Interlouge2
すれ違うHello,Goodbye……

 初めましての挨拶が、実はさよならのあとのこんにちはだったりする。

 そんな奇跡は、割と身近に存在する。

―1―

 ようやくパソコンの設定が終わり、私はようやくキィ・タイプの練習を始めることができるようになった。と言っても、あれからお母さんとお父さん、私の三人で一日悪戦苦闘し、ついには電気屋さんを再び呼んでようやく正常に動くようになったんだけど。どうも、川名家は機械音痴が多い家系みたい。ちょっと情けないかな。

 私の使っているキィボードは普通のものより大きめで、各ボタンには点字が刻み込まれている。パソコンやワープロを使う視覚障害者のために作られたもので、一般の店で市販はされてない。その辺は電気屋さんが事情を知って色々と調べたり掛け合ったりしてくれたらしい。

 今、私が使っているタイピングの練習ソフトも視覚障害者用に開発されたものだ。一文字打ちこむ度に、打ちこんだ文字を丁寧に読み上げてくれる。

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 仮名漢字変換キィを押すと、打った文章を読み上げてくれて思わず嬉しくなってしまう。もっとも、イントネーションは少し平板だし、何よりこれだけの文章を打つのに数分の時間がかかってしまった。しかも現在、ディスプレイにどんな文字列が表れているかは確認できない。「私は川名みさきです」と打ち込んだつもりだけど「川名」は「河名」になっているかもしれないし、「みさき」も「美咲」や「岬」だったりするかもしれない。

「お母さん、ディスプレイに出ている文字、変じゃないかな?」

 私が尋ねるとお母さんは「あ、できたの?」とこちらに近寄ってくる。どうやら、別のことに熱中していたらしい。今日、パソコンの使い方の本を買ったって話してたから多分、それを読んでいたんだろう。ちなみにお父さんは「最近の機械は分からん」と真っ先に匙を投げた。いつもは堂々としているけど、こういうことじゃあまり役に立たない。ビデオの録画予約も、お母さん任せだし。

「えっとね……みさき、かわなが河原に名前の河名になってるわよ」

「あ、やっぱり……でも、だったら不便だよね、どうしよう」

「だったら、始めから変換させないとかそういう機能はないの?」

 お母さんはそう言うけど、今までパソコンのパの字も知らなかった私には酷だと思う。どうやってよいのかさっぱり分からない。

「私、そんな方法知らないよー。お母さんは知ってる?」

 沈黙。

「……まあ、そのうちなんとかなるでしょ」

 お母さん、誤魔化した。

 でも、どうしよう……いきなり躓いたような気がする。

 まあ良いか。その悩みは、私がキィボードの配置を全て覚えてもっと早く打てるようになってから考えよう。それまでは全部平仮名で良し……ということにしよう。

 そう前向きに結論付けて、私は再びキィボードに手を添える。その時、リビングに置かれた電話がけたたましい響き声をあげた。モデムの接続関係でパソコンの近くに配置変えされた電話の大音量は、少しだけ私をびっくりさせる。

 お母さんは受話器を取ると、何度か相槌を打っていたが「あら、久しぶりねえ」「みさきならいますよ、ええ、すぐ代わります」と言葉を繋ぎ、私に受話器を手渡した。

「みさき、深山さんからよ」

 雪ちゃんから? 私は握った受話器に力を込める。しばらく――二週間ぶりくらいかな――電話を通しての会話もなかったので、内心どうしたのかなと思っていたところだったのだ。

「代わったよ、雪ちゃん。しばらく電話がなかったけど、そっちは忙しかったの?」

――うん、それもあるけどね。それよりどうしたの? 私、誕生日おめでとうって電話しようと思って三日前そっちにかけたの。そうしたら、何度かけても留守だったし。一昨日も昨日もそうだったから、何かあったのかと思って心配してたのよ。

 電話が繋がらなかった? 故障してたのかな? でも、今日は繋がってるし……。

「うーん、これと言って原因は……あっ、そう言えば」

 電話、電話と考えていたのだが、不意に別の可能性が頭に浮かんでくる。

「インターネットができるようにってお母さんが配線を繋ぎ直してたから、そのせいかもしれないね」

――みさきの家、パソコン入れたんだ……へえ。成程、一回線なら電話中になって当たり前って訳ね。ところで、そのパソコンって誰が欲しいって言ったの? お父さん?

「ううん、私だよ」

 お父さんは、地球が逆立ちしてもパソコンを欲しいとは言わないと思う。

――みさきが? また、一体どんな風の吹き回し? もしかして、日本の美味しい店ガイドなんて探してるんじゃないでしょうね……。

「私、そこまで食い意地這ってないよ。実はね……これは秘密なんだけど、雪ちゃんには特別出血大サービスで教えてあげるね」

――何か微妙に怪しい響きだけど……まあ良いわ。で、出血大サービスって、何?

「えっとね。私、小説家になりたいんだ」

――……小説家?

「うん。その内、雪ちゃんの劇の脚本も書いてあげるから」

 これは冗談半分で言ったんだけど、なかなか良い思いつきかもしれない。高校の時は、私のアイデアを雪ちゃんが脚本にして劇にしたこともあるから。

――小説家……ねえ。まっ、確かにみさきって物語を作る才能あるかも。みさきのアイデアを劇にしたやつ、結構評判良かったから。ほら、上月さんが主人公をやった話。そう言えば上月さんって今どうしてる?

「えっとね、澪ちゃんなら少し前に会ったよ。今は小さな工場で部品組み立ての仕事をしながら町の演劇団に入って劇を頑張ってるって。浩平と一緒だったから、通訳してもらったんだけどね」

 通訳ってのも変だけど、他に良い言葉が浮かんで来なかった。

――ふーん、あの娘も頑張ってるんだ。みさきもやりたいこと、見つけたみたいだし。これは私も頑張らないとね。

「うん、私もそう思ったよ。あっ、でも余り厳しく特訓すると他の部員の人が疲れちゃうかも」

――みさき、それじゃまるで私が鬼軍曹みたいにしごいてるみたいじゃない。

「でも、澪ちゃんも演劇団の感想で『深山先輩よりは厳しくないの』って……」

――……やっぱり、私って厳しい? 実はこの前、部員の人にも言われてね。これじゃ、バイトやってる暇もないって。でも、演劇ってそんなに甘いものじゃないと思うの。やっぱり完成された世界を作るには練習が必要だし。何だかんだいって演劇が好きだから、妥協したくないのよ。

 少し悲しげな声で、それでも熱っぽく語る雪ちゃん。その話を聞いてると、無闇に茶化したらいけないんだなって思った。私だって、同じことをやられると悲しいしね。

「そっか……雪ちゃんも苦労してるんだ。でも、演劇部なんだから周りにいる人も演劇が好きなんだよね。だったら、雪ちゃんのことも分かってくれてるよ」

――そう? だったら良いけど……。あ、それでみさきの小説ってどんな内容なの? 良かったら教えてよ。

「内容? うーん、これは完成してからじゃないと……恥ずかしいんだけど。まあ、雪ちゃんにならいっか。えっとね、最初に主人公なんだけど。今風の中学生の女の子で明るくて、元気で、少し捻くれてるの。時々、馬鹿なことやったりするけど、優しいところもあって……」

――へえ、それってちょっと折原くんに似てない?

「えへへ……分かる?浩平が女の子になったらこんな感じかなって。流石に、浩平には言ってないけど。でね、ある雨の日に女の子は一人の男の子に出会うの。捨て犬が可哀想で、ずっと傘を差し伸べたままで動けない男の子。感情がないように見えるけど、よく見ると悲しそうな顔をしていて。それが二人の出会い。本当はもっと色んな話があるけど、一杯あり過ぎて話せないかな」

――少女漫画チックな話よね、それって。でさ、実在のモデルがいるってことは、話の方もモデルがあるの?

「うん。その傘をさしたまま動かない男の子ってね、本当にあった話なんだ。実際は女の子だったけど。中学生の頃かな? お母さんに手を引かれて一緒に雨の道を歩いてたの。

そしたら、お母さんが「あら、あの娘」って声をかけて。それから、何をしてるのって尋ねたら「この仔たち、捨てられたみたいなの。でも、うちは猫を飼ってるし……」って悲しそうな声で話してくれて。

 鳴き声からして、捨て犬は三匹のようだったんだけど、こちらも引き取る余裕はないからってお母さん、凄く困っちゃって。その時かな、何処からか別の男性が声をかけてきたの。「その仔たち、捨て犬かい?」って。理由を話したら、その人が全員引き取ってくれるって話になったの。それで私もお母さんも、傘をさして見守ってた子も一安心したって……そんな話だよ」

――へえ、奇特な人もいるのね。で、その女の子の名前って聞いたの?

「ううん。ただ、何度もありがとうございますって言って走っていっちゃったから。でも、雪ちゃん……何でそんなこと聞くの?」

――あ、そうね……ええっと、私にも同じような体験があるから。確か中学校の時かな? 部活動の最中に一人の女の子が訪ねてきたのよ。何か、前に話をした男の子に会いにきたって。その娘、みさきと一緒で目が見えなかったのよ。みさきとは違って髪も短かったし、暗そうな感じだったけど

 え、それって……。

――でね、そのとき相手の男の子の方がひどいこと言ってさあ。その後も色々とごたごたがあって、ロクに話ができなくてね。今でもそのことはずっと心残りなのよ。実を言うとね、入学式の時にみさきに声をかけたのって、そのせいもあったんだけど……あれ、みさき? さっきから黙ってるけど、何かあったの?

 雪ちゃんの言葉に、私は思わず驚いてしまった。私の記憶にも全く同じシーンがあるから。学校交流のときにやってきて話をした男の子に会いたくて、その中学校まで必死で歩いてきた私を案内してくれ、ひどくふられちゃったときも優しく慰めてくれた名前も知らない女の子。入学式のショックで思い出した記憶……そうだ、確かにその声は雪ちゃんの声とそっくりだった。何で、今まで気付かなかったんだろう。

「うん……実はその、雪ちゃんが言ったその女の子って……多分、私」

――……はあ?

 雪ちゃんは普段からは考えられないくらいの素っ頓狂な声をあげた。でも、いきなりそんなことを言われたらびっくりするよね。私も雪ちゃんの話を聞いた時はびっくりしたもん。

「私、中学生の頃は髪が短かったの。それに、性格も断然暗かったし」

――じゃあ、私たちってとっくの昔に会ってたのに、入学式でわざわざ初めましてって挨拶交わしてたの? 何か……馬鹿みたい。

「ふふ、そうだね」

 雪ちゃんの情けない声に、私の方は逆に笑いが込み上げて来た。そして、奇妙な巡り合わせに変な想像をめぐらせてしまう。もしかしたら私が知らないだけで、初めましてと挨拶をした人の中には既に微妙なすれ違いがあったりするのかもしれない。初めましての挨拶が、実はさよならのあとのこんにちはだったりする……そんな奇跡。実は、割と身近に存在するのかな?

――そうよね……よく考えてみれば、充分あり得ることだったのに。全く……うかつな自分に腹が立ってくるわ。ああもう、あの時のみさきがもっと髪が長かったら分かったかもしれないのに。そうしたら、感動の再会だったかも……ああ、勿体無いわ。

「そうかなあ。私は、初めましての挨拶が二回もできたってことの方が余程凄いことだと思うけど。あっ、でもやっぱり間抜けかなあ」

――間抜けも間抜け、大間抜けよ。

 そう言って、大きな大きな溜息をつく雪ちゃん。でも、世の中にはまだ不思議なことが沢山ある。事実は小説よりも奇なりって言葉があるけど、今日ほどそのことを強く思ったことはない。けど、だから生きていくことってとても楽しいんだと思う。

 それから、私と雪ちゃんはいつも以上に話をした。二度目の初めましての溝を埋めるように、沢山、沢山、お母さんにいい加減長電話はやめなさいって言われるまで。

 今日は、新しい素敵と出会えた日だった。

―II―

 ぼくはそんなにばかじゃない。

 こおりつくようなあめにうたれながら、そんなことをおもっていた。

 ほかのやつらはきづいてないかもしれないけど、ぼくはきづいている。ぼくたちはにんげんのみがってによってすてられたのだ。

 おかあさんからきりはなされて、たべものをてにいれることもできない。

 このままでは、ぼくたちにまっているのはしだ。

 たべものがなくて、じょじょによわってしんでしまう。

 それがこわくて、ぼくはあめのさむさがもたらすいじょうのふるえをおこしていた。

 すると、ふとあめがさえぎられる。

 みあげると、そこにはみしらぬにんげんがいた。

 よんほんあしであるかないものはにんげんだ。

 ぼくは、そのことをよくしっていた。

「どうしよう、この仔たち、放っておいたら死んじゃうかな……」

 よくわからないことば。だから、にんげんのことばだ。

 だから、めのまえにいるのはやっぱりにんげんなのだ。

「でも、わたしの家は猫がいるから飼えないし……」

 にんげんはあたりをみまわしながら、それでもずっとぼくたちにあたるあめをさえぎっていた。

 このにんげんはよいにんげんかもしれない。

 ぼくたちをすてた、あのかってなにんげんとはおおちがいだ。

「ねえ、あなたたちはどこからきたの? って、そんなこと分からないよね。うーん、どうしよう……浩平の家は駄目だし……困ったよ」

 にんげんはぼくのかおをのぞきこんでいる。

 なにをするきだろう。もしかしてぼくたちをひろってくれるのだろうか。

 けど、にんげんはながいあいだそこからうごかなかった。いいかげん、このにんげんもみあきた、そんなときだった。

 とおくからべつのにんげんたちのこえがきこえた。

「あの、どうしたんですか?」

 もうひとりのにんげんは、あめをさえぎってくれるにんげんよりとしがうえだった。

 さんにんめのほうは、あめをさえぎってくれるにんげんとおなじくらいのとしだろうか。

「あっ、えっと……この仔たち、誰かに捨てられたみたいなんです。でも、うちは猫を飼ってて犬は飼えないんです。でも、放っておくわけにはいかないし……」

「そう……大変だったのね。ええ、それならうちでって言いたいんだけど、ちょっと事情があってこちらも動物を飼える環境じゃないの……困ったわね」

 さんにんのにんげんは、なにかにんげんのことばをしゃべるとだまりこんでしまった。いつまでそうやっているつもりだろうとふしぎにおもっていると、よにんめのにんげんがやってきた。このにんげんからは、ぼくとちがういぬのにおいがたくさんした。

「皆さん、どうされたんですか?」

 いままでのにんげんとはちがうかんじのこえだ。

「あの、実は……」

「成程、そうだったんですか。いえ、私は飼い主に捨てられた犬たちを拾って育ててるんです。もし宜しければ、その仔犬たちはこちらに任せてもらえないでしょうか」

「本当ですか?」

「ああ。絶対、無碍には扱わないことを約束します」

「じゃあ……どうかお願いします」

 にんげんたちのかいわがおわったようだ。すると、ぼくたちの入っていたはこがよにんめのにんげんのてによってもちあげられる。まるで、そらをとんだようなかんじだった。

 それからぼくたちは、こうそくでうごくはこのなかにのせられておおきなたてもののなかにつれていかれた。いぬのにおいがいっぱいする。

「今日は、お前たちで三組目だ」

 そのにんげんは、なにかをつぶやいた。

「親から無理矢理引き離して……こんなこと、人間なら許される筈がないのに」

 ぼくはあたえられたごはんをいっしんふらんにたべていた。

 ごはんをたべおわると、そのにんげんはぼくのあたまをなでてくれた。

「お前だって、幸せになるために生まれてきたんだよな?」

 いみはわからなかったけど、ぼくはちいさくひとなきした。

 それからぼくは、たくさんのにんげんにかこまれていちにちをすごした。

 じゆうにそとをはしりまわれないのがふべんだけど、しょくじはくれるしぼくとしてはすごしやすいところだった。なにより、あめにぬれてふるえることがない。

 しばらくたったころだろうか。ぼくはちいさなはこにおしこめられて、べつのばしょにむかった。さいしょはにおいもぜんぜんちがうしふあんだったけれど、そこのひともぼくにやさしくしてくれたからいごこちはよかった。そこで、ぼくはなまえというものをあたえられた。

 ゆうき、それがぼくのなまえだ。それから、ぼくはゆうきとよばれるとそのひとのもとにかけよっていった。するとあたまをなでてくれるし、ときどきごはんもくれる。

 けど、そんなたのしいときがずっとつづかないこともわかっていた。にんげんのことばはまだぜんぶりかいできないけど、ぼくにはやらなければいけないことがあるのだ。

 おもったとおり、わかれのひはやってきた。とてもさびしかった。

 それから、ぼくはそとをいろいろと「くんれん」というものをうけた。かなりきびしいものだけど、しょくじのりょうがふえたのであまりもんくはなかった。ただ、みょうにあつくるしいふくはさいしょはなれなかったけど。でも、あまりきにならなくなってきた。

 さいしょはちょうしがよくわからなかったけど、しばらくするとあんぜんときけんのくべつがつくようになった。それからしばらくたったあるひのこと。

 ぼくは、あたらしくふたりのにんげんにあった。けど、そのうちのひとりのにおいにはおぼえがあった。どこでかいだにおいだろう……ぼくにはおもいだせない。

 けど、そのひとがとてもやさしいにんげんだということはふんいきでわかった。そのひとはぼくのあたまをやさしくなでるとこういったのだ。

「へえ、なかなかハンサムだね。浩平よりも格好良いかも」

それははじめましてではなく、さいかいのあいさつだったの……かな?

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