男には戦わなければならない時がある。
女にも戦わなければならない時がある。
この話は、そんな災禍に巻き込まれた……、
或いは自ら飛びこんで行った二人の男性と一人の女性の話である。
舗装路の旋律(前編)
〜Beat On The Asfalted Road(First Part)〜
1 先手
「初っ端にあたっちまうとはな……」
北川はくじ運の良さ(或いは悪さと言うのかもしれない)に、思わずそう声を漏らした。
「ああ、そうだな」
祐一は会議室で先程行われた、トーナメント組み合わせ決定会を思い出す。まるで謀ったように、あいつたちのチームと祐一のチームが一回戦最後の試合となったあのくじ引き。
そんなことを話していた二人に、香里は冷静に言い放った。
「あなたたち、本当にそう思ってるの?」
「えっ?」
香里の意外な言葉に祐一と北川は声を揃えて香里に注視する。
「あんなの簡単なトリックじゃないの。いい?」
香里はそう言うと、ルーズリーフを丁寧にものさしで三等分した。
「まず、私たちが会議室に入った時のことを思い出して。
開催委員の一人が、くじを切って入れてたわよね」
「あ、ああ、そうだな……」
確かに1から12まで書かれたくじが、鉄製の缶に入れられるのを祐一も、そして他のチームのどの人間をも確認している。それは間違い無い筈だと祐一は考える。
「それからそれぞれのチームのリーダがくじを引くことになって……。それで相沢君がくじを引こうとした時、教室で名雪が呼んでるとクラスメイトが呼びに来た」
「ああ。だが、行ってみると名雪は用事なんかないと首を傾げてたぞ」
「そうね……。そして、あいつは最後にくじを引くことを望んだわ。残り物には福があるとか言って。つまりは、そういうことよ」
「どういうことだ?」
北川にはまだ合点がいかないらしく、香里に説明を求めた。
「つまり、こういうことよ」
香里は三等分されたされた紙に1〜10、11、12と数字をうつ。
「自分と意中の人物以外の人物に先にくじを引かせれば、トーナメントなら組み合せを決定できるわ。
その証拠に、くじをいれた人はグーで手を突っ込み、グーで手を引き抜いてたしね。
よく考えるとおかしいわよね、その動作って。つまり彼は11と12のくじを隠し持ってたのよ。
私、じっと観察してたから覚えてるの。それに残り物を改めもせずにさっさと片付けたでしょう。
きっとあの時、もうあの中にはくじが一枚も残っていなかったと考えて良いでしょうね。
実際、相沢君は覚えのない呼び出しを食らってるし……」
「じゃあ……」香里の分析に、祐一はそれを整理しながら言った。「開催委員から、あいつから、クラスメートから、皆がグルになってズルしたってことか? でも、そんなことをする理由が分からない」
「余裕よ」香里はぴしゃりと答えた。「もし決勝とかで負けたりしたら、体力が弱まっていたと言い訳を付けられるでしょう。あいつはそういう逃げ道を、先手を打って封じたのよ……全く、忌々しいけどね」
「成程……あいつ、三木本ならやりかねないな。見るからに格好付けで、そのくせ裏ではネチネチやってそうなタイプだもんな」
北川の言葉には、僻みというかかなりの主観が入っていた。もし、女子生徒……特に下級生がこの科白を聞いたら、三人に一人は顔を真っ赤にして掴みかかってくるだろう。祐一はそういう事情に疎いので北川から話を聞くまで全然知らなかったのが、三木本はかなりもてるらしい。
後でよく観察してみると、確かに顔立ちも中性的だしバスケ部の主将もやっている。今はブームも去ったが、それでもバスケ部というのは相当の人気を保持していると言っても良い。この高校はスポーツでもかなりの力を入れており、バスケ部は県上位を維持し続けている程の実力を持っている。
それで人気がつかない筈があるだろうか……答えは否である。よく漫画やアニメで見かけるようなおっかけすらいないが、それに近いことをやっている女子はいた。一部では、不可侵にして抜け駆けするべからずという条項まで存在するとのことだ。
勿論、男子生徒の一部には相当反感を持っている奴もいる。そいつらが言うには「現生徒会長である久瀬と負けず劣らず……」らしい。しかし、リーダシップを発揮するタイプで、女性に媚びた態度を見せることは殆どないので、基本的には男子にも人気があった。
まあ、祐一にしてみれば勝手にやってくれという感じであった。学年も部活動も同じではないし、何より祐一には水瀬名雪という恋人がいる。彼にしてみれば対岸の火事に等しいものだったのだ。少なくとも、一月前にあんな光景を目撃するまでは……。
2 目撃
あんな光景というのは……まあつまり、三木本が名雪にアプローチをかけている場面を、偶然に祐一が目撃したということだった。最初は何となく出ていくのが憚られて、柱の影に隠れていたのだが、「上級生だから余り大きな声で言えないけどさあ、あんなボーっとした頭悪そうなののどこがいいの?」とか「僕の方が運動だって勉強だって余程できるしさあ、お似合いだと思うんだよね」などと好き放題言ってくるに従って、祐一も堪忍袋の緒が切れた。
「おっ、名雪じゃないか」
祐一がわざとらしく影から出ると、三木本はこれでもかというくらいに体を震わせた。聞かれていたか……と勘繰ったのかもしれない。
一方の名雪は、祐一の姿を見ると満面の笑みを浮かべて近寄って来た。その姿には一縷の迷いもなく、祐一はほっと胸を撫で下ろした。
「何話してたんだ? 部活動の後輩か?」
「う、うん……そんなところだよ」
名雪は三木本の方をちらっと見て、それからそう答えた。嘘だということは分かっていたが、そこにも祐一に対する優先度を見ることができて、結構な優越感が湧いてくる。
「今日は部活休みだったよな。どっかで何か食ってかないか?」
「じゃあ、百花屋のイチゴサンデー。もちろん、祐一の奢りでね」
奢りというのは少し懐に堪えるのだが、この際は仕方ないと考える。
「まあ、仕方ないな」
祐一が言うと、名雪は喜びを抱えて跳ね上がる。
「じゃ、じゃあ、僕はこれで……」
その姿を見ていた三木本は、まるで逃げ出すようにして去っていく。祐一はざまあみろと、溜飲の下がる思いだった。最後に三木本は、祐一に向けて鋭い憎しみに歪んだ顔を一瞬だけ見せた。勿論、名雪には分からない形でだが……。
3 結束
「あの時は流石にカチンと来たが……俺の方はすっかり忘れてたぞ」
祐一は思わず溜息を付く。それを向こうは根に持って、くじでトリックを使ってまで復讐しようとしてきたのだ。これは北川の書評も、あながち外れていないのかもしれない。
「スポーツマンってスポーツ以外のことに取り組まないから、基本的に清廉と見えるんだけど、予測外の感情が介入すると、それ故に醜く歪んじゃったりするものよね。西部のとある選手だって、似たようなこと(注1)をやってるし……」
香里は親切懇意に具体的な例まで示してくれる。その選手のファンが聞いたら、それこそ殴りかかられそうなことをさらりと言ってのける辺り、香里は根っからの苦言家なのだ。祐一はそんなことを考えながら、声を挟む。
「でも、開催委員やクラスメートまでなんでそんな作戦に手を貸すんだ?」
香里は祐一の問いに、冷ややかな目を浮かべながら答えた。
「……名雪を狙ってた男子が、それほど多かったってことよ」
「成程、そういうことか」
北川は腕を組み、納得然と頷いている。一方、祐一にはさっぱり合点がいかなかった。
「はあ……俺にはさっぱり分からん」
祐一の言葉に、香里のデコピンと北川の喉に向けたブッチャーが同時に炸裂した。痛みの同時に、祐一は思わず唸り声をあげながらのたうち回る。香里はそんなこと気にせず、またしても丁寧に説明を始めた。もしかしたら、来世辺りで花の名前がついた機動戦艦に乗り込んだりするのかもしれない。
「つまり、名雪のことが好きで転校生のあんたに横から奪われてると逆恨みしている男子たちが悲しくも結束して、相沢君に目立つ場所で恥をかかせてやろうって魂胆なの……分かった?」
「わ、わかった……」祐一は未だ痛みを堪えながら、それでも事の重大性は理解できた。名雪のような可愛い彼女を持つと、火の粉が容赦なく振りかかるということだ。
「振りかかる火の粉は払わねばならぬと言うことだな」
「分かってるじゃない……」
香里は腕組みをすると、僅かに険しい顔を見せた。
「でも、あいつ等がズルをやってるって指摘してやればそれでOKなんじゃないのか?」北川がそう口を挟んだ。「それで学生たちの信用も一気に落ちる筈だし」
「駄目よ」香里は北川の意見を一蹴した。「今となっては、あの三人が結託してるって証拠は全て隠滅されてるでしょうから。今言ったって、逆に嘲られるだけよ」
成程……と思いながら、ふと祐一に一つの疑問が浮かぶ。
「ちょっと待て、香里。ということは、別にズルなんかなくて純粋な確率でああなったってことも考えられない訳じゃないってことになるぞ」
祐一が慌てながら尋ねると、香里はあっさりと答えた。
「やってるわよ。だって、あの三人がこそこそ話してたの、私聞いたんだもの」
「聞いたって……じゃあ、なんでくじ引きの時にそれを指摘しなかったんだ」
「……だって、ああいう姑息なフェイクを使ってくるのって大嫌いなんですもの。ああ言った姑息な手段で、親友の幸せを打ち砕こうとしてるなんて……ねえ」
そう言った瞬間、香里の目が妖しく光った。まるで獲物を狙う、虎か豹のように。その剣幕に、祐一と北川は思わず首を揃えて何度も縦に振る。
「相沢君と付きあってるのが幸せかどうかは別として……」
次の瞬間には余りに冷静な言葉で、祐一は思わず「ほっとけ!!」と叫んでいた。
「まっ、それは冗談として……」
冗談だったのかとツッコミたかったが、祐一には恐くてできない。
「でも、相手は現役のバスケットボーラーだぞ。3on3で本当に勝てるのか?」
北川が取りあえずの懸念を述べる。それについては祐一も同感だった。ルールが違うとは言え、バスケットボールであることに変わりはない。こちらが圧倒的に不利だ。祐一はある程度、運動神経に自信があるし、北川も同じくらい。香里は女性だが、それこそ並の男子顔負けの運動能力を持っている。
だが、それを差し引いても、こちらの不利は変わらない。向こうは運動部への人脈も強いらしく、バスケ部でなくても運動能力の高い生徒を引き抜いていた。万全の体制というわけだ。
しかし、香里は微笑みながら答えた。
「無い訳じゃないわ」
4 発端
3on3が祐一の通う学校で、数年前から文化祭のメイン・イベントをはっていることを知ったのは、北川に参加を持ちかけられたからだった。この大会が始まったのはおよそ十年前、これは某少年誌に乗っていたバスケ漫画の人気が広範的になってきた時期とピタリ一致する。
但し、体育館は文化系の催しが行われるため、バスケット・コートのリンクを徴収することはできない。そこで当時の実行委員会が考えたのは、面積も少なく時間も労力も少ない、素人でも気軽に対戦できる3on3という形式だった。
試合時間は休憩を挟んで二十分。試合に加わることのできるバスケ部部員は一人までと限定する。男女問わず。金銭をかけるのは厳禁。
第一の項目は、特に問題はない。
第二の項目は、第一回大会がバスケ部ドリームチームによってかっさらわれたことへの、他チームのブーイングに似た抗議から制定されたものであるらしい。
第三の項目は、華が少ないという一部の男子生徒の元により制定されたものである。元々、男子のみという項目はなかったのだが、参加が男のみと勘違いされている風潮から付け加えられた。
第四の項目は……言わぬが華だと北川は頷いていた。香里に聞いた話によると、第五回大会で大規模な賭けが主宰され、流石に教師たちが憤慨したことから付け加えられた。しかし、影でひっそりと金を賭ける輩は後を立たないとも香里は言う。
「なあ、頼むから出てくれよ。面子が一人足りなくてさ」
そんなことを説明した後、北川は両手を合わせて、拝むように言った。
「うーん……そう言われてもな」
祐一は少し渋って見せた。この学校で名雪と迎える、最初で最後の文化祭だ。なるべく予定などはいれたくなかった。クラスで行われる出し物の合間をぬって、色々な場所に回ろうと、昨日名雪の部屋で話したばかりだったから。
しかし、名雪の言葉によってそれはあっさりと解決した。
「頑張ってね、わたしも応援に行くから」
そして、軽く拳を握り締めて見せる。というか、名雪の中では祐一は既に参加決定だった。祐一は抗弁しようとしたのだが、名雪の期待がこもった眼差しに逆らうことはできなかった。
「ったく、しょうがないな……学食三日分で手を打とう」
「よし、商談成立だな」満足そうに言う北川。
「けど、もう一人のメンバって誰なんだ?」
よく考えると、北川は自分以外の男子と仲良くしている様子がない。疑問に思って尋ねると、北川は自らの横の席を指して言った。
「もう一人のメンバは香里なんだ」
名指しされて、祐一と名雪はちらと香里の方を見る。
香里はふいと顔を背けながら、早口で言った。
「私は北川君にどうしてもと頼まれたから。男友達いなさそうだし、不憫に思ってね」
「うっ、美坂は俺のことをそう思っていたのか?」
澄まし顔の香里に、今にも泣きそうな表情の北川。まっ、この辺りにどういう経緯があったのかはあえて考えずにおこうと思う祐一だった。
発端はこの通り、平和なものだったのだ。どこでこんな、熱血漫画に出てくるような展開になったのだろうか。祐一はわざとらしく溜息を付いた。
5 準備
次の日の放課後。
祐一、北川、香里の三人はクラスメートたちに直談判を行った。それはクラスの出し物における労働の免除。三木本の能力を考えると、放課後はフルで特訓して対策を練らないといけないというのが、香里の提示した必要条件だった。
幸い、祐一のクラスの出し物は喫茶店で、人出はそこまで必要ない。
簡単な大工仕事はあるが、全体的には教室の改装とデコレーション。女子が好きな分野であるし、実際にこの催しを率先してやっているのは女子の方だった。
「……というわけなんだが」
祐一は大まかに事情を説明する。勿論、裏の事情は隠してある。教室はしばらく波をうったように静まり返っていたが、やがて男子生徒の一人が口を開いた。それは昨日、名雪が呼んでいるといけしゃあしゃあ嘘をついたやつだった。
「でも、それって問題ありなんじゃないか? だってそうだろ、3on3なんて遊びの延長だろ? クラスの仕事さぼってまでそんなことするなんて、間違ってるよな」
嫌味そうな笑みを浮かべながらもっともらしく語る生徒に二、三人が同様に頷く。どうやら彼らの魂胆は同じらしい。しかし、正論なだけに祐一には反論できなかった。
口惜しく思っていると、助け舟は別のところから来た。
「あら、そんな偉そうなこと言って……貴方たちだって、別に役立ってる訳じゃ無いでしょう?」
それはクラスの女子の一人だった。確か学級委員をやってて、女子の輪の中心にいることが多い人物だが……。
ともあれ、そう突っ込まれると男子たちには何も言い返せない。事実、何もやってないからだ。彼らの弱点は、祐一や北川と貢献度では対して変わらない点にあった。
「そうよそうよ、偉そうに言っちゃってさ」
「あんたら、今まで何やったのよ」
それに呼応するように、二人の女子が加勢する。
すると一気に旗色は祐一たちに傾いた。女子は全て、こちらに肯定的な視線を帯びているし、残った男子もこの雰囲気では反対できなかった。そして文句を言い出した男子とその仲間は、孤立してしまって悔しそうな顔をしている。
こうして軍配は、あっさりとこちらに上がったのである。
「ふう、一時はどうなるかと思ったな」
三人でバスケコートに向かう途中、北川がそう漏らした。
「あら、こうなることは分かってたわよ」
香里は不敵な笑みを浮かべる。
「だって予め、ああなるように手回ししておいたんですもの」
「はあ!?」祐一と北川の間抜けな声がハモる。
「なんでそんな面倒くさいことをしたんだ」
「まあ、クラスの正式な承認を取っておきたかったってこともあるわね。ああいう雰囲気になったら、誰も反対できないでしょう。それに……昨日のような詰まらない小細工をした人に、ちょっと痛い目を合わせてやらなくちゃいけないと思ってね」
そういう香里の表情は……本当に恐かった。
「でも、女子の方もよく納得したな」
北川が平和そうに尋ねると、香里は祐一の手に肩を置いた。
「女子の方には本当のことを話したもの。それで相沢君と名雪の仲のためと言ったら、簡単にOKしてくれたわ。意外と人気あるのよ、あなたたち。微笑ましいカップルだってことで」
祐一はその言葉に、思わずこけそうになった。
しかし、これで無様な負け方は許されなくなった。というか、そんなことをしたらクラスの女子から白い目で見られることだろう。それだけは勘弁したい。
しかも教室を出て行くところを名雪に、
「頑張ってね、応援してるから」
と言われた日には、奮起せぬ訳にはいかないだろう。
そう思い、改めて気合を入れる祐一だった。
To Be Continued……
あとがき
人気バスケ漫画に端を発する3on3大会……。
これは私の高校で実際に存在する、一つのイベントの勃興劇です。
今も続いているのかは分かりませんが、娯楽の少ない公立の学園祭では、
おそらくメインイベントだったのでしょう。これは、その時を思い出して書きました。
ちなみに最初の方で出てくるクジの話は、
金田一少年の事件簿や賭博黙示録カイジに出てきた奴です。
こういうハッタリ臭さで、相手の嫌らしさを表現したつもりなのですが、
どないなもんでしょうか?