どのような力と能力を持つ集団でも、用いる頭脳がなければ烏合の衆に等しい。
知と和を疎かにすれば、待っているのは敗北だけである。

 

舗装路の旋律(後編)
〜Beat On The Asfalted Road(Third Part)〜

 

10 対決

そして、祐一たちの出番はやってきた。
未だに一抹の躊躇を抱きながら、祐一は相手チームと対峙する。
改めて正面切ると、三木本の身長の高さに圧倒されてしまう。
祐一も、自分が標準よりは上の身長を持っているということは知っている。
ただ、三木本はそれよりも十センチ近く高かった……一九〇近くあるだろう。

横を固める二人も、無骨ながらかなりスポーツをやり込んでいることは見て取れる。
Tシャツから覗く筋骨張った体格は、かなりの膂力を持っているだろう。
体力と体格、それに運動経験の違いに、祐一は俄かに飲まれそうになった。

だが……ここに来て引く訳にはいかない。
祐一は腹を決めると、三木本の顔を強く見据えた。

「そんな怖い顔しなくても良いだろ、今回はまあ遊びのようなものだから」

三木本は、余裕で以って祐一の気迫に答えた。
その顔には妙にざらついた清々しさを持つ笑顔が浮かんでいた。
勝負をふっかけてきたのはそちらではないかと祐一は心の中で毒づきながら、
表面上は何もしらない振りをして笑顔を返す。それから、そっと手を差し伸べた。

「まあ、試合前の握手ってことで……」

祐一の行動に三木本は一瞬躊躇したが、理解したように手を差し伸べ返す。
しかし……祐一は友好的に手など握ってやるつもりはなかった。

無警戒な三木本の指の部分を、祐一は最大握力を込めてぎゅっと握り締める。

「いってえーっ」

その行動に不意をつかれた三木本は、思わず祐一の手を解くと大声をあげた。
それが何を意味するものか、群集に伝播するのには数秒の時を有した。

そして……有形無形の罵声が祐一に集中して浴びせられる。
その音響の中心は、三木本のシンパである下級生の女性群から出会った。
祐一はそちらを鋭く睨んでやると、親指を軽く下に突き出して見せる。

更に強いブーイングが飛ぶ中で、祐一は次に最前列で応援している名雪の方を向いた。
それから親指を立てて、自分でも気障と思えるほどなウインクを贈る。
名雪は誰のことだか一瞬分からない様子だったが、それが祐一からのものだと分かると、
戸惑いながらも笑顔で手を振って見せた。そして、名雪を中心に口笛が罵声に交じり合う。
それは、祐一のクラスの女生徒たちだった。ここで、唯一の祐一たちの味方だ。

祐一のパフォーマンスによって、コートの内外が強い熱気で包まれる。
怒号あり、応援あり、気分を昂揚させる音楽があり、そして中心にバスケがある。
Beat on the asfalted road……舗装路の旋律が高らかに空を覆った。

その中心の、更に中心に存在する事になった祐一。
彼はそっと、三木本の顔を覗き見た。辛うじて笑顔を保っているものの、
その奥底では主役の座を奪われたことと先程の仕打ちに対する怒りで満ちていた。

 

11 詐術

祐一は無言で背を向けると、香里にこっそりと耳打ちした。

「おい香里、これで良いのか」
「上出来、九十五点はあげていいわ……立派なヒール役ね」

香里は可笑しさを抑えながら、祐一の胸を拳で軽く小突く。

「大丈夫よ、あとは私たちが練習の成果を出し切るだけ。相手に飲まれちゃ駄目よ」
「分かってるって」

一度は飲まれそうになったというのが本音なのだが、それは香里には隠しておいた。

「ほら祐一、相手の方は無茶苦茶怒ってるぞ」

こちらは香里と違って本当に笑っている、友達がいのない北川の声だ。

(他人事だと思って笑い飛ばしやがって)

心の中でそう呟くと、祐一は話を終えてコート中央に向かった。
試合開始はジャンプボールを以って行われるのは、公式と同じだ。
これは、まあ確実にジャンプ力と身長の強い人間が勝つ。
祐一と三木本は、再び対峙することになるが、精神的余裕はまるで違っている。

祐一の方は妙に落ち着いているのだが、三木本の方は相当入れ込んでいる。
競馬だと、思慮を欠いて計算された走りが出来ない状態だ。
祐一は気分を抑えて、笛の音を待つ。

「こうなったら、ダブルスコアくらいじゃ許さないからな」

三木本がボソリと呟く……ノリが三流悪役なのが、祐一には可笑しかった。
それだけ、心理的に余裕があるということだろうか……罵声さえも心地良く聞こえる。

「これから第一回戦第八試合を始めます」

審判員が、高らかに号令を発する。
それから笛の音と共に、ボールが宙に舞う。

……祐一は、ボールが真上に上がる瞬間に三木本の足を踏んづけた。

「くあっ……」 と独特の叫び声をあげながらバランスを崩す三木本を他所に、
祐一は余裕でジャンプしてボールをハーフラインで待つ北川の方へ弾いた。
勿論、審判にも観客にも分からない形で……だ。

「ちょっと待て、さっきのは……」

三木本が大声で抗議する前に、北川が香里に向けて素早くパスをする。
相手側は混乱していて、誰もまだ満足に動きを見せていない。
三ポイント・ラインの外側から香里が放ったボールは、綺麗な円弧を描いて、
鋭く小気味良いネットとの摩擦音を響かせた。

3on3では二ポイントの入る遠距離からのシュートに、観客のどよめきが消える。
刹那、それは巨大な賛美と歓声の元に掻き消されてしまった。
熱狂と肯定の渦が生まれたところで、ようやく三木本が我に帰り祐一の肩を掴む。

「お前、俺の足を踏んだだろう」

「……だったら、審判が注意する筈じゃないのか。バスケって審判の裁定が絶対なんだろ」

祐一が挑発するように言うと、三木本は審判を鋭い視線で睨み付けた。
しかし、祐一は彼に見えないように反則を行ったのだから、無意味なことだ。
審判員が困ったように首を振ると、三木本はその憤りを祐一にぶつけた。

そして、ボールが相手チームに渡され、ハーフラインからの攻撃が開始される。
気持ちを落ち着かせようと、ゆっくりボールを弾ませる三木本の防御についたのは
祐一ではなく香里だった。彼女は不敵な笑みを浮かべながらボソリと一言。

「……無様ね」

その言葉に、また可哀想な程に顔色を変えてしまう三木本。
途端にドリブルと加速度をあげ、強引に突破しようとする彼に、香里は思いきり接触する。
そして、予想以上に派手に転がってしまった。流石にまずいと思ったのか、審判員は
オフェンスのチャージングを宣告した。先程のミス・ジャッジがあったので迅速に。

「えっ、あれはどう見てもディフェンス・チャージング……」

しかし、そんなことに戸惑っている時には既に何もかも遅かった。
ボールはハーフ・ラインの祐一に戻され、それから素早く北川にパスが渡る。
北川は労することなく、レイアップ・シュートを決めることができた。

「よっしゃ、3−0だ」 北川がゴール下でガッツ・ポーズを取るに至って、
今まで相手チームで活躍のなかった二人が三木本に抗議を始めた。

「おい、何やってんだよ。さっきからヘマばっかりやっててさ」
「俺らにもパスを回せよな」

「ちょっと待てよ、僕の責任じゃないぞ。相手が姑息な手を使ってくるから。
兎に角、冷静になって一本回して行けば……」

しかし、三木本の冷静化計画は突然に飛んで来たこの言葉で不意になってしまう。

「わー、凄い祐一。バスケ部相手に先制してるよ」
「おう、これくらいちょろいぜ」

これを聞き、三木本の理性は完全に崩壊した。
自分の間違いを全面的に認めると、祐一の言葉も肯定する事になるからだ。

「でも、お前らだって準備が足りないんじゃないのか。最初から構えてたら、
どっちの得点だって防げたんじゃないのか?」

三木本の意見に、とうとう二人の反発は決定的になった。
祐一と北川は、雲行きが悪くなってきたなとその状況を傍観している。

「何だって、お前ら二人は立ってるだけでも良いからって言ってたのは誰だよ」
「そうだぞ。第一、好きになった女に彼氏がいるからって見苦しいんだよ」

「なんだと、お前ら!!」

最後の図星が決定的だった。
三木本は怒りで顔を紅潮させると、その言葉を吐いた方に向かって殴りかかった。

そして、かっとなった挙句の喧嘩が二人の間で勃発したのだった。

「おい、なんかやばいことになってないか?」

流石に行動がエスカレートしてきたせいか、祐一も不安げな表情を見せる。

「ああ、何だか血が飛び散ってるし……」

しかし、北川も祐一もその喧嘩を仲裁する気は無い。
それどころか、誰もそれを止めようとするものはいなかった。
皆、スポーツマンで紳士であった筈の三木本の凶行に驚いているのだ。

辺りからは、不信感から来るざわめきすらが支配を始めていた。
というか、最早試合を続けている暇などなかった。

散々殴り合いを行った相手の方は、やってられるかと吐き捨てて何処かへいってしまった。
もう一人の方も付いていけないと思ったのだろう……それに追随してしまう。

後には顔面をぼろぼろに腫らした三木本の姿が残ったのだった……。

「えっと……」 祐一にはどんな言葉を発して良いのか分からなくなっていた。
「これって、不戦勝だよな……一応、勝ったことになるのかな?」

「いまいち釈然としないな……」

北川は事態を完全には受け止め切れていないらしく、引きつった笑みを浮かべて答えた。

「まっ、いいじゃない。どんな風であれ、勝ちは勝ちよ」

香里は口元を僅かに歪めながら、そう〆たのだった。

 

12 後記

ここから話すことは殆どない……蛇足である。
あの後、三木本ともう一人の人物は喧嘩により生徒会執行部に連行された。
そして、久瀬生徒会長の厳しい処断により二人とも停学一週間となった。
結局、名雪と祐一の関係を揺らすどころか道化しか演じなかったわけだ。

この後の試合では、順調に勝ち進んだものの惜しくも準優勝に終わった。
ちなみに優勝は西瓜三個、準優勝には西瓜が一個プレゼントされる。
その西瓜は、文化祭後にクラスの応援者、協力者で分けて食べた。
約三十分の一と量は少なかったが、微妙な塩と勝利の味とがした。

「今日は祐一、凄く頑張ったよね」

西瓜の種を器用に吐き出しながら、名雪がそう言ってくれる。
祐一としてはそれだけで満足だったが、一つだけ疑問が残った。

「なあ、香里」

夕陽を背に一人で黄昏れる香里に向かい、祐一は思わずその疑問を口にした。

「一回戦のことなんだけどな……あの不戦勝ってもしかして、香里が仕組んだのか?」

祐一の脳裏に浮かんだのは、二週間前の例の台詞である。

『……だって、ああいう姑息なフェイクを使ってくるのって大嫌いなんですもの。ああ言った姑息な手段で、親友の幸せを打ち砕こうとしてるなんて……ねえ』

そして、勝つ手段があるのかという言葉についてこんなことを述べた。

『無い訳じゃないわ』

決して、正攻法で勝つ手段があると言っていた訳ではない。
そして、香里が大嫌いと述べた相手に対しては恐るべき処断が下されている。
だとすると、あの事態は偶然じゃないのではないか?

例えば香里らしくない特訓にしても、相手に正攻法でやってることを
見せ付けようとしただけじゃないだろうか? 相手の偵察くらいあっただろうから。

それらを総合しての、祐一の推論だった。

そんな質問に、香里は極めて小悪魔的な笑みを浮かべながら言ったのだった。

「秘密」


あとがき

というわけで「舗装路の旋律」の完結編をお送りしました。
本格的バスケット対決になると期待していた方、申し訳ありません。
実際は詐術と策略の巻き起こる、反則スレスレな決着となってしまいました。
香里の科白と性格が変わったような特訓風景には、このような意味があったのです。

こういうトリックめいた話になるのは、私の性のようで……。
ともあれ、年内に完結編が発表できて良かったです。

[EXIT]