「はい皆さん、よく冷えた麦茶ですよ」

秋子さんが冷蔵庫から麦茶を持ってきてくれる。
祐一たちはグラスを一つずつ受け取ると、思い思いに飲み始めた。

「あうーっ、頭がキーンとするよぅ」

真琴は案の定、冷たい一気飲みして例の症状を引き出したようだ。
かき氷を頬張った時に起こる、独特の頭痛のことだが。

「真琴、こういうのは一気に飲むと良くないですよ」

真琴の隣に来た美汐がそう窘める。
何だか出来の悪い妹を叱る姉のようだ。

「ぷっはーっ、美味いんだな、これが」

北川がどこぞのCMの真似をしている。
というか役立たず一号のことなど、祐一は既に気にも止めていない。

「アイスクリームがあったら、もっと良かったんですけどね」
「栞、人の家に来て催促するようなこと言わないの」
「えうっ、ごめんなさい……」

こちらは本当の姉妹だけあって息? もピッタリだ。

「本当に美味しいですね。秋子さん、良い麦茶使ってますね?」
「あら、よくご存知ですね」

こちらは佐祐理と秋子ののほほんコンビだ。
というか、会話のレベルが一段高いような気がする。

「……んぐうぐぅ」

飲みながらもうぐぅと言うなよ、うぐぅと。
祐一はそう突っ込みたいのを必死で我慢する。

舞は……いるな。
気配を消して麦茶を飲んでいる。
というか、気配を消す必然性がどこにあるのだろうか?

元々熱帯夜だったこともあって、麦茶は五分ほどではけてしまった。
そして、名雪の話が再開される。

「じゃあ……解答編をスタートするね」

解答編?
っていうか、ホラーに解答編なんてあるのだろうか?
そんな疑問の中で、名雪の話は再開されるのだった……。

 

第四章 迷宮鍾乳洞の悲劇(エピローグ)

 

「救急車は僻地だけあって、なかなかやって来なかった。
わたしは別室で、必死に無事を祈ってたんだ。
みんながうろたえる中で、不意にわたしの肩にぽんと手が置かれた。

振り返ると、須賀さんがにっこりと微笑みかけてきた。

「水瀬、お前頑丈だよな?」

なんというか、どう答えて良いのか分からない質問だったよ。
まあ風邪とかは引かないから、素直にうんと答えた。

「そうかそうか……あっ、まずい……」

ふんふんと頷いて見せて、その次にはそんなことを言いながら顔色を変える須賀さん。

「この騒ぎにまぎれて証拠を消すつもりか……いくぞ、水瀬」

思いきり手を掴まれて、わたしは引きずられていく。
というか、わたしには彼女が何を考えてるのかさっぱり分からなくて……。
ただ、ついていくだけだった。

「あ、その、どうかした……」
「しっ、静かに!!」

わたしの唇に指を当て、お喋りを自制されてしまう。
壁の陰から何かを覗いてる……須賀さんは誰かを追いかけてるような感じだった。

「裏口、焼却炉か……やっぱりな」

やっぱりなと言われても、こちらにはさっぱり合点がいかないけど、
でも腕を握られている以上、わたしは付いていくしかなかった。

その内、裏口が音を立てて開く音がする。
わたしと須賀さんもすぐにその人物の行動を追いかけた。
その人はきょろきょろと辺りを見回すと、須賀さんの呟いた通り、
焼却炉の前に立った。

そしてポケットから何かを取り出すと、焼却炉の蓋を開け……。

「ちょっと待った!!」

須賀さんが声をかけると、シルエットが大きく震える。

「ふふふ、こういうシーンって憧れてたんだよな……」

わたしに向かってぼそりと呟く須賀さん。
緊張感が一気に飛ぶような言葉だった。

「くそっ、こうなったらお前らも……」

僅かな隙を見せた瞬間、相手はこちらに向かってきた。

「わわっ、まだ犯人指摘もしないのにいきなり二時間サスペンス……」

がん!!

強烈な打撃音がして、わたしと須賀さんは同時に吹き飛ばされた。
女性とは言え二人の人間を一気に突き飛ばしたんだから、凄い力だと思ったよ。

「くそっ、逃げられたか……水瀬、追うぞ」
「えっ、あ、はい……」

わたしと須賀さんは、林の方へと駆けて行く人物を追いかけた。
けど須賀さんは、最初の頃は何とか付いて来たんだけど、
マネージャだったので走るのは得意じゃなくて遅れ気味になってきた。

「私は良いから早く行け」

そう言われて、わたしは距離を離された人物を追って本気で走り始めた。
長距離には自信があったから、すぐに捕まえられると思ったよ。
けど……いつまで経っても追いつくことが出来なかった。
気が付くと影の人物は、例の鍾乳洞へと逃げていったんだ。
わたしは知らない間に、そんな所まで来ていたみたいだった。

「はあ……はあ……」

わたしは息を整えると、鍾乳洞の入口を睨んだ。
迷宮に変化して、人々を迷わせる鍾乳洞……。
改めて眺めると、凄く不気味な気がした。

それにしても……。
わたしは息を整えながら別のことを考えていた。
早かった……わたしだって長距離には相当の自信があるから。
わたしが叶わないのは、女子陸上部の中では副部長さんだけ……。

そこまで思って、わたしは思わずはっとなった。
じゃあ、焼却炉にやって来たのは副部長さんで、
わたしたちの追跡を振り切って逃げたのも……。

でも、どうして……。

「ふう、やっぱ駄目だったか……」

その時、丁度須賀さんがこちらに向かって走ってきた。
絶え絶えの声でそう話しかけてくるので、わたしは手を振ってみせた。

「あの中に逃げたのか?」
「はい。その……えっと……」
「ふむ。あの走りで、水瀬にも分かったんだな」
「えっ、じゃあ須賀さんは最初から分かって……」

わたしが言うと、大きく頷いて見せた。

「じゃなきゃ、最初からつけたりしないよ。
でも、二人がかりでも叶わないとは……計算違いだった」

顔を伏せてみせる須賀さんに、わたしはふと疑問に思って尋ねて見た。

「でも、副部長さんは何をやったんですか?」
「あいつだよ。鍾乳洞の中で田宮を殴ったのは。何が目的かは分からないけど」

「えっ?! ほ、本当ですか?」

わたしは思わず叫んだ。
あの人が、なんでそんなことを?

「でも、どうやって?」
「さあな。彼女がどうやって方向を違わせる術を知っていたのかは分からない。
けど、あいつがやったってことは鍾乳洞をもう一度調べて確信できたよ」

確信……。
そう言えば須賀さんは、もう一度鍾乳洞に戻って何かを確かめてたっけ。

「けど、何もみつからなかったんですよね」
「ああ。だから、彼女が犯人なんだよ」

須賀さんは自信たっぷりに言うが、わたしにはまだ合点が行かなかった。

「水瀬も聞いただろ、鍾乳洞の中で。
彼女は中でハンカチを落としたって。
だったら、私が探した時にそれが見つかる筈だろう?
実際、優子の鍵はちゃんと鍾乳洞の中にあったんだから。

あの中は何かの方法によって物理現象が捻じ曲げられていた。
だが、やったのが何者かの検討は付いていた。
田宮の倒れている周りには凶器になるようなものは何処にもなかった。
つまり何者かは、それを隠滅しなければならない立場にあったか、
人知を超えた力で襲撃したかのどちらかだ。

そこで私は鍾乳洞を調べ、凶器の石を発見した。
で、考えて見たんだ。
凶器が見つかって困る人間は誰か?
人知を超えた生物や、未知の人物がそんなことを恐れる必要はない。
そんなことをする必要があるのは、彼女の身近にいて、
他傷だと分かれば真っ先に疑われる人間……つまり私たちの中に存在することになる。

その中で、水瀬と私は一緒に行動していたからシロだ。
だが、他の三人には同様に田宮を襲うチャンスはあった。
空間を歪めれば、いくらでもそれが出来たのではないかと私は考えている。

犯人が田宮以外の人間を襲う気がないと皆の証言から分かって、
不可思議ながらも私はその説に重きを置くことにした。

人間が支配しているのなら、その犯人を欺けば上手く脱出出来ると考えて、
私は一芝居打つことにした。半世紀前から使われてる古典トリックを使わせてもらった。
石を投げて隙を与え、その間に丸めたタオルを田宮の脇に挟んで脈を止めた。
で、他の奴にも確認させて田宮が死んだと見せかけたんだ。

で、鍾乳洞の迷宮化が解けたから私は自分の説に自信を持った。
それで何か手掛かりがないかと、鍾乳洞の中を調べたんだよ。
だが、それをやった人間が誰かは、その時まだ分からなかった。
結局、何も見つからず洞窟を出て……しばらく歩きながら考えているうち、
あるべきものがないことに気が付いたんだ。

それが、副部長の落としたであろうハンカチだった。
では何故、彼女は嘘を付いたのか。
これは推測だけど、殴った時についた血を拭いたのではないかな?
そのため、人前にハンカチを曝すことができなかった。
副部長が焼却炉にそれを隠滅しようとしたのでそれは確実だと思ったわけだ。

これでおしまい……QED」

わたしは……はっきり言って、その説明の全てを聞いても俄かには信じられなかった。
手法が非現実じみていたこともあったけど、
須賀さんの解説の流れに圧倒されてたところもあったから。

一頻り説明し終えて、須賀さんがふうと息をついた時だった。

「%&#$)(=〜”!!!!」

声にならない叫び声が、鍾乳洞の中から聞こえてきた。
あれは副部長さんの声だった。
わたしは心配になって、急いで中に入ろうとしたけど、須賀さんがすぐに止める。

「馬鹿、中にいるのは犯人なんだ。うかつに飛びこむと危険だよ。
おそらくああやって私たちを呼び寄せ、中に入った所を襲う気だと思う。
彼女は多分、あの空間を自由に迷宮化できるんだ……まずは辺りを調べてからだ」

「でも……」

そうわたしは抗弁したのだけれど、須賀さんは厳しい顔で首を振った。
それで仕方なく、入口の辺りを探ってみることにした。
すると、そこから三メートルほど離れた所に奇妙な図形や文字が掘ってあるのが見えてくる。

それは漢字ばかりの……いわゆる漢語のように思えた。
周りには幾何学的な紋様が施されており、それ自体が強い力をもっているように思えたんだ。

「掘り口が新しい……恐らくはこれだな。水瀬、お前も手伝え」

そう言うと須賀さんは、手近にあった石を用いてその紋様を破壊し始めた。
わたしも最初はぼーっとしてたけど、須賀さんと一緒にそれを手伝うことにした。
紋様は五分もすると、原形も分からないほどに毀損されてしまった。

「これで……多分、大丈夫だろうが……」

須賀さんが呟く。
その通りだった……最後の切り札を失ったんだろう副部長さんは、
それから間もないうちに鍾乳洞からふらふらと出てきた。

「どうして……」

見破られたんだ、と言いたかったんだと思う。
副部長さんは黙って、地面に膝をつけた。

「私を欺こうとしたのは失敗だったね」

須賀さんはそう言うと、意気消沈した副部長さんのポケットを探った。
そこからは須賀さんの言った通り、血の付いたハンカチが出てきたんだ。

それで事件は解決。
辿り着いていた警察に副部長さんは連れて行かれちゃった。
わたしも事件の事情聴取のために、一度だけ警察に行ってそれきり。
鍾乳洞が迷宮になったことは行ったんだけど、信じてもらえなかったよ。

動機は男女関係がどうとか言ってたけど、詳しくは聞いてない。
知りたくもなかったから。

それよりもわたしが興味を持ったのは、事件後の須賀さんの調査の結果だった。
何故、副部長さんがあんな術を知ってたのか?

「彼女の祖父は、偉い高僧だったらしい。
聞けばどこか有名な寺で修行を積んだ高名な僧侶だったが、
近くに死んでいた女性に一目ぼれしたせいで寺を出て普通の生活を営むようになったらしい。
その時に伝えられた秘術の幾つかが、家に残ってたみたいだね。
副部家に尋ねた時にその話を聞いたんだけど、
頼んで倉庫を調べさせて貰った時に誰かが入りこんだ後があったよ。
古い書物に、あれと同じ紋様が残されてた。

読んだところでは、人の位置や方向感覚を惑わす術か何かの一種だったようだね。
まあ確証は持てないけど……。
その秘術を、彼女は人憎さに使ったって訳……まあ、仮説の域を過ぎないけどね」

そこまで言うと、須賀さんはふうと溜息を付いた。
そして、ポツリと呟く。

「迷路にでもして出し物にすれば、儲かったのになあ……」

わたしはその言葉に、彼女らしいと思わず笑い声を漏らしちゃったんだ。
わたしの話はこれで終わりだけど……、
みんな解答編を読む前に犯人は分かったかなあ?」

名雪はそう言うと、悪戯っぽく祐一に微笑みかけた。

「あ、まあ……そうだな……」

祐一はしどろもどろに言うと、誤魔化すように叫んだ。

「そ、それよりも次の話をするのは誰なんだ?」

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