天野美汐は笑わない。
天野美汐はおばさん臭い。
天野美汐は友達が居ない。
そんな書評がクラスメートの中で公然と囁かれている昨今、しかしそんな美汐がただ一人心を許す人物がいた。一学年上の、相沢祐一という男性である。同じ大切な女性を無くし、戻ってきた今であっても、途切れることなく度々合い見えるようになった二人の元には何時の間にか一つの関係が醸成されつつあった。
それは――。
「全く今日は酷いんですよ相沢さんクラスメートの子が朝早く話し掛けてくれましてつんと済ました顔はしているものの私結構嬉しかったんですよ友達居ないのってやっぱり辛いじゃないですかそれなのにあの子たちは私から無理矢理忘れた裁縫の道具を借りていったばかりかありがとうの一言も言わずに全く最近の若い子は躾がなっていないって思いませんか第一現在の教育が悪いんですよ人に何か頼んだら有難うの一言くらい返してくれたって良いでしょうやっぱりいつも黙っているから付け上がるんでしょうかそんな酷なことはないでしょうもう少し積極的になる方法って思いつきませんか……って相沢さん、聞いてますか?」
一方的な愚痴友達だった――。
「何だか、最近の祐一って疲れて見えるね」
そう、感想を漏らしたのは水瀬家の主の一人娘、水瀬名雪だった。彼女は決して悪気はないのだろうが、その一言は槍のように心を刺す。
「折角、真琴も帰ってきて元気になったと思ったのに」
名雪のシンプルで間延びした喋りが、自然と祐一の心を癒す。あの、天野美汐のマシンガントーカぶりを披露されたら誰であろうと逃げ出さざるを得ない。七海に怖いものなしと豪語している祐一も、実母と叔母と美汐だけは恐い。その恐さの質は全く違うがそれでも恐いのだ。
「こら祐一ぃ〜、遅いぞぅ」
疲弊した祐一の脳を掻き乱すように、二階からまるでブルドーザが降ってくるような勢いで駆け下りてくる少女。沢渡真琴と人は言う――。
「――悪りぃ」
「何よぅ、覇気がないわねぇ。折角、生涯の伴侶が熱烈に駆け寄ってきたんだから、抱きとめてくるくるくるーって回って、最後にお帰りのキスの一つくらいしてくれたって良いじゃない」
あのマシンガントークを思い出させる真琴の勢いのある喋りは、嬉しいことであっても祐一の疲労を蓄積に導かざるを得ない。
「じゃあ真琴、お前は天野と懇々と会話してきた後にそんな気力が残るとでも言うのか?」
祐一のその反撃は真琴には覿面だった。たちまち、震えて半泣きになる。
「うう、祐一は偉いよぉ。あんなのを週に三回も聞いて平気なんだからあ――」
あろうことか、感動の涙すら流し出す始末だ。しかし、その役目を祐一に押し付けたのは真琴だし感動して貰うくらいでは足りないのだが――。
しかし、その恐がりようだけ見ただけでも、猫を被ってない美汐の恐さが分かるというものだった。あれは、勢いづいたフロスト兄弟よりも恐い。
「ああ、美汐がぁ、美汐がぁ――おじいちゃん、逃げてぇ――」
遂には錯乱状態になってしまったようだ。それにしてもおじいちゃんって――誰?
「ねえ、前々から聞いてたんだけど――」
と、祐一、真琴がそれぞれ自分の世界に閉じこもりかけていた所に、名雪の声が緩く響く。
「そんなに天野さんの喋りって凄いの? 私、何度も話したことあるけど、とても大人しくて慎ましやかな人だと思ったけどなあ」
「人は見掛けには寄らないということだ」
祐一は、何度も頷きながら当たり前すぎた訓戒を垂れる。真琴もそれに同調し首を縦に振っている。まだ、身体は微かに震えていたが。
「あれは、知らぬものには分からぬ苦しみだぞ。というか、覚悟もなしに足を踏み入れると発狂レベルだ。というか、心を許したら――」
「許したら――?」
名雪が興味半分で声をかけ――。
「あいつのようになる」
祐一が指を指したその先には――。
心的外傷にいまだ震える真琴の姿があった。
そういう事情だったから、水瀬名雪は偶然鉢合わせ、話し込んでしまった天野美汐と相対して、その温和さに直に触れ、祐一の言葉に半信半疑になっていた。
(もしかしたら、アレは祐一と真琴の悪戯かもしれない)
名雪は訝しみ、そして腹が立った。帰ったら、二人の夕食は紅生姜にしてやろうと決める。
「――ところで、水瀬さん」
「ん、何かな?」
餡蜜抹茶パフェを頬張りながら話す美汐に、イチゴサンデーを食べながら返す名雪。行儀は死ぬほど悪いが、二人とも気にする様子はない。ある意味、マイペースなのだ。
「今日も――良い天気ですね」
「あっ、うん――」
「最近――相沢さんも真琴も遊びに来てくれませんが、どうかしたのでしょうか? もしかして、風邪でも引いてるのでしょうか?」
美汐が母性本能を思わずくすぐるような寂しげな声を出すから、元より面倒見の良い名雪は一発できゅーんと胸が疼いてしまった。はにかむような、儚むような表情は庇護欲をくすぐりまくる。
(ああ、ぎゅーっと抱きしめたいよー。ぎゅーっと)
そんなことを妄想しにへらと笑いを浮かべてしまう辺り、どっこい名雪も結構危ない体質であるのだが、突っ込みを入れる人間がいなかったのは安心だった。
「聞いて欲しいこととか、相談したいこととか一杯あるのに――」
再び、切なそうに囁く美汐に、名雪はもう悶絶死しそうだった。
(うー、猫さんみたい、猫さんみたいに頬擦りしてあげたいっ!!)
そして、祐一のことや真琴のことを嘘だと断定してしまった名雪は彼らの壊れっぷりを無視して被相談者とならざるを得ない言葉を吐いてしまった。
「何か悩んでることがあったら、わたしに相談しても良いんだよ。ほら、私達だって他人じゃないしこう見えても後輩の悩みとか結構聞く立場にあるから」
名雪の言葉に、美汐は目を輝かせる。
「あの、宜しいんですか――?」
「うん、どんと来いだよっ」
名雪が胸をどーんと叩くものだから、美汐は縋るようにして語り出す。
マシンガンのように。
「実は私友達が頼れる人もいなくてええこれが引っ込み思案な私の性格だってことは分かってますけどどうしようもないんです私昔大切な人を亡くしてしまってそれから人と触れ合うことに躊躇してしまうんです相沢さんも真琴も水瀬さんもいて平穏な日々がつらつらと流れていく緩やかな川のような日々にぽかぽかと暖かい日差しを浴び幸せである筈の私の胸に差し込む一陣の冷たい風が心を捉えて離さないのですそのせいかクラスメートともなかなか馴染めず声をかけてきてくれても醒めた顔で過ごしてしまうのですああ本当はあの輪の中に入って普通の女子高生のようにお喋りしたいですよ毎日そういう話題も勉強しているのに駄目なんですあ水瀬さんってモーニング娘。の名前全部言えますか? あれはデフォですよね。私は嵐のメンバの名前全部言えますよこれって結構凄いことだったりしますよね」
「あ、あの〜〜天野さん」
「そういえば最近SMAPって大変ですよねごろーちゃんが駐車違反やって逃げようとして逮捕されちゃったんですよねこれでSMAPも四人でしょうか私、結構森くんが好きだったけどごろーちゃんは割とどうでも良いので是非森くんにカムバックして欲しいものですあ森と言えば最近森義朗の姿を見かけませんよねあそこまで支持率が下がってさもありなんって感じで退陣していきましたけど確か5.1%でしたっけ?どうせなら国民が誰も指示しないところまで行き着いて欲しかったんですがあの偽ベートーベン首相が人気と良い所を掻っ攫っていって小泉ですかありふれた名前ですけど苗字が同じってだけで投票した人もいるんですよね全く浅墓だと思いませんかそれにタレント議員とか何だとか言ってテレビに出てアノ人たちは真面目に政治というものを考えているのでしょうかでもまあぐうすか眠ってる議員よりは余程マシですけどところで水瀬さん趣味はありますか私は読書と盆栽が趣味でよくおばさん臭いって言われますけどそんなことありませんよねあのちびまるこちゃんだって盆栽が趣味だったことがあるんですからあの何とも言えない無骨さが魂を震わせるとは思いませんかところで私最近ドストエフスキィのカラマーゾフの兄弟を読んだんですあの露西亜の文豪ですよ何だか難解で退屈ってクラスメートが話してましたけどあああの倒錯具合がもう萌えますよね萌えますっ萌えるといえば最近――」
祐一と真琴の言ったことは本当だった――。名雪は最早、遠くから聞こえる美汐の声と徐々に狂っていく自らの頭を天秤にかけるのみだった。逃げるなら、逃げるならもう機会は今しかない――。
「あ、じゃあわたし――用事を思い出したから――」
気さくに手を上げ、席を起とうとする名雪に――がっしりと絡む手。
「駄目です、まだ100分の1も喋ってませんよ――私は」
大魔王からは逃げられない――。
名雪は小さい頃、祐一の持ってきた漫画に書いてあった台詞を思い出し――。
「知ってますか水瀬さん○×△って○が攻めで△が受けらしいですよこれって女性は結構拘りが強くて関係が逆になるだけで認める認めないで喧嘩が起こったりして絶交してしまった女性もいるらしいですから奥が深いんですねえそういえば真琴って漫画が好きだからそっとこういう道を差し出せばはまってくれると思うんですよやっぱり仲間がいないと悲しいじゃないですかそういえば相沢さんと一緒にいる男友達の――北川さんでしたっけあの二人ってどっちがどっちだと思いますか私は相沢さんって結構女っぽい顔立ちとかしてますけど実はって感じですよね攻めるタイプですよねそれで逞しい男の身体を震えさせまくるのってラブですよねもうラブラブです、萌え萌えですよ水瀬さんはどちらが好みですかそういうの私持ってますから貸してあげましょうか女性なら絶対にはまる薔薇の道ですよもう青い薔薇って感じで絶対に存在しないって分かってるんですけどそう言えば青い薔薇って言ったらARMSってなかなか終わりませんよねもうアニメ版のARMSの新宮隼人の艶かしいことと言ったらほら騎士が覚醒する時ですよあれモニタの前で嬌声をあげた女性が何人いたことやら私もう画面の前で絶叫ですよ隼人くん万歳〜ですよもうあの裸がっ裸がっって感じですよね女より艶かしいって反則ですよ反則って言えばGET BACKERSの糸の花月ってもう完全女ですよねもうお尻の丸みなんて完璧に女ですよもう男性と絡ませても違和感なしっもう十兵衛は今年のベストカップル間違い無しって感じですよねそれとでもやっぱり私はジャッカルが好き好きなんですよ格好良いですよねクールで――」
その時、何かが壊れる音がした――。
ガチャリ――。
ドアが空いたので名雪が帰ってきたのかと思い、祐一は遅い帰りだなと思いながらふと玄関を覗くと名雪は放心した目で。
「うわあ恐えぇっ!!」
――終わり?
あとがき
さて――二周年記念でリクエストが多かった美汐のSSを後悔しました。
ギャグ――。
これがギャグと取れるかどうか微妙ですが、
こんなの美汐じゃないという反論は却下します――恐いから。