ある河童についての小咄

 

 わたしは昔から出来の良くない河童だった。

 手先は不器用だし、並以上の発想力もない。妖力は明らかに下から数えたほうが早く、視力補正の術を常にかけていることができない。力を高めるために随分と修行したとは思うのだけれど、元々のキャパシティが悲しいほど少ないのだろう。視力補正しながら数時間も本や工作と格闘しているだけで頭痛がしてくる。酷いときは発熱することがあり、頭に皿を持つ河童だからそれだけで目眩がして倒れそうになってしまう。

 だから悔しいけれど、わたしは眼鏡をかけて生活をしている。河童としての程度が低いことを示しており、わたしはそのことを恥ずかしいと考えてしまう。眼鏡なんて最近はファッションでかけるものもいるし、妖力の強弱だけで存在意義を計るなんて、旧態依然としている。妖怪としての基本値が低いならば他で補えば良いし、そのことが広く許されているのが現在の河童社会だ。近代的と言い換えることもできる。

 わたしの周りには眼鏡をかけている河童が何人もいるのだけど、皆がきちんと割り切っている。自然環境に強い胡瓜の栽培に勤しむものもいれば、妖力のなるべく介在しない器械の発明に没頭しているものもいる。矛盾するようだけど、どれも素晴らしい生き方だと思う。ここまで思いを巡らせたところでわたしはいつも、嫌悪に満ちた結論に到達してしまう。

「とどのつまり、種族とか思想とか、関係ないんだ」

 わたしを縛るのは、ただ純粋な劣等感だけなのだ。それはどこにも責任転嫁できない故、重くのし掛かってきて引き剥がしようがない。だから時々、何もかもが嫌になって投げ出したくなる。否、わたしはいま実際に投げ出している。そして一度投げ出したことから復帰するのはとても難しい。昔から何度後悔したか分からないけれど、辛い気持ちが募ると一人で閉じこもることのできる場所に足が向かってしまう。

 そこはかつて、川の流れが変わるような洪水があったとき切り離された水系の一つなのだろう。蓮の葉や藻が多く浮いており、濁り気の多い沼のような池だから、清流に慣れた谷河童たちはあまり好まない。逆に、わたしにとってはうってつけだった。泳いでいるのを誰かに見られるのが苦手だからだ。

 水の中に入ると同時に眼鏡を外す。河童の視力は水中に最適化されているから、水が濁っていても地上よりもくっきりとものが見える。湖底まで真っ逆様に沈んでいき、泥の中に身を落とす。泥がまるで煙のようにもうもうと立ち上がり、生き物たちが慌てふためくのをわたしは少しばかりの愉快とともに観察する。手を伸ばせば魚を捕まえられそうだったけれど、生で食べるのは何となく気が引けて、伸ばした手を寸前で引っ込める。

 魚を生で食べるなんて昔なら当たり前で、泥臭い魚だって平気で食べていたはずなのに。昔風の河童の作法をはばかる自分に何となく自己嫌悪する。

「泥を抜いて、ちゃんと火を通して。そのほうがずっと美味しいと知っている。それで良いはずなのに」

 わたしは料理をするのが好きだ。美味しいものを作るためなら火をふんだんに使うことすら厭わないけれど、わたしの劣等感はその大部分が火から生まれているのも確かなのだ。火は河童により細かい技術を融通した。火を使うには地上に出なければならない。わたしは地上暮らしにままならないタイプの河童だ。

「願わくは、ずっと水の中にいたい。でも……」

 そこでもわたしは劣等感を溜め込んでしまうだろう。水の中で暮らし続けるのは、インスピレーションに枯れた旧い河童がすることだから。わたしはそのことに強い反発を覚える。

「わたしは面倒臭い河童なのかな」分かりきったことをわざわざ口に出したところで、何かが解決することはない。わたしのことを理解しているだけでは、わたしはどこにも行けはしない。池に沈んでいることしかできない。「いや、単に臆病なだけなんだ」

 河童は好奇心旺盛であると同時に臆病な種族でもある。技術に対して保守的な勢力が主流を占めているのも、かつて河童の技術が人間の迫害を生み出しかけたからだ。そして西洋的な科学技術至上主義が妖怪のことごとくを追いつめ抜いたからだ。ただしそれも理由にはならない。河童はいま山に新しい神様と神社を迎え、再び外世界の技術と融和する傾向にある。そのことが社会全体を俄に活気づかせている。神社内で開かれる勉強会に通う河童も徐々に増え始めている。実をいうとわたしはその先遣部隊として少ないながらも貢献した。沢山の励ましを受けて、少しは自信もついたはずなのだけど。

 どうやらそんなものはただの希望的観測に過ぎなかったようだ。諦観めいた結論を出すと、ゆっくり湖面に浮かんでいく。わたしがいないと食卓が残念なことになってしまうから。

 水と大気の境界から顔を出し、わたしはぼやけた世界を元通りにするため眼鏡をかけ直す。全身についた藻を一つ一つ取っていく。湖から上がり、ぺたぺた言わせながら家に帰ろうとすると、上空から弾丸のような勢いで、わたしと同じいでたちの、つまりは河童が下りてきた。

 背中に重たそうな背嚢を担ぎ、わたしより少しだけ大きな胸元からは鍵の形をしたオブジェクトがぶら下がっており、わたしの心臓が跳ね上がった。目の前にいるのが河城にとりであると気付いたからだ。

「あ、やはりここだったね」

 わたしはここのことを彼女に話したことは一度もない。やはりと言われ、俄に不審な気持ちが沸き上がり、立場が上の相手だというのに嫌悪の混じった表情と視線を向けてしまった。

「貴女の友達に行きそうな場所を聞いただけだよ。さっきの発言に他意はなかったんだ。検討をつけていたのは確かだけど」

「わたし、そんなに分かりやすいですか?」

「そうじゃないよ」彼女は首を横に振ると、苦そうな表情を浮かべる。「わたしも同じような場所を持っているから」

 嘘だと言いたかったけれど、わたしは彼女の事情に通じていた。無論有名な話だから、河童の中で知らないものはいないだろう。それはわたしのような臆病者でなくても、逃げるに値するものだ。

「わたしは逃げてばかりだったからこんな場所を何カ所も持っているんだ。深く濁った水場は、わたしの醜さを隠すのにうってつけだしね」

 にとりさんは少し躊躇ってから、わたしに帽子を脱いだ頭を示す。思わず目を背けてしまうほどに小さなお皿だった。そのことにわたしは疚しさを、次に八つ当たり的な痛みを覚えた。

「にとりさんはわたしも十分に醜いと考えていたんですね」

「お皿が小さい娘だということは認識しているよ」

 ある意味で逃げの感じられる回答だった。続けて責め立てなかったのは、彼女が帽子を被り、改めて頭を下げたからだ。

「事実から逃れることはできないよ。それにわたしは嫌な奴だから、気休めを口にすることができないんだ」

「わたしは醜いです。だから、にとりさんが人を募ったときに考えたんです。その……」

「自分より醜いものがいる場所なら望みがあるかもしれない」

「恋をしていたわけではないんです」わたしはないことを指摘されるのが嫌で、先んじて言葉を返す。にとりさんの元に集った相手の中に想うものがいたわけではない。「すいません、上手く言葉にできません」

 時間をかければ出来るかもしれないけれど、それを明瞭にしたとき壊れてしまうかもしれないものを考えると、何も言えなかった。狡いやり方だけど、にとりさんはその狡さをただ一度の頷きに閉じこめた。

「漠然と手に入れようとしたものは、どうなったの?」

「何も手に入りませんでした。でも、あのとき一緒に働いた同姓の河童たちと仲良くなれました。料理を教えて欲しい、裁縫も得意だと打ち明けたらそれも教えて欲しいと。わたし、迷ったけど頷いたんです。どうして迷ったかというと……」

「アドバンテージを失うから?」

「教えるのは楽しいですし、頼られるのはとても嬉しいことです。けれども、いつか彼女たちは全てを身につけてしまう。そのことに気付いたから、わたしは新しい神社で開かれる勉強会に出席するようになりました。教えられることを増やしたかったから」

「でもいま、貴女はそれを投げだそうとしている。勉強することがつまらなかったから?」

「いいえ!」それだけは首を横に振って否定する。「これまで勘や目分量でやってきたことが、抽象的な記号や統一された法則で紐解かれていくのを知るのはとても楽しいです。だからこそ人間は発展することができたと、痛いほどに理解できました。でも、これほどの知識なのだから全ての河童がやがて大挙し、知ろうとするでしょう。そうすれば技術的な器用さで劣るわたしは、十人並み未満の面倒臭い性格をした河童に逆戻りするでしょう。そのことを考えて、何もかもが嫌になって」

 わたしは深く沈み、そのままで良いとすら考えてしまった。

「なるほど、貴女の言い分は良く分かった。わたしは貴女と違うから、気持ちが分かると言えないけれど」

 彼女の頭からは、瑞々しい創造や知己がいくらでも湧き出てくる。手先も器用で、河童社会全体が驚くようなものをあっさりと作り出してしまう。そんな彼女が、わたしの劣等感なんて確かに分かるはずがない。

 だから彼女が次に、自慢気な様子で語ってくれたことを、わたしはとても信じられなかった。

「そんなわたしでも、大きな思い違いをしていると分かる箇所が一つだけある」

「嘘です! そんなものはありません。慰めなら……」

「いいや、嘘じゃない」にとりはわたしの反論を鋭い語勢でぴしゃりと封じ込めると、きらきらした瞳を浮かべる。それは彼女が大口上を打つ予兆の一つだった。「貴女は先程、理論は便利だから誰でも学びたくなると言ったよね。でもね、実際にはそんなことまるでないんだ。河童は、特に技術的な感性の高いものほど理論を蔑ろにする傾向がある。そうやって優れたものの発言だから、全体がそうであると考えてしまう。でもね、理論はこれからますます必要になっていく。扱う問題は加速度的に難度を増しており、これまで直観で正しいとされてきたケースが実は間違いであった例もどんどん増えているんだ。幻想郷は様々な法則が絡まっているせいで、謎の力で誤魔化されることも多いけど、物理則はそれでも優先度が高い。それにあらゆる法則は、どれもが数学を基盤とする。ものを数えることの延長ではなく公理的集合論によって導かれる群を基礎としている。関数、三角比、微積分、複素数、この全てが高度な技術には不可欠だが、旧い天狗の中には微積分の必要とされるものを悪い問題と決めつけて封印してしまう輩も多い。これは悪弊であり、正されるべきなんだ。まもなく河童の社会にも、理論が大事とされる時代が来る」

 そこまで一気に言い切ると、にとりさんは大きく息を吐く。彼女が己の信念に基づき、何かを語るときの勢いにはいつもながら圧倒されてしまう。しかしそれだけの強烈な力があるからこそ、彼女はあらゆる河童から一目置かれているのだ。わたしのように小さくて臆病な胸へも響く強さがある。

「理論を、特に数学を大切にするものは重用されるだろう。貴女はその先駆者となれるだろうし、長い時を経てもその志を失わないだろう。そんな河童こそこれからは必要になるんだ」

 にとりさんは両手を広げ、満面の笑みをわたしに向ける。わたしは彼女の言葉を半ば信じたくもあり、大きな疑いもあった。

「言いたいことは分かりました。理論を身につけることは大切さで、わたしは今のところその意に沿っている。でも、わたしが長く志を失わないと、どうしてそこまで断言できるのですか?」

「貴女が河童の中でも特に臆病だから。己の立ち位置が常に不安定であることを知り、そのことに気付くだけの深い思慮がある。だから大丈夫なんだ」

 もしかするとわたしよりも臆病で、もしかするとわたしよりもずっと逃げてきた彼女からはっきり認めてもらえると、胸の中がむずむずする。わたしだって自分を誇って良いのだと、そんな気持ちになってしまう。

 でも多分、そんな気持ちはすぐ消えるだろう。今は良いけど、わたしは臆病だから。今が不変であるかを疑ってしまうだろう。あるいはその疑いこそ、大事なのかもしれない。だとすると、わたしはこれからもずっと、強い不安に苛まれながら、傷つけられながら、生きて行かざるを得ないのだろうか。そんな苦しい生き方しかできないのだろうか。それが厭わしくて、わたしはにとりさんに縋るように訊ねていた。

「わたし、にとりさんがそこまで言ってくれて嬉しいですけど、辛いのはあまり得意じゃないんです。だから、きっとこんなことを繰り返しますよ」

「それならば、わたしが今日のような話し相手になるから。わたしだけじゃない、貴女のためになるならば喜んで相談に乗るような友人が、貴女には何人もいるよ」

 わたしは良くしてくれる仲間のことを思い出し、首を横に振りかけてすんでのところで留める。それから力を振り絞り、ほんの少しだけ頷いた。

「あの、わたし……」わたしに、にとりさんの見立てたような長所があるのかは分からないけれど。「怖いけど、やってみます」

 にとりさんはわたしの手を強く握りしめ、柔らかな微笑を浮かべる。その仕草や表情に、わたしは皿が小さいというのに、一種の美しさのようなものを感じてしまった。

 わたしは少しだけ期待してしまった。わたしとにとりさんには、強い臆病者であるという共通点がある。それゆえに傷ついてしまうことと立ち向かい続けたら、わたしも彼女のような美しさを得られるのではないか。

 美を求めるなんて何とも自分本位だけど。わたしがにとりさんに見たような美しさを身につけることができたならば。この性格も、お皿が小さいことも、技術的に不器用であることも、眼鏡をかけなくてはいけないことも、そこまで嫌いにならず済むような気がする。しゃんと前を向いて歩けそうな気がするのだ。

 わたしはにとりさんの手を握り返す。ぎこちなくなるのは分かっていたけれど、精一杯に微笑む。

 このこと。わたしがわたしであることを、わたしは多分やめることができない。だからこそ、彼女の手を握り返す勇気がわたしには必要だった。このことに比べて勇気を必要にするものなんてそうないはずだ。だからきっと、この経験こそわたしを土壇場のところで助けてくれるだろう。

 わたしはそっと手を離す。掌に残っているのは単なる温もりのはずだけれど、そこにはにとりさんの強さが少しだけ残っているような気がした。