標本少女

スナッフ・ムーヴィ――というものを、ご存知でしょうか。おそらく知らない人はいないと思いますが、改めて説明しますと、生身の人間を使い、現実の殺傷場面を収めた動画像の総称です。所謂、都市伝説の類として囁かれている代物で、現実に存在するかどうかは怪しい代物です――少なくとも数日前まで、私はそう思っていました。

わたしには、ネットワーク上に点在する、様々な動画を日々、収集して回っている友人がいます。まあ所謂、男性が欲望を一人で満たす時に使う動画でして、私も少しばかり相伴に預かっています。仮にその知り合いを、xと呼ぶことにします。正体不特定の人間を表す、古式ゆかしいやり方です。

そのxがある日、例によってメッセンジャ経由で動画像を送りつけてきました。今度はどんなマニアックプレイが飛び出すのだろうと、少しばかり揶揄してみると、しかし今日に限って、xの様子が違ったのです。わたしの茶化しなど目もくれず、良いから観てみろを繰り返すばかり。仕方がないのでダウンロードを許可し、ローカルにダウンロードしました。題名は『標本少女』――意味は分かりませんが、どうやら年頃の少女を用いることが大きな趣向の一つであるようです。わたしは友人に急かされ、早速然るソフトで再生しました。

先ず映し出されたのは、薄暗い廃墟でした。埃が煙るほど長い間、放置されていたであろう建物を、たどたどしい様子で逐一、映し出していきます。どうにも素人くさいなと、訝しげに画面を眺めていると、微かな光が漏れてきました。カメラはその光の方に向かい、ゆっくり、ゆっくりと歩いていきます。半ば崩れかけた通路を、じゃり、じゃり、と踏みしめる音が、些か不気味に聞こえます。この単調な移動が暫く続いた後、映像は黒ずんだ木製のドアの前で、立ち止まりました。最初は空耳かと思いましたが、どうやらくぐもった断続的な叫び声のようでした。或いは――その手の嬌声にも聞こえないことはなく、やはりいつものようにマニアックな動画像なのかなと、心持ち緊張を解き、画面を注視します。わたしの気持ちを汲んだかのように、悲鳴のような音を立ててドアが開きました。もしかしたらそれは、本当の悲鳴だったかもしれませんが、わたしに同じ場面を確認する気はありません。

目に飛び込んできたのは、両手両足を目一杯に広げた状態で四肢を縛り付けられた、少女の姿でした。古風な水兵服を纏い、髪は絹のように綺麗で、肌は薄めのライトに照らされていたせいか、白さと木目細やかさが目立っていました。おそらく彼女は、美人だったのでしょう。実物を見たのに推定口調なのは、少女の顔が苦痛の余り歪みきり、そして彼女自身の吐き出したあらゆる種類の汚物で塗れていたからです。

少女の手足には既に、十数本の針みたいなものが突き刺さっていました。痙攣にも似て激しく震え、もはや声が枯れ果てたのか、蝦蟇のような悲鳴をあげ続けています。そんな彼女を、一人の男が見下ろしているのです。冷徹で無表情そうに見え、しかし腹の中には無限のサディズムを秘めていそうなその男は、錐と畳針の中間にあたるような、細く長い刃を手にしていました。カメラがアップで映し出したその刃は、持ち主の性格をそのまま表すかのように、残酷なフォルムをしていました。研ぎ澄まされたそれの先端には細かい『返し』がついており、一度突き刺さると、抜き取るのに多大な苦痛を被むようになっているのです。

わたしはメッセンジャで、xに話しかけました。おい、これは何の映画の一場面だ、と。xは昏さのこもった一文を、返しました。これは映画じゃない。

一瞬、我を失いそうになりました。少女をガラクタに変える無残――こんなことが現実に行われているなんて、とてもではないですが、信じられません。しかし映像は素人そのまま、そして娯楽性や哀しみを欠片も秘めぬ少女の姿は、何にも増して「これは現実なんだ」と訴えているようでした。

男がようやく呼吸の整ってきた少女に、無造作に針を打ち込みます。指の関節と、関節の間に、一本、二本、三本、四本、五本と、嗚呼、立て続けに。そのときの絶叫、吐き出された全てのものを、わたしは当分の間、忘れることができないでしょう。相手がようやく痛みに慣れてくると、前に与えた痛みとは全く別種類の、しかし針による傷みを与え、気絶しそうになると、痛覚の集中しているところに打ち込み、苦痛は耐える様子を見せようとしないばかりか、よりエスカレイトしていくようでした。当初は手足にしか打ち込まなかった針を、身体や、顔にも突き刺すようになりました。身体は赤く染まり、そして突き立てられた針は既に四十本を超え――それでも、少女は生きていました。なおも叫び、死に抗い、許しを請い、泣き喚き――しかし、その全てが無意味でした。

腹にずぶずぶと、針が食い込みます。これまでと比べて反応が鈍いのは、ようやくとうとう、命が潰えようとしているからでしょうか。男は顔をしかめた後、針をどこからともなく素早く取り出して。

――。

―。

その、命の最後の迸りのような、凄絶極まる声は、今でも耳にこびりついて離れません。一瞬の後、少女の両眼は空っぽの紅に、なっていました。そして男の持つ針には、どろりと濁った両の瞳が、神経をだらりと垂れ下げたまま、刺さっていて……。

私は映像をシャットした後、トイレに駆け込んで胃の中のものを全て、吐き出しました。もう一時たりとも、あの映像を見ていたくはありませんでした。臆病者と言われても良い、わたしにこの後の彼女の運命を見届けることはできませんでした。

暫くして激情が去ると、今度は別の種類の怒りが沸々と込み上げてきました。わたしはxに、何故こんなものを見せたのか、強く訊ねました。場合によっては、更に追求するつもりでした。

xは長い沈黙の後、ぽつりと答えました。

「自分ひとりで、こんなものは背負いきれない」

わたしは溜息をつき、それからきつく問い詰めて悪かったと返信しました。わたしが彼と同じ立場だったら、同じことをしたに違いないから。だから――わたしは、この映像を封印し、なかったことにしました。もうこの映像は忘れよう、と。xもわたしの意見に同意し、それから遅い時刻まで、無関係のトークを延々と続けました。楽しかったこと、面白いことだけで頭を満たしたかったのです。一片たりとも、記憶に残っていなければ良い、わたしは心の底から願いながら、眠りにつきました。

――。

―。

しかし人の記憶というものは残酷で、わたしは何一つ忘れることができずにいます。映像も、捨てることができません。

もしあなたが『標本少女』と名前のついた動画像をてに入れたならば、十分な覚悟をもって観賞してください。そしてもし、最後まで見届ける勇気があるのでしたら、少女が最後にどうなったのか、運良く息絶えることができたのか、それとも今もどこかで針を穿たれ続けている可能性があるのかを、どうか教えてください。

そしてこれはもう一つ。どうか杞憂であって欲しいと願うことです。

標本にされていた少女なのですが。

――。

―。

高校時代の、友人の妹に、似ていたような……。

気が、します。

――。

―。