秘密特訓は、何も男の浪漫という訳では無い。
寧ろ女の方が免疫の無いぶん、はまると恐いものである……。
舗装路の旋律(中編)
〜Beat On The Asfalted Road(Second Part)〜
6 特訓
「みんな、集まったわね」
あれからそれぞれが一旦家に帰り、体操服に着替えて町の運動公園へと集合した。
距離的に一番遠いにも関わらず、最も遅くやって来た祐一に香里は強い睨みを利かせる。
運動しやすいスタイルでということで、全員が上下ジャージを着用していた。
バスケットボールは北川の家の倉庫から引っ張り出されてきたものだ。
北川曰く、やはり例のバスケ漫画に触発されて……らしい。
祐一にも思い当たる節があるので笑うことはできなかった。
ましてや子供用のバスケシューズが、今も埃を被っていることなど口が裂けても言えない。
もっとも、そのために祐一はバスケには多少慣れている。
少なくとも他の球技よりは得意だという自負もある。
毎日練習し、県の上位にも食い込むような腕前と比べれば劣っているにしてもだ。
自らの感触を噛み締めている祐一に向けて、香里が張りのある声を発する。
それはいつものどこか他人と一線を引いたようなものとは異なっていた。
「じゃあ、練習を始める前にもう一度確認しておくわよ。
私たちは、バスケ部のエースを含む優勝候補といきなり戦うことになったわ。
こちらとしては戦争をふっかけられた訳だから、受けて立たない訳には行かないのよ」
一種、自らに置かれたシチュエーションに陶然するような香里の口調。
「……香里ってこういう性格だったか?」
「……さあ」
「そこ、無駄話をしない!!」
祐一と北川がひそひそ話を始める間もなく、香里の怒号が飛ぶ。
「しかし、こちらの戦力は正直言って彼らと戦うには忍びないわ。
運動神経には多少の自信はあっても、向こうに一日の長があるのは否めないし」
それは祐一も分かっていた。
多分、いや間違い無くまともに掛かれば勝ち目はない筈だ。
しかして、それを敢えて買って出たのだから香里には何かの算段があるのだろう。
そんなことを考えながら、やけに厳粛な姿勢で立っている北川と共に話の続きを聞く。
「そこでよ、こちらとしてはアドバンテージの全てを有効に使わないといけないのよ。
例えば、向こうは明らかにこちらを侮っている。それはくじの件を見ても分かるわ。
緒戦だから、手の内がばれる心配も無い。それに……」
香里はそこまで言って、意味深に口を閉ざした。
「とにかく、こちらに勝機があるとしたら相手の油断に漬け込むことになるわ。
あとはエースをどのようにして抑えるか……」
「確かにそうだよな」北川が同意した。
「バスケ部のエースとなると突破力が半端じゃない筈だ。
生半可な練習じゃあ、本番でも三木本を抑えるのは不可能だぞ」
「そちらについては私に案があるわ」
香里ははっきりと言い切った。
「それよりも問題は、どう得点に絡めて行くかという問題よ。
私たちの方が体力が少ないのは必然よね。ディフェンス力も相手が上、
となると速攻戦術を多様することになるし、多分それしか方法はないわ。
だから、それに的を絞った練習をするの。予めパターンを幾つか決めて、
私たちにだけ分かる合図を使って機敏にフォーメーション変えを行う。
相手がディフェンスに加わる暇がないくらい、素早くボールを回せば良いの。
けど、それだとパターンを全部読み尽くされたらおしまい。
それに、かなり高い確率のシュート成功率を必要とするわ。
はっきり言って、二週間じゃ少な過ぎるくらいだけどやるしかないわ」
祐一は香里の提案を、頷きながら聞いていた。確かにフォーメーション、シュート練習、
ディフェンスとやらなければならないことは多い。二週間じゃ、全然足りないのだろう。
「おおっ、聞いてると何だか勝ち目があるような気がしてきたぜっ」
香里の演説に高名を受けたのか、途端に吼え始める北川。
「そうよっ、私たちは勝てるの」
北川のやる気に、香里の方も何か感じるものがあったようだ。
自然とその手は違いに握り締められる。その表情は使命感で燃えていた。
案外こいつら良いコンビだなと思いつつ、祐一だけは冷静に状況を見つめていた。
が、勿論そんなことは許されない状況だった。
「相沢君、なに醒めた目をしてるのよ。元はといえば、貴方と名雪の絆のためなんだから」
「そうだぞ、お前が燃えずに誰が燃えるのだ。言わば、相沢は主人公だ」
いつの間にか、自分はこの騒ぎの主人公にされてしまったらしい。
祐一は俄かに不安なものを感じながら、しかし主人公という言葉にぐっと来るものも感じた。
彼も基本的に、単純な性格ではあるのだ……。
「じゃあ、早速今から練習するわよ」
「「おうっ」」
香里の溌剌とした声に、祐一と北川の威勢の良い返事が響く。
こうして、特訓は燃え盛るような熱気の中で始まったのだった。
7 休息
「あ、いててて、もうちょっとゆっくりやって……欲しい……」
「あ、ごめん……」
祐一は擦過傷に染みる消毒液の痛みに、思わず唸り声を上げた。
救急箱を背に、治療を行ってくれていた名雪は脱脂綿を膝の傷痕から離す。
「でも、そんなにしょっちゅう痛がられたら、治療も進まないよ」
名雪が血の滲んだ脱脂綿と、新しく消毒液を浸した脱脂綿を取り換える。
「あ、ごめん……けど、昔から消毒液のあの痛みだけは苦手でさ」
祐一はちり紙を一枚取ると、痛みを抑えるために消毒液を拭き取った。
もっとも、あの体の芯に響くような痛みは収まらなかったが。
「ふーん、祐一って小さい頃から切り傷とか作ってばっかりだと思ってたけど。
ほら、あの時だってさ……」
そう言って、名雪は祐一が小さい頃に水瀬家で起こした事件について話し始める。
「祐一ったら、いきなり階段って何段飛び越せるかって言い出したんだよ。
それでいきなり十段くらい一気に飛び越して、そこで着地に失敗して……。
あっ、その時もお母さんに傷の手当てされて痛がってたっけ」
「……そんなこと覚えてない」
実はかなり鮮明に覚えているのだが、祐一は覚えてない振りをした。
ああ、俺も覚えているよと言って、気さくに話せるような内容ではないと判断したからだ。
だが、名雪はその言葉を残念そうに受け取った。
「そっか……じゃあこれは覚えてる? わたしと祐一が近くの空き地で……」
「いや、そっちの話はもう良いから……」
これ以上、恥を曝されては叶わないと思い、祐一は傷口の方を指差す。
「あ、ごめん、まだ途中だったよ」
こうして、祐一は名雪にこの後四回ほど悲鳴を上げさせられることとなる。
この文だけ見ると誤解されそうな言い方だが、そのような意図は全くない。
「それにしても……」
傷テープに皮膚を五%ほど占領された祐一が、腕を組みながら言葉を発する。
「北川はともかく、香里があそこまで熱血系とは知らなかった……」
祐一は今日の特訓を思い出して、しみじみと頷いた。
パスワークの練習中に「ノールックパスくらい、直感で身に付けなさい」とか、
十連続でシュートを決めるまで合格点はあげないとか、
かなり無茶苦茶なことを言う香里は、どう考えても違和感あり過ぎだった。
「そっか……香里って結構負けず嫌いなところがあるから、そのせいかも」
確かにそれは言えるかもしれない。しかし、あの入れ込み様はどこか異様だと
祐一は思っている。何というか、香里らしくないキャラクタなのだ。
「でも、祐一も頑張ってるよね」
傷の方をじっと見つめながら、名雪が言った。
「わたしも協力できたら良いんだけど……クラスと部活の出し物で忙しいから」
名雪は寂しそうな表情を祐一に向ける。
陸上部の部長だから、部活動主宰のイベントがあって忙しいのだ。
名雪はそのことを言いたかったのだろうが、そんな顔をされると辛かった。
祐一はそっと名雪の頭に手を伸ばすと、その髪を梳かしながら答える。
「気にするなって、俺は名雪が応援してくれるだけで嬉しいから」
そして、ゆっくりと抱きしめながら頭を撫で続ける。
これは名雪を宥める時、祐一がよくやることだった。
猫と無理矢理引き離された時や、百花屋が予定外に閉店だった時、
こうして挙げてみるとかなり平和的な原因が多いのだが……。
お約束のように、秋子が二人の様子を見て微笑んでいたのだが、
それに気付くことなく、まるでじゃれあう猫のようにしばらくそのままでいた。
8 陰謀
家の中でこのような甘さを漂わせているのだから、学校でも例外ではない。
に加えて、名雪の容姿は高校でもトップクラスであると言って良い。
勿論、二人の仲を羨望し、嫉妬し、或いは不当な逆恨みをしている者がいる。
それが今回の小さな騒動の原因ともなったのではあるが……。
その溜飲を今回の3on3で少しでも晴らし、あわよくば二人の仲を引き裂かんと、
男子生徒の一群が学校の片隅に集まっていた。
「現在のところ、計画は滞りなく進んでいる」
この集団のリーダである三木本は、まず男子たちに向けて声を発する。
「我々としては、家の事情により同居しているという羨まし……もとい、
そのような邪なる理由を以ってのみであのような男に水瀬さんが取られて良いのか?」
正確に言えば、取ろうとしてるのは三木本を含む彼ら逆恨み派の人間なのであるが、
いつでも恋に狂った人間というのは歯止めがきかないものである。
或いは、二人が乗り越えてきた事件や時間のことを知れば考え直すものもいるかもしれない。
しかし、祐一でしろ名雪でしろこのような集まりに向けてそんなことは言わないだろう。
三木本は続けて言う。
「否である。よって我々は、あの男の不当占拠から水瀬さんを救い出さなければならない」
その言葉に、集まった男子たちは熱狂の声をあげる。
そして、どこで手に入ったか分からない祐一の写真が破り捨てられていった。
まるでどこぞの、ヒトラーの尻尾と呼ばれた人たちとその心棒者のようである。
「そして、絶好の舞台がやって来た。文化祭という内外の観客が集まるその前で、
あの男が如何に愚鈍で価値のない人間だと思い知らせてやろう」
この姿を見れば男の嫉妬は恐いと思っただろうが、
一種の陶酔状態に陥っている彼らにはそのような言葉は届かなかった。
その中でも、三木本の頭には地べたに這いつくばっている祐一の姿と、
陶然とした様子で三木本を見つめる名雪、そして肩を抱く自分という構図が出来あがっていた。
香里の言った通り、スポーツマンというのは案外雑味に弱いのである。
ともあれ、百%成就しない陰謀は、悲しく進んでいたのだ。
9 旋律
そして文化祭当日。こういうイベントには力を入れている学校だけあって、
正門前の巨大な立て看板から飾り付けにまで丁寧に作りこまれている。
いつもは閑散とした正門から中庭にかけるスペースには、
部活動やクラスの催しものであろう屋台が所狭しと並んでいる。
その賑わいを知っている近隣の住民たちは、
学生たちの溢れる熱気と楽しげな催しに目を奪われていた。
中にはビデオカメラを持った地方局のレポータやカメラマンの姿も見える。
生徒の自主性を重んじるという学風もあり、テレビでも毎年宣伝されていた。
正に体育祭と並ぶ、秋の一大イベントだった。
しかし、残念ながら祐一にはそれらを楽しむ余裕などなかった。
教職員の駐車場スペース前。裏門に近いその場所が、3on3の舞台だった。
グラウンドからはゴールが運ばれ、消石灰の白線が測量も適当に引かれている。
しかし、それだけでも変わり映えしない舗装路は旋律駆け巡るコートへと変貌していた。
コートを取り囲むようにして、ギャラリィが期待を膨らませている。
流石に数をこなしてきたイベントだけあって、集客率も並ではない。
その隙間をぬって、既に第一試合のオッズを集める強かな人の流れもある。
本場の3on3コートのように、激しいラップやユーロビートがスピーカから流れ出ている。
全てが熱狂を加速させるように、しかし自然と作られたフィールドだった。
そして、あと数時間後に自分がその場の主役の一人になると考えるだけで、
祐一は身が震え、体が引き締まるような気がした。
「とうとうこの時が来たわね」
同じくその雰囲気を肌で感じていたであろう香里が、祐一に声をかける。
「ああ、こんなに盛況なイベントだとは思ってなかったけどな」
下手をすれば飲まれるかもしれない……祐一はそんな危惧感を持っていた。
自分が新参者で、この雰囲気に慣れていないことも痛かった。
「大丈夫よ、相沢君はやる時はやる人間だから」
「……それは誉め言葉ととって良いのか?」
香里の意外な言葉に、祐一は思わずそんなことを尋ねていた。
しかし、当の香里は不敵な笑みを浮かべて祐一の耳でとあることを述べる。
「……ということをやって欲しいんだけど」
「はあ!?」
祐一は思わず間抜けな声をあげた。
「ちょっと待て、本当にそんなことをやれって言うのか?
下手したら、俺らは完璧にヒールじゃないか!」
「下手すれば、じゃなくて正真正銘のヒールになって貰うのよ、相沢君には。
これは、あいつ等に勝つための下準備としてどうしても必要なの……分かる?」
香里は勝つという部分と分かるという部分を強調して祐一に伝えた。
だが……祐一にとってはのっぴきならない状況に追い込まれかねない。
下手をすれば、これ以降は廊下ですれ違う度に冷たい目で見られる可能性だってある。
しかし、そんなことお構いなしに香里は言葉を続ける。
「別にいいじゃない。相沢君は名雪の応援があれば満足なんでしょう?
あ、そうだ。さっき言ったことをやってから、名雪にウインクを送るのはどうかしら」
また、とんでもないことを言ってくれると祐一は渋面をしながら思う。
作戦の程は祐一にも分かった……名雪の話に及んだ時点で。
ただ、実行するのには容易くない……三人前の勇気が必要となる所業だ。
祐一は久しぶりに本気で悩んだが、最後は香里の圧力に負けて屈服せざるを得なかった。
「……分かった、だがあんなことをやるんだから失敗じゃ洒落にならないぞ」
「大丈夫よ、被害を被るのは相沢君だけだから」
香里がいけしゃあしゃあと言うので、祐一にはやはり不安が拭えない。
そこに、少し遅れて北川がやって来た。
「あれ、どうしたんだ二人とも、妙な顔して」
北川は首を傾げて見せるのだが、香里は人差し指を口元に当てて、
某美少女魔道師が活躍する小説の登場人物の如く、こう言ったのである。
「秘密」
あとがき
後編が大分長くなりそうなので、二つに分かれてしまいました……。
というわけでこの話を中編、近日公開予定の完結編を後編として公開します。
ああ、また私の計画性の皆無さが浮き彫りにぃ!!
とまあこのような事情があるのですが、今回は完全に中繋ぎの話です。
私はバスケに詳しくないので、香里の述べている作戦は私の経験則的な
意味合いが強いです。これを真似したからと言って試合で勝てないといわれても、
私は一切責任が取れません。ということを述べておきます。
さて、香里が祐一に強要した行為とは何なのか?
そして哀れな陰謀が錯綜する舞台はどこへといくのか?
全てが明らかになるかもしれない完結編をどうぞお楽しみに……。
と、次回予告風に〆たところで。
また、近い内に会いましょう。