Il nome del cielo
--Capitolo Uno "Spazio Discreto"--
「後ろ向きに生きるですって!そんなの聞いたこともないわ!」
「――でもね、後ろ向きに生きると便利なこともあるよ。記憶が前と後ろと両方に働くからね」
「私の記憶は後ろにしか働かないの。事が起こる前に覚えておくなんてできないわ」
「ずいぶん貧弱な記憶だね、後ろにしか働かないなんて!」(鏡の国のアリス/ルイス・キャロル)
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聖エレノア女学院――現在の
時はかくしも鹿鳴館全盛、欧風の文化は中・上流階級を中心として日本の家庭にも急速に広まりつつあった。仏国風のソースや盛り付けに微細を凝らした、日本とは違うフルコースの料理。ブルゴーニュやシャンパーニュの情熱的な太陽が育てた豊穣なワインやシャンペン。当時の日本人が恥らうほど密着してのチークダンス。どれもこれまでの日本には無かったもので、人々は外国の寄せる刺激に酔いしれた。洋風かぶれと揶揄するものも大勢いたが、しかし同時に時代の最先端を走る彼らをやっかみの視線でも見つめていたのだろう。
英国プロテスタント教会より派遣されたエレノア・リトワードと、その生涯なる友人であるクレア・スティングフリートがこの地に女学校を建てようとやってきたのは遡ること五年前、一八九六年のことだ。折りしもかつての主国であった清に打ち勝ち、喜びとしかし三国干渉による直後の屈辱で揺れに揺れていた頃、二人は磐石の友情にて結ばれ、理想を抱き熱心な活動を始めた。そこに日本に対する差別が全くなかったとは言えないが、しかし技術・教育共に遅れていた日本に英国並みの教育を受ける土壌を築きたいとする二人の心に邪なるものはどこにもなかった。信仰と学問に対する忠誠が、二人の力だった。
エレノアとクレア、二人の宣教師の考えはこれまでの女学院創立者と些か趣を異にした。女学院と言えばこれまで基礎学術と
幸いにして、エリィ――エレノアは当時、住民から親しみを込めてそう呼ばれていた――とクレアの賛同者は直ぐに見つかった。地元で紡績業を営む実業家で、日清戦争により二人の息子を失った男性だ。彼は卓越した事業者としての目で近い内に再び、日清戦争以上の大戦争が起きることを予感(その懸念は八年後、日露戦争開戦により現実となる)していた。そうなれば男性の労働者が不足し、その結果、学を持つ女性が社会に広く登用されるという読みを持ち、故に学園経営者としてのノウハウを持つ宣教師達を歓迎のまま迎え入れた。
実業家である男性の後押しもあり、エリィとクレアの活動は順調に進んだ。元々、女性の強い土地柄である――利発で器量の良い二人の宣教師は異性にも同姓にも憧憬と歓迎を以って迎えられた。エリィは生物学に秀で医療の心得もあり、クレアは科学の教養が非常に高かった。外来品として持ち込まれた蓄音機はムードのある英国の音楽を流し、人々は魔術のような機械の魅力に暫し心を奪われた。パイプオルガンの豊かで荘厳な響きも人々を魅了し、これも人気があった。エリィは優れたパイプオルガン奏者であり、合わせて詠われるクレアの賛美歌はどこまでも高く清んでいた。
これだけなら、やはり洋風のものに抵抗のある人たちは洋風かぶれと宣教師達を批判したかもしれない。しかし、エリィもクレアも日本文化には強い興味を持っていた。日本食も進んで嗜んだし、日本文化を異質ながらも西洋とは別の意味で進歩的と捉え賛辞の言葉を惜しまなかった。流石に誉められて嫌な顔をする人間はいない。英国と日本の気質が似ていることも、両者を強く結びつける一因だったかもしれない。賛同者は日に日に増し、基督教へと改宗する者も少なくなかった。もっとも、これは流石に地元の宗教家達の不興を買ったようだが、エリィとクレアに表切って反抗することは村八分にも等しく、彼らはじっと口を噤んでいたらしい。その間にも資材と教育者が揃えられ、入学志願者も少なくない数になっていた。決まっていないのは、女学院の名前だけだった。
全ては順風満帆に見えたが、しかし試練とはかくの如く宣教師の説くようにやってくる。四年後、疫病が猛威を奮い、エレノアはその医学の知識で多くの村人を救った。しかし、彼女自身もその疫病に倒れ、長年の苦労も重なっていたのだろう。学園を頼むと生涯の友人であるクレア・スティングフリートに託し、穏やかなまま天に召された。享年三十四、一九〇〇年当時としても余りに早すぎる死だった。こうして学園最大の功労者、エレノア・リトワードは死の(彼女の宗教の言葉で述べるならば天に召され、その審判の時を待つ存在となったとするべきかもしれない)床に伏した。その遺骨の半分は今でも、聖峰高校と名を変えたその正門前の碑の下に眠っている。もう半分は数年の時を経て、英国に戻る宣教師の手によってエリィの生家に戻された。
エリィの死はクレアを始めとする者達全てに衝撃を与えたが、しかし彼らに一つの名前も与えた。翌年完成した女学院にはエレノアの名が冠せられ、彼女は母マリアの次に畏敬の対象となった。今では聖峰高校の生徒手帳、その序文と歴史年表でのみ語られ、その偉業を知る生徒は殆どいない。
聖エレノア女学院は最初こそ地元の者以外に受け入れ難いものであった。しかし、日露戦争における予測された影響と、他の女学院に劣らぬ慎ましさと同時に帯びる凛とした女性の風格を漂わせる教育に、やがて他県の女子もこぞって入学するようになった。その後、大正の民主的な雰囲気もあいまり、同校は反映の道を歩むことになる。その課程の多さゆえ密で厳しいが、当時の女子はその厳しさを先進的なものとして好んだという。
しかし、その前に大きな一つの壁が立ちはだかった。昭和に入って直ぐ、第一次大戦の反動を受けるかのように不況が長期化した。更には世界大恐慌、国際舞台からの孤立、海外文化の排斥と、基督教系女学院にとっては不遇の日々が続くことになる。自由な装いは標準服に取って変わり、聖句は軍事標語に成り果てた。一九三〇年代当時、既に六十半ばとなっていたクレア・スティングフリートも無念のままに学園を離れることとなった。その後、ナチス・ドイツの空襲も巧みに逃げ切った彼女だが、風邪をこじらせてそのまま帰らぬ人となった。クレアは死ぬ前、故郷である英国マンチェスターの教区牧師にこう零したという。
「私は一度だけ、親友を裏切った。それは彼女の分身を遠い異国におき、自分だけ生きながら故郷におめおめと引っ込んだことだ」
教区牧師は彼女の最後の懺悔を聞き、神に代わりそれを赦した。その牧師も優れた人物で、頑ななクレアも最後には安らかな笑顔を浮かべたという。彼女は一九四五年三月、享年七十三歳にてこの世を去った。折りしもナチス・ドイツの総帥、アドルフ・ヒトラーが防空壕にて自殺する二ヶ月前である。エレノアと同じ審判の場所へと旅立っていったかどうかは定かではない。人間は未だ、死後を垣間見る術を全く知らないのだから。
クレアの心配を他所に戦後、混乱は大した問題もなく収束する。聖エレノア女学院は徐々にその活気を取り戻しつつあった。その先鞭を取ったのはクレア・スティングフリートによる洗礼を受け、ヘレンという洗礼名を授かった一人の日本人女性である。本名を宮路ゆきといい、平凡な農家の出であったが、才能は非凡であった。聖エレノア女学院の卒業生として同校の士に協力を募り、自らも教鞭を取った。一九五〇年四月、ヘレンは四十三という若さにして校長の座を拝命した。彼女は学内でその厳しくも公正で懐の深い性格からシスター・ヘレンとして親しまれることとなる。
彼女を中心とした学院運営が身を結び、聖エレノア女学院は女子高等学校としては異例の進学校として評判を受けることとなる。競争率は最高時で十二倍にも及び、聖エレノア女学院の卒業生であることは文武共に優れ、慎み深く、嗜みの深い女性であることの証左とされた。
しかし、この成熟に対してもシスター・ヘレンは一つの疑問を持ち続けていた。それは基督教らしい、平等心に満ち溢れたものだった。教育とはそもそも、全てに平等であるはずだ――私達は基督教を基礎とするこの理念に立ち返らなければならない。彼女の頭には学院の共学化という一大改革が渦巻いていたのだ。このことについてシスター・ヘレンは伝統を重んじる多数派と喧々諤々の論議を何度も交え、遂に屈服させることに成功する。伝統を重んじる一派がその『伝統』という言葉を盾にしてシスター・ヘレンを当てこすった時、彼女は激しい長口上を以って痛烈に切りかかったという。
「では私から逆にお尋ね申しあげます。この聖エレノア女学院が、その由来である聖エレノア師の畏敬ある死から遡ること七十余年、伝統という文句に捉われたことが一時ですらあったでしょうか? この学園の歴史の全ては発展と進歩に満ちています。ここにいる方達の中でただ一人でも、そのことを失念なさっている方がいるということを、私はとても残念に思います」
これこそ、シスター・ヘレンの本質を表しているといっても過言ではない。彼女は正に進歩の人であった。伝統という言葉を持ち出した女教師が凡百な、そして基督教的な恥じらいを強くおぼえたであろうということは、語るに及ばないだろう。その言葉は一部が忘れられ、一部は失われてもその本質だけは脈々と受け継がれている。進歩と前進こそ、今でも聖峰高校の不文律だった。
委員会の総意、学園投票による生徒の過半数を悠に超える賛成に基づき一九七四年、つまり今から二十六年前、聖エレノア女学院は聖峰高校に改名され共学化した。当時こそ学園の評判は落ち競争率も下がったが、五年後には聖エレノア女学院が卒業生にしてもたらされる名声を復活させた。なおかつ知性と深い思いやりを持つ紳士を輩出するという評判も興った。翌年一九八〇年、聖峰高校付属中学校が設立され、同年シスター・ヘレンは学校運営に関する全てから手を引くことになる。彼女はその理由として体力の限界をあげたが、クレア宣教師の年齢に追いついたことがその遠因であることも否定しなかった。彼女は常々、クレアよりも長生きするとは思っていなかったらしい。
その後、シスター・ヘレンは学校内に建てられた教会にて一教師であることを貫いた。今年で八十五になるが、その明晰な頭脳と見識の深さは今も健在である。ただ時代の流れからか、聖峰高校の授業から基督教を感じさせるものは、一週間に一度の全校礼拝と賛美歌の授業の時だけとなってしまった。エレノア師やクレア師のことも既に入学式や卒業式の彩りに過ぎないが、シスター・ヘレンはそれを嘆いたりしなかった。どのように偉大な人物も忘れ去られ、何れは紙の世界の住人になってしまう。何かを残したことが永久に語り継がれる必要はない。その意志は形を変え、今も生きている。エレノア師もクレア師も、そして彼女達を導いた基督教も確かに多くの志を持つ若者達に脈々と受け継がれていた。シスター・ヘレンはただ、見守るだけの存在だった。
そう、だった。既に齢八十を超える身である自分に何かが導けると、シスター・ヘレンは考えていない。しかし、彼女をして何かを残したい――伝えたいと願望を持つ人物が一年前、現われたのだ。見守るだけで満足できない、器の大きさを持った人間。かつてクレア師に感じた、いや――と彼女は思い直す。彼女とも、他のどんな人間とも異なる器を持っていた。初めてその姿を見かけた時から、明白な事実。もう、老いさらばえて朽ちていくだけの人間に何故、神は望んでいたものを与えるのか。そう、彼女と話をすると何故か、シスター・ヘレンは必ず神を、その父にして子にして精霊なる御主を考える。そして強固に思っていた信仰を少なからず揺らしてしまう。
彼女にすれば罪はないのだろう。しかし、八十過ぎのシスター・ヘレンによっては辛いことだった。辛いということは、疑念を抱いているということだ。それを否定するよう首をゆっくりと横に振ると、彼女は手製のキルトでこしらえた座布団を敷いた椅子に腰掛け、ステンドグラスの隙間から差す木漏れ日に目を細めながら、年頃の老人がよくするように昔を思い出していた。駆け抜けるようにして過ぎていった人生は、勲章にも後悔にも満ちている。でも、悔いはなかった。今この時、この場所で死ねたなら僥倖ですらあった。
無骨な礼拝堂は今、静寂で満ちている。午前中はボランティアの生徒や近所の夫人達が掃除に訪れてくれたため少し騒がしかった。しかし、そのうちの誰もシスター・ヘレンの言葉や助言を求めない。彼らにとって教会は異世界そのものだった。クレア師がよく弾いていたパイプオルガンは、今でも豊かな音楽を奏でる。教壇に立ち、自分の好きなマルコ福音書の中から巧みな引用をしつつ興味深い逸話を語ることもできるだろう。それでいて教会は既にシスター・ヘレンと同じく半死人だった。華やかな結婚式も厳かな葬式も今はもうない。クリスマスになると、お菓子目当ての可愛くも憎らしい子供がやってくるだけだ。これだけが第二次世界大戦にて破壊され、今も復元できない唯一の事象だった。基督教そのものに対する信仰は強固だが、故に築き難い。シスター・ヘレンはあくまでも有能な学校運営者なのであり、老いぼれ婆さんなのだ。
「まあ、心残りのない人生なんてありえないさね」
無為に独り言を呟くとシスター・ヘレンは立ち上がり、教壇に置かれた聖書を手に取った。既に手垢でぼろぼろに汚れた書物を、彼女は何十回と読み返している。それでも、いつでも、それは彼女に相応しい言葉を授ける。例えば今日はこのように、マルコ福音書第十章十四節の文句を指し示してくれる。シスター・ヘレンはしわがれた声で朗読した。
「『子供達をわたしのところにこさせなさい。妨げてはならない。神の国はこのようなものたちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない』――か。やれやれ、私ほど子供を受け入れた人間もそんなにはいないと思うんだがねえ。どうやら我が父は私に、もっと子供を受け入れろということらしいけど――老体にはちと酷だよ全く。しかし、的は得てるんだろうね」
後から考えてみれば神の与える言葉は大概、正しかったような気がするし、そうでなかったような気もする。だが、この時の福音書の言葉だけは啓示に思えた。厳かに教会の扉を開け、眩しくも昏い光をたたえながら石畳の廊下を歩いてくる女子の姿に、シスター・ヘレンは眩暈を覚える。その瞬間、彼女がどれだけの拡がりを持っているのか理解できたからだ。
「こんにちは、お久しぶりですね、シスター・ヘレン」
二ヶ月という期間もしかし、シスター・ヘレンにとっては久しぶりではなかった。彼女はまだ若い。時間の進み方は年齢に反比例すると聞くが、いかに泰然とした性格であってもそれは変わらないのだろう。しかし、ヘレンは彼女に合わせて言葉を返した。
「ええ、お久しぶり――遠野さん。相変わらずお元気そうね」
寂しがりやでないにしても、例え彼女がどれほど頑強に神を否定していようとも、話す相手のいない老女にとって遠野美凪は貴重な友だった。しかし美凪は頬を手に当て、まるで試すかのように尋ね返す。
「そう、見えますか?」
勿論、察しの良いシスター・ヘレンにはそれだけで事が知れた。要はおざなりな腹の探りあいなどやめ、実直に語ろうということだ。一識してとぼけているように見える彼女の一言一言が、実は意味深く感嘆とさせられる。彼女、遠野美凪は誰も同じように話しながら、それでいて個々に含むものが違う。まるで一人の人間に対して一人の人間がいるようであった。いや、あながちその例えは筋違いでないのかもしれない。少なくとも老獪な教師は、美凪に表化する幾つかの人格を認めていた。
それは、近頃はやりの解離性同一性症候群などという精神病理学の一言で片付けられるものではない。人格という表現すら正しくないかもしれないとシスター・ヘレンは感じている。言うなれば世界。遠野美凪は己の中にいくつもの世界を持っていると、半ば確信を込め断じていた。しかも、普通の人間なら当に破綻しているであろう状態でありながら、美凪は不思議な一貫性を保っていた。それはとっつき難いながらも慈愛に満ちた瞳や、ありし日のクレア師に負けずとも劣らぬ長身から生み出される振る舞い、眉目秀麗な顔立ちから自然と零れる微笑みから見て取れる。またそれ故に、遠野美凪本来のものから他者を遠ざけているとも言えた。一貫的にして並列し、並裂しながらもそれは一つだった。
「いいや、見えないね。今の貴女がどうであれ、他者を求めなければならないほどに思い悩んでいる。だからこそここに来た、違うかい? 或いはこうも言える――私は遠野美凪によって選ばれた、そういうことだね。はてさて、選ばれたことを光栄に思うべきかどうか。貴女は救いようがないほど不信心だ、おまけに惑わせようとする。私はもしかしたら、悪魔に助言しているのかもしれない」
しかし、不遜な存在を口にしたにも関わらず、シスター・ヘレンは優雅であった。美凪が悪魔であるなんて、当の昔に分かっていたことだ。なおかつ、老女は美凪を孫か曾孫のように思っている。憐れみすら感じていた。シスター・ヘレンは基督教的な告白を受けたではないにしろ、美凪の事情を知っている。当然、全てではない。彼女自身が話すわけはなく、シスター・ヘレンもほんの僅かな言葉より推察したに過ぎない。だが、何となく理解してはいた。遠野美凪は自分でありたがっている。複数の世界を許しながら、その悉くが自分ではないと思っている。
「かも、しれませんね」
相変わらず美凪は淡々とした口調で、否定も肯定もしない。老教師は訪れた客の為に丸椅子を差し出すと、自身も再び腰掛けた。
「全く、厄介なもんだ、貴女は。誰よりも深い悩みを抱えてそうなのに、それでいて何も告白しやしない。罪を懺悔するにしろ悩みを相談するにしろ、言葉無き者に私は何もできないんだよ」
「でも、推察はされているのでしょう?」
「当たり前さね、私を誰と心得てる」美凪の浮遊した
美凪は胸元の十字架を握りしめ、神に問うかの如くシスター・ヘレンを見つめる。無垢な瞳は果たして何処からのものか。老教師の鋭い目とそれは鋭く交差し、刹那の時を経て霧散した。後には温和と諦観の混じる、停滞感に溢れた空気の満ちるのみ。先に折れたのがシスター・ヘレンであることは、彼女の溜息から直ぐ知れた。
「まあ、無駄だとは思っていたが。欲をかいても仕方なし、棺桶に片足を突っ込んだ老人を気遣い尋ねてくれただけでも良しとしようか。ありがとね」
口は悪いがいつもより殊勝な気持ちの老教師に絆され、美凪は微かに肯いた。暫し静寂の後、彼女は何もなかったように深々と頭をさげた。
「どう、いたしまして」美凪は頬に手を当て、首を傾げ、何かを思考する仕草を見せた。それからもう一度、頭を下げた。「本当は掃除も手伝いたかったのですが、野暮用があって出られなかったのでした」
それしきのこと、言わずともシスター・ヘレンには当に知れている。いつも求めるものがあると、美凪は教会の掃除に顔を出し、それからごく短い会話を交わすことを慣習としていた。彼女の規則と礼儀正しさは何においてもほぼ、徹底している。寧ろ、今日初めて習慣を崩したことにこそ老教師は驚きを感じていた。その事実があればこそ、深刻な悩みがあると推察できたのだ。そして、美凪が腰を据えたことは、その確証足りえた。
「それは、悔いることでも何でもないよ――どうせ人手は有り余ってるんだから。ところで、本当に話すことはないのかい――言うなら今だよ。私が無駄なことを嫌うのは知ってるだろう」
要はさっさと話せということだが、美凪は困ったように視線を泳がせたり首を傾げたりしてどのように切り出せば良いのかすっかり悩んでいるようだった。いつもの思考誤差と違う、本物の混乱をそれは示している。シスター・ヘレンは今まで寡黙に積み重ねてきた忍耐を総動員し、美凪の言葉を待った。パイプオルガン反対側の壁際にてその存在感を示す振り子時計が、鐘を三つ鳴らす。長針が十二から一まで移動する間、静寂は二人を別っていた。
「では、率直に話します」シスター・ヘレンにとっては苦痛でも何でもないが、時間泥棒の嘆くほどには浪費された時を埋めるよう、美凪は思いを紡いだ。「この世に、塵一つほどの奇跡も起こらないことを証明するためにはどうすれば良いでしょうか?」
予期せぬ質問が飛び出すことは分かっていたが、それでも美凪の問いは老教師の肝を潰すに足りた。よりにもよって神の御行を否定する為の手法を、尋ねるとは思わなかったのだ。手を思わず拳の形に握りしめ、信仰的な怒りをどうにか抑えると、シスター・ヘレンは絞り出すような声を出した。彼女は意識していなかったが、それはまるでガマガエルのように鈍く低かった。
「それは本気の質問なんだろうね? 弱々しい老人に対する手酷い戯れというのならば、今直ぐ立ち上がりここから出て行きなさい。分かるだろうがね、遠野さん。貴女は主の前で最も不遜なことを口にした、宗教的道義ではなく礼儀に反するよ」
「無礼なのは承知の上です」シスターの声は万人に恐怖を煽るものであったが、しかし美凪も凛と声を響かせ一歩も引かなかった。「でも、奇跡が公正に定義される機関ならば、その否定手段も構築されて然るべきでしょう? そう考えてすら、何も思い浮かばないのですか?」
成程、そういうことか。怒りは波のように引き、しかしシスター・ヘレンの胸を次に満たしたのは果てのない悲しみだった。美凪は主を否定しているのではなかった。ただ、奇跡を遠ざけ無縁としたいだけなのだ。現実と凡庸、停滞に彩られたこれからを生きるという意志の発露。老教師は思わず十字を切り、両手を組む。彼女、美凪にこそ真に主の祝福が必要だ。
しかし同時に、自分がそれを与えうる力量のないことも分かっていた。深遠なる主の真に深遠たる言葉を語る術を、老教師は持っていなかった。彼女はしかし、奇跡を無縁とする方法を知っている。それは非常に簡単なことだ。やろうと思えば三歳の赤子でもできる。しかしそれは悪魔のようにして、人間を堕落させることに繋がりかねない。非常に危険なことだった。それでいて、シスター・ヘレンは美凪の求めに答えたのだ。
「主の御業を否定することはどのような概念であれ不可能に違いない。しかし、同時に主がその御業を発揮されるためにはその構成されたるものが真に構成者としての役目を果たさなければならない。それが成されないのならば、恩寵は決して彼らに降り注がない」
シスター・ヘレンは聖書にも似た婉曲極まる表現をもって、美凪が先程の言葉に含まれた真意を理解することのないよう、祈りを込めた。だが、美凪は目を瞑り確認するかのような肯きを返し、納得するだけだった。つまり、完膚なきまでに理解したということになる。シスター・ヘレンは思わず目を瞑った。それは物事が上手く行かない時に人が見せる刹那の嘆きだった。
美凪は、努力することの一切を放棄するに違いない。それでも彼女は存在するだけで異才にして、異端だった。彼女を無視すること、凡百であること、どちらもけして叶わないはずだ。しかし、自分の言葉は美凪を数年、あるいは十数年も遅らせたに違いない。シスター・ヘレンはそのことを、今ようやく理解した。自分は知らない内に運命を組み換え、かくあるべき世界を変革させたに違いない。老教師の脳裏に福音書の言葉が蘇る――子供たちをわたしのところにこさせない。果たしてそうなのか? 平凡な暮らしを脅迫的に説くこと、それが主の望んだことなのか。
「そうですか――ありがとうございます」シスター・へレンが己の主との関連性を模索しているうちに、美凪は席を立っていた。「貴女は私の為に敢えて、答えてくれた――」
「いや、それは違う」
老教師は思考を捨て、思わず反論していた。やはり、自分のしたことは間違っている。一時の哀れみだけで事を運ぶべきではなかったのだ。例えどのような存在であれ、その停滞や退化を促す概念を説くことは冒涜的であり、人間の意義に反している。人は進歩してこそ、過ちを正してこそ、賢くあり続けてこそ主の望む存在へと近付くのだ。しかし、一度口から出た言葉をどのように否定しても、それは美凪にとって詭弁にしか聞こえない気がした。自業自得と言えばそれまでだが、シスター・ヘレンは自らの信念と少女の未来の為、言葉を続けた。
「遠野さん、しかし我々は主の構成物であることを拒否してはいけない。心がければ貴女なら何れ、私など思いも及ばぬほどの優れた人物になるだろうさ。何れは主を御目することだって――」
「それが何の助けなるというのですか」美凪は苛立たしげなシスター・ヘレンと対照的で穏やかな言葉遣いをもって、しかし切り捨てるように否定した。「それが何の助けになるんでしょう――神を見ることが」
その呟きこそが決定打だった。よく考えれば、遠野美凪ほど頑強に神という概念を否定し続けているものはいないことに思い至ったはずだ。しかし、狼狽していたシスター・ヘレンは神の肯定ありきことを前提として美凪を諭した。その
その日から、シスター・ヘレンはもし美凪がもう一度教会を訪ねてきたら、次は命を賭して人としての尊厳と発展性を説こうという覚悟を持ち、日々を送り始めた。しかし二人が再度、言葉を交わすことは二度となかった。何故なら一ヵ月後、シスター・ヘレンは持病の心臓疾患に伴う合併症でこの世を去ったからだ。一九九二年五月三十日没、享年八十五歳――その遺体は日本風に荼毘へと伏され、海と空に巻かれた。彼女は死後の肉体をもこの世の糧であることを望んでいたのだ。彼女の身辺はとても慎ましやかで、醜く争う子孫もいなかった。財産は整理され、後には遺書と奇妙な書きおきが一枚だけ残されていた。しかし、誰も紙片に書かれたことの真の意味に気付かなかった。
そこには、こう記されていた。
「あの娘はまだ、ほんの八歳であるというのに――」
§
当然のことながら、これは手記である。何故、そんなことを物語の途中で断らなければならないか、訝しむものもいるだろう。人によっては、作者を作品に内在させるなと嘆くものもいるだろう。お説、ごもっともである。しかし幾つかの特殊な事情から、この物語が手記であることを述べておくのが親切ではないかと個人的に(私の愛する妻がどう思うかはさておき)思う。
結論から言えば私は遥か未来より遡行し、最終的に私が認識する『今』へ向かおうとしているのだ。既に私は数百年の時を悠に超え、更に遡ろうとしている。何をしようとしているのかって? 別に君の未来の両親をどうにかしようって話じゃない。そんな夢物語を信じているのならば、貴方はそれを捨てた方が賢明だろう。
私はただの代弁者。あるべきことをできるだけ詳細に書き綴り、そして遡行することを繰り返すだけの存在だ――今のところは。私はその為の目を与えられている。時には物言わぬ獣であり、時には名も分からぬ人間であり、語るに尽くせない。しかし、これだけは言える。
私はこの物語で生や死を代弁するつもりはない。神や悪魔を肯定することもしないだろう。天国と地獄の重みなど想像すらつかない。ただ一人の為に、私はこの果てしない物語を紡ぎ続けるだろう。もし、私の想定しない誰かがこの物語を手に取ったならば、私の在り方とただこの一言を伝えたいだけであったということを、知っていて欲しい。
だから、私はその言葉を誰かに捧げる。
どうか、最後は幸せな記憶を。