滝に関する小咄

 

 いつものようにネタ探しを終えて帰る途中、九天の滝の中程で、ごうごうとした流れとにらめっこをしている早苗を見つけた。この娘は外世界から来た影響か、奇妙な振る舞いや言動が随分と多いのだが、今回もその類であるのだろうか。いったいぜんたい、何をしたいのかてんで見当がつかず、妙なことでもやらかすのではないかと危惧したわたしは、後ろからそろりと声をかけた。

「もし、そこのお嬢さん」

 滝の側ではあるけれど、風の力で音を聞こえやすくしているから届いているはずなのだが。どうやらにらめっこに夢中でわたしの接近にさえまるで気付いていないらしい。何とも無防備なことである。わたしは早苗のうなじにふっ、と息を吹きかけた。

 早苗は幽霊が背を通過したかのようにぞわぞわと震え、慌ててこちらに振り向く。

「ななな、なんですか文さんたら、驚かせないでください!」

「別に驚かせたわけではありません。先程から何度も声をかけているのに返事がないから、ちょっとした強硬手段に出たまでのことです」本当は一度しか声をかけていないのだが、コミュニケーションの円滑化のためなら多少の嘘は許されるところであろう。「ときに早苗さんは何をしているのですか? にらめっこの練習ですか?」

 はいそうですと言われたら、外世界の人間であることを差し引いても正気を疑わなければいけなかったけれど、ありがたいことに早苗は首を横に振る。

「前々から考えていたのですが」早苗はわたしに眉のきりりとした真剣な眼差しを向ける。そこはかとなく嫌な予感がした。「この滝に打たれたら、修行になりますかね?」

「やめておいたほうが良いですよ。早苗さんみたく考えの多いものが滝に打たれたところで煩悩を払えるわけでもなし、そんなことで力がつくわけでもなし。流木が落ちてくるかもしれませんし、龍に成ろうとしている鯉とぶつかるかもしれません」

 懇々と説明するも、早苗はなお滝の流れに気を惹かれてやまないようだ。彼女は柳のようになよなよしたところがある一方、一度こうと言い出したら聞かない頑固なところがあるのだ。

「やはり修行と言ったら、滝打たれだと思うんですよね。文さんは滝に打たれた経験ってありますかね?」

「修行ではありませんが」千年以上生きていれば、ごうごうとした滝の流れに打たれ、頭を冷やしたいと考えたくなるときだってある。「ただし、なんら効果はありませんでした」

 わたしは滝の流れなどものともしないし、冷たい水は思考を鮮明にする。くだらないことをよしなし考えてしまい、己の至らなさばかりが心を打つようになる。人間が滝に打たれて霊験を覚えるのは痛みによるところが大きいのだろう。

「そうですか……むむむ、残念です」早苗は口惜しそうに顔を歪める。不均衡な表情であってもそれなりに映えて見えるのが、いつもながら狡いなあと思う。「効果ないんですよねえ」

 ちらちらと視線を寄せる早苗を見て、わたしはようやくその気持ちに気付く。理由などはどうでもよく、滝に一度打たれてみたいだけなのだ。何とも可愛らしい好奇心であった。

「人間なら天狗と違い、効能があるのかもしれません。女は度胸、一度くらい試してみても良いのではないでしょうか」

「そ、そうですよね!」早苗はわたしの手をぎゅっと握る。「そうですよね!」

「二度言わなくても結構です。それよりも先に言っておきますが」

 水の流れに一気に入らないように。そう忠告しようとしたのだが、一足先に流れの中へと身を投じてしまい、可愛らしい叫び声と共に転落していく。助けるべきか一瞬迷ったけれど、滝の流れを掘り進むように昇っていく早苗の姿を見て、しばらくは放っておくことにした。急な流木があればわたしが先んじて回収すれば良し、鯉の滝登りに遭遇するなんてことはあり得ないだろう……多分。

 

 滝の頂上から更に上流、自然の力で切り出された岩の上に、早苗は陸に打ち上げられた鯨みたく漂着していた。夢中でかけ昇った結果、ここまで辿り着いたらしい。全身を風で乾かしてから、わたしは息もたえだえな早苗に労いの声をかける。

「どうでしたか? 悟りの一つや二つでも開けましたか?」

「……滝を昇る鯉の気持ちが分かったかもしれません」

 わたしは腹を抱えて笑い出したくなるのを必死で堪え、早苗のしんなりとした頭をそっと撫でる。早苗は少しだけ顔を赤くしてぷいとそっぽを向く。

「我ながら、馬鹿なことをしました」

「いちいち言わなくても分かってますよ」

 今度こそ耐えきれなくて、わたしはけらけらと早苗を指差して笑う。ぷんぷんという音が聞こえそうなくらい、頬を膨らませている早苗が可笑しくて、楽しくて。彼女とこんな風にして、長らくの時を過ごせたら良いなと少しだけ考えてしまうのだった。

 ほんの少しだけ。本当に、ほんの少しだけ。