6 墓碑の国、あるいは救いきれないもの 【3】

 どうして、わたしは生きているのだろう。目を瞑り、その内側、漆黒と光の残滓を感じながら、わたしはいつも同じことを考える。わたしはどうして生き、そして生き続けることができるのだろうか。皮膚と皮、肉と骨の塊である、脆弱な容れものに。何故、心は発生する? 脳なんて不合理的で非効率的な有機デバイスに過ぎないのに。人はあまりにも不完全で、満たされることは決して無い。それでいて、人はどこかしら高潔で、時として不合理と非効率の先にある真実を射抜くことができる。この地球上に住む他のどんな存在、思考でも、同じことを行うのは不可能だ。

 脳機能は21世紀に入ってからの約20年間で、著しく解明が進んだ。どの部分がどの機能を司り、どのような行動を促すのか――科学者たちは驚くほどの知恵と情熱を捧げ、知識を生み出す源をも知識で解体し尽くした。あとは脳内野の中で、未だに機能の分からぬ部位が数パーセント存在するだけだ。米国では数万の最新鋭コンピュータを高度並列化させ、小数点七桁以下の誤差しかない、頭脳エミュレイタを既に稼動させている。それは限りなく人に近い筋道を持ち、そして人あらざる高速演算を行う。しかしそこに精神はない。あるのはただ電気の流れと、正負の変換のみだ。限りなく洗練化されたプログラムと、エクサ級(10の21乗バイト)の容量を持つ記憶媒体をもってしても、人間の一部を映し出すことはできない。研究者たちは全ての部位の機能が解明されれば、エミュレイタは人の精神そのもの足りうると主張しているが、わたしはそうは思わない。精神が生まれるにしても、それは人と全く異なるものになる気がする。

 遺伝子は完全に解析され、全世界共有の財産となった。塩基配列のどの部分がどの気質を司るかも、殆ど解明されている。あとは数パーセントの未知領域を残すのみとなっている。遺伝子を操作することで未然に病気を防いだり、変性細胞を正常細胞に置き換えたりといった治療は、今では多くの国で認められている――勿論、不正な実験は国際法により厳重に禁止されている。もっとも遺伝子操作に惹かれるものは多く、近来でも仏蘭西の研究所で一件、暴露されたばかりだ。その研究所では、人の弱い部分を強い部分や無害な部分に置き換え、強化された人間を作ろうとしていたらしい。しかし、その目論見は悉く失敗した。これは風聞でしかないが、生まれてきた子供たちは、人間の原型を留めていなかったらしい。心は芽生えることなく、身体もままならず、彼らは皆、重力に圧し殺された。ここでもまた、人を生み出すことはできなかった。

 人の設計図、体の仕組み、心の働き――現代医学や科学は、驚くほど全てのことを理屈付けた。しかし、人ならざるものを人に押し上げることはできない。彼らやそれらは人間を模されていても、人間ではない。もし実験が成功したとしても、幸せでいることはできないだろう――わたしと同じように。

 わたしもまた、人間ではない。脳が二つあるというわけでも、身体を改造されているというわけでもないが、わたしはどうも人間ではないような気がする。その気持ちは延々と、幼い頃から抱き続けてきた。簡単だと思うことを行うと何故か凄い勢いで賞賛され、逆に自分が良いと思うことをすると、顔をしかめられた。人間の規範というものも、わたしにはよく理解できない。条文は全て暗記しているが、覚えれば覚えるほど、分からなくなってくる。あれらの決まりが人を良い方法に導くのだろうか。おそらく良し悪しといったところなのだろう。人間の定めたどのような規則もかつて、普遍的に続いたことはなかったし、今もそうであるし、将来的にも変わらないだろう。

 総ては人と、土地と、環境による。そういう意味では、わたしの赴任してきた国――シャルメルは最悪に近い。人心は度重なる戦火と犯罪で荒み、薄い土壁の一部屋に十数人が暮らす家族もざらだった。それでも屋根があればまだましなほうで、路上や広場からあぶれた人の絶える時はない。時折、非政府組織の人間が屑野菜をふんだんにぶち込んだスープと、堅パンを持ってやって来る。日本や米国から相当の物資が到着しているはずだが、誰もその恩恵には預かっていない。それもそのはず、援助物資は国の上層部によって『検閲』され、許可されたものだけが非政府組織のスタッフに下りてくる。上質のものは富めるものに渡り、本当に必要な人間に配られるのは、滓同然のものに過ぎない。

 わたしはその実態を余すところなく知っている。しかし、何もすることができない。何故ならば、シャルメルは今や世界有数の石油供給国であるからだ。

 現在、化石燃料の不足は全世界的な問題になっている。石油はあと50年で底をつき、天然ガスももっと100年程度が限度と言われているのだが、その中で相次ぐ新油田の発掘が、国を重要な位置に押し上げていた。元は2000年初頭より10年ほど続いた、米国と回教国家群の泥沼戦争によって分裂した、何の力も持たない小国に過ぎなかった。回教徒の数は周りの小国家群に比べて非常に少なく、東欧、露西亜、イスラエルなどから集まった難民や商人たちが、その礎となっている。それ故に日本や米国が中東の中で唯一、大使館を持つことができたのである。

 政治体系は民主主義を模してはいるが、実際は最高評議会と呼ばれる富裕層の合議により、総ての決定が成される。選挙は実施されたことがなく、欧米は遠回りに民主化を促しているが、なしのつぶて。かつて世界の警察と呼ばれた米国も、何一つ益するところのなかった戦争のため赤字がかさみ、世界的な不況と重なったため、今では他国に軍隊を出す余裕などない。よってシャルメルの政治体制に直接、介入することもできない。外交努力も行ってはいるが、複雑な利権がそれらを雁字に絡み取り、進展する様子はない。つまりはどの勢力、体制も物資配分の不平等を正すことができない――というわけだ。

 わたしにできることと言えば、一つでも多くの物資が政府でなく、非政府組織に直接届くよう、手を回すことくらいだ。それすらも外務省の上司にしてみれば余計なお節介らしく、何度も釘を刺された。余計なことはせず、君はわが国と政府の関係が良好であるように、立ち振る舞いさえすれば良いのだと。わたしは神妙な顔で気をつけますと答え、心の中ではいつも舌を出してきた。わたしを何とかして手懐けようと擦り寄ってくる政府高官にしても然り。驚くような大金や厚遇をわたしに保証してくれようとしたけれど、わたしは総て突っぱねた。金や地位や名声になんてさらさら興味がないからだ。わたしはそんなものが欲しいのではない。

 そんなわけで、わたしは高きに阿らない人間として、低きには割と評判が良いらしい。勿論、わたしを疎んじるもの、憎むものの大勢いる。彼らに言わせれば、わたしには誠意も努力も感じられないのだそうだ。確かにその通り。わたしはそのようなものなど持ち合わせていない。飢え苦しんでいる者を可哀想だとは思うが、彼らと同じ気持ちになって考えるなんてできないのだからしょうがない。わたしは他者の気持ちになって考えるということが、とても苦手だ。試しに一週間ほど、水以外の食糧を一切抜いてみたことがある。内蔵が捩れるほどに苦しかったけれど、それでもシャルメルの貧しきものの気持ちには届かなかった。眼の見えない人間の気持ちが、耳の聞こえない人間の気持ちが、健常者には理解できないように。所詮食うものに困らない人間に、餓えるものの気持ちなんて分からない、理解できない。気持ちが分かるなんて、理解できるなんて。立派な物言いだけれど、そんなの嘘っぱちに過ぎない。偽りでしかない。そういう贋物の共感は偽善とすら言わない。ただの偽だ。少なくともわたしはそう思う。だからわたしは最低限のこと以外、何もやらない。ここを追い出されない程度にやることをやって、後は惚として暮らすだけ。

 わたしがここにいるのは上司の命令だが、ここにいることを望んだのはわたし自身だ。もっとも代わりを探そうところで見つかるはずもないだろう。国家の財政状態に比例するよう、国家官僚の給料も下がり、乗じてモチベイションは酷く低下してしまっている。国と国を良好に結び付けようとの意志に燃える人間でもなければ、危険国の大使として赴任することは有り得ない。そしてそんな人間は総て、わたしよりも危険な国に散ってしまっている。わたしはきっと半永久的に、ここに留まることとなるだろう。明日にでも死んでしまうかもしれない。それでもわたしには、ここにいる必然性がある。

 何故なら、危険な場所に身を置けば、雪がわたしのことを少しでも心に留めてくれると思ったからだ。もしかしたら、そんな危険なことしないで戻ってくれば良いと、優しい言葉をくれるかもしれない。望みがとても薄いのは分かってる。事実、彼は獄中の十五年間、そして仮出獄してからも、一度も連絡を暮れなかった。そして普通、人の心は時が経つにつれ、薄れていく、遠のいていく。もしかして、いや多分、雪の中にわたしへの想いなんて残ってないだろう。わたしが生きていることを、迷惑だとすら感じているかもしれない。

 雪がもしわたしを嫌っていたら――そう考えるだけで、胸が酷く痛む。頭を駆け巡る歯車が乱れ、噛みあわなくなり、空転を始める。皮肉なことに、彼を思っているときだけ、わたしは人間と同じもののように振る舞うことができる。少しばかり愚かで、愛嬌のある普通の女性になることができる。そしてそんなわたしを、わたしはとても愛おしく思う。わたしはきっと人間じゃない――でも、人間でいたい。人間になりたい。でも、冷たく冴えた部分が故障をたちまち修復してしまい、わたしはまた思考し、記憶するだけの存在になる。でも、だからこそわたしは、雪のことを、想いを忘れずに生きていけるのだ。わたしは人間じゃないから、彼を愛していられる。でも人間で無いわたしを、彼はきっと愛してくれない。メビウスの環の、表と裏のような、徹底した二律背反。

 わたしは一体、どちらを強く求めているのだろう。悩めば悩むほど、分からなくなってくる。

 普通の女性ならば、半年もしないで異性への気持ちを吹っ切ることができる。なのに、残酷で明敏で優れた記憶力を持つわたしの頭脳は、彼との愛しい思い出を一片たりとも洩らさず再生し続ける。肌を重ねた時の心地良さと気持ちよさ。心を重ねたときの安らぎと嬉しさ。どれもが色褪せることなく、わたしを幸福に誘う。そして夢想が途切れたとき、不意に死にたくなる。夢の中のわたしと現実のわたしが、あまりに違い過ぎるから。

 もしかして、わたしは誰かを愛してはいけなかったのだろうか。

 そもそも、生きていてはいけないのではないだろうか。わたしは身体の隅々まで視線を沿わせる。手足を縛られているから満足にはできなかったけれど、自分の身体にちょっとしたおぞましさを感じるには十分だった。

 どうしてわたしは生きているのだろう。この脆弱な骨と皮と肉の塊であるわたしが。

 思考がループし始めたので、別方向に逃がす。わたしは鉄格子越しに漏れる月明かりを頼りに、辺りを見回し始めた。くすんだクリーム色のような壁は、建てられた当時は真っ白だったのだろう。布団には拘束用の器具が備え付けられたベッドが二脚ならんでいた。余りにも整然として人間味のない部屋。恐らくここは、精神についてロクに研究もしていない人間が建てた精神病院なのだろう。健常な思考の筋道を喪った人間は須らく縛り付けられ、自由を奪われるべきだ――そんなおぞましい考えが脳裏を蛆のように這いまわっていたに違いない。幸か不幸か、病院はもう運営されていないようだ。武装勢力が根城にしているのだから、当然といえば当然だが。

 ん、と苦しそうなうめき声が聞こえてくる。その方を向くと、わたしと同じように、腕と足を縛られた男性が転がっていた。わたしが先輩だという理由だけで、シャルメル大使館付きにされた、平岡平の姿がそこにはある。彼もまた捉われたらしい。まあ、あの状況で逃げられるはずも無いか。わたしは思わず溜息をつく。

 

 あれは米国大使が個人で主催するクリスマスパーティからの帰りだった。目を血走らせた原理主義者系の回教徒が幅を利かせているというのに、異教の催しものを行う無神経に、わたしは呆れ果てたものだ。しかし、こんな場所で陽気に外交官に就くならば、彼のような無神経さが、あるいは必要になるのかもしれない。どちらにしても、わたしは彼が好きでなかったので、お座なりに丁重な挨拶だけ交わして、会場を出た。平岡はわたしの姿を見かけると咎め、何とか留まらせようと苦慮したものの、すぐに諦めて助手席に載った。わたしが頑として貫くことは、誰も変えられないことを、彼はよく理解している。あるいは僅かであれわたしを理解しているからこそ、また不幸も被ってしまったのかもしれないが、少なくとも彼は表面に、不満や怒りといったものを滲ませることはなかった。

 実をいうと一度、想いを打ち明けられたことがある。二十五歳の誕生日、誘われ赴いたレストランで、平岡は静かに告げたのだ――わたしへの情念を。当然ながら、わたしは首を横に振った。彼は確かにとても良い人間だけれど、しかしわたしに彼――雪以外の男性が入り込む余地など一片たりとも存在しない。二年後、彼は上司に勧められて見合いし、結婚した。

 あまり愉快でなかったパーティを抜け出し、安堵しながら車を走らせること数分ほどすると、ところどころに錆が浮かんだ、白の大型ワゴン車が、道を横に遮っていた。何とかしようと運転席をたつと、物陰に潜んでいた回教徒たちが左右からそれぞれ二名、計四名でわたしを取り囲んだ。あるいは回教徒の仕業に見せかけようとする何者かだったかもしれない。どちらにしても穏便ではなかった。わたしは銃を突きつけられたものの常として、両手を後頭部で組んで攻撃の意志がないことを伝えた。にも関わらず、彼らは手足をがんじがらめにし、更には質の悪い嗅ぎ薬で意識を昏倒させたのだ。おおよそ、プロの流儀ではない。多分、この手の勢力としては新参なのだろう。

 つまり、ある意味では非常に御し難い相手だということだ。新興の組織はとにかく勢いだけはあるものの、抑制が足りない。また組織が固まっていないから、個人の判断と一致しないことが多く、セオリーが通じにくい。要するに、監視役のような下っ端でさえ、無闇に刺激したり声をかけたりするのはご法度ということだ。感情に任せて鉛玉を撃ち込まれ兼ねない。

 わたしは深く溜息をつく。どのような組織であれ、テロルを行う集団に捉われたのだ。五体満足で生きて帰れる可能性はほとんどないだろう。雪にも二度と会えないだろう。

 いや、それでも良いのかもしれない。どうせ生き残ったって、報われない恋心を一生抱いたまま、その苦しみに身をやつし、遂には狂ってしまうしかないのだから。だとしたら、ここで後腐れなく命を断たれたほうが、幸せなのかもしれない。

 ともあれ、現状できることは何もない。わたしには高い戦闘能力も、武器を持った人間を出し抜く知恵も持っていないのだ。本国との交渉が円滑に進むことを祈るしかない。もっとも人材などとうに枯れ尽くし、財政破綻を来たして骨の髄までボロボロな日本という国に、テロリストと交渉する能力が残っているだろうか。

 下手をすると、既に殺害されたという嘘のシナリオが作られ、見捨てられる可能性だってある。今の腐りきった上層部ならば、それくらいはやりかねない。例えすぐにばれる嘘だとしても、国際世論から避難を浴びせられようと、その場凌ぎを平気で行うかもしれない。それどころか厚顔にも、金がないんだからしょうがないだろ、と開き直ってみせるかもしれない。

 やれやれ。

 組織内で話し合いが紛糾しているのか、それとも焦らして判断力を失わせようとする作戦か。どちらにしろ、当分は何も起こりそうにない。平岡も目覚める様子がないし、もう一眠りすることにしよう。

 目を瞑る。

 眠りはすぐにやって来た。

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