わたしは木山さんに、出来うる限りの全てを語った。コルルとの出会い、悲しそうな瞳、苦しそうな姿を見て、どうしても守ってあげなくてはいけなければと思った。そしてみるみるうちに、彼女はわたしの心の大きな部分を占めるようになっていく。長らく忘れていた幸せという言葉を、久しぶりに思い出した。とても、心地良かった。

 そして、わたしの不注意より発覚したコルルの正体のこと。暴走、そしてガッシュという電撃を出す魔物との戦い。彼は思いやりのある魔物だったので、行き着くところまで行かずに和解することができた。しかしコルルは戦いを厭い、わたしを案じ、消滅に身を委ねてしまった。己の弱さゆえコルルを守りきれず、また一人になってしまったこと。泣きそうになる自分を必死に堪えて、わたしは決然と話すことに務める。でも、全てを終えた時、視界は霧がかかったように真っ白で不明瞭だった。コルルとの想い出は、いつだってこんなにもわたしを苛む。

 木山さんは、わたしの頭をそっと抱きしめてくれた。今わたしは一人じゃない。同じ気持ちを共有できる女性がいる。思う存分受け止めてくれる。でも、わたしは……彼女に寄りかかることができなかった。

「ごめんなさい」優しくしてくれているのに。いや、優しくしてくれているからこそ、わたしも正直に言わなければいけない。「でも、他の女の人の温もりを感じるのは、今は辛い……辛いんです」

「そっか」

 木山さんは少し残念そうに呟き、体を離す。その仕草は先程と変わらず温かくも優しげで、だからこそ余計に苦しかった。彼女がもっと冷たい人間だったら良かったのに。でも、もしそうだとしたらわたしはここにいないだろう。

 なんてままならないのだろう、と思った。そして、このままならなさ、わたしの至らなさゆえに、誰も彼をも傷つけている。思わず拳を握り締め、叩き付けどころを模索する。そんなわたしを諌めるよう、木山さんの声が静かに部屋を震わせた。

「良いよ」木山さんは真面目な中に一欠けらの恩情を含め、わたしに言った。「君は、強くなくても良いんだ。そんなに急いで、強くなろうと思わなくて良いんだ。少しずつ、ゆっくりと進んでいけば良い。君の知っているガッシュや清麿は、そうやって強くなってきた。そして、強くなっていこうとしている」

 まるで、彼らを知っているような木山さんの言い草に、わたしは首を傾げる。

「どうして、そんなことが言えるんですか?」

 わたしの発した小さな疑問に答えるため、木山さんは耳元にそっと声をもらした。

「何故なら、清麿もガッシュも、あたしの友達だからさ」

 

 

4 やくそくのほし

 ようやく驚きより解放され、わたしは大きな溜息を吐いていた。世の中には、こういう偶然もあるのだ。いや、もしかしたら偶然よりはもう少し必然性の高い事象により結び付けられたのかもしれない。以前、人格の変貌したコルルが魔物同士の戦いを運命と言っていた。彼らは、互いに惹きあう性質を持っているのだ。ならば、魔物に関わった者同士がこうして引き寄せられることも、有り得るのではないだろうか。単なる偶然かもしれないが、でもわたしは少しだけの必然を信じたかった。木山さんを通して、ほんの少しでもコルルの痕跡を感じることができるから。あの娘が短い間でも確かに、ここにいたと忘れないために。

「しおりさん、と呼んで良いかな?」

 わたしはこくりと肯き、彼女の目を見る。その表情には先程よりも、親しみのこもったものが感じられる。木山さんも、わたしと同じものを信じている。言葉にして出されることはなかったけど、わたしにはそれがよく分かった。

「ガッシュとも、いつかは別れなければいけない時が、来るのかな?」

 それは、余りに答え辛い質問だった。少なくとも、コルルの消えるところを目の当たりにした人間からすれば。

「あたしはあの子が好きなんだ。こんな、人間が沢山住む訳の分からない土地で、魔物同士の戦いを全身に秘めながら、いつも明るく楽しく生きている」そして、雄雄しく強く生きている。わたしはそう、心の中で付け加える。「そんな彼でも、戦いに勝ち残れなければ、明日にも消えてしまうんだよ。それは悲しいな、何だか悲しいよ」

「そうですね」そして、もし勝ち残ったとしても、いつかは別れなければならないんだろう。人間と同じ時を過ごすことの出来ない存在、それはわたしに限らず、根底でとても悲しいものだと思う。「だから、二人はコルルに誓ってくれたんです」

 優しい王様。それは戦いだらけの世界において、とても矛盾しているもののような気がする。その優しさは、時として彼を傷つけてしまうだろう。悔しさに打ちひしがれることもある道だ。

「あたしはね、いつもガッシュに何かすることがあるんじゃないかって、思ってた。友達でいるだけじゃない、もっと特別なことをしてやる必要があるんじゃないかと。それが、しおりさんの話を聞いて分かったんだ。どうすれば、良いのか」

 わたしは黙って、木山さんの言葉を待つ。

「いつも通りで良いんだな」彼女は、確信を込めて言葉を紡いだ。「わたしはいつものように、ガッシュと友達でいてやれば良いんだ」

 いつも通り。その言葉は、わたしの心に強く突き刺さる。コルルといた間、ほんの少しだけでも、わたしはわたしであるように彼女と接することができた。それがとても良いものだと、わたしは初めて確信を持ち、信じることができたのだ。

「ええ、わたしも、そう思います」

 万感の想いを込めた言葉は、ゆっくりと部屋の中を満たしていく。

 多分この時、わたしの中にあるひびの入った頑なな壁は、壊れてしまったのだと思う。

 とても、悲しい別れだった。

 でも、彼女との日常はなんら、後悔するものでなかったのだ。

 わたしは木山さんの会話と、その事実に、ほんの少しだけ救われたような気がした。

 

 結局、夕方まで医務室で休ませて貰った。医務の先生は少し不審な顔をしていたけど、今度だけですからねと、何も訊かず傷口に適切な処置をしてくれた。そのためか、気分も熱も少しだけ落ち着き、自力で歩いて帰れるくらいには回復した。木山さんは送って行こうかと言ってくれたけど、わたしは断った。まだ仕事が残っているらしかったし、邪魔しては悪いと思ったのだ。

「また、何かあったらいつでも訪ねて来て良いよ」そして、わたしの手を強く握り、こう付け加えた。「勿論、何がなくても来てくれて構わないから」

「ええ。それと貸してくれた服は、洗って返しますから」

 植物園の作業用ジャージは夕日にすら少し蒸し暑かったけど、数百メートルを歩いて帰るだけだし、わたしには十分すぎるものだった。木山さんは、手を放して一言。「うん、風邪が治ったらね、待ってるよ」

 わたしは最後に「また、来ます」と挨拶をして、植物園を後にした。なんだか、心が落ち着いている。まだ、少しだけ頭がふらふらしているけど、しっかりと歩けている。

 でも、わたしの安寧は長く続かなかった。

 お母さんが、玄関に立っていたのだ。

「あ、その……」

 わたしは何か言おうとした。酷いことを言ってごめんなさい? それとも、困らせてごめんなさい? でも、どうしてもそれらの言葉を口に出すことができなかった。怖くて、涙が出そうで、半ば逃げ出そうと思ったくらいだ。

 お母さんは時計をちらと見て、言った。

「私はこれからまた、会社に向かうから。しおりは部屋でゆっくりと休んでなさい」

 それだけを厳しく告げると、お母さんはぱりっとしたスーツ姿で出かけていった。わたしの中からは、先程までの明るい気持ちが吹き飛んでしまっていた。やっぱり、話しても何も分かってくれない。お母さんは、わたしのことを何の気もかけてくれなかった。傷つけてすら、何も変わらなかったのだ。わたしにはどうしようもできない。

 泣きたくなった。少しでも何かが変わると思った自分が悔しくて、コルルがいなくても大丈夫だと思った自分が滑稽で、わたしは打ちひしがれた。そのまま家の中に入り、リビングに腰掛ける。そこにはパジャマの替えが畳んでおいてあり、わたしは無意識に袖を通す。と、そこでようやく、パジャマを用意してくれたのだがお母さんだったのに、気付いた。疑問に思うわたしの鼻を、香ばしい匂いが満たす。匂いは台所から伸びてくるようだった。

 そこにはこじんまりとした鍋に入った雑炊と、吸い物が用意してあった。そして何より、ダイニングにあるホワイトボードの言葉を見て、わたしは思わず立ち尽くした。

『ごめんなさい』

 たどたどしく書かれた六文字は、どれだけお母さんが狼狽していたかを示していた。わたしが酷いことを言ったらただ平手打ちをするだけで。お互いの熱が冷めてさえ何も言えず、ただ冷たい顔でぶっきらぼうと受け流すことしかできなかった。わたしは全てを、お母さんの冷たさとしか考えていなかった。

 違ったのだ。

 お互いに何を言ったら良いのか分からないほど、お互いに何も話さないできた。家族だと想いあってきても、どうして良いか分からないくらい、お互いを断絶してきただけだった。絆は、絆だけはまだ、強く生きている。

 コルルは、正しかった。あとは、言葉にして口にするだけで良かったのだ。傷つけないように、相手を貶めないように、ただ一言。思いのたけを打ち明けるだけで、十分だった。わたしがコルルにしたよう、すれば良かったのだ。

 わたしはようやく、本当の意味で気付くことができた。それはわたしの心に、小さな決意を生んだ。

 お母さんが帰ってきたら、今度こそ自分の気持ちを話してみよう。心をきちんと言葉にして、お母さんやお父さんに伝えよう。コルルや木山さんに話したよう、無様に涙を流しても良いから、最後まできちんと形にしよう。そして……コルルのことも話そうと思った。とても短い間だけわたしと一緒に暮らした少女。そのことを最初から最後まで話そう。

 信じて、くれるだろうか?

 それはまだ、分からない。信じてくれるかもしれないし、頭ごなしに否定されて、酷い喧嘩になるかもしれない。でも、言葉にすることが大事だと思うから。わたしはできるだけの精一杯をぶつけてみよう。

 少しでもコルルの思ってくれたわたしになるために。

 わたしは背筋を伸ばし、前を向いて歩こうと思う。

 前を向いて歩こうと、思うんだ。

 

 

  [Goodbye my dear] is overed.

PREV | INDEX | NEXT 】