第二話
〜平穏と不穏の挟間〜
12 ゲームセンター・パニック(その1)
で、翌日の検査の結果。
真琴は全く問題無しの健康体として、即座の退院が認められた。
後に秋子から聞いた話によると、注射針が恐くて思わず医師の顎に一撃を加えてしまったらしい。
それは災難だったなと、祐一は秋子と医師に同情した。
そして来る週末七月十一日。
平たく言えば今日だが、定番である(というより、距離的に一番都合が良かった)
商店街のゲームセンターに繰り出すことになったのだ。
(というより……)
祐一は集まったメンバを見て、思わず溜息を吐いた。
最初の計画では五人だったのが、何故か倍近くの九人に増えている。
ゲームセンター行きの件は秋子を通して、名雪、そこから美坂姉妹、
最後に側にいた自称ゲームセンター王の北川に伝わった。
「わたしも仲間に入れて欲しいな〜」 と単なる興味本位で言ったのが名雪で。
「私、一度ゲームセンターに言ってみたかったんです」 と目を輝かせて言ったのが栞で。
「栞が行くなら私も」 とさも当たり前のように加わったのが香里で。
「相沢、俺はゲームで負けたことはほとんど無いんだ」 と自信満々なのが北川で。
「おう、望むところだ」 と別に勝負をする気も無いのに対決の前奏曲を掻き鳴らしたのが祐一だった。
そんな回顧録が、祐一の頭の中で渦を巻いている。
現在の時間、十時十五分。
待ち合わせの時間から、既に十五分が経過していた。
集合場所である商店街の入口に立った七人は、未だ来ぬ二人の人物を、
半ば諦めの様子で待っていた。
「遅いっ!!」 中で一番短気な祐一が、夏の照り盛る日差しに当てられて思わず叫ぶ。
「名雪と真琴は何をやってるんだ」
「そんなの決まってるじゃないの」 淡々と香里が言う。
「名雪を起こすのに真琴が四苦八苦になって、ようやく起こしたものの既にタイム・オーバ」
全ては香里の想像だが、間違い無いと祐一は思った。
「……ちょっと電話かけてくる」
祐一はそう言い残し、商店街の奥の方へと走って行く。
今の世の中としては確率的に稀有なのだが、集まったメンバは皆、
携帯電話やPHS、無線の類を所持していない。
だから連絡の時は公衆電話まで走る必要があった。
探す間もなく見付かった公衆電話に駆け寄ると、祐一は財布から念の為に三十円ほど取り出し、
コインの投入口に三枚とも放り込んだ。そして慣れた手付きでプッシュする。
数回のコール音の後、スイッチの音がした。
『只今留守に……』 祐一は電話を切る。
「もう出掛けたようだな」
二人して眠っているという最悪の可能性を考えた祐一だったが、
留守電なら問題ないと断定する。一番怖いのは、ベルが鳴っても誰も出ないことだ。
案の定、祐一が戻ってみると名雪と真琴の二人は集合場所で皆と談笑していた。
「あっ、祐一おそいーっ」 真琴の声に、祐一は言い知れぬ不条理さを感じる。
遅れたのは向こうなのに、何故こちらが咎められなければならないのだろうか……と。
「元はと言えばお前らが遅れてくるから心配したんだろう。もしかしたら、名雪を起こし疲れて、
二人ともぐっすりと眠ってるんじゃないかって」
「わたし、そんなに寝起きは悪くないよ」 頬を僅かに膨らませて抗議する名雪。
お前の場合なら充分に考えられるんだよと心の中で呟きながら、
不毛な談議になる可能性を避けて、何も言わなかった。
「それじゃあ行くぞ。団体九名様で、ゲームセンターにゴーだ」
「……ごー」
祐一がやけくそ気味に拳を上げたのに反応して、舞が同じ仕草をする。
しかし、舞の掛け声には一欠けの覇気も無かった。
「舞、せめてもう少し場を盛り上げるような声は出せんのか?」
「……ごー」
同じ仕草を繰り返す舞。やはり、その声に覇気は無い。
「……舞に頼んだ俺が馬鹿だった」
祐一は何とか落ち込んだテンションを上げようと、天を仰いだ。
煌煌と照り付ける太陽は厳しく肌を焼くのみで、何の活力も与えてはくれない。
「じゃあ皆さん、暑いですから早く行きましょう」
舞へのフォロゥの為だろうか、佐祐理が必要以上の明るさで皆に話しかけた。
その言葉で、螺旋を巻いた絡繰人形のように一斉歩き始める。
先頭は舞と佐祐理。
その後ろには敵意をぶつけ合う北川と祐一。
少し距離を置いて、真琴と美汐が並んで歩いている。
「美汐、着いたら一緒にプリクラやろうよ」
「……プリクラってどうやるんですか?」
「それはね……」
真琴は美汐にプリクラとは何ぞやかと言うことを熱心に教えていた。
手ぶり、足ぶりを交えて。
いつの間にか、真琴は美汐のことを呼び捨てで呼んでいる。
最後尾は栞を挟んで、名雪と香里が歩いていた。
「舞さんと祐一さんって、漫才師みたいですね」
「あの二人はね、あれが普通なんだよ」
失礼なことを言う栞に、失礼な答えで返す名雪。
まあ、水瀬家にいる時に散々チョップのやり取りを見ているのだから、
その説明も当然といえば当然かもしれないが……。
「だったら、毎日がとても楽しいんでしょうね」
「……うん」
名雪は僅かに躊躇ってから、一つ頷き返した。
「あっ、着きましたよ〜」 佐祐理が言う必要も無いほど、そこはゲームセンターだった。
入口にはUFOキャッチャ(本当は各メーカごとに正しい名称があるらしいが)と、
プリントシール機、手相占い、それから何故かどすこい横綱君という腕相撲のゲームまであった。
入口に入ってすぐにあるのは、最近人気の音系ゲームの最新作、
景品がこれみよがしに存在感を占めている筐体、それにモグラ叩き。
古いゲームと新しいゲームが入り混じった、如何にも町のゲームセンターという雰囲気。
「美汐、早く早く」 いつの間に入ったのか、光を遮蔽する布の内側で美汐を手招きする真琴。
「あっ、私、あれやりたいです」 栞が指差したのは、入口付近に設置されているもぐら叩きだ。
「いつかはやりたいと思ってたんですよ」
「佐祐理もやってみたいです〜」
「……私も」
こうして追加二人の賛同も得られたので、最初に大もぐら叩き大会を行うことが決定された。
プリント・シール機で悪戦苦闘している真琴と美汐にも、終わったら来るようにと伝えておく。
「任せてよ、真琴、スリッパでごきぶりだって仕留めたんだから。今度は高得点を狙うの」
嫌な例えを持ち出す真琴。
美汐は露骨に険しい顔を見せた。どうやらごきぶりはかなり苦手らしい。
「では一番手、栞、行きます」 遠くから栞の声が聞こえる。
祐一も再びプリントシール機に没頭し出した二人を残して、もぐら叩きの筐体へと向かう。
「てい」 そこにもぐらがいたのは、既に三秒も前だ。
「とおっ」 今度はタイミング良く叩けたが残念、もぐらは隣の穴から出てきた。
「えいっっ」 掛け声だけは立派だが、やはりもぐらには当たらない。
「こんどこそっ」 勢い良く振り上げたハンマ。
それは見事に栞の手から、すっぽり抜け落ちた。そして……。
北川の顔面、鼻骨の辺りに思いきり命中した。
枕を頭に当てるより少し硬質な音がして、北川は呻き声と共にその場にしゃがみ込んだ。
肩が僅かに震えている所を見ると、相当痛かったらしい。
「えうっ、ご、ごめんなさい北川さん、大丈夫ですか?」
駆け寄ろうとする栞だが、そのせいか床の僅かな出っ張りに躓く。
そのままスローモーションで北川に倒れて行き……。
北川の後頭部に、見事なエルボーが入った。
「ぎゃあーーっ、いてええーーーっ」
今度は北川も吼えた。故に相当な痛みだったのだろう。
「あ、え、えっと、その、ですから……」
栞は慌てて、まともな言葉一つ出せない状況になっていた。
勿論、もぐら叩きなぞ既に眼中に無かった。
「ううっ、何で俺がこんな目に……」
「えうーっ、北川さん、ごめんなさい」
違う意味で涙を流す二人。
場が収束に向かうまで、十分もの時間を要した。
13 ゲームセンター・パニック(その2)
「リベンジです」 西部の某選手の口真似……ではないが、栞は再びハンマを構えた。
勿論、北川は距離を置いている。 「今度は本気ですよ」
「えい」
「とおっ」
「せやあっ」
「どりゃあっ」
「どっこいさあっ」
何だかどんどん掛け声が怪しくなる栞。
相変わらずその一撃は、宙を薙ぎ続けていた。
「せめてひとつでもっ」 栞の言葉とは裏腹に、ハンマは悲しく宙を切る。
電工掲示板に映るは虚しい零の文字。
「栞」 香里は妹の肩に手を置く。 「鈍過ぎよ」
「そんなこと言うお姉ちゃん、嫌いです」
栞は自分の不甲斐なさも手伝ってか、頬を大きく膨らせていた。
「はえーっ、もぐら叩きって難しいんですね〜」
佐祐理の言葉は他の誰が言っても冗談になるだろうが、彼女は至って本気だ。
「じゃあ祐一さん、見本を見せて貰えませんか」
「えっと、佐祐理さん。何処からそういう結論に達するんだ?」
「だって祐一さんは、ゲームセンターによく行くんでしょう?」
確かにここに来る以前は、友人と一緒にゲームセンターに足しげく通っていた時期もあった。
だが、もぐら叩きなど眼中にある筈も無い。
「私も見たいです」
栞の輝くような視線。気が付くと、舞も祐一の方を期待の眼差しで見つめていた。
祐一がその目を追うと、舞は大きく頷いた。つまり、やれという合図だ。
こんなにも期待を浴びてはやらないわけにはいかない……祐一は腹を決めた。
祐一はハンマを受け取ると、何故か中段でそれを構えた。
それは舞と、或いは一人での修練で身についたのかもしれないが、祐一は気付かない。
最初はゆっくり、数も一匹だ。初っ端は一匹だって逃せない。
ふと、栞は何でこんなスロウな動きのもぐらさえ叩けないのかと疑問に思ったが、
慌てて打ち消す。集中力を途切れさせるのは良くない。
二匹、三匹と数が増えるが、祐一の敵では無い。
六十匹ほど叩いた頃だろうか、ファンファーレがなって、同時に合成音で、
『最後の攻撃だ〜』 と警告が流れてきた。
栞の時にはこんな警告は無かった。
つまり、ここまでである数以上のもぐらを叩いた人だけが辿り着ける、
延長ステージのようなものだと祐一は解釈した。
流石に総攻撃だけあって、何匹か見逃してしまう。
しかし、祐一も最後の根性を振り絞った、こうなれば意地だと思いながら。
そして攻撃が収まった時には、掲示板に九十三の文字が浮かんでいた。
「はあ、はあ、どうだ……」 運動が足りないせいか、息が少し切れる。
「凄いです〜」 栞は賞賛と尊敬の眼差しを、祐一に向けた。悪い気はしない。
「……私もやりたい」 祐一の奮闘に触発されたのだろうか、舞が進んで三番手を買って出た。
舞はもぐら叩き、もとい、ゲームセンターのゲーム全てに関して初心者だった。
そう、初心者の筈だった……。
「ふえーっ……」 佐祐理が映し出された数字を驚きと共に見つめている。
九十九……最高得点だ。
つまり、舞はもぐらを全て撃墜したことになる。並の運動神経では不可能だ。
しかし、その運動神経を舞は持っている。そう思えば、この結果も必然だった。
「……成敗」 流麗な動作でハンマを所定の位置に戻す舞に、祐一は時代劇の剣豪の姿を重ねた。
息一つ切らしていない舞を見て、改めてその超人的体力を思う。
その時、プリント・シール機で格闘していた真琴と美汐が戻ってきた。
「わっ、九十九点? 真琴だって、三十点くらいしか取ったことないのに」
下を見つめると、優越感には浸れるだろう。
しかし、真琴と比べても、ただ虚しいだけだ。
「じゃあ、次は真琴がやるーっ」
彼女は元気良くハンマを握り締め、何れ出て来るであろうもぐらたちに強い睨みを聞かせた。
「てやーっ」 まるで親の仇のように、全力でもぐらを殴る真琴。
「死ねっ」 ちょっと穏便でない言葉が飛び交う。
「祐一と思ってっ」 かなり穏便でない言葉がゲームセンターに木霊した。
しかし、完璧にオーバ・アクションでオーバ・リアクションの動作は、
複数のもぐらが現れた時に対処が出来ない原因を作り出していた。
結局、四十点という点数を叩き出しつつも、総攻撃は無しで終わった。
「あうっ、やっぱり上手くいかない……」 真琴はがっくりと肩を落とした。
その様子を、さっきからじっと眺めていた佐祐理。
「あっ、成程、分かりました〜」 と突然、明るい声を出す。
「真琴、ハンマ、貸してください」
「うん、頑張ってね」
「大丈夫、任せて下さい」
佐祐理は自信満々の表情を浮かべながら、筐体と向きあった。
ハンマはコンパクトに握り、不意の自体にも最小限の動きで対応出来るようにしている。
「えい、えいっ」
掛け声自体は些か気の抜けるものだったが、佐祐理の振りは確実にもぐらを居抜いていた。
みるみるカウンタの数が増えて行く。そして総攻撃が始まる。
そうなると流石に打ち漏らす部分もあったものの、まるで予知するようなハンマと体の動きは、
もぐらと互角の戦いを繰り広げていた……。
「……九十六点」 負けた……祐一はがっくりと頭を垂れた。
「わあ、佐祐理さんも凄い」 真琴が思わず賞賛の声をあげる。
「何かコツでもあるの?」
「はい。このもぐら叩きなんですけど、もぐらが出て来る順番っていつも一緒なんですよ。
それさえ分かれば、佐祐理くらい鈍臭くても対処できます」
あっさりと言ってのける佐祐理。しかし、それには抜群の記憶力が必要だ。
そんなコツを僅か数回見ただけで飲み込むとは……。
祐一は改めて、佐祐理の頭の回転の良さに驚かされた。
「えっと、順番ってどんな感じ? 教えて、佐祐理さん」
「良いですよ。まず真ん中奥、次に……」
勿論、真琴が一度で全てを覚えられる筈も無く……。
その後、北川が 「ゲームセンター王の名にかけて」 と勇んでハンマを持ったが、
結果は九十点だった。「何故だ〜」 と叫ぶ北川。
今日の北川は、とことん報われないなと祐一は堂々と思った
14 ゲームセンター・パニック(その3)
その後、それぞれが興味を持った方向に向かって行った。
栞の興味はUFOキャッチャに移り、入っている猫の人形に名雪が乱舞している。
「うー、あれが絶対欲しいよ」 その時の名雪は、確かに狩猟者の目をしていた。
その様子を冷ややかに眺めるのは、その親友である香里だ。
その気持ちは祐一にもたっぷりと分かる。
真琴は 「一番得意なやつなの」 と言って、音楽系ゲームの一つを指差した。
それは床に八方向の矢印がマークされており、足で踏むことによりスイッチの入る、
コントローラだった。
「お前の得意なのはこっちじゃないのか?」
祐一は隣にある、マラカス振りゲームを指差した。
「それは……一人でやるには恥ずかし過ぎるから」
確かに祐一も全く同感だ。これを一人でやると、
俺って阿呆だ〜と心から込み上げてくるに違いないと祐一は確信した。
「じゃあ、やるからね」
真琴は手慣れた手付きでコインを投入する。
割と頻繁に通っているのだなと、祐一は思った。
祐一の推測通り、真琴の動きはかなりサマになっていた。
小気味良くステップを踏む音が響き、画面にはGreatだのCoolだのと賛辞の言葉が浮かんでいる。
最初はよくこんなゲーム、真琴ができるなと思っていたが、
良く考えれば、小さい子供の方がゲームの飲み込みは上手いと考え直す。
以前、格闘ゲームで小学生に負かされて以来の祐一の持論だった。
結局、最大の三曲を踊り切った真琴。
その顔には流れる汗と、満足げな笑みが浮かんでいる。
「どう、凄いでしょう」 真琴を誉めるのは癪に触るが、この時ばかりは認めざるを得なかった。
「美汐もやる?」
いきなり話題を振られて、少し戸惑う美汐。
「私は……いいです。こういうのは苦手ですから」
「うーん、それなら……」 真琴は首を捻る。これ以上捻ったら、多分首が折れる。
「あれ、あれやろっ」 指差したのは、拳銃型のコントローラを使ってクリーチャを退治するゲーム。
「化け物をばんばん撃って行くの、面白いよ」
「え、ええっと……」 美汐は明らかに躊躇の表情を見せていたが、真琴が引きずって行った。
「ああ、ちょっと……」 必死の抗議も受け入れられない。
「大変だな……」 祐一は思わず呟いた。
「ところで舞、何をやっている?」
祐一はダンスゲームの筐体の上で、デモ画面に合わせてたどたどしくステップを踏む舞を見た。
「……踊り」 舞は何を言ってるんだという表情で、祐一を見た。
「せめて、金は入れろ」 祐一は舞の大ぼけぶりに思わず溜息を付き、それから百円玉を二枚渡した。
「……踊る」 直前の言葉と一文字しか変わっていない。
祐一は頑張れと、心でエールを送る。
「舞、頑張ってくださいね〜」 佐祐理は現実のエールを送った。
舞はこくりと頷くと、適当に曲を選んでゲームを始めた。
少し練習したお蔭で何とか表示されるマークには付いていっているのだが、
何と言ってもその数が半端じゃなかった。
真琴のプレイしていた曲の三倍近くある。
流石に運動神経のずば抜けた舞でも、途中で力尽きた。
「……難しい」 僅かに息を荒める舞。
と、突然。
少し離れた所から悲鳴が聞こえてきた。
「いやーっ、来ないで!!」 トリガを夢中で引いているのは、天野美汐その人だった。
今までどちらかと言えば冷たいと思わせる表情を崩さない美汐だったが、今は違う。
絶叫で顔は歪み、恐怖で銃を持つ手が震えていた。
「何だか、大変なことになってますね」
とはいうものの、佐祐理の顔に危機感は全く無い。
それはゲームなのだから当たり前なのだが……。
「た、弾が出ませんよ、真琴」
「美汐、リロード・ボタンを押すの」
「リロード・ボタン? いやっ、来ないで」
「美汐、落ち着いて」
何というかまあ、修羅場だった。
画面には顔が半分吹き飛び、そこから真っ赤な鮮血を迸しらせるクリーチャの姿がある。
相当不気味でかつ、不条理な光景だった。
結局、真琴が美汐の分まで余計な苦労をしょい込むことになっていた。
「リロードボタンは、マガジンの挿入部分についてる」
「マガジンなんてないじゃないですか」
「漫画じゃなくて、あれ、何だっけ?」
真琴が首を傾げるものだから、美汐の方がクリーチャに爪で攻撃された。
蝙蝠のような翼を持ち、奇声を上げる中ボス的クリーチャ。
「……ガーゴイル」 舞がぼそりと呟く。
「何で、舞がゲームに出て来る化け物の名前を知ってるんだ?」 祐一は不思議に思って尋ねる。
「……私は魔物を討つ者だから」 答えになっていなかった。
「こうなったら、えい」 真琴は美汐の銃に付いているリロード・ボタンを押した。
画面に十発近い弾丸が表示される。
しかし、美汐は叫びながらトリガを引くのですぐに弾が無くなる。
真琴は美汐とゲームの間で板挟みになった。
そんな状況で集中できるはずも無く……。
一分後には趣味の悪い血文字で『Game Over』が一杯に映し出されていた。
15 ゲームセンター・パニック(その4)
「ごめんなさい……取り乱しました」
美汐は先程演じた痴態の所為か、顔を林檎のように赤くして俯いている。
幸いだったのは、場所柄叫び声が他の客には殆ど耳に入らないということだ。
「ごめん……美汐って、こういうのは苦手なんだ……」
真琴が申し訳無いという感情を、全身を使って発していた。
「はい、情けないことに」 美汐はますます目線を下に移した。
「あんな化け物が迫ってくるものですから、怖くて思わず反射的に……」
そう言って思い出したのだろう、再び顔を真っ赤にする美汐。
「どうしたの? 皆、沈んでるけど」
そこに、猫のぬいぐるみを両脇に抱えた名雪がやってきた。
後ろの方では栞が、綿菓子のような犬のぬいぐるみを抱えている。
「実は天野が……うぐっ」 祐一の口が、咄嗟に美汐によって塞がれる。
「軽軽しく言い触らさないで下さい」 美汐は夢中で祐一の口を塞ぎ続けている。
少しからかってやろうとも思ったが、目が真剣そのものだった。
こういう目をしている時、からかうと酷い目にあうというのは舞で体験済みだ。
故に、素直に従うことにする。
「実は美汐がね、ゲームに出て来る化け物が怖くて叫び声を上げてたんだよ」
美汐の努力は水泡に帰した。
祐一は崩れ落ちる美汐の後姿を、憐れみの目で見つめることしかできない。
「化け物ですか?」 栞が興味津々の口調で尋ねてくる。
「あのゲームなんだけど……」
真琴の指す筐体は、血飛沫とクリーチャの飛び交う世界を映していた。
「うわあっ、血が一杯飛び散ってます〜。恐いですね」
表面恐そうに見せているが、全く恐く思っているようには思えない祐一だった。
「香里、栞って恐い恐いと言いながら結構ホラーとか見るタイプだろ?」
「……良く分かったと言いたいところだけど、あれを見たら誰だって分かるわね」
滑稽にも見える栞の姿をしばらく眺めていた祐一だったが、ふと一つのことを思い出した。
「ところで、北川は?」
「さあ、少なくとも入口付近にはいなかったわ。ここに来る途中も見なかったし。
もっと、奥の方にいるんじゃない?」
「香里、何だかんだ言って探してたんじゃないか」
香里は僅かに頬を朱に染めた。
これは案外まんざらではないのかもしれないと、内心ほくそえむ祐一。
「相沢、勝負だ〜」 祐一はいきなり、首根っこを掴まれる。
振り向くまでも無く、それは北川だった。
「俺との勝負を忘れたとは言わせんぞ」
「忘れてなぞいるものか」
何故か北川と喋ると自然、熱血口調になるような気がする。
「よし、じゃあ勝負の内容だが……あれだ」
北川が指差したのは、多人数対戦用のカーレース・ゲームだった。
「八人同時プレイか……他にやりたい奴はいないか?」
どうせなら大勢で楽しんだ方が良いと思い、祐一は勇士を募る。
「真琴もやるっ」
「私もやります、格好良さそうですから」
「……祐一がやるなら私も」
「じゃあ、佐祐理も参加しますね」
一挙に四人の大量エントリーだった。
「名雪はいいのか?」
「うん。だって、運転するとこの子たちを離さないといけないから」
両脇に抱えたぬいぐるみたちを交互に見る名雪。
猫好き、ここに極まれりといった光景だ。
「私も遠慮しておくわ」 香里は慎んで辞退した……予測はしていたが。
「……やります」 こちらは祐一の予想に反して、美汐はぐっと拳を作った。
こうして総勢七名による大レース大会が行われることになった。
とはいっても大半が初心者、祐一もレース・ゲームは二、三度しかプレイの経験が無い。
そこで自称ゲームセンター王、北川が模範演技を見せることになった。
「これがアクセル、押せばスピードが上がる。これがギアで……」
女性がメインだからだろう、親切懇意に説明する北川。
そして最も簡単なコースを選んで、実際にプレイして見せた。
確かに自称ゲームセンター王と自称するだけあって、その走行には殆ど無駄が無い。
勿論、ファステスト・ラップをマークした。
そんな北川の前振りも終わり、とうとう大レース大会本番と相成った。
祐一は目の前の筐体に集中する。
アクセルを踏みこむ音が、重低音となって鼓膜を刺激した。
ある程度回転数を上げておくことが、スタート・ダッシュの秘訣だと北川が話していたのを思い出す。
灯るレッド・ランプ。
それは徐々に下に下がっていって……。
グリーンの表示と共に、画面には大きく『GO』の文字が踊った。
祐一はアクセルを踏み込んだ。
16 ゲームセンター・パニック(その5)
「そ、そんな……馬鹿な……」
筐体のシートに座ったままで、北川は襲い来る敗北感に苛まれていた。
微かに覗く順位は『4th』……可も無く不可もなくだった。
ちなみに三位は舞、やはり運動神経というものはこういうゲームにおいても顕著だ。
そして二位は佐祐理だった。
「あははーっ、まぐれですよ」
佐祐理は謙遜していたが、まぐれだけでこのゲームをやり込んでいる北川をやりこめることは、
不可能だろう。そこは佐祐理の天才的な飲み込みの早さの所以だ。
そして一位は……祐一だった。
尤も、半分くらいはレースに夢中だった所為か、殆ど記憶に無いのだが。
「凄いです、祐一さん」 万年殿の栞が、今度は祐一に尊敬の眼差しを向けた。
「うん。外から見てたけど、ハンドル捌きとか凄かった」 名雪が付け加える。
「ふっふっふ、実は俺の先祖はアイルトン・セナなのだよ」
「……アイルトン・セナが死んだのって、相沢君が生まれる前じゃなかった?」
香里の的確な指摘が、コークスクリュウ・パンチのように祐一を打った。
「冗句だ、それくらい察してくれ」
「察してるからこそ、突っ込んだんじゃない」
香里は臆することなく、しれっと答えた。
祐一は襲い掛かる虚無感を抑え、何とか冷静さを保つ。
香里の言葉は時として、精神攻撃に近いそれを醸し出すことがある。
「それにしても、凄いな、舞も佐祐理さんも。このゲーム、初めてやるんだろ?」
「祐一さんほどじゃないですよ」 何時でも人を立てることを主にする佐祐理らしい返答だった。
それに対して舞は……真摯な表情で祐一を見ていた。
逸らすことが罪悪に思えるくらいの……。
舞は表情を崩さぬまま、一歩一歩近付いてきて……祐一の匂いを嗅いだ。
「……異常無し」 舞は妙なことを言う。
「舞、お前は何をしている」
「……祐一の匂いを嗅いでいる」
「その行動に、何か理由は?」
「……特に無し」
祐一は頭を掻いた。
相変わらず、舞の行動パターンだけは、全く把握できない。
「あははーっ、やっぱり二人は凄く仲良しさんですね」
佐祐理は祐一と舞のそんなやり取りを見て、屈託なく笑っている。
「くそっ、相沢だけ何故もてる……」 それは北川の心の叫び、悲痛な叫びだった。
「相沢、次はあれで勝負だ」 北川が次に指したのは、格闘ゲームの筐体だった。
「あれなら、俺は誰にも負けない自信がある」
北川は復讐に心滾らせ、勇んで筐体に向かって歩を進めた。祐一も後に続く。
祐一が選んだのは、斬撃を主とするキャラクタだった。
容姿が少しだけ舞に似ているということで選んだ。
そして、レディ・ゴーの掛け声が掛かる……。
「そ、そんな……俺の修練の日々が……」
北川は再び、完膚無き敗北に身を曝されていた。
しかし、敗北感を叩き込んだのは祐一では無い。
「北川さん、ごめんなさい」 その御大は、倉田佐祐理その人だった。
祐一が敗北した後、半ば強引に佐祐理を誘ってみたのだ。
最初の一回はほぼ何も出来ずに敗北した。しかし……。
「あっ、コツ掴みました〜」 の一言を境に、敗北という文字はなりを潜めた。
あとに残るのは北川八連敗の事実のみ。
恐るべし佐祐理さん……祐一は心の中で呟いた。
それから北川の敵は、佐祐理に変わった。
彼は幾つものゲームに佐祐理を誘い込んだが、コツを掴むと北川は全く勝てない。
祐一と舞は北川の惨め過ぎる様子と、佐祐理の活躍とを交互に見つめることに専念していた。
気が付くと、既に午後も二時を回ろうとしている。
昼食を食べていないのだから、いい加減お腹が空いてきた。
「北川、そろそろ昼を食いに行かないか」
「……ああ」 北川は空返事だった。余程度重なる敗北が答えたのだろう。
「あっ、みんな〜」 名雪は相変わらず、両脇に猫のぬいぐるみを抱えている。
「そろそろ御飯にしないかって話になったんだけど、どうする?」
「丁度こっちもそういう話になってたところだ、すぐ行く」
傷心の北川を引きずるようにして、祐一はゲームセンターの入り口まで辿り着いた。
「で、飯と言っても何処へ行くんだ?」
「百花屋」 祐一の問いに、名雪が即答した。目的は勿論、イチゴサンデーだ。
「あっ、良いですね〜。私、そこのメニューで食べてみたいのがあったんです」
栞が悪戯少年のような笑顔を浮かべる。
「あそこの白玉餡蜜は、絶品なんですよ」
美汐は美汐でうっとりとした表情を浮かべていた。
余程、その白玉餡蜜とやらがお気に入りらしい。
結構、おばさんくさい嗜好なんだなと、祐一は失礼なことを思う。
結局、祐一には反論のはの字すら許されなかった。
まあ、サンドイッチくらいならあるだろうと安穏を決め込んだ。
三十分後……。
「相沢、俺はもう……ダメだ」 北川はスプーンを口にしたままで、テーブルに倒れ込んだ。
「北川、お前が倒れたら俺はどうすればいいと言うんだ」
最早、限界寸前だった。
目の前が真っ白になって行くのを、祐一は必死に堪えている。
原因はテーブルの三分の二をも占拠する特大パフェだった。
三千五百円もするそのパフェが栞の胃袋に収まる筈も無い。
こうして祐一は甘い物が好きでもないのに、腹十二分のパフェを食すこととなった。
「えうーっ、祐一さん、北川さん、ごめんなさい」
祐一には栞の声が、かなり遠くから聞こえる。
その夜、当然のとこながら祐一は腹を壊した……。
祐一は一日中、不穏な腹に悩まされることになる。
あとがき
……この話も全然、ミステリじゃないですね。
何だか、この話だけ独立してSSとして出しても良いような感じの話でした。
一応、オチも付いてます……非常に食事中の方が顔を背けそうなオチが。
AIRがあると言いながら更新が早いのは……。
私には結構、自制心というやつがあるようですね……良かった、良かった。
じつを言うとAIRをやって、想像以上に創作意欲が刺激されたのですよ。
こういう時は自分でも驚くほど、筆の進みが速いです。
段々と話が長くなっているのは、気のせいです……多分。
次は事件が起きるのですが……祐一たちが本格的に事件と対決するのは、
かなり後になりそうです。
それでは、出来るだけ早くお会いしましょう。