第四章 迷宮鍾乳洞の悲劇(後編)

「懐中電灯は、しばらく田宮さんを照らしていた。わたしは何が起こったか分からず、 一瞬ぼーっとしてたけど、すぐに彼女の元に駆け寄ったんだ。

間近までくると、傷が思ったより深いことが一目で分かった。 鍾乳洞にしては割と平らな床で、そこは小さな血溜まりが出来ていた……。 石とかは一つも落ちていなかったよ。

わたしが抱き起こそうとすると、

『水瀬、動かさない方が良い』 と須賀さんが止めた。『頭を打ってるんだ、下手に動かすと症状が悪化する恐れがある』

そう言われて、わたしは田宮さんに伸ばした手を止めた。

『で、でも……血を流して倒れてるのに……』

『まずは怪我の状況を見て、然るべき処置を施すべきだ……と言っても、私は医療用具を持ってないし。確か、部長が身に付けてたポーチの中に……』

そんなことを話している時だった。ほぼ同時期に部長さん、福部長さん、優子ちゃんの三人が、三つある分岐路のそれぞれの道を辿って戻ってきたんだ。

『あっ、名雪だ。良かったあ、もう二度と合流できないかと……』優子ちゃんは弾んだ声でこちらに近付いてきた。けど、懐中電灯に照らされている田宮さんを見て表情が変わった。

『田宮先輩? ど、どうしたんですか?』

『頭を強く打ったようね、或いは……』須賀さんは頭を二、三度掻くと部長さんの方に近付いた。別の道からやって来る福部長さんの二人に状況を説明すると、二人の顔色もぱっと変わった。

こうして意識も無く倒れている田宮さんを囲んで、懐中電灯の拙い光の中、残った五人は顔を見合わせた。

それから全員の立ち会いの元、須賀さんが田宮さんの状況を詳しくチェックしていった。 まるで病人を手当てしたことがあるかのような、手さばきだったのを覚えてる。

『後頭部を強打してるわね。そのせいで頭皮を切って出血も酷いみたい。 息は辛うじてあるようだけど、このままだとまずいかもしれない』

『このままだとまずいって……』 部長さんが須賀さんに強い視線を向ける。 『それって、死ぬってことか?』

『ああ。もっともここから出られなければ、一週間で全員餓死だと思う。 彼女は少しだけ早くこの世からさよならするに過ぎないでしょうね』

あっさりと言ってのける須賀さん。 わたしはその言葉に、二重の意味でぞっとするものを感じたんだ。 早くしなければ田宮さんが死んでしまうってことと、 ここから脱出できなければ、皆、死んでしまうってこと。

『そんな……』 と弱気な声を出したのは優子ちゃんだった。 『だって、出口が無くなったんでしょう? だったら、絶対出れないってことじゃない!!』

語尾に近付くにつれ、叫びに近づいていく声。 それはただ虚しく、鍾乳洞の中を木霊した。

『確かに脱出方法を探すのも重要だが、今は田宮の手当ての方が大事だろう。 部長、ポーチに救急セットが入ってましたよね』

『ああ、確かに……』

須賀さんに言われて、部長さんは腰に付けていたポーチから包帯とガーゼを取り出した。 それは昨日購入したばかりのもので開封すらされてないものだったよ。

『針と糸でもあれば傷口が縫えるんだけど……』 須賀さんは残念そうに呟く。

『無免許なのにそんなことやっていいんですか?』 わたしはふと疑問に思って尋ねた。

『まあ、いいんじゃないか。以前に怪我をした時も、父の商売道具を使って自分で縫ったわよ』

言いながらも、ガーゼを患部に当てて包帯を手早く巻いていく須賀さん。 本当は無免許なんだけど、誰もそれに反論する人はいなかった。 それくらい、精神が逼迫していたのかもしれないけど。

『それよりも、何とかここから脱出しなければならない』 部長さんが誰に向けてでもなく言った。

『けど、方法が分かりませんよ』 先程まで黙っていた副部長さんがぽつりと言った。 今までのことで気が滅入っているのか、少し目が虚ろに見える。

『それは私だって同じだ。でも、早くしないと田宮のやつが大変なことに……』

死ぬ……と言う言葉は使わなかったけど、その大変なことってのが死ぬってことは、 流石に鈍感なわたしでも分かった。

『闇雲に動くのは危険よね』 須賀さんが田宮さんの脈を測りながら言う。 『どうも空間の繋がりが出鱈目だ。まるでRPGに出て来る無限回廊みたいに。 ちゃんとした道があるのかすらも甚だ疑問だし』

『やっぱり、駄目元で動いて見た方が良いと思うんですけど』

副部長さんの言葉に須賀さんは首を振った。

『法則性が分からないのに、無闇に動くのは危険だと思うわ。 多分、ここに至っては左手の法則も塗り潰しの法則も効果が無いと思うから』

『何だ? その法則っていうのは』 部長さんが尋ねる。

『左手の法則って言うのは、迷路をずっと左手伝いに歩けば何処かの出口に辿り着くという法則。 塗り潰しの法則っていうのは、迷路で壁で三方向が囲まれている部分を塗り潰していけば、 やがては迷宮の出口に通じる道が完成するという代物だけど……。 空間自体が歪んでるんじゃ、全く意味を成さないと思う』

『じゃあ、他に何か方法は?』

『今の所、思い付かない。 ところで部長、部長たちの班はどうして全員、離れ離れになったんですか?』

『ああ……こっちの班は道を抜けてすぐに三叉路に出たんだ。 それからどんなに進んでも同じような三叉路の繰り返しでな。 で、結局三人が別々の道を進んで見ようってことになったんだよ。 本当にどの道も同じ所に通じてるのかなってな。

でも、今度は幾つも別れ道がある所に出て……。 それからはずっと、色々な所をぐるぐると回って……気が付いたらここに戻って来てた』

『三叉路の……繰り返し?』 須賀さんが首を傾げる。 『水瀬、こっちの班はそんな道じゃなかったよな』

『はい、そうでした。道が三つ、四つ、五つ、六つとどんどん増えていって……。 七つに分かれた所で優子ちゃんと逸れて、待ったけどやって来なかったよ。 で、先に進むとここの部屋に辿り着いたんです』

わたしの言葉を聞いて、須賀さんはしきりに頭を傾げていた。 これは彼女が早いスピードで何かを考えている時の癖なんだけど……。

『成程……なかなか考えてるようね、この迷宮の作り主は。 この迷宮の作り主、仮にXと呼ぶとすると、Xは永遠に続く三叉路を利用して、 巧みに三者を分断して、一人になった田宮さんを襲ったのでしょうね』

『襲ったって、誰がよ!!』 部長さんが思わずトーンを上げた。

『X。それは人間かもしれないし、人間以外のものかもしれない。 そしてそいつは、人並みの頭脳を持ってこちら側を何とかたぶらかそうと狙ってる』

『に、人間以外って?』 優子ちゃんが上ずった声で訊く。

『知能を持った人間以外の生物としか答えられないわね』

須賀さんが余りにもあっさりと言ってしまうので、逆にわたしたちは黙り込むしかなかったんだ。

『無闇に動けない、けど動かなければどうしようも無い……打つ手無しじゃないか!!』

部長さんが床に拳を叩き付けた。 元々責任感が強い人だから、こういうことになって責任を感じてるんだなって思った。

闇雲に動いても何処に出るか分からない。単独行動は危険。 しかも目の前には、みるみる衰えて行く部の先輩。

どうしようかって話は出るけど、どうしたら良いかという具体的な案は出なかった。 わたしは……じっと黙ってるしかできなかった。本当、恐かった。 死ぬかもしれないってことも恐かったけど、 目の前で人が死んでいくのを黙って見てるしか無いのが恐かったんだ。

わたしは何度も暗闇に囲まれた鍾乳洞を見渡した。 この中に、わたしたちを嘲笑ってるなにものかがいるのかなって思うと、 つい辺りを見回しちゃうんだよ。 暗闇が妙に恐いなって思ったこと、みんなもあると思うんだ。 このときのわたしたちが、正にそうだったよ。

それから一時間も経ったかな。 田宮さんに巻かれた包帯は血の色でぐっしょり濡れていた。 どう見ても、出血がまだ続いてる。

『何だか……息苦しくない?』 優子ちゃんが辺りを見回しながら、不安げな表情で言った。 『蒸し暑いって言うか、何て言うか』

確かに、ここに入って来た時には涼しいくらいだった。 けど、今は汗が出るほど息苦しい。

部長さんは肩に掛かっていたタオルで汗を拭いてたし、 須賀さんもさっき持っていたバックプリントのハンカチで汗を拭っていた。

『あれ?』 ポケットに手を突っ込んだまま、副部長さんが声を上げた。 『ハンカチ……落としたみたい』

『なら、これ使っても良いよ』 部長さんはタオルを副部長さんに手渡した。

『えっと、少し訊きたいんだが……』 何か閃いたような表情で須賀さんが部長さんに訊いた。 『ここって一本道だった頃は、大体どれくらいの深さだった?』

部長さんにもわたしにも、多分他の人にも質問の意味は分からなかったと思う。 けど、何かを考えている時の須賀さんには逆らわない方が良い……それが鉄則だったから、 部長さんも首を傾げつつ説明していった。

『確か……百メートルの半分の半分くらいだった。えっと、二十メートルくらいかな?』

短距離走者の部長さんらしい答え方だったよ。

『そこまで狭くも無いが、広くも無いって所か……。 六人の人間が長時間いれば暑苦しくもなってくる……』

そんなことを呟いていたかと思うと、次には素早く立ち上がって辺りを見回していた。

『水瀬、懐中電灯を一つ借りても良いかな?』

『えっ? いえ、構わないですけど……』

わたしは何も理由が分からず、須賀さんに階中電灯を手渡していた。 彼女は色々な所を懐中電灯で照らして回ったが、やがて一つの石を持って戻ってきた。 ハンカチ越しに掴まれているその石には、乾燥した血が付いていた。

『凶器』 須賀さんはぽつりと言った。 『端っこの方に、石に紛れて置いてあった。多分、これを使って殴り倒したんだろうね』

『凶器って……どういうことですか?』 わたしは首を傾げながら尋ねたよ。

『石を武器として使える何者かが、田宮さんを殴ったってこと。 でも、これで幾つかのことが分かった』

『幾つものことって?』 

『まず、この鍾乳洞はやはり部長が午後に入った鍾乳洞と同じであり、 なにものかが次元法則を歪めて迷宮化しているということ。空間に変化はないと思われる。

Xは石を武器として使えるほど知能が高いということ。 Xは誰かが石で田宮さんを殴ったと思われるとまずいと考えているもの。 Xは知能はあるが力が弱い、それは田宮さんに止めをさせなかったことからも言える。 Xは凶器となる石を所持していてはまずい人物であり、かつ後から捨てようと考えている。

つまりXとは……』

そこまでまくし立てると、須賀さんは優子ちゃんの方に顔を向けた。

『貴方は三人で進んでる時に道から逸れたけど、それには何か理由があったの?』

『えっと……家の鍵を落としたんです。 私は両親が働きに出てて一人っ子だから、それが無いと家に入れなくて……。 それで元来た道を逆走して、でも鍵が見付からなかったから元の道を通って……。 でも、二人がいなくなってて。それで、散々歩いてようやくここに辿り着いたんです』

『その時、危険な目に遭ったりしなかった?』

優子ちゃんは首を大きく縦に振った。

『副部長は三つに分かれてから、何を?』

『えっ、私?』 副部長さんは面食らった様子だった。 『えっと、道を抜けると道が今度は四つに分かれていて……。 一番右側を進むと今度は三つに分かれてて……。 同じ場所に出たかと思ったけど、あとの二人が何時まで経っても来ないので、 最初に通った道とは違う道を抜けたら、ここに着いたんです』

『危険な目には遭ったりしませんでしたか?』

『ええ、大丈夫でしたけど……』

『部長、お願いが一つあります』 最後に部長さんの方を向いて一言。 『タオル、貸して頂けませんか?』

部長さんが須賀さんにタオルを手渡す。 それからすぐのことだった。

カツーン!!

硬いものと硬いものがぶつかり合うような音がして、 細事に敏感になっていたわたしはすぐにその方を向いた。 しかし、そこには何もいない。 わたしは汗が噴き出るような感覚を感じたよ。 何かが近くにいるかもしれない。

けど、もっと大変なことが、そのすぐ後に起こった。

『まずい……』 須賀さんが倒れた田宮さんの手を握りながら、蒼い顔をしている。 『脈が無い……死んだ』

その言葉を聞いた瞬間、正に頭を石で殴られたようなショックを受けた。 死んだ……その言葉が鉛のように、心に圧し掛かる。

副部長さんが同じようにして脈を触り、それから大きく首を振った。 その時、ぐにゃりと視界が歪み……わたしは目を擦ったよ。 見回した鍾乳洞は、既に迷宮ではなく普通の穴だった。

岩の材質や苔むした臭い、濃密な闇の雰囲気は変わらないけど、 そこは既に迷宮ではなく、ただの一本道の鍾乳洞。

まるで田宮さんの命を吸い取って満足したかのような迷宮の変化に、わたしは恐くなった。 この中に一秒でもいたくない……そんな思いで一杯だった。

『とにかく、ここから出よう。田宮の奴は私が背負って行く』

部長さんが田宮さんを背負うと、わたしたちもこれに続いた。

『ねえ、本当にあそこが出口なのかな?』 優子ちゃんが不安そうにわたしの服を引っ張った。 『また、変な所に出たりしないかなあ』

それはわたしも聞きたかった。 光の見える方向に進んで、本当に大丈夫なのかな……。

チャリン!!

何やら鉄の擦れる音に、わたしは思わず身を竦めたよ。 そう言えば、さっきも石が崩れる音を聞いたなと思いながら……。

身を屈めた副部長さんが拾ったのは一つの鍵だった。

『あっ、それ私の鍵だ』 と言ったのは優子ちゃんだった。

でも、迷宮で落とした鍵がここに落ちていたってことは……。 やっぱりわたしたちはこんな狭い所をうろうろしていたことになるよね。 なにものかによって迷宮の幻覚を見せられて……。

そして、徐々に近付く月の光。 あそこさえ抜ければ出られるんだ。 わたしも、そして多分他の人もそう願って前に進んだんだと思う。

『ここから出られたら……』 優子ちゃんがぼそりと呟いた。 『私、神様でも何でも信じるわ』

神様なんて考えることすらしなかったわたしだったけど……。 この時だけは本当に祈ったよ。 あそこが出口でありますように、って。

そんな願いを聞き受けたかのように、鍾乳洞を抜けたわたしの眼前に広がったのは、 生え茂る木々と舗装されていない道路、そして頭上に上がった半月だった。

助かった……と思った、けど次の瞬間にはぐったりと背にもたれる田宮さんの姿に目を移していた。

人が死んだ。 その事実は夜の闇よりも深く、わたしの心に沈んで行く……。

そんな時だった。

『潜って来る』 と須賀さんが言った。

『潜って来るって……何処へ行くの?』 副部長さんが首を捻る。

『勿論、この鍾乳洞に決まってるじゃない』

わたしは耳を疑ったよ。 あんな怖い所にもう一度潜ろうとするなんて……。

『みんなは先に降りててくれ。私は二つ、確かめたいことがある』

『……行こう。須賀には何か考えがあるんだろう』 部長さんは突き放すような口調を向ける。 『今は一刻も早く、降りなければいけない』

『大丈夫。私は死なないよ……多分』

須賀さんはにっこりと笑って、再び鍾乳洞の中へと入っていったんだ。 それからのことは余り覚えてない。 きっとあんな所から無事に脱出できて、ほっとしたんだと思う。 それから、誰も何も喋らないで合宿所まで向かったよ。

明かりが見えた時にはほっとした。 本当は二十分くらい歩いたんだけど、もっと時間が経ったように思えたんだ。

外には部の人達が何人も出ていた。 どうやら、姿を消したわたしたちを探しに行く所だったみたい。 肝試しの時間になっても何の連絡もないから心配して……。 その言葉を聞いて、初めてまだ二時間くらいしか経ってないことが分かったよ。

時間感覚なんて全然無くなってた。

遠くで部長さんが救急車を呼べって叫んでる。 かなり危ない状況だって……と、その言葉を聞いてふと疑問に思う。 死んだ人に危ない状況なんて言わないよね、普通。 それでわたし、部長さんに尋ねてみた。

するとにっこり笑って、丸めたタオルを荷物から取り出した。

『これで脈を止めてたんだよ。須賀が影になるようにこそこそやってたからな。 で、石を投げて他の奴の気を逸らすようなことをしただろ。私だけは須賀の行動を見てた。 それで、何かあると思って須賀の奴に合わせたんだ。 多分、田宮が死んだら鍾乳洞から解放されるかどうか、試そうとしたんだな』

脈を止めてた……!? つまり田宮さんは生きているといことで……。 わたしは頭が真っ白になって、地面に腰を落とした。 幾ら踏ん張っても、腰に力が入らなかった。多分、ほっとしたせいだと思うよ。

副部長さんと優子ちゃんも、かなり変な顔をしていた。 やっぱり、田宮さんが無事なことに驚いてたんだろうね。

そう言えば、こうやって人を騙すのって須賀さん好きなの、思い出してた。 けど、こんな時に騙さなくてもって……わたしは心の底からそう思ったよ。

でも、良かったって思った。 まだ田宮さんは助かる可能性がある。 いや、絶対に助かるんだって思ってた。

そして、今度こそこの恐い冒険は終わったんだって。 わたしはそう思ってた。

でも……わたしが本当に驚くのはこの後だった。 鍾乳洞の秘密と、それ以上に恐ろしい秘密をわたしは知ることになったんだ。

そう、この話にはもう少し続きがあるんだよ。 でも、ここでちょっと休まない? わたし、喋りっぱなしで少し疲れたから。

あっ、もう一つだけ話しておかなければいけないことがあったよ。 あの後、すぐに須賀さんが帰ってきたんだ。 顔には満足そうな表情を浮かべてた。

わたしが何か見付かりましたかと聞くと、

『何も無かったよ。それに何も起こらなかったわね』

須賀さんは嬉々とした口調で答えたんだ」

 

エピローグに続く

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