少女と少女と少女の偽・サンプル

 ロクに抵抗することもできないまま、魔理沙の姿をした霊夢はあっという間に、魔法の森の一角に建つアリスの家へと連れてこられ、ぞんざいに地面へと投げ出された。

 ホバリングと共に姿勢を安定させようとして、しかしそのための力が体中に行き渡らず、霊夢はしたたかに尻を打つ。咄嗟に力を振り出すことすらできない自分がいよいよもって惨めに思え、しかし無様に倒れているのが何とも気に入らず、霊夢は素早く体を起こそうとする。そこに柔らかくも繊細な手が差し伸べられ、思わず上を向くと半ば呆れた表情のアリスがすぐ側に立っている。

「全く、何やってんのよ。いつもの魔理沙なら後方二回転くらい余裕綽々でやってのけそうなのに」そんなアリスの言葉が霊夢にはどことなく気に入らなくて、だから差し伸べられた手を半ば無視するようにすっくと立ち上がる。アリスは一瞬鼻白んだ様子だったが、すぐに鋭く睨みつけてきた。「空飛んでる時も力抜きっぱなしだったし。別に箒がなくても空くらい飛べるはずよね? どっか体調が悪いの? それとも……」

 そこでアリスは声の調子を一つ落とし、溜息のように訊ねてくる。

「人形の手入れをするのがそんなに嫌?」

 その口調はわざとらしいくらいに無機質で。だから霊夢は、アリスがそれだけは肯定されたくないのだと、痛いくらいに分かった。そしてこの場を切り抜けるには、彼女の機嫌を取らなければいけない。

「そ、そんなことはないわよ、なんだぜ!」霊夢は自分の口調を出そうとして咄嗟に魔理沙のそれに切り替え、それからわざとらしく親指を立てた。「力を抜いていたのはアリスの飛行能力を信じていたからだし、それに……」

 何か気の利いた言葉を見つけようとして、アリスの「もう良いわ」という呆れ含みの声に遮られる。

「どうせ読書か何かに興が乗って徹夜したんでしょ? 目の周りとか肌の調子とか髪の艶とか見ればそれはうんざりするほどよく分かるから。神社で怒って見せたのだって別に本気でも何でもないんだし」

 霊夢が魔理沙の姿で少しだけ申し訳なさそうにすると、アリスはどこからか人形を取り出し、自分の肩にちょこんと乗せる。何らかの手段で繰っているのだとは思うのだけれど、力が上手く使えないせいなのかアリスの操術が巧みなのか、霊夢にはその方法がさっぱり分からない。そんな戸惑いが顔に出たのかアリスは満足そうに人形を引っ込めた。

「でもね、分かってると思うけれどわたしは人形遣い。人形のことで不誠実な態度を取られると、少しばかりくさくさした気持ちになっても仕方ないじゃない?」

 アリスの問いかけに、霊夢は「そうね、悪かったわ」と、自分でも驚くくらい素直に言葉を返すことができた。するとアリスは怪訝そうに、しかし少しだけ機嫌良さそうに、魔理沙を視線に絡めてくる。

「今日は随分としおらしいのねえ。いつもなら散々、口を回してから最後に仕方なく謝るのに」

 そんなアリスの言葉に、霊夢はもう少し気をつけなければと胸中に言い聞かせながら、腕を頭の後ろで組んだ。

「悪いと思ってるのは確かだし、それに人形の手入れは時間がかかるんだろ?」

 空を見ると太陽は神社にいた頃より少しだけ西のほうに傾いていた。

「そうね、手入れはおいおいとして太陽は待ってくれないから。まずはきりきりと動きましょう」

 アリスはそう言うと、いつもの冷静な彼女にしてみれば少しだけ浮ついた様子で玄関のドアを開け、屋内を歩きながら霊夢にこれからやることをかいつまんで教えてくれた。

「一年に何度か、地下にしまってある人形を出して一斉に手入れ、陰干しするの。そうしないと埃やら黴やら虫やらで人形が傷んでしまうから」アリスがどれくらいの人形を蔵しているかは分からないが、十や二十できかないことは彼女の口調からもうっすらと分かる。「今年は気候が安定しなかったから、出すのは半年ぶりになるかしら。少し傷んでいるものもあるから注意して頂戴」

「了解したぜ」霊夢が胸を張ってそう言うと、アリスは床の窪みに手を入れ、廊下の床の一部を持ち上げる。うっすらと埃混じりの靄が立ち、僅かに差し込む光がほんのりと地下室への階段を照らす。「明かりがないけど良いのか?」

 アリスは目をぱちくりさせ、やる気があるんだかないんだかと呟いてから、ランプを抱えた人形を呼び出す。おそらく魔力で火を灯すと、人形は先導するように地下室へと入っていく。

「さあ、早くしないと白兎に置いていかれるわよ」

 白兎とは何ぞやと訊ねたかったけれど、おそらく魔理沙には通じる符牒なのだと思い、何も問うことはせず。人形なんて軽いものだからちゃっちゃと運び出してしまおう。霊夢はそんな甘い気持ちを抱きながら、無言のまま地下室への階段を下っていく。

 

 一時間後、そのような安堵はものの見事に吹き飛ばされ、霊夢はままならぬ体でぜいぜいと息をし、地面の上にへたり込んでいた。

「あらあら、魔理沙ったら情けないのねえ」

 霊夢と同じくらい動いていたというのに息一つ切らさぬまま、アリスがくすくす笑いを漏らす。

「そんなこと、言わないで、欲しい」

 霊夢は思わず言い返してから、木陰にずらりと並ぶござと、その上に乗せられた人形たちをうんざりするように眺め回す。途中から数えるのをやめたけれど、百は間違いなく超えているだろう。寝不足のせいか気の散りそうになる頭を必死で整え、おそらく同じ理由でじくじくと痛むお腹に耐えながら、間を置かず一気に運び出したのだ。

 それでもアリスがいつも使役しているサイズの人形だけならば、ここまで疲れたりはしなかったはずだ。しかしアリスの埋蔵していた人形の中には仰々しい絡繰の満載された、人間の数倍もするような重さのものまであり、力を満足に使えない霊夢にとって人形運びは一仕事どころの代物ではなかった。

 魔法使いのくせにきちんと体を鍛えているようだから何とかなったけれど。そんなことを胸中に呟きながら息を整えていると、アリスが上質そうな鳥の羽でできた埃払いを容赦なく霊夢に突きつけてくる。

「わたしは特別な手入れの必要なものを担当するから、魔理沙はそれ以外の人形から埃を落として頂戴」

 休みを与えないのは日頃の鬱憤を晴らそうとしているからなのか、それともいつもの魔理沙ならばこれくらいで疲れたりしないのか。へとへとの体に鞭打って強がるべきなのか、それとも休みを欲しいと素直にねだるべきなのか。嫌になるくらい一緒にいたというのに霊夢にはその辺りの匙加減があまりよく分からなかった。普段から他人に興味がないと言われ続け、半ば不服の気持ちを込めてそんなことないと返してきた霊夢にとって、この事実は僅かながら胸にくるものがあった。

 そう言えばと、霊夢は少し前の宴会で、魔理沙が早苗にぽつりとこぼしていたことを思い出す。魔理沙は覚えていないか、あるいは聞こえていなかったと思っているらしいが、霊夢はその一言を聞き漏らしてはいなかった。

『あいつは不必要なまでに感じなさすぎるところがある』

 そのときは甲斐のない奴だと思っていたけれど。少し腹立たしいと思ったけれど。魔理沙のように奔放ではなくて、いつも器の中に収まっていなければならない自分にはこれくらいが丁度良いと、手前味噌に納得したのだ。でもそんなこと全然無くて、単なる独り善がりな結論に過ぎなかったのだろうか。

 いくつもの思いが強い感情を伴って表面に立ち上がりかけ、しかしありがたいことにアリスの声が耳に届き、霊夢はそれらを散らすことができた。

 そんなことも露知らず、アリスははたと閃き顔を浮かべ、霊夢に歩を寄せてきた。

「どうしたの、ぼんやりとして。まさか本当に疲れてるわけじゃないんでしょ?」

「お、おう、もちろんだとも。任せてくれたまえ」

 アリスは少し不審そうに魔理沙の姿をした霊夢を見やってから、わざとらしく息をつき、持ち場に戻っていった。霊夢はあまり怪しい素振りを見せたらいけないと心中に言い聞かせ、アリスからつかず離れずの所にある人形の一群に向かっていった。

 その最中に人形をざっと見回してみたのだが、派手に埃を被っていたり、傷んでいたりするものは一つもないよう見受けられた。年に数度とアリスは言っていたけれど、それ以外にもちょくちょく地下室に入っては人形たちの手入れをしているのかもしれない。こうして外に出してやるのは閉めっぱなしの部屋が湿気で傷むように、室内に保管されているだけの人形も同じ理由で傷んでしまうからなのだろう。霊夢は人形の手入れに没頭し始めたアリスを横目でちらと見てから、並べられた人形を一つずつ、丁寧に埃払いをかけていく。

 そうしてどれだけの人形に手入れを施しただろうか。既に数を数えることさえ放棄し、作業がいよいよ無機的になりだした頃、霊夢の視界に場違い感のある人形が入ってきた。

 これまで埃払いをかけてきた人形は出来映えに多少の差があるものの、アリスがいつも使役している類のものと比べても遜色のない精巧さを十分に持ち合わせていた。しかし霊夢の目についたそれは、明らかに出来映えの劣る代物であった。

 服の白地の部分は丁寧に扱っているだろうにも関わらず色がつき始めており、縫製にもどこか粗が目立つ。単純作業とはいえ、ずっと腕を動かしていれば怠くもなってくる――そう言い訳してから霊夢は地面に腰掛け、その古びた人形をしげしげと見つめる。

 生糸を一本ずつ植え付けていったのだろう、白髪の人工毛は人間そのもののように見え、しかし糊材の塗布が均一でなかったためか、でこぼこしている部分が少しだけ目立つ。目の色や肌の着色も全体的に甘く、そもそも型の取り方が良くなかったのか、どことなく歪な感じがする。人形遣いの所蔵するものとしてはどことなくお粗末な、もっと厳しい表現をすれば明らかな失敗品であると霊夢は思った。

「あら、魔理沙ったらその人形に興味を持ったの?」

 しげしげと眺めていたためか、霊夢はアリスの声に気づけず、肩を震わせてしまった。自分の体ならばこんな無様なことしないと思いながら後ろをを向くと、アリスはどことなく懐かしげな表情を浮かべていた。

「いや、アリスの作った人形にしては、なんというか……」

「創りが粗い?」霊夢が上を向いたまま頷くと、アリスは人形をひょいと奪い取り、くすくすと笑いながら霊夢の隣に座る。「そうね、今の自分からみれば酷い出来だと思うわ。実際、同じくらいのときに創ったものは一つも残ってないから早々に処分するなりしちゃったんでしょうね」

 どこか他人事なのは、アリスにとって十分に昔の出来事だからなのだろう。妖怪は人間に比べると遙かに長生で知識も豊富だが、一方で過去のことを曖昧にしか記憶していない場合が多々ある。その例外の一つである隙間妖怪によると『人間が六十年ほどで死ぬように、妖怪も六十年ほどで異種同様の事象が起こるのよ』とのことらしい。四季の花が六十年に一度、一斉開花することと関係があるらしいとは容易に検討がついたものの、どうしてそのような現象が妖怪に起きるのか訊ねてみても『さっぱり分からない』とのことだった。

 霊夢に分かるのはアリスがこれまでに最低でも一度以上、六十年を迎えているということだけだ。アリスにもそれは分かっているのか、まるで人形に訊ねるような視線と表情をはたと向ける。

「どうしてなのかしらね。いつも処分しようと思っているのに、何故だかちゃっかり棚に収まってるのよ。そういう人形は他にもあって、例えばあの絡繰人形もそうだし」そう言ってアリスはギミックの塊が剥き出しになった人形を指さす。その隣には和の装いをした等身大の人形がいくつか、中身が霊夢な魔理沙の膝ほどの大きさを持つ懸糸傀儡がいくつか。「白兎に公爵夫人、三月兎に気違い帽子屋、トランプの兵隊たち、ハートのクイーン、ハートのキング――不思議の国のアリスでも演じたかったのかしら」

 苦笑気味に白髪の人形に語りかけるアリスを見て、霊夢はふとそんな光景を実際にも見たことのあるような気がした。

  There was a little girl,

  Who had a little curl,

  Right in the middle of her forehead.

  When she was good,

  She was very, very good;

  When she was bad, she was horrid.

 そんな歌を歌いながら、可愛くてとても怖い女の子がやってきて。

 トランプの兵隊と不思議な力で攻めてきて……。

「そりゃ名前がアリスなんだから、不思議の国のアリスでも演じてみたくなるだろう」

 霊夢は刹那の回想を振り切ると、素っ気なく言った。

「そんなものかしらね」アリスは気のなさそうにそう呟いてから、自分を納得させるかのようにぎこちなく頷いてみせた。「じゃあ、この人形にも特に意味はないのかもしれないわね。他の人形と髪の色が違うとかそんな理由で、無意識の拘りが生じただけなのかも」

 そう言ってみせたアリスの表情はどこか親を無くした迷い子のようで。少しだけ悪いことをしたような気分になり、霊夢は繕うように言葉を付け足す。

「でも、そうじゃないかもしれない」

「そうかもしれないわ」アリスは白髪の人形をわざとらしくぞんざいに置くと、場を改めるためか自分の気持ちを改めるためか、大きな柏手を打ってからうんと背伸びをする。「さて、日が落ちるまではまだ少しあるけれど、時間に余裕があるとも言えない。さっさと終わらせてしまいましょう」

 それだけを口にすると、アリスは魔理沙を省みることなく、特に手入れの必要な人形の集うござまで戻り、黙々と作業に没頭し始める。だから霊夢も仕方なく、魔理沙の体を動かし始める。先ほどと比べれば体の張るような感覚は随分と落ち着いてきたような気がするから、もう少し頑張れるだろうと霊夢は冷静に見積もる。

「魂が魔理沙の心身に馴染んできているのかもね」

 がらにもなく感傷的になったり、ありもしないことを思い出しそうになったのはきっとそのせいだ。霊夢はそう結論づけると作業を再開しようと立ち上がり、呻き声と共に顔を顰める。腹の奥からしみ出るような鈍痛が俄に辛さを増していたからだ。

「まさか、神社に来る前に変な茸でも食べたんじゃないでしょうね……」

 魔理沙はここに来るまで何かの実験に没頭していたようだから、それも十分にあり得ることだった。しかし便意の類は覚えなかったし、耐えられないほどではなかったので、作業は続けることにした。

 

 霊夢が全ての作業を終えたのは、西日に赤いものが強く混じり始めた時分だった。ねぐらに戻る鳥たちで空は騒がしく、それが妙に霊夢の癇に触る。腹の奥深いところから来る痛みや気怠さに端を発していることが尚更のこと気にくわなかった。

 アリスの姿が見えないのを良いことに、霊夢は空に向かって大声で叫ぶ。

「ああもうっ、魔理沙の馬鹿っ!」元の体に戻ることができたら、くれぐれも怪しい茸を拾い食いするんじゃないときつく叱ることを心の奥に刻みつける。それでようやく少しだけ気持ちが落ち着き、霊夢は深い溜息をつく。それから何となく躊躇われて、今まで見ないふりをしていたものにゆっくりと視線を落としていく。

 ところどころ荒れていて、自分より少しだけ大きな手。少しだけ太くて、少しだけ長い足。髪の毛はさらさらでなく、ふわふわの感触。頬を手で触ってみると、こちらも少しだけ荒れているのが分かる。不摂生な生活を送っているせいだろう。お腹は自分より少し出ていて、でもふにふにの加減は同じくらいだ。筋量の違いなのかもしれない。

 そして最後に、胸の辺りに手を添える。布の厚い黒の魔法衣と白のエプロンドレス、その上からでも分かるふっくらとした膨らみ。自分のものとは全然違う。

「数年前までは全然変わらなかったのに」認めたくはなかったけれど、魔理沙は女性として育むべき箇所を順調に育んでいるようだった。「そりゃ、わたしのほうが食は細いけどさ。そうそう変わらないじゃないのよ……」

 これまで霊夢は、全体的にほっそりとしている自分の体が嫌いではなかったし、他者との差異もそう気にしてはいなかった。早苗のボリューム感を初めて意識したときは、自分は本当に女なのかと少しだけ落ち込んでしまったけれど。外の人間は全体的に発育が良いのだと後で知ったから、すぐにくよくよするのはやめた。

 でも、魔理沙の体になってみてつくづく分かった。自分は勝ち気で男っぽい喋り方をする魔理沙と比べてさえ、女性的ではないのだ。別に女性的であるからといって職務の何かが変わるわけではないけれど、それがどうしてか分からないけど無性に悔しかった。

 そんな霊夢を嘲笑うように冷たい風が剥き出しの肌を撫で、霊夢は思わず身震いする。どうやら魔理沙の体は寒さにあまり強くないらしく、夜でもないというのに手足が冷え始めている。乗じてお腹の痛みが強くなり、頭まで少し痛くなってきたような気がする。もしかして風邪でも引き始めているのだろうかと、額に手を当ててみたがどうやらそうでもないらしい。

 いつもはこんなことないのに、無性に腹立たしかった。意味もなく誰かに当たってしまいたかった。霊夢は石を掴み、上空を一際大声で鳴きながら通り過ぎようとする鴉にぶつけようと大きく振りかぶり。すんでのところで歯を食い縛って耐えると、地面に叩きつけた。

 そのとき丁度ドアの開く音がして、アリスが仄かな香しさと共に出てきた。ひらひらのエプロンをつけているアリスは少しだけ幼げに見え、それが自分の餓鬼くさい仕草を恥じさせ、そして諫めてくれた。だから霊夢は魔理沙のような闊達とした笑顔と言葉をアリスに向けることができた。

「人形の埃落とし、全部終わったぜ」

 アリスは霊夢の様子を見て機嫌良さそうに「ご苦労様」と口にすると、人形をぐるりと見渡し、満足そうに頷いた。

「少し間が空いたからどうかなと思ったけれど、大丈夫みたいね」

 ざっと見ただけで百を超える人形の状態を確認したのだろうか。だとしたら物凄い目利きだなと思ったのだが、同じタイミングでアリスが正すかのように口を開く。

「人形って字義の如く、陰にこもると色々溜まっちゃうのよね。湿気や埃ももちろんだけど、そういうものを落とすために、定期的に外に出してやらないといけないの。本当は全ての人形を、表に出しておいてあげたいのだけれど」

 そうすれば家中が人形でごった返しになってしまうだろう。そこまで考えて、霊夢はふと疑問に思う。

「だったら無理にしまわなければいけないほど、人形を作らなければ良いじゃない」

「そうね」と、アリスは実に素っ気なく答える。そんな問いが魔理沙の口から放たれることを――その魂は霊夢なのだけれど――半ば予想していたのかもしれない。「まあ、ある種の業と言って良いわね」

「それは、その……人形遣いとしての?」

 霊夢が訊ねると、アリスははいともいいえとも取れるような、曖昧な頷きを返し、冥い表情も一瞬のこと、いつもの余裕ある笑みを浮かべてみせた。

「それよりも、もうすぐ日が暮れるわ。夜の帳が下りきってしまう前に、人形たちをしまってしまいましょう」

 鈍痛は先程から全く収まらないけれど、動けないという訳でもなく。おそらく夕食のものであろう、ホワイトソースの香しい匂いにも後押しされて。霊夢は本日最後の作業だと自分に言い聞かせ、人形を片付けにかかる。

 あまり期待はしていなかったけれど、魔理沙も早苗も救出に来る気配がない。魔理沙になりきって力を振るうことが到底叶わない現状では、アリスの家から魔理沙の店まで戻ることすら危ういし、無駄に動けばすれ違いということもあり得る。だから霊夢は望み薄だと思いながら、アリスに訊いてみる。

「なあ、アリス。その、今日なんだけどさ……その」

「なあに? もごもごするなんて魔理沙らしくないわね、はっきり言いなさいよ」

「家に帰って色々支度するのも面倒臭いしさ、今日はアリスの所に泊めてくれないか?」

 そう言ってそろりとアリスの顔を窺うと、不審そうに口を尖らせてから、小さく首を傾げる。

「いつもはわたしが嫌って言っても押し入ってくる癖に、今日はやけに殊勝なのね」

 結構ざっくばらんに聞いたつもりだったのだが、これでもいつもの魔理沙にしてみれば相当に謙虚な態度であったらしい。

 それにしてもアリスの口ぶりと来たら、魔理沙のことを盗人呼ばわりしておきながら、当の本人が家に入ることを黙認しているような言い方だ。もしそうだとしたら、魔道書や魔法具などを盗まれてもあまり文句は言えないと思うのだけれど。

 あるいはと、霊夢は木陰に引かれたござの上に並ぶ人形たちにそっと視線を送る。少なくとも霊夢は、魔理沙がアリスの人形を手にしている姿を一度も見たことがないし、住処となる霧雨魔法店にもそれらしきものを目にした記憶がない。あまり信じられないのだけれど、魔理沙はアリスの禁忌に触れないようきちんと弁えているのかもしれない。

 自分にはそんな遠慮一切ないのにと、霊夢は俄に腹が立ち、乗じてお腹がしくしくと痛んでくる。しかしアリスに当たっても癇癪を起こしてもどうにもならないと自分に言い聞かせ、霊夢は魔理沙のだらしない笑いを真似して見せた。

「いや、約束を破った手前、わたしだってそこまで図々しくは……」

「そのことなら怒ってないと最初に言ったでしょう? それに食事は既に二人分用意してあるの。ここで帰られてもわたしが困ってしまうわ」

 アリスは博麗神社から霊夢を連れ去った時よりはかなり控えめに、しかしはっきりとした意志をその視線に含めて来る。霊夢は悪いわねといった表情を作ろうとして心の中で首を横に振り、それから鼻を擦りながら笑顔で断言した。

「それじゃあ遠慮なく御馳走になるぜ」

 するとアリスは何も言わず、表情を少しだけ柔らかいものに変えると、人形を片付け始める。霊夢も慌てて後を追い、今日最後の作業に取りかかり始めた。

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