16 妄執の迷路


33 GAIN TIME(1999/08/16 07:15 Mon.)

「成程、犯人がそうやったのは間違いないと思う。平秀氏の足が悪くないということだけで、こうも見通しの良い推理が得られるのなら、多分倉田さんの言うことは粗筋で当たっているのだろう」世田谷刑事は、数分ほど黙って吟味した後、そう結論付けたようだった。そして、近くの警官に鑑識に関するいくつかの調査を言い与えた後、佐祐理に更なる話を促した。「しかし、まだ分からないことはある。大囃平秀が犯行を行った動機はなんだ? 親が自分の子供を皆殺しにするなんて、普通じゃ考えられないぞ。貴女にはそれも、分かってるのか?」

「ええ。人の心を推し量ることはどんな人間にもできませんが、あくまで想像でしたら幾らでも語ることはできますよ。平秀氏が四人の息子を殺しめた動機、それはたった一つの妄執にほかなりません」

「妄執ということは――とどのつまり、彼は狂っていたということか?」

刑事が、顔をしかめて嫌そうに尋ねる。

「そうですね、狂っていたのでしょう。何しろ、本当に大事な者の為に――」

佐祐理は、不意に旨をもたげてきた精神的動揺に抗う為、大きく深呼吸をする。

「人殺しすら、やってのけたのですから。彼は七年間もの長い間、ただ一つの考えに凝り固まっていました。この事件の動機――それは彼の妻を殺害したかもしれない候補者の皆殺しです。恐らく、平秀氏は七年前に妻の博美さんが車に轢かれた事件を事故ではなく殺人と考えていたのでしょう。それは、彼が事故という結論の下した時、随分と抗弁したという事実からも分かります。平秀氏は、妻が轢き殺されたと――それは今や正しいことが分かっていますが――考えていたのです。そして実業家らしい思考で、その動機を割り出しました。遺産の取り分です。平秀氏の持つ遺産はこの館も含めて、かなり大きなものであることが想像できます。平秀氏は色々と調べたのでしょうが、しかし犯人に至る決定的なものを何一つ手に入れることができなかった。そのことで悩み続けている平秀氏に三年前、ある一つの悪魔的な考えが浮かびました。

この計画の原因が生まれたのは七年前に平秀氏の妻が轢き殺された事件ですが、容疑者全員の殺害というところまで飛躍したのは、三年前です。勿論、殺害計画がその時期から始まることを示すものは沢山あります。例えば、あの『天使の消える街』という絵が購入されたのは三年前だということを思い出して下さい。壺の盗難未遂と損壊騒ぎがあったのも三年前です。前者はその存在を結果的に、幾つかの重大な事実に対する目晦ましにする為に購入されました。そして、後者は警察の徹底的な捜査がどのレベルまで行われるかを確かめる為にという目的で実行されたのです。その為、自宅の壺を自分で叩き割り、警察をわざわざ屋敷に呼び寄せたんです。己のステイタスに対する敬意や注意の払い方、また警察の疑いを巧みに誘導する練習として」

「じゃあ、警察はまんまと彼に担がれたというわけか?」

「そうです。実際に犯行を起こす前に、より軽い犯罪で練習するというの酷く奇妙な動機ですが――実は海外のミステリィには同じような犯行動機を持つ作品が数例あります。とにかく、その時は自分に犯行の疑いが向かず、そしてその働き方を精緻に観察することができたので、平秀氏はとても満足したと思います。そして、平秀氏の妻である博美さんの墓が屋敷の敷地内に設置されたのも三年前ですし、細かい点を挙げると絨毯が白に変えられたのも三年前でした。後者は第一の事件において、血の存在をよりはっきりと警察に示す目的がありました。そのように細かな作為さえ、事件と関係があるわけです。そして、前者は第一の事件において大囃羊山氏を外におびき寄せる為の口実にしました。平秀氏は羊山氏に、博美さんの死が事故でないことを強く匂わせました。勿論、羊山氏は犯人ではありませんし、彼は強く否定したでしょう。平秀氏は妻の墓の前でそれを誓えるかとでも言ったのでしょう。羊山氏は真面目で四十近くになっても結婚しないという点から考えると、内気というだけでなく騎士的な感情も強かったのでしょう。きっと勇んで誓った筈です。しかし、待っていたのは誓いでなく死だったわけですが。屍体は位置的に東勝手口と墓表の丁度、中間地点にありました。その事実も、二人の向かい先が博美さんの墓表であることを裏付けると思います。このように幾つかのものがまとめて作られ、またはお膳立てされました。しかし、直ぐに実際の殺人を行えば変化の量からいらぬ疑いを抱かれる可能性がありますし、下手するとトリックもばれてしまいます。その為に必要な冷却期間を、平秀氏は三年前と考えたわけです。

あと、少し時期がずれますが宅配便の悪戯の件もその一つだと思います。あれで、平秀氏は早乙女さんに、ひいては我々に宅急便などの荷物が改められていて、そういう経路から危険物を入手するのは不可能だという考えを植え付けようとしましたよね。悪戯のあったのが二年と少し前という話でしたが、平秀氏はそれ以前の荷物からボウガン等の入手困難物をまとめて取り寄せていたんでしょう。そして、事件が起きる前日までは墓標の骨壷が眠る中に隠しておいたに違いありません。事件があれば真っ先に調べられるところですが、事件のない時は誰も手を付けられないでしょうから。

更にはこの屋敷の人間に対して殺意の動機を持ち得る者や、過去がわかりにくく適度に怪しく見えてしまう人間を、故意に雇いました。今回は早乙女良子さんに白羽の矢がたったわけですが、平秀氏は名誉の為に有本裕美さんや大笛和瀬さんの二人を犯人にでっちあげる可能性もあったわけです。二人が雇われたのも、偶然じゃありません。綿密な計画、そして生贄――あの時、わたしは使用人の経歴を聞きだして、確信したんです。彼らは使用人ではなく、生贄候補として雇われてるのだと。ぞっとしない考えですが、人間を切り売りしていく実業家にはそういった冷たい面もあるのかもしれませんね。本当に、ぞっとしないことです」

ぞっとしないという割に、佐祐理は肩一つ震わせなかった。しかし、そのことには誰も気付かないし、それ以上の演技を見せる必要もないと思っていた。まだだろうか――まさか、あの女は義務を放棄したのではないかと考え、初めて胸を這い回る焦りが満たし始めた。

これ以上は――猶予できそうにない。

「そんなことまで――人を四人殺す為に憎い相手と何度も平気な顔で応対していたって訳か。確かに、ぞっとしないな」

刑事が独白のようにぼそりと呟き、佐祐理は我に帰る。自分は警察に推理を語る義務はない。しかし、時間を稼ぎ、疑いを打ち消し、そして警察を引き付けなくてはいけない。あのことを、あの女になさせる為に。その為に、佐祐理は平静を保とうと強く努力した。あのことをあの女になさせる為に、自分は推理を続けないといけない。彼女は怖がるポーズをしてみせ、話を合わせた。

「ええ。しかし、そこまで平秀氏を駆り立てたものの正体がわたしにははっきりと分かりませんでした。分かるのは、この事件が妙にミステリィじみていることです。犯人はミステリィをある程度知ってる人間、或いはそれに触発を受ける立場だからこそ、そしてそれが必要だからこそ、ミステリィのような事件へと発展します。わたしは以前、雪山のロッジで同じような事件に遭遇したことがあるのですが、その犯人はある人物から目を逸らすためにトリックを欲し、恋人がミステリィを題材にしたゲームを開発して沢山の話を聞いていたことが引き金になりました。では、今回の引き金はどこにあったのでしょうか? あの屋敷で平秀氏にミステリィの知識を与えそうな人間は? ただ一人だけいます。それが大囃輝さんで、彼の自殺の原因も正にそこにあるのです。わたしは早乙女さんに、平秀氏がミステリィに触れたことがないか聞きました。すると輝さんは、以前にミステリィ漫画を興味深く読む機会があり、譲り受けたり購入したりしたという事実を教えてくれたんです。わたしは書庫に入りそれらの漫画を流し読みしました。そこには『愛する人間を殺した人物を亡き者にする為、少しでも疑える人物を集めて皆殺しにする』という、今回の事件に似た作品がありましたよ。輝さんは幾つかのことから祖父が犯人だと気付き、そしてその動機と原因を知ったのでしょうね。彼でなくても――自分が四人もの人間を殺したのと同義だと知れば、普通の心ではいられないんじゃありませんか? 普通の人間なら、死んで当然だと思います」

そう――死んで当然なのだ――。

「この事件の発端は妻に対する夫の執念にも似た愛情です。その為に、平秀氏は実の子供を四人とも殺しました。そして、自分だけは名誉を守りつつのうのうと自分の命を自らのままに使い切り、そして死んだのです。そして、その発端の一つを担った彼の孫が、罪悪感に苛まれて自殺したということです。余りにも強く純粋な愛だから、それは簡単に純粋な憎しみになってしまうのかもしれませんね。きっと――だからこそ、恋愛物語って大体は悲劇なんですよ」

佐祐理はそう締め括り、未だ何の変化も起こらないことに、幻滅していた。あのことをあの女が起こせば沈黙を守るつもりだったが、反故にするのならば全てを曝け出すまでだ。上手く行かなかったのは残念だが、この屋敷の権威と格を破壊させるだけで満足しないといけないらしかった。幸い、ここには自分の言うことを信じた警官が何人でもいるのだから――。

彼女が当てにする刑事は、最後の佐祐理の言葉に深い含蓄を受けたらしい。偉く渋い顔をしながら何度も頷いている。そして、何人かの関係者と話し込むこと十分も経った頃だろうか。ようやく結論を出したらしく、世田谷刑事が代表して佐祐理に声をかけた。

「分かった。幾つか裏付けを取らなければならないことはあるが、大囃平秀が犯人ということで今後は調査してみることにする。倉田さんの言うとおりなら、直ぐに証拠も見つかるだろう。ただ、一つだけ気がかりなことがある。この事件の発端となった、轢き逃げ事故だが――あれは一体、誰がやったのだろうか? 倉田さんはそこまで分かっているのか?」

勿論、知っている。

「さあ、わたしはそこまでは分かりません。関係者は皆、天国に行ってしまいましたから、わたしには確かめようがないですね。後は、神様にでも聞いて下さい。探偵は神様ではないので、何でも知っているわけではありませんよ」

だが、佐祐理は嘘を吐いた。何れは語ることになるかもしれないが、このことは未だに切り札だからそう簡単に手放すわけにいかない。彼女がぐっと拳を握りしめた、丁度その時だった。

まるで悲鳴のようなブレーキ音。それから、どしんと響く鈍い音。

約束は守られたのだ。

「どうした、何が可笑しいんだ?」警官の一人が不審に尋ねてくる。どうやら無意識に笑っていたようだが、しかし佐祐理には笑いを隠すつもりはもうなかった。

「先程、わたしは言いました。『自分が四人もの人間を殺したのと同義だと知れば、普通の心ではいられないんじゃありませんか? 普通の人間なら、死んで当然だと思います』と。だったら、六人もの人間を殺したのと同義だと知れば、やっぱり自殺してしまうものじゃないでしょうか? ねえ、そうは思いませんか?」

しかし、佐祐理の問いに答えるものは誰もいなかった。何故なら一人の警官が駆け込んできて、皆にこう告げたからだ。

「大変です。今、表の方で事故が起きて――若い――若い女が巻き込まれて――とにかく酷い事故です」


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