プロローグ 墜落する衝動

--Half Winged Man--

 わたしは、あなたを代弁したいんです。

【死者の代弁者/オースン・S・カード】より引用

 わたしが谷山裕樹の訃報を聞いたのは2020年12月24日、世間一般でいうクリスマス・イヴその日だった。とある大国の無能な大統領が生んだ回教国家群の混乱に乗じて、乱立された半無政府小国で起きたテロ報道。その被害者の一人に、彼女の名前があったのだ。最初にその名前を発見したとき、わたしには同姓同名と信じられなかった。彼女が……裕樹がテロ如きに命を屈してしまうなんて、おおよそ有り得ないことだと思ったからだ。しかし、ニュースキャスタの語る谷山裕樹のプロフィールに、わたしは一瞬にして絶望的な確信へと傾いた。未だに30年前の栄華を忘れきることのできない島国の最高教育機関を主席で卒業し、外務省に入省した才女。しかし、その才気走り過ぎにより恐らく上に煙たがられ辺境の危険格付け国に飛ばされ、それでも頭の固い官僚たちの度肝を抜いてみせる。そんなことができる谷山裕樹は、一人しかいなかった。

 彼女が死んだ。その事実は、わたしの心を嫌というほどに打ちのめした。裕樹が、あの裕樹が……たったの36歳で死んだというのか。世界に鴉の旗が翻ることを望み、戦争で喘いでいた国で飄々として踏みとどまっていたお前が。一体、世の偶然はどれだけ彼女に対して不運を傾けたというのか。わたしはブラウン管に目を釘付け、その一字一句ともらさぬよう、耳を傾ける。物知り顔のコメンテイタは、さも彼女のことを知っているようなふりして、涙混じりにこう語り出した。彼女は真実、平和に殉じた人でした、と。次の言葉に、わたしは目を剥かされた。彼女は日本が無償して建てた病院を視察中、無差別テロから一人の妊婦を庇って死んだというのだ。まさか、と思った。彼女ほど権謀術数にとみ、自己犠牲から遠い人間などいなかったというのに。そんな裕樹が、母体を助けるためにその身を銃弾の雨へ投げ出したというのか。

 コメンテイタ初め、キャスタの面々が言葉を同じくして裕樹の英雄的行為を讃えている。彼女の犠牲を無駄にしてはならない。日本の国民は、平和への貢献によって彼女の死に報いなければならない。もはや頑強なリベラリストの巣と化し、国民の情報を操作するに慣れたマスコミが、がなり立てる。平和を! 平和を! 平和を! 戦争という愚者の行為によって、虐げられている全ての人類に救いの手を。彼らの語りは用心深く婉曲であったが、見識なものにすればそうとしか聞こえなかっただろう。谷山裕樹の存在と行為は、一方的な『良識と弱者』の視点によって、不当に歪められていた。ヒッチコック映画のように獰猛なくせしてその鋭い嘴と爪を隠している、にやにや顔した鳩の薄汚い面が目に浮かぶようだった。狡猾な鴉は夜の舞台のみならず、昼の舞台からも追いやられようとしている。やり切れなさが募るわたしの目に、翌25日に通夜と葬儀をかねた公開葬を行うという情報が飛び込んできた。外務省の幹部が渋面で、裕樹の父親の肩に手を置いている。彼は、ハンカチに顔を浸して泣き濡れていた。わたしの怒りは頂点に達した。

 耐え切れなくなり、わたしはコートと財布を掴むと衝動的に飛び出した。彼女の元に駆けつけなければならない。彼女の姿を一目でも、この瞳に収めなければならないのだ。と同時に、裕樹の訃報に根拠のない嘘臭さも感じていた。まだ信じられない、裕樹が死んだなんて。わたしにはこれが裕樹一流の冗句で、皆が涙を涸らした頃にひょっこりと現れるのではないかと期待を失っていない。裕樹は昔からそうだった。誰よりも他者を、特にわたしを驚かせてくれた。高校最後の夏休みに「オール・イズ・フール・オブ・ラブ」と大声で叫びながら、無免許でタンデムしてバイクで海岸沿いを走りまくったとき、わたしは気が気ではなかった。いかに県外で知っている者がいなかったとはいえ、バレたら一発で退学になったはずだ。また、睦言の中で『鴉の旗がはためく世界』の夢を語ってくれたとき、わたしは少年さながらにどきどきした。彼女ならきっと成し遂げる、根拠のない確信が針と化し、胸の風船を今にも破裂させんばかりだった。谷山裕樹とはそういう女性なのだ。普通の人間の頭で立てた企みなど、彼女には通用しない。わたしの知る限り、彼女は最強だった。わたしがそうした。わたしがそう仕向けたのだ。

 わたしと裕樹は2002年12月24日から、翌年の同日まで恋人同士だった。親しい友人であり、また最も卑劣な裏切り者だった。その、生涯で最も忌むべき裏切りが、彼女を無敵に仕立て上げたはずなのだ。なのに、彼女は死んだ。正確には、死んだと伝えられている。だから、わたしは確かめなければならない。谷山裕樹の安否、心情、何よりその奥深く眠る野望について、誰よりも知らなければならない。理解しなければならない。

 東京行きの新幹線に乗り込むと、わたしは深く腰掛けて目を瞑る。谷山裕樹……長く考えないでいた、後悔の物語。いかなる形で彼女と会うにしても、わたしはもう彼女の記憶から逃れることはできない。そう悟ったわたしは、半ばまどろむようにして過去の記憶へと没入していった。最も独善的で、最も愚かしく、しかし最も輝いていた時代。わたしと谷山裕樹は、まるで一つの世界だった。記憶が巻き戻され、再生され始める。わたしはその流れに身を委ねた。

【 PREV | INDEX | NEXT