第十四話 追い詰められた悪魔(前編)
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「何? 犯人が分かっただって?」
佐祐理の言葉を聞いて、世田谷は声を張り上げた。
「そうです」
「じゃあ、早速、話してくれないか?」
しかし、世田谷の言葉に佐祐理は首を振った。
「いえ、実はまだ一つ、準備が足りないんです。それさえ出来れば、すぐにでも、お話出来ます。それで、その準備と言うものですが……」
佐祐理が、世田谷に耳打ちする。
「はあ? 何でそんなことを?」
「どうしても必要なことなんです、お願いします」
「まあ、いいが……おい、如月」
もう一人の刑事である如月に何やら耳打ちする。すると、彼も疑問を表情に浮かべていたが、今はそれを言及する気はないのか、すぐに部屋から出て行った。
「では、佐祐理たちは少し外に出てますね」
「ああ、構わんが……くれぐれもここからは」
「ええ、出ませんから。じゃあ祐一さん、舞、行きましょう」
佐祐理は祐一の方を振り向くと、笑顔で言った。しかし、部屋を出て三人きりになると、まるで指揮官のような、真剣な表情を見せる。
「佐祐理さん、犯人が分かったって本当なのか?」
祐一が尋ねると、佐祐理は強く頷いた。
「多分、そうだと思いますが……それで、犯人を追い詰めるには、舞と祐一さんの協力も必要なんです。今から、佐祐理の考えたことを話します。何か間違ったことがあったら、遠慮無く言って下さい」
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警察署内にある、二十人ほどが入ることが出来る会議場。
そこに、刑事、警官ばかりが十数人、壇上に立つ佐祐理と祐一、そして舞を不思議そうな、或いは不審な様子で見ている。
「どういうことですか? 私たちをこんな所に集めて……」
警官の一人が、そんな不平を漏らす。
「今日、ここに来て貰ったのは他でもない。以前より、近隣で起きているペット殺しと、先程起きた城巡査部長殺害犯の正体が分かったからだ」
世田谷の言葉に、何も事情を説明されていない警官たちはざわめきの声をあげる。
「不遜ながら、そのことに気が付いたのは我々警察ではなく、こちらの三人なのだが……」
そこで言葉を切ると、心配そうな目で壇上の方を見やった。
「大丈夫ですよ。今日、この場所で全てを終わらせます。これ以上、被害が大きくなる前に、です」
佐祐理はそう言うと、強く息を吸い込んだ。
「まず、真相を話す前に、事件のことを振り返ってみます。最初の事件が起こったのは、四月二日。それから、約四日、乃至は五日のペースを保って、ペットを殺して来ました。現在、確認されているだけでも十件の事件を起こしていると考えられています。
しかし、これだけの早いペースの犯罪に関わらず、警察では手詰まりになるほど、手掛かりが掴めていません……ここまでは良いですか?」
「ちょっと待ってくれ」 佐祐理の言葉を、世田谷が制した。
「確かに、手掛かりが掴めて無いというのは認めよう。だが、犯行のペースは決して一定じゃない。不規則で、バラバラだ」
しかし、佐祐理は自説を曲げるようなことはしなかった。
「いいえ、無差別にペットを殺しているように見えるのは、犯人にとって幾つかのイレギュラな出来事が起こったからです」
「イレギュラな出来事?」
「ええ、この被害となった犬の殺害日時を見てください。一見不規則に見えますが、第五の事件と第七の事件を除けば、大変に規則的に、犯人は行動しているんです」
佐祐理に言われて、世田谷は資料の中から表を取り出して、穴の空くように眺めた。
「確かに……最初の事件が起こったのが四月二日で、七日、十一日、十六日、二十日……四日か五日おきに事件が起きている」
「こんな法則に、今まで誰も気付かなかったなんて……」
続いて、如月がそう漏らす。回りの警官からも、幾つもの感嘆の声が漏れる。
「そして、このイレギュラな出来事が、犯人の人物像とマッチするタイプの職業を気付かせてくれるきっかけになったんです」
「犯人の、人物像?」
「ええ、欧米では犯罪心理捜査……いわゆる、プロファイリングって言われてるそうですね。舞が……彼女ですけど」 佐祐理は舞の方を差すと、
「襲われた時から、ずっと考えていたんです。犯人はどんな人間で、どんな職業、性質の人間なのかということを……です。こういうことを考えるのは、余り気持ちの良いことじゃないんですけど」
言いながらも、声が沈んでいるのが分かる。
第一、こういう場所に立ち、大勢の人に向かって講釈の真似のようなことをするのも、佐祐理は余り好きではない。しかし、謎が分かってしまった以上、そのことを、特に今回のように放っておくと犠牲者が増えるような事件の場合、見過ごすことも、佐祐理には出来ない。
落ち付いて、一つ深呼吸。
続いて、舞と祐一の方を見る。
気分が落ち着いて来た。
もう一度、深呼吸。
そして、話を続ける。
「佐祐理が考えたのは、第七番目の事件でした。今までも、それから先も、犯人は家で飼われているような、人にも吼えかけないような犬ばかりを狙って来ました。このことから見て、犯人はどこの家の犬がどんな性格をしているか、予め分かっていたということになります。
けど、このことは先に置いておきます。七番目に殺された犬は、野生の犬で、人に噛み付くような獰猛な性格でした。危険を侵してまで、狙うことはない筈なんです、普通は」
「普通は?」 世田谷が疑問符を浮かべる。
「犯人は冷静に、そして残酷に犯罪をやり通して来ました。そんな人物が、危険を犯してまで犯行に駆り立てる動機とは何でしょうか?」
「動機……その犬に恨みを抱いているとか?」
如月が冗談めいた調子で言う。
「そうですね、犬に直接被害を与えられたから……ペットを殺すような卑劣な真似をするというのは、逆に言えば――これは怖いことですが――それより強いものを襲うことが出来ないという屈折した、例えば力のない人間が自分よりも弱い人間を狙うような、行動と似ているんです。
これは残念ですけど、親父狩りなどというゲームめいた呼称で呼ばれています。自分が見下したものから、反撃を受けた場合、その人はどんな行動を取るでしょうか。一つは、恐怖で相手にはちょっかいを出さなくなるという場合。そしてもう一つは……」
「激昂して、更なる攻撃を与える……」 如月が、低い声で答える。
「ええ、そうです。だから、言い返れば……七番目の犠牲にあった犬によって直接的な被害を当てられた……そういう人物の中に犯人がいると考えたんです。
それで最初に思ったのは、その犬に大怪我を負わされた人物のことでした」
「そうか……だから、病院から診療記録を取りよさせたりしたのか」 世田谷が言う。
「ええ、そしてその診療記録を見ました。治療を受けたのは相田陽子という女性で、右手中指、及び薬指を骨折しています」
「じゃあ、その相田って人が犯人なんだな」
世田谷の言葉に、佐祐理は首を振った。
「違います。彼女はその後、十日間も入院しています。その間も、二つ事件が起きています。彼女は今回の事件の犯人じゃありませんよ」
「ちょっと待ってくれ。それじゃ、さき話したことと矛盾するぞ」
「いいえ、矛盾はしないんです。実は病院記録を見て確かめたかったことは、犬に怪我を負わされた人間が、一連の事件の犯人ではないということなんです。付け加えると、例の犬によって直接的な被害を与えられた人間というのは他にもいるんです。
確か、少し前にこのことをテレビでやってました。内容は、こんなものだったと思います。
『昨日の夕方頃、…町の駅前付近で興奮した野犬が付近を歩いていた通行人に噛み付き、怪我を負わせるという事件が起きました。野犬は間もなく駆け付けた警官によって取り押さえられましたが、その通行人は重傷を負い、止めに入った警官五人が軽い怪我を負ったということです』
つまり……騒ぎを止めに入った警官の中に、今回の事件の犯人はいるということです」
佐祐理の言葉は、正に爆弾のような威力を、椅子に座って傍聴していた警官の中に与えた。彼らは皆、騒ぎを止めに入った駅前交番のメンバだったからである。
「馬鹿な、我々の中にペット殺しの犯人がいるだと!」
警官の一人が、そう声を張り上げた。
「いえ、この説には大きな心証が存在するんです。あなたたちの交番の警官の中に、城という人がいましたよね。この人は、姿を見られたことに気付いた犯人によって殺されたというのは、かなり確実です。これは警察の中でも考えられていましたよね」
佐祐理が世田谷にそう尋ねる。
「あ、ああ……確かにそうだ」
彼もまた佐祐理の言葉に衝撃を受けている一人なのか、応答はかなり悪かった。
「彼は何故か、人気のない工場に呼び出された後、何者かに後頭部を殴られて殺されています。前に交番を尋ねて話を聞いたところでは、彼は武道の達人と言うことでした。そんな人間、しかも警察官が、何者かに簡単に呼び出されて、しかも背後から殴り倒されるというのは、おかしいことです。
そんなことが出来るとしたら、普通は人を騙す優れた能力と、更に武道の達人に隙さえも見せぬ早業で屠るような超人的な身体技能を兼ね備えたような、普通では有り得ない人物です。しかし、それを比較的簡単にやってのけることが出来るタイプの人がいます。それは……」
「良く顔を知り、信頼を置くような人物……」
世田谷が、絞り出すような声で答える。
「そうです。犯人は、彼の顔見知りだという可能性が極めて高いと思います」
「けど、それじゃあ、犯人は彼の顔見知りって所までしか限定されないんじゃないのか」
先程声を上げたのとは違う警官が、そう文句を言う。
「いいえ、出来ます。今回の事件の犯人は、舞も標的にしています。それは、舞があることに気付くのではないかと勘繰った犯人の、予防的な……」
そこで、佐祐理は一度、顔を歪めた。しかし、すぐに元の表情に戻る。
「予防的な殺人行為だったんです。けど、舞を直接に標的に出来るということは、どんな条件が必要でしょうか。それは、五月四日のあの日、現場にいた人物……」
佐祐理はそう言って、鋭い視線を一人の人物に向けた。
「犯人はあなたですね、梨本さん」
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佐祐理の言葉に、気まずい沈黙が流れる。
そして、真相を知るもの以外の視線が梨本に一斉に注がれた。
それは猜疑と困惑の目だ。
「は、ははっ……」
それからしばらくして、ようやく梨本が乾いた笑いを浮かべた。
「ちょっと待ってくれよ。君は僕を犯人だと言うけど、僕はむしろ被害者側の人間だよ。実際、猛毒を塗った刃で命を狙われたんだ」
「それは勿論、芝居です。あなたは命を狙われた振りをして、容疑者から外れようとしたんです。誰かに尾行されているというのも、あなたが自分で言ったことで、他には誰もその姿を見ていません」
梨本は僅かに言葉に詰まったが、困惑するほどではない。
「けど、それは君の推測だ。僕は実際に命を狙われた、それが答えだ」
「心理的証拠は他にもありますよ。これは佐祐理の想像ですが、事件の起きた日というのは、梨本さんの夜の見回り当番が割り当てられていた日じゃないんですか?」
佐祐理が、梨本の隣にいる警官に向けて問い掛けた。彼は名指しされて体を震わせたが、やがて素早く手帳をめくっていく。
「た、確かに、そうです……」 男は梨本に気遣うようにして、おどおどと切り出した。
「多分、あなたは夜勤の振りをして、犯行に及んでいたんだと思います。けど梨本さん、あなたが犯人に命を狙われていると思わせることに成功してから……つまり、あなたの夜勤が免除されるようになってから、事件は全く起こっていないんです。
警察官の服装をしていれば、夜に細い路地をうろついていても、不審人物なんて思う人は誰もいません。つまり、もし犯人が警察官だとしたら、目撃情報が皆無に等しいということの説明も付きます。更に、その様子を騒ぎにまぎれて見ていたとしても、誰にも見咎められることはないんです。
それに普段から辺りの見回りをしている警官なら、どの犬が吼えて、どの犬が大人しいかということを充分に把握している筈です。万が一、人の家の敷地に入っているのが見られても、不審な人影を見たとか言えば、簡単に誤魔化すことが出来ます。
これらのことを考えると、あなたが犯人だという可能性が非常に高いと考えざるをえないんです」
「けど、それは全て憶測の域を出ない。警官なんて日本には腐るほどいるし、警官のコスプレ衣装を着て、犯行に及んでいた可能性だって無いとは言えない」
梨本は、ひきつった表情を浮かべながら、佐祐理の論理に反論を並べ立てて行く。
「そうですか……そこまで言うなら、あなたが犯人であるという決定的な状況証拠があります。そして何故、舞を狙おうとしたのかということ……」
佐祐理の言葉に、梨本は今までに無いほど肩を震わせた。指摘されたくない事実……彼の動作一つから、そんなことが簡単に読み取れるほどの動揺だった。
「五月四日の夜、あなたは城巡査部長と共に、犯人を追跡していました。実際にはその振りだったわけですが……そして橋を超えた所で舞と出会いました。
話によると、城巡査部長が裏口から出て来た犯人を見かけた時、あなたはその左側から駆け付けて、犯人は反対側に逃げて行ったと言いました。その道は橋に出るまで、ずっと一本道です。つまり、犯人がそこから走り抜けて来て、橋の方に現れたとすると、舞がその姿を目撃していないのは変ですよね。
舞は川を挟んだ向こう側にいる人物が見えるほど、目が良いですから。つまり犯人は、橋の方に逃げて行き、その途中で姿を消失して見せたということになるんです」
「姿を……消した?」 如月が、怪訝そうに言う。
「姿を消したって……それじゃあ犯人は、亡霊のような奴だってことになるぞ。亡霊の霞のように伸びた手が、犯行を犯しているとでも言うのか?」
世田谷は、刑事の言葉としては多少非現実的だった。
「いいえ、そうじゃないです。犯人は亡霊のように消えていない、となると考えられるのは一つです。追跡者と犯人を同時に演じている人がいるということ……そして城巡査部長は、犯人に姿を見られたので殺された、よって彼は犯人じゃありません。となると、追跡者=犯人となるような人物は一人しかいません」
「追跡者=犯人か、成程……」
「つまり、犯人はあの時犯人を追っていたと思われていた梨本さん、あなたしかいないんです。どうですか、これでもまだ、自分が犯人でないと言うつもりですか?」
佐祐理のこの告発に、流石の同僚たちも、決定的な疑惑を梨本に対して抱かざるを得なかった。
「あなたは、舞が道路から橋の方に向かって来た人は誰もいなかったと証言されることを恐れて、舞を殺そうとしたんです。そして恐らく、あの時現場にいたもう一人の人物……彼もあなたが殺したんですね。
その人物は橋の向こう側、つまり人が誰か飛び出して来るか、もっとよく分かる位置にいた。しかも舞が顔を見たということは、くだんの道の方を向いていたということです。これは推測なんですけど、舞を狙おうとしたのは、その人に真相を気付かれて、告発されそうになったからでしょう?
事件の現場のことは新聞や雑誌で出回っていましたし、その人がある程度頭の回る人なら、佐祐理と同じ結論に辿り着いたって、全然不思議じゃありませんから。もし、最初から橋から出て来る人がいなかったという証言をされることを恐れていたのなら、もっと早く舞を狙った筈です」
佐祐理は畳みかけるように、一気に喋った。梨本の顔は、既に真っ青となり、体も微かに震えているのが分かる。確かに、彼は追い詰められているのだ。
しかし、まだ彼は反撃する力を残していた。
「それは……犯人は、壁を乗り越えた可能性だってあるじゃないか。そんなのは、証拠にはならない」
梨本は丁重な口調から、次第に咎めるような口調へと変化していた。それもまた、彼が本性を表しつつあるという証拠だ。佐祐理は、切り札をだすなら今だと思った。
「そうですね、今までのことは全て、状況証拠です。でも、あなたは失敗したんです。あなた、舞のことを襲いましたよね。舞がその時、あなたの顔を見てるんですよ」
「馬鹿な、あの時はちゃんと……」
梨本は思わず言って、口を噤んだ。
「あの時は……マスクとサングラスで顔を隠していた。だから、顔など見られる筈はなかった……ええ、そうです。舞は犯人の顔を見てません」
「そんなの、言葉の上げ足取りだ!!」 梨本が怒鳴る。
「物的証拠もあるんです。犯人は最初、犬を殴り殺すという方法を取っていました。けど、凶器を持ってうろうろしていたら、流石に怪しまれますよね。そして、凶器は木刀よりも更に細い棒状の物体……」
佐祐理の言葉に、梨本は思わず腰を押さえた。
「ルミノール・テストって知ってますよね、警察官ですから。あれって、極少量の血でも検出できるんですよね。検査にかければ、反応がでると思いますよ……あなたの腰に下げている警棒から、です」
佐祐理の言葉が、梨本に止めを刺す。
彼は、両手を机に付き、ブルブルと震わせていた。追い詰められた、鼠のように。
しばらくは、誰もが彼の様子を見ていた。
普通なら、すぐにでも逮捕してしまうだろうが、祐一と舞を除く他の誰もが、いきなり暴かれた真相に、多少ならず困惑していたに違いない。
と、突然、梨本の体の震えが止まる。同時に、彼の目に、獣のような鈍い光が宿った。
それに気付いた時には、隣にいた警官を押し退け、壇上へと叫び声を上げながら迫って来ていた。
梨本は、そのまま佐祐理の首を羽交い締めにする。
それから、黒光りする物体を、佐祐理のこめかみに宛がった。