あなたは朝に弱い。
一度目が覚めても布団の中でごろごろむにゃむにゃと、気持ち良さそうにしている。二度寝、三度寝に走るのも良くあることだ。それにしてもここ最近、夜は早いのに、朝も日が登ってある程度しないと起きられないし、睡眠不足で無理に動こうとすると夕暮れ前に力尽きてしまう。何らかの負荷がかかっているようだが、どうしたのだろうね。
一時間ほどぐずぐずしていると、人間の女がやって来て布団を強引に引っぺがしてしまった。あなたはなおも部屋の隅に断固として丸まっていたが、味噌の良い匂いに惹かれたのかふらふらと食卓につく。笑面を被り、まだ眠気が取れないのか盛大に船を漕いでいる。もう少しその様子を見ていたかったが、人間の女性が他に誰かいるのかを探るように辺りを見回し始める。力を失っても勘だけは働くのかもしれず、名残り惜しいながらも撤退することにした。
午前も大分過ぎた頃、あなたはふらふらと家を出る。命蓮寺に向かう旨を伝えると空を見上げ、ホバーのようにふわんふわんと宙を僅かに浮き、スカートが膨らむ。そしてお面が周囲をぐるぐる回り出すと同時、一気に加速して飛んでいく。頭のお面には不安が浮かんでいたから、きっと命蓮寺を恐れているのだろう。でもあそこは住職である白蓮を始めとして皆が親切にしてくれるし、特に入道のおじさんは弾幕ごっこの練習にも付き合ってくれる。かつて退治されかけたことは知っているけれど、ここでの役割を手に入れたからにはもう警戒する必要はないはずだが、その辺りをまだよく分かっていないらしい。
あなたは寺の少し前で下り、木陰に隠れながら少しずつ進んでいく。何だか鼠を思わせる動きだが、狐のお面を被っているのだから真剣そのものなのだ。しかし寺に着く少し前であなたは手足の生えた古臭い徳利がとことこと走る姿を見つけてしまった。
「寺に行かなくてもあいつを追いかけていけば分かるかも」
そんなことを呟き、あなたは徳利の後を追っていく。そいつは特に警戒するつもりもなく寺の外周をぐるりと周り、裏手のほう、墓地へ向かい駆けていく。昼間だというのにどこか薄暗く、妙な気配がそこかしこに漂っている。徳利の付喪神(つくもがみ)はそんな中を恐れることなく進んでいき、あなたも負けじと他に目もくれず付いていく。
それで注意散漫になっていたのだろう。あなたは木の上からべろんと垂れ下がってきた生温いべとべとしたものをかわすことができなかった。驚きの面と共に尻餅をつき、この野郎という気持ちを込めて頭上を見上げると、大きな傘を持った人型が現れる。左右の色が異なる不思議な瞳を持っているが、それ以外は特に目立った特徴もない。身だしなみはきちんとしているがどこか全体的に汚れているというか、ぼろっちい印象を受ける。
「あはは驚いたかー!」舌のびろんと伸びた傘を手にした少女は最初こそ喜んでいたが、あなたの顔をじろじろ見て徐々に不満そうな表情へと移ろっていく。「あ、あるぇー? あなた驚いたわよね? お腹が少しだけ膨れたんだから」
「驚いたぞ、この茄子野郎め」頭の面が般若に変わり、あなたは手を拳の形にして両腕を振り上げる。「べたべたと気持ち悪いものをなすりつけおって。手を口の中に突っ込んで奥歯をがたがた言わせてやる」
「うーん、やっぱり驚いてるよね……でもあまり美味しくないな。ということはあなた妖怪ね。見慣れない顔だけどどこからやってきたの?」
あなたは素直に己の出自と住まいを口にする。それで合点するものがあったらしく、少女は舌の付いた傘をくるくる回す。
「ああ、そう言えば空飛ぶ船の上で戦っているのを見たことがあるわ。一輪を妙な踊りで翻弄していたわよね」傘を持った妖怪は無邪気に近付いてくる。また脅かそうとしているのではないかと考えたあなたは思わず一歩引くが、傘の妖怪は空いた手であなたの腕をしっかりとつかむ。「わたしは多々良小傘というの。以前は人を脅かすだけだったんだけど、最近は少しだけ手広くなったのよ。さあ、みんな出ておいで!」
小傘が合図をすると墓石や卒塔婆(そとば)、木々の影から手足の生えた付喪神たちがわらわらと飛び出してくる。
「わたしはね、付喪神の師匠としてこの子たちを躾(しつけ)ているのよ。それにちょっとした芸を仕込んでるの」
小傘は手を離すと傘をくるくると回し始め、すると手足の生えた食器が次々と飛び乗り、傘の上を走り出す。あなたは面を笑みに変え、その様子をじっと眺める。その視線を見て小傘は速度を上げ続けていったのだが、石に足を引っかけたのか盛大にすっ転んでしまった。その前に手足の生えた食器たちは一斉に脱出したため被害はなし……いや、尻餅をつく小傘の目には小粒の涙が浮かんでいた。
そんな小傘を心配するように付喪神たちが周りを囲う。どうやら間抜けなりに慕われているようだ。そのことを察したのか小傘は素早く立ち上がり、すると付喪神たちはお見事ですと言わんばかりにかちゃかちゃと動いた。
「あいてて、失敗しちゃった。でもあなたが悪いのよ」小傘はあなたにびしりと指を指す。これは行儀の悪いことだがあなたは気にすることなく、首を傾げるだけだ。猿面になっているからどう返して良いか困っているらしい。「無表情のままなんだもの。あれ? でもお腹は少し膨れてるな、ということは驚いてくれたのかしら。んもう、面倒臭いなあ」
「楽しい芸だと思いながら見ていたぞ。最後は盛大に失敗したようだが」能面に戻ると、あなたはこけたせいでめくれたスカートをそっと直してあげ、それから小傘をじっと見つめる。「良いことを思いついた。小傘と言ったな、わたしは秦こころというものであるが……」
「はたのこころちゃん?」
「ちゃん付けはやめろ。長いと思うなら名前だけで良い、だがちゃんづけは……」
「それじゃあこころちゃん!」そう言って小傘は威張るように胸を反らし、あなたは般若の面とともに小傘へ抗議の視線を向けるも、お面が感情に対応していると気付いていないのか改善する様子もない。「それで良いことを思いついたというのは?」
あなたはなおも小傘を睨みつけたが訂正できないと悟ったのだろう。まず自分が何者であり、どのようにして生まれたのかを説明する。付喪神たちは興味なさげに皆がごろんと横になったが、小傘だけは熱心に聞いてくれたようだった。
「放置されたお面かー、じゃあわたしと似ているわね。わたしの場合は忘れ傘なんだけど」
彼女が手にする茄子色の傘を見れば一目瞭然であり、あなたは頻りに頷く。
「するとわたしは先輩というわけだ」
メディスンと名乗った人形と同じで、小傘も先輩という言葉に憧れを覚えているようだった。目の輝きが明らかに変わっている。
「その先輩にお願いがある。実は秋の収穫祭で舞を一差し披露するのだが、分かりやすく楽しく心躍るという題目が些か難しいのだ。そこで小傘先輩にだな」
あなたがそう言うと、小傘は瞳をきらきらさせながら顔を近付けてくる。
「そ、それをもう一回言って頂戴!」
「え、えっと……」あなたは猿の面を被り少しだけたじろいだが、すぐに能面に戻る。「こ、小傘先輩」
「そう、それよ! 先輩、なんと甘美な響きかしら!」
小傘がくねくねと身を捩らせる様を見てあなたはまた猿面を被る。面倒な相手に引っかかってしまったと言いたそうだ。それでもあなたは狐の面を被り直し、小傘に口を開く。
「その先輩に、舞台の賑やかしをお願いしたいのだがどうだろうか?」
「つまり先程の芸を華麗に披露すれば良いのね? 人間が沢山集まるかしら? みんな驚いてくれる?」
「人は集まるだろう。里の皆でやることだという話だからな。驚いてくれるかどうかは芸次第だが、少なくともわたしは楽しかったから大丈夫かなと思う。どうだろう、やってくれないだろうか」
「そんなに頼まれたら、頼もしい先輩としては断れませんな!」小傘はでへへと笑い、くるくると駒のように回って再びバランスを崩し、尻餅をつく。「ぐぬぬ、いつもはこんなものではないのよ……」
あなたは黙ったまま頷き、そこではっと何かに気付いたらしい。能面に戻り、ごほんとわざとらしく咳をする。
「もう少しで最初の目的を忘れるところだった。わたしは探し物をしているのだが、見つける方法を知らないだろうか?」
いきなりそんなことを訊かれ、小傘は首を傾げる。
「探し物が得意な知り合いならいるけどその、れありてぃ? が高くなければ駄目なんだって。れありてぃというのはつまり貴重品のことね。あなたは何をなくしたのかしら?」
「……実は何を探したいのかが分からない。そうしたものを探す方法はないだろうか」
メディスンに訊いたのと同じことを口にすると、小傘の眉がへの字になる。
「何か分からないものを探す方法なんて、わたしには見当も付かないなあ。流石に探し屋の鼠もそれでは見つけられないと思う。そもそもそんなものは存在するのかな?」
小傘の顔が少しずつ怒りに歪んでいくけれど、あなたはさして気づく様子もなく、狐面とともに力強く宣言する。
「……する!」その力強さに、小傘はしゃっくりのように体を震わせる。「わたしから大事なものを奪っていったのだ……多分、それは間違いないはずだ!」
般若の面を被り、そう主張すると小傘は再び笑顔を浮かべる。
「そう……探し物のことは忘れているけど、探さなきゃいけないとは思ってる。するとそれはきっととても大事なものだよ。どうして忘れてしまったのかは分からないけれど」
あなたは大きく頷く。猿の面を被っているから理由が分からなくて困っているんだろう。
「どちらにしても忘れ物はちゃんと探さなきゃいけないよ。たまにいるんだよね、見つからないといって諦めちゃうのが。うっかり忘れるのは仕方ないけれど、ちゃんと探してやらないのは許せない。ものをなくして探す努力をしない奴らなんてみんな殺すべきだよ」
小傘の笑みがより深くなる。それでようやくあなたは相手の異常さと怖さに気付いたようだ。顔の面が狐のものに変わっているから真剣に対処すべきだと考えているに違いない。
「まあ、そんなことは滅多に無いんだけどね。それに殺してもお腹は膨らまないから散々脅しつけるだけ。お腹が一杯になったら大抵の怒りやいらいらは収まるから。こころちゃんも覚えておくといいよ」
「……お祭りで殺すのは駄目。みんなが楽しめなくなる」
「それくらい分かってるし、さっきも言ったけど死んだら驚かすことができなくなるから」
あなたは能面とともに頷く。
「でもなくしものが何か分からないなくしものかあ。親分だったら知ってるのかな?」
「親分? お前の上に誰かいるのか?」
「うん。最近さ、わたしたちのような妖怪の地位向上に動いてくれる妖怪が現れたんだ……といっても知り合いなんだけどね。そういうわけでさ、わたしは親分との連絡役にもなってるの。頼りになるし、何でもよく知ってるし、楽しい狸囃子に招いてくれるのよ」
「それだ!」あなたは狐面とともに小傘に詰め寄る。「その親分というのは二ッ岩マミゾウという化狸ではないのか?」
「そうだけど、知り合いか何か?」
「以前、世話になった。実を言えばわたしは彼女に相談するつもりだったのだ。しかしどこへ行けば会えるのかが分からない」
「ふむん……それならば今夜、狸たちの集まりがあるから案内するよ。人間を驚かせる機会を与えてくれたお礼ということもあるし、何しろわたしはこころちゃんの先輩だから。困っている後輩を見過ごせないでなあ」
わははと笑い、えへんと胸を張る小傘に先程までの凶暴な色はない。
「よろしくお願いします、小傘先輩」
あなたは笑みの面を被り、小傘をじっと見やる。少々どじで粗忽だけど、頼りになる先輩という人形の言葉はどうやら嘘ではなさそうだった。
「任せてくれたまえよ、後輩!」
小傘の喜びように、付喪神たちがやいのやいのと反応する。あなたは猿面を被っているからそのはしゃぎように少し困ってしまったのだろう。だがこれで目的地に辿り着けるかと思ったのか、無表情の中にもほっとしているようだ。
もしかしたらあなたはそこで、見つけられないものを見つけられるかもしれない。
でも何か分からないものなんて、一体あなたは何を探しているんだろうね。