未来予想図と違い、未だ現役であり、最速であり続ける新幹線を素早く降りると、わたしは都会に不慣れなものの性として、辺りをぐるりと見渡した。
そして、大きな溜息をつく。
東京に来るのは一年ぶりだけれど、やはり好きになれない。
無機質な表情を浮かべ、自分のことだけを考え、歩く人々の群れ。他者に身体をぶつけても振り向く素振りすらなく、視野は狭窄していて、どことなく落ち着かない気持ちにさせられる。走るほどの足早で歩くものたちと、蒟蒻のようにだらだら歩くものたちが入り混じり、人の流れはいよいよちぐはぐとしていて。個人的な印象だけれど、人々の噛み合わなさは、前回訪れたときに比べても、酷くなっているように思えた。
階段を降り、自動改札を抜け、最寄の駅へと通じる電車のホームに立つ。広告はどれもけばけばしく、アスファルトのプラットホームはどこか、煤けて見える。三人の学生が五人掛けのレストチェアを占拠しており、赤子を抱えた女性に、注意も敬意も払ってはいない。両隣に立つ中年男性はどちらも、おどおどとした表情で若者と虚空とを、交互に見回している。周りを取り巻く人間たちは、空気でしかない。かくいうわたしも、そういう空気の一つだった。女性のことは気の毒に思うけれど、若者を刺激してまで注意する気はない。
卑怯なのだろうか、わたしは。
きっと、卑怯なのだろう。
電車の到着を示すアナウンスが聞こえたときにはだから、ほっとした。これ以上醜いものを見ずにすむ。そして、自分が醜いことを実感しなくてもすむ。
わたしは最前列に立ち、電車に乗り込む。最後に少しだけ、赤子を抱いた女性に視線を向ける。
目が、合った――。
彼女は、わたしを責めるように睨みつけた。
あるいは単なる錯覚だったのかもしれない。しかしわたしには、意気地のないわたしを特に責めているように思えてしょうがなかった。
陰鬱な気持ちを抱えたまま、わたしは裕樹の公開葬が行われる、最寄の駅まで辿り着いた。ここから会場までは徒歩で十分ほど。わたしは案内板や誘導員に従って進んでいく。途中、幾つかの集団とすれ違った。
彼らは二つの種類に、分けることができた。一つはぱりっとしたスーツを油断無く着こなし、厳格な秩序に従って歩く大人たち。もう一つは象徴的な意味をシャツに織り込み、あるいは運動的な文句を掲げて恍惚とした老若男女たち。彼らの担う役割は、一目瞭然だった。
裕樹の死を形式的に弔うものたちと、その死をある種の啓蒙運動に利用する輩。どちらにしても、わたしの関わりたくないものだし、関わる気もない。わたしはただ、その亡骸を一目見るだけで良い。この胸にわだかまる何か、掴みどころのない気持ち悪さを、消したいだけだ。
消したいだけなんだ。
公開葬だけあって、一般客が集うスペースは十分確保されていた。しかし、その死以外に有名でない女性のために集まる一般人は稀なようで。辛うじて人が集まっているように見せかけることで、精一杯のようだった。
わたしは、一瞬の再会だけを心待ちにして、長い時間を耐えることにした。あるいは聞くに堪えぬ話も、思想も、人間すらも、今のわたしには我慢できる。
葬儀は先ず、外務大臣の厳かな挨拶から始まった。それから直属の上司が芝居じみた涙混じりに悲しみを語り、続いて紫の袈裟を着た御行あらたかな法師が、高らかに経を唱え始める。裕樹は多分、宗教なんてこれっぽっちも信じてはいなかっただろう。それでも一心不乱の祈りは、何か場に佇む雰囲気のようなものを、高遠なる空へと運んでいく――そんな気がした。
そんなことを感じるということは、やはり裕樹は死んでしまったのだろうか。こうして実際に葬儀が行われる段階になっても、わたしは未だに信じられない。
だからこそ、僕は裕樹を見なければならなかった。
信じなければ、ならない。
しかし、いつまで経っても、その瞬間には巡り合うことができなかった。葬儀は読経と、少しばかりの言葉で締められてしまい、すると人々は波が引くように消え始めた。わたしは棺が運ばれるときだけでもと、更に暫くの間、待ち続けていたが、どんなに経ってもその時は訪れなかった。
そう、棺は運ばれなかった。つまり、最初からそこに死体など無かったのだ。
無かったのだ。
死体なんて、無かった。
じゃあ、裕樹は。
谷山裕樹は、どこにいるんだ。
生きている、死んでいる?
お願いだから、誰か教えてくれ。
胸の中が、どろどろとした黒いもので、満たされていく。
沈んでいく、沈んでいく。
誰か、誰か。
わたしを、わたしを。
わたしを……。
わたしを…………。