「あ、六番目は私だよ〜」 名雪は相変わらずのマイペースで手を上げた。

「名雪か」 いつものほほんとしている名雪が恐い話を知っているかどうか、いまいち不安な祐一だ。 「さっき、とっておきの恐い話を知ってると言っていたが、本当なのか?」

「うん」 名雪は即答した。その顔は、僅かに蒼ざめている。 「でも、純粋な恐怖話っていうのとは違うかなあ……どちらかと言うと、化け物じゃなくて……あっ、余り話すと面白く無くなるからね」

名雪は思わせぶりに言う。

「これはね、わたしが高校一年の時に遭遇した話なんだけど……陸上部の合宿でね、夏休みは山ごもり合宿かなあ、そんなことをするんだ」 と、名雪は事情の知らない祐一たちに説明してくれた。

「その年はね、なんか去年まで合宿で使っていた施設で事件があって……なんか、ボクシング部でリンチ事件みたいなのが起こったんだって。まあ、その話は関係ないんだけどね……」

名雪の話に頷くものも何人かいた。とすると、結構有名な事件なのかな? と祐一は思った。

「で、その年から新しい合宿所に移ることになって。でも今まで使ってた所、古いしシャワーもろくに出なかったから部員の人はほとんど喜んでたよ。わたしもその一人だったけどね。渋ってたのは費用がかさむと嘆いていた経理担当のマネージャと顧問の先生くらい。

でね、その合宿所の近くに小さな鍾乳洞があったんだ。本当に普通の鍾乳洞で、完全な一本道。作りも頑丈だし、ちょっと暗い雰囲気があって……それで、何をしようとしたか、分かる?」

「洞窟人ごっこか?」 祐一はふざけて言ってみた。 「縄文人の衣装でも着て」

「違うよ、祐一」 名雪は怒る調子も見せず、軽く祐一を嗜めた。多分、冗談と分かっていないか冗談と知って受け流しているかのどちらかだろう。 「そんな場所があったら、やることは一つだよ」

「肝試し……ですか?」 美汐が暗闇からそっと声を出す。どうでも良いが、幽霊みたいな囁き声は結構恐かったりする。真琴なんて、身汐から逃げ出そうとしてるし……。

「う、うん」 名雪も少し、脅え気味だ。 「まあ、前の合宿所でもやってたしね……恒例行事なんだよ。夜の山ってそれだけでも結構恐いから……それで先輩が回って来る後輩たちを驚かして面白がって、十年以上続いてたかな?」

指折りしながら名雪が首を傾げる。

「丁度、十年だよ」 律儀に数えて見せる名雪。 「でも、去年の事件があってから肝試しは中止になったんだ。わたしが話すのはその事件のことで……それで、話をする前にこの事件のキィワードになる言葉があるんだけど。『迷宮』と『メビウスの輪』……って、知ってる人はいるかな?」

迷宮……は、ゲームでよく耳にするので祐一も知っていた。

メビウスの輪については、名前くらいしか知らない。

「クレタ島」 美汐がやっぱり幽霊みたいな声を出す。 「クレタ島のラビリンスは現存する最古の迷宮だと言われてます。ギリシア神話では半牛半人の神、ミノタウロスを閉じ込めるために造られたといわれるものですよ」

「あううーっ」 真琴が情けない声を出す。 「美汐、声が恐い……」

「あっ、ごめんなさい」 僅かに声のトーンを上げる美汐。 「ちょっと……この場の空気に毒されたようですね、私としたことが」

「それは、佐祐理も聞いたことがありますよ。英雄テセウスによって退治され、アリアドネ姫から渡された糸を辿って脱出したんですよね」

その話は勿論、祐一も知っている。なにしろ、ギリシア神話の初歩みたいな話だ。

「あとは、基督教寺院の地下にも存在します。しかし、基督教の迷宮は人を惑わせるためのものではなく、魂が平静に常世の国へと辿り着くためのものです。だから複雑怪奇ですが、道自体は一本なんですよ……稀に例外もありますが」 

「へえ〜」 祐一は感嘆の声を上げた。美汐の博識さにだ。 「よく、そんなことを知ってるな」

「たまたまです」 美汐は照れることも心満たされたような表情をすることもなく、ただ蝋燭の一点をじっと見つめていた。 「私、本とか読みますから」

成程……確かに美汐にはそんなイメージがあると祐一は思う。

「まあ迷宮のことは分かったとして、メビウスの輪って何だ?」

「三次元的に見ると有限で、二次元的に見ると無限の構造をしている輪のことよ」 と、平然と答えたのは水瀬秋子だった。 「三次元の捩れが二次元で見ると連続している……そうね、実際に作ってみた方が早いかしら」

言うや否や、秋子は近くに置いていた紙を丸めてあっという間にそれを作り上げてしまった。

「こんな風に、紙の表面をずっと辿って行っても終わりがないでしょう?」 実際にデモンストレーションしてみせる秋子。 「これをメビウスの輪って言うのよ」

「へえ、凄いんだね」 あゆがメビウスの輪を弄びながら、秋子に賞賛の視線を浴びせる。 「うん、すっごく不思議だよ」

「うん。お母さんの説明してくれたのでピッタリあってるよ」 名雪が頷きながら言った。

「じゃあ、話を始めるね」 メビウスの輪と迷宮の結びつきに付いては、何も話さない名雪。

まあ後のお楽しみだろうと思い、祐一は黙って話を聞くことにした。

 

第四章 迷宮鍾乳洞の悲劇(前編)

 

「その日も夕食を食べ終えて、仲の良い友達とかで話を始めたりゲームをしたりとか……そんなグループが幾つかできてたんだ。でも、わたしは部長さんに……これは去年の部長さんなんだけど、その人に呼ばれて鍾乳洞の所まで行かなくちゃいけなかったんだよ。

運悪く、肝試しのお手伝いをしなくちゃいけなくなったらしくて。で、同じ部員の子と一緒に……優子ちゃんって言うんだけど、鍾乳洞に向かったの。

『全く……何でいちいち自分が脅かされる手伝いをしなきゃいけないのよ』

優子ちゃんは文句を言いながら、懐中電灯の明かりを頼りに道なき道を進んでた。わたしはちょっと眠かったんだけど、仕方ないと思って我慢してたよ。

鍾乳洞に着くと、既に先輩は集まってたんだ。と言っても全員が脅かし役をやるわけじゃなくて、話しあって何人かがこの役目に付くことになってたの。

この時は部長さん、副部長さん、それと田宮さん――この人は走り幅跳びの選手で――最後が須賀さんってマネージャ。さっき話した経理担当の人なんだけどね。

『おっ、遅かったな』 部長さんが最初に私たちを見つけて手を振ってくれた。 『もしかして水瀬が眠ってるんじゃないかって、皆で心配してた所だよ』

『うーっ、わたしそこまで眠らないのに……』

『説得力無いよ〜。だって、私と須賀さんと数人で起こしたのにびくともしないんだもん』

私の抗議を副部長さんが遮って、田宮さんが温和そうに頷いて……だから何も言えなくなって。あっ、祐一笑わないでよ……お母さんも全く……。

えっと、話だったよね。

それで昼間もしたんだけど、舞台となる鍾乳洞に入る前に軽い打ち合わせをやって……。

『この箱を鍾乳洞の最深部に置いておく。で、数字の付いたピンポン玉を二人一組のペアで持っていき、この箱の中に入れる。これがちゃんと行って帰ったっていう証拠にする。で、中では私たちが潜んで可愛い部員たちを悲しくも脅かすという責務に……』

『よく言うわね〜』 と呑気そうに部長さんに言ったのは田宮さん。 『昼間の話し合いの時、一番はしゃいでたじゃない』

で、大笑い。部長さんは赤面しながら部長権限でようやく場を宥めてこほんと咳を一つ。

『取りあえずこれを鍾乳洞の最深部に置いてきて、ここが折り返し地点だっていう合図も一緒に置いておく……と』 そう言って、先程から背中に背負っている手作りの仏壇らしいものをこちらに向けた。 『一応、この辺りに棲む霊を弔う祭壇だと思ってくれれば良い』

確かにそれは、古っぽい仏壇に見えた。多分、部長さんが手間暇を掛けてやったんだとわたしは思ったよ。工作とか結構上手で、部室の看板が落ちた時も直してくれたしね。

『でも、大丈夫なんですか?』 と尋ねたのは優子だった。 『前、家族と旅行に行ったんですけど、鍾乳洞って結構複雑ですよね』

『大丈夫、昼間こっそり調べた所では完全に一本道だったから』

副部長さんが胸を張って答えた。

『じゃあ、行こうか』 と部長さんの声があって、わたしたち六人は中に入ったんだけど……。

鍾乳洞の中は僅かに苔の匂いがして、乳白色の岩は懐中電灯の光を反射してまるで真珠のように輝いてた。時々水の滴り落ちる音がして、みんなといても少し恐かったと思う。いかにも岩陰から何かが飛び出してきそうな……そんな雰囲気に満ちてたんだ。

そう思いながら歩いていると、先頭を歩いている部長さんが首を傾げてたんだ。

『あれ? おかしいな。三つに道が分かれてる』 

『本当……昼間入った時は、完全に一本道だったのに』 副部長さんも不思議がってる。

『鍾乳洞の位置を間違えたってことは無いよなあ……変だなあ』 部長さんはしきりに変だ、変だと繰り返していた。 『どうする?』

『取りあえず、まっすぐ進んでみたら?』 そう提案したのは田宮さんだった。 『横の二つの道は見逃してて、真ん中の道を通ったんじゃないんじゃないですか?』

『うーん、昼間念入りに調べた筈なんだが……まあ良いか、進んでみよう』

良く見ると真ん中の道は左右の道よりずっと天井が高いし、わたしも見逃したんじゃないかなって最初は思ったけど……。

『あれ? 今度は四つだぞ』 はっきり見える形で、四つに道が分かれているのがわたしにも分かった。 『やっぱり鍾乳洞の位置、間違ったかなあ……取りあえず、みんな戻ろう』

頭を掻きながら首を捻る部長さんの後について元の場所に戻った……筈だったよ。

『あれ?』 という言葉は今日で三度目だった。 『で、出口が……無い。何処かに消えた?』

確かにわたしたちは先程の道を引き返してきたよ。道だって三つに分かれてたし、場所だって同じだったし……でも、そこには入口に通じる道が無かった。

何だか鍾乳洞自体が、さっきより暗く淀んだ雰囲気に見えたよ。部長さんが入口のあった所を触ったり突ついたりしたけど、そこはずっと昔から壁だったように、苔むした黄土色を示してた。

『もしかして、道を間違えたかな』 部長さんが左右に通じる道を見ながら、半信半疑そうに呟く。 『いや、見た限りでは同じに見えるな』

『同じ場所ですよ』 何だか怪談話をするような、細い声を上げたのはさっきからずっと黙っていたマネージャの須賀さんだった。 『私……記憶力良いんですよ。ここは出口が無いだけで、私たちが最初に入ってきた部屋と同じなんですよ』

興味深そうな目で、分かれた道と塞がった出口、鍾乳洞を交互に見渡す須賀さん。

『同じ場所なら……出口があるだろう? 須賀の言ってることは間違ってるとしか思えませんよ?』

副部長さんは僅かに掠れた声で言った。

『そうですよ……ここが最初の部屋な筈無いじゃないですか?』 と優子が抗議する。

『さあ、そんなことは私にだって知らないわよ』 まるで他人事のように言う須賀さん。 『でも、私の記憶は確かなのよ』

確かに須賀さんの記憶力というのは凄く良いんだ。地方大会でも、私の高校の選手のタイムだけでなく他校の選手のタイムだってそらで覚えてたくらいだから。

『とにかくだ』 と部長さんが場をまとめた。 『この状況では、道を間違えたと考えるのが妥当だろう? 道を引き返そう……そうしたら、少なくとも元の場所には戻れるだろう』

『私の記憶は絶対なのに……』 幽霊のように呟く須賀さん。

文句を言う約一名を引きずるように、先程の道を引き返す私たち。

そうすれば、四つの分岐点に戻る筈だったんだけど。

『あ、れ!?』 と素っ頓狂な声を上げたのは私。

元に戻ったと思った場所は隣接する分岐路が何時の間にか消えていて……。

目の前には二つに分かれた道があった。

『な!? 何で、今度は道が二つ……』 約一名を除いて、驚愕の表情を浮かべる私たち。

『自動生成ダンジョンみたい……ふふ』 と呟いたのは須賀さん。

『えっと、わたしが夢を見たりとかそれはないですよね』 目の前の出来事が信じられず、わたしは実は合宿所で眠っていて夢を見てるんじゃないかって思ったんだ。と、頭に星の煌く感覚。

須賀さんが何処から取り出したか分からないスリッパで頭を叩いてた。

『ううっ、痛いよ〜』

『どうやら、夢じゃないようね……』 わたしは夢かどうかのリトマス試験紙に使われた……って、みんな笑わないでよ。酷いよみんな……。

もう、話を続けるよっ。

『でも、夢じゃ無いとしたらどうする?』 部長さんが改めて全員に問いかける。 『分岐路の数がぐるぐる代わるなんて……これじゃ、どうやって出口を探すんだ?』

『第一、出口があるのかなあ?』 副部長さんが天井を仰ぎながら言った。

『闇雲に探しても、無いでしょうね……アリアドネの糸でもあれば話は別だけど』 須賀さんが僅かに唇を歪めた。 『残念ながらテセウスは、男なのよ』

『ふざけたことは言わないの』 流石に部長さんが怒った。 『とにかく道が二手に分かれてる。こちらも二手に分かれた方が良いと思うんだけど』

これ以上分かれるのは不安だったけど、他に意見も出なかったから三人ずつで分かれることになったんだけど……。

私のグループは優子と須賀さん。もう一つのグループは部長、福部長、田宮さん。で、拙い懐中電灯の光だけを頼りに進み始めた。

今度は三つ、次の道は四つ、五つ、六つ、七つ……。

『なんか、どんどん分岐路が増えてるような気がするよ?』 行っても行っても終わりの無い分岐路に、わたしは思わず声を上げたんだけど……。

『今の所七の階乗……五〇四〇通りか、厄介ね。最も、どの道もこの法則性を保っていると仮定した場合の話だけど……』 須賀さんはこんな時でも目の輝きを失っていない。むしろ増える分岐路を楽しみながら進んでるような気がする。

『正に迷宮鍾乳洞ね……もう一つのグループは大丈夫かな? 永久に合流できないかも』 そう言って辺りを見回すと、優子の姿が見えない。

『あれ? 優子は何処言ったの?』

『もしかして、逆走したかな……だとすると、合流できない可能性が高いな』

須賀さんが目を細める。わたしも同じことを思ったよ。

だって、最初の時も逆走したら違う場所に出たんだもん。

『三次元的に連続して、四次元的に捩れているのかな? 正にメビウスの迷宮って所だな……』

わたしには全く意味が分からなかった。須賀さんは普段から物事を難しく言う癖があるんだけど……。

それから十分程待ったけど、優子は戻ってこなかった。

『やっぱり、逆走しても同じ場所には戻れないんだな……』

それは間違い無さそうだった。わたしは凄く不安だったけど、結局出口を探すのが先だと言うことで二人で進むことになったんだけど……。

『ここは……最初の部屋だな。ぐるりと回って同じ所に辿り着いたか』

『なんで、同じ部屋だって分かるんですか?』

『目印』 と言って、落ちているバックプリントのハンカチを拾い上げる。

と、その目が空間の中央付近に注がれた。

それは、人の形に見える。

『水瀬、貸せ』 と言って、了承する間もなく懐中電灯を奪い取り、それを向けた。

そこには頭から血を流し、倒れている田宮さんがいた。

何故か、他の人はそこにいない。

彼女だけが、生気を奪われたかのように、蒼白い顔をしてそこに横たわっていたんだ……」

 

後編に続く。

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