第一話 白き雪のお姫様

相沢祐一の前で、鮮やかな音を立てて、スキーの板が翻る。

削られた雪は規則正しく、地上から数十センチの辺りを、舞うように駆けて行った。

雪が雲一つない空の光に照らされて、僅かに銀色の光を放っていた。

そしてスキーを操るその人物は、春スキーにとこぞってやって来たスキーヤの中でも、とりわけ輝いて見える……そう思うのは、贔屓目だろうか。

いや、そうでもないだろう。

現に今もスキーヤの何人かは、その人物の方を、何か眩しいものでも見るかのように、目を細めて眺めていた。

ピンクを基調にしたスキーウェアを身に付け、長い髪をなびかせ、満面の笑顔を浮かべているその人物が誰かと言えば、祐一は簡単に答えることが出来る。

「凄いな佐祐理さん、もう降りてきたのか?」

祐一は汗一つかいていないその人物、倉田佐祐理にそう声を掛けた。

確か、祐一とほぼ同じタイミングでゴンドラに乗りこんでいった筈だ。但し、祐一は初級コース、佐祐理は上級コースという、非常に大きな差がある。

「ええ、スキーですから」

祐一の問いに対して、佐祐理は平然とそう答えた。あっさりと言ってのけるが、それはスキーが本当に上手でなければ言えないことだ。

しかし、普通なら嫌味とも取れるような言葉も、彼女の口から発せられると、全くそのような思いは感じられない。それが彼女の人柄なのだと、祐一は常々思っていた。

「いやいや、凄いよ。俺なんか、ようやくかつての調子が取り戻せて来たくらいだからな」

かつての調子と言っても、子供の頃に数回滑っただけだが。

「大丈夫ですよ、祐一さんだったらすぐに滑れるようになりますから」

佐祐理は実に簡単に言う。しかしここで断っておくが、彼女もスキーは子供の頃に数回やったことがあるに過ぎない。

それを聞いた時、そしてブランクを全く感じさせない彼女の滑りを見た時、祐一は溜息を付いたものだ。そして、天は二物を与えないというのは嘘だなと、はっきり分かった。

「ところで、舞は何処にいるんですか」

佐祐理が、もう一人の親友の名を呼ぶ。

「えっと、確かさっきから……」

祐一はゲレンデの終着点辺り、先程まで川澄舞がいた所に目をやった。

すると全く変わらない様子で、舞がスキー板とストックを持ったまま立ち尽くしていた。

「舞、何真剣な顔してるんだ」

祐一は近付くと、スキー板の方に目をやっている舞に声を掛けた。

「……佐祐理、祐一、見て」

どうやら舞は、何かを披露する気のようだ。祐一と佐祐理は、舞の行おうとすることを、じっと見守る。

すると舞は、ストックとスキー板を操って、見事に百八十度方向転換して見せた。

「……よし、完璧」

まるで一仕事を成し遂げたかのように、舞は満足そうな様子でそう言った。

祐一には、何が起こったのか分からない。

「舞、お前、何がしたかったんだ?」

「……方向転換」

祐一が尋ねると、さも当然といった調子で舞が答えた。

その言葉に、祐一と佐祐理は顔を見合わせる。

どうやら舞が見せたかったのは、完璧な方向転換だったようだ。

「わあ、凄いですね、舞」

佐祐理が笑顔を浮かべながら、舞のことを誉める。しかし、その笑顔に僅かな歪みがあったことを、祐一は見逃さなかった。

幾らスキーが初めてだと言っても、スキー板で方向転換出来たくらいであんなに満足そうな顔をしているとは……祐一は改めて、舞の独立独歩ぶりを実感させられていた。

そんなことを考えていると、ふと祐一の頭にちょっとした悪戯心が浮かんで来た。

「よし、舞。そこまで上手にスキーが操れるんなら、最早俺の教えることは何もない」

「……祐一には、何も教わっていない」

舞のツッコミはあえて無視し、祐一は話を続けた。

「ということで、今度は三人一緒に滑ってみようでないか」

大袈裟な手振りを含めて、祐一は提案する。勿論、計画のことはおくびにも出さない。

「そうですねー」

「……祐一がそう言うのなら」

快諾する二人の様子に、祐一は内心でほくそえんだ。

 

数分後、祐一、佐祐理、舞の三人は、切り立った崖のような傾斜(少なくとも祐一にはそう見えた)の頂上に立ち、下の方を見下ろしていた。

流石にこのコースを滑るスキーヤは少ないのか、滑走の跡も初級コースのそれよりは少ない。

それでも先程、何人かのスキーヤが祐一たちを尻目に滑り出して行った。

飴色に光るゴーグルと、借り物ではない高そうなスキーウェアを身に付けたその男性は、祐一のようなスキー経験の浅いものでも、玄人だと分かる。

彼らは思いきり反動をつけて飛び出すと、実に見事な滑走の跡を残して、祐一の視界から消えて行った。

上級コース、先程佐祐理が滑って来たコースに、祐一は立っていた。

祐一は思わず、隣の佐祐理を見る。恐怖におののいている様子も、躊躇している様子も全く無い。先程もこのコースを滑って来たのだから、当然だろうが。

そしてその隣に立つ、舞の姿を見る。こんな時でも、舞は無表情だった。

しかし……祐一は内心焦っていた。

最初はスキー未体験の舞をここに連れて来て、普段は見せない慌てふためく様子を見てみたいと軽く考えていただけだった。

スキー勘が戻って来たと過信していたのも、祐一の思いを助長した。それに、初級コースにはいささか飽きてきたというのも、心の奥にあったのだ。

しかし、最初の目論見は見事に崩れてしまった上に、こんな所を滑ったら舞を怪我させてしまうのでは……そんな思いと自分に対する浅はかさ、そして白き壁に対する恐怖が、今の祐一を支配していた。

「祐一さん、滑らないんですか?」

そんな祐一の思いを見透かしたかのように、佐祐理が話し掛けて来る。

「いや、俺はいいんだけど、舞はスキー初めてだろ。いきなりこんなところを滑ったら、怪我するかもしれないし……」

「……私は構わない」

しかし祐一の心配と、この場から逃れる唯一の道を、舞が粉々に打ち砕いてしまった。

「大丈夫ですよ〜、佐祐理でも滑れるんですから」

佐祐理は笑みを浮かべて、そう断言する。

「じゃあ、佐祐理が行きますから、舞と祐一さんは付いて来て下さい」

そう言うや否や、佐祐理はストックで反動を付けた。そしてスキー板と雪との小気味良い摩擦音を響かせながら、雪の壁へと身を乗り出していった。

その流れるような動きを見て、祐一も腹を決めた。皆が皆、颯爽と滑っていくのを見ていたから、自分もできるのではないか……そんな淡い期待もあったに違いない。

祐一は心の中で活を入れると、思いきって前に飛び出した。ほぼ同時に、凄まじい加速感と恐怖が祐一に襲い掛かる。たちまち祐一の頭は、雪のように真っ白になっていった……。

 

「はあっ、はあっ……」

前方のスキーヤにぶつかりそうになったり、割と派手に転んだりしながら、祐一はようやく終着点へと辿り着く。そこには、とっくの昔に滑り終わり、祐一の到着を待っていた佐祐理と舞がいた。

「……祐一、遅い」

息を整えている祐一に、舞が厳しい言葉を浴びせる。

「祐一さん、ご苦労様です〜」

対して、佐祐理の言葉は暖かかった。

それにしても……祐一はようやく落ち着いて来た息を整えるために大きく深呼吸すると、平然としてそこにいる舞の姿を見る。

(こいつ、本当にスキーやるの初めてなのか?)

まるで小さい頃から滑りこんで来たかのように、その動きには全く無駄なところが無かった。無様に転んでいた祐一を、白く削られた雪を舞い上がらせながら、進んで行く舞。

長く伸びた髪をなびかせて進んで行く、檸檬色のスキーウェア。

祐一には一瞬、妖精が駆け抜けて行ったのかと思ったほどだ。

しかし今、目の前にいる舞は、まごうことなく川澄舞だった。

そして何となくだが、スキー場をナンパの場所として選ぶ奴らの気持ちが分かったような気がした。

格好良くスキー板とストックを操る姿は、確実に人間の持つ魅力を底上げするのだ。

「……もう一回、滑りたい」

どうやら舞は、風と一体になる快感というのを覚えてしまったらしい。

子供が縋るような目で、祐一と佐祐理を見た。

「ええ、行きましょう。ほら、祐一さんも……」

言いながら、二人はゴンドラの方へと進んでいた。

祐一は後を追いながら、明日は絶対、筋肉痛になるな……そんなことを考えていた。

 

結局、午後の四時近くまで、地獄のようなスキーは続いた。とは言っても、何回か滑っていると恐怖心も左程感じなくなり、最後の方になると辛うじて二人に付いて行くことが出来るくらいには上達していた。

しかし、目の前の二人はそれを余裕でこなしているのだから、腕前の差は歴然としている。

予想通り、祐一の体は既に限界寸前だった。休むことなくスキーを続けていれば、当然の結果だと言える。まあ目の前の二人はぴんぴんしているが、きっと体の作りも特別製なのだろう。

そんな突拍子もない考えが、妙に納得出来たりもした。

実際には、昼過ぎに少しだけ休んでいたのだが、それもままならないことがすぐに明らかになった。

佐祐理と舞を二人きりにしておくと、まるで蜜に群がる蜂のように、スケベ根性を丸出しにした男たちが近付いて来るからだ。

そんな不埒な男どもを追い払うためにも、体を張らなければいけなかった。

あの二人が、ナンパ男たちの毒牙にかけられてはならない……それは一種の使命感として、祐一の中で燃え上がっていた。

しかし、これ以上滑っていたならば、流石にその炎も消えていたであろう。いや、実際に舞はもう少し滑ろうと主張したのだ。

しかし空の色が急にどす黒くなり始め、雪や風も強まって来たため、吹雪になったら危険だと祐一が必死に説得した。

勿論、それはもうこれ以上滑りたくないと願っていた祐一が、適当な言葉を並べただけなのだが、そこは吹雪の恐さを知っている雪国の住人、舞も渋々ながら承知してくれた。

そんなことを考えながら、更衣室での着替えを済ませると、祐一は待ち合わせ場所となるホテルのフロントへと赴いた。

ちなみにこのホテルは、スキー場の経営とラインが同じらしい。それはパンプレットにも記載されていたし、スキー用具一式のレンタル料と一日リフト乗り放題券付きの宿泊メニューもあることからも、それは頷けることだ。

当然、祐一たちの選んだのもそれだった。三月過ぎの予約というのは現実的に考えれば遅すぎるのだが、運良く家族連れのキャンセルがあったため、祐一は部屋を取ることが出来た。

勿論、祐一と二人の部屋は別々である。ダブルの部屋が二つ取れたのだから、それしか選択肢は無い……というのが実際は正しい所であるが。

ちなみに、一人あたま分の二万五千円という金額を捻出するために、祐一は死に物狂いでバイトしたのだが、それはこの物語とは関係がないので省略する。

フロントにはまだ、舞も佐祐理も来ていないようだった。

祐一はすることがなく、意味も無くストレッチを始めた。

運動後にストレッチをしておくと、筋肉痛が少しは和らぐという話を思い出したからだ。

しかし、スキー板を抱えて通り過ぎる人たちに笑われ、すぐにやめた。

冷たい風と共に、白い結晶が目の前を通り過ぎて行く。どうやら、本当に吹雪いて来たようだ。まだゲレンデにいるスキーヤたちも、どうやら今日のスキーに見切りをつけ始めたらしい。

ゴンドラに乗るスキーヤの数も、今は少なかった。

暗く淀む空と、白く染まる光景とを交互に眺めていると、ようやく舞と佐祐理が着替えを終えた様子で、こちらに近付いて来た。

しかし、その途中で二人は、スキーヤの二人組に呼び止められる。

男の方は、二十台後半くらいだろうか……とはいえ、実際にそう思ったのは後で、その時は全速力で舞と佐祐理の元に駆け寄っていた。

「あ、祐一さん」

その姿を見掛けた佐祐理が、縋るような目で祐一の方を見る。その様子を見ると、二人はナンパ目的で近付いてきたようだ。

その声に、男二人も振り向く。

「ちぇっ、こぶつきか……」

男の内の一人がそう呟くと、二人は祐一に一瞥をくれて立ち去って行った。

油断も隙もあったものじゃない……祐一は心の底からそう思った。

 

「ええ〜〜〜〜〜っ、予約が入ってない?」

フロント係が言った無常な言葉に、祐一は思わず大声をあげた。

「だって、スキーウェアとかは用意してあったのに……」

「いえ、そう言われましても……お客様が言われた部屋は確かに、昨日から別のお客様がお泊まりになっていますが……」

「でも、確かに予約は入れた筈ですよ。1002と1003号室、もっとよく確かめて下さい」

「いえ、コンピュータで予約状況を検索してみたのですが、相沢様の名前は見当たりませんでした」

祐一は声高に訴えたのだが、暖簾に腕押しだった。フロント係の口調は一貫して丁寧なのだが、誠意や親切さというものは微塵も感じられない。

うちに手違いはない、面倒は御免だ……そんな思いが、僅かに変わる顔色から読み取れた。

「だったら、俺らは冷たい吹雪の中で、一晩過ごせって言うのか?」

祐一は、思わず興奮して叫んだ。自分だけなら良い(本当は良くないが)のだが、こっちには舞と佐祐理という二人の女性がいるのだ。それだけは、絶対に避けなければいけない。

そんな思いが、自然に祐一の語気を荒くしていた。

「そう言われましても……」

狼狽した様子を見せた様子を見せるフロント係。そこに助け舟を出したのは、佐祐理だった。

「部屋が無いというのなら、仕方ありませんね。今、泊まっている客に出て行けと言うわけにもいきませんし……あちらの方にソファがありますよね」

佐祐理は、数人のスキーヤが腰を降ろしているロビーの方を指差した。

「毛布を貸して頂ければ、私たちは向こうで寝ても良いですから」

そう言うと、舞と祐一の方を見る。

確かに、こちらとしては最悪、風と雪を防げれば良いのだ。勿論、ホテルの一室と比べれば、雲泥の差だが……。

「……私は構わない」

「俺も別にいいぜ。冷たい外で一晩過ごすよりかは、余程マシだからな」

舞も祐一も佐祐理の意見に同意する。しかし、フロント係はその意見に顔を顰めるだけだった。

「それは、お客様に部屋の外で泊まって頂くというのは、こちらとしては少し……」

回りくどい言いまわしだが、きっぱりとした拒絶の言葉だ。

「今から近くの旅館の方に電話して、空き部屋がないかどうか聞いてみますので」

「……分かりました」

多分、それが最大限の妥協なのだろう。祐一はそう思い、軽く頭を下げるとフロントを後にした。

そしてソファの方に向かうと、祐一たちは力なく腰を下ろす。

「困りましたね……」

窓の外から見える、降り積もる雪を見ながら、佐祐理がそう呟いた。その顔は平静を装っていたが、祐一には心持ち不安そうに見える。

「ごめん、舞、佐祐理さん。俺が事前にチェックしてたら、こんなことには……」

祐一が頭を下げると、佐祐理は無理に笑顔を作った。

「いえ、悪いのは祐一さんじゃありませんよ」

「……そう」

二人の言葉に、僅かだが心が安らぐ。しかし、泊まるところがないという事実に変わりはない。

「このまま、泊まる所が見付からなかったら、どうなるんだろうな」

祐一はもしもの時の最悪のケースを、思わず口に出していた。雪と風の勢いは、数十分しか経っていないに関わらず、目に見えてその勢力を増大させている。

とてもではないが、野宿など出来ない天候だ。

そんなことを考えていると、舞がぽつりと呟いた。

「……かまくら」

「は?」 祐一は、思わず間抜けな声をあげた。

「あ、それいいですね〜」 しかし佐祐理は、舞の言葉をさも名案のように言った。

もしかしたら、かまくらの中というのは、思ったよりも暖かいのだろうか……。

「佐祐理さん、かまくらの中ってそんなに暖かいのか?」

真面目に尋ねると、今度は佐祐理が間の抜けた表情をした。

「あはは〜っ、冗談ですよ〜」

笑いながらそう答えたが、その次には、ばつの悪そうな顔をする。

「あまり良い冗談ではありませんでしたか?」

「ごめん、佐祐理さん」

顔を見合わせると、同時に軽く溜息を付く。

その様子に、舞は心底困惑した様子を見せていた。

「もしかして、君たち泊まる所無いの?」

その時、向かい側に座っているスキーヤの一人が声を掛けて来た。

声をした方を見て、祐一は驚く。

男性は先程、舞と佐祐理をナンパして来た奴だったからだ。

そんな奴からの言葉に、祐一は心配して佐祐理と舞の方を見た。

二人とも、警戒の眼差ししか浮かべていない。祐一は安心した。

「……そんなに警戒した目で見ないでくれよ。俺らだって、男付きの女性を口説こうなんて不埒な真似は考えてないから、なっ」

男性は祐一の方に好色そうな視線を向けながらそう言うと、最後に隣に座っている男性に声を掛けた。恐らく、彼の連れだろう。

「こっちは、宿のあてもない前途有望な若者を哀れに思って、こうやって声を掛けたってわけだ」

言い方は少し恩着せがましいが、どうやら男性には宿のアテがあるらしい。

「おい、いいのか? 社長の許可とか取らなくても」

連れの方の男性が、多少気色ばんだ口調で咎める。

「あ、そうだよな……まあ、スキー場に来てから機嫌良さそうにしてたし、大丈夫だろ」

二人の男性は内輪めいた話をすると、こちらに話を戻した。

「あ、紹介が遅れたな。俺は上田亮、二十八歳、独身。で、隣に座っているごついのが、高宮浩、俺と同期だが年は一個下の二十七、同じく独身だ」

独身という所を強調していたのが気になったが、敢えて考えないことにする。

「初めまして、倉田佐祐理です」

「えっと、相沢祐一です」

「……川澄舞」

無難に自己紹介も終わったところで、祐一は疑問に思っていたことを口にした。

「それで、上田さんと高宮さんでしたか? 二人もスキーに来たんですか?」

「ああ、そうだよ。もっともここに来る奴らは、スキーかスノボか温泉目当てがほとんどだろうけどな」

上田亮が、そう答える。よく見れば彼は、新品らしいスキーウェアを身に付けている。おそらく、今回の旅行のために、購入したのだろう。

一方、高宮浩(先程から一言も喋っていないが)の方は、祐一と同じ借り物のスキーウェアを着ていた。どうやら彼は、あまりスキーの経験はないようだ。

そして先程、上田がごついと表現したとおり、ウェア越しでも筋骨隆々とした肉体が内部に隠されているであろうことが、祐一には見て取れた。

顔も体格に合わせたような無骨な感じで、冬場だというのに髪を短く刈っている。剛健という単語を、身をもって表しているような人物だ。

一方の上田だが、彼は外見上だけ見ると、高宮とは全く正反対だ。線の細そうな顔にフレーム枠が狭い(最近の流行りだ)眼鏡を掛けており、長く伸びた髪の毛はゴムで縛られている。

どちらかと言うとひょろっとした体格で、多少軽薄そうな感じがする。もっとも、それは先程からのくだけた話し方から、そう思っているだけかもしれないが。

「それで、二人は会社の慰安旅行か何かでここにいらっしゃったんですか?」

「そんなところだな」

佐祐理の言葉に、上田はあっさりと答えた。

「でも、年度末って仕事も忙しいんじゃないですか?」

「普通はそうだが、今年は色々あったからな。年末年始、休み無しでぶっ通しで働いて、ようやく仕事が一区切り付いたんでということで、やっとこさの休暇だ。とは言っても、四月からはまたしばらく、休み無しの状態が続くんだけどな……」

上田は辛いことでも思い出したのか、大きく溜息を付いた。隣で黙って話を聞いている高宮も、連鎖的に鬱そうな顔をする。

「全く、実労働時間八時間だって? 全く、詐欺だよな……っと、こんなところで愚痴ってても仕方ないよな。それで俺たちは、折角のただ旅行だから使わなきゃ損だってことで、ここまで来たわけだ。ついでに言えば、美人の女性との出会いでもと思っていたんだが、こいつはどうも奥手だから……」

散々まくし立てた挙句、仏頂面の高宮を親指で差す上田。

「別に、そんなために来たわけじゃない」

高宮は、呟くようにして答える。

「何、言ってるんだよ。俺はな、こんな年になってデートの一つもしたことないお前のために、粉骨砕身の思いで世の女性たちを引き付けてるんじゃないか」

「そんなことは頼んでない」

暖簾に腕押しな会話を繰り広げる、上田と高宮。

「おっと、忘れてたな。宿泊先って言うのが、実はうちの社長の別荘なんだが、部屋が幾つも余ってるんだ。だから、三人くらいなら充分に泊まれるってわけだよ」

「へえ、自分の別荘に社員を案内するなんて、結構鷹揚なところがあるんですね」

祐一が言うと、上田は大袈裟に首を振って見せた。

「そりゃないって。要は新しく建てたスキーロッジを見せびらかしたいだけだよ。第一ただじゃなきゃ、どうしてあんな社長同伴の旅行になんか行くもんか。

結局、旅行に来るって言ったのは、俺らも含めて五人だけだからな。まあ、元々趣味もばらばらだし、いちいち会社行事に付き合おうって殊勝な考えを持っている奴が少ないからな」

「そう言えば、二人の働いてるのってどういう所なんですか?」

今度は佐祐理が質問する。

「まあ、ソフトウェア開発ってところかな。ホワイト・スノウって、聞いたことない?」

「いえ、佐祐理は知りません。祐一さんや舞は知っていますか?」

「いや、俺も知らないけど」

祐一は少し考えた後、そう答えた。だから舞が、

「……知ってる」

と言ったときは、二人して驚いてしまった。

「舞って、そういうこととか詳しいのか?」 こくりと頷く舞。

「……毒林檎を、悪い魔女に食べさせられる」

祐一はその時、舞が何を思ってそんなことを言ったのか分からなかった。しかし佐祐理が、

「舞、それは白雪姫だよ。確かに同じ名前だけど、そのお話とは関係無いの」

「……そうなの?」

その言葉に、男三人はずっこけた。祐一は、流石に舞のこういうところには慣れていたが、向かいの二人はその限りではないようで、まだ立ち直れないでいた。

ようやく我に返った上田が、頬をひくつかせながら話し始めた。ちなみに連れの高宮は、その体躯をふるふると震わせている。何故かは分からないが、どうやら相当ツボだったようだ。

「まあ確かに、ホワイト・スノウと言えばグリム童話の名作の名前でもあるけど……うちの場合は会社の名前だから……くくっ……」

再び、腹を捩らせて声を立てる上田。

「正確に言えば、株式会社ホワイト・ブレインの中のソフトウェア・ブランドの一つで……まあ、こんな話をしても仕様がないな。そういう会社があるってことさ。それで今回の旅行は、長い激務を戦い終えたホワイト・スノウ一同に対する慰安の意味も込められてるってわけだ」

戦いというのは些か誇張気味だと祐一は思った。

「けど、も……ってことは、他にも目的があるんですか?」

何かの打ち合わせを兼ねているのだろうか? と祐一は考えたのだが、それは外れていた。

「さっきも言っただろ、社長ご自慢の新築スキーロッジを見せびらかすためだ……と、噂をすれば影だ」

そう言うと上田は、奥の方からやって来た二人組を目配せで示した。一人は四十過ぎ、或いは五十くらいだろうか……やや鋭い目付きに、撫でつけられた髪の毛は白と黒が半々くらいだ。高級そうなベストに渋めの色のズボンを穿いており、腹は少し突き出ている。心なしか、顔が少し赤いようだ。

「あっちのいかにも中年っぽいのが、我らの社長だよ」

そう、少し皮肉を込めて言った。

もう一人の方は、淡い緑色の服を着て、カーディガンを羽織っている。手には白いコートと鞄を持っており、俯きがちに社長に随伴していた。年は二十代後半くらいだろうか……こちらはどちらかと言うと、心なし顔色が良くないようだ。それは先程の社長の顔色とコントラストを成して、余計に目立って見える。

「あの人は、娘さんか何かですか?」

祐一が尋ねると、上田は首を振った。

「いや、彼女は確か社長の付き添い看護婦だったと思うよ」

「付き添い看護婦?」

「ああ。社長は一年程前に心筋梗塞で倒れてね。心筋梗塞っていうのは二度目の発作が危険だと言うんで、半年くらい前から住み込みで雇ってるらしい。まあ、俺も顔は二、三度見ただけだから、良くは知らないけど……」

上田が高宮の方に、目で同意を求めると、

「確か、そうだったと思う」

そう一言だけ答えた。

「じゃあ、ちょっと聞いて来るから。君らはそこで待っていて。ほら、行くぞ」

上田と高宮は徐に席を立つと、フロントに向かう二人の方に向かって歩いて行った。

そして数分も立った頃だろうか……上手い具合に話が付いたのか、四人揃ってこちらへとやって来た。

「君たちかね、宿がなくて困ってるというのは」

社長らしき人物は、顔を少し赤らめて、ややスロウな口調で話し掛けて来た。

「あ、ええ、そうですけど……」

祐一が代表して口篭もりながら答えると、途端ににやりと顔を歪ませる。

「話は二人から聞いた。部屋は余ってるから、好きに使って良い。全く、さっきのレストランといい、ここは接客態度がなってないな。まあ、ぴしゃりと言ったら給士の奴ら、少しはマシになったが……」

いきなり祐一たちの前で愚痴り始めた。祐一たちが宿を預かれるようになったのには、彼がここの接客態度に不満を持ったという点が大きいようだった。それに先程から、微かに酒の臭いもする。どうやら、ここで酒を少し飲んだようだ。

「紹介が遅れたな……私は平瀬秀一郎と言って、さっき二人から聞いたと思うが、一応、会社の経営をやっている」

一応会社の経営……というのは、謙遜しているのかどうか、祐一には判断が付き兼ねた。

「ところで君たちは、何の旅行かね」

何の旅行……つまり、どういう目的で旅行に来たのか、平瀬秀一郎は尋ねているのだろう。そう思い、祐一が卒業旅行がその目的だと述べた。

「じゃあ、三人とも来年は大学生か……」

「いえ、俺だけは高校三年生です」

言ってから、仮にも社長という身分の人間に、俺という言い方を使ったのはまずかったかなと思ったが、相手は気にしていないようだった。

「そうか……まあ、若い頃の思い出というのは何であれ良い思い出だからな。このホテルを選んだのは失敗だったみたいだがな」

秀一郎はさっきの話題を蒸し返すと、祐一の方には興味を無くしたようにこう言った。

「じゃあ、私は倉木くんと一足先に戻っているから」

倉木というのは、隣の女性の名前なのだろう。ともあれそう言い残すと、二人は外に出て行った。

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