−−−−−−−エピローグ−−−−−−−−

ぼんやりとしたまま形を為さずに攪拌する春の木漏れ日は、特別神聖でもなんでもなく、香里の躯を物理的に照らし暖めている。
ただそれだけのこと。

「へえ? 面白い話だな香里」
眼前には北川がいる。
クラス会なんてものに、何となく参加して、実りのないまま帰ろうとしたところを呼びとめられた。

ここ数年で人との付き合いは随分巧く、いや狡猾になっていた。
それを疎ましく忌む青臭さという余裕は、ここ数年の香里には縁のないものだったと思う。

あの日、祐一達が消えた瞬間。
香里は自分でも驚いたのだが、強く抵抗し祐一達の記憶をそのままに留めた。

しかし、香里以外の人間は、祐一を含め名雪と秋子の三人を、あたかも最初から存在していなかったように忘れてしまっていた。
水瀬家の近隣の住人は、突如出現したゴーストハウス……それなのにまるで昨日まで誰かが生活していた翳を残す……に驚嘆し、現代のミステリーとして話題になったこともあったが、その記憶自体も随分薄れた。

今は市が管理するサラ地になってしまっていて、香里は恐れるように自然その道を避けるようになっていた。

「ねえ、北川君聞いてくれる?」
「え? いいけど何?」
「……私、好きな人がいたのよ。その人を知ったときからその人だけをずっと想っていた」

北川は先を越されたように、間の抜けた顔のまま引きつらせて、

「……へ?」
「でもその人の心の中には、常にある人がいたのよ。
そして私は生まれて初めて失恋を知った。
だけど私、やっぱりその人を諦めることはできなかった。
側で見ているだけでいい、なんて健気な気持ちにもなったりね。

……なのにね。その人は今度こそ本当にいなくなってしまったの。
その時こそ諦めようとしてね、今までずっと伸ばしていた髪の毛を切ったわ。意外と古風よね、私。

そうしたら、今度はまたあの人が現れた。
現金なものよね。願掛けと称して髪を伸ばしてみたり……。
ふふ……。……でもね、やっぱり消えちゃった……」

北川は哀れなくらい肩を落として、下目使いで香里の表情を窺うばかり。

「……ごめんね。こんな変な話をして。
友達だからって頼りすぎちゃダメね」

香里は自嘲気味の笑みをこぼし、すっと口元を拭う。

……ねえ、私は覚えているのよ。
みんな忘れてしまったけど。
でも貴方達がいた証拠だってちゃんとあるのよ。
あの人と撮った写真。

あの結婚式のとき、私の言葉は、そのまま自分の咎の罪状を読み上げたに過ぎなかった。

私……今でも………すき………なのよね……

この数年間、鎖していた言葉。
忘れようとしていた言葉。
でもやっぱり……。

だから、数年ぶりに言葉にしてみる。

……好きよ………………名雪……………

秋子さんを名雪と重ねて見ていたのは、私。
秋子さんが名雪になった日、私の心はみっともないくらいに、浮ついて弾んでいた。

でも相沢君は秋子さんを見ていたのよね。
始めから私に勝ち目なんてなかったんだわ……。

香里は我に帰り、北川へと目を見遣ると、北川は疲れ果てたようにげんなりとして萎れていた。

……どうしたのかしら?
私何か北川君にひどい事言ったのかしら……
まあ、まさか北川君が私に気があるってわけじゃあないと思うけど。

北川君ってわりとモテそうだし。母性本能をくすぐるタイプよね。
それに本人は、おしとやかな女の子が好きそうだし。
もしくはマザコンタイプ、どちらかよね、くす。

無性に可笑しくなって、無防備な……実に数年ぶりの……笑みを顕わにしていた。
北川はそんな香里に目を奪われて、動揺を隠そうと必死で別のことを頭に浮かべようとしている。

…店内に流れていた曲が、流行のポップスから、カーペンターズのイエスタデイ・ワンス・モアに切り替わって、香里は眉を顰める。
「…ちゃちな演出ね」
でも悪くないとも思う。

だから口ずさんでみる。
あのめくるめく日の想い出も、あの人への想いも、全て一緒くたにして。
さあ……!



…All my best memories

Come back clearly to me

Some can even make me cry

Just like before

It’s yesterday once more………


(了)

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