第二話 白雪姫の従者たち

 

しばらくの沈黙の後、佐祐理が口を開いた。

「あの、それで、これからどうするんですか?」

「他のメンバが来るのを待つよ。このロビーで待ち合わせってことになってるんだが、まだ俺たちの他には誰も来てないようだから……」

「この旅行に来ているのは、五人だと言ってましたよね。他にはどんな人が来ているんですか?」

「えっと、社員の方では五人で、実際にこの旅行に来てるのは九人だよ。俺と浩に……」

上田亮が、高宮浩の方を差してからカウントする。

「それに、こいつと同じプログラマの半田徹、CGデザイナの御厨司、最後にSE……サウンド・エフェクト担当の五反田成海。後は平瀬秀一郎社長に、夫人の平瀬峰子、付き添い看護婦の倉木光、運転手の権田……下の名前は覚えてないな。これで全部かな」

いきなり名前を列挙されてしまったが、当然の如く祐一の頭には入っていなかった。

「本人が紹介した時に追々覚えて行けば良いさ。雪もひどいようだし、そろそろ皆帰って来ても良い頃なんだが……」

そう、上田亮が言い掛けて、入口の方に目を止めた。彼の目線を辿って行くと、そこには真紅のウェアを着た女性が立っている。髪は舞のように、後ろで一つに束ねている。彼女の方でもこちらを見掛けたのか、一目散に向かって来た。

「ここにいるのは、あなたたち二人?」

小柄な体格からは想像できない、ハスキィな声だった。身長は佐祐理よりも二周りほど小さく、一五〇センチくらいだ。と、その目が舞と佐祐理の方に向く。

「ところで、この娘たちは? まさか、ナンパして連れて来た女の子ってわけじゃないでしょうね」

目をキラリと光らせ、冷やかすような口調で問い掛ける女性に、上田が慌てて手を振った。

「違うって。ホテルの手違いで泊まる所がないって言うんで、うちのロッジに来ないかって誘ったんだよ。それにほら……」

そう言って、上田は祐一の方を指差した。

「二人には、立派な騎士様が付いてるんだからな」

すると女性の方も、こちらを見る。そして興味深そうな眼差しで、品定めを始めた。

「ふーん、頼りなさそうな騎士だけど……」

率直な意見に、祐一は『ほっといてください』とツッコミを入れそうになった。だが、初対面の女性にそんなことを言うのは失礼(それならば、初対面の相手に頼りなげというのも失礼なのだが)だと思い、言葉を飲み込んだ。

「ところであなたたち、三人で来たの? それとも、まだ他に連れがいるの?」

「いえ、三人ですけど」 祐一が言うと、今度は好色そうな眼差しを向ける。

「成程……で、どっち狙いなの、君は」

祐一はその問いに、思わず咳込んだ。明らかに動揺していることがみえみえで、何だか気恥ずかしかった。

「よく、初対面の相手にそんなこと聞けるな?」 と上田。

「あら、あなたたちも聞いたんじゃないの?」 と女性。

「幾らなんでも、そこまでは聞かないって。俺は礼節を重んじるタイプだから」

その言葉を意図的に無視すると、

「それで、どうなの? まさか、二人ともってことはないわよね」

と平気で恐ろしいことを尋ねてくる女性。

「違いますよ。二人は俺の親友で、別に狙ってるとかそんなことはないんです」

祐一はそう答えたが、実を言うと全部が本当ではない。だが、それは言う必要のないことだ。女性は祐一の発言に、疑わしそうな視線をまじまじと向けていたが、やがて思い出したように話題を変えた。

「そう言えば、まだ名前とか聞いてなかったわよね。君の名前は?」

何か、言いように扱われているな……そう思いながら、祐一は名を名乗る。

それに、佐祐理と舞が続いた。

「君が相沢祐一くん、そっちの宝塚で男役でもやってそうな背の高い方が川澄舞さん、でリボンの娘が倉田佐祐理さんね」

奇妙な例えだが、的はあながち外していない。

「私は五反田成海。上田さんと高宮さんと同じく、会社の旅行でここに来てるの」

「補足するなら、社員の中では紅一点。泣く子も黙る、若頭」

上田がにやにやと笑いながら言うのを、成海は冷たい視線で返した。

「あははっ、冗談だって」

そんなやり取りに、半ば呆然としてその様子を見つめる祐一に、高宮がそっと耳打ちした。

「気にしないでいい。あいつはいつでもあんな調子だから」

そう言って、仕様が無いなという表情を見せた。それは成海という女性に対してなのか、若しくは誰に対してでもあんな態度なのか……今までの様子を見る限りでは、後者の算段が強そうだ。

「それより、あとの二人は見かけなかったか?」

話題を変えて、成海にそう訊く上田。

「半田さんは知りませんけど、御厨さんならさっき更衣室に入って行くのを見ましたよ……と、私も早く着替えて来なきゃ。このウェア、借り物だし」

残ったメンバの所在について話すと、返す刀で更衣室へと走って行った。

「……忙しないなあ、あいつも」 上田が一言そう漏らすと、

「取りあえず、御厨さんはもうすぐ来るとして、後は半田さんだな」

高宮がそう付け加えた。

「そうだな。半田さんだけは行方知らずか……あの人がいないとロッジに帰れないな」

「え、何でですか?」 祐一が尋ねると、

「彼が車の鍵を持ってるからだよ」 上田の答えは単純明快なものだった。

しかし、その心配はなかった。五反田成海が二人の男性を引き連れて、戻って来たからだ。

成海は幾何学模様のセーターにソフト・ジーンズを、丸眼鏡を掛けた几帳面そうな男性は紫のウェアを身に付けていた。もう一人の男性は、同じく眼鏡を(こっちは四角っぽい形をしていた)掛けて、パーカー付きの服にジーンズを穿いていた。

「いや〜、参った参った、雪と風がひどくてね」 ウェアを着た男性が、雪を落としながら言った。

「本当、もう一歩先も見えない感じでしたよ」 パーカの男性が、頷きながら言う。

「係の人の話では、夜スキーの方も無理そうだということだったよ」

ウェアの男性は、心底がっかりとした様子だった。彼が手に持っているスキー板は年季が入っており、相当スキーをやり込んでいるのが窺い知れた。

「確かに、外は相当ひどそうですしね」 上田が窓の外から見える光景を見ながら言った。

「でも半田さん、運転の方は大丈夫ですか?」

それからウェアを着た男性に向かって尋ねる。

「まあ、なんとかなるだろう。それより、そこの三人は?」

「ああ、彼らはですね……」 途端に丁寧な口調に変わる上田。どうやら彼よりも、ウェアの男性(半田と言う名前で呼ばれていた)は立場が上らしい。

上田が説明すると、半田と呼ばれた男性は、祐一たちに同情的な視線を寄せた。

「それは確かに難儀だったね、相沢くんに川澄さんに倉田さんか……私は半田徹と言って、彼らと同じ会社に勤めている」

「僕は御厨司、二十五歳、独身。まあ、既婚者だったら、こんな旅行には参加してないと思うけど……」

続いてパーカの男性が、そう自己紹介した。それはともかく、何故上田といい彼といい、独身であることを強調しているのだろうか。もしかして、流行りなのだろうか? そんなことを考える。

「さて、これで全員が揃ったわけだな」 半田徹がメンバを見渡して、そう確認した。

「じゃあ、急いでロッジの方に戻ろう。これ以上、吹雪がひどくなると危険だしな。誰か、やり残したことや忘れたりしているものはないか?」

まるで引率の教師のような口調に、皆が揃って首を振った。

フロントに断りの言葉をいれ外に出ると、叩きつけるような風と雪が、祐一の体を容赦無く苛んだ。雪と風の勢いは、ホテルに戻って来た時よりも更に強まっているようだった。たとえ雪国の山間部であっても、これは少し異常ではないかと祐一は思う。

ホテルから少し離れると、既にそこから漏れる光が蜃気楼のようにぼやけて見えた。時折、辺りから見える自動車のライトも、すぐに雪のために掻き消されてしまう。

「こんな天候で、車を運転して大丈夫か?」

祐一は不安になって、佐祐理に尋ねてみた。

「多分、大丈夫ですよ」

多分という言葉に若干の不安を覚えたが、他に選択肢がない以上、身を委ねるしかない。二度、自分の迂闊さを呪いながら歩いて行くと、ようやく車の所まで辿り付いたようだった。

車は大型のワゴン車で、八人なら詰めればギリギリ乗れるといった代物だった。席は前・中・後に分かれており、舞・佐祐理・五反田成海の女性軍が後部座席に、祐一・上田亮・御厨司の三人が中部座席に、助手席に高宮浩、そして運転席にに半田徹がそれぞれ腰掛けることになった。

上田と半田が自分のスキー板を車の上のアタッチメントに固定すると、雪を払うのも忘れて中に掛けこんで来た。エンジンは寒さで堪えているのか、散々曖昧なエンジン音を振り撒いた挙句、ようやくのことで動き出した。

「四時四十五分か……着くのは五時過ぎだな」

エンジンが掛かると共に表示されたデジタル表示の時計を見て、半田がそう呟く。

ゆっくりと動き出した車の中で、祐一は無事にロッジまで着くよう、何かに祈った。

 

「それで、君たちはどの辺から来たの?」

車が走り出して間もなく、祐一の隣に座っている御厨司が、話し掛けて来た。どうも先程から、彼は祐一に興味に似た視線を投げかけているような気がした。

祐一が住んでいる町の名前を言うと、

「ふーん、ここからすぐ近くなんだな」

などと相槌を打った。近いと言っても、電車とバスを乗り継いで一時間ほどかかる。それでも、向こうにとっては結構な近場と思えるらしい。

「それで、そちらの方は何処から来たんですか?」

祐一が尋ねると、運転手の半田徹が答えを返す。

「仙台の方からだよ。そこから高速を使って、自動車で三時間強ってとこかな、ここまでは」

そこまで言うと、半田は大きな欠伸をした。

「高宮くん、そこのダッシュ・ボードの中にガムが入ってるだろう。ちょっと取ってくれないか、出来れば銀紙を外してくれると嬉しいが……」

助手席の高宮浩が、ダッシュ・ボードを開ける。中には免許証やパンフレットに混ざり、ミント味のガムが入っていた。ラベルには眠気スッキリと書かれてある。そこからガムを一つ取り出すと、高宮は銀紙を外して半田に手渡した。

「眠たいんなら、運転替わりましょうか?」 上田が声を掛けると、

「いや、単なる用心のためだよ。規則正しい起床というのは久し振りだからね」

そう半田が答えた。

「規則正しい起床って?」 半田の一言が疑問に思えた祐一が言った。

「うちは仕事の関係でしょっちゅう朝と夜とが引っ繰り返ることが多くてね。最近は朝の七時と言ったら、ちょうど床に就く時間だったから」

さも当たり前といった口調で話す半田。午前七時と言ったら、いつも祐一が起きる時間だ。そんな疑問を汲み取ったのか、御厨が言葉を繋ぐ。

「そう言えば、話してなかったかな。うちはゲームの開発をやってるんだ」

「ゲームって、PSとかDCとかそういうやつですか?」

祐一自体はゲーム機というものは持っていない。転校する前の学校では、友人の家でやったことがあるくらいだ。あとはゲームセンターで暇潰しをする時くらいだろう。

「いや、うちが手掛けてるのはWIN系のソフト。つまりはパソコン用のゲームだよ」

パソコンと言えば、祐一にはますます縁遠い世界だ。

「ホワイト・ブレインという会社は元々、ハードの方の販売をやってた所なんだ。それが七年前に、ソフトの方にも手を出すようになった。そして二年前に、ゲーム開発の部署として出来たのがホワイト・スノウという所だよ。ちなみに会社員総数が二百二十四名、その内ホワイト・スノウのスタッフは二十名ほどだな」

そう、半田が充分過ぎる補足をする。他にも、デバッグ時には他の部署から社員を引っ張って来るとか色々と話していたが、その辺りのことは祐一の頭にはほとんど入っていなかった。

「良く覚えてますね、そんなこと」 上田亮が感心した調子で言う。どうやら会社員といえど、自分の所属している会社の全てを把握しているわけではないらしい。

「でも、そういう開発って色々大変って聞きますけど」

後ろから、倉田佐祐理が話し掛けて来る。見ると隣では、川澄舞がじっと雪の吹きすさぶ光景を見つめている……と思ったら、ただうつらうつらしていただけだった。舞といえど、初めてであんなにスキーを楽しめば、疲れも出るのだろうと祐一は思った。

「ああ、プロジェクトが動き出したら、俺たち全員一ヶ月は会社の中に監禁……」

上田が大袈裟な口調で話しだすと、五反田成海が後ろから突き倒した。

「嘘を教えないの。まあ、確かに会社で泊まり込んだりすることもあるけど、それは納期も大分迫って来た時くらいよ。第一、そうなるのも上田さんがシナリオ書くのが遅いからだと思いますけど」

上田の言葉を訂正すると、そう鋭く言い放つ。当の上田はといえば、頭を押さえながらも情けない表情で言い返した。

「良い話を考えるのには、それなりの時間が掛かるんだよ。こればかりは、あがいてもどうしようもない。ただ、天からアイデアが降ってくるのをひたすら待つのみ……」

「で、後になってプログラマの方に皺寄せが来る……と」

半田が皮肉混じりに言うと、上田は言葉が詰まったような顔をする。

「ははっ、冗談だよ、冗談」

「……冗談になってないですよ、半田さん」

高宮がその容姿に似合わない情けない声を出したのが可笑しかったのか、皆が車に溢れんばかりの笑い声をあげた。勿論、祐一と佐祐理はその中には入っていなかったが。

そして舞は、そんな周りの様子を気にすること無く、気持ち良さそうに眠っていた。

「それで、そのホワイト・スノウってところで作ってるのは、どういうゲームなんですか?」

笑い声がひとしきり収まったところで、祐一は誰にともなく質問する。ゲームと言っても、RPG、シミュレーション、アクション、シューティング、アドベンチャ、パズルなど、様々な種類があるからだ。

「うちは専らアドベンチャだね。選択肢と文章で話を進めて行くタイプ」

祐一には縁のないタイプのゲームだった。ただ、どんな話かは興味があったので、一応そっちも訊いてみることにした。

「まあ、特に決まってないな。ミステリ系だったり恋愛系だったり、ホラー系だったり……」

自分が書いた話なのに、上田はまるで他人の物のようにそれらを語った。或いは、説明が面倒くさいだけだったのかもしれない。実際に説明をしたのは御厨だった。

恋愛系というのは、主人公が数年ぶりに訪れた町で思い出と再会するという、どこかで聞いたことがあるような話だった。

ミステリ系というのは、いわゆる推理に頭を働かせるというタイプのものだった。

最後のホラー系……これが、ホワイト・スノウがつい最近まで開発していた、いわゆる最新作らしい。ホラーと言っても、もっと抽象的な話だった。

主人公の住む世界は、夢が力を持つ世界。その人間の持つ夢の力が大きければ大きいほど、思うが侭に現実も操ることが出来る世界。そして、その力を行使出来る一握りの人間が支配する世界。

人を弄び、永遠ともいえる時を生き、色を下司の好むような方法で満たし、無慈悲に死を振り撒く。悪魔のような圧倒的な絶対者に対して、夢を操る主人公たちが戦いを挑むという話だった。

祐一には、どんなストーリーなのか想像することは出来なかったが、何故か心の隅に引っ掛かるような奇妙な感覚を覚えた。

夢。

甘美なる夢が支配する世界。

同時に、絶望が人の心を満たしている世界。

そんな光景を、祐一はどこかで見たことがある……そんな気がした。

それが何かは分からなかったが。

そんな胸がざわめく思いを隠すために、祐一は別の質問をした。

「でも、その会社のスタッフって二十人以上いるんでしょう? で、旅行の参加者がたった五人って少なくないですか?」

すると上田が首を振って、祐一の考えを否定した。

「今回のは別に強制ってわけじゃないし、既婚者は家族サービスがあるから、一人でこんな旅行に来たりしないよ。それに会社のしがらみに縛り付けられたくないっていうのもいるし、スキーよりも大切な用事があるっていうのもいる。今回、五人も集まったのは奇跡みたいなものだよ」

奇跡というのは言いすぎな気がしたが、彼には話を大袈裟にしようと企んでいるような節があったから、祐一も気にしないことにした。

そのため、しばらく車の中での会話が止まってしまった。そういう音が途切れると、途端に先程までは気にならなかった音が聞こえて来るようになる。

最大速で動くワイパ、風と雪とが唸りをあげて次々と通り過ぎる音、エンジンの音、車が小刻みに振動する音、ガムを噛む音、腹の虫が鳴る音。

「……ごめん、さっきの俺」

腹の虫を鳴らした主が、そう自己申告する。それは上田亮だった。

「夕飯は、もう準備できてるの?」

上田が成海の方を向いて言う。

「昼食食べて、すぐにロッジを出たから全然準備してません。帰って少し休んでから料理を始めるでしょうから、夕飯は七時過ぎになりますよ」

その言葉に、上田はえーっと文句がこもった声を出した。すると、成海の声が再び鋭くなる。

「第一、上田さんは席に座ってスプーンを叩きながら催促してただけでしょう。少しは高宮さんや半田さんを見習って、料理に協力して欲しいですね」

あてこするように言ったので、上田は今日二度目の敗北的沈黙を余儀なくされた。

それにしても……祐一は前の方を見た。どちらかと言うと無骨な感じのする高宮に、家事全般が苦手そうに見える(それは祐一の偏見かもしれないが)半田。

「二人とも、結構料理が上手だから驚きましたよ」

「野外で料理とか、学生の時はよくやってたから」 と高宮。

「私は独身生活が長いからね。料理も自然に身に付いたというところかな」

落ち付いた様子で半田が答えると、

「でも半田さん、俺より二つ年上なだけでしょう?」

上田が冷やかすように言った。ということは、半田は丁度三十歳ということになるが、祐一にはとてもそうは見えなかった。少なくとも、もう少し年がいっているように思える。それは、この中で一番冷静で落ち付いた感じがするところか、或いは髭を生やしているせいか……そんなことを考えていると、

「もしかして、そんな年には見えないとか思ってないか?」

御厨が口を歪めて言った。祐一はそんなことないと答えようとしたが、動転して声が出なかった。

「構わないよ、老けてるって言われるのは慣れてるからね」

乾いた笑い声をあげながら、半田がフォローを入れてくれる。それでも、この中ではおそらく最年長なのだろう。五反田成海が、彼よりも年上だとは全く思えなかったから。

「昼食は、三人で作ったんですか?」 佐祐理が尋ねると、

「いや、倉木さんも手伝ってくれたけど……」

倉木というのは先程、平瀬秀一郎と一緒にいた看護婦のことだろう。

「どうした、鹿爪らしい顔をして」 と上田。

「わたし、どうもあの人のこと、好きになれないのよ」

僅かに顔を歪ませると、成海は小さな声で言った。

「あの人、私が話し掛けてもほとんど会話とかしようとしないし、そのくせ社長には過剰なほど愛想を振り撒いてるし……」

「成程、女性は男に媚びる同性を快く思わないってやつだな」

「……そういうわけじゃないけど」

否定はしたが、少しは図星だったのだろう……言葉の尻は聞き取れないほど小さかった。

「でも、それってあながち外れでもないかもしれませんよ」

御厨が目を光らせると(実際には眼鏡が光ったのかもしれないが)話を繋ぐ。

「社長の車を運転している、確か権田って言ったかな? 彼がぼやいてました。社長夫人、車で移動の最中、一言も口を聞かずに倉木氏の方を睨んでたそうですよ。物凄い険悪な雰囲気で、息が詰まりそうだったって。多分、三人の間には並々ならぬ関係が……」

と、御厨はそこで言葉を切った。しかし、彼が何を言いたいのかは誰が考えても明白だった。

「それはないよ」 と半田。

「でも、最初はそうじゃなくても、あんなに若くて美人なんだから、そういうこともあるんじゃないの?」

上田がさも納得げに頷く。高宮は興味なさそうに、前を見ているだけだった。彼はこういうゴシップには興味がないのだろう。根拠はないが、そう思えた。口数が少なく、やや非社交的……なんとなく、後で眠っているお姫様に性格が近いなと祐一は思った。

「そう言えば社長、妻が手製の料理を振る舞ってくれる予定とか話してたけど、結局奥さん、厨房の方には出て来なかったし。やっぱり機嫌悪かったのね。社長は風邪気味だって言ってたけど、あれは多分嘘よ」

成海が断定的な口調で言うと、二、三度意味ありげに頷いた。

「まあ、この話はやめよう。どう言ったって推測の域は出ないし、あまり愉快な話じゃないしな」

上田がそう締め括ると、

「そう言えば、今日の夕飯は何なんだ?」 今日の夕食の献立へと話を向けた。

「えっと、一応カレーとポテトサラダの予定だけど」

「なんか定番だな、それって」

「……嫌なら、別に食べなくても良いんですよ」

「別に嫌なんて、一言も言ってないって。いや、ありがたく頂かせてもらいます」

両の掌を合わせると、そっと成海の様子を窺う上田。何か滑稽な光景だ。

「宜しい」 そう偉そうに答える成海。

あまり、会社の上下関係が感じられないなと思う祐一だった。

そんなことを話している内に、前方の方に微かな光が見えて来た。

「あれが、ロッジですか?」 祐一が訊くと、

「この辺りには他に建物はないからね。もしそうじゃなかったとしたら、恐いと思うよ」

半田はさらっと言ったが、誰も突っ込む者はいなかった。

それからしばらくもしない内に、車はロッジに到着した。隣には黒塗りの高級そうな車が停まっていたが、半ば雪に埋もれていたために、どんな車種かは検討が付かなかったし、ますます雪と風が激しくふきすさぶ天候のため、調べる気も起きなかった。

ロッジの外観もあまり見えなかったが、よくドラマで見るような木造の二階建てで、取り立てて変わった所はなかった。祐一は荷台に詰んでおいた荷物を取り出すと、まず佐祐理と舞の分の荷物を手渡し、最後に自分の荷物を取り出す。

舞は目を細めて、非常に眠たそうだった。うつらうつらしているのが、非常に危なっかしい。

しかし、荷台には一つ荷物が余っている。祐一は、後ろの方で待っている半田に尋ねてみた。

「まだ荷物が残っているけど、持って行かなくて良いんですか?」

「高宮くんの荷物だね。それは、そこに置いといていいよ」

「それならいいですけど。でも、何が入ってるんですか?」

「ああ、それはね……」 半田は可笑しさを噛み殺したような顔をすると、

「登山用具だよ」

「登山用具って、どうして?」

「いや、彼は雪山登山できるような山があると思っていたらしくてね。もっとも、この辺りにそういう山はないようだが……というわけで、この中には登山用具一式が詰まっているんだ」

結構、うっかりした所があるんだな……祐一は少し可笑しな気分になった。

「忘れ物はないね、じゃあ閉めるよ」

荷台のドアが大きな音を立てて閉まる。それから全てのドアが閉まっているのを確かめると、車の鍵をポケットに収めた。

それからスキー板を外すと(上田は既に、自分の板を持って先に行っていた)仄かな二つの灯火が光る玄関へと歩き出した。多分、あの灯火がなければ、どこが玄関か分からないだろう。今や、それほど吹雪は強くなっていた。

祐一、舞、佐祐理の三人は慌てて後に続くと、屋根に入り体に積もった雪を払った。僅かな距離しか歩いていないのに、それはかなりの量だった。

「凄い吹雪ですね」 と祐一。

「ああ、こりゃ春嵐ってやつだな。それにしたって、春先にここまで強い吹雪も珍しい……」

半田がそう言った時だった。吹雪の発する音に混じって、僅かに何かが破裂するような、奇妙な音がしたような気がした。それに、怪しげな光も。

「佐祐理さん、何か変な音がしなかったか?」

「ええ、何かが爆発するような……舞は何か聞きましたか?」

佐祐理が舞に訊く。だが、舞は目を細めたままで何も答えようとしなかった。

「彼女、相当眠たそうだね」

そんな舞を見た半田が、微笑を浮かべながら言った。

「半田さんは聞きませんでしたか、変な音」

「うん、確かに聞こえて来たような気がした。雪崩じゃなければ良いんだが」

だが、しばらく待ってみても雪崩がこのロッジを襲って来るような様子はなかった。舞は相当眠たそうだったので、いい加減、中に入ることにした。

「どうやら、雪崩じゃないようだね」

不安そうな表情をしていたのだろうか……半田がそう付け加えた。

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