第三の眼

  • 第三の眼 上巻/下巻 (新書判/各392ページ)
  • 東6ホール/き43-a 「La Mort Rouge」にて頒布
  • 頒価: 3,000円 (会場での分冊販売は不可とさせて頂きます)
  • R-18相当の内容が含まれるため、当日は年齢の分かる身分証の提示をお願いします。
06/01あとがきを掲載しました。
05/28ブログに例大祭で頒布した本の不備/注意点を掲載しました。一読をお願いします。
05/14委託情報を追加しました
05/13博麗神社例大祭9 新刊・特設サイトopenしました。

ややこしい前書き

本作は些か特別な出自のため、先んじて説明を施す必要がある。

私が作者のローゼス・ヴォイド氏(以下V氏と呼ぶ)と知り合ったのは半年前のことだ。

といっても一方的にメールアドレスを送られてきたのであり、きちんとした交流があったわけではない。やり取りも実に素っ気ないものであった。このことに関しては後述するとして、まずはことのはしりから語ろうと思う。

V氏の名前が初めて登場したのは今から三年前のことである。某創作掲示板に投稿された『覚りと精神分析家』の作者としてだ。あまりの素っ気なさ、そしてレンタルサーバの管理ミスによるデータ消失により、この作品は公開数日にして姿を消し、再投稿されることもなかったのである。

そのため『覚りと精神分析家』は知る人ぞ知るというより、むしろ伝説に近い趣を持ち、ネットの世界に漂うようになった。

その発端を求める作業は有志により幾度となく行われてきた。あるものは某巨大掲示板の過去ログに辿り着き、またあるものは某有名評論家のブログ記事に到達する、またあるものは某動画サイトの動画にその源を発掘する。だが改めて確認するといずれもが404を示したのである。アーカイブを漁っても該当情報には辿り着けず、全てが偽情報として世に埋もれ、真実を求めるものは必ずや偽りを掴まされるという都市伝説まで生まれる始末だ。

当の『作品』についても当を得ない。様々なサイトに『本物』をうたった作品がアップロードされるのだが、有名となったパターンだけでも四つ、そうでないものを含めば三桁近いバリエーションが、ネットの世界には混在していた。まとめWikiが複数存在することからも、その混迷ぶりは理解して頂けると思う。

こうなってくるとそもそも『本物』が存在するのかどうかすら怪しくなってくる。流布された噂も全ては入念な釣りではないのかと主張するむきもネットには少なくなかった。中国が日本に情報戦を仕掛ける前触れであると声高に訴えるサイトもあったくらいだ。流石に突拍子のない意見ではあるが、要するにそれだけ錯綜していたというわけである。

以上は熱心であるが些か冷静さを欠いたものの行動である。ネットの知識を並以上に有するものたちはもう少し簡単に問題を解決できると考えた。

そもそもネットは匿名性の高いメディアと言われるが、アクセス情報などを丹念に解析すればその源を割り出せない訳ではない。原典が投稿されたサイトもミラーリングされており、だから大元が情報を開示すれば良いはずなのである。だが数多くの訴えにも拘わらず、沈黙は守られ続けた。

その目論見はしばらくして明らかになる。サイトの母体となる会社と某出版社が手を組み『覚りと精神分析家』の『原典』を出版すると表明したのである。界隈は湧きたち、その是非があらゆるところで問われた。その最たるは、フリーで公開された一作品を無断で書籍化できるならば、他の投稿作も同様に使用されてしまうのではないか……所謂著作権と規約の問題であり、いかに作者不詳と言えどこの出版は違反の謗りは免れ得ない。対する答えは書籍化以上の爆弾となって界隈を襲った。

作者であるV氏の了解を得ているというのである。

その衝撃により、囂々であった非難もなりを潜め、大勢は出版への賛同で固まった。一部嫌儲派、懐疑派が頑迷な批判を続けたがなしのつぶて。かくして『覚りと精神分析家』は大っぴらに、世に問われることとなったのである。

さてその結果であるが、皆様ご存じの通り、散々なものであった。稚拙な物語、杜撰な編集と装丁、表紙のイラストは内容とそぐわない。ライトノベルレーベルでもここまでのものはないというくらいの酷さであり、しかも相次ぐ酷評に作者がぶち切れて、内情を暴露してしまったものだから、後に控えているものが惨憺たるものであったことは想像に難くない。

この一連の騒動によって『覚りと精神分析家』はコンテンツとしての寿命を根こそぎ刈り取られてしまった形となり、各所の賑わいも嘘であったかのように盛り下がってしまった。あれほど活気に溢れていた『本物』たちも徐々に引き上げられ、404が目立つようになった。

以上の顛末は、まとめサイトの情報を要約したものである。かくいう私は『覚りと精神分析家』騒動に全く興味がなく……否、正直に言おう。私はブームに乗り遅れたのである。多数に持て囃されているものへの興味からそっぽを向くという、全く得にならない天の邪鬼気質が発揮されたのだ。同様の少数派においては『原典』が散々たる自爆を果たしたとき拍手喝采したものが多くを占めるが、私はまたその考えにも与しなかった。斯くも優れた物語が実は幻想であったことに、強い失望を抱いたのである。かといってこの悲しみをぶつけようにも、既に話題は塵と化したあとである。

私があるサイトで『覚りと精神分析家』のテキストを発見したのは、そのような時分である。もはや贋作でも構わないと思い、ブラウザに表示された文章/物語に目を通し。それは私にある種の挑戦状を叩きつけてきたのである。一言で現せば『非常に読み難い』ものであった。

一文、一語にいちいち二重、三重の意味を載せる表現が多用されているのである。無意識の言葉は煩雑な多義、混沌の淵にあるそうだが、正にそれを体現したような文章であり、約20,000字ほどの内容を読み切るのに一週間以上かかった。だが決して文章が稚拙なわけではなく、言葉選びも実に巧みであった。読んで詰まらない文章というわけでは決してなく、深奥に激しい光をたたえる、そんな作品であった。

最早ものの真贋は関係なかった。私はこの作品の魅力を伝え、世に広める必要があると考えたのだ。文意、語意を必死でたぐり寄せ、ほぼ本文と同じ分量の論考を完成させたのが約半年前のことである。しかしそれはたちまち意味のないものになった。リンク先から文章が消えていたのである。そのため私の書いた論考はかのホルヘ・ルイス・ボルヘスが成した架空の評論に同じであると勘違いされてしまった。一定の評価は得たものの、それは私が本当に得たかった讃辞ではなかったのである。かくして悶々とした時を過ごす私に、運命のメールが届いたのである。

Biffが新着を拾い、長いダウンロードの時間があった。ウイルスを疑う私の目に飛び込んできたのはV氏の名前/メールアドレス/第三の眼.zipなる添付ファイルだった。

件名をクリックし、メールを開く。丁重な挨拶から始まり、私の読んだ論考を感心のもとに熟読したのだということ、私にならこの草稿を託せるという内容のことが書いてあった。念のためにウイルスチェックをかけてからアーカイブを解凍すると、1MB近いテキストファイルがぽつんと姿を現した。第三の眼.txtと名付けられたファイルを開くと、最初の二行にはよく小説であるようなありきたりな散文で綴られていた。

 

夢の始まりとなる場所で、わたしは書いている。

とてもとても残酷で、悲しい姉妹の物語だ。

 

その後にV氏のものと思われる謝辞があった。私は私であるゆえ、このような散文を書くことこそ苦痛なのである。人間に読み下せる文体に翻訳して欲しい。その結実はあなたの好きなように扱って良い、と書かれていた。二行空けて『第三の眼』と題名が記してあり、その先は『覚りと精神分析家』と同様の、重ね合わせの文体が長々と綴られていた。1MB近いということは、約50万文字である。よくもまあ綴れたものだと呆れ、次に熟考し、やがて結論した。この重層的な文体を何としてでも読み切ってやると。

結果としてそれは1ヶ月を悠に超える仕事となり、私はその中で大きな疑問/戸惑いにぶち当たってしまった。この『第三の眼』は東方地霊殿の、特に古明地姉妹について描かれた代物だったのだ。

東方地霊殿とは上海アリス幻樂団という名のサークルが発表してきた東方Projectの第11弾にあたる。2008年夏に頒布され、シリーズ至上最高の難度を誇り、多くのプレイヤを苦しめてきた。かくいう私もノーマルの打開に10日、エクストラの打開には1ヶ月以上もかかってしまった。恐るべき姉妹は作品の難易度を物語る一種の象徴であったと言えよう。

斯様な背景を持つ作品の、主要キャラの物語なのである。私はメールを通じて何度もことの事情を問い質し、あるいは仄めかし、あなたが誰であるかを追求したが、これはある種の真実であると主張して譲らず、名は名乗った通りだとつれなく、私の編者としての資質が薄いことを俄に示唆されたこともあり、黙って翻訳/編纂を続けるしかなかった。それは長く辛い作業であったが、同時に胸弾むものでもあり、善意の協力者たちの手を借りることもでき、何とか完成に漕ぎ着けることができたのだ。それが今回頒布する上下巻の書物である。あくまでも抜粋/編纂であるが、相応の物語を組み立てることができたのではないかと自負している。

さて、私は完成した内容をいの一番でV氏あてのメールに添付して送信した。私の元に届いたのと同じ第三の眼.zipだが、素っ気ないテキストはイラストが付与され、折り目正しく組版され、出版に耐え得るものとなっていた。私はこれをV氏に読んで欲しかったのだ。しかしその念願は今日現在叶っていない。何故ならばメールは送信先不明により戻ってきたからだ。

V氏に読んでもらえないと分かったとき、私は随分と思い悩んだ。V氏は気紛れでなく、明確な目的をもってメールアカウントを削除したはずだ。そこには意図があり、私はV氏の理解者として十全に紐解かなければならないはずだが、最終的な結論には至れなかったからだ。

否、仮説なら一つだけある。だがそれを確かめるにはイベントの当日を待つ必要がある。

果たして私の持論は当たっているのだろうか。それを確認するのが当日最大の楽しみの一つなのだ。

以上が、ややこしい前置きの全てである。

最後まで読んで頂いたこと、ここに感謝の意を表明し、もって序文の終わりとしたい。

 

2012年5月13日 仮面の男

 

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作品紹介

第三の眼・上巻

第三の眼・上巻

作者
ローゼス・ヴォイド
編者
仮面の男 佳励なる仮面劇場
イラスト
のきしたのらくえん
判型
新書判・透明ビニルカバー・小口染め(ピンク)/392ページ
発刊日
2012年5月27日博麗神社例大祭9
概要
突如として山に生まれた読心の怪物が、貴き山の住人たちとの交流を通して徐々に成長していく様を描いた「鏡の中の鏡」/地底に住む妖怪の姉妹がその体と心に抱える問題を理由に、激しく反目しながらも恋い焦がれる歪んだ愛憎劇を描いた「第三の眼」(前編)の二編を収録。古明地姉妹の源流がここに明らかになる。
 
サンプルを読む

 

 古明地さとりは久しぶりに夢を見た。誰の心を知ることもできず、ただ一つであるということ。第三の眼など始めからなかったかのように振る舞い、読めぬ人の心に怯え竦む。夢であると気付いてなお例えようのない悪寒に襲われる、さとりにとっての最低の悪夢だ。わたしがさとりとこいしに切断されてから、稀にそのような夢を見るようになった。

 この夢を見るからこそ、さとりはこいしの存在を信じることができた。いつか地上に出てこいしを迎え入れる。かつてのようにわたしとして暮らす。地底での過酷な生活/種族ゆえの迫害に晒された厳しい時期において、それは心を支える縁となったのだ。

 その望みは今から百五十年ほど前に果たすことができた。人間の悪意に晒され続けて心を閉ざしてしまい、業の深い職業に従事していたこいしを救世の念に憑【つ】かれた男から取り戻すことができたのだ。

 積もる話を聞く時間はいくらでもあった。覚りの力を失ったくだり、余りにも浅ましくおぞましい人間の仕打ちを微に細に聞かされたときは、思わず涙を流した。こいしに指摘されて初めて、さとりは涙を流しているのだと気付いた。さとりはこれまで一度も涙を流したことがなかった。どんなに辛いことも、相手の心を読むことができれば心の準備ができる。激情することができない。こいしに抱きしめられ、ありがとうと言われ、さとりは涙を流せる己を知ったのだ。

 そのときにさとりは決心した。こいしに覚りの能力を取り戻すためなら尽力を惜しまないと。どんなことでもするし、どんなことでも受け入れる。心に浮かべてしばし、通じないと気付いてさとりは拙い気持ちをこいしに伝える。分からないことが恐ろしく、それでも不思議と胸の高鳴りが抑えられなかった。こいしを抱きしめて、さとりは耳元に囁く。率直に、誤解されないように。

『わたしはこいしのことが好きですよ』

『うん、わたしも好きだよ』

 このとき、こいしと完璧に気持ちが通じたのだと思った。読めなくても伝わるものがあるのだと信じることができた。

 その理解が強く誤っているのだと気付くにはそう時間はかからなかった。再会の日から今日までそのことを徹底的に思い知らされ続けているけれど、それでもさとりの決意は変わっていない。さとりはこいしに、自分と同じ覚りに戻って欲しいと思っている。

 

 体を起こすと全身から様々な痛みが這【は】い上がってくる。それらを無視して立ち上がると、さとりは裸の体を鏡に映して今日の服装を決めた。袖が余るくらいの服に膝までのスカート、膝までのハイソックス、首には大きめのチョーカーをつける。髪をブラシで丹念に撫でつけてうなじを隠し、第三の眼を整える。顔には白粉【おしろい】を薄く塗り、口元には紅をつける。これで少なくともペットたちを心配させることはないはずだ。

 部屋を出るとすぐ、脇腹に鈍い痛みがはしる。大理石の床に乾いた音が響く。さとりが顔の目で追うと眼球くらいの大きさをした石が落ちていた。第三の眼で読めないことだけ確認すると、石を拾い上げてダイニングに向かう。少しして今度は背中に同じ痛みを感じた。さとりは二つ目の石も拾ってから歩みを再会する。動揺することはない。こいしの悪戯としては軽いものであると分かっているからだ。

 ダイニングには三桁近いペットが集まっており、その中でも人型を獲得したものたちが、種族に応じての食事を振る舞っていた。むっとするほど獣臭く、しかしさとりの心が最も安らぐ空間だ。

 さとりの来室とともに、それぞれの鋭敏な感覚で主人を察知したペットたちがぞろぞろと集まってくる。さとりは威厳をもって手を叩き、それらの行動を制した。用事があるならば食事の後にしたいからだ。最初から脇目もふらず食べているペットがいるけど、それはそれで愛敬があった。

 部屋の中央にある六人掛けのテーブル、その一番奥に腰掛ける。昔はダイニングを横断するテーブルが二脚置いてあったのだけど、ペットの往来に邪魔だからという理由でさとりが取り替えたのだ。

「おはようございます、さとり様」さとりの着席を察して、黒猫から変化したペットがサラダボウルを手に近付いてくる。「今日の朝食です」

「ありがとう、お燐」さとりは尊意と幾分かの緊張をはらんだ火車の妖怪に第三の眼から視線を向ける。腹の中をぐるぐると巡る情動、人型の友人を責め苛む心象が投影される。「前にも言ったはずよ。そういう気持ちになった時は先【ま】ずわたしに伝えなさいと。大切な友人を無垢のままに辱【はずかし】めるなど不埒極まりないわ」

 元々、嘘のつけない娘だ。指摘すれば顔を赤くして動揺する。さとりは僅かに目を伏せ、お燐の耳に言葉を吹き込む。

「その、すいません。あたい、その……さとり様のように立派な出自ではありませんから。心が、どう頑張ってもままならなくて……」

「情を発するのね」お燐は心と体で同時に頷く。一度箍【たが】が外れれば、お燐は悲しいほど正直だ。「そういったことは抑えても駄目なのよ。お燐なら相手など選び放題ではなくて?」

 地獄のように艶【つや】やかな黒毛とその整った容姿は猫類のみならず様々な獣を惹きつける。人型であれ猫型であれ、情を望むものはいくらでもいるはずだとさとりは確信している。それでもお燐は首を横に振り、心でひたすらにさとりを求める。全てを溶かすような、完全な愛撫を切望してやまない。

「そんなに悲しい顔をしないで。では今日の夜、いつもの合図でドアを叩いて頂戴【ちょうだい】。だからくれぐれもお空を虐めては駄目よ」

 白くてふくよかな胸に肉食の牙が立ち、背中が鋭い爪で浅く裂かれていく。憎悪すら感じさせる性交が一方的に押しつけられるのを、感じずにはいられない。こんなにも近くから強い感情を当てられれば、お燐の憎悪がお空という肉を媒介にして投射する真の対象まで筒抜けになる。だからさとりはお燐を褥【しとね】に誘う。やるべきことが果たされるまでお燐の心を晴らしてやれないと分かっていたから、せめて体だけは満たしてやりたかったのだ。

「分かりました。あの、ごめんなさい」

「それはお空に言うことよ」さとりはお燐に思慕を向ける心を捉え、にこりと微笑む。お空は人化したペットの中では最も大きいのに、知恵は賢い鴉【からす】より多少ましという程度だ。数百年生きてなお、人間の童女とさほど変わらない。そんなお空に暴力を伴う性交を浴びせてはならない。猫なのだからそれくらい理解できるはずだ。「何も分からない相手を一方的に虐めるのはいけないわ」

 お燐の怒りが再び爆発しかけ、すれすれで導火線が消えた。さとりはボウルを置かせると目で促し、お空の元に向かわせる。そのことを確認するといただきますの挨拶を言い、サラダを口に運んでいく。本当は経口摂取する必要などないのだが、何も食べないとペットが心配するから食べざるを得ないのだ。それに主食が満足に摂れないから全く意味がないわけではない。飢餓【きが】を表面的に誤魔化すくらいならできる。地上との協定は結んであるけれど、人食いを満たすだけの人間が供給されるのは稀だ。しかも最近はますます少なくなっている。地上にある外世界の文明が、全ての人間に番号を付けて厳しく管理する監獄のような社会になってしまったからだ。嘘のような話ではあるが、地上の管理者である賢者達の代理から読んだ情報なので間違いはないはずだった。

 閉じこめてある人間からはこれからもできるだけ効率的に食事を搾【しぼ】り取らなければならない。最終的に精神的な死を迎えた人間は解体してできるだけ平等に分配する。長年の地底生活で人食いの衝動を抑えられるようになった個体も増えてはいるけれど、人を食えないと凶暴性が爆発するものはなおも存在する。そういったものを処断するのは同じ地底の住民として避けたいことではあった。

 最初に誤って食べた肉の味を思い出して吐き気がしたけれど何とか堪【こら】え、サラダを完食して水を飲む。そのタイミングを計ったかのように、こいしがいつものふらふらした歩みで入ってきた。安らぎの空間が重苦しさと静電気のようなぴりぴりした敵意に満たされていく。

「おはよう、お姉ちゃん、おはよう、みんな!」こいしは満面の笑顔を浮かべて元気よく挨拶をする。「さて、今日のご飯は何だろう?」

 こいしがさとりの向かい側に座ると、お燐はしずしずと朝食を運んでくる。たっぷりのベーコンにゆで卵、無骨な塊のチーズに豚ガラのスープ。辺りに肉と乳製品の匂いが充満し、ご馳走を口にする主人を羨むいくつかの視線と心がこいしに向けられる。

「流石はお燐、他の子が作る食事とはひと味違うねえ」こいしは無邪気に食器を打ち鳴らし、挨拶なしに食べ始める。「うん、今日も美味しいわ。わたしの好みをばっちり分かってる。すごいすごい」

「ありがとうございます、こいし様」お燐は深々と頭を下げ、こいしに素早く背を向ける。「さとり様、食器をお下げしますね」

 お燐はこいしに負けないくらいの笑みとともに台所へ下がっていく。その機微が痛いくらいに読めたけど、何も声をかけなかった。

「お姉ちゃんは今日もお洒落だね。お化粧に首の装飾品、どちらもよく似合ってるよ」顔には出さなかったけれど、こいしには意味がないと分かっていたから、薄く笑んで答えとした。「化粧の仕方、教えてあげた甲斐があったね」

 全くもってその通りだった。化粧の技術はこいしに半ば無理矢理押しつけられたものだったが、まさかこんな形で役に立つとは思ってもみなかった。あるいは最初から見越していたのだろうか。虚飾に包まれた姿をこいしは張り付いた笑みの奥で馬鹿にしているのだろうか。思わず視線を向けたけれど、分かるはずがなかった。こいしの心は意識の範疇【はんちゅう】にないからだ。さとりに読むことができるのはあくまでも標準的な生物の意識領域に過ぎない。

 こいしは周りを気にすることなく食事を終える。さとりは手を合わせてごちそうさまを言い、食事を終えたペットに声をかけ、頭を撫でてやる。犬と猫が多く、次に鴉が多いのは旧地獄を塒【ねぐら】にしているからだ。他には兎と猪、狸と狐、駝鳥【だちょう】と鶏が数匹ずつ、一番大きいのが馬だ。食べる食べられる、追う追われるの関係もあるけれど、十分な餌が与えられているから相争うことはないし、もし起きてもさとりがすぐに察して調停してしまう。だからこそ地霊殿はペットの楽園であり、ほぼ全てのものがさとりを心の底から慕っている。人化を果たしたものが進んで屋敷の管理や成っていないペットの世話をするから、当初に比べればさとりの仕事は格段に減ってしまった。怨霊もさとりの力を恐れて荒ぶらないし、旧都は元より鬼の統制が行き渡っている。地上に頼らなければならない部分はあるけれど、それも協定がある限りは途切れることがないし、さとりの力があれば交渉に敗れることはまずない。もって地底は概ね平和が保たれている。欲望にまみれた人間たちがうようよしている地上よりも余程、過ごしやすいと言えるかもしれない。少なくともさとりはそう考えている。

「おねえちゃんはいつも偉いね」こいしの声と意識を背後に感じ、さとりはとりとめない思考を中断する。「こんなに沢山のペットがいるのに誰とも平等に接してる。まるで女神様のようだわ」

 こいしの接近に気付いたのか、人化していないペットが汚物を避けるように逃げていく。人化したペットは露骨な行動こそ取らないが良い顔はしていない。嫌われ者であることを見せつけるようなこいしの態度に、さとりは冷たい言葉を投げかける。

「こいしに面倒を見るよう、言いつけた子がいるはずよ。どうしたのかしら?」

 ペットの世話をすれば、その心を知りたいと感じるようになるはずだと考えて、少し前に猫を一匹与えたのだ。そのことを指摘すると、こいしは笑みに嬉しさをほんのりと滲ませる。

「それがね、わたしが近寄ると逃げていくの。今日はここに来ていないみたいだけど、どうしたのかしら。ご主人に嘘がばれると恐いのかしら」

 人化していない猫がそんなことを怖れるはずないし、こいしにほんのりと興味を示していたことは既に確認している。最近連れてきた仔だが、きめ細い世話をされるのが嫌らしく奔放【ほんぽう】そうなこいしに近付きたいと考えていた。例の体質は知っていたが、好いてくれる存在には嫌な顔はしないだろうと判断して試しに与えてみたのだ。心を開くきっかけになるかと期待して。

「所在を探して、きちんと世話すること。大事があった場合はわたしに逐一報告すること。良いわね?」

「分かった、今から探してくるね」こいしは心配そうな顔をしている。やはりその真意を測りかねたけれど、さとりはこいしを出ていくに任せる。「どうしたんだろう、心配だなあ」

「気を付けて。こいしなら大丈夫だとは思うけれど」さとりと違い、こいしは戦闘能力が高い。さとりの力が分析から始まる回りくどいものであるのに対し、こいしの力は無意識から始まる最短で容赦のないものとして発現するからだ。「まずいと思ったら行くのではなく退くのよ」

「分かってるよ。お姉ちゃんはいつもそれなんだから」

 親愛とも非難とも取れる言葉とともにダイニングのドアが開き、そっと閉じられる。さとりは嫌悪と警戒を滲ませた犬の変化に近付いた。

「話して頂戴。こいしから何か嗅ぎとったのね」

「血の臭い/肉の臭い/骨の臭い、嫌な臭いばかりでした。だからもう」犬の変化は大きく首を横に振り、心と言葉を同期させる。「生きてはいないでしょう」

「分かった。よく言ってくれたわね」さとりは労うように頭を撫でると人差し指を口に当てる。「このことは誰にも言わないように」

 さとりのお願いに犬の変化は少し迷ったのち、苦々しげに口を開く。

「僭越【せんえつ】ながら、最近のこいし様は目に余ります。石をぶつける/嫌いな臭いを嗅がせる/縄で木に吊す/棒や鞭【むち】で叩くとやりたい放題に御座います。このまま放置しては不満も募りましょう」

「その点については近々対処します」

 さとりの言に犬の変化は何も言わない。ただただ恭しく首肯するだけだ。

「畏【かしこ】まりました。それにしても、さとり様はこんなにもお優しいのに……」

「言わないで頂戴」さとりは妹への悪口を語気鋭く塞ぐ。「たった一人の家族なのよ」

 覚りに家族はいない。できるはずがない。何故ならば他者を作ることができないからだ。わたしは人間の精神が発達したことに励起されて発生した存在であり、犬や猫のように雌雄の交わりから生まれてきたわけではない。だがそのような概念を説明したことで、家族がいないなんて可哀想と単純な憐れみを誘うに過ぎない。だからこそ、この地霊殿においてさとりは姉であり、こいしは妹である。ただそれだけのことに過ぎないのだ。騙すのは心苦しいけれど仕方がないことだとさとりは考えていた。

 犬の変化が酷く恐縮そうにしたから、もう一度頭を撫でてやる。どうご機嫌を取って良いのか覚りであるさとりには即座に分かる。狡いとは分かっていたけれど、そう生まれたのだから使うだけのことだ。

「わたしはいつもの場所にいるから、問題があったら呼んで頂戴」

 そう言いつけると、さとりは書斎に通じている側のドアから外に出る。憂いを秘めながら大理石の廊下を進むこと数歩、何もないものに蹴躓【けつま】ずいて転んでしまった。無造作に立ち上がってから歩き始めると、今度は柔らかくて見えない壁に阻まれてしまう。

「戯れはやめなさい、こいし。早くペットを探しに行きなさい」

「知ってるくせに。わたし、隣で聞いてたんだから」一瞬だけ動揺しかけたけど、すぐに感情を律して不見識の妹と対峙する。「お姉ちゃんはわたしのこと全然信用してないんだね。傷ついちゃったなあ」

「だとしたら謝るわ。でも惨いことをしたのは事実でしょう?」

「そうよ。理由も分かってるんでしょ? ううん、お姉ちゃんはわたしがこうするの、最初から分かってた。それなのに己の目的のため見殺しにしたのよ。酷いよね、信頼しているご主人に裏切られるなんて。このことが知れたらペットたちはどう思うかしら?」

「そこまで分かっているならば、推測を皆に話せば良いだけのこと」

 こいしの鋭い平手がさとりの頬を打つ。相変わらずの笑顔だったけれど、口元が少しだけ強ばっているのをさとりは見逃さなかった。

「わたしの言うことなんて信じてもらえるわけないじゃない。お姉ちゃんが完璧に手懐けてるんだから」

 特別なことは何もしていないのだが、こいしに言っても信じてもらえないと分かっていたから、さとりは黙って首を横に振る。浅慮【せんりょ】に過ぎないと言いたげに。そのお返しはより強い平手の一撃として、さとりを物理的に揺るがす。でもその痛みはさとりを大して害さない。

「殺していないなら介抱してあげなさい。殺したならば土に環してあげなさい。まがりなりにも地霊殿を統べるわたしの、唯一の肉親なのだから。それくらいはできないと示しがつかないわ」

「本当に冷たいやつ。だからお姉ちゃんのこと嫌いなのよ」

 こいしの魂胆は分かっているのに、さとりの心はほとんど自動的に痛んでしまう。何度浴びせられても耐性がつかない。さとりが動揺しているのを見て、こいしは強ばった表情をいつもの笑みに戻す。優位性が僅かな間に覆ってしまった。

「ごちそうさま、大好きなお姉ちゃん」皮肉と分かっていても、こいしの言葉に動揺せずにはいられない。心を読めるものは心を読めないという例外にかくも弱いのだ。「ちゃんと埋めてあげるから心配しなくて良いよ」

 さとりはこいしの後ろ姿に向けて微かな安堵を放つ。犬が嫌悪を抱くほどの血臭を漂わせていながら虐待の対象が死んでいないならば、今も筆舌に尽くし難いほどの苦しみを味わっているに相違ないからだ。

 こいしは肩を震わせると、認識の外に消えていく。特に構うことなく廊下を進み、書斎の扉に近付いたところで激しい恨みと憎悪、痛みと苦しみをない交ぜにした針のような感情が、さとりの心に突き刺さってくる。さとりは慎重に近付くと、あちこち捻れたり破れたりしている猫の首を絞めて一瞬で絶命させてやる。拷問にも似た仕打ちから生まれる感情を、こんな近くに来るまで感知できなかったのはこいし自身が遮蔽【しゃへい】していたからに違いない。似たような不意打ちは何度も受けてきたけど、今回の動揺もこいしに届いただろうか。

「こういうのはやめなさいと言っているでしょう? わたしを食べたいならばいくらでも食べさせてあげるから」

「だってお姉ちゃん、前ほど食事を出さなくなったから。わたしも創意工夫する必要性に迫られちゃったんだよね」

 背後からこいしの意識と声。お腹一杯になったためか、やや警戒を解いているのがその調子から分かる。さとりは膝を起こすと無言で後ろを振り向き、こいしの首を両手で締める。こいしはさとりの天敵だが、肉体の性能はほぼ同一である。能力を行使できない状況に持ち込めば、優位性を剥ぎ取ることができる。

 十秒ほど締めてから離し、こいしの息を荒くさせると襟をつかみ、石の柱に押しつける。空いた手で何度も素早く頬を張り、顔を庇おうと手を上げたところで腹に膝蹴りをお見舞いする。過去に同じことをされたのにまた引っかかる。覚りの精神性を捨て、肉体性を重視するこいしは物理的な痛めつけに弱い。もう一度腹部を蹴ってから地面に転がらせると、今度は思い切り踏みつける。

「痛い、おね、ちゃ……やめ……」

「何度言っても聞かないのだから学習させるだけのことよ」さとりはペットに向けるのと同じ笑みを浮かべ、足に力を込め続ける。「こいしが殺した子も同じことを考えたはずよ。痛いのは嫌だ、苦しいのはやめて欲しいと。こいしはやめてあげたの? そんな仔の心を少しでも分かって上げようとしたの?」

「う……した、してあげたよぅ……」

 ここで考えていなかったと言えば、何もせずに立ち去るつもりだった。でもこいしは嘘をついて誤魔化そうとした。覚りに読めない心を持っていると自覚し、悪用しようとした。だからもっと酷い目に遭わせる必要があった。お腹から足を離すと、今度はもう少し上、朝食で少しだけ膨れた胃の辺りを踏みつけた。こいしは咄嗟に横を向いて嘔吐し、呼吸が困難になったためか、あるいは屈辱のせいなのか、ぼろぼろと涙を零し始める。さとりはそんなこいしを俯せにして、顔や髪に嘔吐物を擦りつける。服を一気にめくり、背中を剥き出しにする。肩胛骨【けんこうこつ】の下に爪を突き立て、背骨に沿って臀部【でんぶ】まで一気に薄皮一枚を切り裂く。こいしは海老のようにがくがくとのけぞり、咳とも悲鳴とも分からない声をあげる。甘えた言葉が口から出てこないよう、さとりは同じ動作を機械的に繰り返す。赤く彩られた短冊を確認すると、さとりは右肩をきめて力を込める。

「本当は全身を捩ってやりたいですが、腕の一本で勘弁します。綺麗に抜くから旧都の鬼に頼めば接骨してくれるはずです」

 さとりはこいしの右肩関節を力任せに外す。綺麗とは言ったけれど、少しは痛みを与える必要があったからだ。最後の苦悶を受け流すと、さとりは全身を責め苛まれたこいしに背を向ける。

 こいしはしくしくと人間の乙女らしい涙を流している。強い癖に負けるとこうも弱いことが、みっともないと心の底から感じる。精神性を捨てて肉体に溺れたなれの果てがこれだとしたら、たとえ無惨な日々を過ごしてきたとしても、厳しく躾ける必要があるのかもしれない。さとりは再考の余地を胸に残し、歩みを進める。

「酷いよ、なんでこんなこと……」

「覚りをなくしたこいしに理解させるため、それと戒めです。わたしを食べるためにこいしが何をやっても受け入れるけど、それに他者を巻き込まないで。今後、同じようなことをするのならば……わたしの言いたいこと、分かりますよね?」

「お姉ちゃんが満足に食べさせてくれないからじゃない! お腹が空いてるの、いらいらするのよ!」

「それならば本来の眼を取り戻せば良いの。そうすればわたしと同じものを美味しく食べられるようになる。飢餓感から解放されるわ」

「できるならやってるよ! それにこんなことされたら余計に戻れないじゃない!」こいしはより悲痛な声を上げ、痛みに体をぐねぐねと捩らせる。「お姉ちゃんがわたしのこと、大嫌いだって分かるに違いないもの!」

「嫌いなら昨夜のようなこと、許すはずがないでしょう」一夜かけて繰り返された行為をさとりは鮮明に思い出すことができる。こいしはあらゆる意味でさとりを貪り食ったはずだ。「暴食は罪と知りなさい」

「嫌いよ!」言い訳も装飾も取り除かれた、簡潔な言葉だけがさとりの胸を打つ。「お姉ちゃんなんか大嫌い、どっか行け!」

「言われなくとも行きますよ。こいしはペットをきちんと弔【とむら】うこと、汚した廊下も綺麗にすること。執務を終えて出てくるまでにどちらかが片づいていなければ、より分からせる必要があると判断します」

 さとりは書斎に入ると扉を閉め、専用の椅子にゆっくりと腰掛ける。肉体的な暴力はいつも疲れるものだ。心を暴いていたぶるのはかくも愉快であるというのに。

「大嫌い、ですか」さとりは生まれ来る感情を隠すように笑みを浮かべる。さとりは笑顔が好きだった。怒りも悲しみも苦しみもその中に包み込めるからだ。「わたしはいつだってこいしのために生きているのに」

 さとりは孤独な笑みをすぐに収め、執務とは名ばかりのぼんやりとした時間を過ごす。

 

 

 背中が火箸を押し当てられているかのように痛い。右肩が鈍痛と不快な熱を放射して耐え難く、胃や腹がしくしく痛む。喉は嘔吐物に焼かれて痛く、柱にぶつけられた後頭部からは鈍い痛みがする。これだけ痛めつけられていても、こいしは抜け殻となった猫の後片づけと掃除に取りかからざるを得なかった。力が満足に使えなければさとりは人化して力を得たペットと共にこいしを捕捉することができるからだ。

 これまでもさとりに折檻を受けたことはあったけれど、せいぜいが平手や拳による打擲【ちょうちゃく】に過ぎなかった。今回はこれまでの上限を遙かに超えた容赦のなさで実施された。流石にやり過ぎたということなのだろう。さとりは自分に向けられたものならば我慢すると言ったけれど、今日の剣幕ではそれもどうだか分からない。

 さとりが恐ろしかった。否、正確にはさとりがどういう存在であるかを思い出したというのが正しかった。何故ならばこいしはさとりの恐ろしい有様を一度目撃しているからだ。多くの人心を読み、巧みに操って、世界の海を行こうとしていた傑物を暗殺に導いたかつての容赦のなさを、こいしは改めて発見していた。それでもさとりについて地底に赴いたのは、さとりが失われた半身である自分のことを案じてくれたのが分かったからだ。心を読めなくなったこいしに本気で涙してくれたからだ。

 でもいま、間違いであったかもしれないとこいしは考えている。さとりはこいしを妹として、地霊殿で養ってくれた。記憶にある限り、初めて美味しいと感じられるものを胸一杯に食べさせてくれた。そのために与えた酷い仕打ちをいくらでも許してくれた。だからこそこいしはさとりを好いていた。体も心も完全に分け合いたいと願った。だからこそかつて、あんなことにも及んだのに。

「そう言えば、丁度あの時からよね」さとりから供給される食事が減り始めたのは。何十年もかけて徐々に進行していった制限は、今では耐え難いくらいになっている。「飢えるのは辛いのに。お姉ちゃんはいくらでも食べて良いと言ってくれたのに」

 こいしはさとりと離れてからの数百年を、恒常的な飢えに苛まれながら生きてきた。それを誤魔化すために人間の食習慣を気取り、できる限り沢山眠り、できる限り沢山の相手と性交した。どんな時代でも性を買う男は常に存在したし、年端もいかない娘はいつでも人気だった。そんなことを繰り返しているうち、相手の所作から大まかな思いを読みとることができるようになっていた。さとりはこいしの心を読むことができないけれど、こいしはさとりのことを覚りと異なる方法で察することができる。不意をつかれなければ、さとりに負けることなどなかったはずなのだ。

「油断したなあ。あんなことやってくる素振りなんてこれまで全く見せなかったのだから、当然ではあるのだけど。あんなに素早く動いてわたしを組み伏せた。実は結構強いんだ、腹立つなあ」

 供給量を少なくしてきたさとりから食事をするために思いついた手段だったけれど、これからはやめたほうが良さそうだった。

「ペットが、大事なんだ。わたしをこんなにして良いと思うほどに」

 さとりにとっての最優先事項はこいしだと、当の本人が何度も口にした。その態度に偽りがないと長年の経験から判断していたからこそ、こいしは好き勝手に振る舞っていた。でもそれは間違いである可能性が出てきた。さとりは意識的であるため、無意識の所作から心を読み取る手法に抵抗できるのかもしれない。こいしの心を読めないというのも嘘で、見透かし続けて来た可能性もある。覚りであった頃の経験から否定できると分かっていても疑いを消すことはできない。今のこいしにはさとりを覚ることができないからだ。

「お姉ちゃんはわたしを食べていたのだろうか?」

 その認識はこいしをたちまち激しい怒りへと誘う。被補食者が補食者を食らうなど許されないことだ。鼠が猫を食べるのと同じくらい摂理に反している。覚りから更に転変した無意識者が摂理の内にいる存在であるかどうかは分からないが、現に許せないのだから摂理的であるのだと決めつける。

 怒りを何かにぶつけたかったが、痛みは体を容赦なく蝕んでいる。肉体性に強く縛られたこの体は物理的な感覚を無視するのがとても難しい。そしてそれは精神を惰弱にする。さとりが精神の傷によって肉体を弱くするのとはまるで逆だ。この相補性により、わたしはさとりとこいしでいられるに違いない。ならばこいしが覚りに戻ったときに何が起きるのか。

 こいしにはその先を想像することができない。さとりには強い確信があるのにだ。こいしはここでも激しい劣等感に苛まれる。それでもこいしは自分がさとりより劣っているとは考えない。無意識者=こいしは、覚り=さとりの天敵であり、対になる存在だからだ。圧倒的な孤独を耐え忍びながら同胞を求め、遂には見つけ出すことのできなかったこいしが辿り着いた結論であり、矜恃【きょうじ】であり、存在意義だった。

 痛みから心を背け、こいしは新しい墓穴を掘って猫の死骸を埋める。腐敗臭に立ち向かい、己の汚物を処理する。ペットが何匹も通りかかったし、その中には人の形をしたものもいたけれど、誰も助けてはくれなかった。いつもは辛くないことも、全身を襲う痛みが媒介【ばいかい】となって心にのし掛かってくる。

 作業を終えると、こいしは旧知の鬼が住む庵に向かう。右肩がいよいよ痛みを伴う熱を放ち始め、背中の傷と併せて吐きそうだったけれど、これ以上の無様は誰かが見ていなくても曝せなかった。この痛みでは意識を消すことができないからだ。

 傷に響かないよう目立たないよう、できるだけ地上すれすれを飛ぶことしばし、旧都の大鐘楼【しょうろう】から正午を示す音が聞こえてくる。地底では太陽で時間を計ることができないため、原器となる時計を元に当番の鬼が交代で鐘を鳴らしている。耳の良い生物なら地霊殿からでも聞き取ることが出来るため、その音を基にして地上と同じ時間律のもと健康的に運営されている。かつて地底が地獄であったことの名残らしい。死者とはいえ人間が関わる施設なのだから、地上に合わせた時間で運営されるべきだというのがさとりの考えだった。地獄が是非曲直庁の意向により移転されてからも、さとりは意味のない習慣を崩そうとしない。旧都の鬼にも鐘をつく習慣を徹底させている。

 いつもは気にならないけど、今日は傷に響いてたまらなかった。耳を塞いでも振動が体に伝わるから同じことだ。さとりはこのことまで計算に入れていたのではないかという冥【くら】い推測が脳裏を過ぎり、このまま消えてなくなりたいという気持ちにすら駆られた。

「お姉ちゃんなんて嫌いだ」さとりの前ならば嫌悪感をたっぷり乗せて放つことができる言葉も、独りになるとたちまち空虚となる。「大嫌い、大嫌い。お姉ちゃんは美味しいご飯を黙ってわたしに寄越せば良いのに。そうしたらあんなこともそんなこともしないのに」

 あんなこと=ペットを虐め殺したこと。そんなこと=……。

 心に浮かべようとして、慌てて打ち消す。やってはいけないこと/いくらでも望みたくなること/酷いこと/悲しいこと、だけど。

 首を横にしようとして、鈍い痛みがこいしを襲う。思考が淀み、明晰【めいせき】なものまでが濁っていく。こいしは考えることをやめ、痛みだけを堪えながら間近にある旧都へ飛ぶ足を向ける。

 目的の庵まで来ると、こいしは横開きの戸に無事なほうの手をかける。鬼の膂力【りょりょく】に合わせているのか単に立て付けが悪いのか、なかなか開いてくれず悪戦苦闘していると、無造作に内側から開いてしまい、こいしはバランスを崩して倒れてしまった。首から肩にかけて丁度弾力のある箇所で受け止められたけれど、それでも脱臼した肩が声にできないほどの激しい痛みを容赦なく放つ。苦悶に耐えきれず、双丘に顔を埋めたままもがいていると、ごつごつした手がゆっくりと震えを抑えてくれる。無骨だけど繊細な所作だった。

「すまないけど、ゆっくり離れてくれないかね。そんなにもぞもぞされると流石のわたしでも少々くすぐったい」

 無礼なことをしていると今更ながらに理解し、弾力から逃れると眼前にはこいしより頭二つほど大きな赤角の鬼が立っていた。星熊勇儀=星熊童子の長/旧都を治める識者の一人であり、かつて京の大江に君臨した四天王の一人。京にて長く伝え聞かされてきた、ある意味で伝説の存在と現実に対峙したとき、こいしはその姿が麗人であると知って随分驚いたものだ。絵に描かれるはおどろおどろしい怪物ばかりであったから。もしかするとかつての人間には、鬼はそのように映ったのかもしれない。あるいは単に鬼のイメージを貶【おとし】めるためであるかもしれない。こいしが美貌【びぼう】の少女だと認識されていたからおそらく後者が正しいのだけど、人間の感覚はいい加減だから確信することはできなかった。

 こいしはうっかり、いつものように挨拶しようとして、強い肩の痛みに苛まれる。歯を食い縛って痛みをいなしていると、勇儀がぶらりとしている右腕に手を添える。

「これはまあ見事に外されたものだ。古明地のお嬢がここまで綺麗にやられるとは、余程の手練と戦ったに違いない」

「お姉ちゃんがやったの」

 勇儀はこいしの目を興味深く見据える。予期していない相手が飛び出してきたからだろう。自分が勇儀でもおそらく似たような反応を取っただろうとこいしは思う。

「肉体的な戦いは苦手かと思っていたが、それはそれは」勇儀は大きくてごつごつしている手からは想像できない繊細さで、肩関節の辺りを慎重に探っていく。「本当に綺麗な外し方だ。これならすぐに填められる。ちょっと痛くするけど我慢して頂戴」

 勇儀は素早く背後を取ると垂れていた腕をつかみ、タイミング良く奥に押し込む。熱く鈍い痛みが走るけれど、それまでの耐え難い痛みが我慢できるようになる。

「肩のほうはこれでよしと。次は……」勇儀はこいしを軽々と横抱きしてから土間を上がり、書斎として使っている六畳間に運び込む。こいしを慎重に立たせると、実に慣れた手つきで服を脱がしていく。他の傷も見通されていると判断し、右腕の袖を脱がすとき少しだけ力を入れて我慢した。シャツはおそらく血塗れに違いなく、勇儀は明らかに非難めいた声をあげた。「これは酷いな。どのような事情で起きた喧嘩か知らないけど、妹への仕打ちじゃない」

 勇儀は少し迷ってから、シャツは鋏で切って脱がした。傷に貼りついた布地を剥がすとき、関節を填【は】めるのとは異なる小刻みな痛みが体中を駆け巡る。

「わたしが悪いの。こうされるだけのことをしたから」

 さとりの期待を最悪な形で裏切ってしまったのだ。今までこうならなかったことが幸運であると考えるべきなのだろう。

「躾だとしても域を越えてる。せめて鞭打ちで勘弁すべきだろう」

 ペットを生きながら切り刻んだから、さとりはこいしに同じことをした。腹や胸を蹴って同じように反吐を流させた。手足を捻じ曲げた痛みを、関節を外して同じように味わわせた。目には目を、歯には歯をの簡潔で熾烈【しれつ】な罰を与えたのだ。おそらくは地獄の司政官のように、やったに違いない。旧地獄は罪を痛みで購わせる場所であったから。さとりは地底において古風な法則を貫いたのだ。

 こいしは自分のやったことを勇儀に話すことができなかった。彼女に嫌われてしまえば、逃避場所の一つを無くすことに違いないと考えたからだ。勇儀がどれだけ察しているかは分からないけれど、こいしの行いを何も問わずにいてくれた。さとりが極めて優秀な管理者であることを差し引いても酷いと感じたのか、他の思惑があるかは分からない。こいしとしては勇儀の不問に甘えることしかできなかった。

 勇儀は傷口を湿った布巾で何度も拭うと格別に染みる薬を塗布【とふ】し、続けてお腹の打ち傷と右肩につんとした臭いのする粘度の高い薬を塗りたくってから、上半身をぐるぐる巻きにする。きつく巻いてあるから暑苦しく、薬のせいか妙にぽかぽかして、早くも不快な汗が滲み始めていた。

「覚りに薬がどれだけ効くかは分からないけど、鬼にも覿面【てきめん】なのだからおそらく効くに違いない。代謝も発生しているようだしね」そういって、勇儀はこいしの首筋と髪に鼻を寄せる。「同じ種族なのに、こいしは動物的な臭いがするんだね。さとりはいつも無味無臭なのに」

 さとりの味をどうしてこの鬼が知っているのか問い詰めたかったけれど、勇儀のことだから正直に答えるに違いない。想像した通りの理由だったら嫌だから、こいしは何も訊かずに勇儀を睨みつける。不躾な質問をしたとでも言いたげに。

「揶揄【やゆ】するつもりがあったわけじゃない。この怪我では風呂に入れないからね。分かっているとは思うけど」

 こいしはぎくしゃくする体を持て余し、ぺたりと畳に座り込む。然るべき手当を受けて安心したのか、どっと疲れが流れ込んできた。

「取りあえず三日分用意しておくから。寝る前に体を拭いて、もう一度薬を塗り直すこと」

「そんなこと、一人じゃできない」

「お屋敷住まいなんだから、小間使いにでも頼めば良いじゃないか」

「うちの小間使いはみんなお姉ちゃんのペットなの。誰もがわたしを嫌ってるから、そんなことやってくれないよ。もしかすると傷口に辛子を塗るかもしれないわ」

 いつもの笑みを張り付けたまま言うと、勇儀は不憫【ふびん】なものを見るような目をこいしに向ける。お節介焼きの星熊童子が放っておけないと計算してのことだし、勇儀もそのことを十分承知しながら受け入れざるを得なかった。といっても勇儀だって慣れたものだ。地霊殿を抜け出して、ふらふらと色々な所で厄介になるのはいつものことだったからだ。そんなこいしを邪険に扱わないよう、さとりが手を回していることくらい、こいしはとうの昔に見抜いていた。だから利用するまでのことだし、勇儀の遠慮ない物言いと嘘をつかない態度が今の自分には必要だった。

「布団を用意するから黙って寝ていること。わたしはこのことをお前の姉に伝えに行くよ」こいしは露骨に嫌な顔をしたけれど、今度は勇儀も目こぼししてくれなかった。「こうなることは彼女なら分かってるはずだけど、言っておきたいこともある」

 さとりを問いつめるようなことをしたら、こいしの悪行が勇儀にばれてしまう。必死で首を横に振ったけれど、勇儀は無事だった腕のほうにそっと手を添え、はにかむような笑みを浮かべる。

「こいしが悪いことしたってのは重々承知してる。その上でこうやって受け入れてるんだ。さとりの口からどんなことを聞かされたとしても、追い出したりはしないよ」

 がっしりとして、それでいて女性的な勇儀の体から嘘の兆候は一切読み取れない。言葉と所作のずれない相手と対峙することは、こいしの心にある凝りのようなものを柔らかく解してくれる。ここにいれば安心だと確信したとき最後の糸がぷつりと切れ、こいしは意識者としての枷を外れ、ゆっくりと眠りに落ちていった。

 

 

 さとりは暇なとき、特にここ百年は概ね文字の本を読んで過ごしている。学術書であれ思想書であれ、詩歌であれ小説であれ、系統立ってまとめられた文字群は人間の思考を有用に示す場合が多いからだ。より効率の良い食事をするためには、人間を少しでもよく知らなければならないし、人間の思考展開速度を知ることも重要だ。相手を驚かせるため、思考の先回りをするのは常套【じょうとう】手段なのだが、さとりとして食事の経験を重ねていく段階で、あまりに先走り過ぎて理解できないことを口にしてしまい、折角の美味を台無しにしたことが何度もあった。おそらくは己自身が思考できる存在であるがゆえの弊害【へいがい】なのだろう。経験によらない過剰学習は悪い癖をつける。その轍【てつ】を踏まないためにも文字の本はうってつけの媒体である。本当は捕食対象との向き合いによって経験的に学習するのが最適なのだけど、地上に出ることができず人間の供給が限られた現状では難しい。そうでなくとも人間を頻【しき】りに襲えば手酷い逆襲に遭う可能性が高い。蜂の群れが時に熊をも殺すように、人間は群となって個人では不可能な大業、非道を成しうるのだ。群と成した人間の心が辛うじて個を保ちながら凄まじいうねりとなって襲いかかるそのおぞましさを、さとりは間近に感じたことがある。斯様な経験だけは勘弁願いたいところだし、地底に住むものは大なり小なりその恐ろしさを体験したものたちだ。

 人間は捕食対象であると同時、今でもその迫害を恐れているものは多い。妖怪は精神の生き物であるため外傷もまた黴【かび】のように暗く、冥く、こびりついて離れないのだ。そういった妖怪たちの精神を視るのもさとりに課せられた仕事の一つだ。人間が最近になって生み出した用語を使うならば精神分析である。そのためにも地霊殿は、地底と旧地獄の管理という仰々しい役目を果たす宮でありながら比較的気楽に開かれている。もっとも心を読める存在に近づくものはさしていない。そういったことを気にしない精神程度が未分化な生物、鬼のように心を読まれても気にしない正直な種族、心を見透かされるのを覚悟で精神分析に望むほどの外傷持ちくらいだ。現在は定期通院が一人、不定期通院が一人だけだから閑古鳥【かんこどり】と言って良い状態だった。

 精神分析はさとりにとって重要であるため、関連書籍は欠かさずに読み込んでいるけれど、早期の段階で直接には役立てられないことが判明していた。人間の編み出した精神分析は当然ながら、人間に対して用いるのに特化されているからだ。精神分析の生まれた西洋では白い羽根を生やした神の眷族【けんぞく】を除いた異物は宗教的な敵であるから、異類との対等な対話を必要なしとしているのかもしれない。その割には天使や神を精神分析した蔵書をさとりは寡聞【かぶん】にして見かけたことがない。上位者の心を分析するなど畏れ多いことなのか、たまたま見かけていないのか。東洋の精神分析者にも言及した蔵書がないため、さとりは判断を保留している。

 それよりも問題なのは内容である。心理学、特に精神分析を扱っている書物は非常に難解で、わざと難しく書いているのではと疑われる箇所すら散見する。さとりは人間の心を読めるから、ここまで複雑に言語化された心象が人間の中に存在しないことを知っている。また学術書の体裁を取っているとは思えないほど性的な仄めかしが多いけれど、人間は四六時中性に関する興味や恐怖に曝されたり、思い悩んだりしているわけではない。人間は他者の心を読めないからこそ、そこに激しい恐怖を感じ、複雑な伽藍【がらん】を構築してしまったに違いない。そうした気持ちはさとりにも理解できないでもない。こいしの心をしばしば名状し難い何かとして読みとろうとしてしまうからだ。

 人間が視えない心の恐怖から脱却し、より客観的で洗練された分析手法を確立すれば、ある程度の精度を持った後天的読心者になるのかもしれない。けれどもさとりの触れた蔵書から察するにより長い時間がかかりそうだった。実践することは叶わないかもしれないし、さとりは別の方法で限定的な読心者になる公算のほうが高いと考えている。具体的にはこいしが身につけた無意識の所作を読む方法だ。もっとも覚りは心を知ることについて、人間には及びがつかないほどの優位性を有している。こいしが心を閉ざしたのち、別の形で相応に精度の高い読心術を身につけたのも、源に覚りとして生きた日々が蓄積されているからだ。いつかは辿り着くとしても、人間が身につけるにはまだまだ程遠い手法なのだろう。

 こいしの読心が不十分なのと同様、さとりの読心も完璧ではない。無意識を読むことはできないし、その他にもさとりが読むのに困難を極める心の形がいくつか存在する。最も分かりやすい形質が狂人の心だ。軽度の場合は思考が多少は連続しているため捉えるのは簡単なのだが、重度になると途端に散逸的なものとなり、心象の統合は困難を極める。万華鏡から特定の色を読みとるのと似た難しさがあるのだ。心象に統一性がないため、波紋を投じても反応が極めて鈍い。さとりが食事を続けることによって大抵の人間はこの狂人段階に至り、価値を無くす。精神分析は狂人から食事としての価値を一時的に回復するため使えないことはないけれど、焼け石に水なので最近は試みを止めている。

 もう一つ大例をあげると、人間の赤子も読むことが難しい。ただしその読みやすさは重度の狂人とは正反対だ。人間の赤子はあらゆる思考や情動が一つの器に溶けあい、区別がつけられないのだ。そのため快も不快ももう少し高度な感情も同一の心象として放出される。犬にしろ猫にしろ、人間以外の生物は赤子の段階からある程度まで心象が確立していることを考えると、高度な知性を持つはずの人間がより低レベルの心象を持って発生するのは奇妙なことだと、さとりは長いこと考えてきた。だが最近ではこの段階を経るゆえに高度な知性を産みうるのだと考えるようになっていた。始源の生命が濃い蛋白質【たんぱくしつ】のスープから生まれたように、混合した心象が何らかの要因を経て分離することで高度な心象は生まれ得るのかもしれない。食事の難しい赤子を読まないようにしてきたから確信は持てないけれど、知性の固着についてはジャック・ラカンという心理学者が興味深い持論を発表している。精神分析の言葉だから例に漏れず難解だけど、要約すると『赤子は鏡像と向き合うことによって、高度な精神性の確立の端緒を得る』というものである。ラカンの精神分析も他の学者と同じで人間の精神を余りにも複雑でおぞましいものと捉えていたけれど、彼の唱える鏡像段階論には惹かれるものがあった。わたしの発生を簡潔に言語化できる理論であるからだ。

 さとりには長年の間、疑問に感じていたことがあった。どうしてわたしは二つの肉体に一つの心をもって生まれたのか。最初は人間の双子みたく、何らかの稀少な要因によるものだと考えていた。だが、様々な人間と接するうちにその可能性は少ないと結論するようになった。何故ならば、覚りには他者が存在しないからだ。解読困難な心はあっても、覚りに覗くことのできない心は原則的に存在しない。他人の心は同時に自己の一部でもある。あらゆる心の病みと言うべきものであり、そのようなものに他者はあり得ない。

 それでもわたしは生まれてきた。理屈と現実に齟齬【そご】がある。そのためさとりが次に考えたのは、覚りがアメーバのように分裂や癒着を繰り返す、共生的な妖怪であるという説だった。これならば他者を導入することなく、わたしを覚りとして定義することができる。しかしその説は経験が強く否定している。千年余の生において、さとりもこいしも遂に己の同質を見い出し得なかったからだ。それぞれの探し方が悪かったのかもしれないけれど、さとりには己が一人一種族であるという根拠のない確信があった。だが他に己を定義づける説もなく、覚りは共生体であるということを渋々受け入れてきたのだ。鏡像段階論はそのように考えていたさとりにもたらされた天啓のようなものであった。

 人間と同様の精神構造を持ちながら、理想的な鏡像段階を予め有することによって、人間の精神を超克した存在として発生したのが覚りだとすれば、二つの肉体に一つの心を持つことこそ正しいのだという証明になる。こいしは覚りに戻らなければならないというさとりの理念に確個とした理屈が与えられる。同時にさとりは大きな心的衝突からも解放される。存在意義に従うことは妖怪にとって何にも増して正しい。だからこそさとりは人間の心が鏡像段階を経て、高度な心象と知性を獲得するのかを突き止めたいと切望している。それで覚りの到達点=悟りの心にも手が届くかもしれない。

 悟りの心は赤子のそれと良く似ている。快不快、喜怒哀楽、更なる高度な心的現象の発露が、ほぼ同一の反射としてもたらされるのだ。赤子と違って全ての感情は意識して発せられるし、全神経を傾ければその差異を読みとることができる場合もある。だが悟りの心はあまりにも広く、感情の発露は水面にも似た表層を微かに震わせるだけで事足りる。覚りでは、少なくともさとりにはとても捉えきれない。

 もちろん悟りの心を持つ聖人など滅多にいない。常人なら赤子のようにただ激発するしかない心の器を、長く厳しい修行によって元ある人間の器から打ち直し、更には十全に御するだけの抑制を身につけなければならないのだ。並の精神なら成し得ないし、成そうともしないことである。そうまでして意識の階梯【かいてい】を高めようとする真摯なる求道者のうちでもほんの一握りしか辿り着けないのが悟りの心だ。人間風に言うならば仏の境地、その入口に立つための法である。

 さとりはかつて悟りの心を持った僧侶に出会ったことがある。遙か信濃の地から大和までの旅路を果たし、その地において仏門を修めるもので名を命蓮と言った。わたしはかつて様々な手管を用いたけれど、悟りの心を食らうことはできなかった。さとりになってから、彼に習った仏の教えはなくしてしまったけれど、いくつかの後悔が今でも胸の中に巣食って消えない。悟りの心を食らう手段に固執し続けているのは、その未練によるものだとさとりは考えている。

 そのためにさとりは精神分析から一つ、効果的な手法を学んでいた。催眠術と組み合わせた読心の細分化、深化の技術である。表層を読み、催眠術によって構造分析し、明晰なビジョンを想起することにより、外傷を露わにするのだ。この明晰化によりこれまで曖昧にしか分析できなかった精神構造を摘出することができたし、心を食べる際は夾雑物【きょうざつぶつ】を取り除いてより美味しく頂くことができる。人間に特化した箇所は役立たないけれど、普遍的に用いることができる手法も存在するわけだ。催眠術を交えた精神分析はフロイト以降の専門家により、ないはずの外傷を捏造【ねつぞう】する可能性があると指摘されているけれど、さとりに関して言えば危惧する必要はない。レントゲンが骨や内蔵を見透かすように心を見透かすからだ。融合した心を解体する鏡像モデルの投入、ないし催眠術を交えた覚りの精神分析により、悟りの心を食らうことができるかもしれない。悟りの肉を食らった妖怪が力を得るように、悟りの心を食らった妖怪もまた力を得るだろう。さとりはこれ以上の力を得ることに積極的ではないが、覚りが持つ分析者としての観念が悟りの心の解体を強く望むのだ。もっとも地底に聖者はいないので、さとりの目論見は想像の中に留めるしかない。今のところはそうだし、これからも地底と地上の境が解けることはないと思っている。今から百五十年ほど前に一度だけ地上に出たけれど、それは長年の間に渡って地底を管理し続けてきた功績を上司に認められたからだ。悟りの心を食おうなどとはとてもではないけど考えられなかったし、さとりの逃亡を監視する役目を帯びた鬼がいたため、こいしを連れ戻す以外のことは何もできなかった。次があるとしても遠い未来の話であり、さとりの思索を実践に移すことは何らかの手段で禁止されるだろう。

 内への没入から意識を引き戻す一直線な心がさとりを打つ。書斎の扉が開かれ、威風堂々とした女形が入ってくる。豊満な肉感と鋼鉄のような強靱さを合わせ持つ、実に鬼らしい体つき。一睨みで木っ端なら吹き飛ばしかねない視線。言葉にしなくても怒っていることが一目で分かる。不当に傷つけられたこいしに義憤を感じているのだ。訪問の可能性は考えていたので、さとりはごく冷静に驚いてみせた。

「あら、星熊童子の勇儀さんではありませんか。貴女が地霊殿に訪れるとは珍しいですね」

「白々しい真似はやめようじゃないか。さとりは嘘を見透かせるし、わたしは嘘を吐く気などないのだから」

 勇儀の言葉と心象は完全に一致している。煮ても焼いても食えないとは人間の諺だけど、鬼は実直を旨とするためいくら揺さぶっても大して食べられないし泥のように不味い。肉も筋張っていてとても食べられたものじゃないはずだ。元は別の意味だけど、鬼のためにこそ使われるべき諺だとさとりは常々考えている。

「わたしはこいしに躾をしただけですが」

「あれは虐待だよ。躾なら鞭でお尻を叩くくらいで勘弁してやるんだね」

「分かりました。次は皮が破れて爛れ、至るところから血が滲むまで、こいしの尻を鞭で打つことにします」さとりは良い思いつきをありがとうと言わんばかりの親しみに満ちた笑みを浮かべる。「流石は元地獄の獄卒、悪い子を躾けることについては一家言……」

 強烈な嫌悪とともに木を叩く大きな音がする。勇儀がさとりの事務机を叩いたからだ。それでもひび一つ入ってない辺り、最低限の節制は保たれていると言えた。

「冗談はやめて欲しいし、食べようとするのもやめるんだ」勇儀は怒りを引っ込め、大きなため息を吐く。御しがたいと言いたげだし、実際に考えていた。「さとりは昔からそうだ。精神的な主導権を取らなければ気が済まないと考えている」

「覚りですからね」さとりはその一言で片付けると、勇儀の気勢を削ぐためにこいしのやったことを少しだけ感情に色付けして言葉にする。「こいしはわたしのペットを酷い目に遭わせました。脅し、虐待し、遂には命を奪いました。それゆえに死なない程度で同じことをしたまでのことです。こいしが可哀想と言うならば、わたしのペットも憐れんでやってください。あれよりも酷いことを行われた言葉なき猫のことをね」

 勇儀の肩はさとりの指摘によって揺れたけれど、心はそこまで揺らがなかった。自分を頼ってきた哀れな無意識者を何とか世話してやらなければならないという強い義務感を覚えている。だとすればこいしの残酷な仕打ちを指摘するより、そこを突いたほうが良いとさとりは判断する。

「それに勇儀なら手を差し伸べると信じていましたから」

 下っ端に任せて良いことでさえ率先して手をつける。形骸と化した旧都の見張りを今もきちんとやっている鬼なんて彼女くらいのものだ。あとはその性質ゆえ、孤立しがちな妖怪への対処も行っている。勇儀が熱をもって勤めているからさとりは地底において心を弄ぶ冷たい立場に身を置くことができるのだ。だから口にしたことはないけれど、さとりは勇儀に一定の感謝を抱いている。

 さとりの信頼に満ちた態度と表情に、勇儀は面白くないという顔をする。柄ではないと感じているのが心を読まなくてもよく分かった。

「そういうのは苦手なんだよ。地底にいる奴はどいつもこいつも好き勝手やるから、結果的にわたしが手をつけなければいけないだけで。こいしにしてもそうだし、旧都の外れに住む河童崩れにしても……」

 勇儀の心に河城の娘が浮かんでくる。河童は地底に住まうほど忌み嫌われた存在ではないのだけれど、赤を基調とした出で立ちの彼女はその数少ない例外だった。人間と河童の間に生まれ、時代に先んじた兵器を戦いの歴史に撒【ま】こうとしたからだ。さとりは彼女に接する機会が割と多い。だから、復讐を胸に留めてはいるものの固執しているわけではないと知っている。母親を殺した人間たちが既に死滅していることを感情と理性の両方で理解している。人間に対する不信は根強いけれど、それは地底に住むものと差程変わらないし、彼女の技術は旧都や地霊殿にも強い恩恵を与えている。もっとも彼女が扱う技術は地上から輸入される雑誌や書籍に準じており、それを超えた技術は心の奥底にひっそりとしまわれ、厳重に禁止されているから読みとることが極めて難しい。仮にできたとしても再現することができない。河城の娘は期せずして、覚りの弱点を晒け出したと言える。理解を越えるものは想起できないのだ。例えば彼女の頭には外宇宙探索船用の半永久機関が理論化されているけれど、さとりには再現できない。あるいは覚りの力を極めていけば、名状し難いものすら形にできるのかもしれない。

「それにわたしも」勇儀の中に浮かんだ己の姿を視てさとりは苦笑する。「面倒を見なければいけない厄介な存在だということですね」

「当たり前だよ。個人的にはこいしより気をつけなければいけないと考えているんだが、弱みを出す奴でもなし」

「覚りですからね」さとりは先程よりも少しだけ友好的に同じ言葉を使う。「こいしは物理的な痛みに弱いのです。あそこまで傷をつければ、わたしの望まないことは二度とやらないでしょう」

「そうかね。まあ、信じるよ」勇儀は気負いのない笑みを浮かべる。さとりのことを信じている様子だし、実際に信じている。本当に言葉と心のずれがない。さとりにとっては嫌な奴だが同時に何故か和むものも感じてしまう。覚りの存在意義を疑われそうなのでこれも外に漏らすことはできないけれど。「しばらくはうちで面倒を見よう。折を見て迎えに来てほしい。もちろん従者任せでなくさとり自身が来るように」

「そこを見間違うほど愚かではありませんよ」気鬱なことを指摘された腹いせにさとりは勇儀の弱い部分を軽くつつく。「でも大丈夫ですか? 既知とはいえ他人を留めていてはパルの不興を買うのではなくて?」

 さとりの指摘に初めて勇儀が分かりやすい狼狽を示す。強い義務感に端を発する世話焼き癖は多岐に発揮されているけれど、その中でも常に勇儀を捕らえ続けているものがいて、その灼けるように激しい心象が勇儀の中に次々と浮かんで来る。勇儀は何百年にも渡り、嫉妬の権化とも言える妖怪の心を受け止め続けているのだ。かつて恋に破滅した人間から変化した彼女は、嫉妬によって何人もの異性を比喩なしに食いつくし、そのために勇儀の目に止まったらしい。人間に追われて封じられた境遇に同情する過程で、彼女の心は勇儀に強烈な転移を果たした。余りにも激しい感情に勇儀は最初こそ戸惑ったものの、すぐに全てを受け止めようと腹を括ってしまった。そして勇儀にはそれができてしまったのだ。どんなに暴れても山のように動じない、刃物で突き刺しても通らない、首を絞めても絞めきれない、強い毒を盛っても一晩立てばけろりとしている、無茶な要求にもあっさりと応えてしまう。おまけに体の相性も良い。男根的な欲求を棄却できるほどに。彼女とのくだりを初めて聞いたとき、さとりは心の底から呆れてしまったものだ。

 斯様に凄まじい包容力を持っているものの、それが他人にないことはきちんと理解しているようで、勇儀はこいしに対する気遣いと、続いて矛先を逸らすためどう対処すれば良いかという方向に思考が及ぶ。結論が濃厚な性交の数々として浮かんできたことには、やはり呆れるしかなかった。

「まあ、大丈夫じゃないかな。説得すれば分かってくれると思う」

「鬼の世界では思考できないほど疲れ果てるまで性交することを説得するというのかしら?」

「まあ、そんなものだな」ここで少しは恥じらってくれればまだ可愛いのだが、この鬼はおそらく性についても豪放磊落【ごうほうらいらく】に相違ない。「では、くれぐれもこいしのことを考えてやって欲しい。わたしから言いたいことは以上だ。なるべく聞き入れてくれることを信じているよ」

 勇儀は丁重な辞儀を残し、書斎を後にする。さとりは僅かに緊張を解き、椅子の背にもたれ掛かる。一方的なペースをつかめない会話はいつだってさとりの心を疲弊させる。勇儀から少しは食べることができたけれど割に合わない。あの事実を突きつけてやれば、もう少しは動揺させることができたかもしれないけれど、鬼の放つ食事なんてたかがしれている。守秘義務に当たるし、こんなことで彼女の心を手放すのは惜しい。人間程ではないけれど、彼女の嫉妬を揺さぶることから生まれる食事はさとりを満足させるからだ。

「完璧な恋人を得てしまったからこそ生まれるものもあるのですね」

 嫉妬と裏返しの劣等感、嫉妬を核とした存在意義消失の危機。あれらを次に味わえるのはいつだろうか。治療の副産物ではあるけれど、完璧な恋人がいる限り彼女の心が平穏を得ることはないだろう。だがそれは同時に、限りなく幸せであるという意味である。いつしか彼女がそのことに気付いたとき、理想的な授受関係は終焉を迎えるだろう。

 さとりは一人の時にだけ己に許している笑みを浮かべる。鏡を見なくても、どういう形と感情を表しているのか、さとりは理解している。他人を嘲る、ないし憐れむときに現れるものだ。

 

 

 こいしは力ない体でぼんやりと天井を見ていた。黒ずみや染みが随分と目立つ。降雨の度に漏れてくるのかもしれない。畳に手を伸ばせばところどころ毛ばんでいて、本来の匂いはまるで感じられない。埃の臭いがほとんどしないからきめ細やかな掃除が行き届いていると分かるけれど、ものが古びゆくことはどれほどの膂力をもってしても止められないらしい。

「古いのは嫌いじゃないけど」望めばいくらでも広くて良い場所が手に入るはずなのだが、勇儀はこの質素で旧い庵に住み続けている。「鬼は贅沢【ぜいたく】を望むはずなのに」

 鬼が地上に住んでいたときどのようであったかこいしはよく知らないけれど、地底では基本的に強いものほど良い暮らしをしている。といっても人間のように富や虚栄を積み上げたからではなく、強くて潔いものが尊敬され、慕われる気風から自ずと成り立ったものだ。だからこそ鬼の間では力比べが頻繁に行われる。もしかつての強者が従者をしていた鬼に負けた場合、その日から立場は逆転し、当事者同士はそれを当然のことだと考える。嫉妬などの感情が生まれない訳ではないけど、稀なことであるし、酒を酌み交わせばしこりは消えてしまうらしい。

 勇儀は四天王と呼ばれるだけあって、地上に住んでいた頃はある鬼とある人間を除いて負けたことがないらしい。同類に負けるのは分かるとしても人間に負けたなどとはとても信じられず、こいしは勇儀に話をせがんだことがある。すると彼女は『熊に乗り、鉞【まさかり】を担いだ武士だった。何時間と打ち合わせたが、最後まで引くことがなかった』と拳を固め楽しそうに語るのだった。余りにも余りな描写であり、こいしには冗談としか思えなかったけれど、鬼が嘘を吐くことは稀だ。ましてや、武勇の誉れを偽るなど鬼あるまじきこと極まりない。本当のことであると受け入れざるを得なかった。続けてその人間がどうなったかを訊くと途端に寂しそうな顔をして、首を横に振ってしまった。こいしには勇儀の所作から、一転して悲しみに見舞われたと判断するほかなかった。もしかすると鬼の凋落に関係があることかもしれないが、何にしてもそれ程の猛者であるにしては驚くほど穏やかなのが星熊勇儀という鬼であった。

「豪快なんだけど、どこか繊細でもあるのよね。だから接しやすいんだけど」

 こいしは鬼に近付くのが苦手だ。何故ならば彼らは酒と騒ぎが大好きだから。こいしは酒を嗜むことができない。お猪口【ちょこ】一杯程度であっても度を失い、けらけらと笑い尽くした挙げ句、気絶するように倒れてしまう。さとりが鬼に誘われていくらでも飲めるのと正反対だ。

 勇儀もまた底なしのように酒を嗜むけれど、他者に酒を強制することはない。誘われれば騒ぎの中心に赴くし、どれほど大きな鬼に挑まれても負けないのだけれど、そうでなければ一人で呑む。祭りが嫌いな訳ではないけれど、敢えて孤独を飲み干す。

 孤独であることを余儀なくされたこいしと、孤独を好む勇儀。他にも孤独を余儀なくされているものたちが、ここには不思議と集まる。さとりも稀に勇儀を訪れることがあるし、群からはぐれた赤河童の発明家にしてもそうだ。そして最たる孤独……嫉妬の美姫。勇儀は孤独の辛さを抱えるものに門戸を開いていると同時、彼女をいつでも受け入れるために孤独でいるのかもしれない。

「愛って難しいなあ」誰かを愛するのには、いつだって凄まじい困難が付きまとうのかもしれない。「わたしはその現象を表層だけなぞり、つまみ食いして生きてきただけなのね」

 遊郭での日々、女衒【ぜげん】としてのこいしは様々な色を受け入れてきた。でもそれは結局、快楽以上の段階に進まなかったのだと今では分かる。心を閉ざしてしまったゆえに、相手の所作という外面からのみ心を読みとる癖をつけてしまったゆえに、他者と深く繋がる実感が得られなかった。

 愛することは恐ろしくおぞましい道だ。快楽を貪る段階を越えて、互いの想いを求め合ったとき、そこにあるのは必然的な痛みであり、呼吸するのも辛い程の苦しみだった。ときどき意味もなく涙を流したくなる。覗き得ない相手の心が巨大な迷宮のように見える。こいしはかつて心を読めたから、人間の精神がそのようなものでないことは理解しているけれど、覚りとして見える心は本来のそれが持つ破滅的な複雑性の一欠片に過ぎないのではないかという疑いを捨てきれない。それを知るために覚りを取り戻したいと感じるけれど、さとりの与えてくれる甘美な食事が心から離れない。蜜を求める限り愛の可能性に踏み込むことは不可能であると知りながら、それでも現状を抜け出せない。それに無意識者であることに意味があるのだという漠然とした直観もある。さとりは直観主義を否定するけれど、覚りとして心を読めないこいしには棄てきれないのだ。

 難解な思索と、背中の傷が放つ疼【うず】きが合わさり、こいしは布団の中でもぞもぞと体を動かす。独りではこの息苦しさに耐え切れないと感じ始めた頃、戸の開く音がした。最初は勇儀が帰ってきたのかと思ったけれど、彼女ならばただいまの挨拶をするはずだ。しかも廊下を歩く足音が不自然なほど大きい。気の強さを体現しているかのようだ。少しして勇儀を呼ぶ甲高い声とともに、こいしの眠っている部屋の襖が開いた。

 入口に立っていたのは見覚えのある顔だった。艶やかでいて癖の強い金髪、きつい目つきの中を揺れる翠玉【すいぎょく】のような瞳、頬から顎にかけた細い顔立ち、唇を彩る薄紅色。着物の上からでも分かるくらいの豊満な胸、くびれが想像できるほど細い腰と、スカートの中からでも分かる形の良いお尻、すらりとした手足。西洋的な美人の要素をこれでもかと集めたかのような容姿の持ち主だ。水橋パルスィという名前はかつて偶然に鉢合わせたとき、勇儀が嬉しそうに教えてくれた。彼女は勇儀に見えない角度から、般若のような形相でこいしを睨みつけてきた。勇儀がパルスィのことを恋人だと紹介しなかったら、激烈な嫉妬から発する何らかの行為がこいしを害するようになっていたはずだ。そのときに彼女の来歴を知り、神経を逆撫でするのはできるだけ避けようと心に誓ったものだ。

 こいしはその誓いを盛大に破ってしまったのだと肌身に感じていた。こいしはパルスィの存ぜぬ形で勇儀の庵にいる。しかも書斎としている部屋で丁重に寝かされていると来たものだ。ノーモーションで飛びかかられて首を絞められたら、この傷では抵抗しきれないだろう。案の定、身を焦がすような怒りと憧憬の入り交じった表情がこいしに向けられたけれど、幸いなことに飛びかかっては来なかった。こいしは先手必勝で布団を剥がし、さとりに負わされた傷を自らの手で晒した。

「こういうことなの。察してもらえると嬉しい、かな?」

 パルスィは上半身と肩に包帯の巻かれたこいしを鋭く観察する。本当の傷であるかどうかではなく、痛みを伴う行為が行われたか否かを裁定している様子だった。視線があからさまに性的だった。

「そんなの理由にならないわ。貴女の館は大きくて従者も大勢いるじゃない。どうして勇儀の治療を受けなければならないの?」

「館にいるのはお姉ちゃんの味方ばかりなのよ、知ってるでしょ?」

「どうだか」パルスィはこいしになおもきつい視線を向け続けているけれど、取りあえずは矛を収めたようだった。顔の筋肉からは随分と緊張が取れている。「勇儀は優しいから傷だらけと見れば野良犬でも野良猫でもほいほい拾ってしまうのよね。しょうがない人だこと」

 人というのは人間でなく相手の意味で使ったのだろう。パルスィが最初に惚れたのは人間なのだと意識するが、すぐにどうでも良くなる。パルスィのとろけそうな、愛情の隠しきれない膨れ面と来たらおおよそ嫉妬の妖怪らしくない。最初の表情も刺々しさを演じてはいたけれど十分ではなかった。昔はもっと、視線だけで切りつけられそうな激しさがあったのに。

「そんな訳でここにいるの。出て行ったほうが良いかな?」

「是非そうしてもらいたいわ」パルスィは改めて色のある嫉妬を表面に出すけれど、実行に移すほどの気勢は感じられない。「と言いたいところだけど、勇儀が決めたことだもの、しょうがないわ」

「そう言ってもらえるとありがたいな。本当に辛いから」勇儀の塗ってくれた薬が効いているのか知らないけれど、あらゆる傷が熱を発してしきりに疼く。「二人のことを邪魔して御免なさい」

 パルスィはふんと鼻息を鳴らし、畳に腰掛ける。しばらく無言でいたけれど、余程暇なのかぼそぼそと話しかけてきた。

「貴女をそんなにするなんて、どんな奴なのよ。そうそう負けたりしないはずでしょ?」

 勇儀を通じて顔を合わせる機会がちょくちょくあったから、パルスィはこいしの能力をよく知っている。五感も霊感も、直感でさえもこいしを捉えることはできない。たとえ体を強くつかまれていても、接触している実感が得られないため相手は混乱するしかない。その隙に乗じて逃げ出すことができる一方的に痛めつけることはできない。パルスィが不思議がるのも無理はなかった。

「弱点を熟知している相手にやられたの」

 パルスィは途端に肩を震わせる。さとりがやったのだと気付いたに違いないけれど、それにしては妙な恐がり方をする。まるで最近になって心を射竦められた経験があるようだ。外傷の塊とも言えるパルスィにとっては極めて相性が悪い相手だから、一度でも対したことがあれば怯えてしまうには十分なのだけど。それとは違う後ろめたさというか、頑なな秘密を抱えていることを同時に示したような気がする。

「そう、難儀だったわね」パルスィはなおもちらちらと視線を送ってくる。こいしが何かを知っているのか確認したいとでも言いたげだった。あるいは最初からその意志があったのかもしれない。「ゆっくり休みなさい。そうして一刻も早く傷を治し、ここから出て行って」

「善処するわ」ぷいと顔を背けるパルスィに、こいしは何気なく言葉をかける。「最初は棘だらけかと思ってたけど丸いところもあるんだ」

 相手を貶める意図などないはずだった。それなのにパルスィは恐ろしい獣でも見たかのような目でこいしを見据え、唇を舐めた。咽頭の動きからじっくりと唾を飲み込んだことまではっきりと分かった。自分の指摘がパルスィの心をかき乱したらしい。直近の発言を吟味することしばし、気付くものががあり、こいしは嫌悪を隠さずパルスィに訊ねる。

「もしかして、お姉ちゃんの精神分析を受けてるの?」

 パルスィの瞳孔が蛇のように細まる。透き通るような緑の瞳と相俟って、こいしを一呑みするような気迫と殺意が生まれる。

「どうして知ってるの? 他言無用だと約束したのに!」

「お姉ちゃんからは何も教わってないわ。パルの態度から察しただけよ」パルスィを落ち着かせるため、こいしは愛称とともにはっきりと否定する。「わたしが何か知ってる可能性を怖れていたし、丸くなったという発言に露骨に反応したもの。パルの存在意義に照らし合わせれば、答えは自ずから出てきたわ」

 こいしの推理にパルスィは疑わしさを隠しきれない様子だったけれど、問答無用で害しようという雰囲気は薄れていた。緊張が微かに緩み、歯ぎしりも収まったからだ。

「覚りとは違う方法で物事を識るのね」

「力を棄ててしまったから覚えるしかなかったのよ」

 こいしが本来の力と存在意義をなくした妖怪であることを思い出したのだろう。パルスィはすっかりと肩を落としてしまった。頑なに口を閉ざし、何も喋ろうとしない。だが言葉を漏らしたいと願っている。そのためにまず、さとりの元を訪れてしまったのだろう。そうして精神分析というおぞましい手法に絡み取られてしまったのだ。こいしはパルスィの依存を棄却する必要があった。

「いくら外傷をほじくり出して刺激しても無駄だよ。勇儀相手では埋められてしまうもの。お姉ちゃんはそのことを理解していて、パルのことを体の良い食事対象としているに過ぎないわ」

「それでも良いの。わたしがわたしを取り戻せるならば、心などいくらでも食わせてやる」パルスィはぎらぎらとした決意をその瞳に燃やしていた。「そうしないと飢餓感が抑えきれないの。満たされることはわたしの存在を壊してしまう」

 そこまで切羽詰まるほどパルスィは嫉妬できなくなっている。勇儀があまりにも彼女を受け入れ、愛し過ぎてしまい、他者に羨望する必要がなくなってしまったのだ。人間から転変したのだから食事で胃を満たすことがこいしよりは助けになるにしても、パルスィの主食は嫉妬を相手にぶつけることによって生まれるあらゆる感情だ。どのような感情が励起されるかは問題にならないけれど、激しい嫉妬がなければ恒常的な飢えに苛まれる。同じ苦しみはこいしを壊すところまではいかなかったけれど、欠乏感を埋めるために七転八倒したことは紛うことなき事実だ。種族によっては致命的にまで至るかもしれない。パルスィがそうでないという保証はないし、さとりもそのことを理解した上で精神分析を行っているのかもしれない。さとりはパルスィの心を食べたいけれど同じくらい地底の住人として気遣っている。そのことを理解するべきであると分かっていたけれど、こいしとしてはそれでもできるだけ抗いたかった。

「それならば、もっと良い方法があるわ」こいしは関節を外されていないほうの手を布団から出し、胸の辺りに当てる。「もしパルに恋敵が出来たとしたらどう思う?」

「許しがたいし、妬ましいわ」パルスィは即答すると同時に意図を察し、こいしを厳しく睨みつける。「貴女、まさか立候補するつもりじゃないでしょうね!」

「丁度、新しい恋をしたいと思っていたの」こいしはこれ以上ないほどの出任せを口にする。「勇儀ほど理想の相手はいないのではなくて?」

 こいしがウインクすると、パルスィはこちらに聞こえるほどの歯ぎしりを立てる。背筋がぞっとするくらい甲高い音だった。

「初めて会った時からずっと思ってたの、貴女はとても可愛いわ」パルスィは素早く立ち上がると、こいしを容赦なく見下してくる。「ありがとうと言うべきなのか、死ねと言うべきなのか」

「どちらでも、お好きなように」

「ありがとう、然るのちに死ぬが良いわ」

 パルスィは襖を閉めると乱暴な足取りで歩み去っていく。橋姫の嫉妬を引き受けるなんて厄介なことだと思うけれど、そうして良いと思うほどこいしの精神分析に対する憎しみは深かった。こいしは地下牢で交わされるさとりの食事風景と恍惚に満ちた表情、剥き出しの体躯を思い出し、パルスィと同じような歯軋りを立てる。いくつもの感情が輪になって追いかけっこを始め、バターのように溶けていく。そのまま全ての意識を締め出して、無意識の中で永遠に暮らしたかった。悩みなくたゆたうように生きたかった。でも、さとりのつけたいくつもの傷と痛みが許してくれなかった。

第三の眼・下巻

第三の眼・下巻

作者
ローゼス・ヴォイド
編者
仮面の男
イラスト
判型
新書判・透明ビニルカバー・小口染め(青)/392ページ
発刊日
2012年5月27日
概要
色宿の深奥に潜み、人の心を読む女主人と、彼女を恐れながら徐々に惹かれていく男の交流を描いた「黒薔薇の帳」/地底に介入してきた山の神によって変化を余儀なくされながらも、互いの想いに突き進んでいく古明地姉妹の対決とその決着を描いた「第三の眼」(後編)の二編を収録。古明地姉妹の結末とその果てが開かれていく。

謝辞(敬称略)

本著を作成する過程において、以下の方にご協力頂きました。謹んで感謝申し上げます。

査読(依頼順)

組版/デザイン

委託情報

本著はメロンブックスに委託をお願いしているのですが、その際に一点注意して頂きたいことがあります。

今回、セットと単巻の二通りで登録しています。つまり『上下巻セット』『上巻のみ』『下巻のみ』と三通りあるわけです。予め確認の上、選んで頂くようお願いします。

価格は上下巻のセットですと3,500円、単体ですと各2,000円(どちらも税込価格)となります。

委託案内

上下巻セット

上巻のみ

下巻のみ

あとがき

 

お久しぶりです/初めまして。永遠の零細文章サークル「La Mort Rouge」の管理人、仮面の男です。この度は本著《第三の眼》をお手に取って頂き、ありがとうございます。

今回の頒布にあたり色々と告知を打たせて頂いたのですが、その内容に驚かれた方も多いと思います。かくいうわたしも未だ戸惑いを拭い切れていないわけではありますが、兎に角もことは成ったわけですし、私的な事情も含めてちらほら綴りたいと思います。作者の郷愁や自分語りに興味がないという方/本作のネタバレを見たくないという方は、ここで回れ右をお願いします。

古明地姉妹をメインにした話を書きたいという想いは三年程前からありました。具体的な数値の根拠はと言いますと「古明地こいしのドキドキ大冒険」の公開が2009年の6月だからです。独特の絵柄と間によって描かれる彼女の物語にわたしはすぐさま惹きつけられ、いずれはこの内容に迫るものを物語として築き上げたいと心密かに思ったものです。

だがすぐに、あの姉妹を描くのは一筋縄ではいかないことが分かってきました。哲学や心理学方面の知識に乏しかったこともあり、その願望は先延ばしにされ続けていきます。といってもその間に出したお話が代替であるかといえば決してそういうわけではなく。全力で取り組みながらも、抜き得ぬ棘としてわたしを苛み続けたと言えるでしょう。

あれこれと悩み続けて二年としばし、ようやく物語の種が頭に植え付けられました。それはやがて芽吹き、茎を伸ばし、葉をつけ、花を咲かせました。といっても今回頒布したものとは似ても似つかぬ内容でして。題名からして《虚無の女王~No Life Queen~》とまるで異なるものであり、没になったものだからくどくど語りませんが、ざっと下記のようなものでした。

近未来、無意識は広大なネットの中に発見され、人間が触れ得るものとなった。そのために無意識の幻想であったこいしは郷に在ることができず、地底から姿を消してしまっていた。時を同じくして、外の世界では若者を中心として、存在が極めて認識しにくくなるという現象が発生するようになっていた。最初は気のせいで済まされていたが、同一事象の多発により、乖離性消失症候群という仰々しい名前がつけられるようになった。

同時期、犯罪発生率が還暦付近の男女の間で爆発的に上昇していた。あまりにも短絡的に、そして本人の自覚無く発生する犯罪に、警察はおろか各国の軍隊ですらも容易に歯止めをかけることができずにいた。国家としての体は失われていき、各国はさした理由もなく戦争状態に突入しようとしていく。

消える若者たち、切れる老人たち。この二つは人間の無意識に強い関連があると気付いた無名の科学者と、彼を日に陰に援助する謎の才媛が、意識と無意識、その果てにあるものを探索していく。

まあ、こんな感じです。

没にした理由が何となく分かって頂けると思いますが、割とあらゆることが許される東方の二次創作であっても、これは誰だって「オリジナルでやれ」と言いたくなる類のものです。しかも明らかに伊藤計劃の影響が丸出しです。あらすじを綴り、原稿用紙300枚ほど書いたところで、わたしはふと我に返りました。これでは駄目だ。

わたしが『覚りと精神分析家』に出会ったのは丁度その時分でした。以降の経緯はややこしい前書きに記載した通りです。原作者の曖昧な了承は頂けているのですが、手に取った方が楽しんでくれるかどうかというのは、これから徐々に分かってくるのだと思います。

今回は装丁についても面白い趣向を施しました。見て頂いた方には分かると思いますが、いわゆるハヤカワポケットミステリ(通称:ポケミス)の作りです。精確にはかつて同社より発刊されていたSFレーベル(通称:銀背)の装丁なのですが、何故この装丁を選んだかと言いますと、本という媒体で第三の眼を表現したかったからです。

眼と言えば普通、球体を想像されると思うのですが、心を読む眼がものを見る目と同じ形をしている必要はないわけですし、心が言葉であるならば本こそ第三の眼に最も相応しいモノであると思います。もちろん積年の想いを形にしたかったというのもありますが、第三の眼を本の形として顕現させるのが装丁の主目的なのです。

当初は単巻の予定なのでさとりの眼のみを表現する予定だったのですが、書いているうちに上下巻を強いられる分量であると分かってきました。分厚い本を避けたいというのもありましたが、分冊すれば片方をさとり、もう片方をこいしに対応できるのだと気付き、上巻をさとり、下巻をこいしの眼に準えるよう計画を変更しました。結果的に眼を表現するというコンセプトがより強くなり、作品としての完成度が高まりました。これは分量の増加が功を奏した珍しい例であると思います。

ともあれ素敵な二冊になりましたので、折りを見て色合いや装丁、表紙の美麗なさとりさま/こいしちゃんを愛でて頂ければと思います。斯様に無茶な装丁を担当、形にしてくださったanostudio様には本当に感謝のしようもありません。ありがとうございました。

次に装丁と関係する点ですが、イラストについてです。本著は原作をざっと確認した時点から、色が重要になると分かっていましたから、色遣いに印象のある方にお願いしたいと考えました。そしてできれば古明地姉妹の妖しさを理解している方が良い。二つのことを念頭に入れた上でふらふらとネットの海をさまよっているうち、軒さんの書かれたこいしのイラストを偶然に見つけました。その美麗さもさることながら、キャプションがこれから記す内容と一致しており、興奮を抑えながらも数日をかけて大雑把なあらすじとイラストの概要、スケジュールを添えて依頼のメールを送りました。

これまで面識のない相手からの依頼であることに加え、意図の分かり辛い説明(物語と組み合わさったときに初めて意味の発生する指定が複数ありました)であったり、また上下巻に分冊すると決めた時点で追加の依頼が発生したりと、様々な難事に対応することをお願いする形となったのですが、にも拘わらずこちらのイメージとほぼ寸分違わぬイラストを描いて頂けました。表紙、扉絵ともに本文を色彩的な面で補強し、惑わすような仕掛けとなっていますので、読了したあとに再度じっくりと拝見頂ければと思います。

素敵なイラストを寄稿頂いた軒さんにもまた、感謝に尽くせぬものがあります。今回斯様な依頼をお引き受け頂き、本当にありがとうございました。

この本を作るにあたり、五人の方に査読の助力を請いました。これは去年に頒布した「静止する風の少女」の反省からです。文字数がある程度以上まで増えると、どれだけ注意しても一人では管理しきれなくなるのです。彼らの入念な査読によって、より完成度の高い文章/内容に仕立てることができました。謝辞にも書きましたが、ご協力感謝します。

また今回、組版と題字デザインをmokiさんにお願いしました。急な依頼にも拘わらず、本文/表紙のデザインに丁寧で細のいった検討をして頂き、私に不足している部分を大きく補うことができました。あれだけ文字の詰まった中身でありながら、高い可読性が保たれているのは氏の組版のお陰です。こちらも謝辞に書きましたが改めて、ご協力頂きありがとうございました。

さて、少なくなる余白はありませんが、長々と綴るのもなんなので、最後に二つだけ。

原作者であるV氏へ。この文章を読まれているかは分かりませんが、今回極めて貴重な体験をさせて頂きました。そのお心に沿えたならば幸いなのですが、おそらく答えを頂けることはないのでしょう。もしかしたら例大祭でお会いできるかとも期待したのですが、直接名乗り出てはくれませんでした。ただ、おそらくは……という検討はついています。袖に灰白色の毛が何本か付いていましたから。彼女もまたお元気そうで何よりです。

最後に、本著を手に取って頂いた全ての方に最大限の感謝を、もってこの後書きを締めることとします。また別のあとがきで出会えることを祈っております。

 

2012/06/01 仮面の男

 

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