第六話 白夜の如き長き夜(前編)

食堂のドアが開くと共に集まる注目と沈黙。

台所に漂うカレーの香ばしい匂いも、今は重かった。

「で、どうだった?」

一番に口を開いたのは、心配そうな顔をした半田だった。

「ふう、まあ良くも悪くも無しってとこですね。現場に立ち入って勝手に捜査したのは怒ってましたけど、検死とかその辺りの参考にはなるとか何とか……要するに警察が必要な知識は誉めて、素人の介入は迷惑がって……」

「違うよ。私が言いたいのは、部屋に閉じこもった二人のことだ」

上田のくだけた口調をいさめるかのように、半田はぴしゃりと言った。

「ああ、あの二人ですか?」

そう言って上田は、祐一の方をチラッと見た。

警察に事件のこと、それから動機らしい件(千葉の方で、夫が妻と弟を殺した後自殺したという事件のことだ)も付け加えて話していた。

何やら言われたのか、上田は苦い顔をして電話機を置いた。それから二人とも呼びにいったのだが、反応はなしのつぶてというやつだった。

秀一郎にしては祐一や上田の言葉を怒鳴り声で追い払うし、光も丁重に謝ってはいたが部屋から出ようとはしない。それで仕方なく、戻って来たと言うわけだ。

「駄目でしたね、部屋から一歩も出ようとしませんでした。まあ、寝る時には鍵だけじゃなく支えになるものを置いて万全を帰すようにと忠告はしておいたから大丈夫だとは思いますが……」

「でも、こんなこと言っちゃ悪いけど……」

成海が人差し指を鼻に当て、何やら考え込むような仕草を見せる。

「社長はともかく、倉木さんってあんなスタンド・プレイにはしるような人じゃないと思ったんだけどな」

「ええ、佐祐理もそう思います。優しそうな話し方をする人だったんですよ」

佐祐理が成海の後に続いて言った。そう言えば……三人は夕食を作っている最中に偉く委棄投合していたのを、祐一は思い出していた。

「そうか? その辺は俺にも分からないが……でも確かに、一人で意思決定してどうのこうのってタイプにも見えなかったよな。だとしたら、彼女には部屋に閉じこもらなければいけない理由があった?」

上田は語尾をあげて、疑問口調で言った。

「例えば?」

「そうだな……彼女も白い悪夢がうんたらとかに深く関わっているとか。そう言えば、夕食に楽しそうに話してたよな。彼女の歳とか出身とか知らないのか?」

「出身地は宮城県の……もっと山奥の方だって言ってたけど。それで高校を卒業して医療短期大学を出て、仙台市の病院で五年くらい働いたあと、病院内でごたごたがあって辞めて、それから今の所で働くことになったって言ってた。けど彼女、素性はしっかりしてるんでしょう?」

「確かに……両親に会いに行ったとか話してたよな。それに彼女には、時間的に犯行は無理だし。するとやっぱり、単なる気紛れか、それとも……」

そこまで言った所で、上田の言葉がぴたりと止まる。それを絶妙に繋ぐように、半田が言葉をいれた。

「まあそんなことを考えても、意味は無いよ。それより早く夕食にしよう」

「そうです、折角温め直したカレーが冷めますよ」

その言葉で皆の思考が中断される。祐一はとても胃に食べ物が入るような状況ではなかったが、何も食べないのも体に良くないと思い、一応食べておく事にした。

各々がカレーを皿に注いで席に座る。これが内輪であるような普通の旅行なら、乾杯の一つでも上がるだろう。しかし今は、誰もその気を利かせるものはいなかった。

場にはコップも、ビールも、麦茶も無かったからだ。

「あ、いけない、準備するの忘れてた」

成海が慌てて冷蔵庫に駆け寄る。

「あ、佐祐理も行きます」

となると食器並べ係の祐一は、コップを取り出しにかかった。同時に立ちあがった舞も、後に続く。

こうしてあっという間に並べられた麦茶入りのコップを見て上田が一言。

「俺、ビールがいいんだけどな」

皆がその意見を黙殺すると、食事は至って普通に進み始めた。

時計を見ると丁度午後の九時。今日は長い夜になりそうだった。

 

食事が終わり、食器が撤収されると、あっという間に場には倦怠ムードが漂い始めた。話とは欲しい時にはなく、いらない時には沢山あるのだなと、祐一は妙なことを思った。

「どうする、これじゃ身が持たない」

上田が一つ欠伸をすると、誰かに向けて話しかけた。

「じゃあ、トランプでも持ってきましょうか?」

御厨の言葉にちょっと不謹慎な気分を覚えたが、確かに何もしないよりは良いのかもしれない。他の人もそう考えたのだろう、誰も反対するものはいなかった。

「でも……9人もいてカードなんか出来るのか。お前の好きな大富豪だって、できない」

「大丈夫、今日持って来たのは全部で79枚ある特別品ですから」

「79枚? 13、かけるの6、ジョーカが1枚か? 珍しいやつだな」

「違いますよ、13かけるの5、ジョーカが14枚です」

「……切り札が有り過ぎだな、それは。まあいいや、とにかく取ってこよう」

そして案の定、部外者である祐一は選抜隊の一人に選ばれたのだった。その度に舞や佐祐理に心配そうな目で見送られるので、ちょっと心苦しかった。

入口を進み、一階奥の廊下を進む。最初にここに入って来た時には充分過ぎる眩しさだと思ったのだが、今は少し薄暗く思える。

御厨は部屋に入ると、30秒もせずに戻って来た。そしてトランプの箱を祐一に見せる。

「これ、集めるのに苦労したんですよ」

御厨はそういってニヤリと笑ってみせたが、祐一には意味がよく分からなかった。多分、稀少価値のあるコレクタアイテムなのだろう。

食堂に戻ると、早速ケースから中身が取り出される。マークはクローバやハートではなく、しかも言われた通りに14枚のジョーカがある。

「これ、全部使う気なの?」

「ジョーカは一枚だけ。それがプレイング・カードにおけるルールだ」

身を乗り出して話を始めたのは、高宮だった。

「でも高宮さん、僕の所じゃジョーカは二枚使ってましたけど」

御厨はそんなことを言いながら、カードを一枚手に取った。ジョーカの絵柄は何だか舞に似ていたような気がするが、気のせいだろう。

「ジョーカは一枚だけ、じゃないと矛盾が起こる。何でも壊せる剣と何でも防げる盾はどちらが強い?」

「強度的には同じでしょう?」

「そう、強さは同じ。だからジョーカの次にジョーカを出す時点で、既にゲームとしては成立しないんだよ。だからジョーカは一枚だけ」

「高宮さん、厳格ですね」

「矛盾は出来るだけ削ぐ、これは如何なる時においても肝要」

「ふーん、やっぱりプログラマの思考ですね」

御厨が言う。しかしプログラマの思考というのが、祐一にはよく理解できない。

「私はそこまで厳密ではないね。矛盾というのは削ぐべきものでもあるが、しかしそれでも矛盾は残る。人がどこまで世界の謎を解き明かそうが、矛盾は残る。それが世界というものだ」

同じプログラマだからだろうか、今度は半田が持論を語り出した。

「そうですか? この世界は統一に向かいつつありますよ。力学も、政治も、力も。全てを一つにするのが人間の本来の姿であり、また世の在り方」

「でも、全てが分かってしまった世界ってつまらなくないか? 俺だったら……いや、やめよう。こんな話をしていたら、相沢くんたちは退屈だろう?」

上田は議論に加わろうとするのを寸前で止め、祐一たちの方を向いた。

「いいえ〜、佐祐理は面白かったですよ」

佐祐理が笑みを浮かべて言う。

「私には、よく分からない。でも……人の心が分かったらいいなって思う時はある」

舞は目を少し細めると、呟くように言った。

「人の心が分かったら、地獄だぞ。特に、自分でそれが制御できない時にはな」

「……何故?」

「人の世には、善意よりも圧倒的多数の悪意が満ち溢れているからさ。誰もが邪な夢を持ち、他人の夢を自分の夢へと引き込もうとしている。そうやって出来あがっている世界の心はきっと真っ黒だよ」

「……よく分からない」

「まだ分からないだろうな。君はまだ子供だから」

上田はそう言ってにやりと微笑んでみせた。

「その子供をナンパしようとしてたのは誰だ?」

高宮が実に冷静なツッコミをいれる。すると上田はわざと咳払いし、

「まあ難しい話はこれくらいにしてだ。何をやる? やっぱり大富豪か?」

話を無理矢理捻じ曲げた。

「勿論」 御厨は確信たっぷりにそう答えた。

「何たって僕は、大富豪普及委員会NO124ですからね」

「前から気になってたんだが、その大富豪普及委員会って何だ?」

「ウェブ上にあるページですよ。興味あるならURLも教えますよ。http……」

「いらん。見る気も入る気もない」

にべもなくつっぱねると、御厨は少し寂しそうな顔をした。

「でも俺たちは良いとして、相沢くんたちは知ってるのか?」

「あ、知ってますよ」

「おれも知ってるけど、舞は?」

「……知らない」

舞の言葉に、祐一はやっぱりなと心の中で呟く。舞が知ってそうなトランプの遊びといえば、ババ抜きくらいのものだろう。根拠はないが、そう思える。

「権田さんは?」

「うむ。わしはよく、孫と一緒にやっとるからしっとるぞ」

「孫って……権田さんって幾つなんですか?」

「今年で丁度七十じゃな」

七十という言葉に、上田が僅かに眉を上げる。

「そんな歳になって、なんで働いたりしてるんだ? 医者って見入りがいいから、働かなくても一生暮らして行けないか?」

「いや、わしは市内の結構でかい病院に勤めておったんじゃ、これでも。しかしそういう所は派閥争いとかあっての、わしは不干渉だったから立場が上がるとかそういうことはなかった。

しかも妻はわしが定年になると、三行半を突き付けてきての。これで退職金もぱあ。それでわしに好意的だった息子の家に転がり込んだんじゃが、去年勤めとる会社が倒産してな。

わしも今まで養って貰った恩を返すために、老体に鞭打って働いとるというわけだ」

「……か、かなり大変な生活をしてるんですね」

「遠慮することなんぞない。それに旧友の中には妻に先立たれて首を括って死んだとかそういうやつもいる。まあ幸せにやっとる方じゃよ、わしは」

権田はそういってからからと笑うが、他の者にとっては笑って良いか分からない状況だった。祐一も佐祐理も、顔を笑顔のまま固めて、維持するのが精一杯だった。

舞はそんな様子を、不思議そうに眺めている。

相も変わらず、場を読むことをしないなと祐一は思った。

「まあそういうわけでわしはOKじゃが、嬢ちゃんはどうする? ルールが分からないと面白くないかもしれんぞ」

「……私もやる、面白そう」

舞は表情を変えぬままに答えた。それを受けて、御厨が大富豪普及委員会というメンバの所為か生き生きと話しだした。

「じゃあ簡単なルールから。まずトランプを均等な数で配る。この場合、66/9で一人七枚から八枚あたまってところですね。それで……ところでローカル・ルールとかはどうする? こっち任せで良い?」

「そうですね……じゃあ、お任せということで」

祐一はあっさりと答えた。中学の修学旅行の時に大富豪をやって、ローカル・ルールとか色々なことを決めるだけでバスの周遊時間が過ぎたのを思い出したからだ。

御厨が話したのは革命とかジョーカの扱いに関するルールで、この辺りは物語とも全く関係無いので省略する。

「……ってところだけど、やり方は分かった、川澄さん」

「……ちょっと、まだ」

「ま、こういうのは実際にやってると自然に身に付くものさ。取りあえず一ゲーム流してみよう」

そう言うと御厨は、ジョーカを一枚だけ束に入れるとカードを切り始めた。流石に手慣れているのか、彼のシャッフリングのスピードはかなりのものだった。

佐祐理の包丁さばきに匹敵するくらいなのだから、相当早い。そしてよくTVで出て来るように、滑るようにしてカードを配って行く。祐一がそのように配ると、大概何枚かのカードがテーブルから落ちてしまうのだが、そのようなことはなかった。

「……祐一、祐一」

祐一が手持ちのカードとにらめっこしていると、舞が服を引っ張って来た。

「……こんなカードが来たけど、どう思う」

そういって自分の手札を見せてくる舞。

「っておい、自分の手札を相手に見せるやつが何処にいる。どのくらいの手札なのか、相手にばれるだろう?」

「……祐一、さっき見たのは忘れて」

「もう遅い!!」

我に返ったときには、祐一と舞は完全に全員の注目を集めていた。

「あ、すいません。こいつが間抜けで……」

「……私は間抜けじゃない」

こういう時だけ反応が早い舞。

「どうする、配り直す?」

御厨がひきつった顔をして尋ねてくる。きっと必死で笑いを噛み殺しているのだろう。

「……私は祐一を信じる」

「いや、信じられてもどうかと思うんだが……」

舞のペースに、祐一は呆れ気味に言葉を返した。

「まあそこまで言うなら始めよう。で、アイスの3は?」

「えっと、確か舞が持ってなかったか?」

「……祐一、忘れてって言ったのに」

「ぐあっ……」

祐一は得もいわれぬ呻き声をあげて、テーブルに突っ伏した。

「……ふむ、若いということはいいもんじゃの」

舞と祐一のやり取りの何処に若さを見出したのか分からないが、権田がしみじみとそんなことを言う。

「お前ら、もしかしていっつもこういうやり取りとかしてるの?」

「ええ、舞と祐一さんはいつもこんな風ですよ」

上田の言葉に、満面の笑みを込めて答える佐祐理。

祐一は違うと訴えたかったのだが、言葉には出なかった。

「まあ、とても仲が良いってことだけは分かったわ」

成海が冷やかすような目で祐一を見る。

「ええ、二人はとっても仲が良いんですよ〜」

よりによって、傷に塩水を塗るようなことを言う佐祐理。

悪気はないと思うのだが、フォローにはなっていない。

「……違う」 舞が俯き加減にぽつりと答えた。

「そ、それより早くゲームを続けましょう。舞、カードを出すんだぞ、投げるんじゃないぞ」

「……そんなことは分かってる。それよりこれは、最初から二枚とか出しても良いのか?」

「ああ、構わないけど……」 手札を見つめている舞に半田が答える。

「……それじゃあ、四枚」

舞はそういって、場に四枚のカードを無造作に投げ出す。全て3、しかも四枚。つまり……。

「舞、いきなり3で革命なんかするなっ!!」

祐一は思わず怒鳴り声を上げた。

「……良くないのか?」

「当たり前だ。いいか、革命っていうのは強さを引っ繰り返すんだ。普通は3が強くて、4,5……でJ、Q、Kで、A、一番強いのが2だ。これは分かるな」

「……分かる」

「3で革命するってことは、同時に一番強いカードを四枚ふいにするってことだぞ」

祐一の言葉に、舞が下を向いて考え込む。しばらく奇妙な沈黙が場を包んだ。

「……撤回」

「もう遅い。一回出したら元には戻せないんだ」

「……祐一はケチ」

ケチとかそういう問題じゃないと思ったが、これ以上言い合うと余計に土壷にはまると思い、かろうじてその言葉は飲み込んだ。

その他の人間はといえば、ほとんどの人間が体を震わして何かに耐えている。これでもう一押しすれば、笑いの合唱が起こるだろうと祐一は思った。

それからも舞は初心者がやるようなミスばかり、まるでわざとやっているかのように侵し、その度に祐一がつっこみをいれていた。

ゲームが終わった頃には、祐一は荒い息を立ててカードを切っていた。舞に注意してばかりで、自分のことばかりにかまけていたのでドベになったのだ。

カードを切るのはドベの役目らしく、祐一はそれなりの手付きでシャッフリングしていた。

ちなみにトップは佐祐理で、

「あははーっ、まぐれですよーっ」

とか言ってるのも印象的だった。

重苦しかった雰囲気も一時的ではあるが霧散し、祐一もようやく事件のことを一時的ではあるが忘れようとしていた。

ガタン!!

その時、食堂の外から何かをぶつけたような奇妙な音が聞こえて来た。

「何、さっきの音?」 成海が辺りを見回す。

「廊下の方から聞こえて来たようですけど……」

そう御厨が言う。祐一にも、そんな風に思えた。

「よし、私が見て来よう」

半田が真っ先に席を立つと、彼は覗き込むようにして廊下の方を見た。彼はしばらく様子を伺っているようだったが、やがて軽い笑みを浮かべてこちらに戻って来た。

「別に何も無かったよ。多分、吹雪が窓を叩いたか、強い風で飛んで来た木か何かが壁にでもぶつかったんだろう。気にすることはないよ」

半田がそう言うと、各々が溜息をついた。

上田は席を立ちあがると、台所の横にある勝手口を開ける。すると轟音、白い結晶とが駆け込むようにして中に入って来た。

「確かにそうみたいですね。それにしてもいつ止むんですかね、この吹雪は」

「天気予報とかやってないですかね」

そんなことを言いながら、御厨がテレビを付けた。丁度番組と番組の境目の時間だったためか、都合よく天気の情報がブラウン管に映し出された。

「東北や北海道の、主に山間部で降り続ける雪は、今夜未明から明日の深夜にかけて吹雪を伴う強い雪を降らせるでしょう。但し明日の朝頃からは徐々に勢力を弱めて……」

そんなニュースキャスタの声が食堂に響きわたる。

「明日には止むようだな……」 今はCMに入っているテレビを見ながら、半田が言う。

「明日になれば事態も好転するか……ということは今日を凌げば何とかなるってことだな」

どう何とかなるのか祐一には分からなかったが、とにかく深く考えるのはやめておくことにする。今日を乗り切れば、明日にはここから帰れる……そう前向きに考えることにした。

 

勝負が進み始めると、段々と皆も饒舌になっていった。

或いは普段に戻りつつあるということなのかもしれない。

「へえ、上田さんって小説家志望だったんですか?」

祐一は感心したような声を出す。

「ああ、掌編がちょっとした雑誌に載ったこともあるんだぜ。大学時代に書いたやつだけどね」

「それって、どんな話なんですか?」

佐祐理も興味を示したようで、その話題に食い付いていた。

「ぶっちゃけた話、遠い未来の……SFっぽい話さ。ある所に一人の人間がいました。その人間は自分で何かを決めるのが嫌で、今流行りの機械人形になって命令をただこなすような人間になりたいと思っていた。そしてまたある所に、一体の機械人形がいました。人形は限りなく人に近い感情を持ち、命令されたことばかりこなすのを嫌だと感じ始めていた。

そんなまたある所に、人と人形の人格を入れ換える研究をしているある教授がいました。教授は一人と一体に話を持ちかけ、そして実験体にしました。人間は機械人形になり、機械人形は人間になった。しかし人形となった人間はすぐに、単純作業に飽きが来て、元に戻してもらおうと考える。

しかし、それが嫌だと考えた元人形の人間は、自分の入れ物に宿っている人間の人格ごとそれを抹殺する。人間は機械に向けて『わざわざ人形になりたいなんて、馬鹿な人』と嘲笑を浮かべる。

けど元人形の人間の方も長続きはしなかった。機械の感情は例え人に限りなく近くても、矛盾を許さない。けど人の世はいつだって矛盾に出来てる。その矛盾を一時的に回避するために、人形は自動的に溜まったキュー……つまり矛盾をリセットする。

しかし人の頭は、自動的に矛盾をリセットするようには出来ていない。結局、矛盾に耐え切れなくなった元人形の人間は、窮極のリセットを行う。眉間に銃を宛がい……」

上田は右手の人差し指をこめかみに当てると、それをこつんと弾いた。

「ズドン……とやったって話だ」

結構ダークな話だな……そう祐一は思った。

「でもぶっっちゃけた所、コンピュータが人間の思考を完全にトレース出来るかどうかは俺には分からないんだがな。で、プログラム屋の意見としては?」

「難しいな。人間の感情は思ったよりも複雑だ」

高宮がきっぱりと言った。

「例えば月を見て、兎が餅をついていると人間は想像できる。しかしコンピュータは、データベースに『月のクレータや光の当たり方から兎に見えることがある』というデータがないと兎が餅をついているなんて答えられない。想像力という概念は、機械で表し切れない、出来たとしても複雑過ぎて仕様には耐えられないというのが自分の持論だ」

「そうだね、幾つかの学習型モデル……今、一番有名なのはニューラル・ネットワークという技術で研究なんかもされているんだが、これは脳の中でも小脳に近いモデルとされている。

大脳の学習モデルというのはまだ発表されていないのが現状だね。あとは脳を医学上の方向から構築する……つまりシナプスや血流の流れなどを忠実にシミュレートすることで、人間と同じ思考をする計算機を作ろうとする試みもある。

しかしこれも脳のファンクション、つまり機能を極めて精緻に設計、コーディングできなければ意味が無い。シナプスの流れは即思考には繋がらないからね。

但し脳の動きをシミュレートすることで、将来的に脳を扱う医学的なアプローチに素晴らしい前進が起こるであろうことは充分に期待できる。まあ人の思考が機械の計算と完全に置きかえられるかというのは窮極的な話、人の思考が真と偽という二つの概念にまで分解出来るのか? ということにかかっているのだと個人的には考えている」

「という半田さんの講釈だったんだが、君たちは分かったかい?」

上田の言葉に、祐一は首を振る。

「はっきりいって、さっぱり分かりませんよ。まあ無茶苦茶難しい研究だってことくらいは分かりますけど……」

「佐祐理にも余りよくは分かりませんでした。でも、人がはいといいえの積み重ねで動いているとは、思えないです」

分かっていないといいつつも意見を返しているのだから、佐祐理には半田の説明から何かしら得る所があったのだろう。

「そうかもしれないね。人はそんなに単純じゃない……まあ難しい話はこれくらいにして、えっと……どこまで話していたのかな?」

「上田さんの書いた文章が、本に載った話でしたよ」

佐祐理が的確に指摘し、祐一は納得したように頷いた。

「でもそれなら、どうして小説家とか目指さなかったんですか?」

月並みな質問だと思ったが、一応祐一は訊いてみた。

「まあうちの両親がお堅い人でね。小説家とか漫画家とか言うのはプータローの一種としか考えてない独善的な……まあ極めて古風な性格でね。電話するたびに反対だ、お前には才能は無い、一回くらいうまくいったくらいで成功するほど甘い世界じゃないとか散々言われてね。

それで言われ続けていると、そうでなくても本当のことのように思えてくるものさ。俺に主体性がなかったっていうのもあるけど、結局両親が叔父の勤めている会社をわざわざ薦めてくれた、それがここ。でも、そんな会社で物書きとして第一線で働くことになるなんて、流石の両親にも思いもよらなかったろうけどね」

上田は忍び笑いを漏らしながら言った。

「でも凄いですね、シナリオとかが書けるなんて……」

佐祐理が感嘆の溜息と共に言う。

「……私もそう思う」

舞が続けて言うが、当の上田は首を振った。

「俺よりも巧い人は沢山いるよ。それよりも凄いのは、半田さんと浩さ。何しろ二年前、ゲームを作れと我らが社長に命じられて狼狽していたのを、開発ツールやシステムをメインで開発して、ほぼ二人だけでその基礎を構築してしまったんだから。俺もプログラムをかじってるが、そんな芸当は出来ないね」

「そう言えば半田さんなんて、半年前に東京の会社からヘッド・ハントされたんでしょう。結局、断ったって話ですけど」

カードを惰性で切りながら、御厨が言う。

「私は都会は苦手だし、この会社が好きだからね。それに……」

半田が何かを言おうとした時だった。今度ははっきりと廊下から足音が聞こえた。皆が注意を払ってその様子を見ていたが、食堂に現れたその姿を見て緊張は霧散した。それは先程部屋に引っ込んだ秀一郎だったからだ。

彼はばつ悪そうに全員に向けて顔を向けると、一つ咳払いをして言った。

「その、さっきはすまなかった。あれから考え直したんだが、やはり皆と一緒にいた方がいいと思ってな。それに……一人でいると、嫌でも峰子の死を思い出す……」

秀一郎はそう言って、苦痛に歪んだ顔を祐一たちに見せた。あんなにいきり立っていたが、それもやはり妻の死を悼むためなのだろうか……祐一は彼の様子を見てそんなことを思った。

「もう時間も遅いが、出来れば哀れなわしにもう少し付き合ってくれないか」

秀一郎に言われて、祐一は食堂にある時計を見る。もうすぐ十一時だ。確か佐祐理がいつもはそのくらいの時間に寝ると、以前に言っていたことを思い出した。

祐一は佐祐理の様子を見る。

「大丈夫ですよ、少しくらいなら」

佐祐理は祐一の思いを察したのか、耳元でそう囁いた。

「社長は大富豪は知ってますか?」

「それなら知っとる」

その言葉で、トランプの場に一人が加わった。

全部で十人、場には倉木光の姿だけがない。

 

「ふむ、ゲームと現実の富豪は一致しないもんだな」

カードを切りながら秀一郎がそんなことを言う。少し嫌味な冗談だが悪くはなかった。

その時、佐祐理が小さく欠伸をした。

「……佐祐理、眠いのか?」

「ん、大丈夫だよ、舞」

佐祐理はそう言って微笑んでみたが、再び欠伸が出る。

「ふむ、そちらのお嬢さん方も眠たそうだし、もうそろそろお開きにするかね?」

秀一郎がそう提案する。既に日は移って、三十分ほどが経っている。健全な生活をしている人間なら、充分に眠たい時間だろう。

「そうですね、私も実を言えば少し眠たくて……」

半田は目をごしごし擦る。すると眠気が伝播したのか、成海も大きな欠伸をした。

「みっともねー欠伸」 と上田。

「五月蝿い」 成海はぴしゃりと言葉を返した。

「俺は余り眠くないけど……そうだな。そろそろ解散ですか?」

上田が秀一郎に伺いを立てる。

「まあ一人になるのは不安だが、鍵を掛けておけば大丈夫だろう」

「それと一応、何かドアの前に立てかけておいた方が良いですね。犯人が何らかの方法で鍵を開けたとしても防御できる」

「幽霊でもない限りね」 半田の言葉を受けて、上田がすこし茶化すように言った。

「幽霊か、そう言えば……」

幽霊という言葉に、秀一郎が反応を示す。

「幽霊が? どうかしたんですか?」

「いや、死んだ峰子が少し前に幽霊を見たとか騒いでいたことがあってな。あれは感受性の強いやつだから……だったか、もう。わしに言わせればああいうのは錯覚か何かだと……とにかくみんな、安全には最大限の注意を払って欲しい。これ以上犠牲者を増やさないためにも」

秀一郎の言葉を受けて、祐一を含む十人はそれぞれの部屋へと散って行った。秀一郎の姿を見送った後、二階に上がっていく高宮、上田、半田の三人を見届ける。そして祐一、舞、佐祐理、権田、御厨、成海の六人は階段に平行な通路を通って、奥の方へと向かった。

「廊下の電気はどうしますか?」

成海が廊下の電気のスイッチらしき盤に手を当てかけて、こちらを振り向く。

「付けっぱなしでいいと思うけど」 と御厨。

「そうね、外が暗いと何となく恐いし」

「じゃあ、ここでお別れじゃな。みんな、明日生きて会えると良いな」

「ちょっと権田さん、物騒なこと言わないでくださいよ」

祐一は思わず声をあげた。

「おお、すまんすまん。では良い夜を」

「おやすみなさい」

「おやすみ」

権田、成海、御厨はそれぞれの挨拶を返すと、部屋に入っていった。廊下には祐一、舞、佐祐理の三人だけが残る。

「じゃあ、佐祐理も寝ますね」

「本当に気を付けてくれよ。鍵はちゃんと掛けて、ドアの前には何か障害物を置いて」

「はい、わかりました祐一さん。じゃあ、祐一さん、舞、おやすみなさい」

佐祐理はそう言うと自分の部屋へと戻って行った。

「じゃあ俺も戻るけど、舞も大丈夫だよな」

「……多分」

「じゃあおやすみ、舞」

「……おやすみ」

各々の部屋に戻る祐一と舞。

祐一は部屋に入ると、部屋にあるクロゼットで通路を塞いだ。それから着替えることもなく、ベッドに横になる。しかし全く眠たくない。

外からは時折、窓ガラスが揺れる音と風の唸るような音が聞こえて来る。布団を上から被ると、今度は小テーブルに置かれた時計の針の音が妙に大きく聞こえて来た。

しかし普段なら気にならない音が気になるのは、やはり祐一の気分が昂ぶっている所為だろう。

ガタガタ、ヒュウヒュウ、カチコチカチコチ。

暗い天井を見つめる。

右を向く。

カーテンのかかった窓が見える。

左を向く。

クロゼットがあった空間がすっぽりと抜け落ちている。

横には鏡台がぽつんと寂しそうに鎮座していた。

時計を見る。

まだ深夜の一時。

朝まではまだ遠い。

コンコン。

何かを叩く音が聞こえる。

コンコン。

もう一度。

祐一は不審に思ってベッドから体を起こした。

コンコン。

三度、音がする。

それはノックの音だった。

「誰だ、こんな時間に……まさか、犯人?」

祐一はそう想像してぞっとした。平瀬峰子の胸を刺して無惨にも殺した犯人がドアの前にいるかもしれないのだ。

「いや、でも犯人だったら丁寧にノックなんてしないよな」

祐一は呟きながらも、一抹の不安感を抱いてドアに近付いた。

コンコン。

今度は近い。

「誰だ?」

祐一は小さく鋭い声をドアの向こう側の人物に向ける。

「……私」

「舞か?」

祐一は急いでクロゼットをどけて、ドアを開ける。

そこにはパジャマ姿の舞が立っていた。

「どうしたんだ? こんな時間に」

「……眠れないから」

舞はそう言った。

「そうか、俺も実は眠れなかったんだ。ちょっと話でもするか」

祐一の言葉に舞はこくりと頷いた。


[PREV PAGE] [SS INDEX] [NEXT PAGE]