0 まえがき

 クリスマスと言えば、皆は何を思い浮かべますか?

 神にして精霊に同する御子キリストの生まれた日? ええ、そう思うことはとても敬虔なことだと思います。例え報われなくても、何かに祈りを捧げることはそれだけでとても尊いものですから。

 それとも大好きな恋人とたくさん愛し合える日? 良いですね、きっと冬の冷たい空気をも二人を暖かく包み込んでいるのでしょう。でも、余り惚気過ぎて不興を買わないようにしましょうね。それほどの想いを持つ二人なら、クリスマスでなくいつでも、お互いを満たしあうことができるはずです。

 大好きな家族や友達と新たな親交を深めあう日? 美味しい料理と荘厳に飾り付けられたもみの木、何よりもパーティの和気藹々とした雰囲気は、友情や親愛をより確固たるものにすることと思います。

 そうですね、きっとクリスマスという日は皆にとってそれぞれ違う意味を持つものなのでしょう。しかし、やはりクリスマスと言えば先ず、一つの存在を思い浮かべるのではないでしょうか。白い袋を下げ、赤の毛皮で全身を包み、恰幅良い体型と親しみすら覚える白い髭、鳶色の瞳――そう、サンタクロースです。

 勿論、サンタクロースは実在します。ただ、私達が一般に信じ込んでいるサンタの知識というのは間違いだらけです。これから私はサンタに関する一つの物語を記そうと思っています。しかし、先だって人間がサンタに対して抱いている間違いを正す必要があるでしょう。そうでなければ皆は、この物語を荒唐無稽なものだと考えてしまうでしょうから。

 先ず、彼らは人間ではありません。精霊の別つ子達、天使が姿を変えているのです。皆さん、よく考えて下さい。子供は全世界に何億といるのですよ? 羽根もない人間に全てを賄いきれるはずないではないですか。でも、天使は全世界に三億人以上(正確には三億百六十五万五千七百二十二人と言われています)もいますから、ちょっとばかり協力すれば子供達にプレゼントを配ることができます。だって、彼らは空を飛べるのですからね。

 けど、最近は天使より人間の数の方が多くなりましたから、流石に一仕事です。しかし、子供の夢や希望を壊すわけにはいけません。だからこそ、エンジェルやアークエンジェルといった位の低い天使たちだけでなく、セラフィムやケルビムといった高位の天使たちも等しく子供達の為に働くのです。当然、クリスマスが近付くと天使達はばたばたと非常に慌しくします。サンタの服装に着替えたり、プレゼントの確認をしたり、チェックすることはたくさんあるのです。

 それでも、今までは何のトラブルも無しにプレゼントを配って回ることができました。大抵の天使は人間よりも賢明ですから。しかし、例え天使であっても絶対はありません。そして、その間違いこそが物語の始まりを彩るのですが、ここでもう一つ、皆さんがサンタクロースについて誤解していることを語らなければなりません。

 日本に住んでいる皆様には分からないかもしれませんが、世界にはクリスマスを炎天下で迎えるところもあるのです。南半球の――例えばオーストラリアでは、サンタクロースは毛皮のコートなんて身に着けていません。炎天下にコートだなんて馬鹿げてますし、雰囲気に合わないことは容易に想像がつくと思います。だから、オーストラリアのサンタクロースはサングラスに派手な海パン、そして袋を担いだままサーフィンボードに乗ってやって来ます。いやはや、何ともファンキィではありませんか。

 さて――もうお分かりですね。

 それでは二〇〇二年のクリスマス・イヴ、日本にやって来た一人のサンタクロースに視点を合わせることにしましょう。

―聖夜に捧げる堕天使の物語―

1 フォールン・エンジェル

 ひゃっほう、遂にこの日がやってきたぜい。え、お前は誰だって? 嫌だなあ、この俺のことを忘れたのかよ。この、紫外線を九十九パーセントカットする最新デザインのサングラス、放送禁止ギリギリまで際立った迷彩色のハイレグビキニパンツ、ドクロのマークが入ったサーフィンボード、そしてプレゼントの入った袋、何より今日がクリスマス・イヴであることを考えりゃ答えは明白じゃないか、えっ? そう、サンタクロースだよ。いやー、この日に備えて鍛えてきた肉体は鋼のように引き締まってるねえ、これで少年少女の心をがっちり掴むこと間違い無しさ。まあ自慢するわけじゃないが、俺ほどサンタクロースらしいサンタクロースなんて他にいないと思うね、本当。サーフィンだって、血の池や炎の海の中でしっかりと磨いてきたからな。はっきりいって、そこら辺の脆弱なケルビムとかセラフィムの野郎にだって負けたりしないのさ、はっはっは。何? 俺は誰だって? そうさな、人間の中で一番通ってる名前がルシファって言えば分かるかい? 神に背く大逆を侵して、もう少しという所で神様の稲光に当てられて地獄の果てにまっさかさまさ。まあ、その辺の物語はミルトンって奴が詩としてまとめているから、それを参考にしてくれや。それに俺も、あんな昔のことなんて覚えちゃいねえ。俺は過去は振り返らない主義だからな。

 それで? その堕天使が何でサンタなんてやってるのかって? それがさあ、笑っちゃうぜ。何と人間が天使より増えちまってよ、今いる天使を総動員しても手が足りないんだとさ。それで、地獄の果てに落ちちまってお羽根が真っ黒けっけな俺達にも仕事が回って来たってわけよ。今頃、こことは別の場所でベルゼバのくそったれも、サンタクロースに精を出してるってわけさ、あっはっはっはっは、洒落にもなりゃしねえ、全く世も末とはこういうことを言うんだな。まあ、報酬はたんまり頂けるし一年に一度は地上の光を拝むのも悪くない。それにまあ、人間だって二百年もすれば恨み言を水に流すって言うじゃないか。もう二万年以上も経ってるんだから、俺達も諍いを水に流しても良いんじゃないかってことになったわけさ。神様ってのも最近は随分とリベラルになったじゃないか、まあ良いけどな。俺だって今更、人間の魂なんて弄んで暮らしてるわけじゃない。まあ、地獄も地獄で住みやすいところではあるのさ。何処でも住んでみれば天国にならない場所はない、誰の言葉かは知らないが良いことをいう奴もいるもんだな。いやあ、人間も猿同然の分際から随分と偉くなったねえ。

 おっと話が逸れたな。で、俺のサーフィンテクを人間どもに見せ付ける為、ついでにプレゼントも配る為にこうして地上に出てきたって訳さ。月は出ているか? ちっ、曇ってやがる。まあ良い、曇だろうと俺の熱狂的なファンはメルボルンやシドニィ中にいるってもんさ。待ってろよ、クソジャリども。今夜はさぞかし楽しいクリスマスになるだろうな、ひゃー、はっはっはっは、あひゃーっ、はっはっはーーーーーーっくしょん。畜生、なんか随分寒いな。今年は特別に冷夏なのか、いやしかし鍛え上げた肉体はこれしきで根をあげやしない。この肉体美は晒されてこそ真の価値を持つのだ、ああ畜生、体が火照って来たぜ。いざゆかん、魂あらぶる海岸線へ。クソジャリども、待ってやがれ。

 そろそろオーストラリアの海岸線が待ち受けてやがる頃だな、よし高度落として臨戦態勢。今年の波はどのような姿で俺の魂を掻き立ててくれるんだ、教えてくれ数多の星々よ――ちっ、曇っていて全然見えやしない。全く、粋を理解しない天候だぜっ。にしても寒いぞこん畜生――俺の肉体はそんなに柔だったのか、ガッデムシット。違うぞ、俺は例え絶対零度の中にあっても燃えるのだ。さあ、着水――うわやべえよこれ本気でつめてえよかあちゃん助けてくれ――のおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっ!! お前それでも天使か。この程度の海水でいもしないかあちゃんに頼るほど情けないのか、お前はっ! 否、断じて否。俺は、この荒波と一体となって不死鳥の如く激しく燃える。「やーーーーーーーーってやるぜえっ!!」魂の叫びが海に木霊する。呼応するかのように打ち寄せる数十メートルもの波がカミングイン。ナーイスだっ、海だけは俺の気持ちを理解してくれてるに違いない。だがしかし、俺はお前を捻じ伏せる。荒波が打ち寄せる、それは俺の体を急激に浮き上がらせていく。水は相変わらず氷のように冷たいが、もう俺は気にしなくなっていた。後は海岸を埋めるクソジャリどもの群れだ。さあっ、この俺をあますことなく存分見ろっ! 余裕を込めて海岸線を眺めると――嘘だろおいおい誰もおいねえじゃないかざけんじゃねえぞ、俺様を誰だと思っている稲光にも負けず神様に闘いを挑んだルシファ様だぞ。余りにショッキングな場面だった、だから俺はここで一つミスを侵しちまったのさ。サーフィンから滑り落ちたんだよ。

 気付いた時には遅かった。俺は何十メートルも落下し海に叩きつけられ、更に鉛のような硬さの波を一身に受けて――今思い出してもいいパンチしてたぜ――意識の底へとフォーリンダウン。全く、神様にも闘いを挑んだあのルシファ様が海で溺れたっていうんだ、冗談じゃねえって思うだろ。けどくそったれなことに本当なんだよ。ベルゼバの野郎に後で散々笑われるなと思いつつ、後は暗闇の世界しか残らなかったのさ。

2 エンジェル・トーク

 目が覚めると女のジャリが俺の顔を覗き込んでいた。やめれ、そんなにじーっと見るな。俺は視線を避けるように立ち上がる。女のジャリは驚いたようだった。

「わ、目覚めた」

 目覚めたわい、そんなにじっと見つめられたら誰でも起きるわ。今何時だ? 俺は20G耐水デジタルウオッチを覗き込んだ。オーストラリア時間でクリスマス・イヴの午前八時。やべっ、あと十六時間しかないぞおいどうするんだよ、っていうか俺の袋何処だよっ! あん中にジャリどもへのプレゼントが入ってるんだ、あれがないと金を貰えなくてギャンブルの借金払えねえぞ畜生っ! 俺はジャリを睨みつける、お前かっ! お前が盗ったんか?

 しかし、ジャリはぽやっとした顔で首を傾げるだけ。ざけんなそれで誤魔化せれば警察も神様もいらないぞ。

「おいジャリ、手前が盗んだのか!」

 しかし、ジャリは目を点にしている。それからああ、気付いた気付いたとばかりに手をぽんと打ち、ようやく口を開いた。ったく、鈍いなこいつは一番腹立つタイプだ。

「えっと――私の名前はジャリじゃありません」

 ジャリはほやーっとした口調で要領を得ないことを言う。というかこいつの話し方無茶苦茶おそっ! ああもう、腹立たしいっ!

「野々宮蛍っていいますのですよ、覚えてくれましたか」

 誰もお前の名前なんか聞いてない――っておい、ちょっと待て。よく考えてみれば、何でオーストラリアなのにあの独特な訛りががあるオーストラリアン・イングリッシュを話さない? 何故、日本語なんて辺境言語で話すんだ?

「おいジャリ」

「ののみやほたる、ですっ!」

 ジャリは長い髪をひらひらさせながら、ずずいっと詰め寄ってくる。意外な迫力だが、それくらいで神様に挑んだ天使を怯ますことなどできないのだ。しかしまあ、話が進まないから折れてやろう。天使たるもの、愚鈍な人間には寛容にならないとな。

「ののみやほたるっ!」

「はいっ、何でしょう」

 名前を呼んだだけなのに、ジャリ――もとい蛍は、にこにこ笑っている。神様だって、こんなに天真爛漫な笑顔は浮かべないというに、こいつの顔と来たら平和そのものだ。むかついたが、むかついたからといって暴力に訴えていては何も進まない。俺だって二万年もの地獄生活の中で多少は落ち着いたのさ、ベイビー。

「白い袋はどこやった?」

「ふくろ――ああ、あのぐちゃぐちゃになった玩具のたくさん入った袋のことですね。それでしたら、燃えるゴミと燃えないゴミにきちんと分別してますあからご安心ください」

 なんだそうか、それなら安心――――って、ええッ!! おいちょっと待てなんか今さらりと聞き捨てならんことをほざかなかったかこのジャリはっ!

「ゴミっておい、ゴミってどういうことだっ! 俺の、俺の運んできた玩具はどうなったんだよおっ!」

「ですからゴミに――」その終わりを待たずに俺はゴミ袋を漁った。そこには原形を留めていない玩具やびりびりに破れた本、ふやけきったお菓子などで溢れている。無事なものは一つもなかった。

「ノオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!」俺は思わず全力で叫んでいた。「プレゼントがあっ! ジャリどもに配って回る玩具や菓子が全部台無しだあッ!」

「――――まあ、それは大変なのですねえ」

 こいつは何も分かっていないっ。

「大変じゃねえよ。お前、俺が何者なのか分かってるのか?」

「えっとぉ」自明なことだというに、ジャリはいつまでも首を傾げたままで答えを出そうとしない。ああもう、いちいち神経逆撫でするジャリがっ。「ああ、はいはい。恐いお顔にビキニ一丁ですから、きっとスイマーかサーファか、さもなければ変態さんですね」

 おい固羅ちょっと待てやジャリぃ、俺が何者かなんて分かるだろ。サングラス――はあの事故で無くしてしまったが、この逞しいサーファー体型と何よりプレゼント持ってんだからサンタクロースに決まってるだろ。いや待てよ、そういやここは日本だ。日本のサンタは確か赤の毛皮のコート着てたんだったな、くっ何てことだ。それじゃここはオーストレイリゥアじゃなくてジャパンかよ。道理で寒いと思った畜生、騙されたぜ。

「という結論なんですが、貴方はスイマーさんですか?」

「違う」即断だった。

「じゃあ――サーファさん?」

「それも違う」なおも即答。

 すると少女は再び答えを得たと錯覚したときに浮かべるあの笑顔を俺にまじまじと見せつけてから、ぽっと顔を赤らめて指差すのだった。

「それでは、その――変態さんですね」

「違うわっ、というか激しく違うっ。俺はだな、サンタだ。サンタクロース、子供の憧れの的、サンタクロースだ。第一、玩具をしこたま白い袋に抱えて歩いている奴なんて、サンタ以外にいないだろうが」

 するとジャリは再びきょろきょろ。そして首を傾げ、というか同じポーズはもう飽きた。俺は少女が口を挟む前に言い切った。

「兎に角だ、俺はサンタだ。サンタと言ったらサンタ――子供に夢を届けに来るえらーい存在なんだ、分かったな」

 ジャリは何も言わない。ようやく信じるようになったか、よしよし。俺はサンタクロース、いつもは神様の敵だ堕落の始祖だと言われようが、今日だけは俺だって平等に誉めそやされるのだ。そう、今日だけだがな。

 ジャリの顔がぱあっと拡がっていく。どうやら見かけによらずこいつ、頭の回転は良いらしい。俺をサンタだと認めたようだ。

「そうなのですか、サンタクロースさんなんですね。お勤めご苦労様です」

 しかし、直ぐに悪戯のばれた子供のような顔になり、そして次には俺のことを心底哀れむような瞳で覗き込んできた。やめれ、俺を哀れむのはミック=ジャガーだけで十分さ。でも、次のジャリの言葉で、俺は真に哀れまれるべき存在となったことに気付いたのだ。

「でも、プレゼント壊れちゃって大丈夫ですか?」

――――ノオオオオオオオオオオッッ!! そいつを忘れてたっ! やべえやべえよ、プレゼントなかったら俺、おしまいじゃん。というか場所間違えてる時点でおしまいじゃんかよ。

「あ、その、えと――図星でしょうか?」

 図星だよ図星、大図星。痛い所を的確についてきやがる、こいつ大人しい癖してベルゼバより実は弁が立ちやがる。侮れない奴だ、人間だというのに。

 どうすりゃ良い、このままじゃ神様に大目玉だ。神様が救うのは女王様だけで、俺は救われねえんだよぉ、嫌だもうあの稲光だけは勘弁してくれよ。浴びさせられる、絶対あれを浴びさせられる――どうすりゃ良いんだよおおおおおっっっ!!

 そうだ、この蛍とかいう奴に金を借りて――いや、駄目だ。ここは日本で豪州製の玩具なんて売ってないぞおい。かといってこいつが豪州ドルを持ってるわけないのは目に見えてる。ポキモンもハリィ・ポッタも日本語じゃ意味がねえんだよ、もうどうしようもねえよお。

「あの、もしかして配るプレゼントがなかったり、なかったり?」

「――ああそうだよ、俺はサンタのくせにプレゼントを台無しにしてしまった駄目なサンタさ。さあ、俺を哀れんでくれよ、ミック=ジャガーの歌みたいに俺を哀れめよ畜生おっ!!」

 なんて情けないんだ、俺は。かつて神様にすら挑んだんだぞ、俺は。それがジャリの目の前でみっともない姿を晒してる。泣きそうになってるんだ。畜生腑抜けめ、稲光程度に屈して何が堕落の始祖だ。ルシファの名前が泣くぞ、でも感情は止まらねえ、一体どうすりゃ良いんだ。

 運良く涙は一瞬で止まった。でも目の前の少女は、あの堕天使ルシファ様が情けなくも涙を流したことを知っている。サンタクロースが情けなく取り乱したのを知っている。でも、サンタクロースだって、俺だって完全じゃないんだ。神様のように完全じゃないんだ。今年の俺はジャリどもにプレゼントを配れないんだ。畜生、あんなの鬱陶しいだけなのになんでこんなに悔しいんだよ。俺は堕落の始祖だぞ、哀れみなんて欠片もありゃしないのに。ジャリなんて鬱陶しいだけさ、俺はただサーフィンしたいだけなんだ。

 ジャリは俺のことをじっと見つめている。まるで何かを推し量ろうとしているかのようだ。あの純粋な瞳が気に入らない、まるで神様みたいに、俺を見透かそうとしている。しかし、この長い沈黙が初めて俺にジャリの――いや、蛍の印象を俺に植え付けていた。それまではただの人間の一体にしか過ぎなかったのだ。

 まだあどけなさが残る面持ち、肩甲骨まで伸びる髪はさらさらとして傷一つ無い。年頃の少女であることを鑑みても細っこい、抱き心地なさそうな体。確かに顔は可愛いけど、胸も尻もないんじゃ男はムラムラこねえだろう。口元と頬はうっすらとピンク色に染まり、透明な両の眼はただ穏やかだった。その口元がうっすらと開き、神を称える囁きをもらした。どうやら彼女、日本人にしては珍しく基督教徒らしい。それから迷うことなく、俺の額に口付けしてぎゅうと抱きしめてくれた。

 これが蛍の哀れみ方なのだろうか。こんなの初めてだった。今までに受けた哀れみといやあ、神様の稲光と地獄のくそったれカジノの支配人のまいどありという声と、ベルゼバの嘲りだけだったというのに。このジャリと来たら悪魔を哀れむ為に、惜しげなく抱擁を捧げるのだ。第一、会ったばかりだぞ。何でそこまでのことが出来る? 人間はもっと残酷で容赦が無くて、直ぐに愚痴を言ったり努力もしない内から才能を嘆いたり――愛を勘違いして肉欲に耽ったり、食を貪ったり、簡単に弱い者を傷つけたり、そういうもんだろう?

 第一、俺のことをさっき変態だって断じたばかりじゃないのか?

 違う。こいつは人間じゃない。もっと高次元の者だ。じゃあ、神様なのか――いや、やっぱただの人間だ。じゃあ、何なんだよ。俺にこんな哀れみを与えられるこの蛍って人間は一体何なんだよっ!

 でも、いくら考えても結局答えは出なかった。ただ、こいつの胸の中に抱かれているのが心地良いって思ったんだ。

 そう言えば――。

 再びの眠りに付く前に、俺はふと思った。

 海辺に倒れてなきゃいけない筈なのに、俺はなんで人間の住まいの中にいるんだろうか。

 でも、それを考えることすらもう、面倒臭かった。

 面倒臭かったんだよ。

 

[後編に続く]