「初っ端から、結構な話だったな……次は、俺の番だ」
北川潤は2と書かれた紙を全員に見せ、にやっと微笑んだ。
爽やかそうに見せようとしているのだろうが、それは余り決まっていなかった。
「ねえ、祐一くん」
祐一の腕にぶら下がっているあゆが、僅かに顔を赤らめながら言った。
「祐一くん……その、トイレ……」
まあ、あれほど震えていればトイレが近くなっても当たり前か、祐一はそう思った。
「トイレなら部屋を出てすぐだぞ」
「う、うん……」 あゆは場所を知っても、もじもじしたまま立ち上がろうとしない。
それはつまり……恐くて一人ではトイレにいけないというやつだ。
「分かった分かった、トイレの前で待っててやるから……さっ、立った立った」
「うう……一人はいやだよう」
まだ強弁するのか、そう思いながら、あゆの申し出が実はかなり大変なことだというのに気付いた。つまり、あゆが用を足しているのを四六時中……それはやばい。
「ま、真琴も、トイレ……あうーっ」
しかも、トラブルが二倍に増える。いよいよもって祐一がどうしようかと思案していると、闇の中から救いの手が伸ばされた。
「じゃあ、私が付いていきましょう」
秋子は優しく言うのだが、蝋燭を手に持っていて口元の方から顔を照らしていたので、あゆと真琴は本気で脅えているようだった。
「あら、ごめんなさい」 秋子は蝋燭を置く。 「私なら祐一さんも安心でしょう?」
秋子の全てを見抜いたような物言いに、祐一は安心して二人を任せることが出来た。
「じゃあ、お願いします」 実を言うと、少々苦しくて仕様がなかったのだ。 「俺は二人の用が済むまで待っていますから」
久方ぶりに、祐一の戒めが解かれる。三人が廊下の方に消えると、すぐさま今までの語り部であった栞が隣にちょこんと座った。
「栞、結構凄かったな」 祐一が声を掛ける。 「何か、迫力があった」
「ちょっと前に見た小説を参考にしたんです」 栞は安らかに微笑んだ。先程までは少し冷たい感じがしたのだが、今はそうでもない。
「本当、ちょっと恐かったよ」 名雪がちっとも恐くなさそうに言う。 「でも、わたしの話も結構恐いと思うよー……とっておきの話だからね」
全く頼もしい言葉だ。あゆや真琴がいなくて、本当に良かったと思う。
「そうですね」 栞の反対隣から、いきなり声がした。見ると、美汐が極めて真面目な顔でちょこんと座っていたりする。
「天野、気配くらいさせろっ、マジで恐いぞ」 祐一は抗議したが、美汐にはどこ吹く風だ。
「失礼ですね、まるで存在感がないみたいな言い方ですよ」 美汐は軽く溜息をつく。ふと見ると、美汐が小さな荷物を抱えていることに気付く。
「どうしたんだ、天野……その荷物」 祐一が尋ねると、美汐は僅かに口をつりあげた。
「私の話に関係があるものです。もしかしたら、栞さんの話にも関係があるかもしれませんね」
「私の話に……ですか?」
「ええ。まだ順番が先なので詳しくは話せませんが……あっ、三人が帰ってきたみたいです」
ドアが開く音がして、秋子、あゆ、真琴の三人が入ってくる。あゆと真琴は真っ先にこちらをみたが、両側が埋まっている所を見ると、そのまま秋子にくっついた。
秋子はあらあらと言いながら、その行為を全く迷惑とは思っていない。むしろ、楽しそうだった。
「じゃあ、話を始めるぞ」 北川が場を仕切る。一番手があそこまでの話だっただけに、否が応にも期待は膨らんで(一部違うところもあったが)いた。
「俺が中学校の時に聞いた話なんだけどな……」
「俺の通っていた中学校の理科室にな、古ぼけた骨格標本があったんだよ。その骨格標本がな、夜な夜な走るんだよ」
「うぐうーっ」
「あうーっ」
あゆと真琴の声が、水瀬家にこだまする。
「なあ、北川」 祐一は怒りを噛み殺しながら、冷静に問うた。 「ベタネタ過ぎるぞ、それは」
「オリジナリティの欠片もないわね」 香里が冷めた目で見る。 「私も同じ話を聞いたことがあるわよ。名雪だって知ってるんじゃないかしら」
「うん、知ってるよ」 名雪が大きく頷いた。 「だって、すっごく有名な話だったし」
名雪の追い討ちに、北川は言葉を詰まらせた。まさか、本気でこんなネタが昨今の怪談で通じるとでも思っていたのだろうか……祐一は北川への評価を下げざるを得なかった。
「うっ……いや、これは単なる前奏曲だ。これから遁走曲、追想曲と続き、最終楽章への恐怖を奏で始めるんだ」
はっきりいって、その並び方に意味があるのだろうか……きっと無いのだろう。祐一はそう思う。
「じゃあ先程の蟻も驚かない話が前奏曲として」 ではあゆと真琴は蟻の心臓以下だろうか……なんてことは、香里だって思っていない筈だ。 「続きはあるんでしょうね」
「も、勿論だとも」 北川の目は泳いでいた。 「じゃあこれはどうだ? 少し前に聞いた話なんだが、この近くに小学校があるだろう? そこにある二宮金次郎像が夜な夜な……」
先程と同じパターンだった。進歩がない、しかもベタネタ度は増大している。祐一は所詮、北川などこの程度の男だと思うようになっていた。これでは斎藤にすら、劣るだろう。
「ああ、それも知ってる」 香里が怜悧な刃物のような言葉をぶつける。 「確か、四十過ぎの変なおっさんが少女のコスプレをしていたのが見付かったのよね。ランドセル背負って」
「マジか?」 北川は心底驚いている。
「マジ」 香里は単刀直入に答えた。 「その人、
香里の心底軽蔑した表情に、北川はうちのめされていた。
しかし、四十過ぎのおっさんが夜な夜なランドセルを背負って小学校のグラウンドを走り回るというのも、ある意味では恐いのではないだろうか。
この場で求めていた恐怖とは異質としても、話題性としては強烈だ。
「もう、こんな間抜けな話は置いといて、次の話に移らない? 相沢くん」
完全に打ちひしがれている北川を哀れに思いながら、祐一は明らかな時間の無駄である北川を切り捨てるのに塵一つの容赦を加えなかった。
「そうだな。じゃあ北川は退場。次の人の話を聞かせてもらおう。で、三番目は誰だ?」