第十二話 『死者』の告白

「遺書だって? だって彼女は、自分を守るためのアリバイを作ろうとしたんだろう。何で今更、遺書なんてものが存在するんだ?」

「それは……実際に見てもらえば分かるよ」 半田は泣きそうな表情で、上田の反論に答えた。 「今は私の部屋にあるが、取ってきて良いかな」

「ええ、良いですよ」 言葉を受けた佐祐理は穏やかに言った。

それからの一分は、最も気まずい時間だった。犯人だけがいない部屋で、皆が暴かれた真相や事件の絡み合いの複雑さに頭を巡らせているのだろう。

祐一は全てを終えて息を荒くしている佐祐理の方をちらりと見た。その目は青い悲しみの色を称えているように見えた。

「待たせたね」 半田は手紙を手に持ち、戻って来た。 「これだよ」

机の真ん中に置かれた手紙の表にはただ2文字『遺書』とあった。

その文字の重さに、誰もがすぐに手を取ることはしなかった。最初に手を取ったのは祐一だった。それを、皆にも聞こえるようにゆっくりと読み下し始める。

『……この手紙を最初に読むであろう、無関係な人たちに向けて、最初に謝辞の言葉を述べます。白に覆われたロッジの中で殺人が起こり、皆はさぞ疑心暗鬼に囚われたことでしょう。その中で争いの一つでも存在したかも知れませんし、或いは大切な関係が崩れたかもしれません。

そのようなことになった原因の全ては私にあるのです……だから、恨むなら私を恨んで下さい。しかし、私はこのような恨みを買おうともやらねばいけないことがありました。十七年前のあの日、まだ子供だった私が遭遇した恐るべき事件の復讐を、私は自分の手で成さねばならなかったのです。

まず、私の本当の名前は倉木光ではありません。もっとも、戸籍上は既にそうなっていますが、私が親から与えられた名前は、今の名前とは別のものでした。私の本名は白谷久生と言います。新聞やニュースなどで覚えている方もいるでしょうが、十七年前に惨殺事件が起こったあの白谷家の人間でした。

私はあの日林間学校で家を留守にしていたため、凶刃から逃れることができたのです。私が、父の犯罪だと警察の人から仄めかされた時、内心では納得する所がありました。父は所謂暴君で、私や母、そして弟に酷い暴力を振るいました。

時には目を血走らせて包丁を振り回すことすらあったのです。私は弟と一緒の部屋で、二人で肩を抱きあって震えながら暮らしていたのです。母は母で、その責任を私や弟になすり付け、罵声を浴びせたり暴力を振るったりしました。

だから母が死んだ時も、父が包丁を持って死体で発見された時も悲しくは思いましたが、ほっとする思いの方が強かったのです。こんなことを知ったら、私のことをさぞ非情な人間だと思うでしょうね。実際、私は二人の人間を殺したのですから。

そう、私の殺したあの二人、平瀬夫妻についても話しておかなければなりませんね。最初、母を殺し弟を重症に至らしめた凶行は父の仕業だと思い込んでいました。しかし、私は知ってしまったのです。本当はその犯行を行ったのが平瀬修一郎で、父を自殺に見せかけて殺したのも彼でした。

弟の容態が病院内で悪化し、死んでしまったのは彼の愛人であった峰子が医療ミスに見せかけて殺したからでした。それを笑いながら話している所を、私は目撃してしまったのです。あの時、私は呆然としました。今までの経験や事実ががらがらと音を立てて崩れていくのを感じたのです。

彼らは父が犯した過ち、麻薬売買によって稼いだお金を父を殺して強奪したのです。そして、その罪を父に着せました。けど、そのことは私にとってどうでも良いことでした。けど、あの白い監獄のような家でずっと寄り添って来た弟を殺したことだけはどうしても許せませんでした。

私は警察や病院の色々な人に訴えましたが、誰も相手にしてくれませんでした。私は自分が子供だから、駄目なのだと思いました。だから大人になって力を付けて、それから二人を殺してやろうと考えたんです。本当に狂気じみたことですけど……。

私は五年程施設で暮らした後、子供のいない老婦人の元に引き取られました。その方が都合が良いと思い、私はその老婦人の養子となり苗字を変えました。二人の喜ぶ姿を見た時には強い罪悪感が浮かびました。遠くない未来、二人を悲しませることが分かり切っているからです。

高校を卒業し、私は仙台に出て看護婦になるために医療短期大学に通い始めました。人体構造を知れば、後の殺人に役に立つと思ったからです。本当なら医者になりたかったのですが、私は理系科目が苦手だったのでそれは叶いませんでした。

真面目に勉強したお蔭で、私は優秀な成績を収めました。もっとも、そこには私の邪な思いがあったのですが。短大時代に私は平瀬夫妻の居場所も突き止めました。私は看護婦として病院で働くと同時に、二人の動きに目を配らせていました。

そうして一年前、看護の資格を持った住み込みの看護婦を探していると聞き、即座に立候補しました。そしてそれは、私の計画の始まりを意味していたのです。半年前にこのロッジの存在を知った時、白に覆われるであろう時期にこの場所で二人を殺してやろうと決めました。

そのためには、二人をこのロッジに閉じ込めるための手段が必要でした。雪崩を人工的に起こす手段が必要だったのです。そのための爆薬をどう手に入れようかと思案していましたが、それは思いがけない所で手に入ったのです。

私が休みを貰い町に出た時、同じ病院に勤めていた一人の医師に出会いました。それは私も良く知る医師でしたが、久しぶりということでいきつけの居酒屋に飲みに行ったのです。私はそこで、彼の愚痴を始終聞かされました。

権力争いにも負け、妻は子供と一緒に逃げ、心底落ちぶれてしまった。今すぐにでも死んでしまいたいが、勇気がないとまで言ったのです。その時、私は冗談めかして言ってみました。私が貴方を殺してあげるから、代わりに指定した薬を病院から盗み出してくれないか、と。

すると彼は、嬉々として飛び付いたのです。そして自分を陥れた医師たちの復讐といった筋書きまで、彼は考えたのです。どうせ死ぬなら、世間の人間や自分を排斥した人間を驚愕させて見たいと。それは彼が若い頃持っていた、僅かな虚栄心の所以だと私は思っています。

目的を果たす前に、私は殺人を犯さなければいけませんでした。それは簡単なことで、薬を飲んで眠っている彼を、首吊りに見えるよう吊り下げるということだけです。密かに彼が作ってくれた合鍵で鍵を掛け、そして自殺は完了しました。

素材があれば爆弾を作ることは簡単です。この辺りは図書館の資料を参考にしました。リモコンで遠隔操作し、何時でも自由に爆発させることができる爆弾です。電波には携帯のものを使いました。こうして私は事件を起こす数日前に、密かに爆弾を仕掛けに行ったのです。

今、これを書いているのは私の引き取り先の実家からです。きっと両親は私の仕出かしたことを悲しむでしょう。でも……やはり私はやらなくてはいけないのです。既に両親には、これとは別の手紙をしたためて置きました。それは私の部屋に隠してあります。

心残りがない……と言えば、嘘になります。結局、私は多くの人間を欺いていたのですから。それを思うと、やはり心苦しいです。最後に……本当はこのことは隠しておくのがあの人のためだと分かっているけど、それでもこれだけは伝えずにはいられないのです。

こんなことになってしまったけど、私はあなたに会えて本当に良かった。本当なら、あなたと幸せに暮らしたかった。けど、遠い昔、私に課した盟約を覆すことは出来ないのです。努力はしました。けど、その度に弟の縋るような、脅えるような目が私の脳裏を過ぎるのです。

復讐なんて不毛だと分かっているけど、それでもやるしかありませんでした。私は、三人もの人を殺めた恐ろしい人間です。どうか、私のことは忘れて、あなたはあなたの幸せを掴んでください。そして、私もそれを心から望みます。

それが、最後の願いです』

長い手紙を読み終えた後、半田が言った。

「光が最初から欺こうとしていたのは、社長だけだった。それ以外の誰をも欺く気などなかったんだ。そして夫妻を殺した光は……死ぬつもりだった。

光が私との中を内緒にしてくれと頼んだのも……私の後の人生に迷惑をかけないように、犯罪者の恋人として阻害されないように思ったからかもしれないんだ。私はそんなこと、一つも気にすることなど無かったんだ。私は、彼女がどんな人間であろうとも良かった……」

その顔が、大きく歪む。まるで大きく湧き出す感情を抑えようとするかのように。

「私に当てられた最後の文章を見て、何とも言えない気持ちになった。これが、私を復讐に駆り立てる原動力となったんだよ」

復讐への原動力……恋人を思いやる言葉が、新たな殺人を呼んだのなら、これほど皮肉な、そして悲しいことはないだろう……祐一はそう思う。

「これで……私の話は、終わりだ」 その言葉と共に、このロッジで起きた殺人事件の解決編も幕を閉じていく……そんな空気が漂い始めた頃だった。

ガタン!!

椅子を倒す音がして、一人の女性が床に倒れ込んだ。その姿を見て、祐一と舞はすぐに駆け寄る。倒れたのは佐祐理だった。

彼女は先程よりも息を荒くして、苦しそうだった。

「……熱がひどい」 舞が額に手を当てる。

そう言えば……祐一は佐祐理の状態を思い起こす。

ここで話を始める前から咳とかをしていたし、推理をしている時も何となくぽーっとした、恍惚とした表情を見せていたが……。

「無理してたのか……」 それに気付けないのは我ながら間抜けだと祐一は思った。

入口のドアを強く叩く音がしたのは、その時だった……。

 

それからは、殆ど語ることはない。

佐祐理は熱がひどいということで病院に運ばれた。

警察の人間に何度も説明を求められてうんざりしたが、丁重に答えるしかなかった。あの時ほど、融通の利かない警察を恨んだことはないだろう。

祐一や舞としては、早く病院に運ばれた佐祐理の様子を見に行きたかったのだが、その日は面会時間を過ぎていたため、会うことができなかった。

次の日、警察から解放された祐一と舞は佐祐理の入院している病院へ急いで向かった。

部屋では、佐祐理が寂しそうな表情で窓の外を見つめていた。しかし祐一と舞の姿を見かけると、いつものような笑顔を見せる。

「あっ、舞、祐一さん」 佐祐理の弾んだ声からして、既に病気は小康状態に落ち着いてきていることがはっきりと見て取れた。

「……佐祐理、大丈夫か?」 舞が本当に心配そうな顔をする。おそらく自分が倒れてもこうは心配してくれないだろうと祐一は思った。

「いきなり倒れたからびっくりしたよ」 心臓に悪い、と本当に思う。 「風邪気味だったんなら、無理しなくても良かったのに」

「うーん、軽かったから大丈夫だと思ってたんですけどね」

佐祐理は倒れたというのに、マイペースだった。

「軽いとかそういう問題じゃないと思うけどなあ」 別に非難する訳でもなく祐一は言った。 「ところで佐祐理さん、窓の外を眺めてたけど、何を見てたんだ?」

悲しそうに窓の外を眺める佐祐理の姿に、思わず訪ねる。

「……舞と祐一さんが早く来ないかなって、思ってたんですよ」

ならば、あんな悲しそうな顔はしないだろうと思ったが、祐一は敢えて黙っていた。

「……佐祐理、これ」 舞は近くのコンビニで買ったアイスクリームを佐祐理に手渡した。 「熱がある時、これを食べると気分が楽になる」

「へえ〜っ、そうなんだ舞。じゃあ、一つ貰いますね……でも舞の分は?」

「……買った、祐一の分と三つ」 舞はバニラのカップアイスを佐祐理に手渡す。

「じゃあ、頂きます〜」 佐祐理は木のスプーンを手に取ると、外側が溶けかけたアイスクリームを口の中に運んだ。冷たく甘いアイスは、舞の言った通り熱のある身体には心地良かった。

佐祐理は祐一に嘘をついた。佐祐理は漠然と外を見ていただけで、先日の事件のことをずっと考えていたのだ。

もし……自分の大切な人が誰かに殺されて、犯人が身近にいる誰かだったとしたら、どういう行動を取るだろうか。もし、身近にいる大切な人が危険に曝された時、どういう行動を取るだろうか。

或いは最悪の選択を取るかもしれないのだ。

そう考えると、佐祐理の心は自然に暗い方向に向かっていった。

バニラアイスクリーム。昔は唯一大切だった弟と良く食べた。そして今、その味を共有しているのは舞と祐一という、新しくできた掛替えのない二人……。

「それから、佐祐理さんの家にも電話をかけておいたから。殺人事件に巻き込まれたって話したら、佐祐理のお父さん、泡を吹いたように驚いてたよ。娘は無事か、無事かってね」

祐一の物真似が余りにも上手いので、佐祐理は思わずぷーっと噴き出した。

「祐一さん、それ、そっくりですよー」

「……本人かと思った」 舞がぽかんと口を開けて、祐一を見ている。

「それで佐祐理さん、退院はいつになるんだ?」 祐一が照れを隠すように言った。

「明日には出られるそうですよ。でも帰ってからは忙しいですよね。引越しの準備にアルバイト、新しい生活……」

佐祐理と祐一と舞は、来月から一緒に暮らすことになっている。そのことに関しては、佐祐理は父親の反対を受けた。それは仕方がないことだろう。だが、佐祐理は夢のような三人の同居生活をどうしても諦めることができなかった。

結局、父を説得させた言葉は『一弥を失った佐祐理に力を与えてくれたのは祐一さんと舞の二人なんです。だから、離れ離れになるのは嫌なんです』という言葉だった。

佐祐理は昔、一度自殺している。大切な弟を失い、その原因が自分にあると思って……自分を嫌悪して、手首を切ったのだ。

父はそのことを知っているからこそ、佐祐理の言葉を受け入れざるを得なかった。卑怯なやり方だとは思うが、やはり舞と祐一と三人で一緒に暮らしたかったのだ。

自分で一歩を踏み出した時、始めて強い自分になれると思ったから……。

「……そう。だから、佐祐理も早く元気になって」 舞が覗き込むようにして、佐祐理の顔を見る。 「……そうしたら、楽しいことが沢山できる。動物園だって行ける。買い物だって一緒に出来る。毎日、一緒に遊べる。ずっと、ずっと幸せな生活だと思うから」

舞は未来の自分たちを夢見てるのだろう、顔が大きく綻んでいる。

そんな姿を見たら、何となく暗い気持ちが吹き飛んでいた。

そう、多分、未来は……。

この舞のはにかむような笑顔のように明るいから。

だから、心配することはない。

どんな困難があっても、二人となら乗り越えられると信じられるから……佐祐理はそう思った。

 

しかし。

この時はまだ、誰も想像していなかった。

佐祐理の危惧が全て、現実のものになるということに。

そして、今回の事件から派生したもう一つの悲劇に否応無しに巻き込まれるということに。


あとがき

うーん、ようやく終わりました。400字詰め原稿用紙350枚強……多分、今までのSSの中では間違いなく最長だと思います。確認するのが嫌なほど伏線を張って不慣れなプロットを書いて、相当複雑な話でした。きっとオーソドックスなSSを望んでいる人は素足で逃げ出すくらいの物量と濃さだった筈です。

これでようやく第一部から第三部まで終了しました。残りは約半分……その内の第四部は多分、中編くらいの話をなります。それは今回の事件で語られた、あるエピソードに関する事件です。少し間を置いてから、公開しようと思います。舞台は祐一たちの住む街なので、他のKanonキャラも(あゆを除いて)登場しますよ。

あゆ「うぐぅ、何でボクだけ出られないの? 理由を言ってよ」

作者「安心しなさい、うぐぅにはラストの事件で思いきり活躍して頂く予定ですから」

あゆ「本当?」

作者「ええ……キィパーソンとしてね(にやそ)」

どのくらいの方が読んでくれたかは分かりませんが、このようなくどい話に付き合って有り難う御座います。特に推理を送って頂いた方、感謝感謝です。

祐一「はあ、疲れた……こんな頭がパンクしそうな事件、もう勘弁して欲しい」

あゆ「はあ……次回も出番無し決定だって」

祐一「そりゃ、日頃の行いが悪いからだろ?」

あゆ「ボク、何も悪いことしてないよ」

祐一「食い逃げ(きっぱり)」

あゆ「うっ……後でお金払ったのに……」

まあ、余り長くなるとあれなので今回はこのくらいで。では次回「吸血鬼の密室」事件でまた会いましょう。

追加(2000年11月30日)

オフライン版を作成するに渡っての追加です。とにかくこの話で苦労したのは大量の複線を如何に収束させるかでした。三つの殺人が様々な人間の思惑によってに繰り広げられており、しかもそれを平素な形で解決させなければならないのですから。その結果、解答編の佐祐理さんが金田一少年になってしまいました(爆)

精緻な論理が必要だと冒頭でも書いた通り、読んだ方にとっても相当難しい謎となったようです。

前回、前々回と正解が殆どだったので生半可な推察じゃ解けないようにと思ったのですが、逆に今度は完全解答の数どころか解答の投稿数までぐっと減ってしまいました。簡単に当てられるのも悔しいが、こういうのも少し寂しいと思ったりします。

複数の事件が起こり、それぞれの事件について単独で犯人が指摘できる。しかも全体的に見るとそれらが繋がって、一つの事件を構成する。これは横溝正史や有栖川有栖の有名作品に強い影響を受けてます。

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