第五話 ディスカッション

「で、どうだった?」

やや憔悴気味の三人をまず出迎えたのは、成海のそんな一言だった。

「ああ、犯人とまでは行かないまでも、分かったことはあった」

「分かったことって?」

「まず、夫人が殺されたのは今日の十時半から十二時半までの間」

「十時半から十二時半って言うと……丁度僕たちがこの別荘にいた時間帯ってことですよね」

御厨の言葉に上田はこくりと頷いた。

「まあ、それは後々聞くとして、だ。それから、密室殺人のトリックも分かった」

「それは本当かい?」

半田が身を乗り出すような形で訊いて来る。他の皆も(トリックが分かっている祐一と権田以外は)上田の方に注目を寄せている。

「トリックは極めて簡単だった。トリックが行われた痕跡も、発見できたしね」

上田はそう言うと、先程祐一と権田にも聞かせた糸と針を使って鍵を室内に送る方法について説明した。それを聞いた聴衆の中から、溜息が漏れる。

「成程、それなら非常に現実的だ」 高宮がぼそりと呟く。

「現実的って……まあいいや、詳しくは聞かないことにしよう」

上田は顔を少し顰めたが、気を取り直して話を続けた。

「でも、何で犯人はそんなことをしたんでしょうね?」

御厨が祐一と同じ疑問を上田にぶつける。

「それはまだ分からない。分かるのは、犯人が夫人をナイフで刺して殺し……」

ここで上田は秀一郎の顔を少し見た。彼が無言で促したので、上田は話を続ける。

「バスタブに押し込み、先程説明した方法を使って密室を作り上げた……分かるのはそこまでだった。それで、やっぱりみんなには不愉快な思いをしてもらうことになるんだが……」

「つまり、事情聴取ってわけだね」 半田が言うと、上田はこくりと頷く。

「まずは、俺たちがここに来た経緯をまとめて見ると……」

上田が考えていると、成海が言葉を続けた。

「確か、このロッジに着いたのが十時ちょっと過ぎだったわよね。それで荷物を持ったまま食堂に集まって、部屋が決定している社長夫妻と倉木さん以外の部屋割りを決めた。あの時、夫人だけが食堂には顔を出さなかったわよね」

「そうだな……それで部屋割りだけど、特に不審な点はなかったよな?」

「えっと、ちょっと待ってください」

祐一はふと疑問に思ったことがあり、話を押し戻した。

「秀一郎さんと峰子さんと倉木さんの部屋は、最初から決まっていたって言いましたけど、どうしてですか?」

「ああ、そのことか……」 祐一の問いに、秀一郎がさもありなんといった調子で言った。

「わしと峰子と倉木くんは半年前にこのロッジができた時、ここに一泊したことがある。それで、わざわざ別の部屋にすることもないと思ってそう決めた。深い意味は無いな」

「というわけだ。それで部屋割りだけど、誰も特定の部屋にして欲しいとかそんなことは言わなかったよな」

少しの沈黙のあと、半田が切り出した。

「無かったように思えるね。私はどちらかと言えば二階が良いので選んだだけだし、皆だって別に集中して選んでいた様子はなかったようだった」

その意見に誰も反論するものはいなかったので、上田は話を続ける。

「それから社長にそれぞれの部屋の鍵を貰って、荷物を持って部屋に向かった。それから夫人を除く皆が、再び食堂に集まった。この時が、丁度十時半くらいだった」

「あっ、僕、その時夫人の姿を見ましたよ」

御厨が挙手して発言する。

「本当か? それは」

「ええ、あれは権田さんと一緒に食堂に向かっている時でしたっけ。丁度ロッジの入口の辺りに来た時、夫人がドアの隙間からこちらを伺ってたんです。僕と権田さんの姿に気付くと、すぐにドアを閉めましたけど。そうでしたよね、権田さん」

「ああ、間違い無い。それで彼と少し廊下で立ち話をしてから、二人で食堂に向かった」

上田は二人の言葉を反芻するように頷いた。

「その時夫人はまだ死んでなかった……と。それで食堂に集まり、昼食の役割を決めたんだったよな。夫人が腕に寄りをかけて料理を作ってくれるって聞いてたのに、来ないから仕方なく。待てよ、そう言えば倉木さん、あの時はあなたも来てなかったようだけど」

「えっと、私ですか?」

いきなり話題を振られて、光は体を大きく震わせた。

「あの時は……すいません、ちょっと旅行疲れが残っていて。それでベッドに横になっていると、いつの間にかうつらうつらと……その、すいません」

「いや、別に責めてるわけじゃなくて……ところで、旅行って言うのは?」

「あ、はい。私は三日前に休みを貰って、実家の両親の所に帰っていたんです。二人とももう歳ですし、会える時に会っておきたいと思ったので。それで社長のお宅に戻ったのは昨日の夜でした」

「ああ、確かに彼女には休みを与えたよ」

光の言葉を秀一郎が補う。

「話がずれたな。えっと、料理当番を決めたって話だった……」

「いや、その前に私が夫人を呼びに行ったよ」

半田が上田の言葉を遮って言った。

「あっ、そうでしたね。もう一度夫人を呼びに行くということで……その時には夫人は生きていたんですか?」

「ああ、間違い無いと思うよ」 半田は自信たっぷりに言う。

「私はあの時、夫人のドアをノックして見たけど、ドア越しに言葉が帰って来たよ」

「どんな言葉でしたか? 半田さん」

「えっと確か気分が優れないから、昼食はあなたたちで作っておいてくれとか、そんな言葉だったよ。だから、諦めて食堂に戻った。それで、すぐ後に……倉木さんが食堂にやって来た」

「ええ、ノックの音が聞こえたので目が覚めて。それでしまったと思い、慌てて食堂に向かいました」

光が俯き加減に、さっきよりははっきりした口調で答えた。

「そう言えば、あの時ノックの音が廊下から聞こえてたわ。引っ切り無しに何度も」

成海がその時のことを思い出したのか、少し興奮した様子で話す。

「時間にしたら、二、三分ってところだったよな。でも半田さん、夫人の声が聞こえて来たって本当ですか?」

「ああ、夫人の声はその……」

半田が秀一郎の方を見たので、祐一もそれに倣う。彼の顔は何故か、強く硬直していた。全身を震わせて、じっとテーブルの方を見ている。

「あの、社長?」

「あ、ああ、すまんすまん。ちょっと考えごとをしてたものでな。続けてくれたまえ」

半田の言葉に、秀一郎は強い驚きを浮かべて我に返った。そして議論の続きを促す。

「ええと、その、独特だから。間違い無い筈だよ」

微かに迷いがあったようだが、きっぱりと言いきった。

「成程……じゃあ、この時はまだ夫人は生きていたと。引っ切り無しにドアをノックしていた半田さんには犯行は無理っぽいし、それからすぐに……確か一分もかからなかったかな? やって来た倉木さんにも犯行のチャンスはなかった」

そこまでを確認すると、上田は顎を手に当てながら話を次に進めた。

「それで結局、料理当番は五反田と浩、倉木さんと半田さんの四人に決まった、と。俺は昼食が出来たら知らせてくれって頼んで自分の部屋に戻ったけど、他の人は?」

「僕は部屋で休んでました。昨日は夜遅くまで起きてたから」 と御厨。

「わしは部屋で本を読んでいたよ」 と権田。

「少し疲れていたから、ベッドで横になっていた。半田くんと高宮くんが起こしに来るまでは、ずっと眠っていたよ」

最後に秀一郎が、不機嫌そうな顔で答えた。

「俺もベッドで横になってたんだが……その間、料理班の動きはどうだった?」

「そうね。まずはここに持ち込まれた食材に目を通して、それでパスタが一杯詰まってたから昼食はそれにするって四人で話しあって。みんな大勢の食事を作るのには慣れてなくて、ずっと台所の方を駆け回ってたわ」

四人を代表して、成海が食堂の様子を語り出した。

「途中で食堂を抜けた人は?」

「全く無しね」 成海はそう言うと首を振った。

「それで料理が出来たのが、十一時五十分ころだったかな?」

「そんなところだろうね」 成海の問いに、半田が答えを返す。

「それから私と高宮くんの二人は、部屋で休んでるみんなを迎えに行ったよ。そうだったよね、高宮くん」

「ええ、そうです。二人でまず社長を呼びに出て、それから自分が亮の奴を、半田さんが一階にいる権田さんと御厨くんを呼びに行きました」

「私の方はまず、権田さんの部屋をノックして、彼はすぐに出て来た。それから二人で御厨くんのドアをノックした。けど返事が無かったんで、何度もノックしたらようやく出て来たよ」

「あ、すいません。僕、眠ってたみたいで……」

御厨が恐縮そうに頭を掻く。

「自分の方もそうでした。亮の奴、ノックしてもなかなか出てこなくて。それでようやく起こして階段を降りた所で、半田さんたちと合流したんです」

「夫人の部屋は、その時ノックしたんですか? 半田さん」

「ああ、けど返答がなかったね」

「水音はしましたか?」

「さあ、そこまで気を付けていたわけじゃないから分からないな。高宮くんの方は?」

「いえ、よく分かりませんでした」

高宮はそう言うと、小さく首を振った。

「となるとこの時、食堂を出た人間に犯行が出来たのかと言うことだけど……」

上田は少し伺うような調子で二人に話しかけた。

「さあ、私はともかく、高宮くんが下に降りて来たら分かった筈だよ。だから、高宮くんには犯行の機会はなかったと思う」

半田がそう述べると、権田が続けて話した。

「半田さんにも犯行は無理じゃな。二階に向かう足音がしている最中に、わしは部屋をノックされた。それからすぐに部屋から出たからな」

「成程……」 上田は考え込むような仕草を見せたが、やがて質問を続けた。

祐一はと言えば、自分の預かり知らぬところで進んでいく確認作業をただ漠然と眺めていた。佐祐理はといえば、生真面目な彼女らしく皆の話にきちんと耳を傾けている。

逆に舞は時折生欠伸を噛み殺していた。あまりこういった作業は好きではない(それは祐一も同じだったが)のだろうと祐一は思う。

兎にも角にも、議論はまだ続きそうだった。

「それで、夫人を除くメンバの全員が食堂で昼食を取った。それから三十分もしない内に昼食を食べ終えて、スキー場に向かうための準備で各々が自分の部屋に向かった……と。それでみんなに聞きたいんだが、その時は何をしてた?」

上田が全員に向けて問いかける。

「私は倉木さんと二人で、食器の片付けをしたわ。片付けが終わると、高宮さん、御厨さん、権田さんの三人が入口に立っていたので、私は急いで着替えを済ませると財布を持って部屋を出ました。

そしたら、スキー板にウェアで武装した上田さんと半田さんが二階から降りてきたんです。それから少しだけ遅れて、社長が部屋から出て来られました」

成海はその様子を、身振り手振りを交えて話した。

「その時、倉木さんは?」

上田に問われて、やはり俯き加減の光。しかし、先程よりは落ち付きを取り戻しているようだ。

「えっと、私も部屋に戻って財布を取って来ました。それで部屋を出てすぐに、五反田さんと上田さんと……半田さんがやって来て。社長が出て来られたのを確認して、それでロッジの外に出ました」

「となると、二人には無理か……俺はスキーウェアとか道具の準備にちょっと手間取ったからな。あの時、時計を確認して十二時半くらいだったかな? 部屋を出たら半田さんと鉢合わせして、降りて来た所に急いで駆けて来た五反田の姿を見かけた。この辺は二人の説明とだぶるかな。その時、半田さんは?」

「私はスキー板の調整とかウェアを着たりするのでやはり十分くらいはかかったよ。部屋を出てからは、上田くんの言ったことと同じだ」

半田がこめかみに指を当てて、記憶を絞り出すようにして言う。

「浩、お前はどうだった? 俺たちよりは早く準備出来ただろ?」

尋ねられた高宮は、いつも通り淡々と答えるのみだった。

「自分はウェアは向こうで借りるのだったから、時間は掛からなかった。トイレに行って、戻ったら権田さんと御厨くんが入口で待っていた」

「僕はハンカチを取りに部屋に戻って、すぐに入口に。その時はまだ、権田さんだけしかいませんでした。それから社長がすぐに入口に来て、それから高宮さん、それから少しして台所から二人が出て来て……四人が集まったのはほぼ同時でしたね」

御厨が高宮の言葉を受けて、流暢に状況を説明する。

「わしは部屋に戻る用事がなかったから、ずっと入口に立っておった。社長は峰子夫人の部屋をノックした後、返事がないので少し……腹を立ててましたな」

「そんなことはどうでもいい」

秀一郎のにべも無い言葉に、権田は僅かに肩をすぼめ、そして続けた。

「それから御厨くんがやって来て……後は、他の人の説明通りじゃな」

「権田さんは、ずっと入口に?」

「間違い無いよ。それに御厨くんがやって来るまで一分と掛かっていない。この時を狙って犯行を犯し、更に部屋を密室にするにはちょっと無理があると思うがの」

「まあ、シロってことですね。それで最後に社長の方なんですが……」

流石に堂々としている上田も、社長の前では遠慮もしている。

「ふむ……あの時は、峰子の部屋をノックしたが応答がなかった。それで中で……その、不貞腐れでもしてるかと思って、あいつはちょっと感情の起伏の激しいやつだったからな、仕方なく自分の部屋に戻り、財布や着替えを済ませて、予備の服を持って部屋を出た。その時にはもう、全員が揃っていた」

「夫人の部屋をノックした時、水音は聞こえましたか?」

「さあ、注意して聞いていたわけじゃないからな。でも、言われてみれば微かに水音がしとったような気もする。あの時は手でも洗ってるんじゃないかと思っていたんだが……」

「となると、その時までに夫人は殺されていた可能性が高いってことですね。第一、入口のドアは権田さんが見ていたから、俺のいった密室トリックなんて仕掛けることは不可能……」

ここまで進めて、上田は少し苦い顔を見せた。しかしそれは僅かの間で、次には状況をまとめに掛かっていた。

「今までの話を総合すると……夫人が生きていたのが最後に確認されたのが、半田さんが夫人の部屋を尋ねた時。その時には犯行は行われなったことも確からしいから、犯行はその後に行われたということになる……」

上田はそこで、わざと言葉を切った。そして、ここにいるメンバの顔を一度睥睨する。

「犯行はその時から、昼食が始まるまでの間ってことになる……多分」

その言葉に、誰もが息を飲んだ。それほど、上田の話し方が堂に入っていたからだが。

祐一も自分が犯人で無いと分かっているにも関わらず、身を引き締めずにはいられなかった。

「社長や権田さんの話によれば、食事の時には既に夫人は殺されていた可能性が高いからな。となるとどうなる? あの時、昼食を作っていたメンバには犯行は不可。

勿論、スキー場にいたと確定している相沢くん、倉田さん、川澄さんの三人にも犯行は出来ない。残るは昼食の準備があった頃、部屋にこもっていたメンバの中にいるってことになるんだが……」

上田は少し躊躇してから、彼の言う容疑者の名前を読み上げていった。

「まずは俺、それに御厨、権田さん、最後に……」

そして、横目で秀一郎の方を見た。

「ちょっと待て、わしも容疑者ということか? 冗談じゃない、殺されたのはわしの妻だぞ」

自分が容疑者の一人であることを暗に指摘され、秀一郎は顔を俄かに紅くして反論した。

「しかし……」

「しかしももしもない……わしは犯人を調べろとは言ったが、わしを容疑者に加えろなんて一言も言ってないぞ。全く……不愉快にもほどがある」

秀一郎は大声でがなり散らすと、派手に音を立てて椅子から立ち上がった。それだけでも、食堂の空気がピアノ線のようにピンと鋭くなる。

彼は鼻息を一つ残すと、出口に向かって足音を響かせながら歩き出した。

「社長、どこに行くんですか?」

半田がその様子を見て、慌てて呼び止める。

「決まっておるだろう。こんな殺人者がひそんでいるようなメンバの中に、これ以上身をおいとると頭が狂いそうになるからな。自分の部屋に戻る」

秀一郎はそう言うと、さっさと部屋に引き上げてしまった。

こうなるとドラマなどでは、連鎖的に自分の部屋に戻ると言い出すものが現れるのが推理物のセオリだが、こういうことが現実に起きてもそれは例外ではなかった。

「あっ、社長、待ってください」

そう言って立ち上がったのは、光だった。彼女は秀一郎の姿を追うようにして、食堂から姿を消した。彼女のものらしき足音が消えると、

「くそっ、バラバラになるのは得策じゃないのに……」

そう言って、テーブルを拳で強く殴る音がした。その音を発した主、半田は先程の秀一郎と同じくらいに顔を赤らめ、激した様子を見せていた。

「は、半田さん?」

上田が思わず声をかける。それはまるで見たこともない動物に触るような、そんな感情を含めた声だった。つまり彼がこれほどの感情を表すのは珍しいということだ。

しかし、何が彼をここまで怒らせたのだろうか……祐一にはそれを推し量ることは出来なかった。

皆が半田の様子をじっと眺めていた。

彼はそのことに気付くと、深く深呼吸をして、それから作ったような笑顔を浮かべた。

「えっと、すまないね。ちょっと、その……余りにも身勝手な行動を取るものだから」

「まあ、半田さんの気持ちは分からないでもないですけど……ね」

上田はそう言うと、肩を竦めて見せた。

「でも大丈夫なの。二人とも、部屋にこもったようだけど……その」

「それは大丈夫だろう。二人の内のどちらかが死ねば、残された方が犯人だ。幾つもの作為的な跡といい、密室殺人なんて芸当をやってみせた点といい、犯人は極めて計画的な犯行を冷徹に遂行したと考えられる。そんな人物が、わざわざ犯人が特定される状況で犯行を犯すとは限らない。

つまり、二人までなら部屋にこもっていれば安心だと言える。勿論、まだ殺人が続くと仮定しての話だが・・…尤も、その算段は強い筈だが」

「何故?」 成海が首を傾げて言った。

「それはまず、現場に落ちていた犯行文だな。それと犯人は、雪崩を誘発することで俺たちをここに閉じ込めた節がある。もし夫人の殺害が犯人の計画の最初で最後であるならば、そんなことをする必要が無い」

「それは以前に話していたことだな。だが……私にはどうも完全に外部犯の犯行だという線が消えたようには思えないんだが……」

半田が少し憔悴した様子で言う。

「外部犯だとしたら、ここに来るまでの道を雪で塞いだことと矛盾しますよ。もし外部犯、仮に彼をXとしましょう。Xは犯罪が終わった後、誰にも見られることなく現場を離れるというのが必要充分条件となってきます。道を塞げば、そこには警察が大挙する。誰にも見られずに現場を離れることは不可能になってしまいますよ。これは計画的犯人の行動と矛盾します。

逆に殺人狂的犯人の場合、密室なんてまどろっこしいことはしません。つまりXは、計画的頭脳を持った外部犯でもなく、計画的頭脳を持たない外部犯でもない。故に犯人は外部犯ではない……QED」

「QED、お次はエラリィ=クイーンか……まあ、筋は通っとるようじゃの」

権田が微かな笑みを浮かべて言った。それは、この場の重苦しい雰囲気においては、少し異質なものだったように祐一には思えた。

「けど、雪崩が人工的に誘発されたと断定するのは早いんじゃないですか?」

今度は御厨が反論した。

「だが、半田さんも相沢くんも倉田さんも、場違いな爆発音を聞いている。やはり、誰かがここまでの道を雪崩で塞いだと考えるべきだろう」

「でも、爆弾なんて作れるもんなんですか? それにあの時、メンバは全員いましたよ」

「時限爆弾、リモコンで指令を与えるようなものを使えばいいんじゃないのか? 爆弾なんて、ネット検索かければ作り方なんて簡単に分かるし、その手の本を読んでも良い。時限装置だって、簡単なサーキットを組めば作れる。つまり、誰にだってやろうと思えば出来た。あとは爆薬の入手方法だが……」

「TNTやオクトゲンなんてのは有名だが、市販されている薬品を使ってもある程度の威力を持った爆薬は生成可能だ」

上田の疑問に答えたのは、高宮だった。

「成程、流石サバイバル・アンド・ミリタリ好きなだけはあるな」

上田の言葉に、高宮は少し鼻の頭を掻いた。

「えっと、そのTNTとかオクトゲンなんてのは何なんですか? その、聞いたことくらいはあるんですけど」

祐一は何とか会話に混じろうと思い、そんなことを尋ねた。

「TNTはトリ・ニトロ・トルエンの略だ。オクトゲンは、プラスチック爆弾の原料として有名だ。どちらも商業用の、発破や兵器などに使われてる」

そんなことを説明されても、祐一にはよく分からなかった。実を言うと、化学の時間に出て来たような気はするのだが、思い出せ無いというのが正しい。

「まあ、そういうものがあるというだけでも知っておけばいい」

頭を捻っている祐一をフォローするためか、高宮はそんな言葉をかけた。

「とにかく、これ以上この場所を離脱することはできれば勘弁願いたいね。行動があやふやな人間が三人いれば、殺人がおきる可能性が出て来る。二人の安全を守るためにも、俺たちは全員ここにいるべきだ」

「それよりも、二人に考えを改めるように言った方がいいんじゃない? 全員で一緒にいた方が、安全度は高まる筈よ」

「ああ、それは分かってるが……」

成海の意見に、上田は明らかに難色を示した。

「ここで……実を言えば、あの社長を抜きでもう少し話したいことがある」

「話したいことって?」

「さっきの話で、ここに来たメンバの行動はかなり把握できた。しかし、まだ議論されてないことが一つあるんだよ。モチベーション……つまり動機だな」

「動機って?」

「これだよ、現場に落ちていた紙切れだよ。白い悪夢……これが今回の事件の動機となっている可能性は高いと思う。けど社長のいる場所だと、話し難い」

「えっ、どうして?」

「社長は白い悪夢という言葉に、何か思い当たる節があるようだった。多分、そのことを話題に出したら権限でロクな議論も出来ないと思ったから。ところで権田さん、思い出しましたか?」

上田の言葉に、権田は首を振った。

「駄目じゃ、思いだせん。余り、歳は取りたくないの」

「ちょっと待ってくれ。私も聞いたことがあるような……」

半田は皆の会話を手で制すると、深く考え込む仕草を見せた。

「……そうだ、思い出したよ。あれは十七、八年前だったかな、千葉の港町で殺人が起きたんだ。私は結構近い所に住んでいたから、そのことは注意して見てた。それで覚えてるんだな」

「その時だと、俺が十歳の頃か……駄目だな、全然覚えてない」

上田が眉をひそめる。祐一に至っては、産まれているか否かの昔だ。勿論のこと、そんな出来事に思い当たる節はなかった。

「で、どんな事件だったんですか?」

「簡単に言えば、夫が妻とその息子を殺して、その後近くの林で自殺した……そんな事件だ。その家族が住んでいたのが、全体これ白に塗りたくったような家だったから、白い悪夢とか言い方をされていた。

夫は麻薬の密売をやっていて、彼自身も強度の中毒症状だった。そこでも白だな。だからしばらくは、白の悪夢とか、ニュースやなんかで流してた覚えがある」

「……話が繋がらないな。事件自体は既に完結しているんだから、今更どうこうするってものでもないような気がするけど……」

「確かに。となると、この事件じゃないのかな……」

全員が黙り込む。と、そこに権田が口を挟んだ。

「待てよ……そうじゃ、わしも思い出した。確かにそういう事件があったが……でも、事件とは関係がありそうなことといえば……」

権田は首を傾げて斜め上の方を見ると、ぽんと手を叩いた。

「そう言えば、殺された息子には上の兄か姉がいた筈だ。小学生くらいの」

「小学校くらい?」

「ああ、年齢は分からんが……」

「小学生と言ってもなー……事件が十七、八年前の事件として、そいつの年齢は二十三から三十……駄目だな、全然絞れない」

絞れないというのは、つまり容疑者のことだろう。上田はズボンの裾を掴み、唇をぺろりと舐めると軽く頭を掻いた。

「でも、もしそいつが何か理由があって復讐めいたことを考えていたとしたら……いや、それは早計だな。それに、別の動機の可能性だってある。単なる痴話めいた諍いから起きた事件だとか……」

「それはつまり……社長が夫人を殺したってこと?」

成海が今までよりもずっと声をひそめて言った。

「ああ、事件が起きたら身内を疑えっていうくらい、事件ってのは案外身内間のものが多いんだ。まあ、こんなことが社長の耳に入ったら、プロジェクトごと解雇されかねないからな」

声を潜めた関係で、自然に皆テーブルの中央によって話をすることになる。祐一も一応、身を乗り出して話に加わる。ただ、舞と高宮だけは興味無さそうにぼーっと眺めていただけだった。

祐一はそれを見て、輪を外れて舞に話しかける。

「舞、退屈か?」

「……退屈」

舞は遠慮することなく答えた。するとその言葉を耳に挟んだ上田が、皮肉そうな笑みを浮かべてこちらを向いた。

「ん、まあもうちょっとで終わるから。で、結局今の所、動機から犯人を絞ることは出来ないってことか」

「そのようだが……まあ、出来るだけのことは調べたんだ。あとはもう、このことを話して警察に任せるだけだと私は思うよ」

半田の言葉に上田は少し拒否するよう表情を浮かべたが、やがて溜息混じりに言った。

「確かに、今の所はこれで限界だな。取りあえず警察に電話を掛けて、今までのことを説明して……余計なことをしたと叱られるかもしれないが。あとは……」

上田はそこでわざと言葉を止めると、素早く立ちあがった。

「まだ夕食もまだだし、まずは腹ごしらえだな。腹が太れば、何か良い考えも浮かんで来るかもしれない」

「呆れた、こんな時に食事のこと気にしてるの?」

成海が正に言葉通りの視線で、上田に言葉を返した。

「いや、やはり腹が減っては戦もできん。この後のためにも、何か腹に入れておくことも肝要じゃよ」

「権田さんの言う通り。というわけで、カレー温めなおしといてくれな。俺は電話を掛けてくるから。えっと、浩と相沢くん、付いて来てくれ。それとこれからは、食堂を出る時には三人で行動することにしよう」

言いながら、食堂の外へ出る上田。高宮と祐一もその後を追った。食堂では、佐祐理、舞、成海の三人が台所で忙しなく動き始めていた。

こういった動きと共に、ようやく今までの閉塞感が霧散しつつあるのを祐一は感じた。

それにしても……

(頭、無茶苦茶いてえ)

普段から授業に集中していない祐一には、責め苦のような時間だった。

祐一はふうと溜息を付く。

「若いのに溜息とは、年寄りくさいな」

上田の言葉に、祐一はほっとけという言葉を喉まで出しかけ、そして飲み込んだ。


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