少女の決意についての小咄

 

 わたしは天狗だから、一日や二日寝ないくらいどうってことない。かつて新聞を書くために七日七晩寝ずにいたけれど、それでも体が少しだけ重たいなと感じた程度だ。限界を突き詰めたことはないけれど、十日くらいならば平然と起きていられるはずだ。実際、ここ数日は毎日三時間くらいしか寝ていない。

 早苗に毎夜求められ、褥をともにしていたからだ。早苗に焦がれられるのは決して嫌なことじゃないし、いくらでも求められたいと思っている。気持ち良くしてあげたいし、気持ち良くなることをされたい。早苗は人間だからきりの良いところで制止をかけるけれど、翌朝に響いても構わないと毎夜のように考える。今日も早苗に来て欲しいと心の底から願い続け、だからわたしは布団の中でまるで小娘のようにぐずぐずと時を過ごしていた。そのことがまるで気にならないくらい。

 だから廊下から足音が聞こえたとき、喜びを覚えたとともに、のし掛かるような疲れを感じたことを少し意外に思えた。早苗には側にいて欲しい、求めたいし求められたいのに。

 ドアが二度、撫でるような静けさで叩かれる。早苗は音を風に乗せ、増幅してはっきり聞こえる形でわたしの耳に届けてくれた。わたしはどうぞと囁き、同じようにして早苗の耳元に届ける。早苗はしずしずと部屋に入り、ドアを閉め、鍵をかける。

「お邪魔します」楚々とした挨拶はこれからすることにそぐわない清潔感があった。それがまたわたしの心に更なる火を注ぐ。「すいません、今日も来てしまいました」

 わたしは早苗に顔を近付け、額に唇を寄せる。早苗はわたしの胸に顔を埋め、寝間着を脱がせようと手を伸ばしてくる。だがボタンを一つ外したところで手を止め、わたしの体を強く抱きしめた。

「あの、今日はこのままじゃ駄目でしょうか?」早苗は申し訳なさそうに耳元で囁く。「このまま、何もしないで。文さんの温かさだけ、感じていたいんです」

 その言葉に、わたしは小さく息をつく。それでわたしも今日は、したくないのだということをはっきりと理解する。

「良いですよ。お気に召すままこのままで」わたしは早苗の背に手を回し、柔らかな感触をこの身に馴染ませていく。「怖いことでも、あったのですか?」

 早苗は何も答えてくれない。言葉が追いつかないのだろう。だから時が来るのをじっと待つ。わたしは誰より早いことを信条とするけれど、待つことに関しても一角だ。

 お互いの体に埋もれ合うことしばし、早苗は寂しそうに呟いた。

「わたし、きっと我侭なんです。文さんに愛されたいし、包み込んでも欲しい。優しくして欲しいし、求めて欲しくないときに深追いして欲しくない」

 ぐすりと鼻を啜る音が聞こえる。きっと泣き出すのを必死で堪えているのだろう。

「文さんはそんなことしないって分かってるけど、それでも怖いんです。体を重ねてしまうと、なくなってしまうもののことが。その……かつて肌を重ねた彼がそうでしたから。一度抱いてしまうと、次からは当然のように抱けるものだと考えて。抱きしめて欲しいだけのとき、それでも強引に服を脱がせて、性的な行為を求められました」

 わたしは早苗の背中をゆっくりとさする。早苗はしゃっくりのように喉を鳴らしながら、口にするのも辛いことを訥々と語っていく。誠実であるというのは辛いことなのだ。早苗を見ているとつくづくそう思う。

「わたしは文さんに母を見ているところがあります。それから父も。肩翼のような愛だけでも大きいのに、慈しむ優しさ、支えてくれる強ささえも文さんに求めてしまうんです。それは流石に狡過ぎます」

 早苗は片手を離し、涙を拭う。必死に笑おうとしたけれど、それは上手くいかなかったようだ。だからわたしが早苗を涙から掬ってあげなければいけなかった。

「別に構いませんよ。母のように慕ってくれれば受け止めますし、父のような力強さが欲しければそう振る舞いましょう。その上で、愛するものとして求めてくれれば良いのです」

「それは何だか、背徳的ではありませんか?」

「わたしたちは天狗と人間でありながら愛し合い、肌を重ねる悦びを存分に共有しています。それ以上の背徳なんてこの世にはそうそうありません」

 きっぱり言い切ると早苗は暗闇でも分かるくらいに頬を染め、今更のようにおそるおそる訊ねてくる。

「きつくありませんか?」

「わたしは天狗ですよ。三人力程度なら楽勝です」

 早苗は辛い思いを重ねてここにいる。美しく、芳しく、どこまでも労り深い彼女にふさわしいものを、わたしはこれからいくらでも与えたかった。そのために天狗として生まれついたのだと考えられるくらい。

「かつて埋められなかったものを、わたしで埋めてください」わたしの冥さを埋めてくれた対価としては余りにもささやかだけど。「それがわたしの幸せにもなります。早苗の幸せが」

 早苗は鼻を啜り、わたしの胸に再度、飛び込んでくる。

「困りました。わたし、幸せ過ぎて怖いです」

「早苗さんはそれくらいの幸せを受けて良い人ですよ」

 そしてそれをわたしが与えられるならば、これ以上の幸せはない。そのことを強く強く想いながら、わたしは早苗の体と心を感じる。

 わたしの心には強い風が吹いている。

 もう決して、静止したりはしないだろう。