ならざる事態に陥ったかもしれない。まあそれは言わぬが華である。とまれ、キャロルのお陰でわたしとパチュリーの間にあったしこりは大幅に取り除かれたようであった。それでも警戒を完全に解いたわけではなかったけれど、初対面にしては上出来といったところだろう。

 それから話はいくつかの英国文学――チャールズ・ディケンズへの言及が多かったことからして、人間の頃は割合に不遇な生活を強いられていたのかもしれない――に及び、パチュリーのふとした呟きからわたしの聞きたいところへ戻ってきた。

「まあ結局のところ好きが嵩(こう)じてなのかしらね。こんな所でこんな暮らしをしているのも」

 どこか陰りを帯びた物言いであり、そんなに単純なわけではないと言外に告げていた。

「これだけの蔵書を集めるのは随分と骨だったでしょうね。空間はいくらでも確保できているようだけど」

「無駄に広すぎるのよ。まあ結果的には助かっていると言えなくもないけど。うちの索引天使はよくやってくれてるけど、それでも数年後には飽和するでしょうね」

 魔理沙に攻撃を仕掛けてきたのは天使というより悪魔の居姿だったけれど、天使と悪魔は同一の存在だから間違いというわけではないのだろう。

「結構、色々と引いてるわよね。しかも人間界からだけじゃない」

 そう指摘すると、パチュリーは初めて驚きの表情を浮かべた。それからわたしのことを何者かと推し量るような視線を向けてきた。

「本自体が幻想になりつつあるとはいえ、そもそも魔法文化の廃れて久しい人間界の書籍では限界がある。これは推測だけど、混沌の門を開いて異世界からも書籍を喚んでいるのでは?」

 わたしの質問にパチュリーはすっかり押し黙ってしまった。あまりに図星を突きすぎたかなと危惧するものが浮かんできたけれど、しかし彼女も本を喚ぶ魔女であり、敢えて不敵な笑みを表情に選んできた。

「調子の良いときにちょくちょくね。この館には首のない騎士が所有していた魔法の短剣が秘蔵されていて、それで魔界への穴を少しだけ開けることができるの」

「それは……」六人の首なし騎士かと訊ねかけ、わたしはつと口を噤んだ。流石にそこまで言い当てるとこちらの素性を悟られかねないと思ったからだ。「凄いわね。わたしは異世界の本にまで手を出す気なんてまるで起きない」

「だから好きが嵩じてなのよ」なるほどとわたしは素直に頷く。するとパチュリーは生真面目な顔をわざとらしく浮かべてみせた。「この話、魔理沙にはしちゃ駄目よ」

「そうね、彼女も筋金入りの書籍収集狂(ビブリオマニア)だもの。その短剣とやらを持ち出すに違いないわ」

 そこまで口にして、ふと疑問に思う。彼女はわたしのことを魔理沙の連れだと考えているはずだ。少々打ち解けたからといって、ここまで図書館の秘密について赤裸々に話すだろうか。わたしは密やかに気配察知の範囲を広げ、すると少なくとも五門の魔法陣がわたしに狙いをつけていたのだと分かった。おそらくわたしが魔理沙の忠実な走狗だと判断した時点で、これらを一斉に撃ち込んできたのだろう。六人の首なし騎士の短剣が秘蔵されているという話も眉唾の可能性が高い。

 いやはや、どこかおっとりとして隙が多そうに見えながら彼女はれっきとした魔女なのだ。しかし策を弄するがゆえ、正面からの突貫にはおそらく弱い。そのため魔理沙にいつも本を持って行かれるのだろう。わたしも人のことは言えないのだけれど。

「どうやら小細工の必要はなかったようね」わたしの態度から何かを読み取ったのか、それとも気配察知を感取ったのか、パチュリーはひょいと肩を竦(すく)め、魔法陣を全て引き払う。それからどこか嬉しそうに付け加えた。「そしてもう一つ分かったことがあるわ。わたしたち――」

「良い友だちになれそう?」

 わたしが先回りすると、パチュリーは少し恥ずかしそうに頬を赤らめ、それからたどたどしく訂正した。

「魔理沙に悩まされる同士として、互恵関係が築けるのではないかと思っただけよ」

「わたしは魔理沙がここから本を持ち去ること、止める気はないのだけど」

「止める必要はないわ。あくまでもわたしのことはわたしが、アリスのことはアリスが何とかするのよ」

 それでは互恵にならないけれど、でもアリスにはパチュリーの申し出が何となく分かる気がした。困った魔法使いに悩まされるものが身近にいる、その事実自身が慰みになるのだ。そういった意味も込めて頷いてみせると、パチュリーはそれで話すべきことが尽きたのか、書物に目を落とした。わたしも近くの書棚を探し、人形関係の本を読み始める。

 そして十分ほどが経っただろうか、遠くからまるで地鳴りのような轟音が響いてきた。するとパチュリーはくつくつとどこか意地悪げな笑い声を立てた。

「あら、魔理沙ったらフランに捕まっちゃったみたいね」

「フラン? ここでは継ぎ接ぎの大男が跋扈していたりするの?」

「それはフランケンシュタインの怪物のほうでしょ? フランケンシュタイン自身は科学者……」そこまで言ってパチュリーは話が明後日の方向に進んでいると気付いたのだろう。わざとらしく咳払いをする。「フランドール・スカーレット、紅魔館の当主たるレミリアの小さな妹よ。もっともタチの悪さは姉の比じゃないけど。魔理沙も可哀想に、彼女と遭遇してしまうなんて。あの子最近はとみにタフだからしばらく戻って来られないわね」

 もしかしたら仕向けたのではないかという疑いが沸いてきたけれど、本当に嬉しそうにしているからおそらくそうではないのだろう。だからわたしもやれやれと言わんばかりの表情を浮かべてみせた。

「無邪気な破壊衝動、その中に一滴ならず垂らされた想い。微笑ましい限りだわ」

 パチュリーはそのことを自然に語ろうとしたけれど、完全には上手くいかなかった。口元が少しだけぎこちなかったからだ。この勘繰りにパチュリーは気付かなかったようで、同意を求める視線をこちらに向けてきた。わたしはとっくり頷き、それからふと良い香りにつられテーブルを見る。するとそこにはいつのまにか三人分の茶と、焼きたてのクッキーが置かれており、少し離れた所に楚々とした佇まいの侍従女が立っていた。

「どうやら三人分は必要ないみたいよ」パチュリーが軽口を飛ばすところからすると、二人はそれなりに気安い間柄のようだ。彼女がこの館の侍従女だとしたら当然のことだけれど。「紹介するわ、彼女がこの館で侍従長を勤める咲夜よ」

 お決まりの深々としたお辞儀には様式美すら感じるけれど、それでいてそこかしこから突き出ている棘のようなものはなかなかに隠しようがないものだった。不躾なほどこちらを見定めているのは、あるいは試されているのかもしれず。少し考えてから、わたしはパチュリーと同じくらいの気安さで挨拶をした。この手の従者には慣れていること、物怖じしていないこと、何よりこのような態度が許されるのだということを、目の前の侍従女に伝えるためだ。

「わたしはアリス・マーガトロイドよ。ここに来た経緯はご存じかもしれないけれど、その辺りはやぶさかによしなでお願い頂けると助かるわ」

 些か煙に巻くような物言いだったけれど、正確に発言すれば咲夜はその立場上、この場を濁す行動を取らざるを得ないだろう。釈然としない箇所を残しながら曖昧にことを進めるのが最善手だとわたしは判断した。

 そのことを察してか、咲夜は棘を引っ込め、しかし心中にナイフのような鋭さを保ったままでにっこりと微笑んでみせた。この手の表情に慣れていないのは、主人筋からの正式な客を迎えたことがほとんどないからだろう。吸血鬼の主人に招かれるなんて同族かよほどの朋友でなければあり得ないから、しょうがないのだろうけれど。

「カップが一つ空いたのだから、少し休んでいきなさいな。半刻くらいならレミィも文句は言わないでしょ?」

「そうですね……ではお言葉に甘えさせて頂きます」

 少し迷った素振りを見せながら、咲夜は躊躇(ためら)いなく空いていた椅子に座る。もしかしたらこの状況を知った上でわざと三人分持ってきたのかもしれない。パチュリーもそれを知った上で何も言わず、このささやかなお茶会に誘ったのかもしれなかった。館の当主をレミィやフランとニックネームで呼んでいるところからしてパチュリーは立場上の対等、おそらくは長居の客人に相当するのだろう。まだ登場人物は残っているかもしれないけれど、現状での関係性は概ね把握できたようだ。つまり過度な不躾を防げるということで、これはわたしにとってなかなか幸いな事態と言えた。

 書物が脇に置かれ、するとこの場はクッキーの僅かな咀嚼音と遠くから響く衝撃音が混じるいささかちぐはぐした状況となった。どことなく落ち着かなくて、だからわたしは先からの疑問を良い機会だと考え、喉元から押し出してみた。

「ここでは、魔理沙はいつもああなのかしら」

「と、言うと?」パチュリーは紅茶を啜(すす)り、わざとらしく間を作る。「本のことじゃないわよね?」

「いつもあんな風に、誰彼構わず弾幕ごっこを吹っかけているのかと言うことよ」そう問われるとは予想してなかったのか、パチュリーは口元を引き締めた。「門番然り、当主の妹然り。前者は兎も角、後者は相手が好戦的であることを差し引いても、問題があるのではないかと」

 わたしの指摘にパチュリーと咲夜は似たような苦笑を浮かべた。

「何とかできればとっくにやってるわよ。あの魔法使いと来たら魔力はそこそこなのに弾幕ごっことなるとやたらはしっこい上に的確だし。遺憾ながら半放置状態というのが現状よ」

 パチュリーが大袈裟に溜息をついてみせると、咲夜がフォローの言葉を接いだ。

「妹様の相手をしてくれるのだけは助かりますが」

「まあ、それだけは評価しても良い点ね」

 二人が同時に頷いたところを見ると妹様――フランドール・スカーレットは余程の厄介者らしい。吸血鬼は弱点が多い代わりに鬼の膂力(りょりょく)と天狗の疾さを兼ね備えるらしいから、日の差さぬ地下では向かうところ敵なしであるというのは何となく分かる。そんなものをしばしば相手にしているならば、なるほど苦く思われようとも認めずにはいられないというところか。

 吸血鬼を相手にするなんて危険ではあるが、魔理沙の目標を考えれば頷けるところでもある。

「では毎回、門番を倒していくのも?」

 腕試しなのかと言外に訊ねれば、今度はきょとんとした顔をされた。

「美鈴の場合は、単にからかってるだけじゃない?」

 パチュリーの物言いにはおおよそ容赦というものがなかったし、続く咲夜の言葉はそれに輪をかけて無残とさえ言えるものであった。

「腕っぷしは強いけど、弾幕ごっこではからっきしな上、奇手に全く耐性がないですからね。色々と試すにはうってつけなのでしょう。全く、紅魔館の正門を任されているのだからもう少ししっかりしてもらわないと困るんですけどね。この間も……」

 くどくどしい話になりつつあると気付いたのだろう、咲夜はわざとらしく紅茶を一口啜った。

「まあ、そう言ったところが気に入ってるんじゃない? 魔理沙は気に入ってるやつほどちょっかい出していくから。フランのことだって、何だかだで面倒見てるし」

「妹様は暴れると手が付けられませんが、一頻り暴れ終えるとあれはあれで可愛らしくあらせられますからね」

「ご本を読んでとせがまれれば、断れないのよね。ああ、可愛いって正義だわ」

 なるほど、色々と複雑なようだ。然るに妹様のことも内心では少し残念に思っているのかもしれない。例えるならば、愛しの姫君の心を奪った盗賊か。やれやれ、魔理沙はどこまで行ってもその本性を発揮してしまうらしい。

 わたしが心の中で嘆息をついていると、咲夜が辞去の仕草をみせた。まだ五分と経っていないのだが、主人筋と目線を同じにするのはこれくらいが妥当だと考えたのだろう。つくづく躾けられているなと思った。

「わたしはこの辺りで失礼させて頂きます。ご配慮頂き、ありがとうございました」

 慇懃な礼の言葉を述べると咲夜はするりと立ち上がり、特にきびきびとした動作でもないのに次の瞬間にはこの場から姿を消していた。最初のときは見逃したけれど、今度は十分な注意を払っていたから媒介のない時空間操作の端緒を観測することができた。

「つくづく便利な従者ね。空間を広げ、時間を操るなんて」

 館の最も高価な付属品を誉めたのだから少しくらいは喜ぶと思ったのに、パチュリーは寧ろ渋い顔を浮かべ、小さく首を横に振った。

「多用するのは感心できないんだけどね。空間はともかく、時間を操るには人間は寿命が短すぎるから。でも言って聞くような相手でもないしね」

 パチュリーの溜息は自分が所詮、この館では傍観者でしかないことを嘆いているようだった。

「レミィは少しばかりの取り柄もない人間なんて必要ないと、すげないのよ。咲夜はレミィの言うことは絶対だから」つまりはそういうことなのだろう。「ばっかみたい、咲夜に一番入れ込んでるのはレミィなのに。後悔しても……」

 そこでパチュリーはわたしの存在に気付き、気まずそうに顔を伏せた。

「ごめん、今のはなし。聞かなかったことにして」

 魔理沙ならばそんなことはできなかっただろう。でもわたしは心がとても薄いし、所詮は他人事だからあっさりと頷いてみせた。

 どうにもしんみりした雰囲気になってしまい、わたしはこの空気を打ち壊す弾幕ごっこの勇壮な音を期待したのだけど、どうも既に決着がついてしまったらしく、辺りは息苦しいほどに陰鬱(いんうつ)を帯びてしまった。

「全く魔理沙ったら、とことん空気が読めないわね」

 わざとらしく口に出した言葉は、澱(おり)のように沈んでいく。どうやら咲夜の能力についてはあまり触れないほうが良いらしい。これからは気をつけるとして、今をどうするべきか。どうにも気まずいまま身動きが取れず、どこかから本を取ってくる機会を窺っていると、突如としてパチュリーが切実な視線を向けてきた。それがあまりに強いから、わたしは生唾を飲み込んだくらいだ。

「どうしたの、そんな顔をして。さっきのことなら誰にも言わないから安心して」

「あ、うん」気の抜けた反応からすると、先程とは別のことを考えているらしかった。「アリスは人形使いなのよね。だったらアルビレオの怪物と呼ばれる人形に心当たりはないかしら」

 パチュリーの質問にわたしは一瞬、息が止まりそうになった。まさかここでその名前を聞くことになるとは思わなかったからだ。

「さあ、聞いたことがないけど」動揺を上手く抑えられたかどうか分からないけれど、取りあえずパチュリーは疑いなくわたしの言葉を受け入れたようだった。「それ、凄い人形なの? だとしたら興味があるかも」

 パチュリーがアルビレオの怪物について、どれだけ知っているか把握しておきたくて、わたしは興味を装って訊ねる。

「アルビレオの怪物とは、古代の魔道師が生み出した魔道人形のことよ。その身に莫大な魔力を秘めており、失われた竜族の魔法や禁呪を記した本を持っているとされるわ。もし人形が見つかれば、古代魔法を復活させるためのロゼッタストーンにできるはずなのよ」

 なるほどとわたしは心の中で頷く。パチュリーはアルビレオの怪物が本当はどのような目的で作られたのか知らないらしい。

「魔法と人形の両方に精通しているならば、知っているのではないかと思ったのだけど」

「ご期待に添えなくて申し訳ないわね」

「気にしないで。古代魔法の探索は百打って一当たれば良いほうだから」

 するとパチュリーは百分の一を引いたことになる。何故ならわたしはアルビレオの怪物についてよく知っているからだ。

 人形繰りと転生術を得意技とするある魔法使いが、究極の目的に沿って作り上げた自律型魔道式有機人形。魂を必要とせずに駆動するその人形は、それ故に理想的な転生体となる。もっとも魔界では転生術自体が禁呪扱いであり、しかも魔界神の力によって魔法が因果的に歪められているため、人形を使っても理想的な転生は不可能だ。魔界神の署名なく転生が実行されれば、ランダムな記憶欠損を始めとする多大なペナルティが発生する。

 パチュリーが転生術を研究しているのならばやんわりと釘を刺すつもりだったが、どうやらその必要はないようだ。わたしは安堵と共に読書へ戻ろうとしたけれど、そこでパチュリーのじっとりとした視線に気付いた。

 わたしが何か知っていると勘づいたのだろうか。もしかしたら先程の首なし騎士の短剣と併せて、わたしの反応を窺っていたのかもしれない。かといって今更魔界生まれであると告白するわけにもいかず、わたしはまんじりとしてパチュリーの視線を受け続けた。

 重苦しい空気を突き破ったのは、図書館にあるまじき野暮ったい大声だった。

「おーい、ただいま戻ったぜって、おや?」

 不自然な緊張のせいで二人して肩を震わせてしまったが、魔理沙であることは分かりきっていた。だからこそ臆病なまでの挙動をからかうように咎めてきた。

「どうしたんだよ、二人して驚いて。さては陰でわたしの悪口を言ってたな?」

 魔理沙は言葉に期せずして助け船を浮かべており、わたしもパチュリーも慌てて飛びついた。

「ええ、魔理沙がこの図書館で如何に盗賊であるか、つぶさに伺っていたところよ」

 パチュリーがこれ見よがしに頷いてみせ、すると魔理沙は頬をふっくらと膨らませた。

「ちぇー、なんだよぅ。さっきまでフランの相手をしてたのにさあ、魔女たちと来たらありもしないわたしの悪口ときたものだ。冷たい奴らだよなあ」

 魔理沙は背に負った何者かに話しかけるが、身じろぎ一つする様子がない。背中に生えた七色の羽根はどこかしんなりとしており、ぐでんとした手足とともに熟睡し切っていることを表現していた。

「図書館の被害総額からすると、フランの相手くらいじゃ到底足りないわ。悔しかったら今まで借りてった本、利子つけて返してみなさいな」

 パチュリーの辛辣(しんらつ)な物言いを魔理沙は聞かなかったかのように受け流し、少し離れた所に置いてあるソファ――もしかしたらこの図書館には同じようにソファや椅子の置かれたスポットがいくつも存在するのかもしれない――の上に、フランドールを俯せに寝かせた。どこか苦しそうな感じがしないでもないが、仰向けでは翼が邪魔になるから仕方ないだろう。着脱可能なようにも見えるのだけれど、どうやらそんなことはないらしい。

 顔をソファに埋めているから寝顔までは分からないけれど、手足を投げ出して眠るその姿はなるほど確かに可愛らしい。魔理沙はフランドールのちょこんと覗いた頬を指で突いているけれど、そんな悪戯をしたくなるようなあどけなさがある。これらの光景から彼女の本性を窺い知るのは、魔理沙のところどころ裂けている服を見ても難しい。

 パチュリーがそんな彼女たちをほんの少しだけ羨ましそうに見ているのは、フランドールのことを構いたいのか、それとも――詮無きことだと思考を打ち消し、言葉に出してもいないのに、わたしは繕うようなことを口にした。

「何というか、まるで本当の姉妹みたい」

 特に問題のない言葉だったはずだ。パチュリーもすぐ気付いたに違いない。だがほんの僅か浮かんだ怖れのような震えをわたしは見逃すことができなかった。

「そうね、一層のこと血を吸われちゃったら良いのに」

 身も蓋もない発言だったけれど、それがパチュリーの動揺に端していることはすぐに分かった。だからわたしはこの問題にこれ以上踏み込まず、お追従笑いで受け流した。姉妹仲に少しでも疑義を挟むような言葉もここでは禁句らしい。どうやらここには随分と多くの地雷が埋まっているようだ。外側から見れば強固で怖ろしい吸血鬼の館、しかし内側から覗けばそこまで一枚岩でもないらしい。まあ、わたしには関係のないことだけど。

「お、なんだなんだ、お通夜みたいな雰囲気で」

 そこはかとない気まずさを嗅ぎつけたのか、魔理沙は空気をかき乱すような明るい声と共に割り込んできた。どうやらフランドールを弄ることに飽きたらしい。

「図書館は静かに本を読む所よ。あんたのようにざわざわしているのが例外なの」

 魔理沙は左様ですかと言わんばかりにへらへら笑ってから、先程まで咲夜の座っていた椅子に腰掛ける。それから手に持っていた緑背の文庫をぺらぺらとめくりだした。題名は帽子収集狂事件、著者はディクスン・カーとある。どちらも聞き覚えがないけれど、題名の響きからしてミステリなのだろう。魔理沙は魔道関連の書物が一番の好物だけど、こういった物語も割と好む。以前など、てんでばらばらの番号と索引がふられたゲーム形式の本と睨めっこしていたこともある。最近とみに幻想入りしているタイプの書物で、暇潰しに持ってこいだと言う。私は興味ないのだけれど。

「今日の収穫はその一冊だけなの? 随分と慎ましいわね」

「まあな。でもフランとの所有権争いを経て勝ち取ったのだから、価値ある一冊と言える」

 魔理沙が泥だらけの少年らしく鼻をこすると、パチュリーが呆れ顔とじっとり目線を魔理沙に向けた。

「もしかして、その本を取り合いになったのが今日の勝負の理由だったの?」

「当然だろう。こと書籍に関する限り、後に引くわけにはいかないからな」

 威張ることではない気もするけれど、何だか魔理沙らしいなとも思う。彼女は本当に本が大好きなのだ。パチュリーが盗んでいったものを徹底的に取り立てないのも、魔理沙が本をぞんざいに扱わない人間だと分かっているからかもしれない。もっとも最たる理由は他にあるはずだけれど、それをここで口にするのは流石に可哀想だからやめておくことにした。

「それにしても帽子収集狂とはね。まるで魔理沙みたいじゃない」

「失敬な、わたしに帽子を失敬する趣味などないぞ」

「確かに帽子は集めてないけど、他のものなら収集してるじゃない」

「確かにそうだが、わたしは帽子屋のように気違いじゃないぞ。真っ当至極な魔法使いだ」

 魔法使いに真っ当至極もあったものではないけれど、そう言い張るなら訂正する気もない。わたしとしては少しばかりむきになる魔理沙を見られただけで十分だった。たまにはこういう意趣返しもしなければ不平等というものだ。

「全く、アリスは時々凄く意地が悪いから困る。そんな居姿をしてるからって、性格まで不思議の国じゃなくても良いのにな。パチュリーもそう思うだろ?」

「意地の悪いことをするから、意地の悪いことで返されるのよ。わたしにとってアリスは最初から最後まで丁重なお客さんだったわよ」

 頼みの綱であるパチュリーに言いくるめられ、魔理沙はぐぬぬと歯噛みする。流石の彼女も両面からこうも責められれば心にぐさりと来るらしい。

「今日は疲れたからもう帰る。この本はわたしの家で、一人だけでじっくり堪能してやるぜ。めくるめく大犯罪、大わらわの凡俗たちの前に颯爽と現れ、謎を華麗に解決する探偵の活躍。ああ、今から楽しみだぜ」

 わたしは特にミステリが好きでもなし、パチュリーも同じなのだろう。お互いにつんと取り澄ましたままで、何も答えなかった。いよいよ万策尽きたのか、魔理沙は少しだけ寂しそうな様子で箒に跨り、図書館から飛び去っていった。

 わたしとパチュリーは顔を見合わせ、ぷっと噴き出した。ここまで愉快なことは久々であったように思う。まるで箸を転がして可笑しがる乙女のように、声を立てて笑った。

「少し悪いことしちゃったわね」

 ちょっとだけフェアでなかったような気もしたけれど、パチュリーはさして気にも留めていないようだった。

「良い薬よ。これで魔理沙にも少しは恥じらいや遠慮というものが身につけば良いのだけれど」

 おそらくさして期待はできないのだろう。パチュリーの苦笑めいた表情がそのことを言葉よりも雄弁に語っていた。それからパチュリーは時折笑いを噛み殺し、ようやく気持ちが落ち着いてきたのだろう――ゆっくりと息をつき、わたしに友好的な笑みを向けてきた。

「こんなに愉快なのは久しぶりよ。きっとあなたのお陰ね」

 咲夜の笑みと同様、パチュリーの畏まった言葉もどこかぎこちなくて。こういう気持ちを素直に浮かべ慣れていないのだと分かった。この館はそんなのばかりだ。わたしも他人のことは言えないけれど。

「さっきは撤回したけど、わたしたちは良い仲に……なれそうな気がするわ」

 少しだけ躊躇したのは自分の言葉に確信を持てなかったからだろう。だからわたしのほうから補強してあげた。

「そうね、わたしも冗談めかして言ったけれど今は少しだけ本気にしてるわ」

 するとパチュリーは目をぱちくりとさせ、そわそわとした様子でわたしたちの結びつきを改めて言葉にする。

「さっきも言ったけど、あの魔法使いに……目をつけられたもの同士、よろしくやっていきましょう」

 目をつけられたとは多分、パチュリーなりの婉曲表現なのだろう。魔理沙が気に入った人間ほどちょっかいをかけるならば、パチュリーはその最たる存在と言える。そのことがパチュリーには少しだけ照れ臭かったに違いない。

 そんな推測は必要ないのだとすぐに気付き、わたしはスイッチを入れ替えるようにぱちんと思索を切る。それからごく当たり障りのないことを言った。

「そうね。たまに二人で愚痴り合えば、少しは怨念も軽くなるかも」

 わたしは魔理沙にそこまで強い気持ちを抱いてはいないし、彼女が盗んでいったものに対しても特に執着はしていない。どうせ数十年で帰ってくるのだから。少し不便だけど我慢できるレベルだ。でもそのことを口にすればパチュリーの不興を買いそうだから、同調しておいた。

 この図書館は知識の宝庫であり、出入り自由になればわたしの目的――自律胴人形の作成に一歩近づくに違いないから。そのためにわたしの喜怒哀楽は創出されたのだ。

 でも、それだけでは嫌だったし、パチュリーと話していて楽しいのも事実だったから。半分は本当だと思うことにした。それでわたしの打算が薄められるわけではなかったけれど、慰みが欲しかったのだ。心が薄いくせにそういうところだけ過剰に欲しがる。

 わたしは駄目な存在だとつくづく思う。でも反省する気はなかった。

 

 不文律とはいえ、図書館を自由に使用する権利を得たわたしは門番に丁重な詫びを入れ――慇懃に接すると彼女はすぐに疑いを解いてくれた。あれだけ魔理沙に言いようにされているのに単純なことだ――紅魔館を辞した。

 こと成りし充足を噛みしめているとき、魔というものは差してくる。わたしの心に忍んできたきたのは、ある推測が間違っているという確信だった。

 魔理沙が気に入ったものほどちょっかいをかけるのだとしたら、魔理沙が最も心を砕いているものはわたしでもパチュリーでもないことになる。魔理沙が一番足(あし)繁(しげ)く通っているのは博麗神社だからだ。

 わたしは少しだけ気にかかった。パチュリーはそのことに気付いているのだろうか。どこか浮ついているようだったから気付いていないかもしれないけれど、聡明な女性だったからおそらくは理解しているのだろう。

 できればそのことを確かめてみたかったけれど、ごくプライベートなことであるし、パチュリーはわたしを好意の同列と考えている節がある。そんなことをすれば探りを入れていると勘ぐられかねない。それはあの心地良い雰囲気を失うということであり、だからわたしはそのことを訊ねないと決めた。言わぬが華、沈黙は金である。

 後から考えるとそれが大きな間違いだった。そのせいでわたしは将来、大きな過ちを犯すことになる。

 だがそんなことは露知らず、相殺された満足に忌ま忌ましさを覚えながら自宅まで辿り着いた。すると玄関の前にこの気持ちを生み出した元凶が、ぽつねんと座っていた。

「どうしたの? こんな所に。何か忘れていた用事でも?」

 声をかけると魔理沙は少しだけ怯えたようにわたしを見上げ。それから拗ねたように、フランから勝ち取った本を掲げてみせた。

「やっぱり一人で楽しむには惜しい本だと思ったからさ。家で途中まで読んでいたけど、アリスのために持って来てやったんだ」

 そんなこと頼んではいないけれど、無碍にすることはできなかった。魔理沙はきっと、紅魔館を出てから今までずっとここにいたはずだから。わたしはしょうがないという振りをして、魔理沙に手を差し伸べた。

「それほど自信があるならば、読んで聞かせてもらいましょうか」

 すると魔理沙は分かりやすく目を輝かせたのち、いつもの自信ありげな表情を浮かべる。憎らしいけれど、寂しさを何とか覆い隠そうとしているのだと分かっていたから、わたしは魔理沙を厭(いと)いきることがどうしてもできない。本当は霊夢の所に行きたいけど本に興味がないから仕方なくここに来たのではないかと、そんな嫌みが口をつきかけたけれど。結局のところ、わたしは魔理沙を家に招き入れた。

 このようなことを繰り返して、わたしと魔理沙の腐れ縁は徐々に深くなっていった。