どうして、こんなことになったのだろうか?
現在、俺の頭を占めるのはただそれだけだった。
水瀬家の台所、あるのは大皿に大量に盛られたたい焼きと肉まん。
前が見えないほどのそれらは、美味しそうな匂いを発している筈だ。
筈だというのは、その圧倒的な量が俺の主観を侵食しているからで……。
人間というのは本能的に、感じたくないと思うものを遮断できるようになっている。
数えるのも嫌なほどのこれらを作ったのはダイニングの端にたち、
にこにことその様子を眺めている秋子さんだ。
というか、こういうことは止めるのが大人の責任だと俺は思うのだが……。
テーブルを挟んでは、二人の少女が火花を散らしている。
うぐぅとあうーっだ。二つ名でで言うならば、あゆあゆと殺村凶子だ。
本名は……皆、知っているだろうから説明は割愛。
そしてこの俺が相沢祐一、三国一のナイスガイって訳だ。
今日は俺の魅力を一日掛けて語り明かそうと……。
気が付くと、俺は一身の蔑視を浴びていた。
「祐一くん、君はこの勝負にそんな適当な気概で挑もうって言うんだね」
あゆ……何だかいつものお前じゃないぞ。
何故か言葉使いから、幼さなどのアビリティが抜けている。
「変なことを言ったら、殺すわよ」
真琴が強烈な視線を俺に送る。
それはいつもの情けない真琴からは考えられない程の殺気を放っていた。
いや、それよりもだ……。
「秋子さん、俺、いつから声に出してましたか?」
秋子さんは華麗な微笑を浮かべながら、あっさりと答えてみせた。
「三国一の……からです」
一番恥ずかしいところだった……。
俺は全て無かったことにして、目の前の争いの傍観に勤める。
というか、止める気力さえ失せていた。
目の前の二人、真琴とあゆと言えば山盛りの食べ物越しに火花を散らしあっている。
ルビィの如き紅き瞳と、ブルーマリンにも似た薄藍色の瞳が、狂気の色に煌いていた。
それはまるで有識の格闘家が因縁の勝負を交わすが如き高潔なる……。
訂正。トムとジェリィが食物連鎖の掟に従って争う時の如く貪欲なる火花だ。
それで、いつもは貪欲なる友が、いかにしてあい入れぬ存在になったかといえば……。
それには一時間ほど時を遡って話を進めなければならない。
あれは手を触れずに動き出す人形を用いた人形劇を、真琴が糞味噌に批判し、
大道芸師の目の光を根こそぎ奪った直後だった……。
俺には才能が無いのだ、死んでやると叫んでいるその人物を全くの無碍にして、
真琴は近くのコンビニで肉まんを買いこんだ。十個はあっただろうか?
最近は季節感など無きに等しいことを、俺は改めて痛感する。
なんてことはこれぽっちも思わなかったのだが、ふと殺気がして飛びのくとあゆが倒れていた。
ということで、俺はあゆを無視してその場から静かに立ち去ろうとしたが、
うぐぅと叫ぶその物体Xは俺の努力を完全に無として、服をわっしと掴む。
反対側の手には、袋一杯のたい焼きが抱えられている。
この町に季節感はないのかと叫びたく……などなりはしなかったが、
取りあえずあゆを適当にあしらうことにした。
「なんだ、あゆ……また食い逃げして来たのか?」 俺は即座に尋ねた。
「うぐぅ……そんな子供っぽいことしないもん」 本気で言っているのだろうか?
「ボクは健康優良児だからね……グリコ牛乳を毎日飲んでるんだよっ」
本気だった。しかもグリコ牛乳とは何だろう?
もしかして、子供が時代劇の人物に扮して怪しいことをするCMシリーズで有名な、
グリコ子供牛乳なのか? と聞こうとしたが、もし違っていたら「ボク、子供じゃないもん」と
反論されること必死なので黙っておくことにした。
「たい焼き美味しいよ、はむはむ」
あゆはいつのまにか、たい焼きを口にしていた。
しかし、片手は俺の服を掴み、片手は袋を持っている状態でどうやって?
たい焼きが美味しいことより、そのことが余程謎だ。
「あゆは本当にたい焼きが好きだな」 ありきたりな台詞を俺は吐く。
「うん。たい焼きはお手軽ファーストフードの女王だよ」
あゆはえっへんと胸を張る。胸を張っても余り強調されないのはやはり幼児体型だと思いつつも、
それを口にすると「ボク、子供じゃないもん」と反論されること必死なので黙っておくことにした。
「なんですって?」 真琴の声が背後からする。
「お手軽ファーストフードの女王と言ったら、肉まんに決まってるじゃないの!!」
真琴がわなわなと体を震わせて、あゆを睨んでいる。
余りの衝撃の強さに、買ったばかりの肉まんを落としていた。
俺は真琴の衝撃よりも落とした肉まんが勿体無いと思ったが、
それを口にすると真琴の攻撃を受けるだろうと思い、黙っていた。
この場は脇役に徹した方が、とばっちりが少ないと判断する。
「何を言ってるの……たい焼きだよたい焼き。甘くてお手軽、美味しいの三段変形だよ」
たい焼きは変形などしないが、それを言うと(以下略)
「寝言は寝て言ってよね。たい焼きなんてマイナなの……今は肉まんの天下なのよっ」
「うぐぅーっ!!」
「あうーっ!!」
二人は顔を思いきり接近させ、まるで野良犬の威嚇合戦の如く唸っていたが、
やがて迷惑なことに俺の方に意見を求めにやってきた。
「祐一。やっぱりお手軽気軽と言えば肉まんだよね」
「祐一くん、たい焼きの方が美味しいよね」
詰め寄られる俺。
この時ほど、この場から逃げ出したいと思ったことはなかったが、
ここで逃げると真琴は悪戯を以って俺に攻撃を仕掛けてくるだろう。
あゆはあゆで、俺をたい焼き泥棒の主犯にでっちあげようと画策してくるに違いない。
考えただけでも寒気がする。
しかし、片方を立てれば片方が立たない……板挟みだ。
「やーね、女の子二人に詰め寄られて……」
「二股掛けてたのよ、きっと。男の敵ね」
というか、俺の名誉を傷つけるであろう、著しい誤解がこの世に生まれつつあった。
いや、既に生まれていた。このままでは、この噂は町中に広まり、
『祐一さん、家から追放』などと秋子さんからあっさり言われちゃったりしかねない。
俺はこの場を凌ごうとして、思わず適当なことを言った。
「えっとだな……そうだ、やはり沢山食べられる方が美味しいんじゃないかな?」
「了承」 後ろから声がする。
そこには買い物籠を持った秋子さんが気配を殺して立っていた。
というか気配くらいさせてください、秋子さん……。
ファーストフード王決定戦
〜The First Queen Of The First Food〜
というわけで、水瀬家発ファーストフード王決定大食い選手戦が行われることとなった。
というか、何故一時間でお皿に山盛りのたい焼きと肉まんが並んだのだろうか?
俺はこんな馬鹿らしい勝負よりそっちの方が余計に気になった。
しかし、俺が聞いたら秋子さんは絶対にこう答えるのだろう。
『簡単なことよ』 と。
……作品が違う。
『企業秘密です』 だな……。
「それではあゆちゃんVS真琴、フードファイト、レディ・ゴー」
物語は主人公である、俺の知らぬところでかってに進む……。
というか秋子さん、フードファイトって何ですか?
それより、指パッチンに意味はあるんですか?
しかも、何で指パッチンで空間が断裂するんですか?
貴方はもしかして十傑衆ですか?
そのような疑問を内包しつつ、麗しき(或いは馬鹿馬鹿しき)戦いの火蓋は切って落とされた。
「あゆが食う。真琴もそれに負けじと肉まんをほうばる。両者、一心不乱に食らう、食らう、
食らうーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「祐一くん、黙ってて!!」
「祐一、静かにしてよっ!!」
ちょっとばかし場を和ませようとした俺のウイットは、しかし二人にとってはガソリンの如く、
勝負の火を強める以外の何ら効果を与えはしなかった。
俺は一心不乱に食物を糧とする少女たちを眺めていた。
というか、年頃の乙女のすることではない。
何かが間違っていると思いながら、俺はその光景を見守るしかできなかった。
両者、吐いて倒れるなんてヤバイオチにはなるなよと願いながら。
例のジャム入りのタネが入っているなんてベタなオチではありませんようにと。
俺は何かに向けて祈った。
(この途中、食事シーンが三十分ほど続きますが、そんな描写されたって確実に暇でしょうから、
割愛します。食ったのさ、ああ、食ったのさ!!)
祈りは通じなかった……。
皿を空にした代償は余りに大きく、あゆも真琴もテーブルに突っ伏してぐったりとしていた。
その横で秋子さんが 「あらあら引き分けですか」 と無邪気に言っている。
しかし、俺はその直後にひっそりと呟かれた言葉を聞き逃さなかった。
「……これで、おでん種に丁度良いですね、ふふふ」
俺は聞くべきだろうか? その言葉の真意を。
というか全て計画どおり? だとしたら、恐ろしい布陣だと思う。
恐ろし過ぎて、うぐぅの音すら出なかった。
「じゃあ祐一さん、私は後片付けをしますので」
その後片付けとはテーブルに残った皿ですか?
それともテーブルに横たわるうぐぅとあうーっですか?
そんなこと……絶対に聞けやしなかった。
夜。
俺は真琴と、結局泊まることになったあゆを徹夜で看病していた。
いや、看病を口実にして見張りをしていた。
というか、目が覚めたら二人が消えたなんてことがあったら恐過ぎる。
夜中に二度ほど廊下に足音が聞こえたが……。
きっと名雪の足音だろう、きっと名雪の足音だろう。
俺は擦り込み学習の如く、自分に言い聞かせた。
俺がこの勝負から得たことは、一睡もせずに見る朝日は目に染みるほど美しい、
それだけだった……。
その光景に男泣きをしながら、俺は思わず呟いた。
「明日の朝日は拝めるかな……」
水瀬家は今日も危険が一杯だ。
終わり?
後書きという名の言い訳
30303打を踏んだ富山敬さんのリクエストしたのはあゆと真琴の壊れ系……、
の筈だったのですが、気が付くとこういう話になってました、すいません。
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