第十話 『名前』の秘密(解決編2)

「第二の事件で倉木さんを殺害したのは誰だったのでしょうか?」

佐祐理は三度、軽く咳をすると、そんな問い掛けをする。

勿論、誰も答えるものはなかった。

「それは、簡単に分かると思います。最初に話した通り、権田さんの割り出した死亡推定時刻は信用できます。嘘をついていない……それは先程、確認しましたよね。だったら、その時までに生きていた人の中で、唯一アリバイがなかった人物が、第二の事件の犯人ということになります」

「平瀬秀一郎……社長だな」 上田が間髪入れずに言った。

佐祐理は小さく頷くと、話を始めた。

「そうです。極めて奇妙な話なのですが、他には考えられません」

「ちょっと待って……ごめん、整理するから」

成海が言葉を遮ると、こめかみに指を当てる。

それは、ロダンの有名な彫刻作品のそれによく似ていた。

「つまりよ。社長夫人を倉木さんが殺して、その倉木さんを社長が殺した。そして、更に社長は何者かに殺された……そうよね」

「……はい」

「信じられないわ……何だか、本当にミステリィの世界に迷い込んだみたい……」 成海は溜息を付いた。 「そんな複雑な事件が、私の生きている間に目の前で起こるなんて……」

「でも……」 御厨が驚きの表情のままで、言葉を繋ぐ。 「何故、倉木さんが社長夫人を殺さなければいけなかったんだ? それに、社長が倉木さんを……」

「それには……理由があるんです」

佐祐理は目を二、三度瞬かせると、大きく息を吸い込んだ。

「まず先程、峰子さんの喉の調子が悪いということを話しました。けど、そう考えた場合、そのことを確実に知っていると考えられる人物がいます。それが、夫の秀一郎氏なんです。夫なのですから、妻の様子を知っていることは当然ですよね」

「でも、倉木さんだって住み込みで働いていたのだろう。だとしたら、風邪のことは知っていたと思えるんだが……」 そう反論をいれたのは、半田だった。

「ええ、普段ならそうだと思います。しかし、倉木さんは旅行の前日の夜まで外出していて、そのことを知るチャンスはありませんでした。しかも、平瀬夫妻はそのことを倉木さんに教えなかったのです」

「倉田さん、それはおかしくないか?普通、風邪を引けば、医療の心得を持っている人間に相談すると思うが……」

「多分、既に風邪は直りかけで、喉だけがおかしかったのだと思います。学校にも、声は出ないけど他は問題が無いので、学校に登校して来る人がいますからね。

それに峰子夫人は、倉木さんのことが嫌いで弱みを見せたくなかったから、話さなかったんです。それに夫人は看護婦の資格を持っていましたから、自分で治療できるとも思ったんでしょうね」

「看護婦?」 半田が首を傾げる。

「半田さんが話してくれたじゃないですか。峰子夫人はかつて、看護婦だったと」

「えっと……まさかそれって、十七年前に起きたっていう惨殺事件の話のこと? 倉田さんはまさか、あの事件のことを今回の事件に組み込んでいるのかい?」

上田が尋ねるが、佐祐理はあっさりとそれを肯定した。

「そうですよ……脅迫文に書いてあった内容と事件、それに歳月はピタリと一致しますし、それを見た時、秀一郎氏が脅えと驚きの混じった表情を見せたことから考えても、平瀬夫妻が十七年前の事件に関わって、そのために命を狙われたと考えられます。

そして、それが秀一郎氏が声のトリックに気が付いても口を噤んでいた理由なんです」

「そうか……社長は夫人を殺した際に使われたトリックが何か、気付いていたんだ。だから、最初はあんなに脅えた表情をしていたのに、その後、すぐに単独行動をするとまで言い出した……」

「はい。秀一郎氏は夫人の声がでないことを予め知っていた唯一の人物だったんです。だから、第一の事件についての話し合いで、半田さんがドア越しに夫人の声を聞いたと言った時に、ひどく硬直した表情をしたんです。それが有り得ないことだと知っていたから……。

その点を知っていたからこそ、秀一郎氏は真っ先に事件の真相を知りました。声を使ったアリバイトリックを使ったことを、真っ先に見抜いたんです。でも、口を噤んでいたのは、やはり脅迫状の件があったからだと思います。

あれを出した主は分かりましたが、今、ここで犯人を告発すれば、自分にとって明らかに不都合になります。だから、倉木さんが一人になる時を狙って、何らかの手段を講じようとしたんです」

「それが……第二の殺人なのね」 成海は体を震わせながら言った。

「多分……もっとも、最初は話し合いで解決しようと考えていたと思います。最初から殺人で解決しようと考えていたのならば、他の人間にアリバイのある時間を狙って、わざわざ殺そうなどとは考えたりしない筈ですから。けど、結局は話し合いが失敗し、結果として秀一郎氏は倉木さんを殺してしまったんです。おそらく、切羽詰った倉木さんが強引に襲い掛かり、そして返り討ちにあったのでしょうね」

「つまり、倉木さんの標的は最初から平瀬夫妻だったんだな……」 上田は続ける。 「だが、彼女に二人を殺す如何なる理由があるのか。それが分からない」

「それは……」 佐祐理は言葉を切った。そして、全体を見まわす。 「彼女は十七年前には、別の名前を持っていたからだと思います。白谷久生という名前です」

「白谷……久生って、白谷家の中で唯一の生存者っていう彼か? だが……」

「白谷久生という人物は、男ではないんです……その人の下には、圭一という名前の弟がいましたよね。圭一という名前は、どう考えても男です。これは、日本の家庭では今も多いのですが、例え長女であっても、名前に一の字を付けないという慣習が強いんです。

それに……久生という名前は女性であっても使われますよ。男女共に使われる名前というものは案外沢山ありますよね。優、薫、直己……光という字もそうです」

「光……名字は引き取り先のものだとしても、名前はもしかして、無意識にかつての自分の名前の面影を残そうとしたのか? 或いは事件のことを忘れないために……」

「それはよく分かりません……」 佐祐理は悲しげな顔を見せると、静かに首を振った。 「ただの偶然かもしれませんし、もしかしたら……これからの人生に光があるようにと願いを込めたのかもしれないですし……今となっては、もう、分かりません」

答えの出ない問いの前に、食堂の空気が沈黙に染まる。

「あと、蛇足ですけど……」

それを佐祐理が破って、言葉を続けた。

「倉木さんの年齢のこともあります。彼女は看護学校、いわゆる医療短期大学を卒業してから、五年間看護婦を勤めて、今の職業に至っていると聞きました。ストレートで卒業したら二十六歳で、その後しばらく秀一郎氏の所で働いていたのなら、あと一つくらいは歳を取っていると思います。

白谷久生という人物は二十七、或いは二十八歳なのですから、条件にぴったりと一致します。それと、秀一郎氏が犯人に気付いた理由としてもう一つあげるならば、白谷久生という人物が二十七歳か二十八歳の女性だということを知っていたからだとも考えられると思います。

だからこそ、無理をしてでも第一の事件でアリバイを作ることが必要でした。倉木さんが、犯人は十七年前の復讐だとさらけ出したからには、アリバイを作ることが、第二の事件を実行に移すための必要充分条件だったからです」

「なんで、そんな面倒なことをしたんだろう」 御厨がまた、首を傾げる。

「復讐を明示したかったからじゃないかな」 高宮がぽつりと言った。 「何も知らせずに殺すよりは、知らせてから殺したかった。恐怖を味あわせたかった。だから、わざわざ逃げ道を塞いで、白に彩られたこのロッジの中で殺したかった。人間としては、自然な考え方かもしれない」

「そうかもしれませんね」 佐祐理は肯定する様子も、否定する様子も見せなかった。 「自分が復讐をするものだと相手に知らせたかった……それは危険なことだったけど、倉木さんにとっては意味があったことかもしれませんし……」

「じゃあ、幽霊が出たとかって夫人が話していたのもそうなのかな」

御厨の言葉に、佐祐理は首を振った。

「えっと……それは、夜中に峰子夫人の声を練習している倉木さんの声を、夜中に廊下にでも出た時に、聞いたんじゃないかと思ってるんです。自分の声をテープレコーダで吹き込んでから聴いてみると、まるでお化けの声のように聞こえたって経験、ありませんか?」

「あ、それならあるわよ」 成海が手を上げて言った。

「自分の声は客観的に聞くと、結構不気味なんです。だから峰子夫人も、幽霊だと騒いだんだと思います。倉木さんにしてみれば、かなり慌てただろうと思いますけど……」

小さな疑問に解答が出された所で、話が移る。

「これで第一の事件と、それに付随する事態については粗方説明したと思います。次に、第二の事件がどのように行われたかを話したいと思います。

事件は先程も言ったように、倉木さんと秀一郎氏の話し合いのもつれから起こりました。もう少し巻き戻して見ると、このような経緯だったと考えられます。

まず犯人が分かった秀一郎氏は、自分の過去の秘密が漏れないためにも、何とかしなければいけないと考えましす。但し、最初から殺人は考えませんでした。犯人が告発できないという状況では、第二の殺人を犯すことは極めて危険だからです。

ロッジで殺害するにしても、帰宅後に殺害するにしても、秀一郎氏には強い疑いが掛かることは間違いありません。そこで、何とか話し合いで解決しようとしました。秘密を黙っていて欲しい、その代わりに何かの見返りは与える……そんなことを条件にするつもりだったのでしょうね。

一方の倉木さんは、秀一郎氏に呼び出されたことに戸惑ったと思います。本当なら秀一郎氏の部屋に侵入できるのですから、機会的にはチャンスです。しかし、他の人たちが一所に集まっているから、流石にここで殺すのはまずいと考えました。

しかし、秀一郎氏に犯人であることを指摘されて、倉木さんは幾らかの争いの後で、逆上して秀一郎氏に飛び掛かり……逆に返り討ちにあった、それは先程も話しましたよね。多分、彼女はフローリングの床に頭を強打して、それが直接の死因になったんです」

「フローリングの床……じゃあ、もしかして社長の部屋にあった血溜まりは社長の血ではなくて倉木さんの血だったのじゃな」 権田が感心の頷きとともに尋ねた。

「ええ。犯行現場が見付からなかった理由も、そう考えると説明がつきます。倉木さんは秀一郎氏の部屋で殺された……けど、秀一郎氏が包丁で刺されて死んでいた状況を見て、全員が秀一郎氏の血だと思いました。そのため、犯行現場が見付からない殺人ができあがってしまったんです。

ところで、殺人を犯してしまった秀一郎氏は悩んだと思います。殺人……そして自分だけにアリバイがない。非常に焦った筈です。そこで秀一郎氏は考えました。犯行時刻を温度差によってずらしてしまえば良い……と。

そこで死体を倉木さんの部屋に運びました。多分、それが丁度十時前だったと思います」

「何故、そこまで正確に分かるんじゃ?」

「あの時、物音がしたからです」

「じゃあ、あれはロッジに何かがぶつかった音じゃなくて」 上田がうめくように言う。 「社長が倉木さんを運ぶ最中に、うっかり床にぶつけた、その音だったんだな」

「はい。その後、秀一郎氏は倉木さんの部屋にあった真鍮の時計で……彼女を何回も殴り付けました。それは、時計が壊れて時間が止まっているという状況を作りたかったからです」

「ミステリでは常套の手段だな……でも、時計の時間は九時十五分で止まっていた。社長がアリバイを作ろうと思ってその時間に止めたのなら、その時間に合っているのは不自然だと思うが……」

「ある理由があるんです」 佐祐理は即座に答えた。 「秀一郎氏の考えている時間に時計が止まっていると不都合のある人間が、改めて倉木さんの部屋に忍び込んで、時計を殺害時刻と思われる時間に修正したからです。だから、秀一郎氏がアリバイを誤魔化そうとした痕跡があるにも関わらず、時計の時刻がそのままだったんです」

「社長を殺した三人目の犯人の仕業、ということか? 誰なんだ、それは」

「それは……後回しにして欲しいのですが」

「そうか……」 上田は少し不満そうな顔をしたが、 「分かった、君がそういうからには何かの理由があるんだろう。じゃあ、続きを」

「すいません」 佐祐理は頭を小さく下げると、話を続ける。

「秀一郎氏は時計を壊した後、時間を十一時半から十二時半辺りに設定したと思います。そして、ヒータの温度と出力を上げました」

「成程……外気温が高いと死後硬直が早まることを利用したんじゃな。被害者は夕食を取っていなかったから、胃の内容物から死亡時刻を推定することはできない」

権田が医師らしい感想を述べた。

「ええ。これはサスペンスや推理小説などで簡単に得られる知識でもありますし、妻である峰子さんから軽い知識を得ていた可能性もあります。こうして死亡推定時刻を遅くする仕掛けを施した後、一人では寂しいという適当な理由を付けて、みんなと一緒に過ごしました。

こうすることで全員にアリバイができ、秀一郎氏も容疑の嫌疑外となります。これによって秀一郎氏は、外部犯の仕業に見せようとしたんです。けど、上田さんが外部犯の可能性は無いと以前、証明しました。あの時、その場にいた人間なら、外部犯行説に導こうとは考えない筈です。そんなことをするのは、上田さんがその推理をしていた時に、唯一食堂にいなかった秀一郎氏以外には考えられません。

また、このことによって、何故倉木さんと秀一郎氏はドアにバリケードを張らなかったのかが分かりました。これは、倉木さんが犯人側の人間で、秀一郎氏もまた犯人側の人間であったからです」

「成程、そのことは俺も不審に思っていたんだが……」 上田が指をパチンと鳴らす。

「ふう、年寄りの頭にはかなりきついのう」 権田がこめかみを指で抑えながら言った。

「あ、じゃあ少し休みましょうか?」

「いや、こういうのは一気加勢と言った方が良い。さっきのは軽い冗談じゃよ。それより、第一と第二の事件については幾つかの疑問もあるが、粗方良しとしよう。だが、秀一郎氏殺害、つまり第三の事件については? もう、答えは出とるんじゃろ?」

「ええ、今までは半信半疑でしたが……」 佐祐理は少し考えた後で、 「先程までのやり取りで確信しました」 そうはっきりと述べた。

[PREV PAGE] [SS INDEX] [NEXT PAGE]