しかし、誰も名乗り出るものはいなかった。

「三番の札を持っているのはいないのか?」

祐一はもう一度全体に呼びかけたが、誰も名乗り出ようとするものはいない。

と、水瀬秋子の両腕をがっしりと掴んで震えている二人組がいることに気付いた。

「あゆ、真琴、始める前にくじを引いただろ? その番号を見てみろ」

きっと、恐くて自分が何番かすら忘れているに違いない。

それにしても、あゆに恐い話ができるとは思えないが……。

まあ、祐一にとってあゆの話は清涼剤と考えていたからダメージは0だ。

「うぐぅ、ボク、三番だよ〜」

大きく3と書かれた紙を震える手で示す。

「じゃあ、何か恐い話を喋ってもらおう……これは規定だからな」

「ううっ、ボク、恐い話なんて知らないよう……」

全員の注目を浴び、秋子からも離れたあゆは蝋燭の光が揺らめく中で可哀想なほど震えていた。

「祐一、あゆちゃんは見逃してあげたら?」

その姿を見て、母性本能が強い名雪が思わず言う。祐一も流石に、あゆにこれ以上の話を強要するほどの鬼畜人では無かった。

「じゃあ……」 あゆは戻って良いぞと声をかけようとしたその時だ。

「あっ、一つだけあったよ」 とあゆが叫んだのだ。

というか、あゆが恐い話を知っている自体が一種の奇跡だと祐一は思う。

「奇跡って、そんなに安っぽいもんじゃないのよ」 香里が祐一に向けてはなむけの言葉を添える。

「香里……地の文を読むのは反則だぞ」 祐一は心が読まれたことの動揺を隠しながら、爽やかに言った。 「今後は禁止」

「あははーっ、分かりました」 何故か向かい側から倉田さゆりんの声が聞こえて来た。つまり、彼女も密かに地の文を読んでいたということか……。

不可視使いと魔女だから仕方ないか……祐一は何気に失礼なことを考えた。

「祐一さん、失礼ですよ」 秋子さんが、横から口を挟む。

「秋子さんも……」 そう言えば不可視使いだ。 「やめて下さいよ……」

「うぐぅ、ボクの話は?」 無視されていると思ったあゆが、涙目になっている。 「みんな、ボクのこと、忘れたの?」

「そんなことは無いぞ……ちょっとしたアクシデントだが問題無い」 ちょっとEVA風だ。 「じゃああゆ、その取っておきの話というものを始めてくれ」

 

第三章 大ボケトリオ、大いに語る?

 

「うん、分かったよ」 あゆの返事は何時でも元気が良い。 「あれは三日前の出来事なんだけど……ボクはあの日、たい焼きを五個買って、食べながら商店街を歩いていたんだ」

「夏にたい焼きなんか売ってるのね」 香里が現代事情に乗っ取った冷静なツッコミを入れる。 「天然記念物級だわ……儲けはあるのかしら」

「そんな無粋なことは考えないものですよ」 美汐が顔色一つ変えずに言う。 「あっ、すいません。話の腰を折ってしまいましたね……続けて下さい」

「そうだね……それで、たい焼きを食べながら商店街を歩いてたんだ。そうしたら、四個しか無かったんだよぅ」

水瀬家の空気が、瞬時にして二、三度下がったような気がした。

「いつのまにかたい焼きが一つ消えてたんだよう、恐い……痛いよ祐一くん、何するの?」

あゆの言葉を遮るようにして、祐一はあゆの頭をダブルぐりぐりの刑に処した。

「あゆ、それはな……何かに気を取られている最中に、無意識の内に一個食べたんだ」

「うぐぅ……そうなの?」 あゆは疑問形だ。

「疑問形にするまでもなくそうだ」 と祐一は断言した。 「他に話は?」

「……ないよぅ」 悲しそうな目で祐一を見る、そんなあゆに向かって祐一は冷たく言った。

「退場」 そして全員に向き直る。 「じゃあ、四番目は?」

「あうーっ、あたし……」 真琴がおずおずと手を上げた。

「じゃあ五番目は?」 祐一が暗闇より聞こえた声を無視しようとすると、案の定真琴が怒り始めた。

「なによぅ、何であたしを無視するのよ」

真琴は明らかに機嫌を損ねている。見ると、あゆが何時の間にか秋子の腕にしがみ付いていた。目にも止まらぬ早業というのは、このことじゃないかと祐一は決め付ける。

「だって真琴、恐い話なんて知らないだろう?」

「うっ……」 真琴は沈黙する。それはどんな言葉よりも雄弁に真実を物語る。 「あ、あ、あたしだって恐い話の一つや二つくらい……それがとっておきだから、祐一が引っ繰り返っちゃうんじゃないかって、心配しただけなんだから」

「そうか……じゃあ、ここにいる皆にとっくりと話してみろ」 祐一は明らかにからかい口調だった。

「うーっ……えっとね。少し昔よ、街に恐い恐い化け物が出たの。夜な夜な街に現れては、若い女の人の生き血を……あうっ、ぐりぐりはやめてよう」

真琴も頭ぐりぐりの刑にあった。

「真琴、よく聞け」 祐一は真琴の両肩に手を置いた。 「お前、幾らネタが無いからって吸血鬼の話なんてベタベタ過ぎるぞ。誰だって知ってる」

「えっ、そうなの?」 その一言で世間知らずを暴露した真琴。

「で、他に話は?」 祐一が尋ねるが、真琴はしゅんとした様子を見せるだけで何も言わなかった。こうして、真琴も戦線から離脱。

「真琴。あんな叔母を不可視使いなんて思う人の言うことです。気にしてはいけませんよ」 半泣きの真琴を何故か慰める美汐は、普通なら平和的な光景だろう。

だが……お前も読んでたのか地の文を、そう思いながら秋子の方を見る。その顔は爽やか過ぎる笑顔だった。爽やか過ぎて、逆に恐い。

「明日は新作のジャムをたっぷりと食べさせてあげますからね」 秋子は惜しみも無い切り札を、祐一に曝け出した。それは明日の夕日が拝めないことを意味していたが、これは今回の物語とは関係無い。

絶望に全身を震わせている祐一に、事情を知るものは皆同情の視線を送った。

「うっ……こうなったらやけだ。何が起ころうとノン・ストップで行くぞ。幽霊が出ようが悪魔が現れようが、気にするものか」

祐一は半ば逆ギレすると、 「じゃあ、五番目は誰だ?」 と威勢良い。

「……私、五番目」 闇の眷属の一人、舞が名乗り出た。

舞なら間違い無く怖い話を知っているに違いない。

祐一はおろか、集まっている全員が期待と恐怖の目を舞に向けた。

「舞、頑張ってね〜」 佐祐理の声援に後押しされて、舞は微かに微笑んだような気がした。

「……では、始める。私の通っている学校には魔物が」

「すとーっぷ」 祐一はやばい予感がして、即座に舞の話を止めた。

「その話は駄目だ」 祐一は息を荒くして、手で舞の口を塞いでいる。

「……ふうひひ、ふるひひ」

舞が口を塞がれながら必死で抗議するのを見て、祐一はこれまた慌てて手を離した。

「舞なら、他にも恐い話とか知ってるだろう?」

「……知らない」

「そうか、じゃあたーんと話してやってくれ」

「……知らない」

「では、どうぞ……って、知らないのか?」

「……だから、さっきから言っている」 舞が非難の目を祐一に向ける。

真打ちの一人だと思っていたのに、あてが外れたなと内心舌打ちせざるを得なかった。

「本当に知らないのか?」

「……そう。後は恐くも何ともない話だけ。歩いていると幽霊が空を漂っているのが見えるとか、車に撥ねられて内臓がぐしゃぐしゃになりながらも、恨みがましく助けを求める幽霊とか見るだけ。そんなの、不思議でも何でもない」

舞はきっぱり言うが、それは祐一から見れば充分不思議だった。

「舞、それは充分に恐い話と言えるんだぞ」 祐一は溜息を付く。

「……そうなのか? だったら沢山ある。妻に毒を飲まされて殺されたことに恨みを持って、ずっと家の入り口に立っている幽霊とか、ラーメンを食い逃げして車に撥ねられた恨みがましい幽霊とか……この部屋にも変な幽霊が、沢山さまよってる」

「ほ、本当なの?」 うぐぅが心配そうな目で、舞を見る。彼女も食い逃げ経験者だけに、その言葉は重い恐怖と共に圧し掛かるのであろう。

舞はこくりと頷いただけで、何も答えない。

「……大きい病院とか行くと、凄く沢山の霊が見える。みんな、成仏できないでさ迷ってるんだと思う。沢山の霊が、今にも死にそうな人間の肩にぶら下がってる。その人があの世に行くのについていこうとしてる。でも、駄目。そうして、恨みがましい霊はますます増える。

そういう霊を食べにくるのがいる。悪魔とか……そういうやつ。それに魂を食べられると、その人は一生苦しみ続けなければいけない。永遠に……逃げ出せない。だから、病院には悪魔がよく現れる。もしかしたら、最初に話したやつは、そんな悪魔の一人だったのかもしれない」

舞は祐一たちが知らないことを淡々と語っていった。

それは、もしかしたら知らない方が良かったことかもしれない。

悪魔に魂を食べられたものが味あう永遠の苦しみ。

他の人間が語ったなら嘘に聞こえるその話も、舞が話すと説得力があった。

「じゃあ、私は悪魔に出会ったんですか?」 栞が心配そうに尋ねる。

「……可能性は高い。だが……いや、これはやめておく。私の気のせいかもしれないから」

気を持たせるようなことを言うと、舞は佐祐理の隣に戻って行った。

しかし、その前に呟いた言葉を祐一は聞き逃さなかった。

「……霊が、多過ぎる」 確かに彼女はそう言った。

そして、その言葉と共に一瞬、奇妙なプレッシャが部屋の中を駆け巡った、そんな気がした。

しかし周りを見渡しても、そのプレッシャの主が誰かは分からない。

仕方なく、祐一は次の人に出番を振る。

「じゃあ、六番目に話してくれるのは誰ですか?」

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